2026年、夏の午後。
イオン東雲店。広い駐車場の一角に、白黒のトゥデイ(JW1型)が停まっていた。
美幸と夏実はいつもの制服姿で、買い物カゴを片手に店内へ向かっていた。
自動ドアをくぐったところで、美幸がふと足を止めた。
「あら? ドロテアさん。イオンで買い物を?」
少し先のエスカレーター前で、優雅に佇んでいたのはクイーンズシルバーのエボⅠのオーナー、ドロテアだった。
今日はメイド服ではなく、シンプルで上品なワンピース姿。隣には見慣れない黒髪の女性が立っている。
ドロテアは扇子を軽く広げ、優しく微笑んだ。
「あ、美幸さんに夏実さん。クラウディアさんと親睦を深めようと、二人でショッピングに来てるんですの」
夏実はカゴをぶら下げたまま、黒髪の女性を興味深そうに見た。
「クラウディア……その人もドロテアさんのメイドなの?」
ドロテアは小さく首を振り、隣の女性を紹介した。
「いいえ、わたくしの後輩でよく親しんでる仲です。クラウディア・ヴァーグナーといいます。彼女はユニティ・エッジというチームのリーダーで、エボⅥのドライバーですわ」夏実は「へえ」と目を丸くした。
「へえ、後輩か……」
美幸は眼鏡を軽く押し上げ、穏やかに聞いた。
「何を買うの? 私達は日用品と今日の夕食を買い求めに行くところよ」
ドロテアは扇子を閉じ、優雅に答えた。
「特に買う物は決めておりません。ウインドウショッピングというものですね」
夏実は間の抜けた声を上げた。
「ほえー……そうなんだ」
美幸が即座に突っ込んだ。
「ほえーって何よ……」
ドロテアはくすりと笑いながら続けた。
「何か気に入ったモノがあれば買おうかと思ってますが……」
美幸は少し考えてから、提案した。
「それなら、リュシーさん達にプレゼントを買ったらどうかしら?日持ちしそうなお菓子や、安価な小物とか」
ドロテアの瞳が少し輝いた。
「リュシー達にですか?」
美幸は微笑みながら頷いた。
「ええ。ピクシス・マスールのみんな、いつも私たちを助けてくれるもの。たまにはこういう気遣いもいいんじゃないかしら」
ドロテアは扇子を軽く口元に当て、嬉しそうに言った。
「いいですわね」ちょうどそのタイミングで、黒髪の女性・クラウディア・ヴァーグナーがエスカレーターから降りてきて、合流した。
ドロテアが彼女に簡単に事情を説明すると、クラウディアは穏やかな笑顔で頷いた。
「私も賛成です。リュシーさんたちに喜んでもらえるものがあれば」
こうして、美幸、夏実、ドロテア、クラウディアの四人は、自然と一緒にイオンの店内を回ることになった。
夏実はカゴを振り回しながら、楽しげに言った。
「よし! じゃあまずはお菓子コーナーね!リュシーには辛い系、ミリアムには甘い系、ハリエットには高級そうな紅茶とかどう?」
美幸は眼鏡を押し上げ、苦笑しながらついて行った。
「夏実……あんまり派手なものは避けましょうね」
ドロテアは扇子を優雅に広げ、クラウディアと並んで歩きながら小さく微笑んだ。
「ふふ……意外と楽しいですわね、こういう買い物」
クラウディアが静かに頷いた。
「ええ。ピクシス・マスールのみんなも、きっと喜びますよ」
四人は、リュシーたちへのプレゼントを探しながら、ゆっくりと店内を回っていた。
ドロテアが扇子を軽く広げ、優雅に言った。
「ここ、イオン東雲店は意外と隠れた名店が多いんですのよ。特にフードコートや専門店フロアに、知る人ぞ知る美味しいお店が点在しているんです」
夏実はカゴをぶら下げながら、目を輝かせた。
