地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)   作:あなたへのレクイエムです

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11.ニ × シ × ハチ

 

 ザバン市の昼下がり。

 快速飛行船を降りた俺の肺に流れ込んできたのは、排気ガスと、どこか気怠い熱気を含んだ都会の匂いだった。

 ノストラード邸の清涼な空気とも、エルバト市の雰囲気とも程遠い。飛行船を降りた後はいつだって空気の味が違う気がするが、ザバン市のそれは間違いなく異国の味だ。

 ザバン市は雑多な町並みに露店、怪しげな人物とそれに伴った活気のあふれる、俺の前世の知識で言えば――あるいは新アニメで見たような――中東系の都市だった。どこかから微かに香辛料と水煙草の匂いが流れてきているから、空気の違いはそのせいかもしれない。この世界でもジャポンに行ったら、空気に醤油の味がすると感じるんだろうか。

 

 

(なんだかんだ言って、エルバトって結構田舎だったもんな)

 

 

 今やノストラード・ファミリーのホームとして、ずいぶんと栄えているけれど、俺の生まれ育った頃は川辺の水運産業を中心とした小さな都市で……まあノストラードも田舎マフィアだったから相応のものではあったけれど。

 商売繁盛。良いことだ。親父の雑貨屋はどうしているだろう?

 試験が無事に終わったら、顔を出すくらいはしても良いかもしれない。

 

 そんな事を考えながら俺は鞄を肩にかけ直し、雑踏に紛れる。

 目指すはツバシ町2-5-10。

 護衛団の先輩たちが教えてくれた、定食屋「飯処ゴハン」。

 全『HUNTER X HUNTER』読者が知ってるだろうあの店で、あのステーキ定食だ。

 食べてみたくない奴の方が少ないはず。

 俺は(テン)を解き、(ゼツ)も使わず、ただの凡人並にオーラを垂れ流しながら、ただの観光客みたいに歩いていく。

 護衛団としての日々の中で、「マフィアでござい」という時と「一般人です」という時とで、立ち居振る舞いを変える事は覚えた。

 だから(ネン)無しでも相応に自信はあったんだけど──……。

 ……まあ、ちょっと浮かれてたせいだな。

 

 

「おっと、そこのあんた。いい歩き方をしてるな。もしかして……同業者か?」

 

 

 俺は思わずぎくりと心臓が跳ねるのを、表情には出さないまま、ゆっくりと振り向いた。

 

 まず目に入ったのは、見事なまでに眩く滑らかなスキンヘッド。

 そして、人懐っこい──だが獲物を逃さない鷹のような鋭さを隠した目の、青年だった。

 

 

(……ハンゾー)

 

 

 原作屈指の実力者であり、この試験における合格者のひとり。そして何よりも、忍者だ。

 俺はひりついた思考──数ヶ月後のヨークシンや、試験のこと──を、努めて頭の中から弾き出した。

 

 ネオンに「()()()()()」と言われたのだ。

 それは俺がずっと心がけていた事でもある。

 

 ほんの少しでも気が緩むとすぐにひりつき出す思考を、強引に抑える。

 合格して、ライセンスを手に入れるのは絶対条件。けれどその過程は、自由で良いはず。

 ジンも言っていたじゃあないか。寄り道を楽しめって。

 もちろん、目的を達成できないのは大問題だけど……でも、確かにそうなのだ。

 俺だって此処までの間に、大事なものは増えている。それくらいは、わかる。

 だから俺は少しだけ意識して茶目っ気を出し、胸の前で両の手のひらを合わせると、深々と頭を下げた。

 

 

「ドーモ、アンドー=ルモアです」

 

 

 ハンゾーは一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐに破顔した。

 彼もまた、俺の動作を完璧になぞって合掌を返す。

 

 

「ドーモ、ハンゾーです! ハハッ、あんた面白いな。

 アンドーだって? ……ジャポン人か? ほんとに同業者じゃないだろうな?」

 

「いや、生まれも育ちもサヘルタ合衆国だよ。

 たぶん同業他社かな。こっちはボディガード……そっちは忍者だろ?」

 

「いかにも、忍者だ。ここだけの話だけどよ。

 いやー、びっくりしたぜ!

 ハンター試験受けに来たら、なんだか似たような歩き方してる奴がいてさあ!

