2026年、夏の午後。
墨田区のいつもの巡回ルートを、トゥデイ(JW1型)がのんびりと走っていた。
美幸がハンドルを握り、夏実が助手席でファミマのアイスコーヒーをすすっている。
屋根の大きな散光式警光灯が陽光を反射し、白いTE37が軽やかに路面を転がっていた。
すると、路肩に停まっていた派手なシルバーのS15シルビア spec-Rの横で、二人の男が手を振ってきた。
デブとメガネ——いわゆる「東京から来た二人」だった。
デブがニヤニヤしながら近づいてきて、声をかけた。
「やあ、婦警さん。君らは走り屋かな?」
美幸は窓を少し下げ、眼鏡の奥で冷静に答えた。
「ただの婦人警官よ(……S15シルビア spec-R……ターボに社外マフラー、足回りもかなり弄ってるわね)」
デブは満足げに頷きながら続けた。
「ふーん、まあいいや。オレたち、渋川にあるDガレージっていうレーシングカフェに向かうところだけど、ホームページ見ただけで凄いクルマを揃ってるねえ」
メガネが眼鏡を押し上げながら相槌を打った。
「そうそう、ショボいクルマだけだと思ったよ」
デブはさらに身を乗り出し、トゥデイを指差して目を輝かせた。
「だからそれっぽいクルマを見かけたらつい嬉しくなっちゃってさ。どれどれ、ちょっと見せてくれるー?」
美幸がゆっくりとトゥデイを路肩に寄せ、停車させた。
デブはトゥデイの周りをぐるりと回り、ボディを眺めながら——―――突然、顔をしかめてディスり始めた。
「え? トゥデイなの!? これ?こんなのによく乗るねえ。そもそも峠を走るクルマじゃないでしょ。軽自動車のミニパトがどうこうって……笑えるわ。ホイールはTE37履いてるけど、中身は昭和のままじゃん。こんなショボい軽で走り屋気取り?マジで草」
メガネも眼鏡を光らせながら、追従するように笑った。
「確かに。ニトロ積んでるって本気で言ってるの?この年代のトゥデイで峠攻めるなんて、自殺行為だよ。くすくす」
夏実は助手席のドアを勢いよく開け、仁王立ちになった。
「はぁ? 今、なんて言った?」
美幸は眼鏡をゆっくり押し上げ、静かに、しかしはっきりと言った。
「……面白いことを言ってくれるわね。この子はただの昭和の軽じゃない。20年以上、私と夏実の相棒として走り続けてきた、墨東署の伝説よ。あなたたちのような『それっぽいクルマ』しか見えない人に、この子の価値がわかるはずもないわ」
そのとき——低く野太いターボの唸りが近づいてきた。
ピレネーブラックのランサーエボリューションⅢが、優雅にカーブを曲がって現れる。
運転席から降りてきたハリエットが、黄金色の瞳で状況を一瞬で見抜き、涼しい顔で言った。
「美幸さん、それに夏実さんも。巡回中ですか?(ピレネーブラックのエボⅢで来たのが正解でした)」
美幸は軽く微笑んだ。
「ええ、あなたは?」
デブはハリエットとエボⅢを見て目を剥いた。
「何? このメイド……ん?」
メガネも眼鏡を押し上げて固まった。
「どうしたの?」
デブが突然大声を上げた。
「出た!! 峠の王者、ランエボ!!」
メガネが興奮して叫んだ。
「本気度たけーーーーーっ!」
デブがさらにテンションを上げた。
「やる気だけ満々ー!みたいな?」
メガネがエボⅢを上から下まで眺めながら、ニヤニヤした。
「でも、ホント。派手で下品なフロントマスクにリアスポイラーだよねぇ」
デブが笑いながら続けた。
「で? ドライビングの時に目に入るのが普通のランサーと同じメーター周りって、それギャグ? ぷぷぷ」
メガネが肩をすくめて言った。
