FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第11章-13:希望・その13

 そうなのだ。

 意志を持つ異形兵と化した辺境伯を討たねば、イルシオンに真の平和は訪れない。

 

 近隣の領地から罪なき民を供物として攫(さら)い、殺して邪竜へ献上する。そのおぞましい行いが、今も続いているのだから。

 

 辺境伯は、ヴェイルから二度、魔力を注がれたという。

 

 いずれ限界を迎え、身体が砕け散る可能性はある。だが、二度にわたって力を与えられた彼が、いつまで活動を続けられるのかは、わからない。邪竜が滅んだとしても、必ず同時に動かなくなるとは限らなかった。

 

 これから本隊へ戻るオルテンシアたちには、邪竜の軍勢との決戦が待っている。

 その死闘を終え、疲れ果てて帰還した彼女たちへ、今度は辺境伯を討ってくれと頼むのか。それまでの間、供物にされる人々を見捨てて待つのか。

 

 どちらも、少年には選べなかった。

 

 邪竜の滅亡にも気づかず、辺境伯が命令を遂行し続ける。そんな最悪の未来も考えるなら、討伐のために、今ここで動き始める必要がある。

 

 息子である吟遊詩人も、独りで父を止められるわけではない。反旗を翻(ひるがえ)せば、辺境伯は、ヴェイルへの狂気じみた忠誠から、実の息子さえ殺そうとするだろう。大魔道士である彼にも、無数の兵を相手取り、父のもとへ辿り着ける保証はなかった。

 

 少年は、壁に背を預けた吟遊詩人へ、ちらと目を向けた。

 黙って話を聞いていたその顔には、いつもの軽薄さがない。

 

 翡翠(ひすい)の双眸(そうぼう)と、視線が合う。吟遊詩人は、静かに頷いた。少年の意志に従おう、自分もそうするべきだと考えていた――そう告げるかのような、揺るがぬ眼差しだった。

 

 大切な父を、自らの手で討たねばならない。その痛みを、少年が知り尽くせるはずはない。

 それでも彼は、非情な宣言を否定しなかった。止めようのない父を止めるために、その命を奪う。そこまでの覚悟を、既に固めていたのだろう。

 

 先んじて少年から話を聞いていた老騎士と、救護班の老人も、致し方なしと受け止めたようだった。異形兵とされた者を救う手立てを、彼らは知らない。何が起きるか、もう痛いほど見てきたのだ。

 

 共に地獄を歩んできた仲間達も、驚きこそ見せたが、少年の決意に納得していた。知略を武器とする彼の『剣』となるのは、自分たちだ。その役目を、改めて引き受けるような表情だった。

 

「オルテンシア殿下たちは邪竜を倒す、俺たちは異形兵を倒す。両方向から、イルシオンのために戦うってワケだな!」

「しかも国境付近の救済は、未来の殿下の夫によって行われるって名目になる。全てが終わった際、王族に対する求心力を取り戻すための一助にもなるね」

 

 赤髪の兵士が、熱を込めて声を上げた。緑髪の兵士は、その戦いがもたらす利点を、冷静に指摘した。

 

 オルテンシアも、頭では理解していた。イルシオン王家への信頼は、地に落ちたも同然である。父王の死後、セピアたちが重ねた暴虐だけでも、民が王家を見限る理由には十分だった。

 まして、邪竜を蘇らせたのが父王自身だという事実が、城下や港だけでなく、国中へ知れ渡れば。残された王族、とりわけ、王位を継ぐアイビーへの糾弾は避けられないだろう。

 

 その苦境を、少しでも和らげたい。

 少年の青碧(せいへき)の瞳には、その意志があった。

 

 かつて王家への復讐を望んだ彼が、今は、王族のために、再び死地へ踏み込もうとしている。

 王女としてなら、感謝するべきだった。自ら危険を引き受け、国と、その未来を守ろうとしてくれる。その勇気と忠誠に、報いなければならなかった。

 

 が。

 

「……何よ、それ」

 自分が放った声に、オルテンシア自身が驚いた。

 

 感謝すべきだとわかっている。何故必要なのかも、わかっている。それでも、少年がまた命を危険に晒すと思った瞬間、押し留めていた感情が、先に溢れた。

 一度口にした言葉は、取り戻せない。王女としての理屈で抑え込めなかったものこそ、自分の本音なのだと、彼女は知った。

 

「今までは生きるために仕方なかったかもしれないわ! でも、ペラルゴを殺しにいく、っていうのは違うでしょ!? そういうのは王族の役目! あたしと一緒にソラネルに来ないのは百歩譲って認めるとしても、だったらあなたは学園で大人しくしてなさい!」

