高校入試当日。
「……ここ、でいいんだよな」
手にした受験票と、目の前の建物を見比べる。
――総合体育館。
大きな施設だ。
だが、人の気配が妙に少ない。
(……入試会場にしては、静かすぎるだろ)
違和感を覚えながらも、中へ入る。
――
扉を抜けた瞬間、空気が変わった。
広い。
とにかく、広い。
天井は高く、声を出せば反響しそうな空間。
だが――
「……誰もいない?」
思わず呟く。
普通なら、受験生や係員がいるはずだ。
それなのに。
足音だけが響く。
(……時間、間違えたか?)
ポケットから受験票を取り出す。
時間は合っている。
場所も、ここで間違いない。
「……おかしいだろ」
誰に言うでもなく、呟く。
だが、答える声はない。
静寂。
その中で――
「……あれは」
視線の先。
体育館の中央に、ぽつんと設置された装置。
無機質なフレーム。
浮かぶように配置されたパーツ。
見間違えるはずもない。
「……IS?」
テレビやニュースでしか見たことがない代物。
それが、なぜここにある。
(……入試会場、だよなここ)
どう考えてもおかしい。
だが。
「……」
気づけば、足がそちらへ向いていた。
引き寄せられるように。
音もなく、装置へ近づいていく。
誰も止めない。
誰もいない。
「……本当に、誰もいないのか」
周囲を見渡す。
観客席。
通路。
入口。
どこにも、人影はない。
完全に、無人。
「……なんなんだよ」
違和感が、はっきりとした不安に変わる。
それでも――
足は止まらなかった。
装置の前に立つ。
自然と、その中央に。
「……」
沈黙。
何も起きない。
ただ、そこに立っているだけ。
(……帰るか)
そう思った、その瞬間。
――ピッ
小さな電子音。
「……?」
反応したのは――ISだった。
「おい……勝手に……」
機械が、起動を始める。
低い駆動音。
微かな振動。
「ちょっと待てって……!」
後ずさる。
だが――
遅かった。
光が、走る。
装置から放たれたそれが、一瞬で視界を覆う。
「っ――!」
思わず目を閉じる。
だが。
消えない。
光の中で、確かに感じる。
何かが――“繋がる”感覚。
「……なんだ、これ……」
頭の奥に、情報が流れ込む。
理解していないはずの構造。
知らないはずの操作。
それなのに――
「分かる……?」
言葉が、漏れる。
自分でも信じられない。
だが確かに、“扱える”と感じた。
「……は?」
次の瞬間。
体育館の奥から、慌ただしい音が響いた。
「誰だ、起動させたのは!」
「確認はどうなっている!?」
複数の足音。
ようやく、人の気配が現れる。
だが――
その時にはもう遅い。
「起動確認済み! 安定しています!」
「適合者データは!?」
叫び声が飛び交う。
だが。
「……」
一夏は、ただ立っていた。
光の中で。
ISと“繋がったまま”。
「……誰だ、お前は」
低い声が響く。
その問いに対して。
一夏は、ゆっくりと顔を上げた。
「……受験生、だけど」
それしか、言えなかった。
だが。
その答えが――
すべてを変えることになる。
IS学園での生活は――
思っていたよりも、ずっと“普通”だった。
「……いや、普通じゃねえなこれ」
思わず呟く。
教室。
授業。
雑談。
どこを切り取っても、やっていること自体は普通の学校と変わらない。
ただし――
「ねえねえ、ほんとに男なの?」
「声低っ……」
「え、近くで見てもいい?」
「……やめろ、距離近い」
周囲を囲むのは、全員女子。
その一点だけが、決定的に違っていた。
「ふふ、人気者だね」
隣から、落ち着いた声。
「……他人事みたいに言うなよ、一花」
視線を向ける。
そこには、いつも通りの表情で座る流星一花。
制服姿。
だが、その雰囲気は明らかに他の生徒と違う。
浮いているわけじゃない。
――“馴染んでいるのに異質”。
そんな感じだった。
「だって事実でしょ?」
軽く笑う。
「珍しい存在なんだから」
「……嬉しくねえよ」
机に突っ伏す。
周囲の視線は、未だに落ち着かない。
「そのうち慣れるよ」
一花はあっさり言う。
「みんなも、君も」
「どうだかな」
そう返しながら――
ふと、視線がいった。
彼女の左側。
制服の袖。
やはり――空だった。
「……なあ」
小さく声をかける。
「そのままなんだな」
「うん」
一花は、何でもないことのように頷いた。
「不便じゃないのか?」
「別に」
即答だった。
「慣れてるから」