「そんなこと言っちゃ悪いよ。本人気にしてるみたいだし。くすくす」
その瞬間、ハリエットの黄金色の瞳が冷たく細くなった。
「そっちこそ、S15乗ってるなんて勘弁して欲しいですよ」
そこへ、紫色の髪を揺らしたケイトがエボⅣから降りてきて、明るく、しかし容赦なく言った。
「峠でイケてない奴がS15に乗ってると、乗ってるドライバーまで同類に思われちゃいますよ」
ハリエットがさらに追い打ちをかけた。
「言っちゃ悪いですが、私と美幸さん、ドロテア様とじゃ見た目もテクニックも全然レベルが違うと思いますよ」
ケイトがくすくす笑いながら、最後に可愛らしく締めくくった。
「そんなこと言っちゃダメだよ、ハリィちゃん。本気にしてるみたいだし……くすくす」
デブとメガネは一瞬で言葉を失い、顔を真っ赤にした。
夏実はトゥデイの横で腹を抱えて大笑いした。
「はははっ! やられたな、東京から来た二人!エボ軍団にディスられるとは、運が悪かったな!あんた達」
美幸は眼鏡を押し上げ、静かに微笑んだ。
「ふふ……今日の巡回は、思ったより刺激的になったわね」
ハリエットはピレネーブラックのエボⅢに寄りかかり、優雅に髪を払った。
「この程度のディスで動揺するようでは、まだまだですね。……美幸さん、夏実さん。続きの巡回、お手伝いしましょうか?」
トゥデイの横で、ピレネーブラックのエボⅢが低く唸りを上げた。
デブはS15のドアを勢いよく閉め、胸を張って叫んだ。
「フン、ボクのスーパーテクニックを見せてやるよ!このS15で正丸峠をぶっ飛ばしてやるから、ちゃんとついてこいよな!」
美幸は眼鏡をゆっくり押し上げ、静かに、しかし自信たっぷりに微笑んだ。
「私達のコンビネーションもしっかり見ておきなさい。痺れるわよ?」
夏実はトゥデイの助手席から勢いよく身を乗り出し、豪快に笑った。
「ははっ! 上等じゃない! 東京から来た二人さん、覚悟しなさい!あたしたちのフルスロットルは、ただの軽じゃないんだからね!」
デブはS15のエンジンを高らかに吹かし、ニヤニヤしながらアクセルを煽った。
「軽自動車のミニパトが何を言ってるんだよ。峠でS15に勝てると思ってんのか? 笑わせんな!」
メガネも助手席から顔を出して、眼鏡を光らせながら笑った。
「そうだそうだ! ショボいトゥデイでついてこれるなら、なんでもしてやるよ!」
そのとき——低く野太いターボの唸りが後方から響き、ピレネーブラックのエボⅢが優雅に滑り込んできた。
ハリエットが黄金色の瞳で状況を一瞬で見抜いた。
「美幸さん、夏実さん。どうやらまた面白いことになりましたね」
続いてケイトも紫色の髪を揺らしながら明るく言った。
「わー、S15とトゥデイの勝負? 私たちも混ぜてよ!」
デブはエボⅢを見て再び目を剥いた。
「またランエボかよ! ……ったく、今日はメイド軍団の日か?」
美幸はトゥデイのエンジンを軽く吹かし、静かに宣言した。
「では、行きましょうか。正丸峠まで、みんなでフルスロットル。あなたたちの『スーパーテクニック』と、私たちのコンビネーション……どちらが本物か、しっかり見せてもらいましょう」
夏実はニトロの赤いボタンに指を這わせ、ニヤリと笑った。
「よし! 美幸、行くわよ!デブさん、メガネさん、置いていかれるなよ!逮捕しちゃうぞ……って、今回は走り屋のプライドも一緒にね!」
ハリエットは涼しい顔で言った。
「ふふ……楽しみですね。ショボい軽だと言っていたトゥデイが、どこまで食らいついてくるか……しっかり見せていただきます」
