ラシアは目が覚めても夢から覚めない絶望を三回ほど経験した。
部屋から出て下にご飯を食べに行けば変な冒険者に絡まれる。トイレは汲み取り式……パンは固い……ベッドも固い。部屋の気密性もいまいちで、誰かが外を歩けば足音が聞こえる。
「おうち帰りたい……お風呂入りたい。ゲームしたい。ハンバーガー食べたい。甘い物食べたい。コーヒー飲みたい……仕事は……どっちでもいいか」
シャワーに関しては簡単な作りで、水を入れれば良いだけの話だった。属性武器で水を入れて温めれば簡単に温水が出たので、それは問題なかった。
ラノベや漫画では主人公達はすぐに異世界になじんでいたが、ラシアはとてもすぐにはなじめそうになかった。
窓を開けて耳を澄ませば、どこかで喧嘩があったり、何かをひったくられたという声が聞こえる。日本に住んでいたラシアからすれば、この治安の悪さはとてもしんどかった。
ただ悪い所ばかりでもなかった。街には活気があり、窓から見える人々や露店を出している商人達の表情は明るい。
「あー……アイテムバッグの整理とかしたいけど元気が出ない」
お腹が減ったので下に朝ご飯を食べに行きたいが……絡まれるのが面倒で、少し余裕のある食料をアイテムバッグの中から取り出して食べ始める。
これも考えなければいけないことだ。消耗品系のアイテムは入手できる目処が立つまでは使用しない方がいい。しかし食堂で絡まれることを考えれば、使った方が心には優しかった。
一応店主に交渉したが、「黙って下で食え」の一言で終わった。
この宿は主人と娘の二人で経営している小さな宿なので、食器を運ぶ手間などを考えれば全面的に店主が正しい。
かといって別の宿を探すのも、街のことをほとんど知らないラシアには無理な話だった。
そんなことを考えながら朝食を食べ、外を見ているとドアがノックされた。
たぶんこの宿の娘であるティアだろうとラシアは思い、返事をする。
「はい。どちらさんですか?」
「ティアです。シーツの交換に来ました」
思った通りの人物だったので、ラシアは扉のかんぬきを外してティアを迎え入れる。いつもこの時間になると各部屋に入り、シーツを替えているそうだ。
「ラシアさんは今日もお休みですか?」
「うん。もう少しお金に余裕あるから、少し考え事。他のお客さんはどこかに行ってるの?」
「はい。ここに泊まっている方は冒険者になったばかりの方が多いので、皆さん朝早くから出かけていますよ」
「なるほどねー」
ラシアは人見知りだが、子供とだけは普通に話ができる。幼女が好きという訳ではないが……昔から子供相手だと気兼ねなく話せるのだ。
せっせとシーツを替えるティアの邪魔にならないよう、ラシアは部屋の隅に移動してその様子を眺める。
(自分が子供の頃は……アニメ見たりゲームばっかりしてたな……親も元気で悩み事もなかったし……昔はよかったなー)
そんなことを考えているとシーツの交換が終わり、ティアは頭を下げてから部屋を出て行こうとする。
だが少しふらついた後、その場に倒れてしまった。
「え?」
慌ててラシアが駆け寄ると、すでに意識はなく、凄い熱が出ていた。
さらに慌ててティアの小さな体を抱き上げ、下で作業している父親の元へ運ぶ。
それから先はかなりバタバタしていた。父親が医者を呼び、ティアの診断をしてもらったからだ。
ティアの高熱の原因は『水晶病』という、体から水晶が生えてくる病気だった。
医者の診断を聞き暗い表情になる父親と、その病気……ステータス異常はゲームにもあったなとラシアは思う。
「水晶病……娘は助かるのか!?」
父親が大きな声を上げるが、医者――いや神官は暗く頷くことはなかった。
「昔のように不治の病ではありません……高位の神官に頼めば治すことはできますが……王都まで行き呼んでくるとなると、お金もかなりかかります。それまでこの子が持つかと言われれば……」
「くそっ!どうしてティアが!」
ゲームの仕様を思い出し、ラシアは考える。水晶病は病気ではなくステータス異常だ。
この水晶は微生物で、クリスタルリザードやクリスタルドラゴンといった結晶系の魔物と共存している。
