えっちは嫌いだけどお兄さんは好き‼︎な宇佐美ちゃん 作:とくめい
昼休みの、いつもの教室。
クーラーがガンガンに効いていて、黒板には午前中の数学の公式が書きっぱなしになっている。
私たち三人は、私の席の周りに机をくっつけて、購買のパンをかじりながらダベっていた。
「でさー、結局うちの彼氏、記念日なのに寝ぶっちしたわけ。マジありえなくない?」
ストローを噛みながら、サエがけだるそうに愚痴をこぼす。
「まあ、その後ちゃんと『ごめん!』って結局ラブホっていう。まぁ許したけどねー」
「サエ、それ誤魔化されてるだけ」
向かいの席で、スマホをいじりながらマリが淡々と突っ込む。
「えー? でもそういう仲直りもありっしょ? ウサはどう思う?」
「……え? 私?」
急に話を振られて、私はストローから口を離した。
「私はわかんないかなぁ。そういうことする自分が想像できないっていうか」
「出た、ほんっとガード固いよねー。可愛いのに勿体ない」
「ガード固いっていうか、興味ないだけだし……」
わざと冷めたような声で言う。
「ふーん?」
サエが、ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべた。
私の強がりなんて全部お見通しで、『まぁウサがそう言うなら、そういうことにしておいてあげる』とでも言いたげな、余裕のある反応だった。
記念日、喧嘩、ラブホ、えっち。
私にはいま縁がない言葉かも。
これまで何度か告白されたことはある。
みんな、私の顔とかスタイルとか、そういう「見た目」を褒めてくれた。
それはそれで嬉しかったけど……でも、心から信頼して体を預けられるかっていうと、絶対に無理だった。
だって、怖い。
いざそういう行為になった時、私がどんな風に喘ぐのかとか、処女だから、とか。
そういう自分の未知の姿を見られて、相手に引かれるのが怖い。
逆に、男の人の見たことない生々しい面を見て、私自身が引いちゃうのも怖い。
色々と拗らせて、頭ではわかっていてもダメで。結局、全部断ってきた。
それなのに。
ラブホ、かぁ。
サエの言葉が、なぜか頭の隅に引っかかって離れない。
お兄さんなら、過去に付き合った人がいて、ホテルにも行ったことがあるんだろうな……。
そう想像した瞬間、急に胸の奥がざわざわして、ひどく落ち着かなくなった。
知りたい。でも、知りたくない。
制服のポケットの中にあるスマホの重みが、今日はやけに気になる。
早く、夜にならないかな。
◇◇◇
結局、その正体のわからないモヤモヤは、放課後になっても、家に帰ってシャワーを浴びた後も、ずっと私の中にへばりついていた。
部屋の明かりを落とし、少しひんやりとしたベッドにうつ伏せになる。
暗闇の中で、スマホの画面だけがぼんやりと顔を照らしている。
『お疲れ。今日、どう?』
お兄さんからDMが来たのは、夜の十時を回った頃だった。
『大丈夫ですよ』とだけ返すと、すぐに画面が切り替わり、通話の着信画面が表示された。
トクン、と心臓が跳ねる。慌ててワイヤレスイヤホンを耳に押し込み、緑のボタンをタップした。
「……もしもし」
『お疲れ、うさ。……ん? なんだか疲れてる?』
「え? そうですか? 普通ですよ」
『そう? 気のせいか』
イヤホン越しに響く、少し低くて優しい声。
いつもなら、この声を聞くだけでホッとするのに。
今日だけは、その『大人な余裕』みたいなものが、ほんの少しだけ憎たらしかった。
この人は、私よりずっと大人だ。
だから当然、過去に付き合った人がいて、サエが言っていたようなホテルにも行ったことがあって……私なんかよりずっと、色んなことを知っていると思う。
だからこれは気の迷い、
「お兄さんってさー、恋人とかいたことある?」
『急だね。なんで?』
「えーなんでも、気になった。お兄さんでも彼女出来るのかなって」