S15のエンジンが高らかに咆哮し、トゥデイのターボが低く唸りを上げ、ピレネーブラックのエボⅢが野太いターボ音を響かせた。
墨田区の街路から正丸峠へ向かう道のりは、今日も熱く、激しく、笑いに満ちたフルスロットルのバトルが始まろうとしていた。
美幸はハンドルを握り、静かに微笑んだ。
「さあ、行きましょう。この子の本当の価値……たっぷり見せてあげるわ」
墨田区から正丸峠へ向かうワインディングロードの入り口。
エンジンの唸りが一斉に高まった。
デブのS15シルビア spec-Rが先頭に立ち、甲高いターボ音を響かせながらアクセルを踏み込んだ。
「フン! 見てろよ! ボクのスーパーテクニックを!」
S15がタイヤを鳴らして急発進し、最初のコーナーへ飛び込んでいく。
そのすぐ後ろから、美幸のトゥデイが静かに、しかし確実に加速した。
美幸は眼鏡の奥で冷静に前を見据え、静かに言った。
「夏実、行くわよ」
夏実はニトロの赤いボタンに指をかけ、ニヤリと笑った。
「了解! フルスロットルでぶっ飛ばすわよ!」
トゥデイのE07Aエンジンが低く唸り、ターボがブォンと吹け上がる。
RAYS TE37の白いホイールが路面を強く掴み、ADVAN NEOVAが熱を帯び始めた。
さらに後方から、ピレネーブラックのエボⅢが低く野太いターボ音を響かせて追走してきた。
ハリエットが黄金色の瞳を輝かせながら、無線越しに言った。
「美幸さん、夏実さん。しっかりついていきますよ」
ケイトのエボⅣも紫色の髪を揺らしながら、明るく叫んだ。
「私も行くよー! みんなで正丸峠制覇だ!」
最初の右コーナー。S15がインを攻め、派手なラインで曲がっていく。
しかし、次の瞬間——トゥデイが驚異的な安定感でS15のインに食らいつき、Alcon 4ポットブレーキが逆スリットローターを強く握りしめた。
美幸の声が静かに響く。
「この子の軽さ……侮らないでね」
夏実がドアを少し開け、いつもの「足ブレーキ」の構えを取りながら笑った。
「―――軽自動車のミニパトが、どこまでついてこれるか見てなさい!」
S15のデブがミラー越しに驚いた声を上げた。
「なっ……!? 軽のくせに、めっちゃついてくるじゃねえか!」
メガネが慌てて叫んだ。
「も、もっと飛ばせ! あんな昭和のオモチャに負けるんじゃねえぞ!」
二台が激しく並走する中、ハリエットのエボⅢがバックファイアを派手に吹き上げながら、見事なカウンターステアで二人を追い抜いた。
ハリエットが涼しい声で言った。
「ふふ……まだまだですね。この程度のテクニックで『スーパーテクニック』とは、笑わせてくれます」
デブの顔が引きつった。
「くそっ……ランエボまで本気出してんのかよ!」
トゥデイの助手席で夏実が拳を握りしめ、叫んだ。「美幸!この二人に、墨東署婦警コンビのコンビネーションをたっぷり見せてやりましょう!」
美幸は静かにアクセルを踏み込み、眼鏡の奥で微笑んだ。
「ええ……痺れるわよ?」
正丸峠のワインディングに、S15の甲高いターボ音、トゥデイの低く野太い唸り、そしてエボⅢの迫力あるバックファイアが重なり合った。
デブとメガネの「スーパーテクニック」と墨東署の伝説のコンビのフルスロットルバトルが今、本格的に始まった。
正丸峠の急な左コーナー手前。
デブのS15シルビア spec-Rが、突然スピードを落とさずにコーナーに突っ込もうとした。デブはハンドルを握りしめ、気合いを込めて叫んだ。
「よし、ここからが集中だ」
メガネが助手席で興奮気味に身を乗り出した。
「やる気だね? アレを」
