(完結)ホラー短編集「頓千記」   作:埴輪庭

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学生時代に出逢った彼とそのまま結婚した「私」。
でもそんな彼はある日、事故で亡くなってしまって。


第4話「夏の夜──彼、還り。彼、帰る。」

 ◆

 

 ── 幽霊は実在するんだよ。霊ってね、"想い" で出来てるんだ。そして想いは実は凄く細かい粒子なんだよ。だから良い想いに触れると心が暖かくなるし、悪い想いに触れると不安になる。悪い想いは毒みたいなものだからね

 

 ──ふうん、じゃあ幽霊は匂いみたいなものってこと? 

 

 ──そうだね。粒子が鼻の粘膜に触れる事で匂いを感じるわけだから

 

 ──心霊スポットとかで呪いをうけたー! みたいなのは? 

 

 ──悪い想い……匂いがくっついちゃったんだろうね。悪臭は体に毒だから

 

 ──なら加護とかそういうのは良い想い……匂いがくっついたってこと? 

 

 ──そうかもね

 

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 台風一過の青い空を見ながら、夫とした話に想いを馳せる。

 

 心霊マニアの彼はことある毎に幽霊の話をしていた気がする。

 

 私自身は幽霊とかそういうのは苦手なのだけど、彼の心霊話は余り怖くなかった。

 

 彼なりの理屈をつけて説明をしてくれるものだから、心霊話の不気味さとか薄暗さとかが薄れてしまうのだ。

 

 それが科学的に証明されているかどうかは余り気にしない。

 

 要するに、私なりに納得が出来ればいいのだから。

 

 私も私でなんというかちょっと面倒くさい性格で、色んな事に説明や理屈を求めてしまう気質だったりする。

 

 だからそんな私と彼はとても相性が良かった。

 

 もう一度色んな話がしたいな、と思う。

 

 したいならすればいいじゃんという向きもあるかもしれないけど、それはできない。

 

 彼──夫はもういないからだ。

 

 半年前、事故で他界した。

 

 ◆

 

 彼と私は学生時代、サークルで出逢った。

 

 超常現象研究会という超能力、心霊、UFOやUMAといった事柄に関する話題を大真面目に話しあうサークルだ。

 

 正直言って私はそういうものを全く信じていなかったから、こう言っては何だけど眼中にもなかった。

 

 でもそこでとある勧誘の学生の言葉が気になってそのサークルに入ってしまった。

 

 その時の言葉は確か「不思議を科学する」とかそんな感じの言葉だった気がする。

 

 私は当時から理屈屋だから、オカルト全般に漂う胡乱な空気を払拭し、あるものはある、ないものはないとハッキリさせるというのは少し興味があった。

 

 それに、彼の香りが良いなと思ったのだ。

 

 ハーブ──ラベンダーを思わせる爽やかな匂いが僅かに香る。

 

 後から聞いてみればFIVEISMという化粧水を使っているそうで、肌が弱いから良い物を使いたいと思って、との事。

 

 男性でお肌の健康を気にするというのは、個人的には好印象である。

 

 それと、首元にある大きなホクロがちょっとセクシーだなと思ったから。

 

 だが肝心のサークルはと言えば、少し思っていたものとは違っていた。

 

「不思議を科学する」の売り文句は建前で、むしろその勧誘の学生のようなスタイルは嫌われている事を知った。

 

 観阿弥だったか世阿弥だったかが「秘すれば花なり」と言っていたが、オカルトを暴きたてるというのは野暮と言う事だ。

 

 その言い分は分からないでもなかったが、私からすれば「話が違う」となる。

 

 かといって、入会したばかりですぐに脱会というのも聞こえが悪いし、私は暫く在籍する事にした。

 

 そしてごく自然と勧誘の学生──夫とも親しくなっていったのだ。

 

 サークルで浮いている二人、距離が縮まる速度は案外早かった。

 

 二人のの馴れ初めはいつ頃かと問われれば、多分その頃になるとおもう。

 

 ◆

 

 理屈っぽい私と理屈っぽい彼は相性が良かった。

 

 お互いのどんな所が好きか、なぜ好きなのか。

 

