2026年、夏の午後。
東京都立日本橋高等学校・体育館。
校内放送が響き渡る中、美幸と夏実は制服姿で壇上に上がっていた。
31年ぶりの交通安全講習会講師——しかも、二輪免許取得希望の生徒たちを相手に。
教師がマイクを握り、元気よく紹介した。
「これより二輪免許を所持してる諸君のために交通安全講習会を行う!それでは本日、特別に墨東署から安全指導のために来て下さったお二人を紹介する。辻本夏実巡査部長と小早川美幸巡査部長の二人だ!」
体育館に拍手が沸き起こる。
夏実は壇上で顔を引きつらせ、小声で呟いた。
「ぐ……31年前の悪夢の再来よ。あの赤い大福が豆はみ出てるから美味しそうに見えたのよ……」
美幸は眼鏡をくいっと押し上げ、静かにため息をついた。
「ええ、久々に貧乏くじ引いちゃったわね。菓子折の赤大福を選んだら参加確定……今もその伝統、生きてたなんて」
二人が壇上に上がる直前、控室で課長から渡された菓子折りの記憶が蘇る。
赤大福と白大福の二種類。
赤い方を取った途端、課長がニヤリと笑った瞬間を思い出すと、今さらながら腹が立った。
そこへ、体育館の入り口から聞き覚えのある声が響いた。
リュシーが三菱・シルバーピジョンC-135(フルチューン仕様)を押しながら入ってきた。
ドロテアの計らいで、教習用に急遽貸し出された一台だ。
リュシーは赤い瞳で二人を見て、ぼやくように言った。
「一応、ラビットスクーターを使わせる案もあったが、却下された。旧式とはいえ、三菱のクルマに乗ってるなら三菱のスクーターに乗ってる人はいる……とお嬢が言ってたんだ」
夏実はリュシーの姿を見て、わずかに表情を緩めたが、すぐに愚痴に戻った。
「……あのガキ共はとっくに大人になって大人しくしてるけど、今のガキどもは当時と変わってないわね」
美幸は眼鏡の奥で冷たい光を浮かべ、静かに微笑んだ。
「ふざけてる連中を懲らしめてあげましょう」
リュシーはシルバーピジョンを美幸の横に停め、肩をすくめた。
「まあ、頑張れよ。お嬢も『美幸さんたちの昔話、ぜひ見てみたい』って言ってたからな」
体育館の生徒たちから、ざわめきが上がる。
31年前と同じように、男子生徒の一部がニヤニヤしながらスマホを構え始めていた。
夏実は拳を握り、壇上で大きく息を吸った。
「よし……31年ぶりだけど、気合いは当時と変わらないわ!夏実パワー、全開で行くわよ!」
美幸は静かに、しかし力強く頷いた。
「ええ……この子(シルバーピジョン)も、ちゃんと教育してあげましょう。あの頃の私たちのように、熱く、容赦なく」
教師がマイクを握り直し、声を張り上げた。
「それでは、早速実技に移ります!まずは辻本巡査部長による実演走行です!」
夏実はシルバーピジョンに跨がり、エンジンをかけた。
低く野太い三菱のスクーター音が体育館に響き渡る。
夏実はヘルメットを被り直し、ニヤリと笑った。
「みんな、よく見てなさい。墨東署婦警コンビの交通安全講習……31年ぶりのフルスロットル版だ!」
美幸は壇上で静かに微笑みながら、眼鏡を押し上げた。
「ふふ……今年の生徒たちも、きっと後悔するわね」
体育館に、エンジンの唸りと生徒たちのどよめきが混じり合う。
東京都立日本橋高等学校・校庭。
交通安全講習会の後半、実技講習が始まっていた。
リュシーが押してきた三菱・シルバーピジョンC-135(フルチューン仕様)が、校庭の中央に堂々と停まっている。
白とシルバーのツートンカラーに、現代風に強化された足回りとマフラー。
