見るは夢か、絶望か   作:この世で一番素敵なものとはなんだろうか

10 / 14
恩恵の文字

 

 

 朝の光は、まだ柔らかく。

 

 窓枠の隙間から差し込む淡い陽光が、細い筋となって室内へ流れ込み、古びた床板を斜めに照らしている。夜の冷気はなお部屋の隅へ残り、空気にはひやりとした静けさが沈んでいた。深く息を吸えば、乾いた木材の匂いと、古い布に染みついた生活の香りが肺へ落ちていく。

 

 質素な部屋だった。

 

 壁板には無数の小さな擦り傷。梁には長年積もった煤の色。机は狭く、椅子は二脚。隅に並ぶ簡素な寝台の片方には、まだ乱れた毛布が投げ出されたままになっている。

 

 豊かではない。

 だが、寒々しくもなかった。

 ここには確かに、誰かが日々を生き、笑い、疲れ、眠ってきた温度がある。飾り気はなくとも、人の暮らしが積み重なった部屋。

 

 私は壁へ背を預け、腕を組んだまま、その光景を眺めていた。

 部屋の中央。

 寝台へうつ伏せになったベル・クラネルが、上半身を裸にして背を向けている。

 

 白い肌。まだ少年らしい細い肩。骨ばった背中には未熟さが残る。だがその輪郭には、以前にはなかった変化があった。肩甲骨の周囲に薄く浮き始めた筋肉。腰の芯に宿った安定。迷宮で何度も駆け、跳び、斬り、倒れ、それでも立ち上がってきた証が、少しずつ身体を冒険者のものへ変え始めている。

 

 脆いままではない。

 弱いままでもない。

 この少年は、確かに前へ進んでいた。

 

 その背へ跨るように座っているのは、主神ヘスティア。

 小柄な身体を器用に乗せ、針先へ滲ませた神血を用いて、ベルの背中へ【神聖文字】を刻んでいく。

 

 神々の言葉。

 

 人の目には意味を持たぬ文様にしか見えないそれは、恩恵を受けた者の力と成長を記す神秘の記録だ。経験、熟練、資質、可能性──人が己でも掴みきれぬ内面を、神だけが読み取れる形で綴ったもの。

 冒険者にとっては履歴書であり、戦歴であり、未来図でもある。

 針先が肌を滑る微かな音だけが、静かな部屋に響いていた。

 

 穏やかな朝だった。

 昨日までの騒ぎが嘘のように。

 一昨日の夜、私はベート・ローガとの戦いで倒れた。ベルは自身の無力さに焼かれるように迷宮へ潜り、主神は一晩中その行方を探し回った。

 帰ってきたベルを見つけた時の、ヘスティアの顔を私は忘れられない。

 

 泣きそうで。

 怒っていて。

 安堵していて。

 

 同時に三つの感情を浮かべる者など、そうはいない。

 あれほど誰かの無事に心を乱せる神も、私は知らない。

 その後、限界まで疲れ切ったベルは丸一日眠り続け、ようやく迎えた今朝。

 その始まりとしての【ステイタス】更新。

 いつも通りであるはずだった。

 

「……っ?」

 

 最初に違和感を覚えたのは、主神の手が止まった時だった。

 

 ぴたり、と。

 

 それまで一定の調子で動いていた指先が、見えぬ壁へ触れたように静止する。

 ヘスティアはベルの背中を見下ろしたまま、呼吸すら忘れたように固まっていた。

 

「神様?」

 

 ベルが少しだけ首を捻る。

 肩越しに見上げるその顔は、いつも通り無垢だった。自分の背で何が起きているのか、まるで分かっていない。

 

「……っ! な、なんでもないよ!」

 

 弾かれたように主神が笑顔を作る。

 だが、隠しきれていなかった。

 声はわずかに裏返り、頬も引きつっている。作り笑いというものは、案外分かりやすい。

 

 私は眉を寄せた。

 ヘスティアの視線が、ちらりとこちらへ向く。

 その瞳が、言葉なく訴えていた。

 

 ──早すぎる、と。

 

 それだけで十分だった。

 

 ベルの成長速度。

 またしても、常軌を逸しているのだ。

 私は静かに息を吐いた。

 