 どこが苦手で、それはどう落とし所を作るのか。

 

 こう言ったあれこれを私たちは探り合い、そして少しずつ関係が改善されていった。

 

 それはお世辞にも情熱的な恋とは言えないかもしれないが、冬の熾火の様に芯から温まる様なそんな恋だった。

 

 ただそんな私たちの関係も、一つのけじめ──つまり、結婚という区切りをつける時にはややエモーショナルにならざるを得なかったと思う。

 

 ・

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 ある日のデートの終わり、彼が妙にソワソワとしていた。

 

 ()()()()タイミングは何故か分かってしまうもので、私は「あ、来るな」と思ったものだ。

 

 そうしたら彼のソワソワが私にも伝染してしまい、私も彼もやや俯き気味に彼と向かい合って──

 

 普段はぺらぺらと言葉を並べる彼が、この時ばかりは「結婚してください」とシンプルに言い

 

 普段はごちゃごちゃと理屈を捏ねる私が、この時ばかりは「はい」とシンプルに答えた。

 

 言葉そのものはさらりとしているが、この二つの言葉を包丁でスッパリと切って中身を見てみれば、きっと色々な感情が詰め込まれてしっとりとしていた事だろう。

 

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 ・

 ・

 

 結婚してから1年、私たち二人の関係は劇的に変わったりはしなかった。

 

 2年経っても変わらない。

 

 ただそれは二人の関係という()の勢いが衰えたという事ではなく、言わば火が燃え続ける事が出来る様に、周囲に風除けの遮蔽物だとかを置くとかそういう事を意味していたのだと思う。

 

 こうして私たちは二人の火を大切にして、いつかそれを火種として新しい火を生み出す事になるんだろうなと思ってた。

 

 でも3年目。

 

 私たちの関係は劇的に変わってしまった。

 

 ある夏の日に、彼は飲酒運転の車に轢かれてあっけなく亡くなってしまったのだ。

 

 私を置いて居なくなってしまった。

 

 ◆

 

 彼の遺体を検分する時、私は彼が彼か良く分からなかった。

 

 それだけ激しく損壊していたからだ。

 

 彼は夜遅くに車に轢かれた。

 

 残業が長引いて、その日の帰りが遅かった事が災いした。

 

 車は法定速度60キロの所を105キロで走っていたそうで、しかも飲酒運転ときている。

 

 更にひっかけられてそのまま引き摺られたということだ。

 

 長い距離を引き摺られて彼の体はボロボロで、現場から数十キロ離れた所で発見されたらしい。

 

 そんな彼だけれど、意外にも私はすぐにそれが彼だと分かってしまった。

 

 首元のホクロ。

 

 それを確認した時、私はもう一度彼の遺体を眺めた。

 

 これはちょっと助からなそう、というか遺体なんだから死んでるんだよね──なんて他人事のように考えていたのを覚えている。

 

 悲しいには悲しかったけれど、なんだかフワフワとした気分で良く分からなかったのだ。

 

 泣くべきだとは分かっていたけれど、涙もでない。

 

 何かものを見ようとしても、焦点がズレたかのようにボヤけてしまってとても見づらい。

 

 寝起きすぐのようなボンヤリ感はどれだけ経っても消えることがなかった。

 

 ・

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 ・

 

 結局、犯人はあっさりとつかまった。

 

 私は厳罰を望んだけれど、自分でも驚くほど何も感じなかった。

 

 それから半年後。

 

 私の頭はあれからずっとボヤけてしまっている。

 

 頭だけじゃなくて何を食べても味がしないし、音楽を聴いても雑音にしか聴こえない。

 

 アロマを香っても何も匂いはしない。

 

 聴覚、味覚、嗅覚──色々な感覚を失った。

 

 医者はPTSDだと言っていた。

 

 幸い私の仕事はフルリモートで出来るものだから、多少感覚を失っても仕事を辞めないで済んだ。

 

 不幸中の幸い──というかどうでもよかったが。

 

 ◆

 

 8月半ばの夜。

 

「いつ死のうかな」

 

 ベランダで煙草を吸いながら、私はそんな事を言った。

 

