FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第11章-9:希望・その9

 二隻のイルシオン軍船による妨害を退け、再び針路を取った神竜軍がジーヴル港へ上陸を果たしたのは、その翌朝──すなわち、今朝方のことだ。

 

 少年たちが避難民から聞いて知っている通り、港町はセピアの手によって徹底的に蹂躙(じゅうりん)されていた。もはや生者の気配はなく、異形兵だけが徘徊する死の巣窟と成り果てていたという。

 

 洋上で軍へ加わったリンデンを始めとするイルシオン兵たちは、自国で起きたこの凄惨な事態を、何一つ知らされていなかった。

 当然、学園を目指して逃亡した生存者がいることなど知る由もない。港の惨状を前に、民は一人残らず邪竜の魔手にかかってしまったのだと、アイビーやオルテンシアと共に絶望へ打ちひしがれたそうだ。

 

 しかし、軍勢を率いる神竜リュールは、そこで立ち止まることを良しとしなかった。

 

 異形兵の巣窟と化した港町で、存在するかもわからぬ生存者を捜し回るのではなく、速やかにセピアたちを追撃してイルシオン王城を目指すべきだと、断を下したのである。

 これまで奇跡とも呼ぶべき行軍を成し遂げてきただけのことはある。情を押し殺した、戦術的にはこの上なく的確な判断だった。

 

 

 

 その話を聞き、少年は内心で戦慄した。

 果たして、自分が神竜と同じ立場にあったなら、そのような冷徹な判断を下せただろうか、と。

 

 少年自身もイルシオンの民である。僅かな希望に縋(すが)り、生存者を捜索したいという情が、何よりも先に働いてしまったかもしれない。

 その結果、各所に潜む異形兵から包囲され、軍勢ごと全滅の憂き目に遭う。自分が指揮を執っていれば、そのような最悪の末路を辿っていた可能性すらある。

 

 神竜は慈愛に満ちた優しい人物であると聞く。だが同時に、特定の国の情だけに流されず、大陸全土を見渡すことのできる存在なのだろう。

 

 故に、必要とあらば胸の痛みに耐え、大局を見据えた判断を下せる。少年はそう推察し、深く感服した。

 

 

 

 ……だが、神竜の迅速な進軍は、その直後に阻まれることとなった。

 

 四狗(しく)のうち、二名がジーヴル港に立ち塞がっていたのだ。

 彼らは港町を埋め尽くす異形兵の群れを従え、神竜の軍勢をここで確実に滅ぼさんと待ち構えていた。

 

 暗い桃色を基調とした重々しい鎧を着込んだ、金髪の少女──マロン。

 そして、銀色の甲冑に身を包んだ、無骨で騎士然とした黒髪の男──モーヴ。

 

 

 

 少年も、彼らがイルシオン王城へ乗り込んできた際に、その名だけは耳にしていた。胸元をはだけたローブ姿の粗野な男が、『グリ』という名だったことも。

 しかし、少年はセピア以外の四狗(しく)とろくに接点を持たなかったため、他の三名については、今の今までさほど印象に残っていなかったのである。

 

 

 

 さて。

 ジーヴル港での死闘において。

 

 マロンは、『若き獅子の指輪』に宿る封印の紋章士ロイを。

 モーヴは、『暁の巫女の指輪』に宿る暁の紋章士ミカヤを。

 それぞれ邪竜の力によって、相棒として従えていた。

 

 紋章士本来の意志を邪気で封じ込め、強制的に力を引き出す『闇シンクロ』と呼ばれるおぞましい手法を用い、二人は神竜軍の前へ立ちはだかったのだそうだ。

 

 いかに無数の異形兵を操り、紋章士の力を借りているとはいえ、神竜軍を相手に、意志を持つ指揮官が僅か二名で迎撃の陣を張るのは、あまりにも無謀に過ぎる。軍を率いる神竜リュールはもちろん、オルテンシアやアイビーも、その布陣の不可解さを訝(いぶか)しんだ。

 

 だが、戦いの最中、マロンが嬉々として放った言葉によって、彼らの目論見が明らかになったという。

 

『調子に乗ってるとこ悪いけど、間も無く大量の援軍が来るんだよね! そうしたらキミたちは終わり!』

 

 それを聞き、オルテンシアたちは身構えた。王城に鎮座する邪竜ソンブルが、さらなる異形兵の群れを送り込んでくるのではないかと考えたのだ。

 