「で、でも……オルテンシア様」

「あたしたちのことを思ってくれてるのは、痛いほどわかるわよ。でも……でも……!」

 

 握り締めた両の拳が、震えていた。

 

 その思いを否定したいわけではない。嬉しいからこそ、彼を失うかもしれない恐ろしさが、余計に募った。綺麗な言葉も、王族としての建前も、今は、その気持ちを抑える役には立たなかった。

 

「あなた、自分の立場をわかってないわけ!?」

 涙を湛えた目で放つ怒声が、砦の大広間へ響き渡る。

 

「あなたはただの侍従! 使用人、お手伝い、召使いでしょ!?」

 

 

 これまた、ひどく聞き覚えのある激昂の台詞だった。

 

 約半年前。理不尽な戦争に駆り出されることを嬉々としていたオルテンシアを、少年が強引な性暴力をもって引き留めようとしたあの密室。

 その反撃として平手打ちを食らい、強烈な怒りと共に吐き散らされていたあの台詞と、まったくの同一だったのだ。

 

 違うのは、あの時の彼女の中にあったのが痛烈な困惑と裏切られた悲しみであったのに対し、今は魂の奥底から滲(にじ)み出る狂おしいほどの心配だということ。

 

「軍師ごっこもいい加減にして! あなたが無茶していなくなりでもしたら……死んじゃったら! あたしがどうなるかわかってるの!? まさか、あたしの命令が聞けないって言うんじゃないでしょうね!?」

 

 激しい言葉に、その場の者たちは慌て始めた。話を聞いていた旧伯爵軍の兵士達も、戸惑い、どよめいている。

 

──軍師ごっこ、だって?

 

 心配してくれていることは、わかっていた。自分も、今となっては、オルテンシアを失えば生きる気力さえなくすかもしれない。その恐ろしさを知るからこそ、彼女の言いたいことも、理解できる。

 

 だが、理解できるからといって、今の言葉を受け流せはしなかった。これまでの死線を、血を吐くような苦しみを、今、全て話したばかりだった。仲間達が命を懸け、ようやく生き残った戦いを、『ごっこ』の一言で片づけられた気がした。

 

 少年の胸の奥に、怒りが灯る。

 

「……聞けません」

「なんですって!?」

 

 売り言葉に、買い言葉。

 先程までの甘い空気は消え、二人は、真っ向から睨み合っていた。

 

「オルテンシア様だって、これから死地に向かうんでしょう! 自覚ないんですか!? じゃあ、僕がもう戦いに行かないでくれとオルテンシア様に言ったら、そうしてくれますか!?」

「あたしはそうはいかないわよ! 王族なのよ、戦う義務があるの!」

「そもそも、それがおかしいんです! 王族が城の外に出て、騎士と一緒に最前線で戦うこと自体が!」

 

 その批判は、オルテンシアだけには留まらない。この場にいる他国の王族たちも、同じように最前線へ立ってきたのだから。

 だが、フィレネ王女も、ブロディア王子も、ソルム王子も、不敬を咎めるより、突然睨み合い始めた二人をどう宥めるかと、戸惑っていた。

 

 王族である以前に、彼らは、世界を救い、平和を取り戻そうとする戦士でもある。

 少年も、それはわかっていた。オルテンシアを戦場から遠ざければ、何が起こるのかも、考えられないわけではない。

 それでも、愛する者へ向ける心配だけを、自分の側に禁じられるのは、納得できなかった。

 

 彼女を守りたい。だが、自分にも、守るべき者がいる。噛み合わぬ二つの思いが、怒りに変わっていた。頭では事情を理解していても、一度火のついた感情に、歯止めが利かなかった。

 

「大体! 四ヵ月前! 行かないでくれって言った僕の気持ちを無視してブロディアに行ったのは誰でしたっけ!? 王女命令と言えば、僕が何でも従うとでも!? また教え込まなきゃいけないですかね、あの時みたいに!」

 

 ヒートアップしすぎて、少年自身、もはや自分で何を言っているのかわかっていない始末だ。

 いよいよ混迷を極め始めたこの事態に、一歩前に出て説得を試みた人物がいた。

 

 現在、ソルム第一王子フォガートが装備する『聖王女の指輪』に宿る紋章士、ルキナだった。

 

「やめなさい! あのような愛のない睦み合いなど、互いの心が傷つくだけなのはわかっているでしょう!?」

 

 あの日。

 オルテンシアは、すでに聖王女の指輪を嵌めていた。

 

 邪竜ソンブルの力をもって顕現された状態であり、霊体は赤く染まり、己の意志で口を利けない状態だった。そもそも、指輪の外に実体として出てはいなかった、が、それでも指輪の中から周囲の状況は理解できる。

