地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)   作:あなたへのレクイエムです

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ハンター試験編
10.センベツ × ト × センベツ


 ─────()()()()()、1月。

 

 

 窓ガラスに映る俺、廊下を歩く十六歳のアンドー=ルモアは、もう幼い少年ではなく立派な青年だった。

 相変わらずお嬢様、もといネオンによって仕立てられた黒いスーツは、ぴたりと体にフィットして動きを阻害しない。

 マフィアのボディガードか、さもなきゃ敏腕エージェント。

 にやりと笑うと、鏡の中の左目もかすかに煌めいた。

 なんだかんだいって、俺もちゃんとサマになったものだ。

 

 

「……随分と、遠くへ来たなぁ」

 

 

 独りごちる俺とすれ違う度、ファミリーの構成員が道を開け、侍女たちが会釈する。

 彼ら彼女らが内心で俺のことをどう思っているのかは知らない。

 ただ、表立って俺を「お嬢様のペットのガキ」呼ばわりする奴はいなくなった。

 今の俺はドンの右腕たるダルツォルネさんの部下、ファミリーの戦闘部隊、護衛団の一員だ。

 ミッドナイト・トレインの一件での活躍で、完全に俺への評価は変わったらしい。

 やっぱり実績が物をいうのは何処でも一緒だ。火影になるようなもんだな。

 

 俺が向かう先は、もはや目をつむってたってたどり着けるほど通い詰めた彼女の部屋。

 扉をノックしても返事はない。

 だが、扉の向こうからは甘い香りと、複数の呼吸が感じ取れる。

 

 

「ネオン、入るぞ」

 

 

 扉を開けた先には、ずっと変わらずネオンの姿。

 ――いや、より成熟した妖艶さを纏ったネオンが、ベッドの上で寛いでいた。

 

 ちょこんと腰を下ろしてこちらを見上げるそのシルエットに、ふと、「あの1ページ」に描かれたネオンの姿が重なる。

 だが俺が知る原作の彼女は、どこか魂の抜けたような、硝子細工めいた虚ろな瞳をしていたはずだ。

 その後の回では活き活きとした姿も描かれていたけれど、初登場のあの瞬間のネオンは……生気のない人形のようで、その姿が俺の心には深く突き刺さっている。

 あれが原作におけるネオン=ノストラードの奥底、彼女の抱えた虚ろそのものだったのではないか。

 

 それに比べて、俺の目の前にいるネオン=ノストラードはどうだ。

 水色の髪は美しく整えられ、頬には柔らかな朱が差し、此方を見つめるエメラルドの瞳は爛々と輝いている。

 六歳の頃から見続けてきた女の子は、今や子供のあどけなさを完全に脱ぎ捨て、暴力的なまでの瑞々しさと蠱惑的な雰囲気を湛えた少女へと変貌を遂げていた。

 ネオンが気怠げに、つまり面倒くさそうにパーティへ参加する度、周囲の男たちの視線を絡め取ってしまうのを俺は目の当たりにしてきた。ノストラードのご令嬢という肩書きだけが理由では無いだろう。まあ、彼らの想像する物憂げな深窓の令嬢は存在しないわけだが。

 我が儘で、残酷で、無邪気で、奔放で、自由で、繊細で、危うく、けれどどこまでも美しく、愛らしい。

 それが俺の知るネオン=ノストラードだ。

 

 そしてその隣には、淡桃色の髪を波打たせる『地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』が、影のように寄り添っている。

 ネオンの成長を鏡に映したかのように、レディもまた、瑞々しさと危うさを孕んだ十六歳の少女の肢体を具現させていた。

 ネオンに見惚れる男が多いということは、レディに見惚れる男も多い。並んでパーティに参加すれば尚更だ。ノストラードのご令嬢は二人いる。もっとも、レディは喋らないのだが。

 ただ、レディはネオンに比べるとやや華奢で細身な印象がある……というのは、俺の記憶(原作と旧アニメの画風)のせいか、はたまた幼い頃に宣言したネオンの努力の賜物か。とはいえ髪色を除けば、見分けがつくのは俺くらいの物だろう。

 ネオンが睫毛を伏せれば、レディの長い睫毛もまた、音もなく同じ角度で影を落とす。

 二人が並んで座る光景は、まるで姉妹が仲睦まじく談笑しているかのようだった。

 