『おい?』
「わーうそうそごめんってば。でも実際のところはー?」
聞いた後に、あ、馬鹿だなって思った。
その答えを聞いたら、きっとそれはすごく痛いから。
やっぱりいいや、と言おうとした時だった。
『一人だけ。高一から卒業前まで付き合った子がいたよ』
先に言われて、しかも、ちゃんときつくて、胸の奥がずきずきした。
「えー、すご。意外と真面目っていうか一途じゃん!」
通話でよかった。何となく部屋の鏡が視界に入ったら、私、すっごく酷い顔をしていた。
しっかりしろ宇佐美伊織。ポジティブに考えよう。
だって、お兄さんが一途なことがわかったんだから。いいことだよね。
なにがいいことか、わからないけど。
わからないふりをしていないと、大変だから。
「別れた原因は? 浮気とか?」
『そういうのじゃなかったかな』
「あっ……ごめん」
『何で謝るの、大丈夫だよ』
「そういうの聞くのデリカシーなかったなって、だからごめんなさい」
『だから大丈夫だから。ほら、話題変えよう?』
絶妙な空気が流れた。
お兄さんの優しいフォローが、逆に今の私には居心地が悪かった。
私は焦って、この重たい空気をどうにかしなきゃって、気づけばとんでもないことを口走っていた。
「じゃあ、お兄さん」
『うん?』
「何回くらいヤったの? その元カノさんと」
『……は? 話題転換の勢いえぐくない? あとそれ、逆だったらきもい出会い厨って非難されてるぞ……』
ドン引きと戸惑いが混ざったお兄さんの声が、イヤホンから降ってくる。
自分からとんでもないことを聞いてしまった恥ずかしさで、全身から火が出そうだった。
「あぁぁぁ……」
私は通話を繋いだまま、ベッドの上でタオルケットに顔を押し付け、ジタバタと無言で足を暴れさせた。
でも、ここで立ち止まって沈黙したら、絶対に耐えられない。
私はその焦りと勢いのまま、顔を上げて、自分でも止められないスピードで言葉をぶつけ続けていた。
「わ、私、えっちな事って嫌いじゃないですか?」
『そうらしいね?』
「そうなんですけど、聞くだけならキモくないし? いいかなって!」
『……はぁ。まぁいいけども。それで質問の答えは、いちいち数えていませんっ』
「それくらいヤりまくってたってこと?」
『言い方!!』
「あはは、ごめーんっ。でもそうだよね、いちいち覚えてないよね? ……それくらい、ヤりまくったってこと?」
『まさかの二度目。声のトーンがガチすぎてこわいんだけど、どうしたのさ……』
電話の向こうで、お兄さんが呆れたように息を吐く。
「べーつーにー?」
『え、なに、まさか? まさか?』
「はい?」
『俺のこと気になっちゃってる? とうとう俺の想いが届いちゃった?』
「……かもしれないですねー……」
『雑すぎる。もうちょっとノって罵ってくれてよかったのに』
少しおどけた声で返してくるお兄さん。
いつもならここで「キモいです」とか適当にあしらうのに、今日の私はやっぱりおかしい。
「……えっち、気持ちいいですか?」
唐突に投げたデッドボールに、お兄さんが一瞬言葉を詰まらせるのがわかった。
『今日はガツガツくるな……普段と逆だ』
「ふっふっふ。うさの逆襲ですよ」
『なにそれかわいい』
「ごまかさない! ……まぁ、好きな人とするし、気持ちいいんじゃないかなって思いますけど」
「お兄さん、正直に」
『……気持ちいいです』
「うわ、きもっ」
『ひでぇ……』
笑いながら、でも顔はずっと熱い。
自分が何を言っているのか、全然頭が追いついていない。
「……じゃあお兄さん。試しに、うさで再現? してみてくださいよ。どんな風にするのか」
『……はい?』
「くすくすっ、だーかーらー、私を相手にやってみてって言ってるんです」
『なにを?』
「過去のえっちのりぷれい?」
『はぁ!?』
イヤホンの奥で本気の戸惑い声が漏れた。
