この場で声を上げたのは、あくまでもイルシオン住民やブロディア兵の一部に過ぎない。
ブロディアの貴族のうち、強硬派は依然としてイルシオンとの対決を望んでいる。彼らは領土拡大などと
その理由は様々だが、うち一つに「邪竜信仰を咎めることを口実に、ブロディアの武力を周辺諸国へ示すため」という打算があるのは確からしい。そう、武の国には戦争があってこそ国が潤うと考える者も少なくないということだ。
だが、イルシオンに住む民の全てが邪竜信仰に狂信的に傾倒し、人を人とも思わぬような扱いをしているわけではないのと同様に。ブロディアに住む者もまた、その全てが血を血で洗う抗争を望んでいるわけではないのだ。
その確かな事実が判明しただけでも、今のアイビーにとっては救いだった。
融和の第一歩を見たところで、神竜リュールが彼らの気持ちを一つに束ねるかのように号令をかけた。
王城への突入も控えている以上、ここでいたずらに時間を消費しているわけにはいかない。速攻をかけて城下を制圧する。そのためには、四つの国の兵力が神竜軍として完全に一つになる必要がある……と。
正しきもののために戦っているという意識は、集う人々に確かな力を与えた。
もはや先程までの一触即発状態が嘘だったかのように、武器を掲げて高々と吼える兵たち。
それは、今後のエレオス大陸を象徴するような結束であって欲しいと、この場にいる者の誰もが願った。
気勢を上げ、城下町を埋め尽くす異形兵を討つべく、神竜の軍勢は当初の予定を変更して進軍を開始する。
進軍の直前、神竜リュールは、精神的に参っているであろうアイビーに、出撃を控えるべきだと優しく声をかけた。王族が自らの手で自国の民を魔法で灰にしていく心痛は、察するに余りあるものだったからだ。
だが、当のアイビーは「今更よ」と寂しげに笑った。
ここに至るまでにフルル港を焼き払った自国の者達への処断はこの手で下している。あのとき相対したのは命ある生きた兵だったのだから、異形兵を倒せぬ道理はない、と。
しかし、リュールは知っている。
フルルで相対したイルシオン軍を討ったときも、そして今も。アイビーの瞳の奥底では、自国がこんな惨状に陥ってしまったことを、血を吐くような思いで嘆き悲しんでいるのだと。
それでも戦地へ赴こうとする彼女を、リュールは本当なら止めたかった。
だが「王族として、逃げて戦わないわけにはいかない」と気高く言われてしまえば、それ以上無理に止めにかかるのは無作法というものである。
ならせめて、と。リュールはディアマンドにある指示を出した。
今回の城下町での戦いにおいて、ブロディア軍の指揮はリュール自身が握り、ザフィーアに補佐をしてもらうから、ディアマンドにはアイビーの護衛について欲しい……と。
ディアマンドは文句を言うことなく、それを快諾した。
それどころか、これまでの戦いにおいても戦功を多く挙げていた彼自身の二人の近衛すらも、アイビーの護衛に当たらせると言ってくれたのだ。
アイビーが申し訳なさそうに遠慮すると、ディアマンドは「今すぐソラネルへ戻って休むか、我々を護衛として傍に置くかの二択だ」と強引に突きつけた。
そう言われてしまえば、大人しく呑むしかないわね、とアイビーは苦笑した。
この三名の上に、紋章士が二名。
アイビーの相棒を務めている烈火の紋章士リンと、先程ジーヴル港でマロンから取り戻したばかりの『若き獅子の指輪』に宿る封印の紋章士ロイである。
これだけ盤石な守りであれば、アイビーが狙われてもやられることはないだろう。
……城下に溢れる異形兵の数は、思った以上に多かった。
モーヴの話によれば逃げ延びた者もいるようなのだが、それよりも犠牲になった者の方が圧倒的に多いのだろう。
イルシオン国民の命をなんとも思っていない、
そんな彼女に、ディアマンドの護衛についた近衛二名が、労わるように声をかけた。
「そのお怒り、わかりますよアイビー王女。俺も、自分の村をこうされていたらと思うとハラワタが煮えくり返りそうですから。とても他人事とは思えません」
ブロディア王国に仕える騎兵、アンバー。
金の短髪に、赤と黒を基調とした派手な騎士装束が特徴の男。馬上で槍を振るうことにかけてはブロディア随一だ。今も白馬に跨っている。
