(完結)ホラー短編集「頓千記」   作:埴輪庭

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人々が転生を繰り返し、若返りを謳歌する世界。だが今年五十二歳になる高木は、転生に違和感を覚えていた


第9話「転生日和」

 ◆

 

 駅前のロータリーで、若い女が飛び降りた。

 

 スマートフォンの画面から顔を上げた高木は、アスファルトに広がる赤黒い染みと、その周囲に散らばった肉片を一瞥した。

 

 通行人たちは足早に迂回していく。誰も立ち止まらない。高木もまた、歩調を変えることなく横断歩道へ向かった。

 

 三分後、救急車のサイレンが遠くから聞こえてきた。回収班だ。遺体は速やかに処理され、二時間もすれば転生センターから新しい体で出てくる。年齢も性別も、時には人種さえ異なる体で。だが中身は同じ──そういうことになっている。

 

 高木は五十二歳。この二十年で世界は劇的に変わった。

 死が文字通りリセットボタンになったこの世界に、高木はまだ慣れないでいる。

 

 会社のエレベーターに乗り込むと、見慣れた顔があった。山田だ。つい三週間前に転生したばかりの。

 

「おはようございます、高木さん」

 

 山田の声は以前より半オクターブ高い。当然だ。前の体は四十五歳の中年男性だったが、今は二十八歳の青年の体を得ている。顔立ちも精悍になり、髪もふさふさだ。転生後は成長が早まるという。実際山田の新しい体は、わずか三週間で社会人として違和感のない程度まで成長していた。

 

「調子はどうだ」

 

 高木が訊くと、山田は白い歯を見せて笑った。

 

「最高ですよ。若返るってのは良いもんです。高木さんも、そろそろどうです?」

 

「まだいい」

 

 エレベーターが七階で止まり、二人は降りた。オフィスに入るとすでに何人かが出社していた。その中の一人、経理の佐藤が自分のデスクで首を吊っていた。

 

「またか」

 

 誰かが呟いた。佐藤は先月も転生している。どうやら新しい体の顔が気に入らなかったらしい。ガチャ、と社内では呼ばれている。気に入る体が出るまで死に続ける者たち。

 

 高木は自分のデスクに着いた。パソコンを立ち上げ、メールをチェックする。その間にも佐藤の体は回収班によって運び出されていく。床に残った体液を清掃員が手際よく拭き取っていった。

 

 昼休み、高木は山田と社員食堂で向かい合って座った。

 

「今日は焼き魚定食か」

 

 高木が言うと、山田は苦笑した。

 

「ええ、まあ。体が求めるんですよね」

 

 前の山田は、大の肉好きだった。焼き魚など見向きもしなかった。

 

「そういえば」

 

 高木は箸を止めた。

 

「こないだ飲みに行った時、ハイボール飲んでたな」

 

「ええ」

 

「前はビール党だったろう」

 

 山田の箸が一瞬止まった。すぐに動き出す。

 

「いや、俺、もともとハイボール好きですよ」

 

「……そうか」

 

 高木はそれ以上追及しなかった。

 

 午後、営業部で小競り合いがあった。成績を巡る諍いだ。若手社員がガラスの灰皿で自分の頭を殴りつけた。頭蓋が割れ、血と脳漿がカーペットに飛び散った。周囲の社員たちは飛沫がかからないよう身を引いただけだった。

 

「転生したらもっと頭の回転が速い体になれるかもな」

 

 誰かが冗談めかして言った。笑い声が起きた。

 

 高木は書類に目を落としたまま、ペンを走らせ続けた。インクが紙に染み込む音だけが妙に大きく聞こえた。

 

 退勤時刻になると、山田が高木のデスクに寄ってきた。

 

「今日、一杯どうです?」

 

 高木は頷いた。二人は駅前の居酒屋に入った。カウンター席に並んで座る。

 

「とりあえず生で」

 

 高木が注文すると、山田は首を振った。

 

「俺、ハイボールで」

 

 やはり、と高木は思った。前の山田なら、必ず「とりあえず生」と言ったはずだ。三十年来の習慣だった。

 

「なあ、山田」

 

「はい?」

 

「転生前のこと、どれくらい覚えてる?」

 

 山田の手が、グラスの上で止まった。

 

「……全部、覚えてますよ」

 

「本当に?」

 

「ええ」

 

 山田は微笑んだ。だが、その笑みは以前の山田のものとは違っていた。目の奥に、何か別のものが潜んでいるような。

 

「高木さんこそ、なんで転生しないんです? その年じゃ、膝も腰も痛いでしょう」

 

「まだやり残したことがある」

 

「やり残したこと?」

 

 高木は答えなかった。ただ、ビールを啜った。苦味が喉を滑り落ちていく。

 

