FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

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第4章-2:復讐の終わり・後編

 内容は少年の想像を遥かに絶するもので、聞いているだけで息が詰まるほどだった。

 

 グランスール大橋での敗走後。

 ハイアシンス王の命により、オルテンシア、そして臣下であり学友のロサード、およびゴルドマリーの三人は、国境を越えて進軍する神竜リュールの軍勢を迎え撃つべく「デスタン大教会」へと駆り出された。

 

 デスタン大教会──城下町から大きく西に離れた地に佇む、邪竜教団の総本山。

 かつては宿なき者や、暴力から逃れた女性たちを広く受け入れ、弱き民を支える聖域であったはずの場所。

 

 そこに、ハイアシンス王と「四狗(しく)」、そして四狗(しく)が忠誠を誓う、それまでフードで顔を隠していた少女──ヴェイルが集結していた。

 かの質素な出で立ちの少女は邪竜ソンブルの実子であるらしい。

 

──セピアがあの集団の代表だと思っていたが、違ったみたいだな。

 

 そして、ハイアシンス王が神竜たちに敗北した、その直後。

 

「邪竜……ソンブル様……ううん、ソンブルが現れたの」

 

 そこまで口にすると、オルテンシアは激しい過呼吸に陥った。

 その日見た光景が、拭い去れぬトラウマとなって彼女の精神を蝕んでいる。

 

 少年は震える彼女の背をさすり、自らの胸にその身体を預けさせた。

 「無理に思い出す必要はありません」と囁いたが、彼女は「彼氏くんにだけは、聞いてほしいから」と、途切れ途切れに言葉を紡ぎ続けた。

 

「お、お父様、が……」

 

 

 

──巨大な竜へと変貌した邪竜ソンブルによって、生きたまま喰われた。

 

 

 

 彼女の告白は、先ほどバルコニーでセピアが放った「神竜に殺された」という演説が、真っ赤な嘘であることを証明していた。

 

 四狗(しく)とヴェイルは、かつて転移魔法を用いて密かにハイアシンス王と接触していたのだという。

 

 誰もその姿を目撃していなかったのは当然だった。

 オルテンシア自身、父が得体の知れない連中と接触している事実は悟っていても、彼らを直接目にしたのは5の月に召集された時が初めてだったそうだ。

 

 それほど密な関係にありながら、あっさりとその信頼を裏切ってみせたということだ。

 

──生粋の邪竜信奉者が、その神によって噛み砕かれ、最期を遂げる。

 

 無辜(むこ)の民を焼き払った過去を考えれば、それは因果応報だ。

 だが、それを最愛の父と慕う娘の目の前で行うのは、あまりに残酷な幕引きではないか。

 

「……あとね。お姉様が、生きていたみたいなの」

 

 国境で戦死したはずのアイビー。

 だが彼女は、デスタン大教会でヴェイルらに指輪を奪われ敗走を余儀なくされた神竜の軍勢を救うため、指輪の一部を盗み出して、近衛のカゲツ、ゼルコバと共に彼らに合流したのだという。

 

 この情報は、彼らに追撃をかけようとして直接交戦した四狗(しく)たちの口からもたらされたもので、オルテンシアは未だ、姉の真意を量りかねていた。

 

「……それで、アイビー王女殿下と神竜は?」

「南へ進んで、ソルムに逃げ込んだんだって……」

 

 ソルム王国。

 極寒のイルシオンとは対照的な、常夏の砂漠の国。

 自由な気風を尊び、他国の干渉を嫌うその国は、これまでイルシオンとブロディアの戦いにも、フィレネの惨状にも沈黙を貫いてきた。

 

 そこに向かったとなると、遅かれ早かれ戦火がソルムへ広がるのは避けられないだろう。

 それを、神竜本人は理解しているのだろうか。

 

「……おかしいわよね。イルシオンの第一王女が、国を捨てて敵につくなんて……」

 

 目の前で父親を喰われ、最愛の姉には裏切られた。

 重なり続ける絶望の連鎖に、オルテンシアはもはや、立ち上がる気力さえ失いかけていた。

 

 ……恐怖で震える声のまま。

 彼女は息を整えながら、大教会で目の当たりにした凄惨な状況を少年に伝え続ける。

 