 熟練度というものは、本来、積み重ねだ。

 剣を振るう。走る。躱す。受ける。傷つく。生き延びる。

 その一つ一つが糧となり、数字として蓄積される。地味で、地道で、決して劇的ではない歩みだ。

 

 多くの冒険者は最初こそ伸びる。

 白紙の時期は、学ぶこと全てが成長に直結するからだ。

 だが基礎を覚えれば、やがて誰しも壁へ突き当たる。

 剣技の壁。体力の壁。精神の壁。

 そして最も厚いのが、才能の壁だ。

 そこから先は、一歩進むだけで長い時間を要する。何ヶ月、何年とかけ、それでも届かぬ者もいる。

 都市オラリオの冒険者の半数以上が、下級冒険者(Lv.1)のまま燻っている現実が、その証左だった。

 

 上級冒険者(Lv.2)

 

 第三級冒険者とも呼ばれる、中堅への入口。

 それは努力だけでは届かぬ者にとって、遥かな境界線でもある。

 

 だが、ベルは違う。

 

 壁を壁と認識していないかのように、駆け上がっていく。

 成長ではない。

 飛躍だ。

 私は無意識に、唇の裏を噛んでいた。

 理由なら知っている。

 

 【憧憬一途】。

 

 主神と私だけが知る、ベルの秘められたスキル。

 アイズ・ヴァレンシュタインへの純粋な憧れを糧とし、彼女へ並び立ちたいという願いを推進力に変え、異常な速度で成長を促す希少能力。

 ヘスティアが今、複雑な顔をしている理由も分かる。

 

 嬉しいのだ。

 自らの眷族が強くなることは。

 

 誇らしいのだ。

 何者でもなかった少年が、この迷宮都市で羽ばたこうとしていることは。

 

 だが同時に、恐ろしくもある。

 

 急激な力は、急激な破滅を呼ぶことがある。

 実力以上の自信。

 分不相応な挑戦。

 驕り。油断。無謀。

 そうして命を落とした者を、この街は幾人も見てきた。

 

 そして何より──

 ベルを失いたくないのだ。

 

 主神は過保護だ。

 だが、それを笑うことはできない。

 彼女は笑えぬほど真剣に、この少年を大切にしている。

 

「……神様? 本当に大丈夫ですか?」

 

 ベルがもう一度尋ねる。

 今度は明らかに不安げだった。

 

「…………だ、大丈夫だよ、ベルくん」

 

 主神は作業を再開するふりをする。

 だが文字を刻む速度はひどく遅い。

 

 迷っているのだ。

 

 この結果を、そのまま伝えるべきか。

 隠すべきか。

 

 私は壁から背を離した。

 

「主神」

「──ひゃっ!?」

 

 情けない声が跳ねる。

 

「……な、なにかなヘイレル君」

「伝えるべきだ」

 

 短く告げた。

 ヘスティアの肩がびくりと揺れる。

 

「で、でも……もしベル君が浮かれて、無茶をして……」

「ベルは、数字ひとつで天狗になるほど浅くない」

「う……」

「それに、己の力を知らぬまま戦場へ出る方が危うい」

 

 ベルが目を丸くし、私と主神を交互に見る。

 

「へ、ヘイレル……?」

「聞いていろ」

 

 私は視線を逸らさず、主神へ続けた。

 

「強さを隠して守るのは、一見優しさに見える」

 

 言葉を切る。

 

「だがそれは、本人から選ぶ機会を奪うことでもある」

 

 ヘスティアは黙り込む。

 小さな拳が、ベルの背の上でぎゅっと握られた。

 

「ベルは子供ではない。冒険者だ」

「…………」

「貴女の眷族なら、なおさら信じるべきだ」

 

 静寂が落ちた。

 

 窓の外で、小鳥が一羽鳴く。

 遠く、どこかの家の扉が開く音がした。朝の街がゆっくり目覚め始めている。

 だが、この部屋だけは別の時間が流れていた。

 

 やがて主神は、小さく息を吐く。

 観念したように。

 あるいは、腹を括ったように。

 

「……ヘイレル君って、時々すごく年上みたいなこと言うよね」

「気のせいだ」

「絶対ちがう」

 