「へえ! 隠れた名店? 教えて教えて!」
美幸も眼鏡を軽く押し上げ、興味深そうに聞いた。
「私たち、普段はファミマかコンビニばかりで……イオンの中のグルメ事情はあまり詳しくないの」
ドロテアは微笑みながら、声を少し低くして説明を始めた。
「まず一つ目。フードコートにある温や(おんや)。ここはイオン東雲店では珍しい本格派のおうどん屋さんです。出汁がしっかり効いていて、麺もコシがあって美味しいと評判。フードコートなのに行列ができることもある隠れた人気店ですよ。特に『肉うどん』や『カレーうどん』がおすすめですわ」
夏実はすぐに反応した。
「おうどんか! いいね。あたし、うどん好きだよ!」
ドロテアはさらに続けた。
「もう一つは、中華101。中華の定番から本格的な一品料理まで揃っていて、特に『土鍋飯』や『チャーハン』が絶品と評判です。フードコート価格なのに、味は本格的。地元の人に人気の穴場です」
クラウディアが穏やかに微笑みながら付け加えた。
「私はイタリアンダイニングDONAも好きです。イオンの中とは思えないしっかりしたイタリアンで、パスタやピザが本格的。ランチタイムは特に混みますよ」
ハリエットが後から合流し、くすくす笑いながら言った。
「それと、甘いものなら不二家やタカハシクレープもおすすめです。特に不二家のケーキは、イオン店なのにクオリティが高いと評判ですよ」
美幸はメモを取るようにスマホを出しながら、感心した様子で頷いた。
「なるほど……イオン東雲店、ただの大型スーパーだと思っていたけど、意外とグルメが充実しているのね。リュシーさんたちへのお土産選びも、ついでに美味しいものを探せそう」
夏実はすでにフードコート方面へ歩き出しながら、笑顔で言った。
「よし! まずは温やのうどんで腹ごしらえよ!それからお菓子探しに行こう!隠れた名店巡り、意外と楽しいじゃん!」
ドロテアは扇子を優雅に閉じ、微笑んだ。
「ふふ……そうですね。今日はピクシス・マスールのみんなへのプレゼント選びと、私たち四人のちょっとしたグルメツアー……いい一日になりそうですわ」
四人は笑い声を上げながら、イオン東雲店の店内をゆっくりと回り始めた。
イオン東雲店のフードコート近くのベンチエリア。
中嶋剣は白髪交じりの頭を軽く掻きながら、コーヒーの紙コップを片手に歩いていた。
すると、壁際に寄りかかってスマホをいじっている水色ショートヘアの女性を見つけた。「お、リュシーか! イオンで買い物なんて珍しいな。何してるんだ?」
リュシーは赤い瞳を上げ、わずかに面倒くさそうな顔をしたが、すぐに肩をすくめた。「中嶋か……お嬢たちと約束して待ってるんだよ」
中嶋は少し驚いた顔で隣に立った。
「待ってるって……待ち合わせしてるのか」
「ああ……いつもだったらコストコとかロピアで買い物してるが、イオンだと色んな店あるから悩むんだよな」
「悩む?」
リュシーは黒い手袋をはめた指で髪を軽くかき上げ、ぼやくように言った。
「あたしはずーっとお嬢のメイドをやってきたからな」
中嶋は一瞬、目を細めてリュシーをじっと見つめた。
「前々から思ったけど、お前まさか……」
「?」
「やっぱり、ヤンキーなのか?」
リュシーは一瞬固まり、すぐに赤い瞳を吊り上げた。
「おい、やっぱりって何だよ」
中嶋は苦笑いを浮かべながら続けた。
「ほら、昔のヤンキーって学校で暴れたり、先生に逆らって暴力振るったり、校内でバイク乗り回したりとか……」
リュシーはため息をつき、呆れたように肩を落とした。
