名探偵コナン:星の維持者(プレザーバー)と明日への事件録   作:凜々

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第3話:学び舎の春、あるいは赤の守護者

三月、名古屋市内の並木道が薄桃色に染まり始めた頃。

 楠木誠は、自宅の机で通信教育のテキストと格闘していた。

「……『敬語の使い分け』、か。なかなか奥が深いな」

 魔力を用いれば、言語など数秒で脳に定着させられる。だが、誠はそれを良しとしなかった。娘の紬がこれから学校へ通い、悩みながら学んでいくのであれば、親である自分も同じ歩幅で世界を知るべきだと考えていたからだ。

 

「誠、またそんな根を詰めちゃって。魔力を使えば一瞬なのに、君は本当に『人間』をやろうとするんだね」

 窓枠に腰掛けた神代翠が、楽しそうに足を揺らしている。そう言う彼自身、先に現界していたアドバンテージを活かし、今や魔力に頼らずとも語学や日本の一般常識をほぼ完璧にマスターしていた。秘書として金森を支え、誠の子育てを完璧にサポートする彼の姿は、周囲の目には「非の打ち所がない才女(あるいは美青年)」と映っているだろう。

 

三一年前、愛知県の森で紬を拾い、金森彰が「株式会社カルデア」を立ち上げてから六年。

 誠自身の「レベル」も、現界直後の危うい状態からは脱していた。この世界には聖杯戦争のような大掛かりな抗争はない。時折、真夜中の静寂を突いて現れるエネミーの反応を処理する程度だが、地道な自己研鑽と人間社会の知識の吸収は、誠の霊基を確実に底上げしていた。

 

この世界には聖杯もなければ、マスターという縛りも希薄だ。紬が直接呼び出したのは誠(エンキ)だけであり、金森や翠、浅倉たちは皆、理由もわからずこの地に現れた「逸れのサーヴァント」である。本来なら魔力供給がなければ消えゆくはずの彼らが、なぜかマスター不在のまま受肉したかのように存在し続けている。その謎は依然として解けぬままだが、彼らはこの奇妙な猶予を「生」として受け入れ、名古屋の地に根を張りつつあった。

 

会社はまだ、市内に小さな自社ビルを構えたばかりの、従業員数十名の規模だ。しかし、金森の先見性と翠の実務能力、そして浅倉慎が監修する医療特許は、地元の財界で「恐るべき新星」として注目され始めていた。

 

「……パパ、これでお名前合ってる?」

 六歳になった紬が、真新しいランドセルの横で、たどたどしい字で書かれたネームタグを見せてくる。

「ああ、完璧だ。……明日から、いよいよ小学生だな、紬」

 誠がその頭を優しく撫でた、その時だった。

 

リビングの空気が、一瞬にして張り詰める。

 拠点周辺の結界に、明確な霊基反応。敵意はないが、圧倒的な「個」の存在感。

 誠と翠が同時に立ち上がった刹那、扉が静かに開いた。

 

「――やれやれ。英霊を育児の助っ人に呼ぶマスターがどこにいるかと思えば」

 

現れたのは、赤い外套を纏った弓兵だった。

 彼もまた、この地に迷い込んだ「逸れ」の一基。しかしその目は、山積みの教本、散らかった子供の玩具、そして栄養バランスの悪そうな食卓を一瞥すると、深く重いため息をついた。

「かつての星の末端(プレザーバー)に、多忙な創業社長。さらには完璧主義の秘書か。なるほど、君たちの能力配分は極端に過ぎる。この家の生活環境は、戦場よりも劣悪だな」

 

エミヤ。そう名乗るはずの英霊は、なぜか既にこの国の事情に精通しているかのような手際で、誠の手からペンを取り上げた。

「君は勉強に戻れ。翠は子供の相手を。……夕飯は私が作る。このままでは、明日の入学式を前に主(マスター)が栄養失調で倒れかねないからな」

 

呆気にとられる一同を余所に、赤い騎士は台所へと向かう。

「エミヤ、といったか。……すまない、助かる」

「礼なら完食してからにしろ。……ああ、それと金森に伝えておけ。来月から家事代行費を請求するとね。これでも、今のカルデアよりは手頃なはずだ」

 

皮肉げに笑う「赤の守護者」の合流。

 名古屋の小さな拠点に、新たな「家族」と「秩序」が加わった、春の日の出来事であった。

 

 

 

ーーーーーーー

 

夕飯の支度をエミヤ――衛宮守に任せ、誠はリビングのソファで紬を隣に座らせた。

 明日は待ちに待った入学式。しかし、誠の胸中には一つの懸念があった。紬が生まれながらに持つ、底知れぬ魔力だ。現時点での彼女は、いわば安全装置のない魔力炉のようなもの。本人の感情の揺れが、無意識に周囲の電子機器を狂わせたり、霊的な不干渉領域を歪めたりする恐れがあった。

 

「紬、左手を出してごらん」

「……? なあに、パパ」

 不思議そうに差し出された小さな手首。そこへ、キッチンから戻ってきた守が、銀色に輝く細身のブレスレットを置いた。

「これは……」

「私の投影品だ。内部に魔力吸収の術式を編み込んである。君が大人になり、その膨大な生命力に見合うほど魔路が安定するまでの……いわば『重し』だな」

 

守が投影したその武具(あるいは装身具)は、本来なら数時間で霧散する幻想に過ぎない。しかし、誠がその上からそっと手を重ね、自らの権能を注ぎ込む。

「――事象固定(プレザーブ)。この形を、この理を、この世界に定着させる」

 誠の魔力が浸透すると、ブレスレットは微かな熱を帯びた後、実体としての重みを増して紬の手首に馴染んだ。星の維持者による「修復」と「固定」を受けたことで、それはもはや消えることのない、この世界の「本物」へと昇華されたのだ。

 

「わあ……キラキラしてて、可愛い!」

 無邪気に喜ぶ紬の笑顔を見て、守は鼻で笑いながらも、その視線はどこか保護者のそれであった。

「いいか、紬。それはお守りだ。外してはいけないぞ。……誠、お前もだ。教材の山に埋もれて、娘の異変を見逃すような真似はするなよ」

「分かっている。……ありがとう、守」

 

窓の外では、名古屋の夜景が静かに広がっている。

 不安定な魔力を抱えた小さな主(マスター)と、彼女をそれぞれのやり方で守ろうとする英霊たち。

 手首に光る銀の輪は、彼らが紡ぎ始めた新しい「家族」という契約の証でもあった。

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