名探偵コナン:星の維持者(プレザーバー)と明日への事件録   作:凜々

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第6話:知の探究、あるいは聖域の探偵

名古屋市内に広がる広大な『カルデア・エステート』。

 中心にそびえる鏡張りの巨塔『カルデア・タワー』は、今や地元経済の心臓部として鼓動している。その敷地内には、白亜のメディカルセンターや、緑に包まれた孤児院『母の家』が点在し、外部の人間からは「理想的な調和を保つ企業都市」として羨望の眼差しを向けられていた。

 

しかし、その内実を知る者は極めて少ない。

 ここには、人理の歴史を駆け抜けた英霊たちが「人間」として息づいている。

 

「ねえ、守おじさん。この『ケルト神話』の記述なんだけど……」

 夕食後の楠木家のリビング。中学に進学した紬が、分厚い図鑑を広げて衛宮守に問いかけた。

「『赤枝の騎士団』の連中が使っていた投擲槍の射程距離って、実際はどのくらいだったの? 文献だと千里先まで届くとか書いてあるけど」

 キッチンで翌日の仕込みをしていた守は、包丁の手を止めて深く溜息をついた。

「……紬。学校の宿題は終わったのか? そんな野蛮な槍使いの話よりも、他に学ぶべき歴史があるだろう」

「宿題は終わったよ! だって気になるんだもん。身近に本物の『英雄様』たちがいるんだよ? 答え合わせしたくなるのが普通でしょ?」

 

紬は目を輝かせて、隣のソファで優雅にワイングラスを傾けていた金森彰(ギルガメッシュ)の方へ向き直った。

「彰さんは? 『死を克服する草』を探しに行った時、本当にヘビに食べられちゃったの?」

 金森の眉間がぴくりと動く。外部の人間に対しては冷徹な会長として振る舞う彼だが、内部の人間――特に、彼がその成長を見守ってきた紬に対しては、王としての威厳を保ちつつもどこか寛容だった。

「……雑種め。よもや己が養父の知人に、そのような失態を問うとはな。あれは蛇という種が持つ狡猾さを余が試してやったに過ぎん。草の一本や二本、余の財宝の前では塵に等しいわ」

「あはは、やっぱり本当だったんだ!」

 ケラケラと笑う紬の横で、窓辺の月光を浴びていた翠(エルキドゥ)がクスクスと笑い声を漏らす。

「彰、図星を突かれて顔が強張っているよ。紬、彼はああ言っているけど、当時はかなり落ち込んでいたんだ。その話はまた今度、僕が詳しくしてあげるね」

「翠! 余の庭で勝手なことを宣うなと言ったはずだぞ!」

 

楠木誠は、その賑やかな光景を温かな眼差しで見つめていた。

 紬が自分たちの正体を知った後、彼女は恐れるどころか、猛烈な勢いで世界の神話や史実を学び始めた。彼女にとって、この家で一緒にご飯を食べる「パパ」や「おじさん」たちが、どんな星を背負い、どんな終わりを迎えたのかを知ることは、家族のアルバムをめくるのと同じくらい大切な儀式なのだ。

 

「――さて。紬、翠、彰。少し真面目な話をしてもいいか」

 誠が居住まいを正すと、室内の空気がふっと引き締まった。

 金森はグラスを置き、誠を見つめる。

「以前、彰から話があった『カルデア総合探偵事務所』の件だ。……俺は、その所長を引き受けようと思う」

 

一瞬の沈黙の後、守が腕を組んで分析を始めた。

「探偵か。お前の『事象固定(プレザーブ)』の権能は、事件現場の保存や修復にはこの上なく向いている。何より、お前のその無闇に誠実な気質は、迷える依頼人にとっては救いになるだろうな。事務や証拠品の管理は私がバックアップする。お前は現場に集中しろ」

「守……。やはり、お前に苦労をかけるな」

「今更だ。お前が現場で魔力を使って物理法則を書き換えすぎないよう、私が監視役を兼ねる必要があるからな」

 

誠は視線を金森に向けた。

「彰、お前の言う通りだ。千里眼で見える『綻び』、そして現場で得られる伝手は、将来的にカルデアがこの世界で安定して存続するための楔になるだろう」

 外部の人間がいれば敬語を使うが、今は家族だけの場だ。対等な戦友として、誠は金森の提案を受け入れた。

「フン、ようやく決心がついたか。貴様のような堅物が、雑種どもの汚泥に塗れた秘密をどう捌くか、見ものだな」

 

しかし、誠にはまだ迷いがあった。

「……だが、紬。パパが外の仕事に本腰を入れるとなると、今までのように毎日学校の帰りを出迎えたり、一緒に過ごす時間が少し減るかもしれない。君のことが、やはり心配なんだ」

 

紬は、本を閉じて誠の前に歩み寄った。

 そして、誠の大きな手を両手でしっかりと包み込み、真っ直ぐにその瞳を見つめた。

「パパ。私、もう中学生だよ。パパに教わった通り、自分でお料理もできるし、守おじさんや翠お兄さんがここにいてくれる。全然寂しくないよ」

 紬の瞳には、かつての幼い面影を残しつつも、歴史を学び「世界の広さ」を知り始めた者の知性が宿っていた。

「パパは、ずっと私を一番にして守ってくれた。……でもね、私を拾って、ここまで育ててくれたパパは、私の誇りなの。そんなパパが、今度は外の、誰にも助けてもらえない人を助けるところを見てみたい」

 

紬は優しく微笑み、言葉を継いだ。

「私、ここでパパの帰りを待ってる。パパの自慢の娘でいられるように、私も頑張るから。……だからパパ、やりたいことをやって。探偵さんのパパ、きっと最高に格好いいよ!」

 

娘の真っ直ぐな背中押しに、誠の迷いは完全に消えた。

「……そうか。ありがとう、紬。俺、頑張るよ」

 

数日後。

 カルデア・エステートの敷地内、本社の足元に位置するレンガ造りの別棟。

 誠は黒のジャケットに落ち着いた色合いのチノパンという、清潔感のあるオフィスカジュアルな装いで、新しく掲げられた看板を見上げた。

『カルデア総合探偵事務所』

 

カチリ、と扉を開ける。室内は守の手によって、クラシカルな木製の家具と最新の通信設備が整えられた機能的なオフィスへと変貌していた。

 デスクの上の花瓶には、紬が「事務所のお祝いに」と選んだガーベラが一輪、鮮やかに咲いている。

 

「所長。最初の一歩だ。まずはその重厚な椅子に座って、依頼人が来るのを待つことだな」

 守の皮肉混じりの激励に、誠は小さく微笑んで席に着いた。

 

 




原作の物語が動き出すには、まだ長い猶予がある。
 
だが、楠木誠が「探偵」という役割を背負い、社会の綻びを直し始めたこの瞬間。
カルデアという聖域は、静かに外の世界へとその扉を開いた。
星の維持者にして、紬の父、そして探偵・楠木誠。
彼の新しい人生が、名古屋の青い空の下で、今、幕を開けたのである。
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