「スクールウォーズ……ドラマの見過ぎだ。あたしはそこまでしてねえよ!……まあ、昔は荒れてたんだけどなぁ。乱暴な時のあたしには戻るつもりはないさ」
中嶋はコーヒーを一口飲んで、穏やかに笑った。
「そうだな……自然なままでいいか。もうそろそろ定年迎えるし、小早川に告白しようと悩んでたが、変に悩まず話せて良かったよ。ありがとな」
リュシーは少し照れくさそうに鼻を鳴らした。
「助けになったなら良かったよ。またな」
中嶋は軽く手を挙げ、コーヒーカップを片手にその場を離れた。
リュシーはベンチに腰を下ろし直し、遠くのエスカレーターの方を眺めながら小さく呟いた。
「……中嶋の奴、意外と素直じゃねえか。お嬢も、そろそろ本気出せばいいのに……」
その頃、少し離れたお菓子売り場では、美幸と夏実、ドロテア、クラウディアの四人がリュシーへのプレゼントを選びながら楽しげに話し込んでいた。
イオン東雲店、フードコート奥のベンチ。
リュシーは壁に寄りかかり、赤い瞳で遠くを見つめていた。
中嶋剣との短い会話が終わったあと、彼女は珍しくポツリと独り言をこぼした。
「……昔は荒れてたんだけどなぁ」
ちょうどそのとき、ドロテアが買い物袋を提げて近づいてきた。
リュシーは慌てて背筋を伸ばしたが、ドロテアは優しく微笑んだ。
「リュシー……また昔の話をしていたの?」
リュシーは照れくさそうに鼻を鳴らし、黒い手袋をはめた手をポケットに突っ込んだ。「ああ……中嶋の奴に『ヤンキーだったのか?』って聞かれてさ。まあ、否定はしねえよ。昔のあたしは、相当ヤバかったからな」
ドロテアは扇子を軽く広げ、静かに促した。
「聞かせてちょうだい。あなたが私に会う前の話……美幸さん達にちゃんと知って欲しいわ」
リュシーはため息をつき、ベンチに腰を下ろした。
赤い瞳が少し遠くを見る。
「……あたしは元々、施設育ちだった。親の顔も知らねえし、10歳の頃に施設を飛び出して、路上生活を始めた。最初はただ生きるために窃盗とかやってたけど、すぐに不良グループに拾われて……そこで本格的にヤンキーになった。学校はほとんど行かず、毎日バイクで街を走り回ってた。愛車は当時のヤンキー御用達、ヤマハのRZ350。ヘルメットも被らず、エンジン全開で夜の国道をぶっ飛ばして、他校の不良と喧嘩したり、商店街のガキ大将を締め上げたり……正直、今思い返してもクソみたいな毎日だったよ。特に有名だったのは『ムーアクロフトの狂犬』って異名。乱暴で口が悪くて、喧嘩になると容赦しねえから、近所の不良連中はみんなビビってた。警察の世話にも何度もなったし、補導された回数は数え切れねえ。一度なんか、校内でバイク乗り回して校長室の窓ガラスぶち破ったこともあったな……」
ドロテアは扇子を閉じ、静かに聞き入っていた。リュシーは苦笑いを浮かべ、続ける。「でも、そんな毎日が一変したのは、あの川の事件だ。お嬢……ドロテア様が、川に落ちて溺れかけてた。あたしはたまたま通りかかって、咄嗟に飛び込んで助けた。そのとき、お嬢は震えながら『ありがとう……あなた、名前は?』って聞いてきたんだ。あたしは『リュシー・ムーアクロフト』って名乗って……それ以来、お嬢のメイドになった。それからは、昔の乱暴な自分を封印した。お嬢のためなら、どんなことでもやるって決めたからな。今じゃピクシス・マスールの面倒見役やってるけど……本当は、あの頃の『狂犬』が一番性に合ってたのかもしれねえよ」
ドロテアは優しくリュシーの手を握った。