 邪竜ソンブルに噛み砕かれハイアシンス王が肉の塊へと成り果てたその瞬間。

 

 四狗(しく)(あるじ)であるヴェイルは、これほど滑稽で、見応えのある見せ物はないとばかりに、鈴を転がすような高笑いを上げたのだという。

 

「『何笑ってんのよ!! 馬鹿じゃないの!?』って……あたし、なりふり構わず殴りかかったわ」

 

 激昂したオルテンシアが振り下ろした拳。

 けれど、彼女の細腕では、その少女に大した打撃は与えられなかった。

 逆にヴェイルから放たれた禍々しい闇の気に当てられ、オルテンシアは抗う術もなく意識を失った。

 

 次に目を覚ましたときには、ロサードとゴルドマリーに介抱され、大教会の一室にあるベッドに横たわっていたのだという。

 

「あの女の笑い声が、ずっと耳の奥で反響しているの。今も……消えてくれないのよ」

 

 ヴェイルは邪竜ソンブルの血を引く娘。

 ならば、父の残虐な振る舞いを祝福するのは道理なのかもしれない──オルテンシアは、自分自身を納得させるように、熱を失った声で分析を口にした。

 

 今、彼女の細い肩を震わせているのは、底知れない無力感。

 そして彼女自身、未だ十全には自覚すらできていないであろう、邪竜親子に対する猛烈な「怒り」だ。

 

 ……少年には、その感情の色に、痛いほどの覚えがあった。

 かつて自分がハイアシンス王という存在に対して抱き続けてきた、どす黒い憎悪の輝きと全く同じものだ。

 

『神竜なんぞを崇めるからこうなるのだ。ソンブル様の供物となるがいい』

 

 故郷を火の海に変えたあの日。

 高笑いする王が、人々を嘲笑(あざわら)いながら放った言葉を一言一句、少年は忘れたことはない。

 

(……供物になったのは、貴様の方だったな。ざまあみろ)

 もし、復讐に身を焦がしていた頃の自分であれば、今の話を聞いて、そのように歪んだ快感に酔い痴れていただろう。

 積年の恨みが果たされたのだと。

 

 だが、今の少年は、オルテンシアという少女の体温を知ってしまった。

 アイビー王女が隠し持っていた、不器用なまでの慈愛も。

 

 復讐の矛先を間違い続ければ、そこに待つのは新たな悲劇の再生産でしかないことを、城勤めをするようになって数年の経験から魂に刻み込まれた。

 

 ただ、話を聞く限り、今回のヴェイルという少女は、決して無実の傍観者ではない。

 オルテンシアがその怒りを研ぎ澄ませ、復讐の刃を振るったとしても、それを止める正当な理由など、この狂った世界にはどこにもないのかもしれない。

 

 それでも、少年は自分勝手な祈りを抱かずにはいられなかった。

 

(……オルテンシア様には、復讐に身を焦がしてほしくないんだ)

 

 それは傲慢で、独りよがりな独善(エゴ)だ。

 

 復讐を全否定するつもりはない。かつての自分にとって、憎悪こそが唯一の生きる活力であり、暗闇の中の灯火だったのだから。

 綺麗事では到底片付けられない重みが、そこにはある。

 

 だが、オルテンシアはこれまで、人を憎むことではなく、愛嬌を振りまき、周囲の視線を惹きつけることで自分の価値を証明してきた。

 たとえそれが打算であっても、彼女の「可愛い」という仮面は、多くの人を救い、繋ぎ止めてきたのだ。

 

 もし彼女が復讐心に魂を売り渡してしまえば、その瞬間に、彼女という存在を形作っていた美しい何かが根底から瓦解してしまう──そんな予感に、少年は戦慄した。

 

 いつか彼女がソンブルやヴェイルを討つ日が来るとしても、その動機は「受けた痛みの報復」であってはならない。

 彼女が信じ、守ろうとしている「イルシオン王族の誇り」に基づいた聖戦であってほしい。

 

 ……そこまで思考を巡らせて、少年は自嘲した。なんと残酷な、飼い犬のわがままだろうかと。

 

「あたし、もうどうしたらいいのかわからないわ……。目の前が真っ暗なの……」

 語り終え、彼女は深い闇に沈むようにうなだれた。

 