人間にも寄生するが、体内に魔石がないためMPを吸収して活性化し、体の自由を奪うステータス異常だ。
だから地味に回復魔法や回復アイテムでは治らない。
結晶系ダンジョンに行く時は、そこに住む魔物の魔石で作られた武具を装備すると結晶化しない。高レベルになると抵抗値が増えるので結晶化しない。仮に結晶化しても結晶系の魔石を持っていれば、そちらに引き寄せられるように回復する。
ラシアもそんな装備を倉庫の中には持っているが、アイテムバッグの中には一切入っていなかった。
「どこから……こんな病気をもらってきたんだよ……」
「東の廃鉱山にクリスタルリザードが住み着いたという話があります。誰かが持ち帰ってきたのかもしれません」
「くそっ!」
少しでも苦痛が和らぐように、神官は回復魔法をティアにかける。
だがこれ以上できることはないと言わんばかりに部屋を出ていった。
父親は結晶が生えて固まったティアの手を握り、泣きながら祈る。
「誰か……ティアを助けてくれ。この子を救ってくれるのなら何でもする」
人に泣いている姿など見られたくないだろうと思い、ラシアもそっと外へ出る。
だが考えるのは、今の言葉だった。
父親は確かに言った。「この子を救ってくれるのなら何でもする」と。
困っている人を助けるのは当たり前だとはラシアは思わない。自分が困っている時に助けてもらった記憶がないからだ。
ただ、あの子は助かる命だ。
ならば助けた見返りに、部屋に食事を運んでもらえるよう頼めるはずだ。何でもするというのだから、それぐらいはできるだろう。
ラシアからすればクリスタルリザードは弱い。装備が整った初級者や中級者が狩りに行く、そんなモンスターだ。
助かる命で、ラシアの願いも叶えられる。
これは動く以外の選択肢はなかった。
だが実際、この世界のクリスタルリザードの強さは分からない。先程の神官も昔は不治と言っていた。
そんな中で冒険者ギルドへ行き、廃坑の場所を尋ねれば何か記録が残っているかもしれない。
……だが、図書館へ行って地図を見て勝手に動いた方が楽で早い。
ラシアはすぐに図書館へ行き、地図で廃坑の場所を調べる。
それはすぐに見つかった。この町から東の道沿いを早馬で飛ばせば、半日もあれば着く場所にある。
そして幸運なことに、その場所はすでに使われておらず、街道も今はほとんど人が通らないと記されていた。
ならば、行って倒すだけだ。
人通りの少ない東門を抜け、辺りに人がいないのを確認してから一気に加速する。
この街に来るまで走りに走った経験が役に立っている。遠くに人の気配があれば速度を落とし、見えなくなった瞬間にまた加速する。
馬より速い人間など奇妙な話だが……見られていなければどうという事はない。
街を出た時は昼過ぎだったので、ラシアが廃坑に着く頃には満月が空に浮かんでいた。
満月のおかげで辺りは見やすく、そこら中に生えた水晶が月光を反射してとても綺麗だった。
今の装備でも問題はないが、もしかしたらクリスタルドラゴンのような上位結晶系の魔物がいるかもしれない。そう考え、聖銀鋼のフルプレートに変更する。
人の気配はない。見られたら逃げればいい。ここまで走って来られる人間は、今のところたぶんいない。
目的のモンスターはすぐに見つかった。
クリスタルリザードだ。
まるで月光浴をするように廃坑から出てきて、月に照らされている。
人はいない。モンスターは倒していい。倒せば宿屋の娘が助かる。
この世界に来てから、ずっと張り詰めていた。心は脳に考えることをやめるよう命じ、発散できる手段があるならそれを選ばせようとする。
今のメイスでもクリスタルリザードなら十分オーバーキルだ。
だがまともに思考できない状態のラシアは思い出した。
聖銀鋼の鎧を手に入れてから、本気で攻撃したことがない。ゲームの中でもだ。
ラシアはアイテムバッグにメイスを仕舞った。
そして……最強最大のダメージを出すための準備をする。
「シュトルクトゥーア・オーバーーリリーヴ!!」
ラシアの体を流れる血液が沸騰し、骨や筋肉が限界を超えて悲鳴を上げ始める。
声のした方向へクリスタルリザードたちが一斉に振り向いた。
