2026年、夏の午後。
三菱UFJ銀行 墨東店。
店内は穏やかな午後の光が差し込み、静かな空気が流れていた。
カウンターの若い女性店員が、笑顔で次の客を迎えようと声をかけようとしたその瞬間——自動ドアが勢いよく開き、二人の人物が黒い影のように滑り込んだ。
帽子を深く被り、サングラスで目を隠し、黒いジャケットを羽織った辻本夏実と小早川美幸だった。
ダァーン!!
夏実が天井に向かって空砲を一発撃ち、店内に響き渡る大声を上げた。
「動くな!」
美幸も素早く拳銃を構え、冷たく低く響く声で続けた。
「動くと撃つわよ!」
店内が一瞬で凍りついた。
客たちが悲鳴を飲み込み、店員たちが青ざめて固まる。
空気が張りつめ、わずかな物音すら響くような緊張が広がった。
―――——一方、銀行から少し離れた路地に停めた捜査車両(スズキ・ランディ後期型 SGNC27型)内。
二階堂頼子はモニターを食い入るように見つめ、顔を青ざめさせていた。
「中嶋君……やっぱり無茶だよ。美幸はともかく、夏実に防犯訓練の犯人役をやらせるなんて……」
中嶋剣はハンドルを軽く握り、苦い表情で答えた。
「仕方ないだろ。本庁の上層部がそう決めたんだ。小早川は猛反対していたが、辻本はその犯人役を抜擢されてウキウキしたらしいぞ」
葵双葉は後部座席で静かに腕を組み、穏やかだが少し心配げに言った。
「何事もなければいいのですが……」
頼子は画面に映る夏実の姿を見て、声を震わせた。
「夏実、張り切ってるみたい……」
中嶋はため息をつきながら言った。
「ハリエット曰く『やる気だけ満々のベテラン婦警』だな」
頼子が不安げに聞いた。
「ハリエットちゃん……銀行にいるみたいだけど大丈夫かな?」
中嶋は無線を握りしめ、静かに言い聞かせた。
「いいか? みんな。これはあくまでも訓練なんだ。あの二人は分かってると思うが、マニュアル通りにやれば問題ない」
頼子はまだ不安を拭いきれず、モニターを見つめ続けた。
「えぇ……不安だ」
その瞬間、無線から乾いた銃声が響いた。
ダァーン!
夏実の声が飛び込んできた。
「動くと撃つって言ってるでしょ!」
美幸の冷静な声が続いた。
「夏実、これは訓練よ」
夏実は棒読み気味に、しかし全力で叫んだ。
「これぐらいやらないと訓練にならないわよ!」
銀行内では、女性銀行員が震える手で警報ベルに手を伸ばそうとした。
夏実は素早く動き、笑顔で制した。
「はい! そこぉっ! その動きじゃ警報ベルがそこにあるとわかってしまうわよ?」
女性銀行員Aが小さく悲鳴を上げた。
「ひゃぁっ!」
別の女性銀行員も警報ベルに手を伸ばそうとしたが、夏実が即座に阻止した。
「そこも! バレバレだよ~」
女性銀行員Bが青ざめて縮こまった。
「ひぃっ!」
美幸は小さくため息をつきながら、夏実に小声で言った。
「夏実! それじゃ誰も通報出来ないでしょ!」
夏実は堂々と胸を張った。
「何言ってんの! 訓練だからって手は抜かないわよ!」
美幸は頭を抱えそうになりながらも、諦めたように呟いた。
「それはそうだけど……」
捜査車両内では、中嶋が画面を凝視し、顔をしかめた。
「警報ベルが鳴らない……? どうなってるんだ」
頼子が指差して叫んだ。
「中嶋君! アレ!」
葵が冷静に言った。
「モニターが……」
中嶋は絶句した。
「嘘だろ……」
銀行内では、夏実がスプレー缶を取り出し、監視カメラのレンズを次々と黒く塗りつぶしていた。
「これで見えなくなったわ」
美幸はため息をつきながら言った。
「はぁ……全く」
夏実は堂々と胸を張った。
「今の強盗はここまでやって当然よ」
美幸は小さく頭を抱えた。
「むぅ……」
中嶋は画面を見つめ、歯を食いしばった。
「辻本……お前……」
頼子が青ざめて聞いた。
「どうするの?」
中嶋はハンドルを強く握りしめ、低く唸った。
「どうするって……見守るしかないだろ」
夏実は金庫室の前に立ち、店長を睨みつけた。
「金庫を開けなさい」
店長は青ざめながら、震える声で言った。
「え? これは訓練じゃないんですか?」
夏実は声を荒げ、棒読み気味に言い放った。
「うっさいわね! 訓練だからこそあらゆる事態に備えなきゃダメなのよ!つべこべ言わず早く開けなさいよ!」
店長は慌てて金庫のダイヤルを回し始めた。
「は、はぃいい!!」
夏実はさらに追い打ちをかけた。
「札束全部よ」
中嶋は画面を見て、ぐぬぬと唸った。
「ぐぬぬぬ……」
頼子が慌てて無線で指示を出した。
「店長さん、そこでダミーの札束を渡して下さい!」
葵が静かに確認した。
「ダミーの札束ですか?」
中嶋は頷いた。
「強く握った途端、中のペンキが破裂する仕組みになっているんだ」
銀行内では、美幸が店長から受け取ったダミー札束を手に持った瞬間——――
グチュゥッ!