それでも、どこか昭和の香りを残した丸みを帯びたボディは、生徒たちの視線を一気に集めていた。
夏実はヘルメットを被り直しながら、シルバーピジョンを軽く叩いた。
「よし、みんな! この子が今日の教習車だ!三菱・シルバーピジョンC-135……通称『銀バト』!31年前の講習会でも、フルチューンした3YK(スーパーJOGZR)で不良どもを教育したけど、今日はこの銀バトでいくわよ!」
生徒たちから「え、スクーター!?」「マジで可愛い……」というざわめきが上がる。
美幸は眼鏡を押し上げ、静かに説明を始めた。
「シルバーピジョンは、1946年に三菱重工業が戦後初めて発売した国産スクーターよ。当時は物資が乏しい時代で、『軽くて速くて丈夫』という三菱の技術力が詰め込まれた一台だったの。名前は『銀色の鳩』という意味。軽快に飛び回る姿から付けられたそうです」夏実がシルバーピジョンのシートに跨がり、エンジンを軽くかけてみせた。
「C-135は1950年代後半のモデルで、135ccの空冷単気筒エンジン。当時としてはかなりパワフルで、配達や警察用としても重宝されたのよ。今みたいに原付二種の区分もなかった時代、銀バトは日本中の街を走り回ってたわ」
リュシーが腕を組み、赤い瞳で生徒たちを見回しながら補足した。
「あたしもお嬢に借りて整備したけど、意外と頑丈だ。戦後すぐの時代に作られたのに、今でもちゃんと走るんだからな。フルチューンしてニトロまで積んじゃったけど……まあ、今日は安全講習用だから、控えめにいくぜ」
美幸は微笑みながら、歴史を少し深く語った。
「シルバーピジョンシリーズは全部で数十万台以上生産された大ヒット商品だったわ。C-10から始まり、C-100、C-135、C-200と進化して、1963年まで製造されたの。その後、三菱は四輪車に力を入れるようになって、スクーター事業からは撤退したけど……今でも根強いファンがいて、フルチューン車やレストア車がイベントで走ってるのよ。今日のこの子も、ドロテアさんの計らいで特別に貸してもらったの」
生徒の一人が手を挙げた。
「先生! じゃあこのスクーター、昔の警察も乗ってたんですか?」
美幸は頷いた。
「ええ。当時の白バイや交通課でも使われていたわ。私たちが若い頃、講習会で不良たちを教育したのも、まさにこの銀バトの系譜よ」
夏実はエンジンを吹かし、ニヤリと笑った。
「さあ、みんな!この銀バトに乗って、31年ぶりの交通安全講習……本気でいくわよ!ふざけた奴は、フルスロットルで懲らしめてやるからな!」
リュシーがシルバーピジョンを軽く押しながら、ぼやいた。
「……お嬢、こんなところで昔の銀バトを復活させるとは……本当に懐かしい趣味だな」
校庭に、シルバーピジョンの軽快なエンジン音が響き渡り、交通安全講習会の実技パートが始まった。
美幸は眼鏡をくいっと押し上げ、マイクを握って生徒たちに宣言した。
「講習を始めます」
夏実はシルバーピジョンC-135の横に立ち、いつもの豪快な笑顔で続けた。
「まずは皆さんにこのスクーターを乗って貰う訳ですが……」
すると、髭を生やした不良生徒が手を挙げて大声を上げた。
「はいはいはーい!」夏実はニヤリと笑って応じた。
「なぁに? 坊や」
髭不良は自信満々に立ち上がり、スクーターに向かって歩き出した。
「僕に最初乗らせて下さい! 自信あるんです! お、おっとっとと……」
次の瞬間——ガシャーン!!