伝説の英雄になるのが夢な彼は、常に明るくて心優しく、熱血が服を着て歩いたような人物。
毛深い生き物であるアルパカが多く住まうのどかな村の出身なのだが、大切な村人とアルパカたちが無惨にも殺され回る光景を、現実味を帯びて想像したのだろう。
ジーヴル港での戦いのときからそうだったのだが、槍を握る手が怒りに震え、強く歯を食い縛っている。
彼のような心優しきブロディア兵の存在がいてくれれば、今後のイルシオンの立場を思うと大きな救いになるはずだと、アイビーは内心で思った。
「物語の多くは大団円で終わるもの……しかし、ここまで被害が甚大だと、多くの者にとっては……その。悲劇でしょうね……」
同じく、ジェーデ。金髪金目に重々しい鎧を身につける、冷静で寡黙な女性。
鉱山の町で、宝石の鑑定士の父と宝飾品の職人である母から生まれた彼女は、鉱山を守る用心棒をしていたほどの武勇を持つ。
だが一番の特徴は、小説を執筆していることだ。自らを物語の登場人物に見立てた台詞を口にすることも多い。
そんな彼女は、己の愛する創作物とは違う悲惨すぎる現実を突きつけられて、ジーヴル港のときから、ひいては数日前のフィレネでの戦いからずっと意気消沈気味だった。
全てが喜劇で済ませられればいいのに、と酷く悲しそうな顔をしている。
「失った者は帰らないわ。でも、私たちは生きている。……悲しみを乗り越えて、ここから喜劇を作ることは出来るはずよ、ジェーデ」
過去よりも現在、そして未来。アイビーは強くそう信じている。
悲しみに囚われて足踏みを繰り返すなど、愚者のすることなのだと、彼女は考えていた。
だから、
そんな彼女の気高き覚悟を悟り、アンバーとジェーデの顔も引き締まった。
泣き言は言っていられない、全てが終わってからにしよう……そう思い直したのだ。
そのとき。異形兵が複数体、こちらへ向かって現れた。
多種多様の兵種だが、ほとんどが剣や斧を手にした近接攻撃を得意としており、その全てが歩兵である。
神竜たちの前線を掻い潜り、わざわざアイビーたちを狙ってこちらまでやってきたということなのだろうか。
「ご苦労なことだな。我々は戦わずに終わるかと思っていたが……そう甘くはないらしい」
ディアマンドが、鋭い眼光と共に剣を構える。
それに呼応するように、アンバーも槍を、ジェーデも斧を手にし、敵と対峙した。
紋章士の二名も、剣を構えていつでも戦闘に入れるようにしている。
アイビーも、静かに魔道書を手に取った。
自分が手を汚さずに済むなどという甘い逃避を許さず、戦う機会がこうやって得られたことに、彼女はむしろ安心すら覚えていた。
金切り声を上げ、剣を持つ異形兵が三体ほど飛び掛かろうとしてくる。
だが、それよりも早くアンバーが動いていた。
怒涛の連続攻撃を繰り出すことに特化した名槍『勇者の槍』を手に、愛馬に鋭く鞭を打って、回り込むように敵の死角へと肉薄していく。
「勇者アンバーだ!……申し訳ない。あんたらを救う方法は、これしかないんだ」
不意打ちの利を捨てる、大音声での名乗り上げ。
正々堂々戦うのが己の主義だと日々彼は語っているが、血みどろのこの戦いにおいてもそのスタンスが覆ることはない。こうすることで彼は自身の高揚感を上げ、戦闘能力にも良い影響を与えているのだそうだ。
だが、最初の名乗りこそ威勢が良かったものの、アンバーは悲痛に顔を歪ませながらその槍を放っていた。
彼だけではない。
異形兵の正体が、元兵士だけでなく
良くも悪くも、重く引き締まった、と言えばいいのか。
かつては敵を
神竜リュールが直接それを
生粋の熱血漢であり、倒せば自分の望む伝説の英雄に近づけたと、勝利そのものを無邪気に喜んでいたアンバーの変化は特に顕著だった。今や彼は、心を痛め、謝罪の言葉を口にしながら敵を倒すことが多くなっていた。
時折、
しかし、その槍の腕は決して衰えていない。
それどころか、平和的解決を望む主君の道を切り拓くために、一体でも多く自分が倒さねばと覚悟を決めたアンバーの成長は目覚ましいものがあった。
現に今も、剣を持つ異形兵三体に接近すら許さず、瞬時にその首を吹き飛ばしてみせたのだ。
「……よし。ディアマンド様たちには近づけさせなかったな──」