 やっぱ知り合いがいないと落ち着かね―だろ。もしやって思って声かけちまったんだ。

 あ、そうそう、あんたもハンター試験受けに来たんだよな?

 その歩き方しててまさか観光ってこたぁないよな?」

 

 

 俺が「観光半分なとこもあるけどな」と言うと、ハンゾーは屈託なく笑う。

 だが、その瞳の奥にある冷静な光は、俺の骨格、筋肉の付き方、重心の置き方を一瞬で観察しているようだ。

 まあ、それは俺だってお互い様だ。俺もハンゾーの動きを観察している。

 原作知識っていうカンニングがあっても、実際に見るのとは大違い。

 その一挙手一投足を意識して、俺も真似できないかなと考える。

 なんたって彼は、本物の忍者なのだ。

 この立ち居振る舞いは素質だけではない、技術体系によって培われたもののはず。

 

 

「ジャポンは好きでさ。仕事もあるから、行った事はないんだけど。

 あと、忍者なら前に会った事があってね」

 

「へえ……?」

 

 

 ハンゾーが興味津々に尋ねてくる。

 

 クナイ男──ミッドナイト・トレインで戦った偽幻影旅団のひとり。

 あの夜の戦いは、何年か経った今でも俺にとっては印象深いものだった。

 確かに、クナイ男はあっさり倒せたかもしれない。だがそれは結果論だ。

 命がけの戦いで決着がすぐについた事は、相手が弱かった事を意味しない。

 だから、俺の感想はこの一言につきる。

 

 

()()()()()()()()

 

 

 俺の偽らざる本音に、ハンゾーは「だろうな」と、弾むような声で応じた。

 

 

「そりゃあ殺しに行ったなら、死ぬだろうよ。

 でも生き延びたんならやるもんだ。

 アンドー、あんた、なにを使うんだ?」

 

拳闘(ボックス)靴闘(サバット)、それにアイジエン流の功夫(クンフー)。そのミックスだね。そっちは?」

 

「俺は空手と柔術だな。忍術はまだだ! ナイショだぜ?

 けど、靴履いたままが前提の奴だろ、それ。機能的でいいな」

 

 

 ぺちゃくちゃと喋りながら、彼は俺のパーソナルスペースをするすると自在に出入りする。

 初対面だというのに気づいたら懐に入りこまれている。おまけに、それが不快ではない。

 むしろ、あまりの親しみやすさというか、「良いやつだな」と思う振る舞いに毒気が抜かれる。

 単に話好きなだけじゃあない。忍者として、培ってきたものなのだろう。

 相手の警戒を解く。情報を抜く。懐に入る。そして殺す。

 

 

(これで実は(ネン)も使えますって言われたら信じちゃいそうだな……)

 

 

 まあ、確か原作だと試験後に習得したはずだったし、彼も忍術はまだって言ってるけど。

 でも(ネン)の方なら、似たような技術を覚えてそうだな、と思う。

 

 

「ハンゾー、良かったら試験会場まで一緒に行くか?

 ……といっても信用しないか。忍者だもんな」

 

「ああ、悪ィな。気持ちだけ受け取っとくぜ。

 自分で調べた情報だけをアテにするようにしてんだ。

 ばあちゃんチに晩飯食いに行くにしても裏取りしろって教わっててね。

 試験に合格人数枠みたいなのがあるかもしれねえし、そうなりゃ蹴落とし合いだろ?」

 

「噂じゃ合格率、三年に一人だって話だもんな」

 

「キビシーよなー。

 まあ、協力できそうな試験内容だったら、その時はよろしく」

 

「あと合格した後と、落ちた後だな」

 

「だな!」

 

 

 俺達は互いに名刺──俺は表向き、ノストラード・ファミリーの経営する合法的要人警護会社ポリオ警備保障の警備員だ──を交換し、別れた。

 

 

「忍者が入り用だったらいつでも連絡してくれよ!

 殺しだけじゃなくて守る方もやるからよ、俺らは!」

 

「履歴書は必須だぜ?」

 

「かーっ、ああいう書類書くの俺苦手なんだよなぁ!