「でも、あなたは今、すごく素敵よ。あの頃の荒れたリュシーも、確かにあなたの一部だけど……今の忠実で、少し照れ屋で、ちょっと口の悪いリュシーも、私は大好きですわ」リュシーは赤い瞳を逸らし、照れくさそうに鼻を鳴らした。
「……お嬢にそう言われると、弱いんだよな。まあ、昔のことは昔だ。今はピクシス・マスールの一員として、お嬢を守るのがあたしの役目だ」
二人は並んでベンチに座り、イオンの明るい照明の下で、静かに微笑み合った。
リュシー・ムーアクロフト——元・路上の狂犬、元・不良バイカー、今はドロテアお嬢様の忠実なるメイド。
彼女のヤンキー時代は、もう二度と戻らない過去となった。
でも、その荒々しい強さと忠義の心は、今もピクシス・マスールの中で、確かに生き続けている。
夏実が遠くから手を振りながら近づいてきた。
「リュシーー! お菓子選び終わったぞ!一緒に選んでくれよ!」
リュシーは立ち上がり、いつもの乱暴な口調に戻って笑った。
「ったく……待たせんなよ。今から行くぜ!」
翌日
墨田区江藤橋——Amusement Patriot M。
ゲームセンターの喧騒がようやく落ち着いた頃、夏実はUFOキャッチャーの前で両手を大きく広げ、満足げに息を吐いた。
「ふぅ~、遊んだ遊んだ~! 帰るか!」
美幸は眼鏡を軽く押し上げ、隣で呆れたようにため息をついた。
「もう夏実ったら、燥ぎすぎよ。若い頃に戻るのもいいけど、54歳なんだからもう少し落ち着きなさい」
夏実は照れくさそうに笑いながら、景品のぬいぐるみを抱え直した。
「若い頃に戻るのもいいよね~。教習所でBMWに乗って暴走してた頃を思い出すと、つい張り切っちゃうんだよ!」
そのとき、店の出口近くから聞き覚えのある優雅な声が響いた。
「あ、美幸さんに夏実さん。ごきげんよう」
振り返ると、そこに立っていたのはドロテアだった。
今日はメイド服ではなく、シンプルで上品なブラウスにスカートという私服姿。
いつもの扇子は持っていないが、気品だけは変わらない。夏実は目を丸くした。
「あれ? 奇遇じゃない。ひとりなんて珍しいんじゃない?」
ドロテアは少し困ったように微笑み、肩を軽くすくめた。
「お恥ずかしながら、実はリュシー達と逸れてしまいまして。タイミング悪くiPhoneのバッテリーも切れてしまい……」
夏実はすぐにカバンからモバイルバッテリーを取り出しながら言った。
「充電切れ? じゃあ、リュシーさん達と会ったら連絡するわ。どこかを待ち合わせ場所に指定して、そこで落ち合おう」
美幸が素早く横から口を挟んだ。
「勤務中よ」
夏実は「あ……」と口を押さえた。
ドロテアはほっとしたように胸に手を当て、優しく頭を下げた。
「まあ……! ありがとうございます……!会えたのがお二人で良かったです」
美幸は眼鏡を押し上げ、落ち着いた声で言った。
「私から連絡して置くわ。リュシーさんの連絡先は知ってるからね」
夏実はぬいぐるみを抱えたまま、にやりと笑った。
「ねえねえ、折角だからスタバでコーヒー飲みながら落ち着こう。疲れてるでしょ?」
ドロテアは少し驚いた顔をした後、柔らかく微笑んだ。
「夏実さん、そんなお気遣いまで……」
夏実は胸を張って答えた。
「私達は警察官よ?」
ドロテアは扇子がない代わりに、優雅に手を胸に当てて礼を述べた。
「ありがとうございます」
四人はそのままイオン東雲店内のスターバックスへ移動することになった。
夏実は景品のぬいぐるみを大事そうに抱え、美幸は静かに微笑みながら、ドロテアは穏やかな表情で二人の後ろを歩いていた。