シルバーピジョンが派手に横倒しになった。
夏実は即座に声を荒げた。
「ゴラァ! 何するのよ!」
リュシーが慌てて駆け寄り、赤い瞳を吊り上げた。
「おいおい、このスクーターは希少なんだ。壊したらアウトだからな」
髭不良は頭を掻きながら、情けなさそうに言い訳した。
「すんません。受験勉強で疲れてるんスよ」
夏実は呆れ顔でため息をついた。
「何が……ん?」
すると、周囲の男子生徒たちが一斉に夏実に視線を集中させた。
夏実は怪訝な顔で聞き返した。
「何のつもり?」
ロン毛の不良生徒がニヤニヤしながら言った。
「いやあ、倒れたスクーターの起こし方を教えて貰おうと思って」
リュシーが即座に睨みつけた。
「テメェ、変なことしたらぶっ飛ばすぞ?」
夏実は一瞬、目を細めた後、ニヤリと笑った。
「……よろしい! 見てなさい!」
男子生徒全員が目を輝かせて声を揃えた。
「見てまーす!」
リュシーが慌てて夏実に小声で聞いた。
「お、お前、どう教えるんだ?」
美幸は眼鏡の奥で静かに微笑みながら言った。
「まぁまぁ、夏実を見たら分かるわよ」
夏実は倒れたシルバーピジョンの横に立ち、堂々と説明を始めた。
「倒れたスクーターを起こすときは足を曲げずに腰から体を倒し、適当にハンドルやシートの下を掴みます」
リュシーが呆れた顔で呟いた。
「は? そんなの出来る訳……」
夏実は深く腰を落とし、怪力全開で一気にスクーターを持ち上げた。
「まずはこうやって一気に!」
ガッと音を立ててシルバーピジョンが軽々と持ち上がる。
男子生徒全員が驚きの声を上げ、リュシーは目が点になった。
「ば、馬鹿な……両手で……!?」
夏実はさらにスクーターを高く持ち上げ、肩の上に載せながら続けた。
「そうして一度両手で高く持ち上げてから両肩の上……」
リュシーが完全に固まった。
「!!!?」
夏実は軽々とスクーターを肩に担いだまま、ニヤリと笑った。
「どう? 参考になったかしら?」
リュシーは声を震わせて叫んだ。
「出来るか!!」
男子生徒たちは大興奮で拍手と歓声を送った。
「すげえええ!」
「婦警さんヤバい!」
「肩に担いでる!!」
美幸は眼鏡を押し上げ、静かに微笑んだ。
「ふふ……31年ぶりでも、夏実の怪力は健在ね」
夏実はシルバーピジョンを地面に下ろし、豪快に胸を張った。
「さあ、次はみんなでやってみなさい!倒れたスクーターを肩に担げるようになったら、二輪免許の第一歩よ!」リュシーは頭を抱えながら呟いた。
「……お嬢、この講習、本当に大丈夫かよ……」
ロン毛の不良生徒がニヤニヤしながら言った。
「いやぁ、参考になったかと……」
夏実はニヤリと笑い、髭を生やした不良生徒を指差した。
「そう? それじゃ、さっきのキミ」
髭不良はビクッとして自分を指差した。
「俺?」
リュシーが赤い瞳を細め、冷たく追い打ちをかけた。
「自信あると言ったよな?」
髭不良は仕方なくシルバーピジョンに近づき、腰を落として持ち上げようとした。
「うっ……ぐぬぬぬ……!」
しかし、なかなか持ち上がらない。
何度も試みるが、スクーターはビクともせず、ただ悪戦苦闘しているだけだ。
夏実は腕を組み、冷静に指導した。
「どうしたの? もっと腰を伸ばして一気に持ち上げるのよ」
髭不良は顔を真っ赤にして歯を食いしばった。
「ぐぬぬ……!」
夏実はため息をつき、淡々と続けた。
「倒れたスクーターを起こせないようじゃ……」
その瞬間、髭不良がわざとらしくバランスを崩し、大声を上げた。
「おーっと! 手が滑ったあ!!」
そして、倒れ込みながら夏実の胸元に手を伸ばそうとした。
リュシーの赤い瞳が一瞬で鋭くなった。
「テメェ、ぶっ飛ばす!」
しかし、その前に——夏実の動きが閃いた。
「踏み込みが甘い」
最速の動きで右足が上がり、髭不良の顔面に綺麗な蹴りが炸裂した。
「でぇええええええええええいッ!」
ドゴォッ!髭不良は派手に吹っ飛び、地面に転がった。
「ぶほぉっ!」
リュシーは目を丸くして呟いた。