 その片割れである水色の髪のネオンが、つんと唇を尖らせて言った。

 

 

「遅いよ、ルモア。ダルツォルネさんが玄関前でイライラしてたよ?」

 

「悪い。支度に手間取ってた。もう出るよ」

 

 

 俺の言葉に、ネオンがぴくりと眉を動かした。

 彼女はベッドから降りると、絨毯を踏みしめ、俺の目の前まで歩み寄る。

 そして、俺の左目をじっと覗き込んだ。間近に迫る、深く昏い緑の瞳。

 まるでキスでもするかのように間近に唇が迫り、甘い吐息が鼻をくすぐる。

 

 

(目の毒だ……)

 

 

 ……と、いつも思うのだが、俺は彼女のコレクションなのだ。拒否権は無い。

 

 

「……ふーん。やっぱり行くんだ。……行っちゃうんだ?」

 

「ああ、ドンの命令だからな。

『ネオンにふさわしい男になれという話は忘れていないだろうな』……ってさ」

 

 

 忘れたくとも忘れられないというか、あの朝の事を持ち出されるとエルバト河が怖くなるというか。

 護衛としてそこそこ修羅場は潜ったけど、まだまだダルツォルネさんには及ばないらしい。

 俺がぼやくように言うと、ネオンは何が楽しいのか、くすくすと笑った。

 

 ──そういう風に、笑ってもらっていた方が俺には良かった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「──ルモア。お前な、ちょっとハンター試験を受けて、ライセンスを手に入れてこい」

 

 

 重厚なマホガニーのデスク越し。

 書類に目を落としたライト=ノストラードは静かに、まるで買い物でも頼むかのような気軽さで、しかし断固とした口調で告げた。

 

 ノストラードファミリーは、この四年間で爆発的な躍進を遂げた。

 ネオンの『天使の自動筆記(ラブリーゴーストライター)』による予言。

 それを商品として政財界へ食い込み、警備業と賭博業といった合法的な利権を確保。

 今やファミリーはマフィアの枠を超えた巨大な……カンパニーとなりつつある。

 

 当然、その主も同様だ。

 デスクの奥で葉巻を燻らすライト=ノストラードは、着実に支配者としての階段を登りつつある。

 かつてネオンがハイエナと評したような、媚びへつらう、焦燥に駆られた小悪党の面影はもうない。

 高級な仕立てのスーツに身を包み、椅子の背にもたれるその姿は、まぎれもなくマフィアのドンそのものだ。

 

 

「ライセンス……ですか」

 

「組織が大きくなれば、動かせる金も、抱えるリスクも跳ね上がる。

 十老頭をはじめとしたVIPとの人脈や情報の秘匿、そして合法的な治外法権……。

 保証がいるのだよ。『ノストラードにはプロハンターがいる』という、保証が」

 

「シャッチモーノさんや、リンセンさんでは不足ですか?

 あるいはダルツォルネさんに取得させるとかは……」

 

「その三人が、お前が適任だと言っている」

 

「……」

 

 

 思わず、俺は押し黙った。

 評価されている事を喜べば良いのか、それとも――……。

 

 

「それに、トチーノとリンセンは雇われだ。他の連中もな。

 信用はしているが、ファミリーのメンバーではない。

 ああ、ダルツォルネは別だ。あいつはファミリーの人間、俺の右腕だ。

 しかし、やつはあれで自分が直情的で、頑固で、強引な事を理解している。

 武闘派としては向いているが、表舞台に立つのは向いておらん。

 いや、まあ、うん、生え抜きならもうひとりいるが……アイツはなぁ……。

『ノストラードのプロハンター』として押し出せるのはお前だと、俺も判断した」

 

 

 ドンは手元の書類から視線を上げ、射抜くような眼差しで俺を見た。

 

 

「無論、お前が()()()()()()()()というのなら、それでも良いがね」

 

 

 その言葉は、単なる命令以上の重みを持って俺の胸に突き刺さった。

 予期していなかったと言えば嘘になる。だが、ついにきたか、という思いの方が強かった。

 1999年。第287期ハンター試験。

 この意味を知っているのは、今のところ、この世界で俺一人だけだろう。

 俺のその表情を、ドンは緊張かなにかと受け取ったらしかった。

 別に間違ってはいない。

 

 

「あと、そうだ。レディだったか?

