FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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この瞬間が書きたくて書いた第一部。
第11章は過去最長の、その13まで。10月14日までかかる。

これが最も書きたかった箇所のひとつであるため、現在執筆速度低下中。
それでも第1部終了まではノンストップで行きたいところ。


第11章-1:希望・その1

 極限の死線から上空へ引き上げられた少年の意識は、未だ現実と幻の境界を彷徨(さまよ)っていた。

 

「ど、どうして……ここに……」

 

 少年は今、ペガサスを駆る少女の両腕に抱き上げられていた。片腕を背へ、もう片方を膝の裏へ回され、胸元へ横抱きにされているのだ。その甘い香りを知る人物の顔をまじまじと見つめ、呆然と呟く。

 

 愛しきオルテンシアが、今ここにいるはずがないのだ。彼女は今頃、神竜リュールと共に、邪竜の軍勢と死闘を繰り広げているはずなのだから。

 

 これは夢か。はたまた、絞首台から落ちる一瞬に見ている、残酷で優しい幻覚なのか。

 確かめるため、少年は恐る恐る、自分を抱きかかえる彼女の身体へと手を伸ばした。

 

「やんっ! こ、こら、彼氏くんっ。()()()なのはいいけど、イチャイチャするのは後にして欲しいわね」

「あ、あっ! す、すみません、オルテンシア様! その、つい……!」

 

 無意識に触れ、確かめるように強く掴んでしまった箇所は、あろうことか彼女の柔らかな()()であった。

 

 少年の顔が一瞬で朱に染まる。だが、彼女は不快感を示すどころか、愛しい者の体温を確かめるように、嬉しそうに目を細めてすらいた。ただ眼下で激戦が繰り広げられている手前、今はそれどころではないと(たしな)めたにすぎない。

 

──本物だ。本当に、オルテンシア様だ。

 

 彼女は、かつて交わした絶対の約束を、果たしてくれたのだ。

 

『あなたが困ったときは、いつだってあたしが救ってあげる』

 

 ここで無惨に死ぬ運命にあった少年を強引に救い上げたのは、紛れもなくイルシオン第二王女の、深く理不尽なほどの慈愛であった。

 

 だが、どうしてここがわかったのだろう。神竜軍と共に四狗(しく)やイルシオン軍を追って帰国したのであれば、真っ直ぐイルシオン王城へ向かっているはずではないか。

 

 そんな少年の疑問を遮るように、背後から緊迫した声が響く。

 

「オルテンシア! 下から風魔法と矢が飛んでくる!」

 

 聞き覚えのある声だった。その声を合図に、オルテンシアは少年を抱えていた両腕を動かした。

 

 背と膝裏を支えながら身体を起こし、ペガサスの(くら)、その前側へ慎重に跨がらせる。少年の両脚が鞍を挟み、背中を自分へ預けたことを確かめてから、彼女は手綱を握り直した。

 

「気持ち悪いかもだけど、鞍にしっかり捕まってね」

 

 下から飛来する魔法と矢の雨を(かわ)すため、オルテンシアはペガサスの横腹を鋭く蹴る。愛馬はそれに応え、きりもみするように空中で幾度も横回転し、放たれた死の弾幕をことごとく回避してみせた。

 

「うっ……」

 横回転へ入る気配を察し、固く目を(つむ)っていた少年だったが、三半規管を揺さぶる激しい遠心力には抗えず、思わず胃の内容物が込み上げそうになる。

 

「ごめんね、大丈夫?」

 姿勢を戻したオルテンシアが、片手で手綱を操りながら、もう片方の手で少年の背中を優しくさすってくれる。

 

 久しぶりに味わう、彼女の温かな手の感触。今すぐその手を握り締め、永遠に離さずにいたいという狂おしいほどの衝動に駆られる。

 

 だが、そんな甘い思考を切り裂くように、重々しい羽ばたきの音が急接近してきた。

 その重低音から、飛竜の羽ばたきだということは見る前からわかった。問題は、その(あるじ)が誰なのかということだった。

 