「アンバー! 危ない!!」
高々と飛び上がってきた、斧持ちの異形兵。
咄嗟に槍の柄でその重たい一撃を受け止めたが、殺意の乗った力を殺しきれず、激しい衝撃に落馬しそうになる。
背後の紋章士ロイが鋭く呼びかけていなければ、そのまま頭蓋を叩き割られていたかもしれない。
「これ以上はやらせない!」
割って入るように、紋章士ロイが剣を横薙ぎに振りながら突撃する。
彼の振るう『封印の剣』の力により、その剣閃には凄まじい爆炎が
強烈な炎の一撃が、アンバーに向けて斧を振り下ろした異形兵へと直撃した。怪物は燃え上がりながら、悲鳴を上げて絶命する。
「す……すまねえ、ロイさん!」
非常に戦闘能力が高く、特に単純な攻撃力においては追随を許さぬ彼だが。
倒した相手の過去の境遇へと思いを馳せ、配慮するあまり、時折不注意な隙を晒してしまうことがある。それが、優しすぎる現在のアンバーの弱点だった。
「僕が思っていたより、だいぶ強い魔力を注がれている! 次が来ているよアンバー、早く体勢を立て直すんだ!」
ロイの警告が終わるよりも早く。体勢を崩しているアンバーを目掛けて、槍を持つ異形兵が数体、一斉に飛び掛かろうとしていた。
無防備なところを完璧に狙われている。
絶体絶命の危機に、アンバーは顔を青ざめさせた。早く馬にしっかり乗り直し、迎撃に参加しなければ、アイビーの護衛という役目を果たせぬばかりか、足を引っ張ってしまう。
しかし、焦燥感に駆られた彼は、手綱をうまく引けずに体勢を立て直せない。
「あ、あれ……まず……」
「アンバー! 焦っちゃだめ、落ち着いて!」
後方から響く、凛とした声。
それと同時に風を切って数本の矢がまとめて放たれ、アンバーを襲おうとしていた槍持ちのうち、先頭にいる者の急所へ全て命中した。槍を取り落とし、前のめりになるようにして敵が倒れ伏す。
紋章士リンが、見事な構えで弓を引き絞っていた。彼女の本来の生い立ちは剣士であるが、類稀なる弓の腕前も有しているのだ。
神竜軍では、剣よりも弓使いとして振る舞うことを求められることが多い。他の紋章士の大半が剣を用いるせいだろうか。
とにかく、彼女の流れるような弓捌きは、まさに美麗の一言に尽きる。
一度狙った獲物を決して逃さない、達人芸の領域である。
矢が刺さって尚、強引に抗おうとする後続の異形兵に対し、リンは神速をもって肉薄した。
かつて元の世界で旅の最中に手に入れたという愛刀『マーニ・カティ』を手に、残像すら見えるほどの圧倒的な速度で、敵の身体を細切れにしていく。
彼女が作り出した僅かな間は、アンバーの命を救い上げるのに十分すぎる時間だった。
ロイが放った攻撃の猶予も合算すれば、ジェーデが援護に参入するために必要な時間を、完璧に生み出せていたのである。
「やらせないわ。アンバーには、もっと生きていてもらわなきゃ困るもの」
堅牢な大盾で、異形兵からの槍の刺突を全て受け止め切るジェーデ。
攻撃と攻撃の間に生じる僅かな隙を縫うように、風の魔力を乗せた大斧を的確に叩きつけ、群がる敵をまとめて切り刻んでいった。
「ふぅ、助かったあ。情けないトコ見せちまったな。……ここからが勇者アンバーの本領発揮だぜ!」
朋輩であるジェーデの献身により、アンバーはついに体勢を立て直すことに成功する。勇者の槍を構え直し──
「! まずいぜみんな! 他の連中が、ディアマンド様とアイビー王女の方に近づいてる!」
敵の物量が多すぎるせいで、どれだけ優勢に立ち回っても撃ち漏らしが生じてしまうということだ。
前線での彼らの奮闘があっても、護衛対象である王族二人の方へ向かっていく異形兵が現れたのは、ひとえに数が多すぎるせいである。
城下の過半数の民が異形兵に変えられ、その上でセピアによる刺客の兵まで放たれているというのだから、当然の物量ではあった。
アイビーも魔道書を開いて迎撃体勢に入るが、彼女にはひとつだけ、注意しなければならないことがあった。
それは、『炎魔法』を使用してはならない、ということだ。
理由は、すぐ隣で戦っているディアマンド王子の深刻なトラウマだからである。
彼は幼少期に魔法の勉強をしていた際、ファイアーが暴発してしまうという痛ましい事故を起こしている。
