FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第4章-1:復讐の終わり・前編

 オルテンシアがその小さな背中に国家の命運と、そして少年への秘めたる想いを背負って戦地へと発ってから、時は残酷にも流れていった。

 

 少年は日々の奉公に従事しながらも、神経のすべてを城外から流れてくる戦況の断片に向け続けていた。

 

 給仕の合間に漏れ聞こえる将兵たちの私語、伝令兵が撒き散らす焦燥の匂い。

 流れてくる同僚たちの噂話。彼はそれらを繋ぎ合わせ、愛する(あるじ)の無事を確かめようと必死だった。

 

 そんなある日、大きな動きが王城内を震撼させた。

 

──国境付近にて、イルシオン軍がブロディア軍を迎え撃つ。

 陣頭指揮を執るは、ハイアシンス王自ら。

 

(そのまま、のたれ死ねばいい)

 

 少年の脳裏を(かす)めたのは、一切の加減のない純粋な殺意だった。

 

 故郷を焼き、家族を奪った愚王。

 自らの手でその心臓を貫けないのは無念でならないが、自分には王を討つ武力も、玉座に近づく権力もない。

 無謀に挑めば、暗い地下牢で誰にも知られず果てるか、その場で灰になるのが関の山だ。

 

 だが、各地で奇跡的な勝利を収め続けているという「神竜一行」──今や複数国の王族を糾合し、強大な「軍勢」へと膨れ上がっているという彼らの正義の刃ならば、ハイアシンスの傲慢な首に届き得る。

 

 神竜の慈愛が、皮肉にも邪竜信仰の国をこの血塗られた呪縛から救ってくれるのではないか。

 少年は、冷徹な計算に基づいた期待を抱いていた。

 

 しかし、事態は少年の予測を遥かに超えた速度で、混迷の度合いを深めていく。

 

 国境での大戦の後、ハイアシンス王の安否は完全に判然としなくなった。

 

 公式な報告は一切上がらず、ただ「国境を外れた小さな町で王の姿を見た」という商人の胡散臭い噂だけが、尾ひれをつけて城内を漂うばかり。

 

 そして──。

 

 少年の精神を粉砕せんばかりの最悪な情報が、血の匂いを伴って城内を駆け巡った。

 

 

 

 ブロディア王城奇襲の失敗。

 その責任をすべて負わされる形で、第一王女アイビーが戦死したというのだ。

 

 

 

「どこまで……どこまで暴虐の限りを尽くせば、気が済むんだ……!」

 

 その報を聞いた瞬間、少年の顔に浮かんだのは、峻烈(しゅんれつ)な怒り。

 

 女ばかりの職場において、弟のように可愛がられ、滅多に感情を表に出さない彼が剥き出しにした「男の怒号」は、周囲の同僚たちを驚愕させた。

 

 そして、最愛のオルテンシアの行方だが……。

 

 アイビーの奇襲に先んじて、彼女はフィレネとブロディアを繋ぐ「グランスール大橋」にて神竜を迎え撃ったという。

 

 結果は失敗。

 

 だが、彼女は無謀に命を散らす道を選ばず、自らの機転で撤退を選択した。その一点にだけは、少年は微かな希望を見出し、震える膝を必死に押さえた。

 

 以降、彼女の消息は途絶えた。生死すら不明。

 

 それでも、少年は確信していた。神竜の軍勢という者たちは、無慈悲に敗走者を追い詰め、なぶり殺しにするような外道ではないはずだ、と。

 

 ならば、彼女はどこかで、傷ついた翼を休めながら息を潜めているに違いない。

 

 少年は、彼女の寝室をいつものように清め、彼女が好きだった香を焚き、祈るようにその帰還を待ち続けた。

 

 ……しかし、アイビーの「死」が残した穴はあまりに深かった。

 

 彼女と過ごした時間は短かったが、妹想いで、他人を寄せ付けないよう振る舞いながらも、慈愛溢れる女性だったことは鮮烈に記憶に残っている。

 

 「気まぐれ」だと称した彼女の采配がなければ、少年がこうして生き長らえる道などなく、第二王女と愛し合うという甘美な生活とは無縁だっただろう。

 

 拾ってくれた恩人に、ついに一言の礼も言えぬまま、何一つ報いることができなかったという無力感が、彼の身を苛んでいく。

 

 もしオルテンシアが生きていれば、この悲報はいずれ彼女の心を壊すだろう。

 

 一刻も早く彼女に会いたい。

 その震える肩を抱き寄せ、流れる涙を拭い、共にこの悲劇を分かち合うことができれば──。

 

 そんな少年の願いを嘲笑(あざわら)うように、時間は無慈悲にも流れていく。彼女は一向に帰ってこない。

 

 ……この時期を境に、戦況に関する情報は、まるで深淵に石を投げ込んだかのように、ぷっつりと途絶えてしまった。

 

 西の隣国との小競り合いも含めると、あまりにも長く続いている戦争がどうなっていくのか、予測できる者など居るはずもなかった。

 

 6の月、3の日。

 彼女の誕生日は、祝祭の灯り一つ灯ることなく、静かに、そして残酷に過ぎ去った。

 

