(みんな辛気臭い話ばっかしてんな。あー、アタシ、こういう空気耐えられねー……)
せめて共に死線を潜り抜けた喜びを分かち合えばいいのに、誰もがこれから行われる戦いに向けた決意表明をしてばかり。
刹那的な生き方をしている青髪の天馬兵にとって、この重々しい空気感は苦痛そのものだった。
もちろん、仲間たちのやりとりを見下しているわけではない。だが天馬兵は切に思う。現実感を伴う死の恐怖を振り払いたいのは理解出来るが、それならば明るい話をしたっていいのではないかと。
そんな彼女の気質からすれば、フィレネ王女とその家臣のグリフォン兵に叶わぬ口説きを延々と繰り返している吟遊詩人が、皮肉にもこの空間にいる者の中で最も好ましい人物であった。
血痰をぶち込んだあたりから、彼が軽薄な態度を取るのは全て演技であり、それは異形兵と化した父に関連する背景の裏返しであることはよく理解しているが、全てを明るみにされても道化を演じる吟遊詩人の態度を、前向きに評価し直している。
だからと言って、彼の口説きを受け入れて恋人や伴侶となってやろうという気になることは今後も有り得ないだろうと、天馬兵は頑なに一線を引いている。
何せ、彼女の『趣味』に付き合える人間は存在しないのだから。あくまで、賢き愛馬であるディートバだけなのだ。
「いい加減にしなさいよ。貴方、これ以上不敬な真似をし続けると国際問題に発展しかねないわ」
我慢の限界を迎えたのだろう。子爵令嬢がわなわなと震える手で槍を握り、その切先を吟遊詩人の背中に向けている。
だが。当の吟遊詩人はその槍で本当に串刺しにされることはないだろうと踏んでいるのか、にへらにへらと笑みを浮かべながら他国の女性二名に対して擦り寄りをやめようとはしない。
「美少年と第二王女オルテンシア様の関係、とても美しく尊く、なによりも羨ましいじゃないか。身分を振り翳す真似は醜いと思うけどね、平民の彼が今頃楽しいことをしているのに、次期辺境伯であるボクが独り身なんて、そんなのおかしい。だからね、セリーヌ王女。そしてクロエちゃん。ボクと三人で、着ているものを全て脱ぎ散らし、優雅で意味深なお茶会ひょがあおおおおん!?」
なりふり構わず性的な口説きをし続ける軽薄な彼に強烈な制裁を加えたのは、それまで背後に立っていた子爵令嬢ではなかった。
それまでロサードや妖精の村の二名と会話していたゴルドマリーが、女性の敵である彼の言動に困惑していた仲間達を助ける為に、近づいて鮮やかな回し蹴りを食らわせたのである。吟遊詩人はその凄まじい衝撃により、勢いよく真横へと吹き飛んで行った。
「四年前と何も変わりませんね、この人……あまりにも美しく可愛い回し蹴りですみません……」
「ゴルドマリー、この節操なしと知り合いなの?」
驚く子爵令嬢に、ゴルドマリーは二重の意味合いで溜息をつきながら首を縦に振った。
ゴルドマリーが学園に入学したのは成人である十六になる歳だったのだが、それまでは両親が営む温泉宿の手伝いをしていた。ある日、辺境伯とその息子が宿泊に訪れたのだという。
辺境伯の息子は、当時未成年だった彼女をあまりにも熱心に口説こうとした。男性に言い寄られることを自らの美貌の証としていたゴルドマリーも、彼の狂気的なしつこさに辟易と恐怖を覚えたらしく、思わず張り倒してしまったそうだ。戦場以外で男性を殴るような真似を滅多にしない彼女の、唯一の例外と言える。
やんごとなき身分の人物に手を上げたことに青ざめたゴルドマリーの両親だったが、彼の父である辺境伯は『むしろ愚息がお嬢さんを怯えさせてすまない』と平謝りし、自身の息子に激怒したのだとか。
「男女の絵になる組み合わせは嫌いではないのだけれど、無節操なのはいけないわ」
「せめて誠実な態度でしたら、お茶会はお受けしても良かったんですけど。誰でもいいと言わんばかりの軽さだとちょっと……」