 故に彼女は、5の月、恋人同士の二人の間で行われたあの悲惨な一幕を、当人たち以外で知る唯一の人物なのだ。

 

 だからこそ、同じ過ちを繰り返させまいと、少年の暴走を強く諫めようとした。それは、女性としてのオルテンシアの痛みを理解できるからでもあるのだろう。

 

 しかし、オルテンシアは負けなかった。この程度で怯んでいるようであれば、意外と激情家な少年の手綱を握ろうだなどと思うはずもなく。

 

「……なるほどね」

 

 すとん、と得心したと言わんばかりに、何度も深く頷いてみせるオルテンシア。

 怒りがスッと消えた彼女の妙に冷静な様子に、少年の方が今度は困惑するしかなかった。

 

「確かにあたしは、あのとき、彼氏くんの必死な気持ちを無視したわ。それは本当にごめんなさい。……だから、今回はあたしの気持ちを、あなたが無視すると言いたいのね?」

「……そうですけど? 文句ありますか?」

「ないわ。ただ──」

 

 ふう、と大袈裟にため息をついて。

 オルテンシアは少年の背後にいる無骨な重騎士の方へ向き直り、真剣な顔で問いかけた。

 

「ねえカラバッシュ。この砦に地下とか、他に密室とか……そういうの、ないのかしら?」

「はあっ!? わ、私ですか!?」

 

 まさか急に自分へ話を振られるとは思っていなかった当の重騎士は、素っ頓狂な声を上げてしまった。

 このロビュスト砦に数日前到着したばかりであり、常に正門の警護に回っていた彼が、砦の内部構造に関する王女の問いに答えられるはずもない。助け船を求めるように目線を泳がせた。

 

 そこへ、救うように声を上げたのは。

 

「あ……その、ええと。確か、地下に向かう階段があったような気がするわね。な、何があるのかしら?」

「食糧庫になるはずだった場所だねえ。籠城戦を強いられたときを想定して、かつてのイルシオン王が用意したらしい。階段を隠せる構造になっていてね、身を隠す場所にもなっているようだ。数人しか入れない程度の広さだけれど」

 

 子爵令嬢と、吟遊詩人だった。

 

 吟遊詩人が言うには、階段の上側にある偽装床を引き出して隠してしまえば、上階からはそこに地下室があるとは全くわからず、さらには微かな音も漏れ出ないくらい防音が完璧なのだとか。

 その上で、地下から上へ戻る場合の偽装床の解除方法はとても簡単らしい。取っ手を引くだけでいいとのこと。

 

 そんな詳細な説明を、彼はオルテンシアに擦り寄るように近づきながら、仰々しい演技を交えて語ってくれたのである。

 

「なるほどー? ええと、クレマチス辺境伯の息子の、ジェラニウムよね。良い情報をくれてありがとう」

「イルシオンの王女様の力になれるのならば恐悦至極でございます。つかぬことをお聞きしますが、美少年とそこで何をされるのでしょうか。いえ、お答えなさるな。全てわかっております、わかっておりますとも。僭越(せんえつ)ながら、このジェラニウムも、お供いたしましょう。そして共に美少年に教え込もうではありませんか。そう、ボクの愛おわ……ひぎぃぃいいい!?」

 

 この男がスケベ心を働かせているだけだと気づいたオルテンシアは、ものすごく嫌そうな顔をした。だが、彼を後方へ引っ張り、床に激しく叩きつけたのは彼女ではなかった。

 

「はわわ……不敬ですよっ、王女様にい」

 

 青髪の天馬兵だった。一切迷いのない、見事な投げ飛ばしである。

 彼女が動くのが一番早かったが、男装の麗人も、薄赤髪の剣士も、そして子爵令嬢も、今まさに彼を制裁しようと前のめりになっていた。

 

「どういうつもりなんだ。このたらし、王女まで口説くとは」

「……本当に誰でもいいんですのね、見た目が可愛らしければ」

「安心してください殿下。絶対にこんな虫、近づけさせませんので」

 

 計、女性陣四名──いや、一人、男が混じっているが、頼もしい限りであった。

 しかし、口説きの対象は自分じゃなく、どちらかと言えば彼氏くんの方だった気がするんだけど……と、オルテンシアは内心で思っていたのだが、わざわざそれを口にすることはなかった。

 

「しっかり、二人で話(・)し(・)合(・)っ(・)て(・)くるわ。どうせ今日はもう外には出られないし」

 