デブは前を見据えたまま、低く唸るように繰り返した。
「やるさ……集中だ。集中」
――――――次の瞬間、デブが大声を上げた。
「今だ! 必殺技『超絶ウルトラスーパーレイトブレーキング』!!」
S15のブレーキランプが一瞬で点灯し、タイヤがキィィィィッ! と激しく鳴りながら、遅すぎるタイミングで急ブレーキを掛けた。
しかし——その「超絶ウルトラスーパーレイトブレーキング」は、完全に失敗だった。S15のノーズが大きくアウト側に膨らみ、リアが不安定にスライドし始める。
デブが慌ててカウンターステアを当てようとするが、タイミングが遅すぎて車体が大きく乱れた。
「うわっ、うわあああ!?」
その直後——美幸のトゥデイが、驚異的な安定感でS15のイン側にぴたりと食らいついた。美幸は眼鏡の奥で冷静に前を見据え、静かに言った。
「遅いわ……そのブレーキング」
夏実は助手席でドアを半分開け、怪力の「足ブレーキ」体勢を取りながら豪快に笑った。「はははっ! 『超絶ウルトラスーパーレイトブレーキング』だって?名前だけは立派だけど、タイミングが遅すぎて笑えるわよ!」
トゥデイはAlcon 4ポットキャリパーが逆スリットローターを強く握りしめ、軽量ボディを活かしたキレのあるラインでS15をインから抜き去った。
美幸が静かに、しかしはっきりと言った。
「私たちのコンビネーション……しっかり見ておきなさい」
その瞬間、トゥデイの助手席から夏実が叫んだ。
「足ブレーキいくよ!」
夏実がドアから片足を地面に突き出し、官給品の靴で路面を強く踏ん張る。
トゥデイの車体がわずかに安定し、次のコーナーを完璧なラインで駆け抜けた。
後方からハリエットのピレネーブラック・エボⅢがバックファイアを派手に吹き上げながら追い上げてきた。
ハリエットが黄金色の瞳を輝かせ、無線越しに言った。
「ふふ……遅すぎるブレーキングなど、ただの自爆です。美幸さん、夏実さん。続きをどうぞ」
デブはS15を必死に立て直しながら、顔を真っ赤にして叫んだ。
「くそっ……なんで軽がこんなに速いんだよ!?しかもあの足ブレーキって何だよ! 反則だろ!」
メガネが慌てて叫んだ。
「息が乱れてるぞ! 集中! 集中だ!」
しかし、すでにトゥデイはS15を大きく引き離し始めていた。
夏実はドアから身を乗り出し、豪快に笑いながら叫んだ。
「どうだ! 昭和の軽ミニパトのフルスロットル、味わったか!?あんたらの『スーパーテクニック』より、こっちのコンビネーションのほうが痺れるでしょ!?」
美幸はハンドルを握ったまま、静かに微笑んだ。
「まだ序盤よ。これからが本番……しっかりついてきなさい」
正丸峠のワインディングに、トゥデイの低く力強いエンジン音と、S15の慌てたブレーキング音が響き渡った。
デブとメガネの「必殺技」は、開始早々で完全に破綻していた。
美幸が小さく呟いた。
「ふふ……痺れたかしら?」
正丸峠の長いワインディングを駆け上がった先、山頂手前の広いヘアピンカーブ。
デブのS15シルビア spec-Rは、すでに息切れを起こしていた。
「くそっ……なんでだよ! 軽のくせに……!」
デブは必死にステアリングを切り、遅すぎるブレーキングを繰り返していたが、すでにラインは乱れ、タイヤは悲鳴を上げていた。
そのすぐ後ろを、トゥデイが驚異的な安定感で追走していた。
美幸は眼鏡の奥で冷静に前を見据え、静かにアクセルをコントロールしている。
夏実は助手席でドアを半分開け、片足を地面に突き出して「足ブレーキ」を補助しながら、豪快に笑っていた。