 経歴のとこに『守秘義務により記載不可』がズラッと並ぶしさぁ」

 

 

 なんて笑いながら去っていくハンゾーの背中を見送りながら、俺は息を吐く。

 あんなに特徴的な容貌なのに、もう彼の姿は人混みに紛れて見えなくなっていた。

 

 

(ネン)なしの隠密だけなら、あっちが上だな……)

 

 

 正面から戦ったら、どうだろう?

 (ネン)ありなら負ける気はしない。だがハンゾーが(ネン)を覚えた後なら?

 

 ──()()()

 

 繰り返し自分に言い聞かせる。

 実力不足、練度不足、経験不足。そうした不安を押し殺し、追い払う。

 後に残ったのは、腹の底から湧き上がるのは冷ややかな興奮だった。

 

 そう、思い込むようにした。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 ハンゾーと別れた俺は、人波を縫ってツバシ町へと向かった。

 もしかしたら途中でばったりハンゾーとまた会うかなとも思ったが、そんな事はなかった。

 まあ、ハンター試験会場に向かうルートも、入口も、一つじゃあないんだろう。

 

 辿り着いたそこは、何の変哲もない、むしろ少し年季の入った定食屋だ。

 

『飯処ゴハン』。

 

 看板に大きく描かれたのは、千切りキャベツととんかつに目玉焼き。

 店前のスタンドに書かれたメニューを見ると、ステーキ定食の文字はない。

 どうやら入口横に設けられた窓で弁当の販売もやっているようで、ちょうどお客がとんかつ弁当を買って帰って行くところだった。

 

 

(たぶん店の売りはこのとんかつ定食なんだろうなぁ。

 目玉焼きがついてる奴なんて、食べたことないぞ……)

 

 

 俺はそんな事を考えながら、店のドアをがらりと開けた。

 

 

「いーらっしぇーいっ!!」

 

 

 厨房で中華鍋を振るう、無愛想な店主が威勢良く声をかけてくる。

 じゅうじゅうと油の焼ける良い匂いがして、なんとも食欲をそそる雰囲気。

 カウンターには客が並んでいるし、試験会場云々抜きにしても繁盛してるようだった。

 

 

「お客さん、ご注文は?」

 

(──あ、これもヒントか)

 

 

 客を席に通す前に、店主は俺に注文を聞いてきた。些細な違和感。

 恐らく真っ先に注文を聞いて、受験生と客とを分けているのだ。

 もちろん符丁を知っていなければ此処で弾かれてしまうのだろうけれど、逆に符丁だけ知ってて店の場所がわからないなんて受験者が総当りで店を探していたら、この違和感に気づけば会場に行けるわけだ。

 

 

「ステーキ定食」

 

「……焼き方は?」

 

「弱火でじっくり」

 

「あいよ!」

 

「お客さん、奥の部屋にどうぞー!」

 

 

 俺の注文を聞いて店主は厨房の奥に向かい、代わってバンダナで髪をまとめた店員の女の子が後を引き継ぐ。

 彼女の後に続いて奥の部屋に入ると、そこには既に鉄板と、じゅうじゅうと音を立てて焼けているステーキ定食。

 いつのまに準備されたんだろう。店主の手際が良いのか、それとも他にも試験関係者がいるのか。

 

 

「それではどうぞ、ごゆっくり──……」

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

「はい?」

 

 

 俺に一礼して部屋を出るお姉さんを呼び止める。怪訝な顔。

 たぶん扉を閉めた後、エレベーターの作動スイッチを入れるつもりだったんだろう。

 原作知識によるカンニングを抜きにしても、入った時のかすかな揺れで、ここが単なる部屋じゃない事はわかる。良く見たら向こうの出口に階数表示もあるし、たぶん隠す気はないな、これ。

 だけど今、エレベーターを動かされると困るんだ。

 

 

「お姉さん、店員じゃなくて、もしかしてハンター協会の人かな?」

 

「……だとしたら、どうしました?」

 

「いや、だったら本当に悪いんだけど……」

 

 

 俺は本当にちょっと申し訳なさを覚えながらも、お願いすることにした。

 

 

「……エレベーター動かす前に、とんかつ定食も頼んで良いかな」

 

 

 せっかくなら看板メニューも食べてみたいんだと言うと、彼女はきょとんとした後、笑いながら頷いてくれた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……うーむ。これ、本当にうまいな」

 

 

 結局、俺はステーキ定食を平らげた後、追加したとんかつ定食まで完食した。

 