「……判断が早すぎる」
眼鏡をかけた不良生徒が興奮して叫んだ。
「おお! よくやった!」
おでこが広い不良生徒も拳を握り、熱く叫んだ。
「お前の死は忘れはしないぞ!」
夏実は蹴った足を軽く振りながら、仁王立ちで不良生徒たちを睨みつけた。
「ふん。倒れたスクーターを起こせないくせに、婦警の胸を触ろうとするなんて……31年前の不良どもよりタチが悪いわね!」
美幸は眼鏡を押し上げ、静かに微笑んだ。
「夏実……相変わらず容赦ないわね。でも、ちょうどいい教育になったんじゃないかしら」
リュシーはシルバーピジョンを起こしながら、呆れたように言った。
「おいおい……講習会で生徒を蹴飛ばす講師って、相当レアだぞ」
夏実は拳を握り、男子生徒たちに向かって宣言した。
「さあ、次はちゃんと真面目にやってみなさい!ふざけた真似したら、次はもっと痛い目にあうわよ!墨東署の交通安全講習……31年ぶりの本気版だと思ってかかれ!」
校庭に、男子生徒たちの緊張と興奮が入り混じったざわめきが広がった。
美幸は小さくため息をつきながらも、どこか楽しげに呟いた。
「ふふ……今年の生徒たちも、なかなか熱いわね」
リュシーは頭を抱えながら、遠い目をした。
「……お嬢、この講習、本当に無事に終わるのかよ……」
その後、交通安全講習会は、すでに予想外の盛り上がりを見せていた。
夏実は腕を組み、男子生徒たちを睨みつけながら言った。
「任せたわよ、美幸。婦警を怒らすとどうなるか」
美幸は眼鏡をくいっと押し上げ、静かに微笑んだ。
「教えてあげないとね……」
リュシーがシルバーピジョンの横で腕を組み、ぼやくように言った。
「怪我はさせない程度にな……」
美幸は生徒たちに向かって、穏やかだが威圧感のある声で呼びかけた。
「では、どなたか実際に乗って頂きましょう――坊や、どう?」
ロン毛の不良生徒がニヤニヤしながら前に出た。
「え? 婦警さんよ。俺、こう見えても1100乗ってるんスよ」
リュシーが即座に反応し、赤い瞳を細めた。
「1100ってレブル1100か!? 排気量1,082ccのSC83E型水冷4ストロークOHC4バルブ直列2気筒エンジンの」
ロン毛不良は胸を張って答えた。
「そうスよ。青髪の巨乳メイドさん。スクーターなんざベビーカーみたいで」
リュシーは一瞬、顔を引きつらせた。
「お前な……それ言ったらモンキーもベビーカーみたいだと言ってるようなモンだぞ」
美幸はくすりと笑い、優しい声で提案した。
「まあまあ、リュシーさん。そう言わずに……お手本を見せてくれたらメイドさんとデートしてあげるわ」
ロン毛不良の目が一瞬で輝いた。
「え!?」
リュシーは慌てて振り返った。
「ちょ、な、何を言って……」
美幸はにこやかに微笑んだ。
「大丈夫よ」
リュシーは舌打ちし、渋々ラビットS601に跨がった。
「チッ……しょうがねえな。バイクを並べろ……始めるぞ」
リュシーはラビットS601のエンジンを軽く吹かし、低く唸る音を響かせた。
ロン毛不良はスクーターに跨がり、余裕の笑みを浮かべた。
「今、俺の華麗なラインディングを見せてやっからよ。いい子で待ってんだぜベイビー」
美幸は静かに警告した。
「ヘルメット被らなくて良いの?」
ロン毛不良は鼻で笑った。
「へへっ、原チャリで事故る程馬鹿じゃねえよ」
リュシーはため息をつき、エンジンを吹かした。
「此奴、後で痛い目に遭うな……ではあたしが先にスタートするからお前はついてくるだけでいい。行くぞ……」
ラビットS601が軽快に発進し、校庭を滑るように走り出す。
ロン毛不良も急発進で追いかけようとした瞬間——―
「うわあああああああああ!!!!」
ハンドルを少し捻っただけで、1100ccの重い車体が前輪を大きく浮かせ、ウィリー状態になった。
ロン毛不良はパニックに陥りながら叫んだ。
「だ、誰か! 止めてええええええええ!!!」
そのまま制御を失い、校庭の端の壁に勢いよく激突した。
ドゴォォン!
