2026年、夏の陽射しがコンクリートの路面を白く焼く午後。
墨東署交通課の駐車場に、相変わらずの二台のミニパトが並んでいた。
一台は、昭和60年発売のホンダ・トゥデイ(JW1型)前期型をベースにした、あの伝説の逮捕カー。白黒のボディに、普通車用の大きな散光式警光灯を屋根にドカンと載せ、フロントグリルには旭日章が輝いている。エンジンはE07A型をベースにDOHC化、700ccまでボアアップされ、インタークーラーターボとニトロ噴射装置をぶち込んだ怪物仕様。ホイールはRAYS Volk Racing TE37の白13インチ、タイヤはADVAN NEOVA。フロントにはAlconの4ポットキャリパーに逆スリットローターが食い込み、助手席ダッシュボードにはNEC・PC-9801が鎮座している。
もう一台はスバル・R1をベースにした最新の電動ハイブリッドミニパト。東京湾岸署行きのはずだったフルチューン仕様が、なぜかここに流れ着いていた。その横で、辻本夏実は両手を腰に当て、仁王立ちになっていた。
54歳。ショートカットだった髪は肩まで伸び、ところどころに白いものが混じり始めている。それでも体型は相変わらず引き締まり、巡査部長の制服がピッタリと張り付いていた。怪力は衰えるどころか、「経験値が加わった分だけヤバくなった」と署内で恐れられるレベルだ。
「美幸ー! 早くしろってば! 今日の違反取り締まり、午後から本気モードなんだから!」
声は昔とほとんど変わらない。豪快で、猪突猛進で、聞くだけで腹の底が震える。
運転席から顔を出した小早川美幸は、眼鏡の奥でため息をついた。
54歳。おさげ髪は綺麗にまとめられ、制服の下には相変わらずのメカ好きオタク魂が燃えている。最近は「無線より量子通信の方が安定するわよね」と署内のネットワークを勝手に改造して、上層部を青ざめさせていた。
「ちょっと待って。新型のAI違反検知システムがまたバグってるのよ。夏実の運転記録を『危険運転レベルS』って勝手に判定しちゃって……」
二人は今も相変わらず同居を続けている。墨東区のあのマンションは、近所で「伝説の婦警コンビの隠れ家」と呼ばれ、大家さんは「もう家賃上げられないよ……」と半ば諦め顔だ。
そこへ、ゆっくりと歩いてくる白髪交じりの男性がいた。中嶋剣。警部補から警部に昇進し、定年まであと少し。今も夏実と美幸の「兄貴分」であり、時々は「被害者」でもある。
「辻本、お前らまだ現役か。俺なんかもう腰が……」
「中嶋! 相変わらずカッコつけてるわね!」
夏実が豪快に笑いながら、中嶋の肩をバシンと叩く。
昔なら吹っ飛んでいた中嶋も、今は耐性がついたのか、ただ少しよろけるだけになった。美幸が微笑みながら言った。
「中嶋君、今日もランチ一緒にどう? 夏実が『またあのラーメン屋行きたい』ってうるさくて」
中嶋は苦笑いしながら、ポケットから小さな箱を取り出した。
「実は……今日、改めて言おうと思ってたんだが」
箱を開けると、中にシンプルな結婚指輪が一つ輝いていた。
「20年前の夢じゃなくて、今度こそ本気で。美幸、俺と……」
その瞬間、夏実の目がギラリと光った。
「ちょっと待ったぁぁぁ! 中嶋、まだその話生きてたの!? 美幸は私の相棒なんだから、勝手に連れてかないでよね!」
美幸は顔を真っ赤にしながら、でもどこか嬉しそうに眼鏡を押し上げた。
「夏実……あなた、相変わらず猪突猛進ね。でも、いいわ。私も……そろそろ本気で考えてる」
そこへ、若い女性巡査が一台の最新型パトカーを運転して入ってきた。
佐賀沙織の娘・佐賀あかり(22歳)。母譲りのクールビューティーで、サイバー犯罪対策室から交通課にヘルプに来ている。
「あの……辻本先輩、小早川先輩。違反車両が逃走中です。速度200キロ超えの自動運転ハック車両だって」
夏実と美幸は同時に顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
「よし、美幸! フルスロットルで行くわよ!」
「了解。夏実、今日は私の新型ブースター使ってあげる。出力150%で」
二人はトゥデイのミニパトに飛び乗った。美幸が運転席、夏実が助手席。エンジンが咆哮を上げ、ターボが唸り、ニトロの準備完了ランプが点滅する。
サイレンを鳴らして、昭和の香りを残したトゥデイは、2026年の東京の街へ飛び出していった。
後ろでは、中嶋が呆然と立ち尽くし、指輪の箱をまだ開けたままだった。
墨東署は今日も平和ではなかった。
墨東署の駐車場を飛び出したトゥデイは、まるでタイムスリップしたような白黒のボディを陽光に輝かせながら、猛烈な加速で墨田区の街路へ躍り出た。
美幸がハンドルを握り、夏実が助手席でシートベルトをガチャンと締めながら叫ぶ。
「美幸! AIのバグはどうなったのよ! まだ私の記録を危険運転レベルSとか言ってるんじゃないでしょうね!」
「バグは一時的にバイパスしたわ。……でも、夏実の過去データを見ると、レベルSどころかレベルEXまで跳ね上がってるから、正直言ってシステムの判断は間違ってないかも」「はぁ!? あたしはただ全力で正義を執行してるだけよ!」
