今度は少年が、仲間達の補足を受けながら、自分たちの辿った道を語り始めた。
セピアによる暴虐の日から、今日まで。おおよそ五日という短い間に重なった出来事は、思い返すだけでも息が詰まるほど、濃密で過酷だった。
紋章士を含む、神竜の軍勢から来た十七名は、その話に耳を傾けていた。
少年が言葉を継ぐたびに、驚き、顔を曇らせ、時には声を漏らす。それぞれの反応が、かつて同じ城で暮らした者への思いや、各々が越えてきた戦いを物語っていた。
──異形兵と化したそばかすの侍従により、侍従隊や城兵から、多くの死者が出たこと。
暴れ狂う彼女を、泣きながら子爵令嬢が仕留めたこと。
城の顔触れを知る者たちは、凄惨な報せに言葉を失った。とりわけ、侍従たちに親しく世話をしてもらっていたオルテンシアにとっては、受け止め難い話だった。
「リリー……ダリア……みんな。マグノリアまで……!」
知る名を、一つずつ確かめるように口にする。侍従長の死は、中でも深い衝撃だったようだ。
独特な風味の紅茶の淹れ方を、侍従長に教えてくれたという、フィレネ出身の義理の娘。息子の妻であるその女性には、歳の離れた幼い弟がいるという。
つい二日前、その男の子はフルルの港でイルシオン軍の
ソルムとの国境沿いに住む、侍従長の息子夫婦は、きっと無事だろう。それが、せめてもの救いだった。
しかし、家族を失ったばかりの男の子に、そして息子夫婦に、今度は侍従長の死を伝えなければならない。どんな顔で、どんな言葉を選べばいいのか。オルテンシアは、深く
カゲツとゼルコバも、苦虫を噛み潰したような顔で静まり返っていた。
アイビーの護衛がある以上、城には残れなかった。それでも、自分たちがいれば、犠牲を少しでも減らせたかもしれない。叶わなかった仮定だと知りながら、二人は無念を
侍従長と、嫌味な先輩は、リンデンもよく知る人物だった。
特に侍従長とは、竹馬の友と呼んでもいい間柄だったという。遠い昔、イルシオン兵だった女性とリンデンが結ばれた際にも、自分のことのように喜んでくれたそうだ。
その友が、もういない。老賢者は静かに目を閉じ、非業の死を悼んでいた。
──城へ逃げ込んできた百五十名近くの民と、五十ほどの城内関係者。その全員を生かすために、学園を目指したこと。
馬を盾とし、城のアーチ門を塞ぐように炎を放って逃れたこと。その後、王家の墓を暴き、砦へ向かったこと。
許されない真似を幾つもしたと、少年は自嘲した。
だが、オルテンシアは責めなかった。それどころか、かつて送った手紙の情報を頼りに、学園を目指してくれたことを、心から嬉しがっていた。
他国の王族や騎士たちが、どう受け止めるかはわからなかった。馬を肉の盾とし、代々の王が眠る墓を破壊する。平時であれば厳しく咎められる行いだ。冷たい目を向けられても、不思議ではないと少年は思っていた。
しかし、彼らは、命あっての物種なのだから、軍師として正しい判断だったと肯定してくれた。紋章士たちも、それぞれの立場から頷いていた。
汚さずに済む手段があれば、それを選んでいた。だが、あのとき守るべきは、目の前にいる人々の命だった。その事情を汲んでもらえたことに、少年は、僅かに肩の力を抜いた。
──吟遊詩人の情報をもとに、食糧と協力を求め、妖精の村へ向かったこと。
村長には断られたが、ロサードの両親に良くしてもらったこと。その後、村に現れた異形竜二匹を知略で打ち倒し、村人たちの心を動かしたこと。
この話に、最も強く反応したのは、当然、ロサードだった。
「彼氏くん、オレの村の大人たちまで動かしたんだ!? いやー、大変だったでしょ。保守派を心変わりさせるなんて。凄すぎるなー」
その経緯を話すには、村とイルシオン王国との確執にも、触れなければならなかった。
だが、オルテンシアは、その歴史を父ハイアシンスからも、ロサードからも聞かされていなかったらしい。妖精とは何なのかということさえ、友人は、随分と曖昧に説明していたという。