 あの人形は此処に置いていけ。試験の間、ネオンの傍に控えさせておく。

 お前と離れても具現化を維持できることは、ダルツォルネからもネオンからも聞いている。そうだな?」

 

「……はい、それはもちろん。

 お嬢様の護衛は最優先です。何より、お嬢様が嫌がるでしょう」

 

 

 もはや手に取るように思い描ける。

 もし俺とレディが一緒に、一ヶ月もハンター試験に赴くと告げたらどうなるか。

 

 

 

『やだぁぁぁぁぁッ!! やだやだやだやだ!

 二人ともいなくなるなんて絶対やだ!

 ライセンスなんて、パパが金で買えばいいじゃない!!

 それか私もハンター試験ついてくぅ!!!!

 ルモアとレディがいない間は占いなんかしないもん! 

 しないもんしないもん!!!

 パパなんかだいっきらい!!!!!!!!!』

 

 

 

 ベッドの上でレディにしがみついてじたばたじたばた、びええええっと屋敷中に響き渡る大声で泣きわめくネオン。

 飛び交うクッション。乱れ飛ぶ食器。次々と破かれ投げ捨てられる衣服。放り出されるペンとノート。

 泣き疲れて眠るまで、ネオン=ノストラードは止まらない。

浸液標本の愛(プライベート・アイ)』のお陰か最近はだいぶ落ち着いたけど、まあまず間違いなくこうなる。

 

 俺のそんな想像に察しがついたのだろう。

 ドンは一瞬、ちょっと後悔したような顔をしたけれど、すぐにその表情は消え失せた。

 

 

「それもある、が……」

 

 

 かわりに浮かんだのは、ニヤリと、冷酷なマフィアの笑み。

 

 

「念能力の使用を、一切禁ずる。

 生身の、()()()()()()()=()()()()として合格してみせろ」

 

「…………」

 

 

 一瞬、思考が止まった。

 念を禁じる。それはつまり、文字通り俺の肉体のみで合格を掴み取れと言う事だ。

 いや、それ以上だ。俺には今回の試験での、その意味がわかる。

 ゴン、キルア、クラピカ、レオリオ、ヒソカ、ギタラクル、ハンゾー……。

 そんな文字通りの超人たちと、俺は同じ土俵で戦わなければならない。

 と、そこまで考えて、わずかに苦笑い。ドンの前だから、表情には出さないが。

 (ネン)があれば勝てると思っているのだとしたら、とんだ思い上がりだからだ。

 それだけで彼らを圧倒できるなら、どれだけ良かったか。

 

 

(ネン)を使わずとも一流のプロ。その地力を見せてみろ。

 ()()()=()()()()()()()()()()()()()()()()()という話、忘れたわけではあるまい?

 このノストラードを背負って立つ器かどうか……その証を、ライセンスという形でもぎ取ってこい」

 

 

 だが、ドンの意図は明白だ。

 

 組織の戦闘員の強さはアピールする必要がある。

 だがそれが念能力者であるとなれば、その念能力の詳細は秘匿すべき情報だ。

 ましてや「念能力無しでは役に立たない無能」など、何の意味もあるまい。

 

 というか、俺の場合は順序が逆なだけで、本来はそうあるべきなのだ。

 

 ハンター試験を合格できるほどの心身ともに強力な人間にだけ、正式に(ネン)を扱う資格がある。

 逆に言えば(ネン)を扱える以上、(ネン)無しでも相応の実力があるはずなのだ。

 ダルツォルネさんやスクワラさん、イワレンコフさん、髭面の男……はまあ良いとしても、彼らがハンター試験を受けて不合格になるとはとても思えない。

 ノストラード・ファミリーに所属する念能力者、護衛団であるならば……。

 

 

(……これくらい、できて当然って事だ)

 

 

 俺は……不安と同時に、少しの喜びを覚えていた。

 

 ドンは、自分がネオンの父であり、そしてマフィアのボスである事を忘れてはいないらしい。

 ネオンの占いに頼ってこそはいても、それはあくまでも手段の一つ。

 あくまでもノストラード・ファミリーのドンとして考え、思考し、自分の意思で振る舞っているように俺には見えた。

 もし俺がなにか少しでも変えることができたとすれば、ドンの変化はその一つだろう。

 