 (あるじ)のいない寝室を手入れする少年の背中には、誰からもお祝いの言葉をかけられることのない空虚な静寂だけが張り付いていた。

 

 そして、更に時は流れ、7の月の末。

 

 イルシオン王国という古い巨木を根底から腐らせ、なぎ倒すような劇震が、ついに訪れてしまう。

 

 

*****

 

 

「ハイアシンス国王陛下は、御崩御なされました。忌まわしき神竜の生き残りにより、その御身に刃を受けてお倒れになったのですわ」

 

 王城のバルコニーから、凍てつく大気を震わせて放たれたその宣言。

 それは瞬く間に城内のみならず、麓にある城下町にまで波及し、国中を恐怖と混乱の氷河で覆い尽くした。

 

 演説の壇上に突如として現れたのは、これまでの王宮の秩序を否定するかのような、異質な五人組。

 

 その中心に立つ「セピア」と名乗る女。

 場にそぐわぬほど扇情的な衣装を(まと)い、力を誇示するかのように銀髪には角らしきもの──装飾なのだろうか──を生やし、妖艶(ようえん)な微笑を(たた)える人物。

 

 堂々とした振る舞い。

 彼女こそが、その一団の首領格なのか。

 

 セピアの言葉により、「のたれ死ね」などという少年の胸中にあった愚王への呪詛は、成就してしまった。

 

 あの日、家族を奪われた瞬間から絶やすことなく燃やし続けてきた復讐の炎は、あっけなく鎮火したのである。

 

 アイビーは死に、王は崩御。

 イルシオン王家は完全に崩壊した。

 

 ……否。まだオルテンシアという、最後の光が残っているはずなのだが。

 結局、儚い希望でしかなかったのだろうか。

 

(……なんだろう。この釈然としない気持ちは)

 

 王族の死という国家の根幹を揺るがす事態を伝える使者にしては、彼らの存在はあまりに不吉で、あまりに卑俗だった。

 

 セピアの周囲にいる者たち。

 

 重厚すぎる鎧に身を包み、子供のように落ち着きのない少女。

 

 胸元を無造作にはだけ、野卑な笑みを浮かべるローブの男。

 

 騎士の皮を被りながら、その瞳に冷酷なまでの無機質さを宿す男。

 

 そして、一見すればどこにでもいる、質素な服を纏った幼い少女。

 

 ハイアシンス王は紛れもない愚王だったが、少なくとも「王族としての威厳」という仮面だけは、死守していた。

 

 政務を投げ出し、邪竜復活の狂気へ傾倒していたであろう最中でさえ、時折見せるその威光には一国の主としての重みがあった。

 

 それに比べ、バルコニーに並ぶこの五人の風体には、王宮を統べる品格など、一滴も感じられない。

 

「だが、悲しいことばかりじゃないぜ」

 ローブを(まと)った粗野な男が、教養の欠片もない乱暴な口調で、セピアの言葉を継いだ。

「王様はな、自らの聖なる血をもって邪竜ソンブル様を蘇らせることに成功したのさ。そう、この国を神竜の魔の手から守るためにな!」

 

 バルコニーの下を埋め尽くす群衆から、地鳴りのような驚嘆と、どよめきが沸き起こる。

 

 少年は、自分の理解を超えた速度で塗り替えられていく光景を、ただ冷めた目で見やるしかなかった。

 

 邪竜復活。

 

 この国が長年求め続けてきた「悲願」が、これほどまでに醜悪で、これほどまでに胡散臭い連中の口から語られる。

 それに対し、民衆は疑いさえせず、熱狂の中に己の理性を投げ捨てていく。

 

 オルテンシアから直に秘密を打ち明けられていた少年は、その『邪竜の復活』自体が事実であることは知っている。

 だが、事実はどうあれ、目の前の五人が語る言葉には、反吐が出るほどの嘘の臭いが染み付いているように感じられた。

 

 セピアは芝居がかった動作で、細い指先を唇に当て、再び言葉を奪う。

 

「我らは、邪竜ソンブル様の意志を伝える者……『四狗(しく)』。そして、我らの愛しき友人であった亡きハイアシンス国王陛下の無念を晴らすべく遣わされた、聖なる使者なのですわ」

 

 仰々しく両手を広げ、セピアは不気味な笑みを浮かべた。

 

「王族なき国家を憐れみ、神は我らに命じられました。亡き友人、および、戦場で(つゆ)と消えたその血族たちの代わりに、この民を導くようにと。身に余る光栄……さあ、イルシオンの民よ。ソンブル様の庇護の下、清らかなる『生まれ変わり』を果たす時が来ましたわ」

 

(王族なき、戦場で消えた、だって……?)