「はははっ! どうしたの? 『超絶ウルトラスーパーレイトブレーキング』はもう使えないのかしら!?」
トゥデイのE07Aエンジンが低く咆哮し、ターボがブォンと吹け上がるたびに、S15を引き離していく。
そして——最後の急な右ヘアピン。
デブが「今だ!」と叫んで、再び遅いブレーキングを試みた瞬間、S15のリアが完全に滑り、大きくスピンした。
「うわああああっ!?」
S15は派手な白煙を上げながら、路肩のガードレールに軽く接触して停止した。
その直後——トゥデイが完璧なラインでS15をインから抜き去り、ピレネーブラックのエボⅢ(ハリエット)がバックファイアを派手に吹き上げながら、優雅に追い抜いていった。トゥデイがS15の横に停車する。
夏実はドアから降り立ち、仁王立ちになって豪快に笑った。
「はははっ! 決着ね!あんたらの『スーパーテクニック』、残念ながらショボかったわよ!」
デブはS15から降りてきて、頭を抱えながら地面に膝をついた。
「う……うそだろ……軽に……ミニパトに負けるなんて……」
メガネも助手席から降りてきて、眼鏡をずらしながら呆然と呟いた。
「マジかよ……あのショボい軽が……S15を……」
美幸はトゥデイからゆっくり降り、眼鏡を押し上げながら静かに言った。
「言った筈よ。この子は、ただの昭和の軽じゃないわ。20年以上、私と夏実の相棒として、数え切れないほどの峠と首都高を走り続けてきた、墨東署の伝説よ。あなたたちが『ショボい』と言ったこの軽が、今日もちゃんと勝った……それが現実よ」
ハリエットがピレネーブラックのエボⅢから降りてきて、黄金色の瞳でデブたちを見下ろした。
「ふふ……『超絶ウルトラスーパーレイトブレーキング』?名前だけは立派でしたけど、タイミングが遅すぎて自爆でしたね。ぷぷぷ」
ケイトもエボⅣから降りて、紫色の髪を揺らしながらくすくす笑った。
「S15で勝負して、あのブレーキングじゃ……ちょっと可哀想かも」
夏実はデブの肩を軽く叩き(力加減はかなり優しかった)、ニヤリと笑った。
「まあ、いい勉強になったでしょ?軽自動車のミニパトを舐めると、痛い目を見るってことをね!」
デブは地面に座り込んだまま、ぼんやりとトゥデイを見つめていた。
「……マジで……あのトゥデイ、強すぎだろ……」
美幸はトゥデイのボンネットを優しく撫でながら、静かに微笑んだ。
「この子はね……ただ速いだけじゃないの。私たちと一緒に走り続けてきた、相棒よ。
その絆の分だけ、強くなってるの」
夏実は拳を握りしめ、豪快に叫んだ。
「よし! バトル終了!勝者、墨東署婦警コンビ&トゥデイ!負けた二人は……まあ、Dガレージで反省会でもしてなさいよね!」
ハリエットがくすくす笑いながら、最後に一言。
「またいつでも挑戦してきていいですよ。ただし……次も同じ結果になると思いますけどね」
正丸峠の山頂に、トゥデイのエンジンが低く満足げな唸りを上げた。
デブとメガネは、完全に脱力して地面に座り込んでいた。
2026年の正丸峠は、今日も平和ではなかった。
でも、それでいい。
昭和の伝説であるトゥデイは、今日もちゃんと勝った。
夏実はトゥデイのボンネットをバシンと叩き、笑顔で叫んだ。
「よし! 帰ったらファミマで祝勝会だ!トゥデイ、今日も最高だったな!」
美幸は眼鏡の奥で優しく微笑みながら、静かに頷いた。
「……ええ。本当に、最高の相棒よ」
バトルの結果は——――完璧な墨東署婦警コンビの勝利だった。
正丸峠の山頂駐車場は、エンジンの熱気がまだ残る中、穏やかなオレンジ色の光に包まれていた。