「だいぶキツい戦いだったみたいだねー。カワイイ顔が涙でボロボロじゃーん? でも、オレたちが来たからには、もう安心だからねー」

 特徴的な間延びした喋り方。男性とわかる声色でありながらも、どこか愛嬌を(にじ)ませたその声。

 

「……ロサード様……!」

「へへ。様はいらないよー、彼氏くん。オルテンシアの恋人はオレの恋人もどうぜ……ん? あれ。そんなわけないなー。あ、大事な友達も同然だからねー!」

 

 妙なことを口走りかけ、バツが悪そうに舌を出しておどけてみせるロサード。この血みどろの戦場においても変わらない彼の過剰な着飾りっぷりに、少年はむしろ深い安心感を覚えた。

 

 彼は、船上で指輪を奪うという無謀な作戦を見事に成功させ、少年が読んでいた通り、オルテンシアとの合流を果たしてくれたのだ。ならば、彼の相棒であるゴルドマリーも、きっと無事なはずだ。

 

「ロサード、話している暇はない。次が飛んでくるぞ」

「兄上の言う通りです。地上に降り立ち、こちらも攻勢に出ましょう」

 

 ロサードの背後には、青いオーラを放ちながら宙に浮かぶ二人の姿があった。槍を携えた男と、細身の剣を持つ女。どちらも高貴な装いを(まと)い、緑がかった青髪をしている。兄上という呼び方からして、兄妹なのだろうか。

 

 彼らを幽霊だとは、少年は微塵も考えなかった。飛行生物へ乗ることなく、自らの力で空中に浮かぶ存在など、一つしか心当たりがない。

 

──彼らは『紋章士』だ。

 

 紋章士が具現化した姿を見るのは、これが初めてだ。二人はロサードを左右から守護するように立ち回っているが、彼一人で二つの指輪を装備しているのだろうか。

 

「まずはオルテンシアが恋人を安全な場所に下ろす必要がある。ロサードはエイリークとエフラムと共に、注意を引くべきだろう」

 直後、オルテンシアのペガサスと並走するように現れたのは、蛇腹状に伸びる妙な形状の剣を携えた、生真面目そうな男だった。

 

 その姿を見て、少年は確信した。彼こそが、自分たちが王城の玉座の間で奪い取った指輪に宿る紋章士、『ベレト』に違いないと。

 

「そうですね。オルテンシアさん、あちらの砦の屋上などはどうでしょう。少しボロボロのようですが……」

 紋章士エイリークが指差した先。そこは先程、吟遊詩人が仕掛けた魔法罠の大爆発によって吹き飛んだ、ロビュスト砦の屋上だった。

 

 炎は一過性のものだったらしく、すでに鎮火している。だが、爆破に巻き込まれた伯爵兵たちの亡骸が、屋上に無残に散乱していることは想像に(かた)くなかった。

 

 少年は首をブンブンと激しく横に振った。

 

「ご、ごめんなさい、オルテンシア様。紋章士様も。あの、別の場所で……」

「何言ってるの。他に安全そうな場所なんてないわ」

 

 眼下の雪原では、これまで死線を共にしてきた戦友たちと、オルテンシアたちが連れてきたであろう新たな精鋭たちが、伯爵軍と入り乱れての乱戦を繰り広げている。

 

 その激戦の只中(ただなか)では、ゴルドマリーが槍を華麗に振り回し、子爵令嬢の背後を援護していた。さらに、アイビーの臣下であるカゲツとゼルコバも、鬼神の如き働きで次々に敵兵を葬り去っている。

 

 加勢に現れた彼らは皆、一騎当千の活躍を見せており、数の不利という絶望を圧倒的な実力で跳ね除けていた。

 

「……僕は、みんなの軍師をしていました。自分だけが安全圏から眺めているわけにはいきません」

「はあ!? 軍師!? どうして、侍従の彼氏くんがそんなこと!」

 

 オルテンシアは思わず声を荒らげた。しかし、すぐに彼女の中でも得心がいったらしい。

 