 

 その言葉が、少年の胸に鋭利な刃物として打ち込まれた。

 

 もし、まだイルシオンに継承権を持つ者が存命であれば、これほど堂々と「血族の代わり」を名乗るはずがない。

 

──オルテンシア様は。

 

 やはり、彼女までもが神竜の刃にかかったというのか。

 それとも、この得体の知れない連中にすでに消されたからこそ、今日この日まで生死さえ伏せられてきたというのか。

 

 少年の背筋に氷のような悪寒が走る中、セピアは当然のごとく、核心部分を有耶無耶にしたまま、勝利を確信した魔女のような笑みで演説を締めくくった。

 

「さあ、これまで以上にソンブル様を崇めましょう! 祈りの力こそが、死を克服する活力となりますわ。そして、我らが真の敵……神竜に、永遠の沈黙をッ!」

 

「うおおおおおっ!」

 狂乱じみた歓声が、空を裂いて沸き上がる。

「ソンブル様! ソンブル様! ソンブル様!」

 

 実体さえ知らぬ存在を神と仰ぎ、足元に広がる亀裂に気づかぬまま踊り続ける大衆。

 その異様な熱狂から逃れるように、少年は足早にその場を離れた。

 

 

*****

 

 

 侍従たちの詰所。

 

 そこは表の狂騒とは対照的に、重苦しい沈黙と、出口のない疑念が(おり)のように溜まっていた。

 

 少年が古びた木の椅子に身体を預けると、そばかすの目立つ同僚の少女が、周囲を何度も確認してから声を潜めて身を乗り出してきた。

 

「ねえ……あの人たちさ、どうにも胡散臭くない?」

 

 その剥き出しの囁きに、共にいた花嫁修行中の子爵令嬢が「馬鹿! 声が大きいわ!」と血相を変えて制した。

 いまだ外から聞こえてくる狂信的な「ソンブル」の名を呼ぶ声を、物理的な恐怖として捉えているのだろう。

 

「だってさ、急に現れて『陛下のお友達』だーなんて。今まで一度も顔を見せたことなんて、なかったじゃん?」

 

 少年が抱いていたどす黒い違和感を、少女は率直な恐怖として言語化した。

 

 子爵令嬢は、今にも消えてしまいそうな掠れ声で、その疑念に相乗りする。

 

「……せめて、オルテンシア殿下が帰ってきてくだされば。あの方なら正当な王族だもの。あの人たちが本物かどうかも、すぐに見抜いてくださるはずなのに……」

 

 そうだ。彼女さえいれば、この不吉な霧のような不安も晴れるはずだ。

 

 皆が、姿なき少女に救いを求めるように、無言で頷き合った──その時だった。

 

 詰所の扉が開け放たれ、聞き覚えのある声が届く。

 

 かつての、あの甘ったるくも、凛とした響き。

 

 だが、今のその声には……底の知れない絶望と、すべてを諦めたような冷たい静寂が(はら)まれていた。

 

「ニセモノよ。……何もかも、ね」

 

 それは、行方知れずとなっていた、少年の(あるじ)

 

 第二王女オルテンシアは、幽霊のように、そこに立っていた。

 

 詰所にいた少年を含む侍従たちは、一瞬だけ時が止まったかのように硬直したが、すぐに慌てて彼女の側へ寄り、その場に(ひざまず)いた。

 

 今の彼女には、いつもの「虚飾の仮面」を被る余裕すら残されていない。

 

 人の機微に聡すぎる少年はもとより、普段なら皮肉を言われてもどこ吹く風な、恰幅のいい同僚ですら異変に気づくほどだった。

 それほどまでに、彼女の表情は痛々しく凍りついている。

 

 あれほど身だしなみに拘っていた彼女のドレスは無残に着崩れ、一番の自慢であったはずのハート型の化粧も、涙に濡れてボロボロに崩れ落ちている。

 

「彼氏くん。ついてきなさい」

 

 自分の姿が「可愛い」から程遠いことなど、今の彼女にはどうでもいいことのようだった。

 

 彼女は(かしず)く少年の手を強く引き、無理やり立ち上がらせる。

 有無を言わさぬ足取りで廊下を渡り、そのまま彼を自室の寝室へと連れ込んだ。

 

 王女の生還に、すれ違う兵士や官吏(かんり)たちが騒然となる気配もあったが、それすらも城外で続く不気味な熱狂にかき消されていった。

 

 ……カチャリ、とオルテンシアは後ろ手で扉に鍵をかける。

 

 一年前の厳しい冬、愛し合う前の「儀式」として幾度となく見てきた光景。

 だが、うつむく彼女が(まと)う暗すぎる空気のせいで、その音は以前よりもずっと重く、冷たく響いた。

 

 少年は立ったまま主の言葉を待とうとしたが、オルテンシアは無言でベッドの端を指差した。「座れ」という指示だ。

 少年は静かに、(あるじ)(めい)に従った。

 

 彼女もまた、その隣にちょこんと腰を下ろす。

 

 何から話すべきか迷っているようなその背中に、少年はまず自分から声をかけるべきだと判断した。

 

「お帰りなさいませ、オルテンシア様。……生きておられて、本当に……」

「よくないッ!!!」

 

 優しく微笑みかけようとした少年の言葉を、悲痛な絶叫が切り裂いた。

 

 その叫びを皮切りに、彼女は(せき)を切ったように語り始めた。

 今までどこで何を見たのかを、ぽろぽろと涙をこぼしながら。

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