2026年、夏の午後。
墨東署交通課の駐車場。
いつものようにトゥデイのボンネットに腰をかけていた夏実は、突然の声に顔を上げた。「小早川、辻本、それに中嶋まで……お前ら相変わらずだな……」
その低く渋い声の主は、背の高い初老の男性だった。
白髪交じりの短髪に、鋭い目つき。
制服の胸には「交通課長」のネームプレートが光っている。
夏実は一瞬目を丸くし、すぐに豪快に笑った。
「課長!」
美幸は眼鏡を軽く押し上げ、丁寧に頭を下げた。
「課長、お久しぶりです」
中嶋剣も白バイの横から歩み寄り、軽く会釈した。
「あ、課長! お久しぶりです」
花蝶課長は駐車場を見回し、懐かしそうに目を細めた。
「おー、メイドさんまで揃って……ここは変わらないなぁ」
ハリエットは黄金色の瞳を細め、怪訝な顔で聞いた。
「誰ですか? この人は」
夏実は笑いながら答えた。
「あたし達の上司よ」
ハリエットは一瞬固まり、珍しく声を上ずらせた。
「え!?」
リュシーは赤い瞳で花蝶をじっと見つめ、率直に言った。
「というかこの人警察OBか? 年齢の割りに50代しか見えないが……」
美幸は静かに微笑みながら答えた。
「今年で82歳よ」
ハリエットは黄金色の瞳を大きく見開き、信じられないといった顔をした。
「82歳!!!? 信じられません。じゃあ今は何なされてるのですか?」
花蝶課長は髭を軽く撫で、渋い笑みを浮かべた。
「課長だ。交通課のな」
ハリエットはさらに驚きを隠せなかった。
「は? いや、どう見てもOBですよね」
花蝶課長は肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。
「それがな……辞めさせて貰えないんだ。もうとっくに定年迎えたのによぉ……」
ハリエットは呆れたように三つ編みを弄びながら言った。
「それって使い潰しでは? ブライトさんと同じなんですね」
リュシーは即座に突っ込んだ。
「ハリエット、ブライト艦長と同類にするな」
花蝶課長は遠い目をして、静かに言った。
「警察の上層部が『墨東署交通課を統率出来るのはキミしかいない』と言われてね」
リュシーは腕を組み、赤い瞳で花蝶をじっと見つめた。
「地方にいる警察は老年でも活躍してる警官はいるのは分かるが、未だに交通課の課長のままでいるのは稀なレアケースだぞ」
ハリエットは少し考え込み、黄金色の瞳を細めて言った。
「課長さんは息子とかいますか? もしかしてテロリストのリーダーに?」
美幸は慌てて止めに入った。
「ハリエットちゃん、課長は……」
夏実は笑いながら手を振った。
「テロリストの息子はいないわよ」
ハリエットは納得いかない様子で腕を組んだ。
「いないって……絶対に嘘です。警察を辞めさせられない課長や軍を退役したいが上層部に使い潰しする形で退役出来ないブライト艦長。まさに同じじゃないですか」
リュシーは頭を抱えながら言った。
「ハリエット、『閃光のハサウェイ』の映画見たのか?」
ハリエットは少し頰を赤らめ、素直に答えた。
「え? あ、はい。リュシー様」
花蝶課長は渋い笑みを浮かべ、みんなを見回した。
「まあ、気にしないでくれ。俺はただ、この交通課が好きでな。個性派揃いのこの部署を、誰かがまとめておかないと大変なことになるからよ」
夏実は豪快に笑いながら課長の肩を軽く叩いた(力加減はかなり控えめ)。
「課長、相変わらずカッコつけてるわね!でも、82歳でまだ現役って、本当にすごいよ!」
美幸は静かに微笑みながら言った。
「課長がいると、なんだか安心します。これからも、よろしくお願いしますね」
