インフィニット・ストラトス 〜愛のシナリオ〜   作:ぬっく~

34 / 34
第三十三話 揺らぐ輪郭

消毒液の匂いが、静かに鼻をついた。

 

白い天井。規則正しく並ぶ照明。その無機質な光が、ぼんやりとした意識の中にゆっくりと染み込んでくる。

 

ラウラ・ボーデヴィッヒは、ゆっくりと瞼を開いた。

 

視界はまだ定まらない。焦点が合わず、世界が滲んで見える。だが、それでも自分がどこにいるのかは理解できた。IS学園の保健室。見慣れたはずの場所でありながら、どこか現実感が希薄だった。

 

身体は重い。指先に力を込めようとしても、思うように動かない。まるで自分の身体ではないような、奇妙な感覚。

 

「……起きたか」

 

低く、よく通る声が響いた。

 

視線を横へと動かすと、そこに立っていたのは織斑千冬だった。変わらぬ無表情。その奥にある冷静な観察の眼差しが、まっすぐにラウラを見ている。

 

ラウラはゆっくりと身体を起こそうとしたが、すぐに力が抜け、再びベッドに沈み込んだ。

 

「無理に動くな。身体への負荷はまだ残っている」

 

淡々とした口調だった。

 

だが、その言葉に逆らう気にはなれなかった。

 

しばらくの沈黙の後、千冬が口を開く。

 

「お前は暴走した。ISに取り込まれ、自我を失い、無差別に攻撃を行った」

 

言葉は簡潔だった。無駄がない。

 

だが、その一つ一つが、確かに事実として胸に落ちていく。

 

ラウラは何も言わなかった。言えなかった。

 

断片的な記憶が蘇る。恐怖。敗北。押し潰されそうな焦燥。そして――

 

何かに飲み込まれていく感覚。

 

「その結果、お前は敗れた」

 

一瞬の間。

 

「織斑一夏によってな」

 

その名前が出た瞬間、ラウラの指先がわずかに震えた。

 

だが、それ以上の反応はない。

 

ただ、静かに目を伏せる。

 

千冬はその様子を一瞥し、そして続けた。

 

「……さて」

 

わずかに間を置く。

 

「一つ、聞こう」

 

静かな声だった。

 

だが、鋭い。

 

「お前は――誰だ?」

 

その問いは、あまりにも単純で、あまりにも本質的だった。

 

ラウラの呼吸が止まる。

 

答えは、すぐに出るはずだった。

 

ラウラ・ボーデヴィッヒ。

 

ドイツ代表候補生。

 

軍人。

 

千冬の教え子。

 

だが――

 

「……」

 

言葉が、出てこない。

 

口を開こうとしても、何も形にならない。

 

自分が何者なのか。

 

その輪郭が、曖昧にぼやけていく。

 

沈黙が、答えだった。

 

千冬は小さく息を吐いた。

 

そして、短く言い放つ。

 

「なら、お前はラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

断定だった。

 

揺らぎのない、言葉。

 

「いくら追いかけようと、私にはなれんぞ」

 

その一言には、情も、否定も、すべてが含まれていた。

 

背を向ける。

 

「……自分を見失うな」

 

それだけを残し、千冬は保健室を後にした。

 

扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。

 

残されたラウラは、ただ天井を見つめていた。

 

自分は、誰だ。

 

その問いだけが、頭の中で静かに繰り返されていた。

 

――――

 

湯気が、静かに立ち上っていた。

 

大浴場は広く、静かで、水面に反射する光が揺れている。規則的に流れる水音が、空間全体を包み込むように響いていた。

 

織斑一夏は、湯に肩まで浸かりながら、大きく息を吐いた。

 

「はぁ……」

 

戦闘の疲労は、まだ身体に残っている。だが、それ以上に精神的な消耗の方が大きかった。何度も限界を超え、無理やり動かした身体は、今になってようやく重さを主張し始めている。

 

「……」

 

不意に、視線を感じた。

 

いや、正確には“気配”だった。

 

「……いるんだろ」

 

小さく呟く。

 

少しの間。

 

そして、背後から静かな声が返ってきた。

 

「……うん」

 

シャルルだった。

 

互いに振り向かない。

 

ただ、背を向けたまま、同じ湯に浸かっている。

 

奇妙な沈黙が流れる。

 

だが、不思議と居心地は悪くなかった。

 

「……また、だな」

 

一夏が苦笑混じりに言う。

 

「……うん」

 

短い返事。

 

だが、その声にはどこか迷いが混じっていた。

 

しばらくの沈黙の後、シャルルが小さく息を吸う気配がした。

 

決意のようなものが、そこにはあった。

 

「……一夏」

 

「ん?」

 

「僕……いや」

 

言い直す。

 

わずかに震える声。

 

「……私の、本当の名前」

 

一夏は何も言わず、ただ耳を傾ける。

 

「シャルロット・デュノア」

 

静かに告げられたその名前は、水面に落ちる雫のように、波紋を広げていく。

 

一夏は目を閉じ、小さく頷いた。

 

「……そっか」

 

それ以上は、何も言わない。

 

責めることも、驚くことも、問い詰めることもなく。

 

ただ、受け止める。

 

その態度が、何よりも雄弁だった。

 

湯気の向こうで、シャルロットがわずかに息を吐いたのが分かった。

 

――――

 

翌日。

 

教室の空気は、どこかざわついていた。

 

理由は明白だった。

 

教壇の前に立つ、一人の少女。

 

金色の髪を揺らしながら、まっすぐに前を見据えるその姿に、昨日までの“少年”の面影はない。

 