不良生徒は派手に吹っ飛び、地面に転がって気絶した。
美幸は眼鏡を押し上げ、静かに言った。
「あ、言い忘れましたが、あのスクーターはフルチューンしてあります。発進の際は充分注意してください」
夏実は呆れた顔でため息をついた。
「どんなに悪い頭でも保護しなくてはいけません」
美幸は倒れた不良生徒に近づきながら、穏やかに付け加えた。
「ヘルメットはきちんと被りましょう」
リュシーはラビットから降り、頭を抱えながら呟いた。
「……ほら、言わんこっちゃない。それにしてもあの二人、判断が早すぎるよ」
校庭に、男子生徒たちの驚きの声と、気絶したロン毛不良の無残な姿が残った。
夏実は不良生徒を軽々と抱き上げながら、ニヤリと笑った。
「さあ、次はちゃんと真面目にやりなさい!次にふざけた真似したら、今度は私が本気で教育してあげるからね!」
美幸は眼鏡の奥で静かに微笑んだ。
「ふふ……今年の生徒たちも、なかなか熱いわね」
リュシーは遠い目をして、ぼやいた。
「お嬢……この講習、本当に無事に終わるのかよ……」
二人が仕切る交通安全講習会は、すでに完全にカオスと化していた。
気を取り直して別の普通の生徒がシルバーピジョンに跨がろうとした瞬間、美幸がマイクを握って静かに言った。
「ああやって馬鹿野郎な格好でスクーターに乗ってると……」
ガンッ!!
突然、ハリエットのエボⅢが校庭に滑り込み、わざとらしく不良生徒のスクーターに軽く接触した。
ハリエットが運転席から降り立ち、黄金色の瞳を細めて冷たく言った。
「何ぶつけてるんですか? 悪人」
普通の生徒は目を白黒させて叫んだ。
「え!? なんでエボⅢが!!?」
美幸は眼鏡を押し上げ、穏やかだが容赦ない声で続けた。
「あーんな風に駐車車両が突然ドアを開けたりする場合がありますので注意して下さいね」
校庭は一瞬静まり返った後、大混乱に陥った。
夏実は次の生徒を呼び、容赦なく指導を始めた。
「次の人! ブレーキングが甘いっ!」
ポンパドールの不良生徒がアクセルを思い切り開け、悲鳴を上げた。
「うおおおっ!!」
美幸が即座に指摘した。
「アクセルターンぐらい出来なくてどうするの!?」
スポーツ刈りの不良生徒もウィリー状態になりながら叫んだ。
「うああああっ!!」
夏実は拳を振り上げ、堂々と宣言した。
「ウィリー50メートルは基本基本!!」
リュシーは壁際に寄りかかり、頭を抱えて呟いた。
「滅茶苦茶だ……いつもこんな事をやってたのか」
ハリエットが三つ編みを弄びながら、呆れたように言った。
「世も末ですね」
夕方になり、講習会がようやく終了した頃。夏実は汗を拭きながら、満足げに言った。
「あれ? もう終わり?」
美幸は眼鏡を押し上げ、静かに微笑んだ。
「それじゃあ、帰りましょうか」
「ええ」
地面に倒れたままの髭生えた不良生徒が、弱々しく手を伸ばして呻いた。
「ふ、婦警……さん……」
夏実は振り返り、にこやかに手を振った。
「……乗りこなせるようになったらまた呼んでね。さよなら坊や」
リュシーは赤い瞳で不良生徒を冷たく見下ろし、吐き捨てるように言った。
「テメェらなんかアウト・オブ・眼中! 頼まれたってデートはしねえよ!」
髭不良は最後に力を振り絞って手を伸ばしたが、力尽きて倒れた。
「そ、そんな……ガクッ」
美幸はトゥデイの運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
「ふふ……今日もいい講習会だったわね」
夏実は助手席に飛び乗り、豪快に笑った。
「はははっ! 31年ぶりなのに、相変わらず楽しかったわ!次はもっと本気でやるか!」
リュシーはシルバーピジョンを押しながら、ため息をついた。