 導き手の指輪の簒奪(さんだつ)から今日まで、彼らが苛烈な追撃を生き延びてこられた裏には、間違いなく彼氏くんの知略があったはずだ。

 案の定、無茶を重ねていた愛する彼に対し、オルテンシアの言葉には強い怒りと、それ以上に深い心配が込められていた。

 

「その知略、是非とも拝見してみたかったところだ」

「ちょっと、ベレト! 安全な場所に下ろすんじゃなかったの!」

 

 眼下から放たれる射撃に対し、紋章士ベレトは手にした『天帝の剣』を自在に振るい、飛来する矢をことごとく容易(たやす)く払い除けてみせた。

 地上からこちらを狙う弓兵の数は明らかに減っている。地上部隊が確実に制圧を進めてくれている証拠だ。

 

「向こうなら大丈夫じゃないか? 戦闘員の背後になるから、安全ではある」

 

 紋章士エフラムが槍で指し示した先は、敵の姿がなく、味方の最後尾にあたる位置だった。薄緑髪の弓使いと男装の麗人に加え、新たに弓を扱う二人が肩を並べている。

 片方は軽装の歩兵、もう片方は馬上から鋭い矢を放ち、今まさに敵の死角となる射撃位置を見つけたのか、そちらへ駆けようとしているところだった。

 

「……仕方ないわね。絶対にあたしから離れないこと、わかった?」

 

 念を押すオルテンシアの言葉に、少年はこくこくと首を縦に振った。

 

 それを合図に、オルテンシアは紋章士ベレトの守護とロサードの陽動を受けながら、味方の後方陣地へ向けて一気に急降下していく。地上で戦う仲間たちの尽力もあり、もはや一本の矢すら、少年へ届くことはなかった。

 

 

*****

 

 

「いやあ、形勢逆転だねえ。さっきまでの勢いはどうしたのかな、ダンデライ!」

 

 吟遊詩人が炎・風・雷の三属性を自在に操り、伯爵軍を牽制しながら煽る。

 事実、この状況は伯爵にとっても、異形兵の将ローダンにとっても完全に予想外の事態であった。

 

 新たに現れた、弓をつがえる歩兵と騎兵。彼らを守護するように、青いオーラを(まと)って宙に浮かぶ、幽霊めいた存在。その姿こそ違うものの、ローダンには強い見覚えがあった。

 

──あれは、『紋章士』だ。

 

 となれば、今しがた現れたこの援軍は、紛れもなく神竜の軍勢ということになる。吟遊詩人が放った『花火』は、ローダンとネルーケの目を焼くための目くらましだったはずだが、本物の神竜軍が本当にイルシオンにいるとは。

 

 こうなれば、後からやって来る辺境伯の大軍をもってしても、圧倒的な力の前に敗北を喫してしまうかもしれない。それほどまでに、紋章士がもたらす戦力差は絶対的なのだ。

 

「ブロディアの第二王子が何故ここにいる! 何故、オルテンシア王女と戦列を共にしているのだ……!?」

 一方の伯爵は、後方から正確無比な矢を放つ、暗い青髪と赤い瞳の男に見覚えがあったのか、驚愕に顔を引き()らせていた。

 

 ブロディア第二王子、スタルーク。

 イルシオンとブロディアの長きにわたる血みどろの確執を考えれば、敵国の王族自らがイルシオンの逃亡者たちを守るために弓を引くなど、到底考えられない事態だ。ましてや、それを第二王女であるオルテンシアが許容しているなど、伯爵の常識では理解が及ばない。

 

 しかし、その疑問を解き明かす猶予を伯爵が得られるはずもなかった。今、突きつけられたこの絶望的な盤面を直視し、抗う以外に生き残る道はない。

 

「くそッ、もう一度『ドロー』の杖であの小童(こわっぱ)を引き寄せるしかない! 者共、ワシの盾となれ!」

 

 王女と共にペガサスの背へ乗り、安全な後方へ下がった忌々しい軍師気取りの少年。あれを再び人質に取れば、少なくとも王女は動きを止め、神竜軍も迂闊に手出しできなくなるはずだ。

