名探偵コナン:星の維持者(プレザーバー)と明日への事件録 作:凜々
名古屋の街並みが夕闇に包まれる頃、市内の一角にある孤児院『母の家』には、温かな明かりが灯っていた。
「さあ、みんな。夕飯の前に手洗いを忘れないでね」
エプロン姿で子供たちを抱き上げるのは、院長の門田幸恵だ。彼女もまた、数年前にこの地に現れた「逸れ」の一基――ブーディカである。その慈愛に満ちた眼差しと、どんな悩みも包み込むような包容力は、瞬く間に地域住民の心を掴み、今や「名古屋の聖母」として絶大な信頼を寄せられていた。
一方で、名古屋駅前にそびえ立つ『カルデア・メディカルセンター』では、別の「伝説」が刻まれていた。
「衛生こそ救い! 汚物は消毒、病根は切除です!」
叫ぶのは、救急部門を統括する南芳野――ナイチンゲール。彼女の徹底した滅菌管理と、死神さえ追い返すような気迫の治療は、医療関係者を震え上がらせると同時に、絶望的な患者たちを次々と救ってきた。その隣で、冷静にメスを振るうのはハーフの美形医師、シャルル・涼・サンソン。彼の精密機械のような執刀技術は、現代医学の限界を軽々と超え、カルデアの医療的信頼を不動のものにしていた。
そんな「普通じゃない大人たち」に囲まれて育った紬も、今や十一歳。
今日の授業参観には、父である楠木誠と、衛宮守が訪れていた。誠は魔力で「三十代後半の落ち着いた父親」を装い、守もまた「若くして所帯を持った叔父」のような姿に化けている。
「誠、右側の父兄に怪しまれているぞ。視線の鋭さが尋常じゃない。もっとこう、適当に退屈そうな顔をしろ」
守が小声で突っ込む。
「……難しいな。紬の発表を聴き漏らすわけにはいかない」
誠は真剣そのものだが、そのあまりに完璧すぎる姿勢が、かえって周囲から浮き上がっていた。
その日の夜。夕食を終えた楠木家のリビングで、誠は意を決して切り出した。
「紬。……実は、話さなければならないことがある」
誠の隣には守が、そして窓辺には翠(エルキドゥ)が座っている。翠は能力で姿を変えることもなく、月光を浴びて神々しいまでに輝いていた。
「俺たちは、この世界の人間ではないんだ。本当は……かつての神話や歴史に名を刻んだ、『英霊』と呼ばれる存在なんだ」
誠の告白に、リビングに沈黙が流れる。しかし、紬は驚くどころか、少しだけ納得したように頷いた。
「……あ、やっぱり。普通の人間じゃないな、とはずっと思ってたよ」
「気づいていたのか?」
「だって、怪我をしたら浅倉(慎)先生が『死ぬまで死なせん』って不思議な薬をくれるし、南先生は風邪を引いただけで部屋をまるごと滅菌しようとするし。……それに、シャルル先生だって、私が転んで擦りむいた時、まるでものすごい大手術をするみたいに真剣な顔で、一分の狂いもなく綺麗に手当てしてくれたでしょ? あの時から、みんな普通の人間じゃないんだろうな、って思ってたよ」
紬は窓辺に目を向け、ふふ、と笑った。
「それに、翠お兄さんがずっと綺麗なままで、全然年を取らないのが一番不思議だったもん」
紬は翠を見上げ、翠は優しく微笑み返した。
「でも、パパたちが昔の英雄様だなんて、そこまでは分からなかったな。てっきり、魔法使いの一族か何かだと思ってた」
紬は誠の手をそっと握った。
「パパが誰だったとしても、私を森で拾って、お勉強を頑張って、運動会で砂だらけになってくれたパパに変わりはないよ。……だから、そんなに怖そうな顔をしないで」
誠の肩から、すっと力が抜ける。
「そうか。……ありがとう、紬」
「やれやれ。維持者の威厳も、神話の重みも、この子の前では形無しだな」
守が苦笑しながら、デザートのリンゴを差し出した。
名古屋の夜。巨大な企業へと成長したカルデアの傘の下、秘密を共有した「家族」の絆は、より一層深く、確かなものへと紡がれていった。