――放課後。
アリーナを後にした帰り道。
「……はぁ」
一夏は小さく息を吐いた。
ラウラとの一悶着。
頭の中に、あの言葉が残っている。
――あの女がいなければ何もできない。
「……くそ」
小さく舌打ちしかけた、その時。
「……ですから、お願いします」
聞き覚えのある声。
足が止まる。
壁越し。
少し先の通路。
「……」
一夏は反射的に身を隠した。
覗き込む。
そこにいたのは――
「……ラウラ?」
そして、その向かいに。
「無理だ」
織斑千冬。
短く、切り捨てるような声。
「何度言わせる」
「しかし――!」
ラウラが食い下がる。
「私はまだ――」
「見込みはある、か?」
千冬が被せる。
冷たい声。
「……っ」
言葉に詰まるラウラ。
「今の貴様に、教えることはない」
「……!」
拳を握る。
「ならば……ドイツに戻ってでも――」
「断る」
即答。
一切の迷いがない。
「私はもう軍には関わらん」
「……っ」
ラウラの表情が歪む。
それでも。
「それでも……私は――!」
なおも食い下がる。
だが。
「しつこいぞ、ボーデヴィッヒ」
千冬の一言で。
空気が止まる。
「……」
沈黙。
やがて。
「……失礼します」
ラウラは踵を返した。
そのまま、足早に立ち去る。
「……」
静寂。
一夏は、息を吐いた。
(……なるほどな)
頭の中で繋がる。
ドイツ。
あの日。
自分が誘拐された事件。
その後の捜査協力。
その代償として。
千冬は――
ドイツ軍の教官を、二年間務めていた。
(その時か……)
ラウラとの接点。
自然と納得がいく。
「……」
もうここにいる意味はない。
一夏はその場を離れようとする。
「――聞いていたな」
「っ!?」
背筋が凍る。
振り返る。
「……千冬姉」
そこには、いつの間にか立っていた千冬。
「隠れるのが下手だな」
「いや、バレないと思ってたんだけど……」
苦笑するしかない。
「……まあいい」
千冬が軽くため息をつく。
「帰りか?」
「ああ」
「そうか」
短い会話。
だが、不思議と重くはない。
「……」
少しの沈黙。
そして。
「……一つ、言っておく」
千冬が口を開く。
「流星一花のことだが」
「……」
一夏の表情がわずかに引き締まる。
「……飲み込まれるなよ」
静かに。
だが、はっきりとした言葉。
「……」
一夏は、少しだけ考える。
そして。
「……分かってるよ」
短く答える。
「……ならいい」
千冬はそれ以上何も言わない。
「じゃあな」
「ああ」
一夏は背を向ける。
そのまま歩き出す。
足音が遠ざかる。
「……」
残された千冬。
一人。
空を見上げる。
「……」
小さく、息を吐く。
「愚弟も……」
ぽつりと。
「面倒な者に好かれたな……」
呟きは、誰にも届かない。
ただ、静かに――
空へと消えていった。