 

 伯爵はそう踏んだ。その号令の下、兵士たちが神竜軍の弓と魔法を一身に受けるべく、決死の肉壁となって立ちはだかる。

 

 当然、その程度の悪あがきで怯む者など、神竜軍側にはいない。

 吟遊詩人が一歩前に歩み出ると、両手に圧縮した魔力を雷の奔流(ほんりゅう)として解き放とうとした。

 

「『雷霆(らいてい)の賢者』の隣で雷を放つなど、光栄の極み! あなたの神技をご教授いただいてもよろしいですかね、リンデン殿!」

「もちろんじゃ! 国民に刃を向ける愚か者どもに、わしらで鉄槌を下しましょうぞ」

 

 吟遊詩人の横に並び立ったのは、かつてイルシオン宮廷魔術師団の最高峰に名を連ね、隣国ブロディアとの死闘にも幾度となく駆り出された賢者、リンデンだった。

 

 彼もまた神竜の軍勢の一員として、そして無辜(むこ)の民を守護するイルシオンの誇り高き賢者として、老骨に鞭打ちこの戦場へと駆けつけてくれたのだ。

 

「わしを『雷霆(らいてい)』と知るなら道を開けるがいい! 必要以上に命は取らぬ! しかし、それでも尚、歯向かうなら容赦はせぬぞ!……忠告はしたからのう!」

 

 裂帛(れっぱく)の気合いと共に吼える。その掌へ、老いなど微塵も感じさせぬ規格外の雷が凝縮していく。

 リンデンは容赦なく、極大の魔力を一直線に駆け抜ける閃光として解き放った。

 

 激しい雷光をまともに浴びた伯爵兵たちは一瞬で黒焦げとなり、数人が山を築くように折り重なって倒れ伏した。

 

「よくも仲間をやりやがったな、くそじじいッ!」

 

 その凄惨な光景に怒り狂った一人の兵が、槍を手に猛然と突っ込んでくる。狙いはリンデンだ。

 

 老賢者は再び魔力を充填していく。だが、大魔法を放った直後の隙を突かれたため、突進を避けながら次の術式を完成させるのは難しそうだった。

 

 だが、そのときだった。人馬一体の神速の馬術をもって、槍兵とリンデンの間へ割って入る者がいた。

 目の前に突如として立ち塞がった圧倒的な壁に対応できず、兵士が一瞬だけ反応を遅らせた──その致命的な隙を、彼は決して逃さない。

 

 躊躇(ちゅうちょ)なく振り抜かれた白刃が、兵士の首を正確に引き裂き、絶命させた。

 

「まさか再びリンデンを戦場で護ることになろうとは」

「ガランサス!? あんたまで共に戦っておったのか!?」

 

 互いの顔を見て、歴戦の老兵二人は驚きに目を見張った。この二人は、かつてハイアシンスの兄である前王太子の近衛を共に務めた、長年の戦友であった。

 

 イルシオンの英雄たる、『聖剣(せいけん)』と『雷霆(らいてい)』。

 状況が違えば、酒を酌み交わして再会を祝していただろう。だが、血に(まみ)れた雪原に、そのような安寧(あんねい)はない。

 

「積もる話は後で。それよりも、ダンデライ伯を」

「そうじゃな。今度は確実にその首をいただくとするかのう」

 

 老騎士は、後衛の弓兵と魔道士たちを守る絶対の盾として、再び前線へと歩みを進める。その背中に守られながら、リンデンは伯爵の命を正確に刈り取るべく、次なる雷を落とす準備を整えていた。

 

「く……だが! 『ドロー』は間もなく発動する!」

 

 配下たちが決死の壁となっている間、無傷で後方にいた伯爵は、ついに杖への魔力充填を終えようとしていた。

 先端の装飾が禍々しい赤色に明滅し、その矛先は、ペガサスの鞍の前でオルテンシアに守られている無力な少年へと、真っ直ぐに向けられる。

 

 しかし。

 