 サクサクの衣に、溢れ出す肉汁。それに絡む濃厚なソースと、黄身がとろりと溶け出す目玉焼き。

 弱火でじっくり焼かれ、外はカリカリ、中は肉汁滴るステーキと合わせて、俺の胃袋はパンパンに満たされていた。

 ステーキはレアに限る。これはシャッチモーノさんの言葉だけど、サヘルタ合衆国人はみんな口を揃えていうだろう。ウェルダンを食べる奴は肉の食い方をわかってないって。

 俺の舌も今ではすっかりサヘルタ合衆国人だ。丁寧に焼けば、にんにく塩コショウだけで肉は美味しく頂けるんだよ。ホントに。

 この店、普通に旨い。俺がザバン市に暮らしてたら毎日通ってたと思う。

 ノストラード邸の贅沢な食事もいいが、こういう定食屋の最高峰みたいな味は五臓六腑に染み渡る。

 こういうので良いんだ、こういうので。

 俺が育ち盛りだから耐えられた。育ち盛りじゃなかったら耐えられなかったろう。

 ……これから命がけの試験が始まるというのに、こんなに満腹で良いのかと思わなくもないけど。

 

 

「……ちょっと、食べすぎましたかね?」

 

「いえ、体力勝負ですから。それくらいの方が、ちょうど良いと思いますよ」

 

 

 くすくすと笑いながら食器を下げるお姉さんの「健闘を祈ります」という声に見送られ、俺は改めて地下100階へと運ばれていく。

 数分の降下時間。

 その間に俺は口元を拭い、スーツの襟を正した。ネクタイを締め直し、びしりと決めた。

 

 そしてチャイムの音と共に、重厚な金属扉が滑るように開かれる。

 

 ──そこは、熱気と殺意が凝縮された巨大な地下空間だった。

 

 薄暗い地下道にひしめく、数百人もの受験生たちの視線が俺に突き刺さる。

 殺気、焦燥、野心。

 さまざまな負の感情が入り混じった目が、物理的な圧力となって俺に襲いかかる。

 (ネン)を禁じられているからこそ、これがダイレクトに神経を削りにくるのがよくわかった。

 

 

(──わかったからって、何だっていう話だな)

 

 

 ノストラード・ファミリー、ネオン=ノストラードの護衛がこの程度で怯むわけもない。

 俺は平然とその視線を受け流し、堂々と試験会場へと踏み込んだ。

 途端、ふっと興味を無くしたかのように露骨に視線の圧が減る。

 やたら臆病でもやたら威圧的でも目立つが、平然としていれば気にされないものだ。

 

 

「はい、どーぞ。番号札だよ」

 

「どうも」

 

 

 緑色の小さな体をした受付の人──会長秘書のする仕事じゃあないよなあ……──から、丸いプレートを受け取る。

 

 書かれた数字は『248』。

 

 手の中の数字を見つめ、俺は短く息を吐いた。

 ハンゾーと会場外で遭遇した時に薄々感じていたが、ゴン達よりは早い到着だったようだ。

 

 

 ……と、その時、俺のすぐ横で不穏なやり取りが目に入った。

 

 

「やあ、君。緊張してるのかい? 試験前に良ければこれ、一本どうかな」

 

 

 人の良さそうな、しかし腹の出た小太りの男が、オレンジジュースの缶を差し出している。

 ターゲットにされているのは、黄色い帽子が特徴的な女の子。ナンバーは246。

 

 

(……()()()だ!)

 

 

 大きな薬瓶か蜂の巣を模したような、独特の形状をした黄色い帽子。そこから覗くのは少し勝ち気そうに跳ねた、艶やかな淡い緑色の髪だ。

 タートルネックの長袖に長ズボン。露出は一切ないが、そこかしこが彼女の女性らしさを強調するような曲線を描いている。まだあどけなさの残る、けれど恐らくは俺よりやや年上の顔立ち……少女と女性の過渡期にある容貌とのアンバランスさが、恐らくはトンパの目を引いたのだろう。

 ポンズは怪訝そうな顔をしながらも、ジュースを受け取ろうと手を伸ばしかけ──ピタリと止まった。

 

 

 ──チチチチッ。

 

 

 彼女の帽子の隙間から、かすかに羽音が響いているのが、俺の耳に聞こえた。

 ()()