 煙草は彼が亡くなってから吸い始めた。

 

 一本につき5秒ほど寿命が縮むらしい。

 

 だから私はスパスパ吸って少しでも早死にしようと心がけている。

 

 ただ、そんなけなげな努力を続けてきた私だが、なんだかもう面倒くさくなってしまった。

 

 何のために生きているのか、不意に分からなくなってしまった。

 

 ご飯は美味しくないし、音楽はノイズ塗れ。

 

 テレビを観ても何一つ面白くない。

 

 そして彼もいない。

 

「今、死ぬか」

 

 マンションは9階だ。

 

 頭から飛び込めば死ねるだろう、多分。

 

 割とカジュアルに自殺を決め込んだ私は、手すりに身を乗り出すと──カタン、と音がした。

 

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 ・

 ・

 

 私はふと気になって、背後を振り向く。

 

 玄関に立てかけておいた傘が倒れていた。

 

 アクアスキュータムというブランドの傘で、私の年齢からすると少し対象年齢が上になるけれど、品が良くて気に入っている。

 

 私は自分でもちょっと良く分からないけれど、傘をちゃんと元に戻して置こうと思った。

 

 これから死ぬって言うのに、なぜ傘が倒れたままだと気に入らなかったのだろうか。

 

 放っておけば良いのに──と思った所で、私は彼の事を思い出す。

 

 彼は帰宅した時、よくああやって傘を倒すのだ。

 

 そのたびに私は「勢いよくドアをあけないで」と小言を言った覚えがある。

 

 まあよくよく考えれば倒れる様な所に置いておく私が悪いのだが……彼が私に甘いからいけないんだ。

 

 玄関に向かい、傘を元の位置に戻す。

 

 そしてベランダに向かう。

 

 手すりを掴んで身を乗り出した所で──また、カタン。

 

 私はなんだかイライラしてしまって、勢いよく玄関の方を向いた。

 

『こうなれば何が何でも傘をちゃんと倒れないように戻して、後顧の憂いを無くしてから死んでやるのだ』というちょっと良く分からない決意が芽生えていた。

 

 だけど

 

 私の鼻を、覚えのある匂いがふわりと擽る。

 

 ──そこに僕はいないよ、ゆっくりおいで

 

 と、囁き声。

 

 私は大きな声で彼の名前を叫ぼうとしたけれど、声が出ない。

 

 その代わりに涙が出た。

 

 そして、暖かくてほんの僅かにラベンダーの匂いが香るなにかに包まれたような気がした。

 

 まるで誰かに、彼に抱きしめられたようなそんな感触だった。

 

 ()()が何なのかわからないけど、彼だと信じたい私は必死に顔を押し付ける。

 

 そうして自分の涙が口元に触れると、少ししょっぱいと思った。

 

 これは私が久々に感じた "味覚" だ。

 

 そこでようやく私が彼の名前を呼ぶと、段々とその()()から温かみが失われていく。

 

 彼がまたどこかへ行こうとしていると分かった私は、悲しくなってしまってその場に蹲った。

 

 そして暫く経ち、ふと玄関を見てみると傘がちゃんと元通りになっている。

 

 彼は何と言っただろうか。

 

 そうそう、ゆっくりおいで、と言っていた。

 

 そこに僕はいない、とも。

 

 そこというのはどこだろう──多分、手すりの先だ。

 

 状況的、文脈的にそうならなければおかしい。

 

「だったら……」

 

 私はポケットの煙草の箱を取り出し、くしゃりと丸めてゴミ箱へ捨てた。

 

 そして水分を補給する。

 

 私は冷房が苦手だから、夜は多少暑くても我慢してしまう所がある。

 

 熱中症になったら大変だ。

 

 作り置いておいた麦茶は別に美味しくまずくもなく、極々普通に麦茶の味がする。

 

 そしてアレクサに適当な入眠用の自然音をかけさせて、ベッドに入った。

 

 早寝早起きは長生きの秘訣だ──彼はゆっくりといっていたのだから、余り早く死んでタイミングを逃せば逢えなくなるかもしれない。

 

 さらさらと流れる小川の音を聴いているうちに、私は眠った。

 

 

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