2026年、夏の穏やかな午後。
墨田区の小さな公園。
トゥデイでいつものように巡回中だった美幸と夏実は、公園の芝生広場で何やら一生懸命に動き回っている小さな影を見つけた。
夏実は助手席から大きく身を乗り出し、目を細めた。
「ん……あそこにいるのはミリアムちゃん? 様子おかしいわね……」
美幸もハンドルを軽く切りながら、穏やかに言った。
「あら、本当だわ。公園で何かやってるようだけど」
芝生の上では、モナコレッドのエボⅤを運転するミリアムが、まるでモデルのように歩く練習をしていた。
「いち、にー、いち、にー! うん、よーし、この調子……」
夏実はトゥデイを路肩に停め、窓から顔を出して声をかけた。
「何やってるの? ミリアムちゃん」
ミリアムはびっくりして飛び上がり、慌てて振り返った。
「ふぁあっ!?」
夏実は目を丸くした。
「え?」
ミリアムは顔を真っ赤にして両手を広げ、必死に抗議した。
「夏実さん……? 何だ!? まさかボクの邪魔をするつもりか!?」
夏実は苦笑いを浮かべた。
「そんなつもりはないわよ」
ミリアムは頰を膨らませて言った。
「じゃあ、じゃあ、何で声をかけてきたんだよー!」
夏実は胸を張って答えた。
「そりゃあ、私達、婦警だから何やってるのかパトロールしてるに決まってるでしょ?」
ミリアムは小さく唸った。
「ふーっ!!」
美幸は運転席から優しく微笑みながら言った。
「何か頑張ってるみたいだったから、努力家で偉いなと思っただけよ」
ミリアムは一瞬ぱっと顔を輝かせ、照れくさそうに頭を掻いた。
「え? ボクって偉い……? えへへ……それほどでもないけど……」
夏実はニコニコしながら聞いた。
「うんうん、偉い偉い。それで何してたの?」
ミリアムは少し迷った後、観念したように肩を落とした。
「うーん、夏実さん達になら話していいか……」
美幸は穏やかに促した。
「聞かせて貰えないかしら?」
ミリアムは両手を腰に当て、少し得意げに胸を張った。
「ボクはね、歩き方の練習をしていたんだ」
夏実は首を傾げた。
「歩き方……?」
ミリアムは慌てて手を振った。
「あー、なんでそんな簡単な事をって思ってるなー!」
夏実は笑いながら首を振った。
「何も思ってないわよ」
ミリアムは真剣な顔で説明を始めた。
「歩き方って言うのは、とーっても大切なんだ! ドロテア様もリュシー様も、歩き方がすごくカッコいいでしょ!」
美幸は静かに頷いた。
「確かに歩き方が麗しいわね。特にドロテアさんは優雅で麗しい歩きをしてるけど、リュシーさんは忠犬というより腹心? 脚力がいいわね」
ミリアムは目を輝かせて頷いた。
「そうそう! だから、ボクもあの2人の真似をすれば、カッコいいメイドになれる筈!……そう考えて、今挑戦してるって訳」
夏実は納得したように頷いた。
「成る程ねえ。つまり礼儀作法を学んでいるという事ね」
美幸は優しく微笑みながら言った。
「メイドってご主人様の言うことを絶対に聞かなきゃならないでしょ? 相当厳しい道へと進んでいるのね。偉い偉い」
ミリアムは胸を張って自慢げに言った。
「えっへん! これも、ドロテア様に相応しい立派なメイドになるためだしね!」
夏実は感心したように頷いたが、すぐに本題に戻った。
「ほえー、そこまでやらなきゃいけないんだ」
美幸は少しからかうように言った。
「当たり前よ。夏実、メイドはご主人様の命令は絶対服従しなきゃダメなのよ」
ミリアムは少し自信を失った様子で肩を落とした。
「……でもね、今までずーっと練習してるんだけど、なかなか上手くいかないんだ。でも、諦めずにこっそり訓練して、立派な姿をみんなに見せてびっくりさせるつもりなんだ!」