 ポンズに付き従う蜂たちが、異変を察知して鳴らす警戒音だ。

 それに気づいたポンズが、くん、と鼻を鳴らす。

 

 

「……いらない。それ、毒が入ってるでしょ」

 

「えっ……!? な、何を言うんだい、そんなわけ──」

 

「匂いでわかるの。下剤かな? 女の子に飲ませるもんじゃないよね。サイッテー」

 

 

 どこか周囲を寄せ付けない冷ややかな目線と共に鋭く言い放ち、ポンズは男に背を向けた。

 あとに残されたのは、鼻の下を伸ばしたような情けない顔から一瞬で「新人潰し」の陰湿な笑みに戻った男──トンパだ。

 きっとポンズの身体能力を冷静に分析し、暴力に訴えればいつでも脱落させられると判断してるんだろう。

 原作の第四次試験でレオリオにポンズの情報を伝えていたのはトンパで、つまりそれまでの間にナンバーと詳細なプロフィールを完全に頭に叩き込んでいた事になる。

 

 実際の所、トンパは優秀なやつだと俺は思っている。

 なにせ彼のナンバーは16。ほとんど最速といって良い順位でこの会場に来たわけだ。

 1万人に1人しか到着できないと言われる、この試験会場にだ。

 それも30年連続出場、本試験での成績上位常連。ある種の逸材である事に疑いの余地はない。

 正直、ハンター協会は彼を試験官として雇った方が良いんじゃあないかと思うくらいだ。

 ハンターを狩るハンター……あなたが、ハンターハンターだったんですね。

 

 トンパはチッと舌打ちをしてジュースの缶を引っ込めると、次に獲物を探すように視線を走らせた。

 そして、入り口に立っていた俺と目が合う。

 

 

(……さて、俺のところにも来るか?)

 

 

 俺は特に殺気を飛ばすことも、睨みつけることもしなかった。

 ただ俺のために仕立てられたスーツに身を包んだまま、リラックスした体勢で、壁に背を預けるだけ。

 しかしトンパは、俺と目が合った瞬間、ピクリと肩を揺らした。

 トンパはしばらく俺を見た後、冷や汗を拭い、そそくさと別の新人の元へと去っていった。

 

 

(来ないかぁ……)

 

 

 しょんぼりしてても仕方がないので、俺は壁に背を預け、周囲を観察する。

 目当ての人物はすぐに見つかった。受験番号的にもう来ていると思ったし、相手は目立つ。

 遠くでトランプを弄んでいるピエロの姿に、俺はわずかに目を細めた。

 

 

(…………どうなんだろうな)

 

 

 ヒソカ=モロウ。

 殺気を飛ばさず(ネン)もなく、気づかれないよう意識すら向けず、俺は頭の中に絵を描く。ただの妄想としてだ。そうでなきゃ目の前のヒソカに気取られそうだから。

 たとえば今の自分が()()()()()()()()()だとして、()()()()()()と戦ったらどうなるか。

 場所はそう、正面からのヨーイドンと仮定して、天空闘技場。

 カストロ戦を参考にしよう。クロロ戦ほど本気ではない、くらいで。

 ヒソカは楽しみたがってる。俺の能力を知りたい。だから先手は俺が取れる。

 だが俺の『地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』は攻撃系ではないし、『念丸(サイコガン)』は隠し玉だ。

 俺は肉弾戦を挑む。一発当てる。だがヒソカは倒れない──というより倒せない。

 ヒソカへの顔面パンチは強化系のゴンがやったが、あれでもヒソカは倒れなかった。

 ゴンと俺の修練度の違いを差し引いて──才能の差は考えないものとする──具現化系の俺では初手確殺は厳しいだろう。

 というかカストロさんはいちいちダブルをアピールしたり腕切ったりヒソカの話に付き合ったりしないで、真正面からまっすぐストレートの全力虎咬拳で顔面パンチしてそのまま前を見えなくしてやりゃ良かったんだ。

 閑話休題(問題は此処から)

 攻撃を受ける事でダブル──あの瞬間移動じみた能力は何だったんだろう。「死角に潜む」の一言で納得しちゃって良いものか──の謎をヒソカは解いていく。

 だがカストロさんと違って俺は(ハツ)を使っていない。ヒソカは使わせようとしてくるだろう。

 だから恐らくヒソカは攻勢に転じる。

 トランプを投じる。俺は受ける。いや、正確には俺が具現化した『地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』で受ける。