花蝶課長は満足そうに頷き、駐車場に並ぶトゥデイとエボたちを見回した。
「相変わらず賑やかだな……お前ら、くれぐれも無茶はするなよ。特に辻本、お前は怪力で車を壊すんじゃないぞ」
夏実は笑いながら胸を叩いた。
「任せとけ!」
ハリエットはまだ少し信じられない様子で、花蝶課長をじっと見つめていた。
「……82歳で交通課長……本当に信じられないです」
リュシーは小さく笑いながら言った。
「まあ、墨東署ってそういうところだよ」
駐車場に、夏の陽射しが差し込む中、82歳のベテラン課長といつもの面々が集う光景は、
墨東署交通課らしい、温かくも少し不思議な日常を象徴していた。
夏実はトゥデイのボンネットに腰をかけ、明るく言った。
「課長、久しぶりにみんなでファミマ行きません?昔みたいにホットドッグ食べながら昔話しましょうよ!」
花蝶課長は渋い笑みを浮かべ、ゆっくりと頷いた。
「ああ、いいな。それじゃあ少し付き合おうか」
墨東署交通課の駐車場、トゥデイの陰。
ハリエットは黄金色の瞳を細め、リュシーに尋ねた。
「ねえ、リュシー様。さっきの課長の話で思い出したんですけど……ブライト艦長って、本当に退役できないんですか?『閃光のハサウェイ』でも、ずっと現役で苦労してましたよね」
リュシーはラビットS601に寄りかかり、赤い瞳を少し遠くへ向けた。
「ああ……ブライト・ノアか。あの人も、墨東署の花蝶課長と同じで『辞めさせてくれない』タイプだな。連邦軍の上層部が『お前しかいない』って言い張って、退役を認めないんだよ」
ハリエットは三つ編みを指で弄びながら、興味深そうに聞いた。
「詳しく聞かせてください。ブライト艦長は連邦軍の英雄なのに、なぜそんなに長く現役を続けさせられているんですか?」
リュシーは少し声を低くして、説明を始めた。
「ブライト・ノアは、宇宙世紀0079年の一年戦争から、ずっと連邦軍の第一線で戦い続けてきた男だ。ホワイトベースやアーガマ…ラー・カイラムの艦長としてアムロ・レイやカミーユ・ビダンを育て、グリプス戦役、ネオ・ジオン抗争、そして第二次ネオ・ジオン抗争でも指揮を執った。その経験と実績は連邦軍の中でも突出していて、特に『若いパイロットを育て上げる能力』と『冷静な判断力』が評価されてる。問題は、そこなんだよ。連邦軍の上層部は『ブライト・ノアがいれば、どんな危機も乗り切れる』って思い込んでる。特にハサウェイの時代になると、地球連邦政府は内部で腐敗が進み、軍の統制も緩んでいた。そんな中で、ブライトのような『信頼できる古株の指揮官』を簡単に手放したくないんだ。退役願を何度も出してるのに、『まだお前が必要だ』って却下され続けているらしい」
ハリエットは少し驚いた顔をした。
「それって……使い潰しじゃないですか?英雄を定年まで働かせず、延々と現役に縛りつけるなんて……」
リュシーは苦笑いを浮かべた。
「まさにそれだよ。ブライト本人は『もう若手に道を譲りたい』って思ってるのに、上層部は『お前がいるから軍の士気が保てる』とか『経験を次の世代に伝える義務がある』とか言って、退役を認めない。結果、60歳を超えても艦長を続け、挙句に息子のハサウェイがテロリストの道を歩む事態になっても、軍を辞められなかった。花蝶課長と同じで、『この部署(または軍)をまとめるのはお前しかいない』って言われ続けているんだ。本人はもうとっくに引退したくて仕方ないのに、組織の都合で縛りつけられている……典型的な『英雄の悲哀』ってやつだな」
