地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)   作:あなたへのレクイエムです

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12.シケン × シレン × シバリ

 地下通路の走行が始まってから、すでに数時間が経過していた。

 

 周囲の光景は変わり映えせず、等間隔に並ぶ照明が後ろへと流れていくだけ。

 足元が階段に変わったくらいで、もしネオンが覗きに来てもまたすぐに「つまんない!」とか騒いで去って行くだろう。

 

 先頭を走るサトツのペースは一切乱れず、むしろ徐々に加速している。

 周囲からは荒い息遣いが聞こえ始め、一人、また一人と受験者が後ろへ消えていく。

 だが、引き離された奴はいても、脱落者はまだそれほど多くないらしい。

 その証拠に、周囲に響く足音の大きさは然程変わっていない。

 ここに来ている連中の大半は、化け物の雛……念能力者の有精卵なのだ。

 そのうちのどれだけが生まれられるかはわからないだけで。

 

 

()()ってのは、まあそういう事だよな……)

 

 

 俺はと言えば、一定の歩幅と呼吸を維持し、集団の中から前ほどを維持していた。

 この十年間、護衛団の訓練でダルツォルネさんに叩き込まれた基礎体力は伊達じゃない。

 (ネン)を使わずとも、この程度のジョギングで音を上げるほど柔な鍛え方はしていないつもりだ。

 それでも階段に差し掛かってくると、少しキツくはなってくるが、まあ、まだまだ。

 実際何十キロ走るかわかったものじゃないんだから、余裕を見て走っていくのがちょうど良い。

 

 ニコルについては……残念ながらスクワラさんの懸念通りだった。

 一応気にかけて見てはいたのだけれど、マラソン距離を40kmだと思いこんでペース配分間違えたのか単純に体力不足だったのかどうかはわからないが、かなりバテバテの状態でパソコンも投げ捨て、アモリ・イモリ・ウモリに囲まれ、概ね俺の知っている通りの有様で脱落した。

 正直この後の試験を考えたらここで不合格になった方が彼の幸せのためだとは思う。一般社会で活動する分には十分エリートなのだし、どうか強く生きて欲しい。

 

 

「よお、アンドー! 涼しい顔して走るじゃねえか!」

 

 

 不意に横から、軽快な声が飛んできた。

 見なくてもわかる。この場に似つかわしくないほど陽気なエネルギーを放っているのは、ハンゾーだ。

 彼は大きな歩幅で俺の横に並ぶと、並走しながら喋りかけてくる。

 少し額に汗はかいていたようだが、およそ長距離マラソン中とは思えない。

 

 

「ハンゾーか、さっきぶり……数時間ぶりか? そっちこそ余裕そうだな」

 

「この程度、里の修行に比べりゃ散歩みたいなもんだぜ!

 知ってるか? 胸に編み笠、腰に白布巻いて、地面につけねえように走るのよ」

 

「あの手の修行ってマジでやるの? 植えた苗の上を毎朝飛び越えたり?」

 

「おお、マジよマジ。大マジ。濡らした紙の上を破かずに歩くとかもやったぜ」

 

「……俺もやろうかなぁ」

 

「にしても、アンドー、スーツのまま走ってるあたりがすげえなって思ってさ。

 最初に脱落したのもスーツの兄ちゃんだったし、さっき後ろの方で大騒ぎしながらスーツ脱いで走ってる奴もいたぜ?

 ボディガードってのはみんなそうなのか?」

 

「どうかな、厳しい上司にしっかり仕込まれただけだよ」

 

 

 俺が苦笑混じりに答えると、ハンゾーは「なるほどな!」と豪快に笑った。

 その一方、内心で俺は舌を巻いている。

 最初に脱落したニコルのことも把握しているし、スーツを脱いだ奴ってのはレオリオの事だろう。

 それを走りながらハンゾーはしっかりとチェックし、把握している。視野と観察力が凄い。

 

 そしてハンゾーは、今度は俺の反対側を走っていた受験生に視線を向けた。

 大きな黄色い帽子を被り、やはり大きな鞄を抱えた少女。ナンバー246番、ポンズだ。

 彼女は俺たちの会話を含めた周囲を無視し、前方を一点に見つめ、淡々と距離を消化している。

 ハッ、ハッと短く鋭い呼吸を繰り返し、額や頬の汗を拭いもせず、ただただ足を運ぶ事にだけ集中しているらしかった。

 