突っ伏している吟遊詩人に対し、それまで口説かれていたクロエとセリーヌが順に彼の行動について淡々と評価した。
当人はそれに反応する余裕などあるはずもなく、「きゅう……」と奇声を上げながら悶絶し続けた。余程、ゴルドマリーの回し蹴りがまともに直撃してしまったのだろう。しばらく起き上がれそうになさそうだ。
──あの口説き癖は、父親が健在だったときもやってたのかよ。
遠巻きにその様子を見ていた青髪の天馬兵が内心呆れつつも、吟遊詩人の人となりを冷静に分析していた。
となれば、つまり、あれは父が異形兵になった悲しみを覆い隠すためのものではないということだ。しかし天馬兵は見抜いている。彼の軽薄な態度は単なる偽装だと。
そうでないなら、天馬兵自身が口付けをすると宣言した際、吟遊詩人は困惑や動揺ではなく喜びの感情を
彼は仲間たちに、己の弱さ全てを打ち明けたように見えてそうではなかった、ということになる。根拠はない。天馬兵がそう感じるのは、常に偽装し続けていることによる、同族と感ずる匂いを感じ取ったという主観中の主観でしかないのだ。
だが、それでも彼女の中では確証に近かった。あの吟遊詩人は、計り知れないほどの闇を抱えているのだと。
(こうなりゃ、あの坊ちゃんに俄然興味が湧いてきたわー。道化の仮面を剥いだ下に、一体どんな絶望を隠し持っちゃってんのかな? ね、ジェラニウムちゃん♡)
青髪の天馬兵は基本的に他人に強い興味など抱かない。天上天下唯我独尊を地で行く彼女は、自分と相棒以外のことは、その場で大切にする許容はあれど、人生をかけた熱意には到底なり得ない……そのはずだった。
しかし、吟遊詩人こと辺境伯の息子は、この戦いをもって彼女の中の例外となってしまったようだ。無論、異性愛のような普遍的な人間の感情からは程遠い。喩えるならば、地を這う虫や動物に持つ興味に近い。
「珍しい『顔』をしているな。『戦場』以外で、バニラが『楽し気』な表情をしているのは『貴重』な光景だ」
忍び寄る影の如く現れたのは、先程まで薄緑髪の弓使いに養子を持ちかけるという、天馬兵の常識からは到底考えられない発言をしてみせたゼルコバだった。話が一段落したために、旧知の仲である彼女に近寄ったのだろう。相棒のカゲツは、セリーヌらの騒ぎに紛れ込んでいる。
ゼルコバと彼女は同郷であり、どちらも名もなき森の町出身。年齢は少し離れており、ゼルコバの方が高い。彼が家族を殺された復讐を果たす為と言って町から離れた後、二人は数年前に王宮内で再会しており、そこから時々会話する仲になっている。
互いに互いの秘密を握り合っているのだ。天馬兵は幼き日の彼の姿と復讐の全容を。そしてゼルコバは彼女の二面性を。だから、彼女はゼルコバ相手にのみ、取り繕うことはない。
「びっくりした。ゼルコバ兄ちゃんさあ、ただでさえ真っ黒なんだから。驚かせないように声かけろっつーの」
「すまない。それよりも……フルルの港町や海上で『姿』を見せなかったから『心配』していた。バニラほどの『実力者』で『問題児』が、飛行兵として『前線』に立たないわけがない。『ここ』に来るまでは、異形兵に『殺された』のかと思っていたぞ」
「アタシが死ぬワケないでしょ。あ、いや……一回死にかけたか」
少年たちが砦に帰還する直前、異形兵によりエクスカリバーを放たれて死の淵に追いやられたことを忘却の彼方に飛ばしてしまうところだった、と天馬兵の彼女は苦笑する。
それほどまでに、砦での戦いは激戦に激戦を重ねた過酷な地獄だった。こうして談笑していられるのが、どれほど尊いか、天馬兵は痛感している。
「遠征の日、あまりにも腹痛くてさ。前の日に食ったものが当たっちまったかと思ったんだけどね。でもアタシ、みんなと同じモン食ったはずなの。こりゃあアレだね、アタシ自身の中に眠る何かが、フィレネに行くなって言ったんだろうな。虐殺なんかつまんねーぞ、ってね」