 万一にでもネオンの念能力が失われても、ドンは狂乱しないかもしれない。

 ノストラード・ファミリーが破綻することはないかもしれない。

 ネオンが不幸にはならないかもしれない。

 俺が失敗して、死んでも、大丈夫かもしれない。

 

 なら、どうすべきか。そんな事は、ずっと前から決めている。

 

 

「……承知いたしました。お嬢様のためにも、必ずや」

 

「期待しているぞ。

 ……ああ、試験がどれくらいかかるか知らないが、長引いても9月前には帰って来い。

 今年はヨークシンのオークションに、ネオンがお前と行きたがっているからな」

 

 退出を促すライトの背中に一礼し、俺はドンの執務室を後にした。

「はい」と最後に言えたかどうかは、あまり自信が無かったが──……。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ちょっと、ルモア聞いてる?」

 

 

 そうして俺が物思いに耽っていると、ネオンは拗ねたように唇を尖らせた。

 

 

「……もちろん。ドンの事だろ?」

 

「そ。パパも意地悪だよね。ルモアに一人で行け、なんてさ。

 私のコレクションだって忘れてないかなあ……そりゃあレディはいるけど、喋らないし」

 

「例年通りなら試験は一ヶ月くらいで終わるってさ。ライセンス取ったら、すぐに戻ってくるよ」

 

「そういうことじゃないの! 私の隣にいないのが嫌なの!」

 

 

 ネオンがベッドの上にあったクッションで、ぼふぼふと俺を叩いてくる。

 ドンの部屋で想像したよりは、だいぶ穏やかな癇癪の起こし方だ。

 

 

「もー、約束だよ? もし落ちたりしたら、帰ってきても瓶詰めだから」

 

 

 ネオンは俺のネクタイを乱暴に掴み、引き寄せた。

 そのエメラルドの瞳には、かつての無邪気な所有欲に加えて、より昏く、執着に満ちた熱が宿っている。

 俺と彼女を繋ぐ『浸液標本の愛(プライベート・アイ)』。

 彼女は今、俺の視界を通して、この部屋に立ち込める朝の光を共有している。

 俺がネオンをどんな風に見ているかも、彼女は手に取るようにわかるはず。

 きっと俺の試験中も、ちょくちょく覗いて監視してくるだろう。

 

 

「……わかってるよ、ネオン」

 

「……ん、それならヨシ」

 

 

 満足したか納得したネオンは、パッとネクタイから手を離した。

 そして手元の紙とペンを手繰り寄せると、にこりと顔に花咲く、得意げな笑み。

 

 

「それじゃあ餞別に、ルモアの試験について占ってあげる。

 一ヶ月だっけ? なら、ちょうど良いよね」

 

「そりゃあ光栄だな」

 

「えっへっへっへーっ♪ でしょー?」

 

 

 ネオンは「ふふん」と鼻歌を鳴らしながら、すとんとベッドの上に座り直した。

 ノートを広げて右手でペンを持ち、伸ばした左手が俺の左手に触れる。

 彼女の背後で、桃色の髪の『地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』が鏡合わせのように同じ角度で首を傾げていた。

 

 くるんと、ネオンの指先でペンが回った。

 

 

「じゃあ、いくよ」

 

 

 一瞬前までの子供っぽい不機嫌さが嘘のように消え、その瞳から光が失われる。

 代わりに出現したのは、緑色のオーラを纏った不気味な半透明の怪物──『天使の自動筆記(ラブリーゴーストライター)』。

 

 俺とも長い付き合いになる彼──彼女? に、俺は「よう」と軽く手を上げるが、天使は此方を見もしない。

 返事のかわりに、カリカリ、とペンが走る音だけが室内に響く。

 

 やがて、短く鋭い音と共にペンが止まった。

 ネオンは一つ大きな欠伸をすると、いつもの無邪気な笑顔に戻って、書き上げたばかりの紙を俺に突き出した。

 

 

「はい、できた! 試験のことが書いてあるかはわかんないけど」

 

 

 

────────────────────────────-

 

 暗い地の底 数多の水子が走り

 霧の向こうで 騙し絵の獣が牙を剥く

 影と蜂に 気を配りなさい

 甘い誘いを断てば 道は平坦に拓けるだろう

 

────────────────────────────-

 