 そうぼやいてから、彼女はベルの背へ視線を戻した。

 その瞳に、もう迷いはなかった。

 

「ベル君」

「は、はいっ」

「今日は口頭で【ステイタス】の内容を伝えるよ。ちゃんと聞いてね」

 

 ベルの喉が、ごくりと鳴る。

 期待と緊張が入り混じった顔だった。

 

 主神は一度だけ、私を見る。

 私は何も言わず頷いた。

 

 それだけで十分だった。

 

 そして、ヘスティアは告げる。

 少年の想像を遥かに超えた、その飛躍を。

 

 

 

 

 ▶▼◀▲▶▼◀▲▶▼◀▲

 

 

 

 

 ベル・クラネル Lv.1

 

 力:H120→G221

 耐久:I42→H101

 器用:H139→G232

 敏捷:G225→F313

 魔力:I0

 

《魔法》

【 】

 

《スキル》

【】

 

 

 

 

 ▶▼◀▲▶▼◀▲▶▼◀▲

 

 

 

 

「──え?」

 

 最初に声を漏らしたのは、ベルだった。

 寝台へうつ伏せになったまま、少年は勢いよく顔だけを上げる。白髪が揺れ、赤い瞳が丸く見開かれていた。それはまるで信じられないものを見た時の顔で。

 

 ヘスティアは、その視線を真正面から受け止めている。

 小さな胸を張り、いつものように威勢よく見せながらも、肩にはまだ僅かな緊張が残っていた。先ほどまで迷い、揺れていた者の気配が、完全には消えていない。

 

「だ、だからね。今のベル君は、かなりすごい勢いで熟練度が伸びてるんだ。普通じゃ考えられないくらいに」

「ぼ、僕が……?」

「うん。君が」

 

 主神は、一文字ずつ噛みしめるように言った。

 

「正直、ボクも驚いてる。こんな伸び方、そうそう見られるものじゃない」

 

 ベルの喉が、こくりと鳴る。

 

 嬉しいのだろう。

 だが、それ以上に戸惑っていた。

 自分が優れているなど、これまで本気で考えたこともない顔だった。

 

 無理もない。

 昨日までのベルは、憧れへ手を伸ばしては届かず、自分の小ささに打ちひしがれていた少年だ。そんな者へ突然、「お前は特別だ」と告げたところで、すぐに受け入れられるはずもない。

 

「……でも、どうして」

 

 か細い声だった。

 

「僕、そんなに強くなんて……」

「今この場で、強い弱いの話はしていないよ」

 

 主神が少しだけ真面目な顔になる。

 

「君には、伸びる力があるって話だ」

 

 ベルは黙る。

 胸の内で何かを噛み砕くように、唇を結んでいた。

 自信と無縁に生きてきた者ほど、肯定の言葉を受け取るのは難しい。疑い、戸惑い、否定してしまう。ベルもまた、その渦中にいた。

 

 ただし──今語られている内容は、全てではない。

 

 【憧憬一途】。

 

 ベルの急成長の根幹を担うそのスキルの存在は、伏せられていた。

 主神と私だけが知る秘密だ。

 

 スキルというものは稀少だが、珍奇ではない。確認されている多くは、名称こそ違えど似た性質を持つ。エルフなら魔法補助、ドワーフなら膂力強化といった具合に、種族ごとの傾向すら存在する。

 だが中には、それらの枠へ収まらぬものがある。

 

 唯一性。

 希少性。

 神々が勝手に『レアスキル』と呼ぶ類のものだ。

 そして【憧憬一途】は、間違いなくその領域にある。

 

 こんなものが知られれば、面倒しか起きない。

 退屈に飢えた神々は、珍しい玩具を見つけた子供のように群がるだろう。にやつきながら、面白半分に掻き回し、時には既に所属が決まっている者へ堂々と勧誘までかける。

 

 ベルは、嘘が下手だ。

 問い詰められれば、余計な疑念まで招く。

 だから主神は、この秘密だけは胸の奥へしまい込み、ベルを守ることを選んだ。

 

「……あ」

 

 沈黙の末、ベルの視線が揺れる。

 

「ん?」

「い、一応……一昨日は六階層まで行ったんですけど……」

 