ハリエットは三つ編みを指で巻きながら、静かに言った。
「ドロテア様が聞いたら、きっと『組織のエゴで個人の人生を犠牲にするなんて、許せませんわ』って仰るでしょうね。ブライト艦長も、花蝶課長も……本当に気の毒です」
リュシーは小さく頷いた。
「ああ……でも、二人とも根っからの軍人・警察官だからな。組織を恨みながらも、最後まで責任を果たそうとする。それが彼らの美しさであり、悲しさでもあるんだよ」
ハリエットは少し沈黙した後、黄金色の瞳を細めて言った。
「リュシー様……もし、私がドロテア様に同じことをされたら、どうします?」
リュシーは即座に赤い瞳を鋭く光らせ、はっきりと言った。
「その時は、お嬢を説得する。たとえ逆らってでも、お前を自由にしてやるよ。……お前はもう十分、頑張ってるんだからな」
ハリエットは一瞬、目を丸くした後、珍しく柔らかい笑みを浮かべた。
「……ありがとう、リュシー様」
駐車場の風が、二人の髪を優しく揺らした。ブライト・ノア艦長の退役事情は組織のエゴと英雄の責任感がぶつかり合う宇宙世紀の哀しい現実を象徴していた。
そしてそれは、
墨東署の花蝶課長の状況と重なり、ハリエットとリュシーの心に、静かな波紋を広げていた。
墨東署交通課の屋上休憩スペース。
花蝶課長はいつもの渋い表情で、フェンスにもたれかかりながら煙草をくわえていた。
美幸、夏実、中嶋の三人が、課長にコーヒーを差し入れに来たところだった。
夏実はいつもの調子で明るく聞いた。
「課長、82歳でまだ現役って、本当にすごいよね。そろそろ退職願、出してもいいんじゃないの?」
花蝶課長は煙をゆっくり吐き出し、遠い目をして小さく笑った。
「……ああ、退職願か。俺はもう、20年以上前から毎年出してるよ」
美幸は眼鏡を軽く押し上げ、静かに聞き返した。
「毎年……ですか?」
花蝶課長はコーヒーカップを受け取りながら、渋い笑みを浮かべた。
「そうだ。定年を迎えた65歳の時から、毎年欠かさず提出している。内容はいつも同じだ。
『長年の勤務を以て一線を退きたい。後進に道を譲りたいので、退職を認めていただきたい』……という、至って平凡なものだ」
中嶋は白髪交じりの頭を掻きながら、驚いた顔をした。
「毎年出してるのに、却下され続けているってことか……」
花蝶課長は煙草の灰を落とし、静かに続けた。
「本庁の上層部は、毎回同じ返事をしてくる。『墨東署交通課を統率できる者は、キミをおいて他にいない。
個性派揃いのこの部署をまとめるには、君の経験と人望が必要だ』……と。最初は嬉しかったよ。自分の仕事が認められているんだと思ったからな。だが、70歳を過ぎた頃から、だんだん違う意味に聞こえてきた。
『お前が辞めると、この署は崩壊する』という、半ば脅しのような響きに変わっていったんだ」
夏実は拳を握りしめ、悔しそうに言った。
「それって……ただの使い潰しじゃん!課長、82歳だよ? もう十分頑張ったでしょ!」
花蝶課長は苦笑いを浮かべ、遠くの空を見つめた。
「俺もそう思うよ。孫の顔ももっと見たいし、妻とゆっくり旅行にも行きたい。でも、上層部は『交通課の伝統と精神を継承できるのは、君しかいない』と繰り返す。実際、俺が辞めた後の人事案が出るたびに、『あの課長ではまとまらない』と却下されてきたらしい。結果、82歳の今も、まだ交通課長の椅子に座らされている」
美幸は静かに、しかしはっきりと言った。
「課長……それは、組織のエゴです。個人の人生を犠牲にしてまで、部署の安定を優先するなんて……許せません」
花蝶課長はコーヒーを一口飲み、穏やかに答えた。