 無理もない。

 

 かつての自分のように、即座に復讐という名の荒地へと突き進むことができる方が異常なのだ。

 

 これほどの惨状を、裏切りを、最愛の喪失を突きつけられれば、ただ立ち尽くして震えるのが、人間として正しい反応なのだから。

 

 

 

──絶望の淵にいる彼女を、なんとかしてこの現実へと繋ぎ止めたい。

 

 

 

 少年は意を決すると、言葉よりも先に身体を動かした。

 オルテンシアの細い肩に手をかけ、ゆっくりとベッドへ押し倒す。

 

 二ヶ月前の、あの暴力に満ちた記憶が(うず)いたのか、彼女の身体が僅かに強張(こわば)るのが伝わってきた。

 

「……彼氏くん……?」

「そんな気にはなれないかもしれません。ですが、僕は今の僕にできる方法で、オルテンシア様を勇気づけたい。先日のような、強姦じみたものではなく、一年前のように……愛し合う形で」

 

 至近距離で見つめられ、オルテンシアは迷うように視線を彷徨(さまよ)わせる。

 

──こんな極限の精神状態にある子を、性愛の対象として抱こうとするなんて。

 

 少年自身、己の浅ましさを自覚していたが、言葉の慰めなど今の彼女には届かないことも分かっていた。

 

 肌と肌を合わせ、互いの拍動を感じる。その熱だけが、彼女を「死」や「憎悪」の誘惑から引き戻してくれる唯一の(いかり)になるはずだと、彼は信じたかった。

 

「……そうね。他にすることもないし」

 彼女の瞳には、まだ虚脱した影が濃く落ちている。けれど、彼女は拒まなかった。

 

「しよっか」

 その乾いた、けれど(すが)るような承諾に応えるように。少年は静かに、けれど逃がさないという意思を込めて、彼女の唇を深く塞いだ。

 

 

*****

 

 

(考えろ……。どうすれば、オルテンシア様の心を救い出せる)

 

 膝の上で甘えるように横たわる彼女の髪を、少年は静かに撫で続けた。

 

 陽は傾き、初めて身体を重ねたあの日と同じように、溶け合う(だいだい)(むらさき)の残光が、彼女の白い肌を物悲しく照らし出している。

 

 オルテンシアは時折、所在なげに体勢を変えはするものの、眠りに落ちる気配はなかった。その表情は依然として、深い(かげ)に沈んだままだ。

 

 無理もない。眠れるはずがなかった。

 かつて少年が、愚王ハイアシンスへの復讐を誓い、イルシオン各地を転々としていた頃──彼もまた、憎悪と焦燥に焼かれ、睡眠時間を極限まで削り取られていたのだから。

 

 だが、このままではいけない。この状態が続けば、彼女は自ら、自身のアイデンティティである『可愛い』を放棄してしまうことになる。

 

 少年自身にとっては、化粧や髪型が崩れたところで彼女の魅力が損なわれる理由にはなり得ない。

 だが、完璧主義な彼女自身が、そんな自分を許せなくなる日はすぐに来る。

 

 救わなければならない。他の誰でもない、彼女自身の未来のために。

 

 そのためならば、たとえ己の身を切るような痛みを伴う決断であっても、少年は迷わず受け入れるつもりだった。

 

 鍵を握るのは、神竜の軍勢と行動を共にしているというアイビー王女の存在だ。

 幼い頃から、腹違いの長姉であるアイビーを、オルテンシアは父同様に、あるいはそれ以上に深く愛してきた。

 

 彼女は聡明。

 しかし、家族のこととなるとその明晰さを失う欠点がある。

 父王に命じられるまま、嬉々としてグランスールへと向かったあの時の危うさを、今は逆手に取るしかない。

 

 少年は、断片的な情報から「神竜リュール」とその仲間たちについて思考を巡らせた。

 

 これまでの噂によれば、彼らは戦場において、可能な限り死者を出さないよう立ち回っているように見受けられる。

 オルテンシアが二度も交戦しながら、致命的な傷を負わずに済んでいるのは、単なる幸運ではない。

 ひとえに、神竜軍の驚異的な戦術によるものだろう。

 