「シャルロット・デュノアです。よろしくお願いします」

 

簡潔な自己紹介。

 

だが、その一言で教室は完全に騒然となった。

 

「はぁぁぁぁぁ!?」

 

鈴の声が、誰よりも大きく響いた。

 

「ちょっと待ちなさいよ!? アンタ女子だったの!?」

 

「う、うん……そういうことになるかな……」

 

苦笑するシャルロット。

 

その時だった。

 

「……あ」

 

鈴の動きが止まる。

 

何かに気付いたように、ゆっくりと一夏の方へと顔を向ける。

 

「……昨日の大浴場って」

 

空気が、凍る。

 

「男子しか使えないわよね?」

 

沈黙。

 

一秒。

 

二秒。

 

「……あ」

 

一夏の声が漏れる。

 

次の瞬間。

 

「織斑一夏ァァァァァァ!!!」

 

怒号。

 

同時に、鈴のISが展開される。

 

「ちょ、待っ――」

 

言い訳の余地などなかった。

 

一直線に迫る攻撃。

 

「死ねぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

「待て」

 

その瞬間、低い声が割り込んだ。

 

次の瞬間、鈴の動きが止まる。

 

ラウラだった。

 

いつの間にか、二人の間に割り込んでいる。

 

その眼は、まっすぐに一夏を捉えていた。

 

そして。

 

ゆっくりと歩み寄る。

 

「……な、なんだよ」

 

一夏が一歩引く。

 

だが、逃げ場はない。

 

ラウラはそのまま距離を詰め――

 

「っ!?」

 

不意に、一夏の胸倉を掴む。

 

そして。

 

そのまま――唇を重ねた。

 

一瞬、世界が止まる。

 

教室中が、完全に静まり返る。

 

離れる。

 

ラウラは真っ直ぐに一夏を見据えたまま、静かに告げる。

 

「決めた」

 

その声には、迷いがなかった。

 

「お前は、私の嫁だ」

 

完全に沈黙した教室。

 

そして次の瞬間――

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

再び、爆発した。

 

誰もが声を上げる中、一夏だけが完全に思考停止していた。

 

「いや、ちょっと待て!? 今のはどういう――」

 

「黙れ」

 

即答だった。

 

ラウラの視線は、一切逸れない。

 

「お前は、私がもらう」

 

その宣言は、あまりにも一方的で、あまりにも確定的だった。

 

教室は、もはや収拾がつかない。

 

怒号、悲鳴、困惑、ツッコミ、すべてが入り混じり、朝の静けさなどどこにも残っていなかった。

 

その中心で、一夏はただ立ち尽くす。

 

状況を理解できないまま。

 

ただ一つ確かなのは――

 

この日もまた、平穏とは程遠い一日になるということだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

ドイツ軍人になった一夏くん(作者:強い一夏すこすこ侍)(原作:インフィニット・ストラトス)

第二回モンド・グロッソで誘拐された一夏。彼を救うため、千冬は決勝戦を棄権し一夏を救い出した。▼そこでドイツに情報提供してもらった恩を返すという名目で千冬はドイツ軍でISの教官をするために一夏を日本に置いてドイツに行った──というのが原作なのだが、果たして弟大好き人間の千冬が一夏を一人日本に置いてドイツに行くんだろうか。いや、行かない。▼と、いうわけで千冬がド…


総合評価:268/評価:8.43/連載:21話/更新日時:2026年05月08日(金) 17:12 小説情報

Re:インフィニット・ストラトス(作者:ぬっく~)(原作:インフィニット・ストラトス)

女性にしか反応しない世界最強の兵器「インフィニット・ストラトス」(Infinite Stratos)、通称「IS」(アイエス)の出現後、男女の社会的な立場が完全に一変、女尊男卑が当たり前になってしまった時代。▼主人公の織斑一夏は、自身が受ける高校の入学試験会場を間違えて、IS操縦者育成学校「IS学園」の試験会場に入室。そこにあったISを男性でありながら起動さ…


総合評価:7/評価:-.--/連載:3話/更新日時:2026年03月06日(金) 06:43 小説情報

ちょっと大人なインフィニット・ストラトス(作者:たんたんたんめん@オルコッ党員)(原作:インフィニット・ストラトス)

性格改変、原作設定無視多数のインフィニット・ストラトス。▼誰、とは言いませんが優遇されているように感じるキャラがいるかもしれませんが気の所為ですのでそこら辺はよろしゅうたのんます。


総合評価:4122/評価:8.65/連載:87話/更新日時:2026年05月07日(木) 17:14 小説情報

IS〜転生者は楽しみたい〜(作者:聖命蓮)(原作:インフィニット・ストラトス)

▼神様のうっかりミスで亡くなってしまった、主人公。▼神様は償いとして、主人公に問いかける。▼主人公は生前、趣味で書いていた小説の舞台である【インフィニット・ストラトス】の世界に行ってみたいと語る。▼神様は快く承諾し、主人公の新たな人生が始まる━━━━。▼追加タグ用▼多少のノゲノラ要素▼家庭教師ヒットマンREBORN! 技、武器のみ▼デート・ア・ライブ▼━━━…


総合評価:774/評価:6.35/連載:23話/更新日時:2026年05月12日(火) 13:00 小説情報

四葉からは逃げられない(作者:シャケナベイベー)(原作:魔法科高校の劣等生)

司波龍郎に転生した男が平穏無事に人生を送るために模索する話▼龍郎くん(転生者)「四葉から逃げれると思う?」▼弘一くん「無謀で草(意訳)」


総合評価:6700/評価:8.19/連載:6話/更新日時:2026年05月20日(水) 07:05 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>