 

「おい、そこの嬢ちゃんも! アンタも結構やるな。その格好でこれだけ走れるってことは、相当鍛えてんだろ?」

 

「……別に。放っておいて。無駄な体力を使いたくないの」

 

 

 ポンズは冷淡に突き放すが、ハンゾーは全く堪えた様子がない。

 

 

「そりゃあ悪かった! 俺はハンゾー、こっちはアンドーだ。

 あと何時間かかるかわからねえんだ、少しは雑談でもして気を紛らわせようぜ」

 

「じゃあ、勝手に喋ってたら良いじゃない」

 

 

 俺は自分の頭の中にちらつく原作知識を追い払い、今の彼女の体を観察する。

 ハンゾーと同年代という事は、やっぱり最初の見立て通り、俺やネオンより少し年上だろうか。

 細くしなやか、けれどネオンの繊細で華奢な体に比べて、しっかりと鍛えられた肉付き。

 ネオンが人形なら、彼女は牝鹿だ。健康的で瑞々しいという印象が、そこにはある。

 きっと野外での活動を積み重ねてきたに違いない。

 が……。

 

 

(体力はあるんだろうけど──……)

 

 

 単純な個人の身体能力としては問題外だと、俺は静かに断ずる。

 トンパの見立ては間違っていない。

 ポンズでは、俺やハンゾーは元より他のどの受験者に襲われたとしても、あっさり組み伏せられてしまうに違いない。

 そして当人もそれを理解しているのは、良くわかった。周囲を警戒しているのは、その表れだろう。

 ポンズも最初のトンパとの接触で、ハンター試験が()()()()()()と認識したに違いない。それを抜きにしても受験者は圧倒的に男性が多く、ポンズは魅力的な若い女の子なのだから、当然の振る舞いだ。

 ネオンにもこれくらいの警戒心は欲しい。「きみのお父上には普段お世話になっているから」とかに騙されないで欲しい。それでもってホイホイ変なイケメンについていかないで欲しい。ほんとに。いやホントに。

 

 そうして俺がひとしきり観察している間も、ハンゾーはひたすら喋り続けている。

 ポンズは呆れたように溜息をついたが、俺たちの足取りが全く乱れていないのを見て、毒気を抜かれたのか、小さく口を開いた。

 

 

「というか、よくそんな平気で走ってられるね。特にスーツの人」

 

「そりゃまあ、試験前にステーキ定食ととんかつ定食を食べたからね」

 

「……私は食べてない。あんな脂っこいもの、試験前に食べるなんてありえないし。

 っていうかとんかつ定食? 二人前食べたの? 正気?」

 

「オイオイ、食わなきゃ力が出ないぜ、嬢ちゃん!」

 

 

 ポンズは一瞬、ハンゾーを「うるさい男」と断定するような冷ややかな視線を向けたが、諦めたように唇を緩めた。

 

 

「嬢ちゃんはやめて。私はポンズ。

 ハゲてる方がハンゾーで……スーツの人がアンドー? 紛らわしいな……。

 スーツの人はアンドーくんって呼ぶ事にする。良い?」

 

「良いよ」

 

 

 ハンゾーが「剃ってんだよ! 毎朝毎朝! せっせと!」と抗議するのを聞き流しながら、俺は頷いた。

 ネオンはルモアと呼ぶし、他のみんなも同じ。

 俺を名前で呼んでくれるのはシャッチモーノさんと、ハンゾーくらいだ。

 ましてや「くん」付け。

 ちょっと新鮮だな。

 

 

「しっかし、ポリオ警備保障の警備員が、なんだってわざわざハンター試験なんて受けに来たんだ?