「『本当』に良かった。俺たちと『戦って』いたかもしれないからな。バニラに『その気』がなくとも、『異形兵』にさせられていた『可能性』は拭えない」
ゼルコバの言葉に対し、確かに、と頷く青髪の天馬兵。やはり自分は幸運な星の下に生まれているのだと、再認識出来た。より楽しいことが出来、命もあるわけだから。
手練れの彼女とて、紋章士を操る者相手に立ち回れない。実際にその強さを己の目で見た今、彼女自身がそう認識している。ゼルコバと戦えと言われれば命令に従うだろうが、そもそも虐殺に意欲が湧かない以上は、まともな戦力になれなかったに違いない。
「アタシ、陰鬱とした話嫌いなんだ」
「『知って』いる。小さい頃から『そう』だったな」
「だから一言だけにするわ。くたばんなよ、寝覚めが悪くなるから」
ジトーっとしながら、どこか興味を抱いた目で、未だ戯れている吟遊詩人を見据えながら彼女は同郷の友人の無事を祈る。
そんな彼女の、かつてから変わらぬ態度にゼルコバはフッ、と笑った。
*****
吟遊詩人がゴルドマリーの華麗な回し蹴りにより、吹き飛ばされるより少しだけ前。
彼がミジメに倒れ込む予定地の付近では、無骨な重騎士が壁に背をつけて座っていた。先程までは死線を潜り抜けた喜びに一人、静かに瞑想して浸っていたのだが、神竜軍に属する女性陣の最年少、アンナに「久しぶりねカラバッシュ」と声をかけられたあたりから、言葉を交わしていた。
アンナと重騎士は、一年前に顔を合わせている。重騎士が王都の南にある『影の原野』に、職務の都合で足を運んだ際、盗賊団に襲われかけていたアンナを救出したのだ。
彼女にせがまれてソルムとの国境まで護衛をしたのだが、その際、護衛代だと言って盾を割安で売ってもらった。タダではなかったが、その強固な盾は
「まさか神竜と共に戦っているとはな。斧に振り回されてばかりの少女が、果敢に魔法弓を操るようになったとは驚きだ」
「オルテンシア王女にアドバイスを貰ったおかげよ。魔力があるから魔道士になったら、なんて言われて。わたしの一族はみんな戦士だからイヤだって言ったんだけど、そのうちこの弓が手に入ってね」
持ち主の魔力を媒介にして放つ、光の弓。アンナとこれの適性は非常に高かったのだという。オルテンシアの助言がなければ、その弓を手に取る発想すら浮かばなかっただろうから心から感謝したい、とアンナは屈託なく微笑んだ。
魔法に耐性を持つ厄介な敵を相手にすることがないわけではないため、一族の誇りである斧を完全に使わなくなったわけではないが、専ら光の弓には頼りっぱなしだという。
「オルテンシア王女の分析力は本当に目を
その話題に嬉しそうに乗ってきたのは、アンナとは真逆の性質を持つ少年だ。高い魔力を持たず、物理的な戦闘の才覚に恵まれていたことに気づかずに魔道士をやっていた神竜の
彼もまた、オルテンシアを深く尊敬していた。魔道士を捨て去りたくないという彼の個人的な言い分を捻じ曲げることなく、魔道と物理を両立する魔道騎士という折衷案を提示してくれた彼女の提案に、心から感謝しているのだ。
そんな経緯がなければ、彼が馬術を会得することもなかったかもしれない。そうなれば、ロビュスト砦の遠征組として駆けつけることもできなかったし、移動手段の都合で今回クランの黒馬に同乗できたリンデンさえも来れなかった可能性がある。
「さすがは、我らがオルテンシア殿下だな」
無骨な重騎士は、父祖の代から重騎士として王家に仕える名家の出であり、彼自身もまた国と王族に対する忠誠心はとても厚い。そんな彼にとって、敬愛する王族の素晴らしい名聞を他国の者から耳にするのは、自分が褒められたとき以上に嬉しいものなのだ。
まして、オルテンシアについては、どのような苦境を耐え抜いてきたかをその目で見ている。ハイアシンス王の正妻により、実母と共に陰湿に