スターバックスのカウンターに並びながら、夏実が明るく言った。
「リュシーさんたちも、きっと心配してるだろうな。でも、こうして会えたんだから、ゆっくり話しながら待ちましょう!」
美幸は眼鏡の奥で小さく笑った。
「ええ……今日は巡回も終わったし、少しのんびりしてもいいわね」
ドロテアはコーヒーの香りに包まれながら、静かに呟いた。
「ふふ……今日は本当に運が良かったですわ。墨東署の皆さんと一緒にいると、なんだか心が落ち着きます」
イオン東雲店の明るい店内に、三人の穏やかな笑い声が静かに広がっていった。
イオン東雲店内のスターバックス、窓際の席。
コーヒーの香りが漂う中、ドロテアが優雅にカップを傾けながら、ふと微笑んだ。
「昨日、ライフを全部コンプリートしてミニパトに改造し、美幸さんが乗るトゥデイみたいにフルチューンし、ニトロを積みましたの」
リュシーは隣で赤い瞳を細め、ため息交じりに口を挟んだ。
「流石に6代目は入手しなかったがな。今のライフは軽自動車ではなく5ドアハッチバックの普通乗用車で、フィットの中国仕様だ」
ハリエットが三つ編みを指で弄びながら、くすくすと笑った。
「手に入れることは出来ますが、一部の中国人から反感買われる可能性が高いと思い、断念しました」
ケイトは紫色の髪を揺らしながら、明るくフォローした。
「だから……フィットと同じだから手に入れる必要ないってリュシー様が言ってました」美幸は眼鏡の奥で少し驚いた顔をし、コーヒーカップを置いた。
「え……? 本気でライフをミニパト仕様に改造したの? しかもニトロまで……」
夏実は隣でアイスコーヒーを吹き出しそうになりながら、豪快に笑った。
「はははっ! ドロテアさん、やりすぎだろ!トゥデイⅡができたばかりなのに、もうライバル増やしてるのかよ!」
ドロテアは扇子を軽く広げ、優雅に頷いた。
「ふふ……ピクシス・マスールも、いつまでも美幸さんたちに負けていては困りますもの。新しいライフは5ナンバー枠の普通乗用車ですから、エンジンルームも広くて改造しやすいんですの。ニトロはもちろん、ターボも一段階ブーストアップして、足回りはAlconキャリパーに強化しましたわ」
リュシーが黒い手袋をはめた手をテーブルに置き、照れくさそうに鼻を鳴らした。
「まあ、お嬢が『トゥデイみたいにしたい』って言うからな。6代目は中国市場専用で手に入りにくいし、なんかヤバい雰囲気もあったから止めたけど……今のライフなら、十分に峠を攻められるスペックになるはずだ」
ハリエットが黄金色の瞳を細めて、からかうように言った。
「でも、フィットの中国仕様をミニパトに仕立て上げるなんて……なかなか大胆ですね。ぷぷぷ。美幸さんのトゥデイⅡと並んだら、さぞかし絵になると思いますけど」
ケイトがくすくす笑いながら、紫色の髪を指で巻いた。
「私も楽しみ! 新しいライフがどんな走りを見せてくれるか……次は正丸峠で勝負しまよう?」
夏実はテーブルをバンッと叩いて立ち上がり、目を輝かせた。
「よし! 決まりだ!トゥデイⅡ vs 新型ライフミニパト、フルスロットルでぶつかってやるわよ!ドロテアさん、改造お疲れ様! 楽しみにしてるからな!」
美幸は眼鏡を押し上げ、静かに微笑みながらも、どこか嬉しそうに言った。
「ふふ……あなたたち、本当にやる気満々ね。新しいライフも、ちゃんと『逮捕しちゃうぞ』って叫べるように、しっかりチューニングしてあげてちょうだい」