 部屋の空気が止まった。

 私はゆっくり瞬きをする。

 主神は数秒ほど固まり──次の瞬間、顔を真っ赤にした。

 

「ぶっ……あ、あふぉーッ!!」

 

 雷鳴のような怒声が狭い室内を揺らした。

 窓硝子がびり、と震えた気さえした。

 

「防具も満足に揃ってないのに!? 一人で!? 六階層まで!?」

「ご、ごめんなさいっ!?」

「謝れば済むと思ってるのかい!? 済まないよ!? 済むわけないでしょ!?」

 

 主神は寝台の上でぴょんと立ち上がり、そのままベルの背をぺしぺし叩き始めた。痛みより勢いが勝っている叱責だった。

 ベルは半裸のまま頭を抱え、小さくなっている。

 

「しかも怪我して帰ってきて、丸一日寝込んで! どれだけ心配したと思ってるのさ!」

「ほんとうに、ごめんなさい……!」

「声が小さい!」

「ご、ごめんなさいっ!」

 

 少しだけ面白かった。

 だが、私も笑って見ているだけでは済まない。

 

「ベル」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 

 叱られすぎて返事がおかしくなっていた。

 

「無茶をするなとは言わん」

「え……?」

「冒険者に無茶は付き物だ。だが、無策はただの愚行」

 

 ベルの肩がぴくりと震える。

 私は淡々と続けた。

 

「装備も整っていない。疲労もある。精神も乱れていた。そんな状態で新階層へ近づけば、死んでいた可能性もあった」

「……はい」

「お前が死ねば、悲しむ者がいる」

 

 言った瞬間、主神がこちらを見る。

 ベルも、ゆっくりと顔を上げた。

 

「それを忘れるな」

 

 少年はしばらく黙っていたが、やがて深く頭を下げた。

 

「……はい」

 

 先ほどまでとは違う返事だった。

 叱られたからではなく、届いたからこその声だった。

 主神は怒り疲れたのか、肩で息をしながら寝台へ腰を下ろす。

 

「……はぁ。ほんとにもう」

 

 乱れた前髪を整えながら、彼女は小さくため息をついた。

 そして、ベルを見る。

 

「でもね」

 

 声音が柔らかく変わる。

 

「君には才能がある。これは慰めでも、お世辞でもない」

 

 ベルが目を瞬かせた。

 主神は真っ直ぐ言葉を重ねる。

 

「冒険者としての勘。危険の嗅覚。土壇場で折れない心。ちゃんと持ってる」

 

 私は黙って聞いていた。

 その評価に異論はない。

 

 ベルは未熟だ。粗削りで、脆く、甘い。

 だが、光るものがある。

 

 戦いの中で判断を下す速さ。生き延びるために咄嗟に身体が動く感覚。何より、一度折られてもなお立とうとする意志。

 それらは、教えられて身につくものではない。

 

「ヘイレル君だって、そう思ってるでしょ?」

 

 不意に話を振られた。

 ベルが勢いよくこちらを見る。

 

「……わからん」

「そこで濁すの!?」

「調子に乗らせると面倒だ」

「乗りませんっ!」

「今の勢いは少し怪しいな」

「う……」

 

 耳まで赤くなるベルを見て、主神が吹き出した。

 ようやく部屋の空気が和らぐ。

 だが、その笑みは長く続かなかった。

 

 ヘスティアはふと俯き、両手を胸元で握る。

 小さな指先が、ぎゅっと震えていた。

 

「……ベル君」

「は、はい?」

「強くなりたいっていう君の気持ちは、止めない」

 

 声が少し掠れていた。

 

「応援もする。力も貸す。出来ることは何だってする」

 

 そこで言葉が詰まる。

 主神は唇を噛み、目元を伏せた。

 次に顔を上げた時、その瞳は薄く潤んでいて。

 

「……だから、お願い」

 

 ベルが息を呑む。

 

「ボクと、ヘイレル君を……置いていかないで」

 

 部屋から音が消えた。

 外の鳥の声も、街の物音も、何もかも遠い。

 ただその願いだけが、静かに胸へ落ちてくる。

 

「悲しませないでおくれ」

 

 神でありながら、あまりにも人間らしい声音だった。

 