数は少ないが遊び相手にもなってあげたことのある、そんな尊敬すべき彼女。国を離れても彼女らしさを失うことなく、それどころか、その理知をもって神竜軍への貢献を欠かさなかった。その健気な事実に、重騎士は感涙を禁じ得なかった。
……そんなときだ。軽薄な吟遊詩人が、ふわりとした女性の蹴りを浴びて吹き飛んできたのは。凄まじい勢いで床に叩きつけられ、目を回していた。
「この人、ある意味おおものだわ。あれだけ嫌がられていても、セリーヌ王女とクロエへの口説きをやめないなんて」
「基本的に男性には優しくするゴルドマリーさんが、珍しく暴力を振るうくらいだもんね……」
重騎士と会話しながら、騒がしい連中の行動も遠巻きに眺めていたアンナとクランだったが、驚いたような目で、突っ伏している吟遊詩人を見ている。
辺境伯の息子という重要な立場でありながら、女性の敵になり続けるような真似をやめないのは、ひいてはイルシオンという国の品位を貶めかねないからやめてほしい──子爵令嬢とほとんど同じ呆れの感情を胸に抱いて、重騎士は「はあ」と深く息を吐いた。
「イルシオンに住む人たちにも、色んな人がいるんですね」
ぼそりと呟いた人物は、いつの間にか重騎士の横に静かに座っていた。暗い青髪に赤い瞳の男、ブロディアの第二王子スタルークだった。そしてその隣には、目の前の騒動を面白がりながら見ている黒肌の男、ソルム第一王子フォガート。
ソルムの後継者たちは謎に包まれていて、この場で出会うまで出で立ちすらわからなかったが、ブロディアの方は密偵からもたらされる情報からその特徴をよく知っていた。
本来ならば敵国である彼が、この過酷な場に来て全力を尽くしてくれている以上、敵ではないのは頭ではわかっている。それでも、王族を前にしてはどうにも緊張してしまう重騎士であった。
「あっ……ええと、そうですな。ええと……スタルーク王子。ブロディアでは、我らイルシオンの国民は、どのようなものであると教えられていたのでしょう」
声が震えているのは、発言者本人も痛いほど理解している。あまりにも露骨な怯えと強い動揺は、隣の彼にも悟られているだろうとそう思った。
不敬のないようにと放った言葉がこれだったわけだが、いきなりの問いが失礼に当たるのではないかと不安になりながら、重騎士は次の言葉を待つ。
「す、すみません! 僕みたいな絞りカスがいきなり話しかけてしまって! ああ、せっかくの国際交流なのに、僕では台無しにしてしまう……」
「こらこら、スタルーク王子。『僕がシノンです』なんて言ってカッコ良かった君はどこに行っちゃったのさ。取って食われるわけじゃないんだし、堂々としようよ」
ブロディアの第二王子は聞きしに勝る自己肯定感の低さだった。優秀な第一王子とたびたび比較されてこうなったらしいが、普通このような境遇であれば兄を心底恨むはずのものだが、彼からはそのような暗い感情はまるで見えない。
対し、ソルムの第一王子は熱砂の国の気風を体現したような印象の男だ。顔はまだ成人前の幼さに見えるが物腰は大人顔負けであり、それでいて
重騎士の強い警戒は、イルシオンという国の立場が極めて危うい状態にあると知っているが故のものだ。だが、二人の王子が少しも敵意を向けていないことと、彼らの気楽なやり取りを見せつけられて、完全に毒気を抜かれてしまった。
深呼吸をして。スタルークは、重騎士の問いに対し、真面目に答えることにしたようだ。
「……お考えの通りです。イルシオンは邪竜信仰をしている悪の国。ブロディアからも人を
「なかなかに酷い話ですな。そんな思い込みのせいで、我々は長年、攻め込まれていたわけですか」
悪いのはそのような血塗られた歴史を築いて来た者たちであり、実際にブロディアから人を拉致していた過去のイルシオン兵であるから、目の前の第二王子に怒りをぶつけるのは、お門違いも甚だしいのだが。