『いやだよ、推しのお願いでも恥ずかしいから無理!』
「ちょっとだけ、ほんとうにすこしだから!」
『先っぽだけ入れていい、みたいな感じで言うのやめよ?』
「えー、ひまだし、いいじゃないですかぁ!」
『えっちが嫌いでも好奇心旺盛すぎない? いや、個人的にはいいんだけどさ』
「だってこれはキモくないもん、だから大丈夫。元カノさんの名前を私にして再現すれば、罪悪感も減るんじゃない?」
『いや、減るも何も、それってつまりどういうことなんだ? 俺がえっちしているのを思い出して、ウサに聞かせるってこと?』
「そうだけど、それだと難しいでしょ? 張り合いがないっていうか!」
『張り合いはいらないんだけどなぁ……』
苦笑いするお兄さんの声。
私の心臓は、さっきから壊れたみたいにうるさい。
「だからー! お兄さんの推しであるこの私、宇佐美伊織が相手になるから、遠慮なくやっちゃえー!」
『いま、ここで?』
「いま、ここで」
『…………マジか』
もう、なにがなんだかわからない。
興奮とか、元カノさんへの意味のない嫉妬心とか。
ぐちゃぐちゃになった心で、無意識にまた自分を傷つける方向に仕向けている。
だって、元カノさんとのえっちを思い出して私がその役割をするって意味不明で。馬鹿だ。どんどん傷口を広げている。
『誘ったんだから、キモいっていうなよ?』
深いため息のあと、何かを決心したような、一段と低い声。
ドキッと心臓が跳ねる。やっぱり、すごくいい声だ。
『でも、どうしたらいいんだ。その、キスとか? そもそも俺、してるときそんなに喋らない気が』
「そこはお兄さんの創意工夫で! キスはほら、ASMRを参考に!」
『聞くけど、あれはいいマイクとか使ってやるものじゃないの?』
「前に調べたことあるけど、リップ音とかは自分の手にキスしたりするらしいよ? たぶん!」
『それきついなぁ……色々と……。じゃあ、わかった。試しに』
「うんうんうん」
『マジで引かないでよ?』
「たぶん?」
『くそ……。推しの頼みとはいえ、これは拷問……』
衣擦れの音がして、お兄さんが姿勢を変えたのがわかった。
『あー……えっちする感じを、再現すればいいんだよな?』
「うんうん」
奥歯を強く噛み締めすぎて、顎が痛い。
色んな感情が相変わらずジェットコースターのように上がって下がって、凄い速さで走り抜けていって戻ってくる。
『えーっと、うさ……』
「?」
『えーっと』
「うん」
『……マジつらいんだけど』
耐えきれなくなったのか、お兄さんが吹き出し、私もつられてくすくすと笑い合う。
少しだけ緊張が解けた。
そう思った、次の瞬間だった。
ふっと、イヤホンの向こうの笑い声が止んだ。
かすかな衣擦れの音がして、短く息を吸い込む気配が、耳のすぐ奥をくすぐる。
さっきまでのおどけた空気は一瞬で消え去って、背筋がぞくっとするような静けさが降りてきた。
『……いおり』
あっ。ずるい、それ。
「……はぃ」
これ、だめかも。
下の名前を呼ばれると、恋人感が、すごい。
耳元に彼の吐息だけが、直接触れているみたいだった。
すごく幸せな感情が半分。
お兄さんが前に付き合っていた誰かを思い出して再現しているっていう悲しさが半分。
自分で始めたことなのにまた勝手に傷付いて。
でも、それでも。
今、お兄さんが囁いてくれている相手は、間違いなく私なわけで。
イヤホンの奥で、お兄さんが覚悟を決めるように、小さく息を吸い込んだのがわかった。
『いおり、好きだよ』
ちゅっ、と。
さっき言っていた、たぶんだけど手の甲で再現した不慣れなキスの音が響いた。
その不器用な音が、チクチク痛かった胸の奥をあっという間に甘く溶かしていく。
「……♡」
痛くて、悲しくて、でもそれ以上に鼓膜が痺れて。
私はそのまま、熱い声の中へとろけてしまいそうだった。
宇佐美ちゃん可愛いですよ