美幸は優しく言った。
「確かにモデルみたいな歩き方ならみんなびっくりするでしょうね」
ミリアムは再び元気を取り戻し、笑顔になった。
「へへーん、そうでしょそうでしょ!」
夏実は少し首を傾げ、率直に言った。
「でもさ、ミリアムちゃんの歩き方って変だよね……まるでロボコップみたい」
ミリアムはショックを受けた顔でうなだれた。
「うぅ……やっぱりそうなんだ……」
美幸は夏実を軽くたしなめた。
「うーん、ロボコップは言い過ぎよ。夏実」
夏実はさらに悪ノリして言った。
「えー? じゃあターミネーター?」
美幸は呆れたようにため息をついた。
「T-1000みたいな歩き方って言いたいの?」
夏実は手を振って訂正した。
「違うよ、T-Xだよ! ほら、女性のターミネーター」
美幸は静かに結論を述べた。
「このままだとみんなにびっくりさせるのは無理ね」
ミリアムは悲しそうに肩を落とした。
「そ、そんなぁ~!」
夏実はポンと手を叩き、明るく提案した。
「よし、決めた! ミリアムちゃん、この本を読んでマスターしよう! これもミリアムちゃんのためだよ」
そう言って、夏実は後部座席から取り出した一冊の本をミリアムに差し出した。
タイトルは『100年歩ける! デュークズウォーキングコンプリートBOOK』。
ミリアムは本を受け取り、少し戸惑いながら聞いた。
「ボクのため……?」
夏実は力強く頷いた。
「そうそう」
美幸も優しく微笑みながら言った。
「まずは歩いてみて」
ミリアムは本を片手に持ち、緊張しながら何歩か歩いてみた。
「う……うん! これで、いいかな……?」
夏実は腕を組み、首を傾げた。
「うーん……」
美幸も少し考え込みながら言った。
「何とも言えないわね……」
ミリアムは不安そうに二人を見上げた。
「ね、ねえ、どうなの? 具体的に言ってよー!」
美幸は穏やかに指摘した。
「そうね……ミリアムちゃんの歩き方には変な癖があるみたいね……今までどんな風に歩いたり遊んだりしていたの?」
ミリアムは少し照れくさそうに答えた。
「え? 遊び? 木登りしてたりとか、探検で廃墟に潜り込んだりとか……」
夏実は即座に突っ込んだ。
「それ、警察官の前では絶対に言ってはいけない発言ね」
美幸は少し興味を引かれた様子で聞いた。
「廃墟って……え? どんな廃墟なの?」
ミリアムは元気に列挙した。
「え? 行川アイランドに化女沼レジャーランド、キョロロン村、摩耶観光ホテル、新潟ロシア村……」
夏実は頭を抱えた。
「……危ない事ばかりしてたのね。新潟ロシア村ってソーラーパネルの畑になってる曰く付きの廃墟だよね?」
ミリアムは少し寂しそうに笑った。
「ええー、でも、とっても楽しいし、それにボク、木に登るのは得意なんだ」
夏実はため息をつきながら言った。
「……そのせいで、ミリアムちゃんの歩き方に変な癖付いちゃったんじゃないの?」
ミリアムは目を丸くした。
「えぇっ!? そうなの!?」
夏実は頷いた。
「そうとしか考えられないわよ……」
ミリアムは慌てて本を抱きしめた。
「うわぁ……どうしよう……」
夏実は明るく励ました。
「とりあえずその本読んだら分かるよ。変な癖を直せば、ミリアムちゃんはナオミ・キャンベルみたいにカッコ良くセクシーな歩き方が出来るようになるわ!」
ミリアムは目を輝かせた。
「そ……そうか!」
美幸は優しく微笑みながら言った。
「私達も手伝ってあげるから、歩き方をマスターしましょう」
夏実は本を軽く叩きながら、元気よく締めくくった。
「デューク更家の著書をちゃーんと読めば分かるぞ!」
ミリアムは本を胸に抱き、嬉しそうに頷いた。
「う、うん……ありがとう!」