伸縮自在の愛(バンジーガム)』を。

 

 

(────()()()

 

 

伸縮自在の愛(バンジーガム)』は究極、()()()()()()()()()()()()()()に過ぎない。

 そこに悪意もなければ意思もない。レディは爆発しない。ただトランプが刺さり、傷つき、俺にその痛みが伝わる。

 それでお終い。

 あとは俺がどうにか『念丸(サイコガン)』をヒソカに当てられるかどうか、当てて通せるかどうかだ。

 

 これがまだ会場に現れていないギタラクル……イルミならどうだ。

 詳細不明だから断言はできないが、人を操る針を撃ち込む(ハツ)なら、レディは起爆できる。

 イルミを(ゼツ)に追い込み……『念丸(サイコガン)』を当てれば、勝てる所まで持ち込める。

 もちろんかなり甘く見積もった想定だ。百戦錬磨のゾルディック家が、俺の(ハツ)に引っかかってくれる前提。さらに(ネン)抜きの身体能力では、『念丸(サイコガン)』が回避できない前提。

 

 だがヒソカの場合、そもそもこの戦い方では勝てない。

 ヒソカに届かないなら、ヒソカが標的としているクロロ=ルシルフルに届かない。

 いや、待て、(シュウ)で強化されたトランプの接触ならレディは起爆できるんじゃないか。

 似たような他の(ハツ)ならどうだ。

 クロロがどんな念能力を使ってくるか。やつがどんな念能力を保持しているか。

 

 そもそも俺は、いざという時、自分のために、『地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』――()()()()()()()=()()()()()()()を盾にできるだろうか。

 

 俺は考える。考える。考える。考え────……

 

 不意に、左目の奥が熱を持つ。

 

 

『ルーモアッ! もう会場ついた?』

 

 

 途端、俺の脳裏に直接、鈴を転がすような少女の声が響き渡った。

 俺は、大きく息を吐いた。

 

 

『ついたんなら見せて……って、えーっ!?

 なにそこ、なんか暗いしジメジメしてて、可愛くなーい!

 ハンター試験の会場っていうから、もっとキラキラしたところだと思ってたのに』

 

(……どんな試験だと思ってたんだよ)

 

『なんかすっごい豪華な牢屋の中で、変なおじさんからライターの火を消すなって言われるの』

 

(どっかのマフィアじゃないんだから……)

 

 

 ネオンの『浸液標本の愛(プライベート・アイ)』を俺は拒めない。

 彼女の意識からの囁きもだ。どんな時でも、彼女が「見せて!」と願えばこの通り。

 

 俺は口を動かさず、思考だけで応える。

 傍から見れば、ただ壁に寄りかかって目を閉じている受験生にしか見えないだろう。

 なにかカモフラージュ用に携帯電話でも使ってるふりをしようかなと、少し思う。

 そう思えるだけの余裕が、張り詰めていた頭の中に生まれる。

 ネオン=ノストラードの天真爛漫で傍若無人な意識が、俺の中に強引に飛び込んできたからだろう。

 彼女はいつだって俺の頭の中に、自分のためのスペースを作り上げてしまうのだ。

 

 

(それより、そっちはどうなんだ。ちゃんと大人しくしてるか?)

 

『してるよー! 今はレディと一緒にランチが終わったところ。

 今日のお昼ゴハンは、じゃじゃーんっ ルビークラブとくりうにのトマトクリームパスタでーすっ!

 とっても美味しかったぁ。飾りの殻がきらきらしてて見た目も良かったよ。

 邪魔だったから捨てちゃったけど』

 

(パスタか。いいな、らしい感じがする)

 

『ねえ、ルモアは何食べたの?

 ザバン市だから……パンダガエルの串焼きとか!』

 

(俺か? 俺は……ステーキ定食と、とんかつ定食)

 

『えぇー、なにそれぇ。すっごい太りそう、っていうか 二人前も食べたの?