エンジンルームではE07A型がDOHC化され、700ccまでボアアップされた怪物が唸りを上げている。
ターボがブォンと吹け上がり、ニトロ噴射装置の準備ランプが赤く点滅を始めた。
RAYS Volk Racing TE37の白い13インチホイールが路面を掴み、ADVAN NEOVAタイヤが熱を帯びていく。
助手席のダッシュボードに鎮座するNEC・PC-9801の画面には、量子通信で繋がった美幸のポケコンがリアルタイムで違反車両の位置を吐き出していた。
「目標車両、自動運転ハック仕様の新型セダン。速度現在220キロ超え。墨田川沿いの産業道路を北上中よ。ハッキング痕跡からすると、サイバー犯罪グループの仕業ね」
「よし! あたしが足ブレーキで止めてやる!」
夏実がドアを開けようとするのを、美幸が素早く左手で制した。
「待って! 今日は私の新型ブースターを使ってあげる。出力150%でいくわ。……夏実、ちゃんとシートに張り付いてて。でないとまた官給品の靴が犠牲になるから」
「了解! でも美幸、飛ばしすぎたらあたしがドアから足出して補助するわよ!」
ミニパトは信号を無視して右折、タイヤをキィィィッと鳴らしながら墨田川沿いの道路へ滑り込んだ。
散光式の大きな警光灯が激しく回転し、サイレンが街に響き渡る。
後方では、スバル・R1のハイブリッドミニパトが遅れて発進しようとしていたが、すでにトゥデイの加速に置いていかれていた。
「美幸、左の路地からショートカットできるわ! あそこを突っ切れば産業道路に先回りよ!」
「了解。……夏実、ニトロ準備!」
夏実がダッシュボードの赤いボタンに指を伸ばす。
ニトロ噴射装置が作動し、エンジンが一瞬で爆発的なパワーを放出した。
トゥデイの車体がグンと前へ跳ね、0-100km/hをわずか数秒で駆け抜ける。
フロントのAlcon 4ポットキャリパーが逆スリットローターを強く握りしめ、カーブでも安定した姿勢を保つ。
前方に、黒いセダンが見えた。
自動運転システムをハックされ、暴走を続けている。
セダンの後部には不自然に張り付いた外部デバイスが光っていた。
「見つけたわ! あれよ!」
「美幸、横に並んで! あたしが飛び移って止めてやる!」
「ダメ! そんな無茶なこと……って、夏実!?」
夏実がすでにシートベルトを外し、ドアを開けようと身を乗り出していた。
54歳とは思えない俊敏さで、走行中のトゥデイのドアから片足を地面に突き出し、「足ブレーキ」の構えを取る。
官給品の靴が路面に擦れ、煙を上げ始めた。
「夏実、危ないってば! 私はブースター全開で並走するから、ちゃんとタイミング合わせて!」
美幸が眼鏡を押し上げ、冷静に――いや、どこか楽しげに――アクセルを踏み込む。
トゥデイのツインエンジン仕様(かつて大破した車体に無事だったエンジンを後部に搭載した伝説の4WD構成の記憶が、美幸の脳裏をよぎった)ではないものの、現在のチューンはそれに匹敵する狂気のパワーを発揮していた。
二台の車が並走する。夏実が叫ぶ。
「うおおおおぉぉぉ!」
その瞬間、セダンのハックデバイスに美幸のPC-9801から送られた緊急停止信号が突き刺さった。
セダンが急減速を始め、夏実の足が地面を強く踏ん張る。
トゥデイのブレーキと夏実の「足ブレーキ」が同時に働き、黒いセダンは白煙を上げながら停止した。
夏実がセダンのドアをガバッと開け、中のドライバー(というよりハックされたAI制御下の無人車両)を引きずり出す。
「違反車両、拿捕完了! 速度超過、自動運転不正改造、道路交通法違反で逮捕しちゃうわよ!」
美幸がトゥデイから降りてきて、眼鏡の奥で小さく微笑んだ。
「夏実……相変わらず猪突猛進ね。でも、今日も最高の相棒よ」
二人が拳を合わせたそのとき、後方からようやく追いついてきたスバル・R1のミニパトから、佐賀あかりが顔を出した。
「……先輩方、相変わらず無茶苦茶です。でも、すごいです」
夏実が豪快に笑い、夏実の肩をバシンと叩いた(あかりは少しよろけた)。
「これが墨東署交通課のフルスロットルよ! あかりちゃんも早く慣れなさい!」
美幸がため息をつきながらも、嬉しそうにトゥデイのボンネットを撫でた。
「さて、帰ったらこの子の足回りをもう少し見直さないと……ショックアブソーバーのセッティングがまだ甘いわね」
駐車場に戻ると、中嶋がまだ指輪の箱を持ったまま、呆然と立っていた。
「美幸……俺の話、まだ生きてるよな?」
夏実はニヤリと笑い、美幸の肩を抱き寄せた。
「中嶋、悪いけど美幸は今日もあたしと一緒に走るわよ! 結婚とかは……逮捕が終わってから考えてよね!」
美幸が顔を赤らめながらも、眼鏡を押し上げて小さく頷いた。
「ええ……でも、そろそろ本気で考えてるわ。中嶋君」
2026年の墨東署は、今日も平和ではなかった。
昭和の香りを残したトゥデイのエンジンが、まだ熱を帯びてクールダウンしている。
二人の婦警は、まだまだ走り続ける。
フルスロットルで、逮捕しちゃうぞ――!
墨東の伝説は、令和の時代になっても、まったく色褪せていなかった。