夜。
寮の自室。
「……」
机に向かいながらも、手は止まっていた。
開いたままのノート。
書きかけの文字。
だが、思考はまったく別のところにある。
――流星一花。
あの少女の顔が、頭から離れなかった。
「……特別な関係、か」
小さく呟く。
あの言い方。
曖昧で、だが確信を含んだ声音。
「……ふざけるな」
ペンを強く握る。
感情が、わずかに滲む。
「何が“特別”だ」
自分でも分かっている。
ただの言葉ではない。
あれは――
“既に入り込んでいる者”の余裕だ。
「……」
奥歯を噛みしめる。
思い出す。
一夏の反応。
否定しなかった。
できなかった。
(……あいつは、分かっているのか?)
自分がどこに立っているのか。
誰に何を背負わせているのか。
「……いや」
首を振る。
違う。
あの男は、そういうやつじゃない。
昔から――
無自覚に、誰かを巻き込む。
「……変わっていないな」
小さく息を吐く。
懐かしさと、苛立ちが混ざる。
だが。
問題はそこじゃない。
「……あの女だ」
視線が鋭くなる。
流星一花。
あの目。
あの立ち位置。
「……違う」
はっきりと、理解する。
自分とは違う。
根本から。
「戦う者の目ではない」
それでも、強い。
いや――
だからこそ、強い。
「……何を見ている」
ぽつりと呟く。
あの少女は、どこを見ているのか。
同じ場所に立っていない。
もっと遠く。
もっと先。
まるで――
“すべてを知った上で立っている”ような。
「……気に入らん」
感情が、はっきりと形になる。
嫉妬ではない。
恐れでもない。
これは――
「……見下されているようだ」
その感覚だった。
対等ですらない。
最初から、上から見られている。
「……ふざけるな」
静かに、しかし確実に熱がこもる。
拳を握る。
「一夏は――」
言葉が、自然と出る。
「そんな場所に置かれる人間ではない」
まっすぐな想い。
昔から変わらない。
「……守られるだけの男じゃない」
だからこそ。
「……あんなやつに」
一瞬、言葉を止める。
そして。
「好きにさせるか」
はっきりと言い切った。
沈黙。
だが、そこに迷いはない。
「……力がいるな」
ぽつりと呟く。
現実を理解する。
感情だけでは、届かない。
あの場所には。
「なら――」
立ち上がる。
「鍛えるしかない」
それしかない。
遠回りでも。
正面からでも。
「……追いつく」
誰に、とは言わない。
だが、決まっている。
「そして――」
静かに、しかし強く。
「越える」
その言葉には、確かな意志があった。
――一花の余裕。
――一夏との距離。
そのどちらも。
認めた上で。
それでも、諦めない。
「……見ていろ」
小さく呟く。
誰に向けたものかは、分からない。
だが――
その夜。
一つの決意が、確かに生まれていた。