それでも、このような苛烈な教育の話を聞かされて、穏やかな気持ちではいられない重騎士だった。事実なのは邪竜信仰だけであり、それを傘に他者への暴力など、少なくとも重騎士はしたことがないのだから。
だが、今年に入って、イルシオンは侵略国家になってしまった。もはや被害国としての顔は出来ず、その重き咎は存命の王族たちはもちろん、国に仕える騎士たちも背負わなければならない。
第二王子の様子を見るに、そこにつけ込むような悪辣な思想は働いていないようだが、彼が心を痛めていても政治的な話としてはどうしようもない。国を継ぐ第一王子はどうなのだろうか、と重騎士は不安げに様子を窺う。
「僕もその言葉を真に受けていたひとり。ですが、戦いの最中でアイビー王女やオルテンシア王女と出会い、イルシオン出身の仲間と交流し、そして……ここに来て、よくわかりました。イルシオンの国民は、貴族たちが
「ディアマンド王子が平和的解決を? それが本当なら我々イルシオン国民にとっては朗報ですな。正直に言わせてもらうと、にわかには信じられない話ですが」
「僕たちは覇王の血を継ぐ王子ですからね。疑う気持ちも、わかります。ですが──」
そこまで口にしてみて。スタルークは何やら思いついた様子で、言葉が止まった。
スタルークもまた、先程ゼルコバなどが口にしていたように、戦後の展望についてどうすべきかを考えていたのだが、思考がまとまらず、決意表明をすることなく砦を離れるだろうと結論づけていたはずだった。
「……そうですよね。言葉でわかったわかったと並べ立てていても、何の証明にもならない。大切なのは行動。兄上なら、きっと言葉よりも先に身体を動かすはず」
周囲を置き去りにして、赤き瞳に決意の炎を静かに宿していくスタルーク。そこには、先程自分を激しく卑下していた人物とは同一とは思えない程の、気高き凄みがあった。
「戦後、僕は一生をかけて兄上を支えて生きていきます。そのために、イルシオンとの関係融和を最優先に行いたい。最低でも、僕たちが生きている間に必ずその土台を作り上げてみせます。僕ひとりではどうにもなりません。必ず兄上のご意志が必要になるでしょう」
「……なるほど。それが第一王子の在り方を証明する手筈ですか。今のスタルーク王子の言葉を信じて気長に見守っていて欲しい、そう仰られると」
なんとも気の長い絵空事だ、と一笑に付すのは
長年の被侵略という土台があるとはいえ、結果的に自業自得に近い形で壊滅的な打撃を受けたイルシオン。ブロディアがその復興支援に乗り出すという名目は、領土拡大を狙う貴族たちにとって垂涎の的となる。間違いなく属国にせよという強硬な声が上がり、イルシオン側の猛烈な反発を招くことは目に見えている。
一朝一夕には到底解決し得ない難題。あらゆる障壁が山となって立ち塞がっていることは、
……だが、重騎士はスタルークの語るその展望を、嘲笑も否定もしなかった。
ずっとイルシオンを敵視してきた国の、それも次代を担う若き王族が、血塗られた負の歴史を捨て去り、自分たちを同じ人間として扱おうとしてくれている。その事実自体が、ひどく尊いものに思えたのだ。最初から「無理だ」と切り捨てることは、彼らが築こうとする未来を奪うに等しい傲慢な言動であり、何よりこの重騎士自身が最も忌むべき姿勢であったのだから。
「あはは、俺もソルムの王子として、手伝えることがあれば惜しみなく力を貸すよ。エレオス大陸全体が一丸となって、宴まみれになるような世界になってくれれば俺も嬉しいし!」
笑顔で答えるフォガート。『宴のために』という彼らしい動機は、どんな綺麗事よりも純然たるものであり、確固たるものだ。
もとよりソルムとの関係は他国と比べてギクシャクしていない。イルシオンのために力を尽くしてくれるという発言は、決してこの場限りの同情ではないのだろうと思える。