 深夜となった今、砦を出て、イルシオン王城へ向かった神竜軍本隊を追うのは、危険すぎた。

 外では、雪が吹き始めていた。まだ勢いはさほどでもないが、これから荒れるかもしれない。暗闇と吹雪の中を進み、消耗したまま敵地へ近づくべきではなかった。

 

 旧伯爵軍の兵士達、とりわけ、薄青髪の従騎士を慕う部下たちは、砦の外にいる彼女を案じていた。少年の仲間達も、同じだった。

 

 イルシオンで暮らしてきた彼女たちには、雪中の行軍にも心得があるはずだ。それを頼みに、無事を信じるしかない。だが、慣れているからといって、天候の脅威が消えるわけではなかった。

 

 辺境伯軍を相手にした説得は、うまくいくだろうか。その成否も、道中の無事も、ここにいる者には確かめられない。今は、従騎士を信じ、帰還を待つしかなかった。

 

「みんな、ここでゆっくり休んでて。あたしたちが喧嘩してる間、みんなで親睦を深め合っているといいわ」

「オルテンシア王女! ダメですよ、仲の良い男女が大喧嘩などしては!」

 

 まさかこの痴話喧嘩がまだ続くのかと思い込み、心を痛めている様子のクロエが、心配そうに声を張り上げた。

 

「そうですよ。あの、どうですか、ぷにぷに選手権をして解決するというのは」

 傍にいるセリーヌは、そんな妙な提案をした。

 

 なんでも、オルテンシアの頬っぺたが柔らかいから、それを一緒に触っていれば荒んだ気持ちなど和らぐだろうという、彼女なりの平和的解決策らしい。

 

「大丈夫よクロエ、セリーヌ王女。ある意味、ぷにぷに選手権の上位版みたいなものだから」

「じょうい、ばん……?」

 

 首を傾げるセリーヌ王女だったが、こんな大勢の場で赤裸々に語るつもりはオルテンシアにはなかった。

 そんなやり取りをしている最中に、少年が身の危険を察知したのか、こっそりと逃げようとしていた。しかし、当然オルテンシアがそれを逃がすはずもない。

 

「ゼルコバ」

「……ん、あ、はい。『御意』」

 

 一瞬戸惑った彼だが、主(あるじ)の妹君の意図を瞬時に汲み取り、少年の逃げようとする先へ先回りする。そして元暗殺者らしい手慣れた手つきで、少年の両腕を素早く拘束した。

 黒い糸のような、布のような謎の拘束具。強く縛り付けられていて、少年の細腕では到底、解(ほど)けない。

 

「な、何をするんですか!? ゼルコバ様!!」

「『命令』だ。悪く思わないでくれ……」

 

 これから地下室で何が行われるのかを察し、少年の苦労を思って、ゼルコバは静かに目を閉じて合掌した。それでも、ジタバタと暴れる少年を助けてやるつもりはなさそうだった。

 

 その間に、オルテンシアはアンナに近づいて耳打ちする。

 

「ねえ。なんかこう、いい匂いする香水とか、芳香剤みたいなのない? ソラネルに帰ったら、お金払うから」

 

 かつてはお金がないと嘆いていた彼女だったが、神竜の軍勢に加わった今では、リュールから時々手当として給金を渡されていた。

 それを用いて、行商人であるアンナに頼ることで、恋人同士の空間を彩ろうと考えたのだろう。

 

「しかたないわねー。わりまし料金になるわよ? こんな状況にピッタリな、おすすめの商品があるわ」

「買った!」

 

 アンナが手渡した、ピンク色の液体が入ったガラス瓶を握り締めて、オルテンシアはご満悦な笑みを浮かべた。そして、ゼルコバに指示を出し、吟遊詩人に教えてもらった地下室へと少年を運ばせる。

 

「さ、行くわよ、彼氏くん。ゼルコバ、お願いね」

「だ……誰か助けてください! あの、誰か、本当にッ!!」

 

 涙目で懇願する少年だったが、少年の仲間達も、オルテンシアの仲間達も、誰一人として彼のために動かなかった。

 正確に言うと、動けなかった、と言う方が正しい。あまりの怒涛の展開に、ただ呆気に取られていたのだ。

 

 少し時間が経ってから、痴話喧嘩なら、やはり二人きりでやるべきだと誰もが思い直していた。

 

 ほどなくして少年の運搬を終えたゼルコバが無言で戻ってきたが、少年と王女の動向を気にする者は、もはやこの場に誰一人としていなかった。

 

 こうして、少年とオルテンシアは、久々に、誰にも邪魔されない二人きりの密室空間を得たのである……。




2026年06月26日以来となる、情事シーンの抜粋。だいぶ気合が入ったため、4話校正となりました。R-18版に掲載。
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