「させないわ!」

「残念でしたねえええ──クソゴミ伯爵様ァ!」

 

 上空の死角から。

 グリフォンに跨る女騎士クロエと、青髪の天馬兵が、伯爵を左右から挟み込むように同時に急降下をかけてきた。

 

 二本の槍による容赦のない同時強襲。まともに避けようとしても、どちらかの刃を確実に受けると悟った伯爵は、忌々しげに舌打ちをしながらドローの杖の発動を中止し、自身の槍を両手で構えてその連撃を受け止めるしかなかった。

 

 甲高い金属音が雪原に鳴り響く。天馬兵は勢いそのままにもう一度追撃をかけるが、伯爵も巧みな槍捌きでそれを受け止め切った。

 

「引きましょう! これ以上はこちらが危ないわ」

「ちぃッ……とおおっても運がいいですねえええ、伯爵様あ!」

 

 迎撃の態勢を整えた伯爵に深追いは禁物と判断し、二名の飛行兵は再度高く飛び上がって次の機会を窺う。

 

 だが、この上空からの猛攻によって、伯爵には再び杖を構える余裕などなかった。あまつさえ、迎撃の衝撃でドローの杖をその場へ落としてしまっていた。

 

「ほう……いい『杖』だ。オルテンシア様やアイビー様に『献上』するのが良さそうだな」

 

 そのわずかな隙を、虎視眈々(こしたんたん)と狙っていた男がいた。

 アイビーの臣下ゼルコバが、乱戦の合間を縫って音もなく忍び寄り、雪に落ちた杖をいとも容易(たやす)く懐へと収めてみせたのだ。

 

 その振る舞いに、伯爵は怒りで顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。

 

「ふざけるな、盗人が! 返せ、ワシの杖だぞ──」

 

 前方へ注意を向け、わめき散らした結果、自身の真横まで恐るべき剣士が肉薄していることへの反応が、決定的に遅れてしまった。

 

「カゲツ! 『殺れ』!」

「もちろんじゃ! 一刀両断ッ!」

 

 相棒であるゼルコバの冷徹な声に従い、カゲツは神速の居合いで刀を振り上げた。その鋭い切っ先が、伯爵の無防備な喉元を捉えようとする。まさしく、絶体絶命の危機だった。

 

 しかし、その必殺の剣撃は、目に見えない硬質な壁によって弾き返された。伯爵の真横に、いつの間にか異形兵の武闘僧(マスターモンク)が迫り、盾となっていたのである。

 

「『チェインガード』か! 『厄介』だな!」

 ゼルコバは、カゲツの刃が弾かれた瞬間にその気功術のからくりを理解した。

 

 呟くと同時に、牽制のナイフを異形兵の死角へ向けて鋭く投げつける。チェインガードの防壁を直前の攻撃で消費した異形兵の腕に、銀のナイフが深々と突き刺さり、怪物は激痛に悶えるような奇声を上げた。

 

「怨敵退散!!」

 

 カゲツは瞬時に狙いを伯爵からその異形兵へ切り替え、ナイフによって生じた隙を逃さず、踏み込みと共に下段から一気に刀を振り抜いた。胴を一刀の下に両断された異形兵は、間もなく灰となって雪原へ散っていく。

 

「く……ローダン! 何をやっている! ワシを守らんか!」

 頼みの綱のドローの杖を奪われ、盾となる兵も失った伯爵は、先程まで共にいたはずの異形兵の将へと叫んだ。

 

 しかし、ローダンからの返事はなかった。彼は今、伯爵の窮地など目に入らぬほど、少し離れた場所にいる『別のもの』へ完全に釘付けとなっていたからだ。

 

 

*****

 

 

 異形兵ローダンは、この極寒の地で出会うはずのない人物と相まみえ、驚愕していた。

 

 その出で立ち。嫌でも忘れられるはずがない。

 

 自らが王族であることを誇示するかのように、金糸のような髪を太腿のあたりまで伸ばし、色鮮やかな花が敷き詰められた冠を頂く女。血みどろの戦場にはおよそ似つかわしくない豪奢(ごうしゃ)なドレスを(まと)い、あたかも『私は争いごとが嫌いです』とでも言うように、清純であどけない顔をしている。