 帰り道、高木は夜道を一人歩いた。街灯の下を通り過ぎるたび、自分の影が伸び縮みする。その影を見ていると妙な既視感があった。まるで、影の方が本体で、自分はその付属物に過ぎないような。

 

 アパートに帰るとすぐにシャワーを浴びた。湯を頭から被りながら今日一日の出来事を反芻する。転生が当たり前になってから、人々の表情から何かが失われた気がする。それが何なのか高木にはわからない。

 

 ベッドに入り、電気を消した。

 

 眠りはすぐにやってきた。

 

 ◆

 

 夢の中で高木は暗い場所にいた。

 

 どこまでも続く闇。その中に無数の人影が蠢いている。よく見るとそれらは全て黒い何かに絡め取られていた。タールのような粘性の高い液体。いや、液体というより、意思を持った何か。

 

 それは人々を貪っていた。

 

 皮膚を溶かし、肉を千切り、骨を砕く。

 悲鳴が響き渡る。だが不思議なことに貪られた人々は死なない。

 永遠にその苦痛の中で生き続けている。

 

 ズルリ、と音がして黒い触手が一人の男を引きずり上げた。

 

 山田だった。

 

 転生前の、高木がよく知る山田の顔。

 四十五歳の、皺の刻まれた顔。

 

 そんな山田と目が合った。

 

「た、高木ィイイイイ!」

 

 山田が叫んだ。黒い何かが、山田の腹に食い込んでいく。

 ブチブチと内臓が引き千切られる音。

 腸がだらりと垂れ下がり、それをまた別の触手が巻き取っていく。

 

「て、転生は、転生はああああ!」

 

 山田の口から血の泡が噴き出した。

 肋骨が一本ずつへし折られ、白い骨片が皮膚を突き破って飛び出す。

 眼球がゆっくりと眼窩から押し出されていく。

 

「転生は、罠だ! 俺たちは、俺たちはああああ!」

 

 グチャリ、と湿った音がした。

 山田の頭蓋が圧迫され、変形していく。

 脳漿が鼻孔から噴き出し、耳からも赤黒い液体が流れ出す。

 

「ここから、出られない! 永遠に、永遠にいいいい!」

 

 山田の体が少しずつバラバラになっていく。

 だが意識だけは残っているらしい。

 苦痛に歪んだ表情のまま高木を見つめている。

 

「高木、来るな! 転生するな! 転生したら、ここに──」

 

 バキリ、と音がして、山田の顎が外れた。

 舌がだらりと垂れ下がり、それを黒い何かが引っ張る。

 ズルズルと、喉の奥から何かが引きずり出されていく。

 食道か、気管か。

 赤い管がどこまでも伸びていく。

 

 高木は動けなかった。足が竦み、声も出ない。

 

 周囲を見渡すと、無数の人々が同じように黒い何かに貪られていた。

 老人も、若者も、子供も。

 皆、苦痛に顔を歪めながら、それでも死ねずにいる。

 

 その中に見覚えのある顔があった。

 

 今朝、駅前で飛び降りた女。

 経理の佐藤。

 営業部で頭を割った若手社員。

 

 皆、ここにいた。

 

 黒い何かに囚われ、永遠に貪られ続けている。

 

 ズルリ、と音がして黒い触手が高木に向かって伸びてきた。

 

 ◆

 

 高木は目を覚ました。

 

 シーツが汗でぐっしょりと濡れている。心臓が早鐘のように打ち、呼吸が荒い。喉がカラカラに渇いていた。

 

 窓の外はまだ暗い。時計を見ると午前三時だった。

 

「転生は……?」

 

 高木は呟いた。

 山田の最後の言葉が頭から離れない。

 転生は──なんだというのか。

 

 ベッドから起き上がり、キッチンへ向かった。冷蔵庫から水を取り出し、一気に飲み干す。冷たい水が食道を通り胃に落ちていく感覚。

 

 生きている、という実感。

 だがそれも束の間のものかもしれない。

 

 高木は窓の外を見た。 街の明かりが、ぽつぽつと灯っている。その一つ一つの下で人々が眠っている。そして明日になれば、また誰かが死に、転生していく。

 

 当たり前のように。

 何の疑問も持たずに。

 

 高木の手が小刻みに震えていた。

 止まらない。

 冷や汗がまた噴き出してきた。

 

 転生は──

 

 窓ガラスに映る自分の顔を、高木は見つめた。五十二歳の、皺の刻まれた顔。いずれこの顔も失われる。そして新しい顔を得る。

 

 だが──本当に得るのだろうか。

 

 それとも──

 

 高木は首を振った。考えても仕方がない。夢は夢だ。現実ではない。

 

 だが震えは止まらなかった。

 

 朝まであと三時間。

 

 高木はただじっと、窓の外を見つめ続けた。

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