その時に左腕に負った火傷の痕は未だに残っており、心の傷も癒えてはいない。魔法により放たれた炎を見るだけで、身体が硬直してしまうほどの恐怖心があるのだ。
この弱点を知る者は極めて限られている。弟スタルークをはじめとする、己に期待を寄せる自国民へ弱味を見せられないという、彼の気高い精神故だ。
かつて敵対し、ブロディア王城へと攻め入り一騎討ちに持ち込んだ際には、極秘で入手したこの情報を利用し、彼に炎で揺さぶりをかけたりもした。
しかし、共闘している今は、大切な仲間の戦闘能力を削ぐような真似は絶対に出来ない。
アイビーは風魔法の魔道書を手に取った。
風魔法の上位『エクスカリバー』は、炎魔法に比べれば僅かに威力が落ちるが、それでも極めて高い破壊力を持つ。飛行生物が相手でなくとも、殲滅に貢献できるはずだ。
容赦なく放たれる風の刃が、次々に敵の身体を切り刻んでいく。アイビー自身の底知れぬ高い魔力をもって、多くの敵を葬り去った。
しかし、炎に比べて僅かに足りない威力が
身体が傷ついても、恐れず無機質ににじりよってくる異形兵たち。
仕留めそこなった連中にトドメを刺しに飛び出したのは、ディアマンドだった。剣と斧を瞬時に使い分け、次々と敵を消し飛ばしていく。
「ありがとう、ディアマンド王子。助かったわ!」
「……アイビー王女。君は!」
まだ依然として、敵の数は減らない。ディアマンドも完全に囲まれたが、果敢に攻撃を受け止めていく。
アンバーとジェーデは、少し離れた位置で、これ以上の数を二人の王族に近づけさせまいと決死の奮闘を続けている。紋章士の二名も、装着者である王族二人の意志の下、そちらの防衛に加担している状態だった。
「私に遠慮して、炎を放てないのではないか!? 要らぬ気遣いだ、容赦なく放て!」
「で、でも──」
「ロイと共に戦っているからか、炎への多少の耐性はついている。それに」
アイビーの背後へ向かおうとする異形兵を最優先に、ディアマンドが強引に撃破していく。
たとえ剣で届かぬ位置であっても、手斧を投げつけて致命傷を与えていった。
「些細な恐怖心を乗り越えられず、仲間を失う方が私は怖い!」
だから炎で一気に殲滅してしまえ、とディアマンドは吼えた。
己のトラウマを強靭な意志でねじ伏せ、それよりも戦場の優位を取ろうとする彼の気高き姿は、まさに武の国の次期国王を象徴する頼もしさであった。
ここまで言われては、アイビーも遠慮をすることなど出来るはずがない。
すぐさま炎の上位魔法『ボルガノン』が宿る魔道書に持ち替え、書の力を借りて極大の攻撃を放たんとした。
凶悪で巨大な火炎の球が、ディアマンドをつけ狙おうとしていた異形兵の群れを確実に焼き払っていく。
ディアマンドは恐怖心を必死に抑えつけ、彼女の放つ魔道に巻き込まれぬよう、アイビーの側へと戻って彼女の攻撃を支援した。
それまで暴れまわっていた目の前の敵が、一気に灰となって焼失した。
「……ごめんなさい」
炎の照り返しの中でアイビーが零したその謝罪は、国を支えてくれていたかつての自国民たちへの、心からの鎮魂の言葉だ。
彼らの死を無駄にせず、罪を背負いながらも次期女王として前に進むこと──その決意を、炎と共に新たにしていく。
そのとき。
「アイビー!! 弓兵が!!」
相棒である紋章士リンの、切羽詰まった声だった。
燃え盛る炎の死角から、的確に飛行兵であるアイビーの命を狙って飛来してくる一本の矢。
乗騎である飛竜ではなく、彼女自身へと真っ直ぐに向かってくる死の影。
「しまった! アイビー王女!!」
「……えっ」
ディアマンドが必死に飛び込んで盾になろうとするが、わずかに間に合わない。
アイビーは……何が起こったかわからなかった。
絶対的な死の瞬間、これから起こる激痛から逃避するかのように、彼女の視界が真っ白に塗り潰されていく。
(油断、したわ……)
なんという失態。
ここで死んでは、ロビュスト砦に向かった妹を始めとするイルシオンの者たちにも示しがつかないというのに。
たった一瞬の隙が、致命的になることを、これまでの戦場の経験が教えてくれていたというのに。
(ごめん、なさい……)
死を覚悟し、彼女が思ったのは、強い謝罪と、そして──