「小早川……お前は相変わらず真っ直ぐだな。俺も若い頃はそうだった。だが、40年以上この署にいると、組織というものがどれだけ個人の意志を飲み込んでしまうか、嫌というほどわかってくる。それでも……俺はこの交通課が好きなんだ。お前たちのような、個性的で、時には馬鹿馬鹿しくて、でも真剣に街を守ろうとする部下たちと一緒にいられるのが、俺の生きがいでもある。だから、完全に諦めているわけじゃない。ただ……もう少し、時間をくれと言っているだけだ」
中嶋は静かに頷いた。
「課長……俺たちも、課長が無理をしてまで残る必要はないと思います。でも、課長がこの署を大切に思っている気持ちは、ちゃんと伝わってきます」
夏実は拳を握り、力強く言った。
「課長、あたしたちが全力でサポートします!上層部に『課長はもう十分頑張った』って、ちゃんと訴えてやりますから!」
花蝶課長は三人の顔を見て、珍しく柔らかい笑みを浮かべた。
「……ありがとう。お前たちがいると、俺もまだまだ頑張れる気がするよ。ただ……いつか、本当に退職願が通る日が来たら、その時は、みんなでファミマのホットドッグでも食べながら、ゆっくり昔話をしようじゃないか」
美幸は静かに微笑み、頷いた。
「ええ……その日を、楽しみにしています」
夏実は大きく頷き、笑顔で言った。
「約束ですよ、課長!その時は、あたしが奢ります!」
花蝶課長は煙草を消し、ゆっくりと立ち上がった。
「さて……また仕事に戻るか。お前たちも、無茶はするなよ」
課長の背中が、夕陽に染まる駐車場に遠ざかっていく。美幸は静かに呟いた。
「82歳でまだ現役……本当に、課長は強い人ね」
夏実はトゥデイのボンネットに寄りかかり、決意を込めて言った。
「あたしたちも、課長がちゃんと休めるように、もっと頑張らないとな」
駐車場に、夏の風が優しく吹き抜けた。花蝶課長の退職願は今も毎年提出され続け、毎年却下され続けている。
しかし、彼の背中には、部下たちへの静かな信頼といつか必ず訪れる「本当の定年」を夢見る静かな希望が宿っていた。
墨東署署長室。
猪瀬文雄署長は、窓辺に立ちながら将棋の駒を指で弄び、深いため息をついた。
「全く……上層部はまだ花蝶を縛り付けているのか。署長として見過ごせん。だが、この交通課を纏めるのは彼しかいないのは事実だ。さて、どうすべきか……」
猪瀬署長は将棋盤の前に座り直し、ぼんやりと駒を見つめた。
82歳になっても第一線で交通課をまとめ続ける花蝶課長の姿が、頭から離れない。
そこへ、ノックの音が響いた。
「失礼します」
入ってきたのは、小早川美幸と辻本夏実、そして中嶋剣の三人だった。
三人は署長に呼ばれてやって来たらしい。
猪瀬署長は三人を見て、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「おう、来たか。座りなさい」
夏実は少し緊張しながらも、ストレートに切り出した。
「署長、花蝶課長のことですよね?あの人、82歳なのにまだ交通課長やってるって……もう限界じゃないですか?」
猪瀬署長は将棋の駒を一つ動かしながら、ゆっくりと頷いた。
「そうだ。俺も気になってな。花蝶は65歳の時から毎年、退職願を出している。内容はいつも同じだ。『後進に道を譲りたい』という、至って真っ当なものだ。しかし本庁は毎回却下する。『墨東署交通課をまとめられるのは花蝶しかいない』と」
美幸は眼鏡の奥で静かに目を細めた。
「組織のエゴが強すぎます。個人の人生を犠牲にしてまで部署の安定を優先するのは、間違っていると思います」猪瀬署長は苦笑いを浮かべた。