赤いペンキが勢いよく飛び散り、美幸の手とジャケットを真っ赤に染めた。
夏実は棒読みで大げさに叫んだ。
「やられた!」
中嶋は思わず声を上げた。
「引っかかった!」
夏実はさらに棒読みで続けた。
「もうダメよー。これじゃ捕まってしまうわー」
美幸はペンキまみれの手を見て、ため息をついた。
「ぐぬぬぬ……」
夏実は店長に向かってさらに声を荒げた。
「おい、早く本物を渡しなさい」
店長は完全に混乱し、目を白黒させた。
「え!?」
夏実は堂々と胸を張った。
「そういう訓練なのよ!!」
美幸は慌てて止めに入った。
「ダメよ! 夏実!!」
夏実は美幸を振り払い、笑いながら言った。
「美幸! 本当に金を盗らないとリアリティに欠けてしまうよ!」
中嶋はランディのエンジンをかけながら、決意を固めた。
「もうこうしちゃおられない。出動するぞ」
頼子が慌てて叫んだ。
「え!? 通報もないのに出ちゃうの?」
中嶋はアクセルを踏み込みながら答えた。
「このまま放っておいたら警察の面子が丸潰れになるぞ!」
葵がモニターを指差した。
「あ、パトカーが……」
中嶋は画面を見て顔をしかめた。
「あの車両は足立警察署の……」
頼子が目を丸くした。
「あのエリオセダン……カリナちゃんだよね?」
中嶋はアクセルを全開にしながら言った。
「管轄外だろ……一体何が」
頼子が画面を指差して叫んだ。
「あ! 夏実が逃げていくよ!」
中嶋は大声を上げた。
「コラァ! 辻本ーーー!!」
夏実は銀行の裏口から逃走用の小型オートバイ――ホンダ・モンキーに跨がり、振り返って舌を出した。
「げ!」
そのままモンキーを急発進させ、逃走を開始した。
中嶋はランディを急発進させながら叫んだ。
「おい、小早川! 何やってるんだ!!」
美幸は銀行の入り口前で、申し訳なさそうに無線に応じた。
「ごめん、中嶋君」
葵は冷静に無線を切り替え、淡々と報告した。
「――分かりました。中嶋さん、この先の三井住友銀行で強盗事件が」
頼子が驚きの声を上げた。
「え!!?」
中嶋はアクセルを踏み込みながら叫んだ。
「何だと!?」
墨東署の面々が総動員で追いかける中、夏実のモンキーは街中を疾走し、訓練とは思えない本気の逃走劇が始まっていた。
美幸はトゥデイを猛追させながら、静かに微笑んだ。
「夏実……本気すぎるわよ」
三井住友銀行 墨東店。
店の外は一瞬で凍りついた。
数時間前、二人の強盗が乱入し、一人が女性銀行員の首に腕を回して銃口を突きつけ、もう一人が小型の爆弾を高く掲げて機動隊員たちを威嚇していた。
強盗Aが凶悪な笑みを浮かべ、声を張り上げた。
「来るんじゃねえぞ!」
強盗Bは爆弾のスイッチに指をかけ、嘲るように叫んだ。
「動いたらこの爆弾で爆破するぞ!」
機動隊員の一人が歯を食いしばり、低く唸った。
「クソ……」
強盗二人は互いに顔を見合わせ、勝ち誇ったように笑った。
「へっへっへっ……」
その時——銀行の裏口から小型オートバイのエンジン音が響き、黒いジャケットにサングラス姿の夏実が飛び出してきた。
夏実は状況を一瞬で把握し、軽い調子で言った。
「あれ? ここでも訓練やってたの? 爆弾だなんて本格的だね~」
中嶋の慌てふためいた声が無線から飛び込んできた。
「おい! 辻本!! 其奴らは本物の強盗だぞ!!」
夏実はモンキーを急停止させ、目を丸くした。
「何ですって!?」
強盗Aが夏実に向かって銃を向け、凶悪に笑った。
「ハッ! 何だか知らねえが、拳銃捨てないとこの女を殺すぞ!」
夏実は一瞬迷ったが、ゆっくりと拳銃を地面に置いた。
「く……!」
強盗Aは満足げに笑い、仲間に向かって言った。
「そうそう、ほなさいなら~」
夏実はその瞬間、唇の端を吊り上げた。
「そうはいかないわよ!!」
隠し持っていたトミーガンを素早く取り出し、強盗二人に向かって容赦なく連射した。
ダダダダダダダッ!!
