カホが私だけをカラオケに誘うときは、必ず悩みがあるときだ。本人は多分気づいてないけれど。
だから5限目の後の10分休憩のとき、ラインに『部活の後、二人でカラオケ行かない?』とメッセージが来た時、私はまた何かあったんだなと察することができた。悩みの種類はある程度分かるから憂鬱だった。同時に、カホと二人きりになれる時間ができることに高揚感を覚えた。
そんな状態で6限目に突入したものだから、終わるまでの50分間はこの一週間でももっとも長く感じた。終わった頃には私の精神はヘトヘトで、チャイムがなった瞬間思わず机に突っ伏してしまった。この後さらに1時間以上は部活で……分かってはいたけれど、カラオケに行けるのは18時以降になる。絶対耐えられないな。
私が通ってる高校には帰りのホームルームの時間なんてものはない。突っ伏してから数秒後には立ち上がって、荷物をまとめて教室を飛び出した。
私のクラスから2つ隣、カホのいる2年E組の教室に飛び込めば、彼女は机の上で荷物を片付けている最中だった。私が「もう今からカラオケ行こうよ」声をかければ、彼女は振り向いて目を丸くした。
「でもリリ、これから練習でしょ」
リリというのはカホが私を呼ぶときの愛称だ。本当の名前は宵宮凜々花。
カホが言ったとおり、私は本当はこれから部活の練習だ。私はテニス部、カホは文芸部に所属している。文芸部は締切さえ守っていれば、結構緩い。逆に私が所属するテニス部は真面目で、毎日練習がある。けれど。
「いいよ。今日はもともと休むつもりだったから」
嘘だけれど。でもカホと比べれば部活のズル休み程度どうでもいいことだ。
カホは少しの間悩むような素振りをみせたけれど、「じゃあ今から行こっか」とうなずいてくれた。
放課後の騒々しい廊下を抜けて、階段を降りて、私達は西門から高校の外に出る。高校の周りは住宅街に囲まれていて、カラオケなんていう遊び場は存在しない。せいぜいコンビニと、パン屋がある程度だ。カラオケは1駅くらい先の繁華街にあって、30分くらい歩く必要がある。
歩きながら今日の授業はつまらなかったとか、サッカー部の誰其が告白されたとか、そんな下らない話をポツポツと話す。カホにどんな悩みがあるの、とかそういったことは聞かない。それは二人だけの空間で話すものだから。けれど、いつも一緒に帰っているものだから、新しい他の話題となると意外と見つからない。
カホと私は小学校からの付き合いだ。より正確に言えば5年生のときにカホが転校してきた。人間関係がほとんど完成されきった場所に飛び込むなんて、私なら不安できっと耐えきれないと思う。けれどカホは最初から明るかった。自分の場所がないかもしれない……そんな不安を微塵もみせていなかった。「東雲果歩です!」と、みんなの前で元気よく挨拶をした姿は、今でも私の目に焼き付いている。
私がカホとここまで仲良くなれた理由は、正直よく分かってない。小学校の頃の私は口下手で、女子のグループからも浮いていた。容姿についても、スキンケアのスの字も知らなかった私の顔にはニキビが浮いていた。男子からは酷い言われ様だった。
だからすでに整地された人間関係の中に飛び込んできたまっさらなカホは、私にとって希望だった。幸い、当時のクラスの女子たちは自分たちの関係に満足していて、カホに対して興味も敵意も向けることがなかった。カホも……どう思っていたかはわからないけれど、私のことを受け入れてくれた。そうして同じ中学に入って、同じ高校に入って今に至る。
高架下をくぐれば、繁華街が私達を出迎える。目に付いた適当なカラオケチェーン店に入る。ワンドリンク制だったので部屋に入った後、カホと二人でそれぞれ選んだ。カホはメロンソーダで、私はアイスコーヒー。ついでにフライドポテトも頼んだ。
私が内線で注文を伝えている間に、カホは端末を操作して曲を入れていた。いつものことだ。カホはカラオケに誘う時、悩みの相談に乗ってほしいとは言わない。あくまでも私達は、カラオケを楽しみに来ている。そういう体だ。
