休日のショッピングモールは、いつも以上に賑わっていた。
明るい照明と、行き交う人々のざわめき。その中を歩きながら、織斑一夏はどこか落ち着かない様子で周囲を見回していた。
その理由は明白だった。
「一夏、こっち」
少し前を歩く一花が、振り返りもせずに手を軽く振る。
その仕草一つで、人の視線が集まる。整った容姿、自然と目を引く立ち振る舞い。その隣を歩いている自分に向けられる視線まで含めて、一夏はどうにも居心地が悪かった。
「……なんで俺まで来る必要あったんだよ」
ぼそりと呟く。
すると一花は足を止め、ゆっくりと振り返った。
その表情は穏やかだったが、どこか逃げ場のない圧を感じさせる。
「一緒に選ぶに決まってるでしょ?」
当然のように言い切る。
「一夏が見る水着と、私が選ぶ水着。どっちがいいかなんて、考えるまでもないわよね?」
逃げ道はなかった。
「……はい」
一夏は観念したように頷く。
その様子に、一花は満足げに微笑んだ。
――――
一方その頃、IS学園の食堂では、妙に張り詰めた空気が流れていた。
テーブルを囲むのは、篠ノ之箒、セシリア・オルコット、凰鈴音、シャルロット・デュノアの四人。
……のはずだった。
「なぜ貴様がいる」
箒の低い声が響く。
その視線の先には、当然のように椅子に座るラウラ・ボーデヴィッヒの姿があった。
「呼ばれていない」
セシリアも続ける。
「だが、来た」
ラウラは平然と答える。
沈黙。
ピリ、と空気が張り詰める。
だがそのまま、ラウラは一度だけ目を閉じ、そして口を開いた。
「……先日の件については謝罪する」
意外な言葉だった。
「過剰な行動だった。すまない」
その言葉に、箒とセシリアはわずかに目を見開く。
鈴は腕を組んだまま、じっとラウラを睨みつけていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……まあ、いいわよ。今回だけは」
完全に許したわけではない。
だが、話を進めることは許容する、という意思表示だった。
「それで、本題は?」
シャルロットが場を整えるように口を開く。
自然と、全員の意識が一つに集まる。
「流星一花についてよ」
鈴がはっきりと言った。
その名前が出た瞬間、空気の温度がわずかに下がる。
誰もが無意識に、息を潜めた。
「あの人、明らかに普通じゃないわ」
「同意しますわ」
セシリアが頷く。
「一夏さんへの執着……あれは愛情という言葉で片付けていいものではありません」
「……制御が効かないタイプだな」
箒も短く言う。
シャルロットは少しだけ言葉を選ぶようにしてから口を開いた。
「でも……一夏は、それを受け入れてるよね」
その一言に、全員が黙る。
事実だった。
否定できない現実。
だからこそ厄介なのだ。
その沈黙を破ったのは、ラウラだった。
「問題ない」
全員の視線が集まる。
「一夏は私の嫁になる」
「は?」
即座に鈴が反応する。
「何言ってんのよアンタ」
ラウラは気にする様子もなく続ける。
「既に証は立てた」
「証……?」
セシリアが眉をひそめる。
ラウラは当然のように言い放った。
「口づけだ」
一瞬、間が空く。
そして。
「はぁ!?」
鈴が立ち上がる勢いで声を上げた。
「アンタそれドヤ顔で言うこと!?」
ラウラは真剣だった。
「当然だ。初めては重要だ」
その一言で、空気がさらにざわつく。
だが。
次の瞬間。
鈴が、冷めた目で口を開いた。
「……残念だったわね」
「?」
ラウラがわずかに首を傾げる。
「一夏のファーストキス、とっくに奪われてるわよ」
沈黙。
空気が、凍る。
「……何?」
ラウラの声が低くなる。
「誰だ」
短い問い。
その答えは、全員が分かっていた。
鈴はため息混じりに言う。
「決まってるでしょ」
そして。
「一花よ」
その瞬間、場の空気が一段階重くなる。
「……詳しく聞かせろ」
ラウラの声は、先程までとは違っていた。
静かで、だが圧がある。
鈴は少しだけ遠い目をした。
「……あれは、中学二年の時だったわね」
鈴が遠くを見るような目で言う。
食堂の空気が、わずかに引き締まる。
――――
放課後の教室。
机を寄せて作られた即席の円。その中心に、小さな紙束が置かれていた。
「はいはい注目ー!」
軽い調子で前に出てきたのは、五反田弾。
「今から王様ゲームをやる! 紙は“王様”と“1〜9”! 引いた番号で、王様の命令には絶対服従! 拒否権なし!」
その言葉に、周囲がざわつく。
参加者は、一夏、一花、鈴、弾、そして――
一花ファンクラブ上位勢六名。
すでに、空気は妙な熱を帯びていた。
「じゃあ引くぞー!」
全員が一斉に紙を引く。
数秒後。
「……あたしね」
鈴が紙を掲げる。
そこには“王様”の文字。
ニヤリと笑う。
「じゃあ命令ね。3番と7番」
一夏が自分の紙を見る。
「……3番」
弾も顔を引きつらせながら手を上げる。
「……7番」
鈴は満足げに腕を組んだ。
「アンタたち二人、今から鉄人に告白してきなさい」
「は?」
一夏と弾の声が完全に重なる。
「拒否権なしって言ったでしょ?」
満面の笑みだった。
「行ってこい」
数分後。
体育館裏。