 ベルは大きく目を見開いたまま固まっていた。

 やがて俯き、拳を握りしめる。

 肩が小さく震えている。

 

 何かを堪えるように。

 何かを決めるように。

 

 長い沈黙の後、少年は顔を上げた。

 

「……はい」

 

 その笑顔は、泣きそうで。

 それでも確かに前を向いていた。

 

「無茶は、しません」

 

 一つずつ、確かめるように言う。

 

「頑張ります。必死にもなります。強くなりたいです」

 

 赤い瞳が揺れずに主神を見つめる。

 

「でも、神様も……ヘイレルも、置いていきません」

 

 そして、私の方を見る。

 

「心配も、させません」

 

 私は思わず目を細めた。

 眩しい、と感じたのかもしれない。

 

「……それなら合格かな」

 

 主神が涙を拭いながら笑う。

 私は無言で椅子の背に掛けてあった服を取り、ベルへ投げた。

 

「着ろ。いつまで半裸でいる」

「あ、ありがとう……」

 

 慌てて服を抱える姿に、主神がまた笑う。

 

 三人しかいない狭い部屋。

 だが不思議と、満ち足りていた。

 

 その時だった。

 

「……ん?」

 

 ヘスティアが机の端に積まれた紙束へ目を留める。

 請求書。酒場の手伝い募集。食材の値上げ通知。そんな雑多な紙の中に、一枚だけ厚手の封書が混じっていた。

 主神はそれを引き抜き、封を切る。

 読み進めた次の瞬間。

 

「げっ」

 

 珍しく、神らしからぬ声が漏れた。

 

「どうした、主神」

「ど、どうしたもこうしたも……今日だった」

「何がですか?」

 

 主神は頭を抱える。

 

友神(ゆうじん)の開くパーティー! 前に招待されてたやつ!」

 

 そう叫ぶや否や、彼女は部屋中を駆け回り始めた。

 衣装箱を開け、服を引っ張り出し、鏡代わりの金属板を覗き込み、また走る。

 

「どれ着ればいい!? これ地味!? いや派手!? ああもう時間が!」

 

 先ほどまで涙ぐんでいた人物と同一とは思えない切り替えだった。

 ベルが呆然とし、私は額を押さえる。

 

「神というのは忙しないものだな」

「ヘイレル君、ちょっと失礼だよ!?」

「事実だ」

 

 結局、主神は一番ましな服を鞄へ詰め込み、玄関口で靴を履きながらこちらを振り返った。

 

「ベル君、今日もダンジョン行くのかい?」

「えっ? あ、はい。そのつもりです」

 

 主神は一瞬だけ真顔になる。

 

「無茶はしない。引き際を考える。約束、覚えてるね?」

「はい!」

 

 満点の返事だった。

 満足そうに頷いた後、彼女の視線が私へ移る。

 

「……ヘイレル君」

「なんだ」

「できれば、見ててあげて」

 

 小さな声だった。

 私は肩をすくめる。

 

「気が向けばな」

「それ、絶対行くやつだ」

「さあな」

 

 ベルが目を丸くしている。

 

「ヘイレル、一緒に来てくれるの?」

「誰がそう言った」

「え、でも……」

「たまたま同じ方向へ歩くだけかもしれん」

「それって一緒じゃないか」

 

 主神が吹き出し、次いで嬉しそうに笑った。

 

「じゃ、行ってくる! もしかしたら何日か留守にするかもしれないけど……二人とも、ちゃんとご飯食べるんだよ!」

 

 勢いよく扉が開き、閉まる。

 足音が階段を駆け上っていく。

 やがて部屋には静寂が戻った。

 

 ベルが服の襟を整えながら、ちらりとこちらを見る。

 

「……で、どうするの?」

「何がだ」

「ダンジョン」

 

 私は窓の外へ視線を向けた。

 朝日が昇り、迷宮都市オラリオの街並みを黄金に染め始めている。

 新しい一日だ。

 

「そうだな」

 

 口元が、僅かに緩んだ。

 

「監視くらいはしてやろう」

 

 ベルの顔がぱっと明るくなる。

 

 まるで子犬だ、と私は思って。

 

 少しだけ、笑ってしまった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。