公園の芝生に、夏の柔らかな陽射しが降り注ぐ中、小さなメイド候補生の「カッコいい歩き方」への挑戦が二人の婦警の温かい支援を得て、再び始まろうとしていた。
夏実はトゥデイに戻りながら、笑顔で言った。
「ミリアムちゃん、頑張れよー!」
ミリアムは本をぎゅっと抱きしめ、元気よく手を振り返した。
「うん! 絶対に上手くなって見せるからね!」
翌日
墨田区の小さな公園。
昨日と同じ芝生広場で、ミリアムは再び熱心に歩き方の特訓を続けていた。
夏実は腕を組み、まるでコーチのように大きな声で指示を出している。
「―――おおっ、その調子よ。いいわよ!」
ミリアムはピタッと足を止め、顔を真っ赤にして振り返った。
「ちょっ、今、話しかけないで!」
夏実は慌てて手を振った。
「ごめんごめん」
ミリアムは深呼吸をして、再び歩き始め、十数メートル先でターンすると、得意げに両手を広げた。
「……ふぅ、これでフィニッシュっと! どう? どう? ボク、カッコ良く歩けてたでしょー!」
そこへ、近くのベンチから頼子がパチパチと拍手をした。
「うん! 凄く良いよ!」夏実は驚いて振り向いた。
「頼子、何でここにいるの?」
頼子は眼鏡を光らせ、にこにこしながら答えた。
「偶然、夏実達を見かけたからつい」
美幸はトゥデイの運転席から優しく微笑みながら言った。
「特訓の成果が出たんじゃないかしら?」
ミリアムは両手を腰に当て、胸を張って自慢げに言った。
「やったやったー♪ デュークさんのおかげだよー!」
美幸は穏やかに頷いた。
「よかったわね」
その瞬間、ミリアムは突然何かに気づいたように目を丸くした。
「……あ!」
美幸は首を傾げた。
「どうしたの?」
ミリアムは指を差して、慌てて叫んだ。
「そ、そう言えば、お前はドロテア様に近づく危険人物! 警戒対象だった!」
頼子は目をぱちくりさせた。
「え? 私!? え!?」
ミリアムは慌てて手を振った。
「頼子さんは違うよ。そこにいる白バイ警官だよ」
夏実は周りを見回し、すぐに気づいた。
「白バイ……中嶋くん!?」
美幸も小さく笑った。
「あ、中嶋君。いてたのね」
木陰に停めていた白バイから、中嶋剣が少し困った顔で姿を現した。
「小早川に辻本。頼子までいたんだ」
ミリアムは中嶋を指差したまま、警戒心丸出しで言った。
「こ……これで気を許したわけじゃないからな!」
中嶋は目を丸くして自分の胸を指差した。
「え? 誰のことを言ってるんだ」
夏実はニヤニヤしながら答えた。
「あんたよ。あんた」
頼子も眼鏡を押し上げて同調した。
「中嶋君、危険人物だって」
中嶋は本気で驚いた顔をした。
「俺が!? えええっ!!?」
ミリアムは中嶋をもう一度睨みつけると、急に話題を切り替えて明るく言った。
「そ、それじゃあ……ありがとね夏実さん、美幸さん!」
そう言い残すと、ミリアムは小さな体を翻して、まるで逃げるように公園の出口に向かって走り去っていった。
中嶋は呆然とその背中を見送り、ため息をついた。
「おい! ちょっと待ってくれ……ってもういないし。全くせわしない奴だなぁ……俺が何したって言うんだ」
美幸は静かに微笑みながら言った。
「まあ、悪い子じゃないし、可愛いところもあるわね」
夏実はトゥデイのボンネットに腰をかけ、笑いながら言った。
「ミリアムちゃん、相変わらず元気いっぱいだね。でも、歩き方の練習……なんだか微笑ましいわ」
頼子は目を細めて遠ざかるミリアムの後ろ姿を見つめ、呟いた。
「ドロテアさんに相応しいメイドになりたいって……頑張ってるんだね」
中嶋はまだ少しショックを受けた顔で頭を掻いた。
「……俺はいつから危険人物扱いなんだ?」
美幸はくすりと笑いながら、優しく言った。