 実際にマロンが待っていたのは、クレマチス辺境伯が率いる三千を超える軍勢だったのだが、そこに異形兵も数多く含まれていたことを考えれば、オルテンシアたちの警戒も、当たらずとも遠からずではある。

 

 しかし、マロンたちの必勝の目論見は無惨に外れた。港に蠢(うごめ)く異形兵は、神竜軍の猛攻を受けて着実に数を減らしている。それなのに、待てど暮らせど、一向に『援軍』が現れないのだ。

 

『ジェラニウムのヤツ、何やってんの!? まさか、ボクたちを裏切ったんじゃないだろうね!?』

 当てが外れ、マロンは顔面を蒼白にさせた。

 

 アイビーとオルテンシアは当然、辺境伯の息子の名を知っている。彼女の言う援軍には、少なくとも彼とクレマチス辺境伯が関係している。イルシオンに連なる者たちは、即座にそう悟ったようだ。

 

 マロンが待ち望んでいた構図は、次のようなものだった。

 

 ロビュスト砦からフィレネの軍旗を確認した辺境伯の息子が、『花火』を打ち上げ、神竜軍の来航を知らせる。その合図が偽りでないと判断すれば、ダンデライ伯爵軍は一部の兵を辺境伯本隊への連絡に走らせる。そして王城からの逃亡者を砦へ追い詰め、異形兵の素体となる死体を確保したのち、ローダン隊と共に先んじて港へ向かいながら、後続の辺境伯本隊と合流する算段を整える。

 

 その間、マロンとモーヴは港の異形兵を用いて神竜軍を足止めする。連絡を受けたクレマチス辺境伯本隊も、一日強をかけて港へ進軍する。ローダン隊、ダンデライ伯爵軍、そして辺境伯本隊が到着すれば、港に釘付けとなった神竜軍を、前後から圧殺することができる。

 

 それが、セピアの描いた必勝の筋書きだったのだろう。

 

 だが、フィレネでの敗走から戻ったばかりのマロンたちが、知るはずもなかった。辺境伯の息子が四狗(しく)とヴェイルを裏切り、少年たちへ味方していたことを。そして、ローダン率いる異形兵もダンデライ伯爵軍も、少年たちの抵抗によってロビュスト砦の防衛線へ釘付けにされ、港へ転進できずにいたという事実を。

 

 来ない援軍。擦り減っていく港の異形兵。

 

 それどころか、マロンたちにとっては不幸なことに──そして神竜軍にとっては、この上ない幸運なことに。本来待ち望んでいたものとは別の援軍が、神竜軍の背後から現れた。

 

 海原を裂き、港へ来航する船団。そのマストに高く掲げられていたのは、二対の剣と、その前方に描かれた、不壊を象徴するダイヤモンド。王冠を戴き、武力を示す赤を国色とした、誇り高き軍旗。

 

 隣国の戦闘国家、ブロディア王国からの援軍だった。

 

 当然、これがマロンの待ち望んだ邪竜側の援軍であるはずがない。すでに最前線で戦い続けている第一王子ディアマンドや第二王子スタルークらを支えるため、選りすぐりの精鋭たちが、海を越えて駆けつけてくれたのである。

 

 強大な加勢を得て、神竜軍の士気は最高潮に達した。マロンとモーヴは、従える紋章士の力と、その場に残った異形兵だけを頼りに、それでもなお抗おうとした。これほど不利な戦況であれば、異形兵を盾として王城へ撤退することもできたはずだが、何故か二人はそれを選ばなかったのだそうだ。

 

 やがて、神竜リュールが振るう『解放』の銘を持つ剣が、防衛線から突出したマロンの首元へ迫った。マロンは手にした大斧で必死に受け止めようとしたが、神竜の放つ豪快な剣閃の重さに耐えきれず、その大斧を弾き飛ばされてしまったという。

 

 あとは、止めを刺すだけ。マロンの命が散ろうとした、その寸前。

 

『待ってくれ! 俺たちは降参する。俺はどうなっても構わない。だが、話を聞いてくれないか!』

 必死の形相で白旗を掲げた者がいた。

 

 共に戦っていた、騎士然とした男──モーヴだった。

 

『な、何を言ってるのモーヴ!? ボクはまだやれるよっ!』

『いいから言う通りにしろ。どちらにしろ、指輪を勝手に持ち出したんだ……無事には戻れん。このまま戦っても負ける。これは、お前も、ヴェイル様も救うためなんだ』

 