強盗二人は驚愕の表情を浮かべたまま、体を震わせてその場に崩れ落ち、失神した。
人質になっていた女性銀行員は呆然と床に座り込み、言葉を失っていた。夏実はトミーガンを肩に担ぎ、にこやかに言った。
「ふふ、引っかかったわね? これも訓練用の空砲よ」
機動隊員たちが一斉に動き出し、強盗二人を確保した。
「犯人確保ー!!」
中嶋の声が無線から響いた。
「辻本!!」
夏実はモンキーに跨がったまま、気軽に手を振った。
「あ、中嶋くーん、やっつけちゃった」
中嶋はランディから降りてきて、怒鳴りつけた。
「お前、そんなモノどこから取ってきたんだ!?」
夏実はヘルメットを外しながら、平然と答えた。
「ドロテアさんから借りただけだよ」
中嶋は絶句した。
「ドロテアが!?」
頼子が無線越しに呆れた声を出した。
「ランエボだけじゃなくて武器まで……」
葵が冷静に付け加えた。
「『死の商人』ですね」
夏実は肩をすくめて笑った。
「中嶋君、昨日言ったじゃない? 犯人役はリアリティが必要不可欠だって」
中嶋は頭を抱えた。
「だからと言ってトミーガンを出す必要はないだろ!!」
夏実は無邪気に首を傾げた。
「えー? 折角色々用意したのに……手榴弾にスペツナズナイフに。閃光弾やAK-47とか……」
頼子が遠慮がちに呟いた。
「本格的だね……」
美幸はペンキまみれのジャケットを眺めながら、静かに言った。
「……あとで始末書ね。これは」
その時、葵の冷静な声が無線に入った。
「大変です! 時限爆弾が作動して爆破まであと5分です!」
ハリエットがピレネーブラックのエボⅢから降り立ち、優雅に歩み寄ってきた。
「困ってるようですね? 私に任せて下さい」
中嶋は慌てて止めた。
「ハリエット!? お前、危険だぞ!」
ハリエットは黄金色の瞳を細め、涼しい顔で答えた。
「ドロテア様やリュシー様に爆弾の解除の仕方を教えて貰いましたから出来ます」
中嶋は声を荒げた。
「無理だ! やめろ!」
ハリエットは軽く肩をすくめ、優雅に言った。
「私はメイドですよ? 不可能を可能にするのが……ドロテア様に仕えるメイドです」
中嶋は必死に止めた。
「あ、だからこういうのは警察官に任せば……」
ハリエットはため息をつき、冷たく言い返した。
「お前が口挟むからあと3分になったじゃないですか!」
中嶋は言葉を失った。
「やめろって!」
ハリエットは爆弾の前にしゃがみ込み、静かに作業を始めた。
「……唐変木警官」
中嶋は頭を抱えた。
「お前な……」
ハリエットは器用にネジを外し、複数のケーブルを慎重に切断しながら言った。
「ネジを外し……複数のケーブルを三カ所だけ切断。これで——」
ピッ。
時限装置の表示が止まり、爆弾は静かに沈黙した。
ハリエットは立ち上がり、優雅に髪を払った。
「解除完了です」
中嶋は呆然と立ち尽くし、ようやく声を絞り出した。
「……お前、本当にメイドか?」
ハリエットはくすくすと笑いながら答えた。
「メイドですから」
夏実はトミーガンを肩に担いだまま、満足げに言った。
「よし! 一件落着!今日の訓練も大成功だね!」
美幸はペンキまみれのジャケットを眺めながら、静かにため息をついた。
「夏実……あとで始末書、たっぷり書いてもらうわよ」
夏実は笑いながら手を振った。
「えー? リアリティ重視でしょ?」
頼子が無線越しに叫んだ。
「みんな無事でよかった……でも、もう心臓に悪いからやめてよね!」
中嶋はランディのドアを閉めながら、深いため息をついた。
「……墨東署は今日も平和ではなかったな」
夏実はモンキーに跨がり直し、ヘルメットを被りながら明るく言った。
「それでいいんだよ!あたしたちがいるところが平和だった試しがないんだから!」
美幸はトゥデイの運転席に乗り込み、静かに微笑んだ。
「ええ……これからも、フルスロットルでね」
銀行の前で、墨東署と足立署の面々が集まり、今日もドタバタとした、しかし確かな絆を感じさせる一日が終わろうとしていた。
夏実はヘルメットの中で小さく呟いた。
「次はもっと本格的にやろうかな……」
中嶋の遠いため息が、夕陽に染まる墨田区の街に溶けていった。
フルスロットルで、逮捕しちゃうぞ——!
(銀行も一緒に守って)