「ふふ、中嶋君も慣れてちょうだい。ピクシス・マスールのみんなにとって、あなたは『ドロテア様に近づく要注意人物』らしいわよ」
夏実は豪快に笑った。
「まあまあ、気にすんなって!ミリアムちゃんも、いつか中嶋君のことを認めてくれるさ!」
公園の木々が風に揺れる中、四人はミリアムの小さな頑張りと相変わらずの賑やかな日常に、ほんのりとした温かさを感じていた。
夏実はトゥデイのドアを開けながら、明るく言った。
「よし、次はどこを巡回する?ミリアムちゃんの特訓を見守りながら、今日もフルスロットルでいくわよ!」
翌日
墨東署駐車場。朝の陽射しが白いコンクリートに優しく反射する中、ミリアムはエボⅤの横で小さくうなだれていた。
「しょぼん……」
ちょうど駐車場に入ってきた頼子と葵が、その小さな背中を見つけた。
葵が長身を少し屈めて言った。
「頼子さん、あれはミリアムちゃんじゃないですか?」
頼子は眼鏡を押し上げ、目を細めた。
「あ、ホントだ。なんか落ち込んでるみたいだけど……」
葵は穏やかな笑顔で近づき、優しく声をかけた。
「―――ミリアムちゃん、どうしたんですか? 落ち込んでるようですが……」
ミリアムはびっくりして顔を上げた。
「……あ……葵さん、それに頼子さんも」
そこへ、白バイの整備を終えた中嶋も近づいてきた。
「あれ? ミリアムじゃないか。こんなところで何してるんだ」
ミリアムは慌てて中嶋を指差し、警戒心を露わにした。
「な、何か用か? ドロテア様に近づいたらダメなんだからね……!」
中嶋は目を丸くした。
「何だ、唐突に……って、どうしたんだ? 何かあったのか?」
ミリアムは少し迷った後、しょんぼりとした声で話し始めた。
「そ、それは……」
頼子がにこにこしながら茶化すように言った。
「ふふ……これは愛車が誰かに傷付けられショック受けてるのね?」
ミリアムは首を横に振った。
「違うよ……昨日、習得したカッコいい歩き方をドロテア様に見せたら、とっても褒めて貰えたんだ」
頼子は明るく手を叩いた。
「それは良かったじゃない!」
ミリアムは少し嬉しそうに頷いたが、すぐに表情を曇らせた。
「うん! ボク、それがとっても嬉しかったんだ! だからこのままの調子でいけばドロテア様みたいになれるぞ!って、張り切って色々新しいことに挑戦しすぎてみたんだけど……」
頼子は目を輝かせて身を乗り出した。
「まさか………原付おばさんに『邪魔だザマスー!』って言われて轢かれそうになったとか?」
ミリアムは肩を落として小さく頷いた。
「うん…大失敗しちゃったんだ」
葵が優しく、しかし的確に聞いた。
「『○○が半額でやってるディスカウントストアは何処?』って聞かれませんでしたか?」
ミリアムは悲しそうに答えた。
「聞かれたよ。知らないって正直に言ったら…『メイドの癖に知らないザマスか?』『時間を無駄にしたザマスー!』って大声で叫ばれて去って行っちゃったよ」
中嶋は苦笑いを浮かべた。
「それはなんていうか……ドンマイだな」
ミリアムはさらに肩を落とした。
「その後、ドロテア様の屋敷でお掃除をしたら物を壊して……料理をしたら黒焦げに……」
中嶋は思わず呟いた。
「物を壊す……料理は黒焦げ……まるで辻本みたいだな」
頼子は笑いながら言った。
「やる気が裏目に出ちゃったって奴だね~」
ミリアムはうなだれ、声が小さくなった。
「うん…それで、リュシー様からも、しっかりお説教されちゃった……」
中嶋は内心で(申し訳ないが、想像出来るな。そのシーン)と頷いた。
ミリアムは目に涙を浮かべそうになりながら、弱々しく言った。
「ボク、ドロテア様のメイドとして相応しくないのかな……」
頼子は慌てて手を振った。