 空を衝く塔は 嘘と裏切りで積み上げられ

 多数の意思が 少数の真実を飲み込んでいく

 見かけの平穏に 欺かれてはならない

 選ぶべき道は 常に多数の足跡とは逆にあるのだから

 

────────────────────────────-

 

 狩る者と狩られる者 その境界は陽炎に揺れ

 緋色の眼差しが あなたの虹を暴こうとするだろう

 問いに答えず ただその瞳を伏せていなさい

 あなたが嵐の夜を 越えたいのなら

 

────────────────────────────-

 

 最後の一段を 自らの足で踏みしめなさい

 けれど闇に潜む蛇に 気を許さないように

 拳を交えても 命を捧げることのないように

 時計の針を止めるのは あなたの指先なのだから

 

────────────────────────────-

 

 

 

「……何度見ても、驚かされるな」

 

「驚くだけぇ?」

 

「感謝もしてるよ、本当に」

 

「よろしい!」

 

 

 ネオンの書き上げた四つの詩節を、俺は一文字も漏らさぬよう食い入るように見つめた。

 心臓の鼓動が、自分でも驚くほど速くなっている。

 

 

(……間違いない。これは、ハンター試験の全容だ。

 概ねは俺の知っている知識通りに進む……か?)

 

 

 原作のタイムスケジュールを完璧に暗記……というか覚えているわけじゃあない。

 

 ただ、一つ目の詩が第一次試験から第二次試験の時期を指し示しているのは、間違いないだろう。あれはほとんど同じ一日、長くて二日くらいだったはずだから、週として一週にまとまるのはわかる。

 単純に読めば、地下道のマラソン、そしてヌメーレ湿原の怪物だ魔獣だのに対する警告なんだが……二次試験に触れてないのか? 危険も備える必要もなく、言及する必要もない?

 二次試験は、まあ、言ってしまえば、ある意味で一番難易度が高く、難易度が低い試験だけど。

 

 とすれば二つ目はトリックタワーだ。嘘と偽り、空を衝く塔。これは単純だな。

 料理を作って、会長が来て、飛行船で移動した先。そこからさらに72時間のタワー攻略時間。

 となれば、時間経過的にも第三次試験の内容だと判断して良い。

 多数云々については一旦は無視しておこう。

 トリックタワーは屋上からの進入路ごとに、中の仕掛けや試験が変わったはず。

 ヒソカは一人で下に降りていったみたいだし、他にも何人か一人で降りてきていたから、そういうルートもあるんだろう。

 ……俺の方が先に無限四刀流の人に会ったら、あの人は試験してくれるんだろうか。

 だから単純に「多数の足跡だから原作通り多数決の道だな!」なんて思っても良いものやら。

 この内容だと、下手したら延々と長い迷宮をひとりで歩くはめになるかもしれない。

『ハンターの系譜』……遊ぶ側だとアレだけど、実際に自分が受験するなら、あの試験の方がマシかもしれない。

 

 問題は三つ目。

 トリックタワーでの七十二時間の試験を経て、無人島でのプレートの奪い合い。

 そして──……。

 

 

(クラピカ……!)

 

 

 ()()()()()()。それが意味する人物は、他にいないだろう。

 プレートの争奪戦で俺とクラピカ、どちらかが……あるいは互いに標的になるという事か?

 問いというのはネテロ会長からの面接か? 答えは沈黙。それは予選の話だろう。

 これも含めてクラピカの事なのか? だとすれば……。

 

 俺は生唾を飲み込んだ。

 

 四つ目の詩、最終試験の逆トーナメントを意味するものだろう。

 心臓が痛い。呼吸をどうにか整える。思考がまとまらない。

 だが、最後の一文。

 

 

 時計の針を止めるのは あなたの指先なのだから

 

 

 俺にとって、時計がイメージするものはひとつしかない。

 十年前、六歳の時からずっと刻み続けているカウントダウン。

 

 

(……嵐の夜は、9月のヨークシンシティの夜だ)

 

 

 迫りくる刻限。あと九ヶ月……。

 それを切り抜けられるかどうかが、このハンター試験にかかっている。

 そういうこと……か?