「小早川、お前は相変わらず正論を言うな。俺も署長として、何度も本庁に掛け合っている。だが上層部は『交通課の伝統と精神は、花蝶がいるからこそ保たれている』と頑なだ。実際、お前たちのような個性派揃いの部署を、あの男以外にまとめられる人間がいるか?」
中嶋は腕を組み、低い声で言った。
「確かに……課長がいなくなったら、交通課はすぐにバラバラになるかもしれません。でも、それでも82歳まで働かせるのは、あまりに酷です」
猪瀬署長は将棋の駒を指で軽く叩きながら、静かに続けた。
「俺もそう思う。花蝶はもう十分に務めを果たした。孫の顔を見ながら、ゆっくりとした老後を送る権利がある。
だが……この署の現実を見ると、簡単に『辞めていい』とは言えんのも事実だ」
夏実は拳を握りしめ、熱く訴えた。
「署長! だったらあたしたちが証明してやりますよ!課長がいなくても、この交通課はちゃんと回るって!美幸とあたしと中嶋で、しっかり支えますから!」
猪瀬署長は三人の顔を順番に見つめ、ふっと笑った。
「辻本……お前らしいな。しかし、それで本当に大丈夫か?お前たちは全力で走りすぎる。誰かがブレーキをかけ、全体をまとめる人間が必要だ。それが今まで花蝶の役割だった」
美幸は静かに、しかし力強く言った。
「署長……課長には、そろそろ本当の休息をあげましょう。私たちも、成長しました。課長が築いてくれたこの交通課の精神は、ちゃんと引き継ぎます」
猪瀬署長は将棋盤から目を離し、窓の外の夕陽を見つめた。
「……わかった。俺も本気で動いてみる。上層部に正式に掛け合い、花蝶の退職を認めさせる方向で調整する。ただし……条件がある」
中嶋が聞いた。
「条件、ですか?」
猪瀬署長は三人に向き直り、真剣な顔で言った。
「花蝶が辞めた後、交通課が崩れないように、お前たち三人を中心に新しい体制を整えることだ。特に小早川……お前には、課長代理として全体をまとめる役割を期待している。できるか?」
美幸は一瞬目を丸くしたが、すぐに凜々しく頷いた。
「……はい。全力で務めます」
夏実は拳を握りしめ、笑顔で言った。
「よし! あたしも全力でサポートするわよ!」
猪瀬署長は満足そうに頷き、最後に一言付け加えた。
「花蝶には、まだ何も言うな。俺が上手く話をつけてからだ。……あの人も、内心ではもう限界に近いはずだからな」
署長室の窓から、夕陽が赤く差し込んでいた。
猪瀬文雄署長は、将棋の王将を手に取り、静かに呟いた。
「花蝶……お前も、そろそろ駒を降ろす時が来たようだな」
墨東署の夏は、長年交通課を支えてきた老将の静かな退場と新しい世代へのバトンタッチを、静かに迎えようとしていた。
墨東署入り口前。
署の正面ゲート近くで、美幸と夏実、中嶋が花蝶課長と立ち話をしていると、突然聞き覚えのある声が響いた。「あら? お困りのようね」
美幸は振り返り、目を細めた。
「コトハさん……?」
夏実は警戒心を露わに、眉を寄せた。
「何しに来たのよ。まさか……」
コトハは金髪のロングヘアーを風に揺らしながら、優雅に微笑んだ。
その笑みにはいつもの高飛車さがしっかりと含まれている。
「そのまさかよ。私も協力するわ」
ハリエットは黄金色の瞳を細め、即座に毒を吐いた。
「あ、高飛車女」
コトハはハリエットを見下ろすように視線を落とし、涼しい顔で言い返した。
「……話は聞かせて貰ったわ。あんた達の上司が退職願提出してるのに却下され続けてるって。私の姉に連絡して事情を話してみるわ。警察庁の幹部なの。若きエリートの。ね」