バトルが終わり、S15のデブとメガネがしょんぼりしている横で、みんなが少し休憩を取っていた。
ハリエットはピレネーブラックのエボⅢに優雅に寄りかかり、黄金色の瞳を細めて美幸を見つめた。
「美幸さんは、中嶋さんの事が好きなんですか?好きなら早く結ばれればいいのに」
突然の質問に、美幸はコーヒーカップを口に運ぼうとした手を止め、眼鏡の奥でわずかに目を泳がせた。
「え? まあ……中嶋君とは長い付き合いだけど……事実婚というか……」
その言葉に、夏実が隣でアイスコーヒーを吹き出しそうになりながら、慌てて割り込んだ。
「ハリエットちゃん、現実は上手くいかないのよ!あいつ、奥手すぎて20年以上も煮え切らないんだから!」
ハリエットは三つ編みを指で軽く弄びながら、くすくすと笑った。
「愛の形はそれぞれですが、真木よう子さんみたいにはならないでくださいね。あの人は確かにいい役者さんですが、実生活は……」
美幸は眼鏡をくいっと押し上げ、頰を少し赤らめながら小さくため息をついた。
「ちょっと、ハリエット……いきなり核心を突いてくるわね。確かに中嶋君とは、警察学校の頃からずっと……でも、あの人は本当に鈍感で、プロポーズらしいプロポーズもまだなのよ。30年近く経ってるのに、まだ『俺はバイク派だから……』とか言って誤魔化してるんだから」
夏実はトゥデイのボンネットに腰をかけ、豪快に笑いながら手を振った。
「はははっ! そうそう!あいつ、昔から『白き鷹』とかカッコつけてるくせに、美幸の前になると急に小さくなるんだよねえ。あたしなんか、ずっと横で見ててイライラするわ!『結婚するなら早くしろ!』って何回言ったかわからないのに、まだ指輪一つ渡せないんだから!」
ハリエットは黄金色の瞳を細め、優雅に首を傾げた。
「ふふ……事実婚というのも、なかなかロマンチックですけど、いつまでも曖昧な関係のままでは、真木よう子さんのような複雑な人生にならないとも限りませんよ?美幸さんは、もっと積極的に押した方がいいと思います。例えば……今夜あたり、中嶋さんのバイクの後ろに乗って『結婚しなさい』って宣言するとか」
美幸は顔を真っ赤にして、眼鏡を何度も押し上げた。
「ちょ、ちょっとハリエット!そんな急に……私だって、ちゃんとタイミングを待ってるのよ……」
夏実は腹を抱えて大笑いした。
「タイミング待ってる間に、もう定年だぞ!中嶋が腰痛持ちになる前に、さっさと捕まえちゃいなよ!」
ハリエットがくすくす笑いながら、最後に一言。
「愛は待つものではなく、掴むもの……ですよ?墨東署の伝説の婦警コンビが、恋愛だけは昭和のままというのは、少し勿体ない気がします」
美幸はコーヒーカップを両手で包み込み、夕陽に染まる正丸峠の景色を眺めながら、小さく、けれど確かに微笑んだ。
「……そうね。そろそろ、本気で考えないといけない頃かもしれないわね」
夏実はトゥデイのボンネットをバシンと叩き、ニヤリと笑った。
「よし! 決まり!次に中嶋が来たら、私が後ろから押してやるからね!『結婚しなさい!』って全力で!」
駐車場に、三人の笑い声が響き渡った。
遠くでは、デブとメガネがまだ地面に座り込んで「ショボい軽に負けた……」と呟いていたが、誰も気にしていなかった。
2026年の夏の夕暮れは、少し甘く、少し切なく、そしてとても温かい空気に包まれていた。美幸は静かに心の中で呟いた。
「(中嶋君……もう少しだけ、待っていてね)」
トゥデイの白黒ボディが、夕陽を優しく反射しながら、いつものように、静かにそこに佇んでいた。