 脱サラか? それともプロのボディガードとして、箔を付けにきたとか?」

 

 

 ハンゾーがひとしきり喚いたあと、何の気無しに不意打つような自然さで、そんな質問を投げてくる。

 ポンズも心底興味なさそうなふりをしながら「ポリオ警備保障」の単語に、わずかに此方に意識を向けたのがわかった。

 まあ、特に隠すこともない。

 

 

「箔付けで間違ってないかもしれないけど、命令だよ。

 ハンターライセンスをもぎとって来いってさ」

 

「げっ、命令!? 社命でハンター試験かよ! 社畜ってやつは辛いねぇ。落ちたらクビか?」

 

「クビならまだマシかなあ。瓶詰めだな、たぶん」

 

「瓶詰め? 腹とか指じゃなくてか?」

 

「……それがマフィアの()()()ってわけ?」

 

 

 ポンズが冷ややかな声を挟む。

「マフィアァ?」というハンゾーの疑問に、彼女は小さな溜息を漏らした。

 

 

「ポリオ警備の母体がノストラード・ファミリーなのは有名でしょ。

 マフィアの組織ぐるみの受験か。物騒だね。ライセンスの特権を悪用しようって魂胆?」

 

「否定はしないけど、うちは今、警備業と賭博業で合法化に舵切りしてる最中でね」

 

 

 俺は前方に視線を向けたまま、言葉を続ける。

 脳裏をよぎるのは、娘の予言に頼り切りだったドンではなく、今の落ち着き払ったドンの姿。

 そして、あの部屋でわがままを言っている少女の姿。

 

 

「現役の……活動が確認できるプロハンターは世界に600人ちょいしかいない。

 そうなると組織内部にプロハンターの肩書があるっていうのは、大きなステータスになる。

 プロハンターと契約はしてるけど、ファミリーに生え抜きのプロハンターはいないんだ。

 俺が合格すれば、組織の格が上がる。会社も安泰。だから行け、って話さ」

 

「ふぅん……。要するに、ホントにただの資格試験ってわけか」

 

 

 ポンズは毒づくが、その声には先程までの棘が少しだけ消えていた。

 

 

「マフィアも最近はコンプライアンスだのブランディングだの、世知辛い世の中だよなあ。

 忍者にゃ関係ない話だけどよ」

 

 

 ハンゾーが俺の肩を叩こうとして、走りのリズムを崩しかけておっとっと、と体勢を立て直す。

 こいつの動きの場合、どこまで本気なのかわからないのが厄介だったが。

 

 

「こっちから聞いたからにゃ教えるが、俺はある巻物を探してるのさ。

『隠者の書』つってな、里の古文書に書いてあったんだけどよ。

 それが一般庶民じゃ入れねえ国にあるらしくて、色々探ってみたんだがどーもハンターになるしかないらしい。

 他人に掠め取られるわけにはいかねーからさ」

 

 

 ハンゾーは少年のように目を輝かせ、その目的を語る。

 彼の根底にあるのは忍者としての矜持、あるいは究極の忍者への憧れだ。

 ハンターライセンスは彼にとって、伝説に手を伸ばすための通行証に過ぎないんだろう。

 ゴンにとってのジン=フリークスが、ハンゾーにとっての隠者の書であり、忍者に違いない。

 なんとなく、原作でネテロ会長がハンゾーのハンター適性を受験生中最上位だと認めた理由が、わかった気がした。

 

 

「ポンズはどうだ? 言いたくねーなら言わなくていーけど」

 

 

 話を振られたポンズは、少しだけ走るペースを緩めずに視線を落とした。

 帽子の下で影になった瞳が、一瞬だけ揺れる。

 

 

「……私は、薬。

 薬学の道に進んで、新しい抗生物質の研究をしたいの。

 でも、貴重な薬草や未知の細菌がいる場所は、大抵がハンター協会の管轄か、未開の危険地帯。

 採取のための特別な許可、手続きに、お金、時間……このままじゃ、私のやりたい研究は一生ただの妄想で終わっちゃう。

 でもライセンスがあれば、その大半をパスできる。それだけよ」

 

 

 彼女が鞄を抱え直す。

 その中には、蜂たちを飼うための道具だけでなく、これまでの研究の成果が詰まっているのだろう。

 

 

「ふうん。巻物に、薬に……俺は資格。バラバラだな」

 

「いいじゃねえか。目的はバラバラ、でも目指すゴールは同じ! 楽しくなってきたぜ!」

 

「……ちっとも楽しくない。私は、最短距離でライセンスが欲しい」

 

 

 ポンズが吐き捨てるように言う。だけどそこにあった棘は、もうあまり残っていない。

 数時間走り続けて疲労が蓄積し始める中で、この雑談がどれほど精神的なリソースを回復させているか、そしてこうして喋っている間に新人潰し──トンパを始めとした他の連中からの妨害工作が一切ない事に気づいたのだろう。