ちょうどそのタイミングで、花蝶課長が不思議そうにコトハを見つめた。
「誰だ? 君は」
コトハは金髪を軽く払い、自信たっぷりに答えた。
「あんたの部下のお知り合いってところね」
美幸は少し驚いた表情で言った。
「警察庁の若きエリート……聞いたことがあるわ。確か、四王天神楽警察庁長官?」
コトハは満足げに頷いた。
「そう、私は彼女の妹よ。彼女なら味方になってくれるはずよ。他の警察幹部と違って、組織改革を積極的にやっているわ」
花蝶課長は髭を軽く撫でながら、慎重に言った。
「確かに良い条件かもしれないが……俺がいないと、辻本が……な。暴走するかもしれん」
コトハはくすりと笑い、金髪を指で軽く巻きながら答えた。
「その点については心配ないわ。まぁ、新しく入ってくる課長はあんた達より30歳年下よ」
中嶋は少し驚いた顔でコトハを見た。
「……四王天長官の妹? でも、何でそんな事知っているんだ?」
コトハは肩を軽くすくめ、優雅に答えた。
「姉が教えてくれたのよ。本当はダメだけど、このまま放置するわけにはいかないって、お姉ちゃんが言ってたわ」
美幸は静かに、しかし力強く頷いた。
「……課長のためなら私達は協力するわ」
コトハは金色の長い髪を風になびかせながら、条件を切り出した。
「その代わり、条件があるわ。花蝶さん、おつまーる走に来なさい。観客席でならいいでしょ?」
花蝶課長は目を丸くした。
「おつまーる走?」
コトハはにこやかに、しかしどこか挑戦的に微笑んだ。
「ええ。あなたが長年まとめてきた交通課の面々が、どんな走りを見せるのか……興味があるのよ。課長として、最後に部下たちの晴れ舞台を見てあげたらどう?」
夏実は腕を組み、半信半疑の顔で言った。
「ちょっと待ってよ。高飛車女が急に協力的すぎるわ。本当にただの親切? 何か裏があるんじゃないの?」
コトハは金髪を優雅に払い、涼しい声で答えた。
「裏? ふふ、失礼ね。私はただ、面白いことが好きというだけよ。それに……花蝶課長が82歳まで現役を続けているなんて、ただの話では終わらせたくないの」
ハリエットは腕を組み、黄金色の瞳でコトハをじっと見つめながら呟いた。
「……信用ならないですね。でも、花蝶課長のためなら……」
美幸は静かに微笑みながら、花蝶課長を見た。
「課長、どうされますか?四王天長官の協力があれば、退職願が通る可能性はかなり高くなります」
花蝶課長は少し考え込み、渋い笑みを浮かべた。
「……ふむ。俺の最後の仕事が、走り屋のイベントの観客席か……悪くないな。よし、乗った。ただし、俺はあくまで見学だぞ。お前たちが暴走しないよう、ちゃんと見張らせてもらうからな」
コトハは満足そうに金髪を揺らし、優雅に微笑んだ。
「賢明な判断ね。では、よろしく。おつまーる走で、面白いものを見せてちょうだい」
夏実は拳を握りしめ、闘志を燃やした。
「よし! 課長のためにも、絶対にいい結果を出してやる!」
墨東署の入り口前は、突然の来訪者と新たな展開によって、いつもの日常とは少し違う熱を帯びた空気に包まれていた。
金髪のロングヘアーを風になびかせながら去っていくコトハの背中をハリエットはまだ少し不信感の残る目でじっと見つめていた。
翌日
墨東署交通課・朝のミーティングルーム。
朝の陽射しが窓から差し込む中、いつもより少し緊張した空気が流れていた。
美幸、夏実、中嶋、頼子、葵、そしてピクシス・マスールの面々が集まっている。
花蝶課長もいつもの席に座り、渋い顔でコーヒーを飲んでいた。