その言葉が、妙に引っかかった。
慣れる、という問題なのか。
「それに――」
一花が、少しだけ笑う。
「無くても困らないしね」
「……どういう意味だよ」
「さあ?」
はぐらかされる。
それ以上は聞けなかった。
――踏み込んではいけない気がした。
その時。
キーンコーンカーンコーン――
チャイムが鳴る。
「次の授業、移動だよ」
一花が立ち上がる。
「一夏も来て」
「……ああ」
席を立つ。
廊下に出ると、再び視線が集まる。
だが、教室ほどではない。
少しだけ――
「……慣れてきたな」
「でしょ?」
一花が隣を歩く。
歩幅は自然と合っていた。
「ねえ、一夏」
「なんだよ」
「ここ、どう?」
「どうって……」
少し考える。
「思ったより普通だな」
正直な感想だった。
もっとこう、軍隊みたいな場所かと思っていた。
だが実際は――
「“普通に見せてる”だけだよ」
一花が、ぽつりと言った。
「……え?」
思わず振り向く。
「何言って――」
その瞬間。
廊下の奥。
重い扉が、ゆっくりと閉まるのが見えた。
ガシャン――と、鈍い音。
「……今の」
「関係者以外立ち入り禁止の区画」
一花が淡々と答える。
「ISの保管とか、開発とか」
「そういうのは、全部あっち側」
「……やっぱ普通じゃねえじゃねえか」
苦笑する。
「だから言ったでしょ」
一花は、少しだけ楽しそうに笑った。
「“見せてるだけ”って」
その目は――
どこか冷静すぎた。
まるで、この環境すべてを俯瞰しているような。
「……お前、やっぱ変わったな」
ぽつりと呟く。
すると、一花は一瞬だけ動きを止めた。
「……そうかな」
「中学の頃は、もうちょい普通だっただろ」
「普通、ね」
小さく繰り返す。
「じゃあ聞くけど」
彼女が、こちらを見る。
「今の私と、昔の私」
「どっちが“本物”だと思う?」
「……は?」
質問の意味が分からない。
だが――
その目は、冗談じゃなかった。
「……分かんねえよ、そんなの」
正直に答える。
すると、一花は――
少しだけ、安心したように笑った。
「そっか」
それだけ言って、前を向く。
会話は、そこで途切れた。
――
その日の放課後。
帰り支度をしていると。
「織斑一夏」
教官――千冬に呼び止められた。
「……はい」
自然と背筋が伸びる。
「少し来い」
短い命令。
拒否権はない。
廊下を歩く。
昼間見た、あの重い扉の前で止まった。
「ここは――」
「お前には関係ある」
そう言って、扉が開かれる。
重い音。
その先にあったのは――
「……これが」
静かに並べられた機体。
白。
黒。
様々な形状。
だがどれも、圧倒的な存在感を放っている。
「ISだ」
千冬が言う。
「この学園の“本来の姿”だ」
空気が違う。
さっきまでの“学校”とは、まるで別の場所。
「……お前は、こっち側の人間だ」
言葉が、静かに落ちる。
「望もうと望むまいと関係ない」
否定できない。
あの時、起動してしまった時点で――
「……分かってる」
小さく答える。
逃げられない。
なら。
「やるしかないんだろ」
千冬は、わずかに頷いた。
「明日から、訓練に入る」
「……了解」
踵を返そうとした、その時。
「――やっぱり」
背後から声。
振り向く。
そこにいたのは、一花だった。
いつの間にか、扉の外に立っている。
「こっちに来たね」
静かに笑う。
「……見てたのかよ」
「うん」
隠す気もない。
「最初から分かってたけど」
一歩、近づいてくる。
「これで確定」
「……何がだよ」
一花は、迷いなく言った。
「君は、“戻れない側”だってこと」
胸の奥が、わずかに重くなる。
だが――
「……ああ」
否定はしない。
できない。
すると、一花は――
少しだけ、優しく笑った。
「大丈夫だよ」
その言葉に、一瞬だけ救われかけて――
「私がいるから」
その続きで、違和感が走る。
“支える”じゃない。
“守る”でもない。
――“いるから”。
それだけ。
なのに、妙に重い。
「……頼むから」
小さく言う。
「全部一人で背負うなよ」
一花は、少しだけ目を細めて――
「無理かな」
あっさり答えた。
「これは、私の問題だから」
そう言って、背を向ける。
残された言葉だけが、静かに沈んでいく。
――普通の学園生活。
その裏側にあるもの。
そして。
関わってはいけないはずの存在。
それでも――
もう、関わってしまっている。
気づかないふりなんて、できなかった。