「そんなことないよ! ミリアムちゃんはいいところあるし、腕白娘で元気で優しいメイドだよ! 多分……あ、そうだ!」
ミリアムは顔を上げた。
「え……? なに……?」
頼子は明るく提案した。
「ミリアムちゃんの得意分野を生かせば、リュシーさんに褒められるよ!」
中嶋が横から口を挟んだ。
「そう言えば漫画集めだったよな」
ミリアムは頰を膨らませた。
「それは趣味!」
頼子はにこにこしながら言った。
「中嶋君…得意分野だよ」
中嶋は少し困った顔をした。
「え? いや、何というか……」
頼子はミリアムに視線を戻し、優しく聞いた。
「ミリアムちゃんの得意分野、聞きたいな~。教えて教えて!」
ミリアムは少し考えてから、ぱっと顔を明るくした。
「得意分野…え~っと…そうだ! リュシー様から、食材の目利きに関しては褒められたことがあった! 『ミリアムが選んだなら間違いないな』って!」
頼子は手を叩いた。
「それよ!」
ミリアムは首を傾げた。
「えっ、どれ?」
頼子は優しく、しかしはっきりと言った。
「失敗を繰り返すなら、自分の得意なことから始めるといいよ!」
ミリアムは少し不安げに聞いた。
「得意な事って、目利きから? 失敗した料理やお掃除とかやった方がいいんじゃないの?」
頼子は首を横に振った。
「慌てて全部やろうとするから失敗に繋がるのよ。焦って、また失敗するかもしれないでしょ?」
葵が静かに微笑みながら横から突っ込んだ。
「頼子さん、人の事言えませんよ」
中嶋も苦笑いを浮かべた。
「そうだな、お前は噂好きだからあらぬ事を現実で起きたかのように署内に流布した前科があるからな。―――それよりミリアム、お前自身が成長していくことが大切だ」
ミリアムはまだ少し不安そうに指を絡めながら言った。
「でも、でも、また失敗しちゃったら……ドロテア様やリュシー様に呆れられちゃったら……」
中嶋は優しく、力強く言った。
「素直に謝って反省すれば、ドロテアやリュシーなら分かってくれる筈だ」
ミリアムは少し考え込み、それから小さく頷いた。
「それは……確かにそうかもしれない……だけど、もしまた失敗しちゃったら。本に書いてる事を実践したら前より上手に歩くことが出来るようになったし……」
中嶋は自嘲気味に笑った。
「急ぎすぎると俺みたいに転倒してしまうからな…」
頼子が即座に突っ込んだ。
「あ、自分を棚に上げてる」
中嶋は肩をすくめた。
「面目ない」
ミリアムはようやく笑顔を取り戻し、元気よく頷いた。
「うん。わかった。中嶋の言うこと、信じてみる!」
中嶋は軽く拳を突き出した。
「おう、頑張れよミリアム」
ミリアムは明るい声で答えた。
「早速帰ったらやってみる! ありがとう!」
そう言うと、ミリアムは小さな背中を弾ませて駐車場を駆け出していった。
中嶋は遠ざかる後ろ姿を見送りながら、苦笑いを浮かべた。
「……あいつ、ほんとにせわしないな」
美幸がトゥデイの横から静かに微笑みながら言った。
「ふふ、でも可愛いわよね」
頼子は眼鏡を光らせて頷いた。
「ミリアムちゃん、きっと大丈夫だよ!」
葵も優しく微笑んだ。
「少しずつ、成長していってほしいですね」
夏の陽射しが降り注ぐ墨東署駐車場に小さなメイド候補生の新たな挑戦が、静かに始まろうとしていた。
翌日
墨東署駐車場。朝の陽射しが気持ちよく差し込む中、ミリアムが元気いっぱいに駆け寄ってきた。
「――ありがと、中嶋!」
中嶋は白バイの整備をしていた手を止め、びっくりして振り向いた。
「うわぁぁっ!? なんだ、ミリアムか……どうしたんだ?」
ミリアムは両手を大きく広げ、目をキラキラさせて飛び跳ねた。
「やった、やったんだよー!」