 突如として告げられた降伏。罠ではないかと、神竜へ進言する者もいた。

 

 しかし、必要以上に敵の命を奪わぬよう立ち回ることを是としていた神竜が、その悲痛な申し出を退けるはずもなかった。

 

 二人を捕縛し、所持していた武器と、奪われていた二つの指輪を取り上げる。さらに、紋章士を用いた不意打ちを防ぐため、神竜の力によってロイとミカヤを正規の姿で顕現し直し、再び神竜軍の確かな力として取り戻した。

 

 港町に残る異形兵も、駆けつけたブロディア兵の加勢によって、一体残らず殲滅されたという。四狗(しく)二名と異形兵による抵抗は想定以上に激しく、戦闘が終わったのは、正午に差しかかろうという頃だった。

 

 こうして、ジーヴル港での戦いは、神竜軍の快勝に終わったのである。

 

 捕らえられたモーヴは、二つの指輪と情報を差し出したうえで、神竜リュールへ一つの願いを訴えた。

 

 端的に言えば、主(あるじ)であるヴェイルを助けてほしいという内容だった。

 彼が忠誠を誓っているのは、彼女の内に存在する光と闇、二つの人格のうち、『光』の方なのだという。

 

 ヴェイルは、過去に凄惨な境遇を強いられていたらしい。それでも優しい心を失わなかった彼女を、モーヴは深く労(いた)わり、心から慕っているようだった。

 

 だが、フルルで犯した失態──聖騎士シグルドの指輪を遠くへ投げ、神竜軍へ渡すという光ヴェイルの暴挙──を看過できなかったセピアとソンブルは、二度と光の人格が現れぬよう、彼女へ呪われた魔道具を取りつけようとしているとのことだった。

 

 現在、ヴェイルは眠りについている。目覚め次第、その魔道具を装着される。急げば、まだ間に合うかもしれない。

 

 本来は、モーヴたちが神竜軍の足止めに成功すれば、魔道具の装着を見送るという取り決めだった。そのため、彼は決死の覚悟で出撃してきたらしい。だが、敗北した以上、もはや敵である神竜の慈愛に頼るほかない。そう判断したようだ。

 

 モーヴが語るヴェイルの過去と悲痛な願いを隣で聞き、マロンもまた、光ヴェイルの処遇には思うところがあったらしい。どうすればいいのかわからないとばかりに、顔を俯(うつむ)かせていたという。

 

 もとよりヴェイルを救おうと躍起になっていた神竜は、モーヴの話を聞き、その意志をいっそう強くした。脅威の去った港町で進軍の準備を整え、イルシオン王城へ攻め上るための、もう一つの大きな理由が加わったのである。

 

 だが、その話は──オルテンシアにとって、本当にどうでもよかった。

 

 ヴェイルの人格がどうあれ、父王がソンブルに噛み砕かれたあの惨劇で、彼女が大口を開けて笑っていたのは紛れもない事実である。進んで助けたいなどとは、到底思えない。

 

 神竜が彼女を救うと決めたのなら、それがイルシオンという国に不都合をもたらさぬ限り、従うつもりではあった。しかし、あの時のオルテンシアには、ヴェイルにまつわる悲劇よりも、遥かに優先して確かめなければならないことがあった。

 

『ねえ! あたしの彼氏くんはどうしたのよ!? まさか殺したワケじゃないでしょうね!? 殺してたら、絶対に許さないからッ!』

 

 オルテンシアの必死な叫びを聞き、モーヴとマロンは目を丸くして顔を見合わせたらしい。そのような呼び名の人物には、聞き覚えがなかったのだろう。無理もない話だった。

 

『侍従隊の中で! 唯一の男の子! あなたたち、城を乗っ取ってたんだから知らないわけないわよね!?』

 

 そこまでまくし立てられて、二人はようやく、誰を指しているのか理解したようだった。

 

『ああ、セピアが死ぬほど恨んでたヤツね。絶対に楽には死なせないって息巻いてたっけ』

『……彼は、城からは逃亡したそうです。ソンブル様がそう仰っていたと、セピアが忌々しそうに舌打ちをしていました』

 

 逃亡。

 