ドロテアは扇子を閉じ、優雅に頭を下げた。
「ええ、もちろん。ピクシス・マスール一同、墨東署の皆さんに負けないよう、精一杯走らせますわ」
スターバックスでコーヒーを片手にリュシーたちへのプレゼントを選んでいた美幸と夏実、ドロテアの三人は、突然の声に顔を上げた。
「おお、小早川に辻本。クルマ談義盛り上がってるようだな」
白髪交じりの中嶋剣が、いつものゆったりとした歩き方で近づいてきた。
ハリエットは黄金色の瞳を細め、即座にスマホを取り出して耳に当てた。
「……もしもし、ポリス?」
中嶋は一瞬固まり、慌てて手を振った。
「待て! なんで出会い頭でいきなり通報しようとする。俺も警察官だぞ」
ハリエットはスマホを耳から離さず、涼しい顔で答えた。
「戦いは先手必勝なので。あとそこのツッコミは不要です」
中嶋は頭を軽く掻きながら、苦笑いを浮かべた。
「……そもそも、別に戦ってないだろ。ん? 買い物か」
ハリエットは三つ編みを指でくるくると巻きながら、ため息混じりに答えた。
「リュシー様の頼みで日用品の買い出しです」
「お、おう。そうなんだ」
ハリエットはスマホをポケットにしまい、じっと中嶋を見つめた。
「って、なんで答えないといけないんですか? 私に恨みでもあるんですか?」
中嶋は内心で(俺と問答するだけで、憎しみを感じるなよ……)と思いながら、慌てて話題を変えた。
「小早川と辻本もか?」
美幸は眼鏡を軽く押し上げ、穏やかに答えた。
「いや、勤務の休憩よ」
夏実は景品のぬいぐるみを抱えたまま、ニヤリと笑った。
「中嶋、タイミングいいな! ちょうど荷物が増えて困ってたところだぜ!」
中嶋は買い物袋に目をやり、素直に提案した。
「ハリエット、良かったら荷物持ち手伝おうか?」
ハリエットは一瞬、黄金色の瞳を輝かせてから、にやりと笑った。
「私達の下着も含むのですが……」
中嶋は一瞬固まった。
「え?」
ハリエットは再びスマホを取り出し、耳に当てた。
「もしもし? コミッティメン」
「いや、買い物の内容までは知らないぞ!」
ハリエットはスマホを下ろし、呆れたように肩をすくめた。
「……全く、誤解されるような提案をするのが悪いです。普通に『荷物持ちしようか?』と言えば良いのですよ」
中嶋は頭を掻きながら、ぼやいた。
「え? 俺言ったよな?」
夏実は腹を抱えて大笑いした。
「はははっ! 流石に下着は持たせられないから、中嶋は他のモノを持ってね」
中嶋はため息をつきながらも、素直に頷いた。
「ああ、わかったよ」
ハリエットは買い物袋をいくつか中嶋に押し付け、優雅に微笑んだ。
「お前に盗まれても問題ないモノなら持たせてあげてもいいですよ。ああ、それでも持ち逃げするのは悔しいのでちゃんと私の横を離れず歩いて貰います。さあ、行きますよ。下着泥棒!!」
中嶋は袋を抱えたまま、完全に無言で固まった。
「……」
美幸は眼鏡の奥で小さく微笑み、夏実はまだ笑いながら中嶋の背中をバシンと叩いた。「中嶋、頑張れよ! ハリエットちゃんのペースに飲み込まれるな!」
ドロテアは扇子を軽く広げ、くすくすと笑っていた。
「ふふ……中嶋さん、今日も大変そうですわね」
イオン東雲店の明るい店内に、いつもの墨東署らしいドタバタした笑い声が響き渡った。中嶋剣——墨東の白き鷹は、今日もハリエットの毒舌に翻弄されながら、買い物袋を抱えて一行の後ろを歩いていくのだった。
イオン東雲店、フードコートから少し離れた休憩スペース。