頼子が近くのベンチから顔を出し、からかうように言った。
「おおっ! 遂に原付おばさん免停食らったの!?」
葵がすぐに横から優しく訂正した。
「頼子さん、違うと思いますよ」
中嶋は工具を置いて、ミリアムに視線を戻した。
「やったって何が?」
ミリアムは胸を張って、嬉しそうに報告した。
「中嶋の話を聞いてから、ボク、失敗したことをしっかり反省して謝ったんだ。それから、お使いの時はいつも一番美味しそうな野菜や果物を選んで買って帰るようにしてたのさ」
中嶋は少し驚いた顔をした後、満足げに頷いた。
「おおっ、ちゃんと助言通りにやっていて偉いじゃないか」
ミリアムは「えへへ」と笑いながら何度も頷いた。
「うんうん!」
頼子が興味津々で聞いた。
「それでドロテアさんは何て言ったの?」
ミリアムは目を輝かせて勢いよく答えた。
「えっとね、えっとね! リュシー様からは『偉い』って褒められたー! それにドロテア様にも! 『美味しい』って、とーっても喜んで貰えたんだ!」
葵は優しい笑顔で言った。
「よかったですね。ミリアムちゃん」
頼子はにやにやしながら茶化すように言った。
「料理も美味くなったの? 夏実と大違いだね」
中嶋は思わず苦笑いを漏らした。
「確かに……小早川から聞いた話だが、壊滅的らしい」
頼子は笑いながら手を振った。
「あはは…まあまあ、今回みたいに、素直に人の助言を聞くのはとっても大切なことだよ」
ミリアムは嬉しそうに何度も頷いた。
「うん、ボク、すごーくよく分かった! 中嶋の言うこと信じてよかったー!」
中嶋は少し照れくさそうに胸を張った。
「はは、はははは。言っただろ? 俺のアドバイスを従えば良くなると言うことをな!」頼子は眼鏡の奥で意地悪く笑った。
「その大半が美幸と夏実のおかげだけどね~……ってそう言えば、ミリアムちゃん。中嶋君は警戒対象じゃなかったっけ?」
ミリアムは「あっ」と声を上げ、少し慌てた様子で手を振った。
「あっ、そ、そうだった! う、うーん…まあ、ボクを助けてくれたし…ちょっとくらいなら、信じてやってもいいかな?」
中嶋は肩を落とした。
「ちょっとだけかよ……」
頼子はくすくす笑いながら言った。
「ま、最初の頃よりはマシになったんじゃない? あの時は完全に敵認定だし」
ミリアムは少し頰を赤らめ、視線を逸らしながら言った。
「あれは…ほら、中嶋の事、よく知らなかったし~」
中嶋は軽く笑って突っ込んだ。
「今はよく知ってるって事か」
ミリアムは慌てて手を振った。
「そ、そこまでは言ってなーい! 調子に乗るなー!でも……まあ、今後もボクの手伝いをするなら……いつかもっと信じてあげる!」
中嶋は目を丸くした。
「今後も手伝うのか?」
ミリアムは両手を腰に当て、得意げに笑った。
「うん、決まりね! じゃあ……これからも、ボクのために働くように! 頑張って、ボクの好感度を上げるんだね! ふふふ……っ♪」
中嶋は慌てて手を振った。
「は? いや、待てよ! 俺は……」
頼子は楽しそうに笑いながら言った。
「中嶋君、ミリアムちゃんの下僕確定ね~。ふふふ…はい、頑張ってねー」
葵も優しい笑顔で同調した。
「頑張って下さいね♪ ふふふ」
中嶋は頭を抱えた。
「おい、お前ら! 待てよ!」
ミリアムは最後ににっこり笑って、元気よく言った。
「あ、勿論! 中嶋の恋路も応援するよ!」
中嶋は一瞬動きを止め、照れくさそうに笑った。
「ははは、そこは分かってくれてるんだ」
ミリアムは満足そうに頷き、軽やかに手を振った。
「じゃあね! またねー!」
そう言い残すと、ミリアムは小さな体を弾ませながら駐車場を駆け出していった。
頼子は笑いを堪えきれずに言った。
「中嶋君、完全に巻き込まれてるね~」