彼女が入れたのはaikoのカブトムシ。もう20年以上まえの、有名な曲だ。すごく浅い理解だけど、女性の悩みを歌った曲らしい。わざとなのか偶然なのか、小さく苦笑してしまう。タンバリンを叩くような曲調ではない。カホとテーブルを挟んだ向かい側に座って、私は静かにカホの歌声に聞き入る。言うまでもないことだけど、カホは歌がうまい。
音程の安定とか、技術がうまいとかそういう話じゃない。曲に感情を載せてくる。以前、どうやってるのと聞いたら『自分の中にある感情を正直煮出してるんだよ』と彼女は答えた。それが歌のうまくなる秘訣なのだとしたら──だから私は歌が上手くないんだろうか。
ドリンクとフライドポテトが運ばれてきたのは、カホが歌い終わった直後だった。店員が机に並べて出ていく。部屋のドアが閉まると同時にカホはマイクを置いて、一息ついて口を開いた。
「アキラって奴分かる? 私と同じクラスなんだけど」
「えーっと……確か野球部の人だっけ。ピッチャーやってる人?」
「そーそー。3日前に告白されてさ」
カホはフライドポテトをつまんで、ポリポリとかじりながら話を続けた。どういった経緯でそうなったのか、とかを。
──カホの恋愛相談は、これで何回目だったかな。相談するカホの瞳は、紅色に染まっているように見えた。
カホは明るい、そして容姿もいい。だから当然、モテる。
初めての恋愛相談は中学2年のときだった。あのときは気になる人ができた、だったろうか。2回目は別の人に告白された、だっけ。
カホが恋愛をするとき、彼女の瞳はいつも紅に染まる。本当に瞳の色が変わっているわけじゃない。ただ私がそう見えるだけだ。
どろりとした感情が溢れて、口の中に存在しない苦汁が満ちた。アイスコーヒーを口に含んで、現実の苦味で押し流す。飲み込んで、私はカホに尋ねた。
「カホはどうしたいの?」
「受けようかなーって。私今フリーだし、アキラもいい人だし」
カホは、言ってしまえば性に奔放な方だ。男を食い漁るようなタイプではないけれど、告白されれば生理的に無理とか、性格に問題がない限りは付き合う。当然、カホはすでに何人かの男と経験がある。普通のモテる女子高生だ。
時折曲を入れて、互いに歌いながら、私はカホの悩みを聞いていく。アキラという男は普段クラスでどんなやつなのかとか、付き合うにあたりどんなところが不安なのかとか、そういったことを。その傍ら、時折スマホで、友達に連絡を取ってアキラについて聞いたりする。ひとまず、外面だけがいいヤリ捨てクズ野郎という評判はないらしい。
「リリはどう思う? 私がアキラと付き合うこと」
「カホの恋愛でしょ……好きにしなよ」
私がカホを止める合理的な理由はない。「でも」とカホは続けた。
「リリ、寂しそうな顔するじゃん」
「カホと居られる時間が少なくなるからね」
「それだけ?」
「それだけだよ」
それ以上の理由は伝えない。今の関係を続けるのに伝える必要がない。
結局「付き合ってみる」がカホの結論だった。いや、カホの中ではいつも決まっているんだとは思う。それでも不安だから、いつも私に相談してくる。
悩みはここに解決した。すっきりしたカホは新しい曲を端末に入れた。YUIのCHE.R.RY。恋の始まりを歌う曲。どうやらアキラという男との恋に、カホは前向きな姿勢を固めたようだった。先程よりも明るい声で彼女は歌い始めた。ちらりとスマホの待受画面をみれば、表示されている時刻は19時を過ぎていた。入店時に3時間と希望をだしていたから、そろそろ退室時間かな。私はもう歌を歌うつもりはないし、カホが歌い終わったら出ようか。
そう思っていたら、カホは歌い終わって、私に予想外なことを尋ねてきた。
「リリはさ、誰かと付き合わないの?」
──そんな、聞かれたくないことを。一瞬呼吸が止まったけれど、平静に努めてカホに微笑んだ。