「……お前ら、本当に警察官でよかったよな」
日本橋高校の校庭に、夕陽が赤く差し込む中、墨東署婦警コンビの伝説は、また一つ新しいページを刻んだ。
翌日
墨田区八広一丁目25番学区・墨東署管内。
中嶋剣は白バイを停め、頭を抱えながら美幸と夏実の前に立っていた。
「……確かに法定速度やヘルメット着用を厳守。交通マナーも非常に良い。しかし……お前ら、一体何教えたんだ!!」
美幸と夏実は顔を見合わせ、同時に明るく笑った。
「あははは」
中嶋は声を荒げた。
「いや、笑いごとじゃないぞ!昨日講習会を受けた生徒たちが、今日から急に『ウィリー50メートルは基本』とか『アクセルターンで曲がれ』とか言い出してるんだ!しかも『倒れたスクーターは腰から一気に持ち上げろ』って、体育の授業で実践しようとして先生が慌てて止めてたらしいじゃないか!」
夏実は胸を張り、豪快に笑いながら言い返した。
「だって、ちゃんと安全にウィリーできるように教えたんだもん。ヘルメットも被らせたし」
美幸は眼鏡を軽く押し上げ、いつもの落ち着いた声で続けた。
「ええ。倒れたスクーターの正しい起こし方も、実演でしっかり見せたわ。腰を落とさず、一気に持ち上げるのがコツよ」
中嶋は額を押さえ、深いため息をついた。
「当時の課長が頭悩ませたのが今になって分かる気がするよ……」
夏実はトゥデイのボンネットに腰をかけ、ニヤニヤしながら言った。
「中嶋、昔の講習会もこんな感じだったろ?不良どもがウィリー練習して、校庭で大騒ぎになってたじゃん!」
美幸はくすりと笑いながら、静かに付け加えた。
「私たちも若い頃は熱血だったもの。31年経っても、その精神は受け継がれているみたいね」
中嶋は白バイのシートに腰を下ろし、遠い目をした。
「……お前ら、本当に変わらないな。生徒たちが『墨東署の婦警コンビ式交通安全講習』って名前まで付けて真似し始めてるぞ。学校側から苦情が来てるんだが……」
夏実は拳を握り、元気よく宣言した。
「いいじゃない! 安全にウィリーできるように教えたんだから!倒れたスクーターを肩に担げるようになったら、二輪免許の第一歩よ!」
美幸は眼鏡の奥で優しく微笑んだ。
「ふふ……中嶋君も心配しすぎよ。生徒たちはきっと、ちゃんと安全を意識して練習してるわ。……多分」
中嶋は頭を抱え、苦笑いを浮かべた。
「多分って……俺が一番不安になる言葉だよ」
そこへ、リュシーがラビットS601を押しながら通りかかった。
リュシーは赤い瞳で中嶋を見て、呆れたように言った。
「中嶋、またお前か……。講習会の後遺症で学校が大騒ぎだって聞いたぞ。お前ら、ほんとに警察官でよかったな」
夏実は大笑いしながら手を振った。
「リュシーも来なさいよ! 次は一緒に講習会やるわよ!ラビットでウィリー50メートル教えてやる!」
リュシーは即座に首を横に振った。
「絶対にイヤだ。お前らの講習会は、ただの怪力ショーだろ……」
美幸はトゥデイの運転席に乗り込み、エンジンを軽くかけた。
「さて、今日の巡回を続けましょうか。中嶋君も、くれぐれも学校に謝っておいてね」
中嶋は白バイに跨がりながら、深いため息をついた。
「……了解した。お前ら、本当に節度を持ってやってくれよ……」
夏実はトゥデイの窓から顔を出し、豪快に叫んだ。
「任せとけ!墨東署婦警コンビの交通安全講習、31年ぶりに大好評だったんだから!」
墨田区の街路に、トゥデイのエンジン音と中嶋の遠いため息が響いた。2026年の夏の午後も、墨東署交通課は今日も平和ではなかった。
でも、それでいい。
伝説の婦警コンビはこれからもフルスロットルで、街の交通安全を守り続けていく——
(生徒たちのウィリーも一緒に)