夏実はテーブルに両手をつき、勢いよく切り出した。
「で? 昨日コトハが言ってたこと、どうなったの?本当に警察庁長官の妹が動いてくれるの?」
美幸は眼鏡を軽く押し上げ、落ち着いた声で言った。
「コトハさんから連絡があったわ。姉の四王天神楽長官に事情を話したところ、『興味深いケースだ』と言って、すぐに調査を始めてくれるそうよ。正式な回答はもう少し時間がかかるらしいけど……前向きに動いてくれているみたい」
花蝶課長はカップを置き、静かにため息をついた。
「ふむ……四王天長官か。若手ながら辣腕で有名な人物だな。まさか俺の退職願にまで興味を持ってくれるとは……世の中、わからないものだ」
そこへ、ドアがノックされ、ハリエットが優雅に入ってきた。
その後ろにはリュシーと、珍しく少し緊張した様子のコトハもいる。
コトハは金髪のロングヘアーを軽く払いながら、いつもの高飛車な笑みを浮かべた。
「みんな、おはよう。姉から連絡があったわ。『花蝶課長の退職願について、正式に本庁で検討を始める』って。
ただし、条件があるみたいよ」
夏実は身を乗り出した。
「条件?」
コトハは美幸たちを順番に見回し、はっきりと言った。
「交通課の体制を、花蝶課長抜きでも問題なく回せるように整えること。具体的には、小早川巡査部長に課長代理としての実務を任せ、辻本と中嶋がそれをしっかり支える体制を作ること。それが整ったら、退職を認める方向で上層部に進言するって」
花蝶課長は髭を軽く撫で、静かに言った。
「……俺がいなくなっても、この課が崩れないように、ってことか。妥当な条件だな」
美幸は真剣な顔で頷いた。
「了解しました。私にできる限り、課長が築いてきたものを守ります」
夏実は拳を握りしめ、力強く宣言した。
「任せとけ!あたしが全力で暴走を抑える……って言うか、支えるから!」
中嶋は苦笑いを浮かべながらも、しっかり頷いた。
「俺も全力でサポートする。白バイの仕事と並行してでも、ちゃんとやるよ」
頼子は眼鏡を光らせて手を挙げた。
「私も頑張るよ! 事務仕事とか、できることなら何でも!」
葵は穏やかに微笑みながら言った。
「私もできる限り協力します」
リュシーは腕を組み、赤い瞳で花蝶課長を見つめた。
「課長……お前もようやく休めるのか。82歳までよく頑張ったな」
ハリエットは黄金色の瞳を細め、少し心配そうに言った。
「本当に大丈夫なんですか?新しい課長が来るって話でしたが……美幸さん達より30歳も年下なんですよね?
ちゃんとこの課をまとめられるのですか?」
花蝶課長はみんなの顔をゆっくりと見回し、珍しく柔らかい笑みを浮かべた。
「心配するな。お前たちなら大丈夫だ。俺がこれまで見てきた中で、一番個性的で、一番熱い連中だ。……少し寂しくはなるがな」
部屋に、ほんの少しだけ静かな空気が流れた。
夏実は立ち上がり、明るく声を上げた。
「―――だったらあたしたちはもっと頑張らないと!課長が安心して辞められるように、最高の交通課にしてみせるよ!」
美幸は静かに微笑みながら、花蝶課長に向かって頭を下げた。
「課長……今まで、本当にありがとうございました。これからは、私たちがこの課を守ります」
花蝶課長は少し目を細め、感慨深げに頷いた。
「ああ……頼んだぞ」
コトハは金髪を優雅に払いながら、満足そうに言った。
「ふふ、いい雰囲気ね。姉にもちゃんと報告しておくわ。……それと、おつまーる走の件、忘れないでよ?花蝶課長、ちゃんと観客席で楽しんできてね」
花蝶課長は苦笑いを浮かべた。
「わかったよ……お前もなかなか強引だな」