普通の冒険者ならその数に怯えて逃げるだろう。だがラシアは違う。いろいろなことが重なり、変なテンションになっているからだ。
一番近くのクリスタルリザードに狙いを定め、さらに強化バフをかける。
「ギガンテックハンド!」
ラシアの細く美しい右手が体よりも大きくなり、ぎちぎちと甲冑が軋む音が鳴る。
そして、幾度も勝利を重ねてきた相棒の名を叫ぶ。人はおらず、満月でストレス過多だからだ。
「プラティディオンハンマァァァァァァァーーーーーーー!」
取り出されたハンマーはラシアの体より数倍大きく、白銀色に輝き始める。
「ムーンライトコンタクト!」
月の光が降り注ぎ、白銀のハンマーをさらに強大に磨き上げる。
この時点でもゲーム内の敵なら大抵は死ぬ。まさにオーバーキルだ。だが止まらない。詠唱は続く。
「ステイク……パルス……エシュピー……はぁぁぁぁぁぁ! コル・クール・パル!」
指定されたクリスタルリザードの体に透明の杭が現れる。
シュトルクトゥーア・オーバーリリーヴでHPの四分の三を犠牲にし、ステータスを一時的に一・七五倍まで引き上げる。
ギガンテックハンドで攻撃力とダメージを大幅に上昇させ、ムーンライトコンタクトで夜限定だがクリティカル率とクリティカルダメージをさらに上昇させる。
そしてコル・クール・パルで指定対象へのダメージを二・五倍にする。
これでクリティカルさえ出れば、ゲーム中では特定条件を除き、ソロで最大級のダメージが出る仕様だ。
ラシアは叫ぶ。この訳の分からない世界への鬱憤とロマンを乗せて。
「クリスタルリザードよ! 月夜に沈めぇぇぇぇぇ!」
透明な杭にハンマーが打ち込まれた。
ゲーム時にたどり着けなかった攻撃が、異世界で完成する。
世界は一瞬だけ暗くなった。ラシアの元へ月の光が集まったからだ。
爆発音も砂埃もない。静かに、あまりにも静かに、ラシアを中心に光がすべてを飲み込んだ。
音さえも。
……
………………
それから宿に戻るまでの記憶は曖昧だった。
クリスタルリザードの魔石すらほとんどが光に飲み込まれ、固まった水晶の泉の端で、かろうじて数個を回収した。
そして本気でその場から逃げ、宿へ向かう。
走りながら何度も夢なら覚めてと願ったが、現実の方が、いつも一歩速かった。
宿にたどり着くと親父は娘のそばで看病していた。
ラシアは嘘をつく時は本当のことを混ぜるといいと、会社の先輩に教わっていた。それを実行する。
「東の廃坑にクリスタルリザードがいるのは良いんですけど……水晶でできた湖があるなら言ってくれないと場所が分かりにくいですよ」
「何言っているんだ?」
宿の親父が言うが無視して、枕元の棚に持ってきた魔石を置く。
効果は劇的だった。ティアの体から生えていた水晶はゆっくりと消え、逆に魔石が結晶化し始める。
「あ、あんたこれは?」
そこから先は難しくなかった。
ティアには話してもいいが、他の人間には廃坑へ行ったこともクリスタルリザードを倒したことも黙っておくこと。
そして一番重要な条件――部屋まで料理を運ぶことだ。
少し揉めはしたが、おやじの了承を得た。
ティアも助かり、ラシアも万々歳だった。
ただ……水晶の泉は宿泊している冒険者達の間で話題になり、百メートル近い泉は水晶が溶けて固まったものだと騒がれた。
元気になったティアが朝食を運んできて、ラシアと会話する。
「ラシアさん。お父さんから聞きました。本当にありがとうございます」
「いえいえ……というか親父さん、愛娘なら自分でご飯運べよ。私が悪者みたいじゃないか……」
「いえ。私がお父さんに頼んで運ぶようにしたんですよ! これからよろしくお願いします、ラシアさん」
怖い顔のおやじより可愛い子の方がいいかと、ラシアも納得する。
「それはそうとラシアさん! 水晶でできた湖は綺麗でしたか!? 私も見てみたいです!」
「み、見ない方がいいよ……見てしまうと現実を突きつけられるから、夢や想像は綺麗なままで置いておいた方がいいかな?」
「?」
……
掲示板に映る二つの依頼。
白い騎士の捜索。
水晶の泉の調査と解明。
きっとこの記憶も現実ではなく、異世界に来た反動で作られたものだろうとラシアは考え、ダンジョンへ向かった。