「『神秘の湖に妖精がいるって噂だから妖精の村なんだ』なんて言ってて、自分たちが妖精そのものなのを否定してたわよね、ロサード」
「おかしいと思ってたんだよね。どれだけ食べても寝なくても見た目が変わらない体質で、妖精じゃないわけないって、俺も睨んでたんだ」
困惑するオルテンシアと、以前から察していたフォガートの言葉が、ロサードへ向けられた。
「ときどき、イルシオンの過去の歴史を詳しく知ってる人が居るみたいでさー。『人工竜族』の件まで知られてると、例外なく嫌な目で見られるらしくて。だから、体質とか見た目の話は出来ても、詳しいトコは適当に誤魔化す癖が出来ちゃったんだよねー。……でもやっぱ、オルテンシア、ハイアシンス様から何も教えてもらってなかったんだねー。そんな気はしてた」
「……ごめん」
「あ! 責めてるワケじゃないよー! そう聞こえたらこっちこそゴメン、そんなつもりじゃないからね!?」
ロサードは慌てて否定したが、オルテンシアの表情は晴れなかった。
物心ついた頃から、城ではアイビーの実母を中心とした後継者争いが絶えなかった。それが収まった後には、ハイアシンスが邪竜への狂信へ傾いていった。王族として、国の忌まわしい裏の歴史を学ぶ機会そのものが、彼女にはなかったのだ。
知らずにいた事情はある。それでも、自国の過去が友人たちを苦しめてきたことを、今初めて知った。その事実に、オルテンシアは己の無知を恥じているようだった。
──村人を説得するために、少年が『自分はオルテンシアの伴侶になる立場だ』と公言したこと。
「ちょ、ちょ、ちょっと……! え、ちょっと……!?」
その話を聞くなり、オルテンシアはわかりやすく慌て始めた。瞬く間に、顔が赤くなる。
セリーヌとクロエは、揃って満面の笑みを浮かべた。こうした話に目がない二人には、王女が恥じらう姿まで含めて、たまらない話題なのだろう。
スタルークは、大勢を前にしたその宣言に、別の意味で感銘を受けたらしい。
「どうしたら大勢の前でそんな堂々と言えるんですか!? 僕を弟子にしてください、師匠!」
一国の王子に、しかも、首の縄を射切ってくれた大恩人に、師と仰がれるなど、恐れ多すぎる。少年は、そんな柄ではないと、丁重に断るしかなかった。
「な、ななな、なんてことを宣言してくれたのよ! 馬鹿じゃないの!?」
オルテンシアが、少年の胸をぽかぽかと叩く。顔は、熟れた
あの宣言を聞けば、彼女はどう反応するだろう。恥ずかしがって怒るか、喜んでくれるか。二通りを考えていた少年は、なるほど、こちらだったかと思ったのだが。
「そういう宣言はね、あたしの見てるとこでして欲しいわ! セピアに
叩く手を止めぬまま、早口で
どうやら、宣言そのものを怒っているのではない。自分の見ていないところで、そんなことを言ったのが、悔しいらしい。
「あ……ええと。勝手に伴侶になりますと発言したことを怒っておられる……わけでは?」
「……そう見える?」
見えないからこそ、逃げ場がない。
……こんな思いを、以前もどこかで
「あなたには、言葉を選ばない方が良さそうね!」
その言葉にも、覚えがあった。
出会ってから二年ほどが経った頃。彼女の自室で、熱烈な告白を受けた、あの日のやり取りだ。
「嬉しいの。あたしの一方的な気持ちなのかなって、不安に思ってた時期もあったから……。えへへ。そう公言したからには、もう一生逃がさないからね?」
はにかんだ笑みを浮かべ、オルテンシアが少年の首へ腕を回す。
自分の気持ちが、彼女をこれほど喜ばせる。抱きつかれた少年は、もう、言い訳を探せなかった。考えていた二通りの反応は、結局、両方とも返ってきたのである。
「しかも、異形竜を倒すなんて凄いわ。あたし達でも結構苦戦するのよ?」