中嶋はため息をつきながら、白バイのシートに腰を下ろした。
「……全く、せわしない奴だ」
しかしその口元には、どこか嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
夏の陽射しが降り注ぐ墨東署駐車場に、小さなメイド候補生の明るい笑い声が今日も元気に響いていた。
翌日
墨東署交通課。朝のミーティングルームは、いつものメンバーで賑わっていた。花蝶課長がいつもの席に座り、コーヒーカップを片手に新聞を広げている。
美幸と夏実はトゥデイの整備報告を終え、頼子と葵が書類をまとめ、中嶋は白バイの点検記録を書きながら時折顔を上げていた。
そこへ、元気いっぱいの足音が響いた。
「みんな、おはよー!」
ミリアムが小さな体を弾ませて部屋に入ってきた。
昨日とは打って変わって、顔がぱっと明るい。夏実はすぐに反応した。
「おっ、ミリアムちゃん! 今日も元気いっぱいじゃん。何かいいことあったの?」
ミリアムは両手を腰に当て、胸を張って自慢げに言った。
「うん! 昨日、中嶋のアドバイス通りにやってみたんだ!失敗したことを素直に謝って、得意な食材の目利きを活かしてお使いに行ったら……リュシー様から『偉い』って褒められたー!それにドロテア様も『今日の野菜、すごく美味しかったわ』って、とーっても喜んでくれたんだ!」
頼子が眼鏡を光らせて笑った。
「やったじゃん! 素直に人の話を聞くの、大切だよね~」
葵も優しく微笑んだ。
「ミリアムちゃん、頑張りましたね。少しずつ自信がついてきてるみたいで嬉しいです」中嶋は白バイの記録簿から顔を上げ、満足げに頷いた。
「おお、ちゃんと実践したんだな。偉いぞ、ミリアム」
ミリアムは照れくさそうに頭を掻きながら、しかしすぐに中嶋を指差した。
「でも! これで気を許したわけじゃないからね!中嶋はまだ警戒対象なんだから!」
中嶋は苦笑いを浮かべた。
「相変わらず厳しいな……」
夏実は大笑いしながらミリアムの頭を軽く撫でた。
「ははっ! でも昨日よりはマシになったんじゃない?最初は完全に敵認定だったもんね」
ミリアムは少し頰を赤らめ、視線を逸らしながら言った。
「う、うーん……まあ、ボクを助けてくれたし……ちょっとくらいなら、信じてやってもいいかな?」
中嶋は少し驚いた顔をした。
「ちょっとだけかよ……」
頼子が楽しそうに茶化す。
「中嶋君、ミリアムちゃんの下僕化進行中だね~」
葵もくすくす笑った。
「頑張って下さいね、中嶋さん」
ミリアムは元気よく拳を握った。
「とにかく! これからもボクのために頑張って、好感度を上げてね!ふふふ……っ♪」中嶋は頭を抱えながらも、どこか嬉しそうに笑った。
「はは……わかったよ。まあ、ミリアムが頑張ってるなら、俺も少しは手伝ってやるさ」花蝶課長は新聞を畳みながら、渋い笑みを浮かべた。
「ふむ……若い連中は元気があっていいな。交通課も、こんな賑やかなのがちょうどいい」
美幸は眼鏡を優しく押し上げ、静かに微笑んだ。
「ええ……みんなで少しずつ成長していきましょう。ミリアムちゃんの頑張りも、ちゃんと見守ってるわよ」
夏実はモトコンポのキーを手に取り、明るく締めくくった。
「よし! 今日もフルスロットルでいくわよ!ミリアムちゃんの特訓も、課長の退職問題も、全部まとめて解決よ!」
ミリアムは小さくガッツポーズをした。
「うん! ボクも頑張るよ!」
墨東署交通課の朝は、今日も賑やかで、温かい笑顔に満ちていた。小さなメイド候補生の成長とベテラン課長の未来がゆっくりと、しかし確実に動き始めていた。
フルスロットルで、そして優しく——―――2026年の夏は、まだまだ続きそうだ。