 その二文字を聞いた瞬間、オルテンシアの胸に、ほんの僅かながら確かな光が灯ったらしい。生きている可能性が高まった、と。

 

 それまでも、少年の生存を信じてはいた。だが結局のところ、それは最悪の結末から目を逸らし、希望へ縋(すが)っていただけに過ぎない。しかし、ソンブルが配下へわざわざ嘘を伝える理由はない。本当に、あの少年は王城から逃げ果(おお)せたのだと、オルテンシアは胸の内で歓喜したという。

 

『やけに頭が回る少年だったそうですね。でしたら今回、神竜軍を挟撃するはずの辺境伯軍が援軍に来なかったのは、彼の策謀によるものかもしれません。そうなると……』

 モーヴの顔が険しくなった。

 

 何を告げられるのか。オルテンシアは固唾(かたず)を呑み、その先へ聞き入ったそうだ。

 

『ロビュスト砦側に逃げ込んだ、ということになるでしょう』

『……って、それ、セピアが読んでた通りじゃん。異形兵を大量に伏せさせてたよね? 今頃死んでるかも』

『いや、マロン。それなら、あの場に派遣されている二名が、とっくに死体を運んでくるはずだ。そうでないということは、未だ籠城戦を強いられている最中という可能性も否定できない』

 

 ロビュスト砦の場所は、オルテンシアもよく知っていた。

 一年以上前、学園へ向かう道中で見たのを皮切りに、それまでの人生で四度も目にしている古めかしい砦だったからだ。

 

『俺が言えるのはここまでです、オルテンシア殿。生きているか死んでいるか……そこまでは、わかりません』

 

 たとえ今は生きていても、無数の異形兵や辺境伯の軍勢を相手にしているのなら、その命はまさしく風前の灯火ではないのか。

 

 愛する少年の死が、すぐそこまで迫っている。そんな恐ろしい想像が、冷たい汗となってオルテンシアの背を伝い、身体の震えが止まらなくなったという。

 

 今すぐにでも、助けに行きたい。切に、強烈に、彼女はそう願った。

 

『神竜サマ、あ、あたし……あたし……』

 

 だが。

 彼女が二の句を継ぐより先に、その場にいた別の人物が制止した。

 

 実の姉である、アイビーだった。

 

 アイビーもまた、妹の大切な少年が死に瀕しているかもしれない、あるいはすでに亡くなっているかもしれないという残酷な現実に、打ちのめされそうになっていた。顔は血の気を失い、真っ青になっていたという。

 

『……ダメよ、オルテンシア。これから私達は王城へ攻め入って決戦を行うの。ベレトの力を振るう貴方が欠けてはならないわ。それはもちろん、私も……』

『お、お、お姉様っ……』

『む……無駄足になるだけなら、まだいいわ。でも、異形兵が残っていたら? 辺境伯軍と鉢合わせたら? そ、それが、考えられないほど……目が曇っているわけじゃ、ない、わよね……? ごめん、なさい、オルテンシア……』

 

 言い聞かせるアイビー自身も、声を震わせていたそうだ。本当なら、オルテンシアの代わりに危険を冒してでも砦へ赴き、せめて生死だけでも確かめたい。そう願ってくれていたのだろう。その瞳には、身を引き裂かれるような悲痛さが浮かんでいたという。

 

 オルテンシアも泣き出しそうだった。あまりにも大きな選択を強いられ、どうすればいいのかわからなくなってしまったのだ。

 

 砦へ行かなかった結果、彼氏くんが死んでしまえば、自分は一生立ち直れない。だが、王城攻めへ参加しなかった結果、神竜軍が敗北するようなことがあれば、世界そのものが取り返しのつかない事態へ陥ってしまう。

 

 その場にへたり込みながら、オルテンシアは強く願った。誰か、答えを授けてほしい、と。

 

 そんな彼女の切実な願いへ応えるように。ある人物が、凛とした声を上げた。

 

『何を言っているのアイビー! オルテンシアの大切な人なんでしょ!? 助けに行かせるべきだわ!』

 

 それは、かつてデスタン大教会の戦いから敗走した神竜軍のため、アイビーが奪還した二つの指輪。そのうちの一つに宿る紋章士だった。

 

 指輪の奪還以来、アイビーの相棒として戦い続けてきた、長い緑の髪を高く結い上げた、剣と弓を使う気丈な女性。

 

 『草原の公女の指輪』に宿る烈火の紋章士──リンであった。

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