紋章士の力を借りて、ようやく対等に戦えるかどうかという化け物なのだそうだ。守りを貫く火力だけでなく、鱗の硬さも厄介で、神竜の軍勢にいる猛者たちでさえ、まともに相手ができる者は限られるという。
そんな敵を二匹も倒したのだと思うと、少年自身、夢だったのではないかと感じた。
綱渡りの策ではあった。だが、それを実行してくれる仲間がいなければ、机上の思いつきに過ぎなかったはずだ。勝利は、自分の知恵と、彼らの確かな力が噛み合った結果だった。
「それで、村で食糧を調達したのよね? その後はどうなったの?」
「ええと……」
──妖精の軍勢を伴って砦へ戻ると、既に、異形兵の大規模な襲撃が始まっていたこと。
千単位で湧き出す軍勢を率いたのは、意志を持つ異形兵ローダンと、その補佐ネルーケだったこと。
その防衛戦の最中、二百名の避難民を二陣に分け、学園へ向けて送り出したこと。
ネルーケの名には、直接交戦したというクラン、そしてセリーヌとクロエが、強く反応した。
慰み半分に果樹園を焼き、フィレネ王城を攻め落とした男。三人は、その悪辣さを語り、顔をしかめた。
だが、将としての働きまで否定することはできない。平和な国の兵が相手だったとはいえ、王城を陥落へ導いた手腕には、妙な優秀さがあったという。
ゼルコバとカゲツも、盗賊上がりの彼を知っていた。イルシオン王家への忠誠など、カケラも持ち合わせていない。少なくとも、二人が知る限りでは、そうした下劣な男だったらしい。
戦いの最中に取り逃がした相手が、異形兵として使役されていたとは──クランは驚いたように口にした。憎い敵ではあっても、死してなお化け物として戦わされる末路に、何も感じずにはいられないのだろう。
そして、ローダン。
二度にわたり、彼へ引導を渡すことになったセリーヌの表情は、ひどく悲しげだった。
国を守るために戦った。その決断を、悔やんでいるわけではないのだろう。
だが、必要な戦いだったことと、奪った命を痛むことは、別だ。少年には、その沈痛な表情に、手を血に染める覚悟と人の死を惜しむ優しさが、同時に見える気がした。
敵でなければ、違う出会いもあったかもしれない。
少年はそう思ったが、彼女の胸の内まで、わかるはずはなかった。セリーヌも、軽々しい仮定や慰めを口にせず、静かに話を聞いていた。
「わしが王宮におった頃、関わった期間は短かったのじゃが……とても清廉な男じゃったよ。陛下への忠誠心は、アビューム共々、騎士団の中でも随一じゃった……」
リンデンが、目を伏せて呟いた。
その忠誠を捧げたハイアシンスが狂気へ傾き、彼らは死後までも、邪竜の軍勢に使役された。敵として対峙した者たちにも、奪われた生があったのだ。
ローダンの執念には、苦しめられた。それでも少年は、彼を強く恨んではいなかった。
死後の世界があるならば、今度こそ、共に安らかに過ごしていて欲しい。そんな願いが、胸に浮かんだ。
──吟遊詩人の放った炎から、ネルーケが盾となってローダンを逃がしたこと。
その後、僅かな休息を取ったものの、目覚めると、今度は生きた人間である伯爵軍に囲まれていたこと。
異形兵ではなく、同じ人間と殺し合うよう命じた。その話に、オルテンシアは痛ましそうに顔を
決断しなければ仲間が死ぬ。その立場へ追い込まれた少年の心痛を、深く
「……ほんとに、辛かったわよね」
「そうですね。自分は……なんて血も涙もない悪魔なのだと、そう……思いました」
それでも、同じ状況が再び訪れれば、少年は、同じ決断を下すはずだった。苦しいからと命令をためらい、守るべき者を死なせるわけにはいかない。
一騎当千の武術も、奇跡を起こす魔道も、自分にはない。
だが、この戦いを経て、持っている力まで否定し続けることは、できなくなった。
自分には、
何度も向いていないと思った末に、勝ったから向いていると認める。それだけなら、身勝手で楽観的な結論かもしれない。
しかし、『全員生存』を掲げ、泥にまみれ、