 

 だが、ローダンは知っていた。

 この女の奥底に潜む、おぞましいまでの醜悪さを。

 フィレネのためなどと言って人殺しを正当化し、紋章士と共に残虐な炎を放って、自分たちを無慈悲に焼き払った凶暴な女だ。

 

 このイルシオンの地に辿り着いたということは、あの日から神竜と共に行軍し続け、その手を血に染め続けてきたに違いない。

 異形兵のみならず、イルシオンの兵をも無数に殺しておきながら、それでもなお、己の清純を保っていられるというのだろうか。

 

──フィレネ王国第一王女、セリーヌ。

 

 彼女こそ、ローダンが殺したくて仕方がない、憎き仇敵であった。

 

「私を覚えているか? フィレネの姫」

 

 ローダンは分厚い長槍を手に、彼女と相対する。

 当のセリーヌもまた周囲への警戒を怠らず、険しい顔でじっとローダンを見据え返していた。

 

 いつも彼女の傍に控えていた、姫の近衛である細目の重騎士は不在らしい。もう一人、口を開けば御伽噺(おとぎばなし)だの珍味だのと喋っていた天馬兵──いや、今はグリフォンに乗り換えているようだが。あの女騎士は、後方で激戦を繰り広げている。

 

 どうやら、この砦へ救援に駆けつけたフィレネの者は、目の前の姫とあの女騎士の二人だけらしい。

 

「覚えているはずもないなあ? 貴様にとって、私など、その辺で焼き払った有象無象の一つに過ぎないものなあ」

 自嘲めいた言葉を吐き捨てる。

 

 ローダンの内では、どす黒い怒りが沸々と湧き上がっていた。神竜の軍勢が介入したことで、戦況は劣勢に傾いた。それでも、この女の首だけは、ここで必ずもぎ取ってやると強く渇望した。

 

 たとえ、異形兵としてのこの二度目の生を失ってでも。

 今の彼にとって、自らを気まぐれに蘇らせたヴェイルへの恩義など、燃え盛る復讐心の前では、もはやどうでもよかった。

 

「……いいえ、覚えているわ」

 しかしセリーヌは、静かに首を横に振った。その瞳の奥にどんな色の炎が灯っているのか、ローダンには図りかねていた。

 

「わたしは、今まで手にかけた者全てを覚えている。フィレネの王族として……いいえ、他者の命を摘み、それでも先に進もうとする者にとっての、当然の義務だもの」

「なんとも泣ける話だ。雑多な異形兵の顔まで、いちいち覚えておられると仰せか」

 

 反吐(ヘド)が出るような綺麗事だと、ローダンは鼻で笑い飛ばす。

 しかしセリーヌは、その全ての顔を背負って生きるのだと示すように、両の拳を固く握り締めた。

 

「人を殺さずにいられるのなら、どれほど良かったかと思う。でも……それでは、平和は手に入らないの」

 

 今にも泣き出しそうに震える己の心を鋼の意志で押さえつけ、それでもセリーヌは戦うことを選んできた。

 自分のためではない。敬愛する兄のために、母のために、そして何よりも愛するフィレネという国を守るために。

 

 平和とは、誰かの犠牲の上にしか成り立たない。幸福とは、誰かの不幸の上にしか築けない。ならば、その避けられぬ不幸と罪を、自分が引き受け続けよう。

 我が身を削り、地獄へ堕ちようとも、愛する民と家族が生きる温かな幸福の(いしずえ)となれるのならば。

 

 どれほどこの手を、血と泥で汚してでも。

 それが、フィレネ第一王女セリーヌを死地へ立たせ続ける、悲壮な覚悟だった。

 

「来なさい、かつて風車村を襲撃した愚かなるイルシオンの兵よ。セリカは今、いない。……今度はわたし自身の手で、貴方を葬ってあげるわ」




明日は万紫千紅の発売日! 楽しみですね!
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