リュシー・ムーアクロフトはベンチに腰を下ろし、赤い瞳を遠くに向けていた。
水色ショートヘアが柔らかな照明に照らされ、いつもの乱暴な表情とは違う、静かな横顔を見せている。
美幸はコーヒーカップを片手に、そっと近づいた。
「何黄昏れてるの?」
リュシーはハッと我に返り、慌てて背筋を伸ばした。
「あ、いや……何となく浸ってたんだ。ずっとメイドとして生きていくと思ってたからさ。こんな風に色んな経験を出来てるのも、お嬢のおかげだよなって思ってたんだ」
美幸は眼鏡の奥で優しく微笑み、隣に腰を下ろした。
「ふふ、可愛いじゃない」
リュシーは一瞬固まり、赤い瞳を大きく見開いた。
「え?」
美幸はコーヒーカップを両手で包み、穏やかに続けた。
「物思いに耽ってるというか……ギャップがあって可愛いじゃない」
リュシーは顔を真っ赤にし、黒い手袋をはめた手を慌てて振った。
「なっ!? か、可愛いって……!」
美幸はくすりと笑い、遠い目をした。
「ええ、私と夏実はずっと長い付き合いなのよ。当時は学生から大人にモテてた時期があったの。特に学生は……変な輩はいたけど」
リュシーは興味を引かれたように身を乗り出した。
「変な輩?」
美幸は眼鏡を軽く押し上げ、懐かしそうに語り始めた。
「ええ、いきなり抱きついてきたり胸触られたり……男子校で行われた交通安全講習会でも、調子に乗ってる不良達がいたから、フルチューンした3YKで懲らしめたのよ。当時の課長は頭悩ませたけどね」
リュシーは目を丸くした。
「3YKってスーパーJOGZRか。凄いじゃん。そんな事されても仕返しするなんて驚きだ」
美幸は小さく肩をすくめ、照れくさそうに笑った。
「若い頃は私も、夏実ほどじゃないけど、結構熱血だったのよ。あの頃の3YKは、ニトロも積んでたし……不良たちを乗せてウィリー走行させたわ。今思うと無茶だったけど、あの頃の勢いは悪くなかったわね」
リュシーは呆れたように、でもどこか嬉しそうに笑った。
「へえ……美幸さんもそんな時代があったのか。意外と熱いじゃねえか。
あたしも昔はRZ350で暴れてたけど、ウィリーで不良を教育するなんて……お前、相当ヤバかったな」
美幸はコーヒーカップを一口飲み、静かに目を細めた。
「ふふ……今は落ち着いたけどね。でも、リュシーさんが昔の自分を振り返ってる姿を見て、なんだか懐かしくなっちゃったわ」
リュシーは赤い瞳を逸らし、照れくさそうに鼻を鳴らした。
「……お嬢に拾われなかったら、あたしは今もどこかで暴れてただろうな。お前らに会えてよかったよ」
そこへ、夏実が大きな紙袋を抱えて戻ってきた。
「美幸ー! リュシー! お菓子選び終わったぞ!……って、何かいい雰囲気じゃない?」
美幸は眼鏡を押し上げ、いつもの穏やかな笑顔に戻った。
「ええ、ちょっと昔話をしてただけよ」
リュシーは立ち上がり、いつもの乱暴な口調を取り戻した。
「ったく……余計なこと言うんじゃねえよ。さっさとあたしたちへのプレゼント選びを手伝え」
夏実はニヤニヤしながら、二人の間に割り込んだ。
「へへっ、いいじゃん!美幸の熱血時代も、リュシーのヤンキー時代も、全部聞きたいわ!今度、みんなで飲みながらじっくり聞かせて!」
イオン東雲店の明るい店内に、
三人の笑い声が温かく響き渡った。昭和の熱血婦警と、元ヤンキーメイド。
二人の過去が交差する瞬間は、今日も穏やかで、どこか懐かしい空気を生み出していた。フルスロットルで走り続けた日々も、こうして静かな思い出に変わっていく——それが、墨東署の伝説の日常だった。