ミーティングルームに、夏の柔らかな光が差し込む中、花蝶課長の長年の勤務にようやく終わりが見え始めていた。
墨東署交通課の休憩スペース。
花蝶課長の退職問題の話題が一段落した後、ハリエットがふと思い出したように口を開いた。
「そう言えば気になってたのですが、ブライト艦長は60歳過ぎても現役でいたんですよね?あの後、どうなったんですか?」
リュシーはラビットS601に軽く寄りかかり、赤い瞳を少し遠くへ向けた。
「『閃光のハサウェイ』以降は、彼はそのままフェードアウトしたけど……恐らく、死ぬまで全うしたんだろうな」
ハリエットは黄金色の瞳を少し見開いた。
「死ぬまで……ですか?」
リュシーは小さく頷き、淡々と言葉を続けた。
「Vガンダムの時代になっても、もしブライトが生きていたら89歳くらいになってる計算だ。そんな年齢でまだ軍の指揮官をやっていたなんて、普通に考えたら凄いことだけど……実際は組織のエゴが強すぎたんだろうな。上層部が『ブライト・ノアがいれば軍の士気が保てる』『経験を次の世代に伝える義務がある』って言い続けて、本人が何度退役願を出しても却下され続けたって話だ。結局、英雄は英雄のまま、組織に飲み込まれて……静かに、誰にも気づかれないようにフェードアウトしていったんだと思う。表舞台から完全に姿を消した後も、連邦軍のどこかでまだ名前だけは生き続けていたらしいが……もう、誰も彼を解放してやれなかった」
ハリエットは三つ編みを指でゆっくりと弄びながら、静かに言った。
「……酷い話ですわね。一生を軍に捧げた英雄を、定年を過ぎても使い潰し続けるなんて。まるで花蝶課長と同じではありませんか」
リュシーは苦笑いを浮かべ、肩を軽くすくめた。
「ああ、よく似てるよな。二人とも『お前しかいない』って言われ続けて、本当はとっくに引退したかったはずなのに、組織の都合で縛りつけられて……ブライト艦長の場合は、息子のハサウェイがテロリストの道を歩むという悲劇まで起きてしまった。あの頃のブライトは、家族との時間すらろくに取れなかっただろうな」
ハリエットは少し声を低くして言った。
「ドロテア様が聞いたら、きっと『個人の人生を組織の駒として扱うなど、許されざる傲慢ですわ』とおっしゃるでしょうね。……私も、そう思います」
リュシーは赤い瞳を細め、珍しく真剣な声で続けた。
「組織ってのは、都合が良くなると英雄を神様扱いして、都合が悪くなると捨て駒にする。ブライトも、花蝶課長も……その典型だよ。だからこそ、あたしはお前たちには同じ道を歩ませたくない。たとえお嬢の命令でも……な」
ハリエットは一瞬、黄金色の瞳を揺らした後、小さく微笑んだ。
「……リュシー様、ありがとうございます。でも、私は大丈夫です。だって、私には……」
リュシーはハリエットの言葉を遮るように、軽く頭を小突いた。
「バカ。そういう時は素直に『ありがとう』でいいんだよ」
ハリエットは頰を少し赤らめ、そっぽを向いた。
「……うるさいですわ、狂犬」
リュシーは小さく笑い、遠くの空を見上げた。
「ブライト艦長……あの人も、きっと最期まで『連邦軍の誇り』として生きて、静かに逝ったんだろうな。……英雄ってのは、往々にして孤独だ」
休憩スペースに、夏の柔らかな風が吹き抜けた。
ハリエットは静かに呟いた。
「花蝶課長には……せめて、穏やかな最期を迎えてほしいものですね」
リュシーは無言で頷き、赤い瞳にわずかな影を落とした。
墨東署の昼下がり、遠い宇宙の英雄と、目前の老課長の運命が二人のメイドの胸に静かな波紋を広げていた。