 一般論として、敵を皆殺しにするよりも、殺さぬよう制圧する方が遥かに難易度が高い。

 制圧の過程で敵が気力を取り戻せば、味方の疲弊と犠牲は増すばかりだからだ。

 

 それを、神竜の軍勢は完璧にやってのけている。

 自軍の犠牲を最小限に抑えつつ、敵の命をも救う。

 それはもはや、「奇跡の行軍」と言っても過言ではなかった。

 

 アイビーの生存、そしてハイアシンス王を手にかけたのが神竜ではなく邪竜であるという事実。

 それらはすべて、少年の推論が正しいことを克明に裏付けていた。

 

 この推論が真実ならば、利用できる。

 傷つき、立ち上がれずにいるオルテンシアを救うには、アイビーとその臣下さえも味方につけた、神竜リュールの「光」に彼女を託すのが最善だ。

 

 ……しかし。

 

 そのために少年が思いついた方法は、あまりにも危険すぎる綱渡りだった。

 成功の保証などどこにもない賭けを、オルテンシアに強いることになる。

 

 何より、それは彼が最も忌み嫌い、軽蔑した行為そのものだった。

 

 二ヶ月前、あの大切な娘二人を戦場のど真ん中に立たせたハイアシンス王の暴挙を、少年は「愚行」と断じた。

 

 それなのに今、自分は愛する彼女を救うためとは言え、自らの手でまた彼女を戦地へと送り出そうとしている。

 

(僕は……あの男と同じことをするのか)

 

 かつてあれほど呪った男と同じ役割を、今度は自分が演じなければならない。

 その皮肉と吐き気がするほどの自己嫌悪が、少年の心を(さいな)む。

 

 他に道はないのかと、必死に自問を繰り返す。

 

 だが、やれるべきことはすべてやった。

 

 肌を重ねている間、彼女は僅かな笑みを見せてくれた。だが、四六時中抱き合っているわけにはいかない。根本的な解決が必要なのだ。

 

 四狗(しく)とヴェイル、そして未だ姿を見せずどこかに潜む邪竜を追い払うには、神竜の力が必要不可欠だ。

 

 オルテンシアの話では、邪竜にも紋章士の力を引き出す秘術があるという。その庇護を得て、神竜の軍勢と相対したのだと。先日の「聖王女の指輪」などもそれに当たるのだとか。

 

 ならば、邪竜討滅のためイルシオンの精鋭をうまく説得できたとして、無策でぶつけたところで、無駄死にを増やすだけだ。

 

 故に、彼女をこの城に留め置く選択肢そのものが、もはや破滅を意味していた。

 

 ソンブルがハイアシンス王を喰らったのは、その「王の血」こそが自身の存在を保つ餌だったから。だとすれば、デスタン大教会で無防備に気絶していたオルテンシアが今も生かされている理由は、ただ一つ。

 

 四狗(しく)たちは、彼女を「第二のハイアシンス」……すなわち、新たな餌として飼い殺すつもりなのではないだろうか。

 

 となれば、一刻の猶予もない。

 だが、決断を阻むのは、胸を締め付けるような寂寥感(せきりょうかん)だった。

 

(……オルテンシア様とは、今生の別れになるかもしれない)

 

 その恐怖が、少年の足を止めようとする。

 今考えている作戦がうまくいけば、彼女はアイビーと共に神竜の仲間となり、世界を救う戦いに身を投じるだろう。

 

 それは常に死と隣り合わせの道だ。

 あるいは、城に残る自分が、四狗(しく)の気まぐれでソンブルの供物にされるかもしれない。

 最近各地に出没しているという、「異形兵」とやらに殺される可能性だってある。

 

 だが──決意しなければ、愛する者は永遠に闇に呑まれたままだ。

 

「……オルテンシア様」

 少年はオルテンシアの身体を起こし、悔いの残らぬよう、深く濃厚な口付けを交わした。

 突然のことに驚きながらも、彼女は愛する男の情熱に、しばしの間、身を委ねた。

 

 銀の糸が引き、顔を見合わせる。少年は覚悟を決め、冷徹な軍師の如き眼差しで告げた。

 

「……ハイアシンス国王陛下の遺志に、(じゅん)ずるべきです」




実際に行われた内容についてはR-18版に記載。
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