 帰ってきたらルモアのスーツのボタン、全部パァーンって弾け飛んじゃうんじゃない?』

 

(どーせそっちこそ、パスタの後にデザートとか食べてるんだろ)

 

『えっへへー……バレた? 今日はイチゴのババロア。ルモアの分はないからね!』

 

(こっちはジュースを飲みそこねたよ。ちょっと飲んでみたかったんだ。せっかくだし)

 

『ふぅーん? あ、そうそう、ジュースって言えば。

 スクワラさんに頼まれて、エリザが犬用のスポーツドリンクを──……』

 

 

 脳裏に浮かぶのは、きっとベッドの上で足をパタつかせながら、レディをクッション代わりにして笑っている彼女の姿。

 ネオンのくだらない、いつも通りの我儘な声。パパがこう、ダルツォルネさんがこう、エリザがこう……。

 次々と流れ込んでくる怒涛のような言葉が、ヒソカを前にしてガチガチに固まっていた俺の思考を、ふっと軽くしてくれる。

 

 

『ねー、まだ試験始まらないの? もうその地味な通路飽きちゃった。

 まだ時間かかりそうなら、私はもう見るのやめるね』

 

(了解。……ありがとな、ネオン)

 

『え、なにが?』

 

(いや、なんでもない。

 ……食べた後すぐ寝ると太るから、運動とかやらなきゃダメだぞ)

 

『むー、言われなくてもそうするもん。

 ……あ、レディも「頑張れ」って言ってるよ。……たぶん!

 じゃあね!』

 

 

 左目の熱が、心地よい余韻を残して収まっていく。

 目を開けると、先程まで灰色に見えていた地下通路の景色が、少しだけ鮮明に見えた。

 視界がクリアになるのと同時に、俺の耳は「それ」を捉えた。

 

 ──ジリリリリリリリリリリリリッ!!!

 

 鼓膜を激しく叩く、無機質で執拗なアラーム音。

 会場を支配していた受験生たちのざわめきが、一瞬で凍りついたように静まり返る。

 数百人の視線が一点に集まる中、暗がりの奥からカツン、カツンと、硬い靴音が近づいてきた。

 

 そこに立っていたのは、ピンとした口ひげを整え、ワインレッドのスーツに身を包んだ男。

 第一次試験官、サトツ。

 

 

「……ただ今をもって、受付時間を終了します。

 これより、ハンター試験を開始いたします」

 

 

 抑揚のない、しかし会場の隅々まで染み渡るような声。

 サトツは音もなく踵を返すと、奇妙なほど長い歩幅で歩き始めた。

 

 

「こちらへどうぞ」

 

 

 最初はゆっくりとした歩調。

 だが、それは瞬く間に速度を上げ、常人の競歩を上回るスピードへと変わっていく。

 受験生たちが一斉に動き出し、地下通路に数千の足音が共鳴した。

 

 

(始まった……)

 

 

 一次試験はただ移動するだけ。

 地下トンネルを通り抜け、ヌメーレ湿原を通り、ビスカ森林公園の二次試験会場までの長距離マラソン。

 二次試験の開始時間は本日正午で、到着時間はその直前。

 そしてアニメでも今の俺も、この試験会場に入ったのは昼間だ。

 

 なら、一日は走り続けるのを見越した方が良い。

 

 

(……いや、そう言えば)

 

 

 サトツは一次試験を始める前に、原作だとなにか長々と喋っていたような記憶がある。

 俺が聞き逃したか、それとも単に今回は喋っていないのか、まだ喋らないだけか。

 とするとダルツォルネさんの言う通り、敵の姿を勝手に想像するべきじゃあない。

 もしかしたら一次試験も二次試験も、原作とはまるでかけ離れたものになるかもしれない。

 俺の原作知識はあくまでも補助。

 信用すべきは俺の目の前で起きていること、そしてネオンの占いだ。

 俺は懐に仕舞ったネオンの予言を、上着越しにそっと指先で確かめる。

 

 

────────────────────────────

 暗い地の底 数多の水子が走り

 霧の向こうで 騙し絵の獣が牙を剥く

 影と蜂に 気を配りなさい

 甘い誘いを断てば 道は平坦に拓けるだろう

────────────────────────────

 

 

「……よし」

 

 

 俺は低く呟くと、受験生を先導し、地下通路の奥へと消えていくサトツの背中を見据えた。

 まずは暗い地の底を、数多の水子たちと一緒に走るとしよう。

 

 

 




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