 

 ハンター試験への参加はドンが俺に提示したものだ。

 そして参加すると決めたのも、俺自身の意思だ。

 

 だが……。

 

 俺は自分が、なにか大きな流れに飲み込まれつつあるような錯覚を覚えた。

 原作の強制力とか、修正力とか、そういったものではなく……例えるなら……。

 

 

(……()()

 

 

 俺が挑んでいるもの。挑もうとしているもの。勝てるのだろうか。本当に。

 

 

「……ねえ、ルモア」

 

 

 予言を折り畳み胸ポケットに仕舞おうとした俺の手を、ネオンの冷たい指先が止めた。

 彼女は俺の目を覗き込むのをやめ、じっと、俺の胸元……心臓のあたりを見つめていた。

 

 

「最近のルモア、なんだか変だよ」

 

「……何がだ? いつも通りだろ」

 

 

 俺は努めて平然と答えた。だが、ネオンの追求は止まらない。

 

 

「ううん。全然違う。……なんて言うのかな、ずっと前からかもしれないけど。

 見えない大きな怪物に追いかけられて、必死に逃げ場所を探してるけど追いつかれちゃったみたいな……。

 今のルモア、すっごく嫌な感じが出てる。

 そんなに怖いの?

 試験? それとも、ライセンス取れないのが怖いの?」

 

 

「…………」

 

 

 俺の喉が、微かに鳴った。

 

 

 ──そう、()()んだ、俺は。

 

 1999年、物語が動き出す年──俺に残された時間はあと僅か。

 それを意識するたびに叫びだして喚き散らして逃げ出したいという衝動がある。

 

 何もかもが足りない──何をどうすれば良いかわからない──。

 十年歩いてきて、ついに目の前に迫ってきた嵐。

 俺は『逃げられないぞ』と言われているような気分だった。

 

 隠せていたと思っていた。

 十年間、ずっと。

 

 

「もしかして……私の占いのせい?」

 

 

 ネオンが不安そうに、けれど真剣な顔で聞いてくる。

 彼女は自分が書いた占いの内容を一切知らない。だが悪い運命を避けるために悪い運命を占うという信条から、凶兆を記している事だけは理解している。彼女の占いには、悪い事が書いてあるのだ。それを避ける術と合わせ。

 俺はどう答えるべきか、ほんの一瞬だけ迷った。そして、嘘は吐きたくないなと思った。

 真実を言えるわけはないにしても。

 お前があと数ヶ月もしないうちに能力を失って、何もかも崩れて、父親が狂乱して。

 そして誰にも特に気にされないような破滅を迎えて消えるだなんて、言いたくもない。

 

 

「……いや。ちょっと、難解な詩だと思ってただけだ」

 

「嘘。そういう顔じゃない」

 

 

 ネオンの指が、俺の左目の下をそっとなぞった。

 そこにある光を確かめるように。自分のものだと確かめるように。

 わずかに彼女の爪が、まぶたに食い込む。

 

 

「……あんまり、()()()()()よ」

 

 

 ネオンの声は、いつもの我儘な命令形ではなく、どこか祈るような響きを帯びていた。

 俺は、慎重に言葉を選んで言った。

 

 

「……わかった。焦らない」

 

 

 そうだ、焦るな。

 10年前、最初に考えたことの一つじゃあないか。

 一歩ずつ歩いてきたし、歩いていくしかない。

 一足飛びに全てに対処しようだなんて、俺にはそんな事はできないんだから。

 

 

「ちょっと緊張してるのかもしれないな。

 ……ありがとう、ネオン」

 

「……そ。まあ良いけど」

 

 

 ネオンは不満そうに頬を膨らませたが、それ以上は追求してこなかった。

 彼女は俺の左目を一度だけ指でなぞると、ふいっと顔を背けた。

 

 

「ルモアがいない間、私はレディと楽しくやってるから。

 帰ってきたときにルモアの居場所がなくなってても、知らないんだからね!」

 

「そいつは困るなぁ……」

 

 

 俺はぼやいて見せながら、ネオンの傍らでベッドに座る淡桃色の髪の少女──『地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』を見つめた。

 

 

(頼んだぞ、レディ)

 

 

 レディはただ静かに、俺を見送るように深々と頭を下げた。

 なら、それで十分だ。

 俺は占いの紙をあらためて丁寧に畳んで懐にしまい、部屋の出口へと向かう。

 部屋を出る間際、背後からネオンの明るい声が飛んできた。

 

 