その結果を前にしてなお、向いていないと
恐ろしい役目であることは、変わらない。それでも、状況が求める限り、悪魔と呼ばれる決断すら
この五日間は、少年から迷いを消したのではない。迷い、痛みながらも、指揮を執る道を選ばせたのである。
「ダンデライ伯爵の杖の魔力で引き寄せられた僕は、少しでも仲間たちのための時間稼ぎをするために、幼子のように大泣きをしてみせました。そうしたら奴らは面白がって、即席の処刑台を用意してくれて……あとは、皆さんが到着して見た通りです」
話が、ようやく、先程の救出へ繋がった。
オルテンシアと仲間達は、一様に言葉を失っていた。
わずか五日。その短さは、戦いの重さを少しも減らさない。
いつ全滅してもおかしくない死線を、少年たちは繰り返し越えてきた。紋章士の加護もなく、限られた戦力を組み合わせ、知略と、それを成し遂げる仲間の力とで、生き延びたのである。
──氷雪の国イルシオンが滅びを拒んだ理由。
それは、少年の仲間達と、神竜の軍勢という、二つの軍による命懸けの奮闘があってこそだったのだ。
どちらか一方だけでは、守れなかったものがある。
リュールの慈愛と勇気がなければ、邪竜に抗う道はなく、少年も首を吊られ、仲間達も、遅かれ早かれ命を落としていただろう。
逆に、少年たちが動かなければ、王城へ逃げ込んだ人々は、生きて北へ向かうことができなかったはずだ。
王族が生き残り、城を取り戻すだけでは、国は再び立ち上がれない。そこへ戻り、暮らしを営む民を守ることもまた、イルシオンを救う戦いだった。
「もう、無理をして戦う必要はないわ。みんな、ソラネルに行きましょう。神竜サマなら、絶対に保護するって言って下さるわ」
オルテンシアは、
家を失ったフィレネの民も、イルシオンとブロディアの国境付近で、セピアの悪辣な策略により親を失った男の子も、そうしてソラネルへ身を寄せているのだという。
魅力的な話だった。気候は穏やかで、食事にも困らず、異形兵の襲撃を恐れる必要もない。これまでの逃亡とは、何もかもが違う。彼の地へ行けば、もう、次の戦いのために策を練らずに済む。疲れ果てた仲間たちを、休ませることができる。
それでも、少年は、ここにいない人々を思った。
「僕らが匿われるのなら、北の学園へ逃げたみんなも一緒でなければなりません。妖精の民も含めて、五百人近く。元々学園に避難している者も含めれば、その数はさらに膨れ上がるでしょう。……その全員を保護できるのでしょうか?」
オルテンシアたちは、紋章士たちと顔を見合わせた。
誰も、すぐには答えられなかった。それほどの人数を運び、迎え入れ、養い続けられるか。既に避難している人々を助けた実績だけで、今ここから約束できることではないのだろう。
受け入れられないと決まったわけではない。だが、全員を守れるか確かめぬまま、自分たちだけが安全な場所へ身を寄せることは、少年にはできなかった。
彼の言葉を信じて北へ向かった人々も、命を懸けて力を貸してくれた妖精たちもいる。目の前の仲間だけを助けて、それで役目を終えたとは思えなかった。
「それに……僕には、まだここでやるべきことがあります」
「やる、こと?」
少年の目に宿る決意を見て、オルテンシアは心配そうに見つめ返した。
過酷な道程を聞いたばかりだというのに、彼は、まだ退くつもりがない。その先にあるものを察したのか、彼女の表情に、不安が差した。
少年も、直前まで決めあぐねていた。
だが、オルテンシアが越えてきた戦いを知り、再び、その顔を見たことで、決心がついた。彼女たちが命を懸けて取り戻そうとしている国に、残しておくわけにはいかない脅威がある。
一呼吸置いて。
少年は、この場に集うエレオスの英雄たちへ、力強く宣言した。
「クレマチス辺境伯を討ちます。……全ては、アイビー様とオルテンシア様が導かれる、今後のイルシオンのために」