「聖地リトスの民も、出来る限りのことはしたいですね。いつまでもいがみ合ったままでは、再び悲劇を繰り返すだけですから」
クランも便乗して決意を固めた。彼は神竜王ルミエルを殺害された恨みを最優先にしてもおかしくない立場にあるのだが、それを乗り越えてイルシオンの甚大な被害をどうにかしたいと願っている。
まだ幼いながらも、イルシオン国民全てが悪いわけではないのだと、この過酷な戦いを通して痛烈に理解してくれていた。
「荒れ果てた母国を立て直すには、やっぱりしょーばいが肝心だわ。戦いが終わったらいっぱい稼ぐわよー」
アンナもまた、イルシオンに属する者として自分だからこそ出来ることを見据えているようだった。
未来を担う幼子が、希望をもってこの惨状に立ち向かおうとする姿には、希望を感じずにはいられない。
「……全ての国が手を取り合う。それが叶うならどれだけ素晴らしいことか。私も信じてみたいものです」
無骨な重騎士は、この世界において決して若いとは言えない年齢である。己が生きている間に、その美しい光景をこの目で見届けることは叶わないかもしれない。
それでも、遠き明日の子供たちが笑って過ごせる日々を創るために、今この命を懸けて邁進しよう。各国の王子たちと幼子たちの真っ直ぐな熱意に当てられ、重騎士は次なる過酷な戦いで決して無為に命を散らす真似はするまいと、静かに決意を固めた。
*****
「うむうむ! やはり女性の敵になるのは良くないぞ、辺境伯のご子息よ! 名家の男が
その頃。ゴルドマリーの蹴りからようやく起き上がってきた吟遊詩人に対し、カゲツは訳知り顔でそんな説教を垂れていた。
だがカゲツもまた、事あるごとに女性へ『きっす』だの『でえと』だのと口走る男である。まだ少し目を回している軽薄な吟遊詩人よりは多少マシというだけで、本質的には同類なのではないかと、クロエは密かに
「……ところでなんだけど」
言うべきか言わざるべきか少し悩んだ様子だったが、それでも口にせずにはいられなかったのだろう。セリーヌが意を決したように切り出した。
「ジェラニウムとカゲツ……声が似すぎていない? 目を閉じて聞いたら、どっちがどっちなのかわからないかもしれないわ」
言われた当人たちは、まるで自覚がない様子できょとんとしていた。それもそのはず、頭蓋骨に響く自分自身の声と、耳から入る他人の声を客観的に比較し、同一かどうかを判定するのは思いのほか難しいものなのだ。
セリーヌの突拍子もない指摘に、その場に居合わせた者たちは深く同意するように笑い出した。特に子爵令嬢にとってはその事実がひどくツボに
「あははは! 言われてみればそっくり! 同じセリフを言ったら区別つかないかもしれないわね! 実は生き別れの兄弟だったりしない!?」
「ボクの生き別れのきょうだいがいるとすれば、可愛い女の子だけだねえ」
吟遊詩人はやれやれと大袈裟に肩を竦めながら、嘘か真かわかりかねるようなふざけた軽口を返している。
「いいことを思いつきました……『あまりに声が似すぎていてすみません……』と言ってみてください……」
ゴルドマリーも悪戯っぽく面白がりながら、実に彼女らしい妙な台詞を二人に要求した。
言われた両者ともなんだか不服そうな顔を見合わせたが、この児戯に付き合わなければ決して解放してくれなさそうな周囲の空気を察し、吟遊詩人とカゲツは渋々息を合わせてその台詞を口にしてみた。
「あまりに声が似すぎていてすみません……」
「あまりに声が似すぎていてすみません……」
まるで一人の人間が寸分違わぬ声色で二重に発したかのような音声の衝撃に、この場に居た者たちはもちろん、少し離れた場所で真面目な話をしていた重騎士たちをも巻き込んで、大広間は明るい爆笑の渦に包まれたのだった。