鬼のような形相の体育教師――通称“鉄人”の前で、
「す、好きです!!」
「付き合ってください!!」
全力で叫ぶ男子二名。
沈黙。
そして。
「……走れ」
低い声。
次の瞬間、二人は全力でグラウンドを走らされることになった。
――――
数分後、息も絶え絶えで戻ってくる一夏と弾。
「……死ぬ……」
「俺もだ……」
その様子を見て、周囲が笑う。
そんな中。
次の紙を引いた人物が、静かにそれを掲げた。
「……私ね」
流星一花だった。
場の空気が、わずかに変わる。
彼女は紙を一瞥し、ゆっくりと顔を上げた。
そして、微笑む。
「じゃあ――」
一瞬の間。
「5番」
一夏の手が止まる。
嫌な予感がした。
紙を見る。
「……俺だ」
ざわ、と空気が揺れる。
「命令は簡単よ」
一花が一歩、近づく。
その動きは自然で、逃げ場を与えない。
「私とキスして」
空気が、完全に止まる。
「……は?」
一夏の思考が追いつかない。
周囲の男子たちは、理解した瞬間に顔色を変えた。
だが。
次の瞬間だった。
「――ん」
一花が、一歩踏み込む。
そして。
不意を突くように。
一切の躊躇なく。
一夏の唇を奪った。
時間が止まる。
誰も動けない。
呼吸すら忘れる。
静寂の中で、その光景だけが異様な存在感を放っていた。
数秒後。
ゆっくりと離れる。
一花は、何事もなかったかのように微笑んだ。
その瞬間。
弾が立ち上がる。
震える声で、だが全力で叫んだ。
「さすが一花さん! おれたちにできない事を平然とやってのけるゥ!! そこにシビれる! あこがれるゥ!!」
教室が爆発した。
男子たちは頭を抱え、机に突っ伏し、ある者は天を仰ぎ、ある者は涙をこぼしそうになっていた。
だが、終わらない。
それが、終わるはずがなかった。
再び紙が引かれる。
そして。
「……また、私ね」
一花。
偶然とは思えない確率。
いや、もはや偶然ではなかった。
「じゃあ――」
彼女は迷わない。
「一夏」
番号すら言わない。
直接指定。
「もう一回」
拒否権など、存在しない。
そして。
キス。
また、キス。
さらに、キス。
回数を重ねるごとに、教室の温度が狂っていく。
男子たちの目から光が消えていく。
理性が崩壊していく。
「……おい待てなんで全部当てるんだ!?」
弾のツッコミも虚しく、流れは止まらない。
そして。
ついに。
「……もういい」
一夏が紙を握りしめる。
王様だった。
全員の視線が集まる。
一夏は、深く息を吐き――
「このゲーム、終了だ」
その一言で、強制的に幕を引いた。
――――
その後、数日間。
一夏は、男子たちからの鋭すぎる視線に晒され続けることになった。
嫉妬、怨念、羨望、絶望。
すべてが混ざった視線。
それはもはや、軽いトラウマレベルだった。
――――
「……ってこと」
鈴が語り終えた瞬間だった。
数秒の沈黙。
誰も言葉を発さない。
だが、その沈黙は“静けさ”ではなかった。
――溜め込まれた感情の、爆発前の静止。
最初に動いたのは、セシリアだった。
「……は?」
低く、信じられないという声。
その手が、テーブルの上でわずかに震えている。
「な、ななな……何をおっしゃっているのですの……?」
いつもの気品ある口調は保っている。
だが、その奥にある感情は明らかだった。
「キスを……何度も……? しかも、意図的に……?」
ゆっくりと顔を上げる。
その瞳には、はっきりとした怒りが宿っていた。
「ふざけないでくださいまし……!」
次の瞬間、机を叩く。
「それはもはやゲームではありませんわ!!」
声が響く。
食堂の空気が震えるほどの怒気だった。
「……あいつは……」
続いたのは箒だった。
低く、押し殺した声。
だが、明確な怒りが込められている。
「昔から変わっていないということか……」
拳を握りしめる。
「一夏を……あそこまで好き勝手に……!」
その言葉の端々に、悔しさと焦燥が滲んでいた。
「ちょ、ちょっと待って……」
シャルロットが慌てて両手を振る。
だが、その表情も穏やかではない。
「それって……かなり強引すぎない……?」
苦笑を浮かべようとして、失敗する。
「一夏、ちゃんと断れなかったの……?」
その問いは、答えが分かっているからこそ重かった。
「……なるほど」
そして、ラウラ。
静かに呟く。
だが、その声は冷えていた。
「最初から奪っていた、ということか」
ゆっくりと立ち上がる。
その瞳には、明確な“敵意”が宿っていた。
「面白い」
一歩、前に出る。
「ならば、奪い返すまでだ」
完全に、戦闘態勢だった。
その場の空気は、完全に燃え上がっていた。
怒り。
対抗心。
焦り。
それぞれの感情がぶつかり合い、収拾がつかない。
だが――
ただ一人だけ。
その輪から外れている者がいた。
鈴だった。
椅子に深く腰掛けたまま、騒がしい空間から視線を外す。
そして、ゆっくりと窓の外へと目を向ける。
青空が広がっていた。
雲が、ゆっくりと流れていく。
その景色を、どこか遠くを見るような目で眺めながら――
小さく、呟いた。
「……ほんと」
ため息混じりに。
「敵をつくるのがうまいわね……」
その言葉だけが、妙に静かに響いた。