「ルモア! 私、()()()からね! ズルしたらパパに言いつけちゃうんだから!」

 

「ああ、()()()くれよ」

 

 

 俺は笑って、扉を閉めた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「遅いぞ、ルモア」

 

「すみません。お嬢様のお見送りが長くて」

 

 

 屋敷の玄関前では、一台の黒いリムジンがエンジンを鳴らして待機していた。

 リムジンの前で腕組みをして、イライラと時計を眺めているのはダルツォルネさんだ。

 十年前に出会った時に比べると、俺もこの人の表情がよくわかるようになったものだ。

 隣には、シャッチモーノさんとリンセンさん、髭面の男の姿もあった。

 

 

「すみませんが、しばらくの間、お嬢様をよろしくお願いします」

 

 

 俺が頭を下げると、真っ先に反応したのは髭面の男だった。

 

 

「ケッ、テメエに言われずともだ。

 護衛団には俺がいるんだからよ!」

 

「まあ、レディも置いて行きますしね」

 

「言ってろ! いいか、ルモア! 調子に乗るなよ!

 テメエの次は俺がハンターになってやるからな! 単なる順番の違いだ!

 俺のオーラソードがありゃあ、ハンター試験なんざ――……」

 

「ドンが言うには(ネン)禁止だそうです」

 

「なにっ!?」

 

 

 髭面の男のこの姿を見ると、まあ、向いてないって言われても仕方ないよなと失礼な事を思う。

 けれど同時に彼が俺の同僚で、こうして1999年を一緒に迎えている事は嬉しかった。

 なんだかんだ、十年も顔を突き合わせて肩を並べてきたのだ。

 周り中みんな先輩な中で、同期って言えるのは彼くらいのもの。

 だからまあ、お互いに失礼な事を言ったり思ったりできる間柄だと、勝手に俺は思う。

 留守を預けるのに、信用できる人の一人だ。

 

 

「……ふん、まったく、口ばかり達者になったもんだ」

 

 

 そんな俺達のやり取りを見て、ダルツォルネさんが厳しい声を浴びせてくる。

 

 

「いいか、ルモア。

 無様に試験に落ちて、ファミリーの名を汚すような事はするなよ」

 

 

 口では厳しいことを言いながらも、ダルツォルネさんは俺の肩を一度、強く叩いた。

 鍛え抜かれた彼の掌の熱が、スーツ越しに伝わってくる。

 そして彼は懐から一通の封筒を取り出し、俺に突き出した。

 受け取って見ると、飛行船のチケットだった。

 

 

「ええと、これは……?」

 

「試験会場はザバン市だ。

 公共交通機関は受験生への妨害が行われる可能性が高い。

 エルバト飛行場に快速飛行船をチャーターしてある。

 飛行場まではスクワラとイワレンコフが送る。乗っていけ」

 

 

 俺は思わずぽかんとして、ダルツォルネさんの顔を見上げた。

 相変わらずの鉄面皮。けど「なんだその顔は」と、ダルツォルネさんは心底意外そうに言う。

 

 

「お前のハンター試験受験と(ネン)の使用禁止は、ドンからの命令だろう。

 なら、このくらいは当然だ」

 

「や、まあ、そうかもですが……」

 

 

 戸惑う俺をにやにやとからかうように、シャッチモーノさんが口を開く。

 

 

「ザバン市につく頃には昼過ぎだろ。試験前に飯でも食っとけよ。

 ツバシ町2-5-10の、『飯処ゴハン』って定食屋がオススメだぜ。

 なあ、リンセン?」

 

「ええ。隠しメニューにステーキ定食があるんですよ。

 焼き方は、弱火でじっくりが良いですね。目からウロコが落ちるほど美味しい」

 

「ステーキつったらレアが最高だもんな。

 覚えとけよ、アンドー?」

 

 

 二人からの言葉に、俺はにやっと笑った。

 たとえ原作知識が無くたって、その意味くらいはわかる。

 

 

「良いんですか、そんな事教えて」

 

「良いんですよ。プロハンター二人からの推薦状みたいなもんです」

 

「前に約束しただろ。受験するなら色々教えてやるって。

 試験内容は毎回違うからな。これがその()()さ」

 

 

 ――覚えててくれたんだ。

 

 口約束みたいな、些細なやり取りでの一言だったはずだ。

 