「今はそういう気はないかな」
「いやいや……もう高校2年だよ? リリだって結構告白されてるでしょ?」
「全部断ってるけどね」
興味がない。努力して手に入れたこの容姿は、あいつらのためにつくりあげたものじゃない。
私は別におしゃれに興味はなかった。意識が変わったのは、カホに初めて恋人ができたとき。
言いようのない絶望を覚えた。いつも一緒にいるカホが、私の知らない紅に染まった瞳を、私の知らない誰かに向けているその姿を見た瞬間に。
その紅色を、私は欲しくてたまらなくなった。
カホの初めての恋人の容姿は、私から見ても良かった。だから私は、自分の容姿を変えることにした。いい容姿になれば、カホからあの紅を向けられるようになるんじゃないかなと思ったから。惰性で使っていた化粧水をいいものに変えた。美容液も選び直して、肌質を改善した。カホが筋肉質の身体の魅力について語ったから、ガラでもない運動部に途中から入って体を鍛えた。ジョギングを日課にして体力も付けた。
それでも紅は向けられなかった。カホに3番目の恋人が出来たとき、私は髪を短くすることにした。ポニーテールを結べるくらい長く伸ばしていた髪を、ボブのウルフカットにした。その頃になると、私の容姿をバカにする人はいなくなった。ニキビ面のブスはもうどこにもいなくて、私は女子も惹かれるイケメン系の女子へと変わった。本当に女子から告白されたときは、びっくりしたな。
でもそれは全部、カホの紅を手に入れるためだった。綺麗になれば、格好良くなれば私はカホに求められるものだと思っていた。
それでも高校1年になって、彼女が男と付き合い始めたときにようやく気づいた。
カホの恋愛対象はどこまでいっても男で、私はどんなに頑張っても男にはなれない。私は絶対に、あの紅を手に入れることができない。
カホが「実はさ」と切り出した。
「クラスの男子にリリのことが気になってる人がいるんだけど」
「代わりに断っといてよ」
「もうちょっと悩んであげようよ!?」
だって本当に興味がない。男だろうが、女だろうが。
ねえ、君はいつか気づいてくれるのかな。
初めて彼氏ができたって嬉しそうに報告された時、どれだけ世界が濁ったか。
処女を捨てたって告白された時、私の視界がどれだけ灰色に染まったか。
別れたって聞いた時、どれだけ色を取り戻したか。
この感情を、何度繰り返しているか。
おもむろに立ち上がって、カホの隣に移動する。彼女の肩に腕を回す。
「どうしたの?」
彼女が私に向ける瞳は、いつも青緑色をしている。押し倒されるかもしれない、なんで微塵も考えていない。一切の警戒のない、安心しきった色。小学校のときから築き上げた信頼が、その瞳を塗りつぶしている。
でも、叶うならば。
彼女の薄紅色の唇を、私の唇で塞ぎたい。その奥にある退紅の口腔を蹂躙したい。彼女の乳房を手に収めたい。紅樺色の先端をこの指で覆い隠してしまいたい。
彼女が下らない男どもに許した深紅の秘部を、私で上書きしてしまいたい。こじ開けて私という存在で満たしてしまいたい。
彼女の唐紅に染まる嬌声をこの身体で受け止めて、真紅の視線を向けられたい。その頬を紅色に染め上げて、私しか見えないようにしてしまいたい。
身体も、心も全部欲しい。繋がりたい。私とカホの紅を混ぜ合わせたい。
だから。
「私じゃ駄目なの?」
「……何が?」
聞き返されてはっとなった。カホの瞳が、紫紺に揺れていた。
「なんでもない。……アキラ君だっけ。お友達からにしときなよ。するなら最低限3ヶ月は様子みなよ」
「分かってるよ。リリは相変わらず心配性だよね」
カホは鈴の音を転がすような笑い声を出した。
アキラがどんなやつか、私は知らないけれどカホが気に入ったのならきっといいやつなのだろう。そしてカホの紅を独り占めするのだろう。
私が欲しい紅を、君は私にだけくれない。
だからいつか、私の紅が色あせてくれますように。