 俺はリンセンさんとシャッチモーノさんに深々と頭を下げた。

 試験会場に到着するまでの倍率は1万人に1人だという。

 たまたま今回は俺が知っている原作知識と同じだから、カンニングできるだけだ。

 違う場所になる可能性だって、いくらでもあった。

 二人のしてくれた事……俺を推薦してくれた事には、感謝しかない。

 

 最低限の荷物でまとめた鞄をリムジンのトランクに入れようとすると、俺のかわりにシャッチモーノさんが鞄を持ち上げてくれた。

 隣に並んだ俺に、彼はひそかに囁くように耳打ちしてくる。

 

 

「ああ、そうだ、アンドー」

 

「はい?」

 

「お前の親父さんとお嬢様、悪党に捕まってどっちかし」

 

「お嬢様」

 

「……だよなぁ」

 

 

 俺が即答すると、シャッチモーノさんは「仕方ない奴だ」と言うように手をひらひらと振った。

 鞄をトランクに放り込み、シャッチモーノさんはばたんと蓋を閉じた。

 

 

「合格だ。行ってこい」

 

「はい、行ってきます」

 

 

 そしてリムジンの後部座席に乗り込もうとする俺の背中に、「おい、ルモア」とダルツォルネさんの声が飛んだ。

 振り返ると彼は、黙って俺の事を睨みつけている。

 俺は黙って、彼の言葉を待った。

 何を言うべきか、師匠、上司、リーダーらしい事を言おうとしたのか。

 結局、ダルツォルネさんは数秒押し黙った後、俺に向かってこう言った。

 

 

「……失敗してくれるなよ」

 

「……わかってますよ」

 

 

 いつかと同じやり取りに、俺は笑った。ダルツォルネさんは表情一つ変えない。

 俺はダルツォルネさんに一礼し、髭面の男、みんなにも頭を下げ、やっと待機していたリムジンへと乗り込んだ。

 運転席にはスクワラさん、助手席には彼の犬。俺の隣には、イワレンコフさん。

 

 

「さて、ご乗車のお客様、シートベルトをおしめくださぁい、だ。

 しっかしハンター試験か。俺の親戚のガキも今年受けるんだけど、どうかねえ。

 ニコルの野郎、ガッコじゃ一番ってだけで受かるもんじゃねえと思うんだがな」

 

「まあ、難易度高いのは間違いないですからね」

 

「しかも期間は一ヶ月だって? 冗談じゃねーぜ。

 ルモア、落ちても良いからさっさと戻ってきてくれよ」

 

「エリザさんがいるじゃないですか。レディも残しますし」

 

「一ヶ月も()()()()()()()()を相手すんのは想像したくねえんだ、マジで」

 

 

 スクワラさんの乱暴な応援に、イワレンコフさんが苦笑しながら続けた。

 

 

「ま、気張り過ぎるな。試験に落ちたからって、ノーライセンス組が増えるだけ。

 そもそもダルツォルネさんだってアマチュアハンターなんだ。

 クビにはされないだろうさ」

 

「俺の場合、クビじゃなくて瓶詰めにされそうなんですよね」

 

「……いえてるな」

 

 

 イワレンコフさんが笑い、スクワラさんも笑った。俺も笑った。

 エンジンがかかってリムジンが滑り出しても、俺は笑っていた。

 

 俺のまわりにいる人の何人が、9月にいなくなってしまうんだろう?

 

 二択のクイズ。()()()()()。わかってる。

 それでも俺が選ぶのはネオンだ。それは絶対に揺らがない。

 だけど、それが唯一無二の正解じゃない事も、俺はわかっている。

 

 もし本当に分かれ道の前に立った時、きっと、俺は選択できる。

 選択しなきゃいけないからだ。

 けれど、後悔しない選択ができるだろうか。

 

 あらゆる残酷な空想に耐えなければいけない。

 現実は、ある日突然、無慈悲になるものだから。

 十年も前から予告されてるのは、むしろ慈悲深いのかもしれない。

 

 ノストラード邸を振り返った俺の目に、開け放たれた窓から身を乗り出し、手を振るネオンの姿が映った。

 

 

「ルモアーっ! お土産は、可愛いのだからね──っ!!」

 

 

 そんな風に────俺のハンター試験は幕を開けたのだった。

 




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