 フィジカルが物を言うこの第一次試験であれば、ポンズなどは格好の狙い目であるはずなのに、だ。

 その理由が両隣を走るマフィア風の男とスキンヘッドの男にある事も、彼女は渋々認めたらしい。

 ……そんなにおっかない雰囲気は出してないつもりだけどな、俺も。

 

 ポンズは走りながら、独り言のように呟く。

 

 

「馴れ合うつもりはないけど。

 ……ゴールを通れるのが一人じゃないなら、足並みを揃えた方が得か」

 

「一緒にゴールしようねって?」

 

「それは抜け駆けする人の言い方だよ、アンドーくん」

 

 

 俺の冗談が面白かったのか、ポンズはくすりと──初めて、ほんの僅かに笑った。

 

 

「おい、見ろ!」

 

 

 その時、前方の空気がわずかに変わった。

 サトツの背中の向こう、遥か遠くに、かすかな「光」が見え始めたのだ。

 

 

「……出口?」

 

 

 ポンズが呟く。

 ようやく地下通路の終わりが見えてきた。

 だが、俺の心拍は逆に跳ね上がる。

 

 

「ふーっ! ようやく薄暗い地下とおさらばだ。出口まで競争といこうぜ!」

 

 

 ハンゾーが加速する。

 俺もまた、緩んでいた意識を引き締め、スーツの乱れを一度だけ手で直した。

 

 

「まだ終わりじゃないかもしれない。気を引き締めて行こう」

 

「……半日以上もマラソンしたのに?」

 

 

 俺の言葉に、ポンズが訝しげな視線を向けたが、俺はそれに答えず前方の光へと足を踏み出した。

 背後からは、まだ数百人の足音が聞こえる。闇の中を走る水子たち。

 

 湿った風が、地下の熱気を押し流すように吹き込んできた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 光を抜けた先。そこにあったのは、爽やかな景色などではなかった。

 深い、あまりにも深い霧に包まれた広大な沼地──ヌメーレ湿原。

 サトツの姿は、霧の向こうへと吸い込まれるように消えていった。

 前を行く受験生たちの姿も、あっという間に朧気な影に変わっていく。

 まあ、知ってた――というところだが、実際に自分がその中にいるとなると話は別だった。

 

 

「うわ……なんだ、この湿気と霧は。一寸先も見えねえぞ」

 

 

 ハンゾーが顔をしかめ、警戒を露わにする。

 ポンズは素早く鞄から小さな小瓶を取り出し、自分の体に霧吹きで何かを噴霧した。

 俺達の視線に気づいた彼女は、手にしたそれを軽く振る。

 

 

「虫除け。

 ヌメーレ湿原にはサイミンチョウとか、危険な虫も多いから。

 二人も必要?」

 

「助かる」

 

「サンキュー、ポンズ!」

 

 

 俺とハンゾーがその恩恵に預かっている間にも、周囲から悲鳴が上がり始めた。

 

 ──ギャアアアッ!

 ──助けてくれ、足が、足が抜けな……アバッ!?

 ──ソッチハ危ナイ! コッチダ! コッチガ安全ダ!

 

 咀嚼音。虚実入り交じった叫び声。時折聞こえる爆発音。断続的に響き渡る断末魔。

 それはサトツの先導から外れ、湿原の怪物の餌食となった脱落者たちの末路だ。

 

 

「へっ、忍者にこんな騙しが通用するかよ」

 

「……あなたさっき試験官に化けた人面猿に騙されかけてなかった?」

 

「魔獣っておっかないよなぁ」

 

 

 地下道から出た直後の騒動を思い返し、俺はしみじみと頷いた。

 単純に人語を理解する以上に、ハンター試験といった此方の事情を把握し、利用する知性の高さが凄まじい。騙されるまでいかずとも、混乱するところまではいく。俺も原作知識でカンニングしてるから落ち着いているだけだ。

 ……いやまあ、(ネン)の使用は禁止されてても、オーラはもう認識できるようになってるから、それである程度はわかるけど。しかしオーラの偽装ができる魔獣の類だって、この『HUNTER X HUNTER』の世界にはいるだろう。気は抜けない。

 (ギョウ)無しでもそれを見抜いて対処できるようになるには……。

 

 

(……もうちょっと動物の生態とか勉強するべきかな)

 

 

 1999年9月のヨークシンシティを超えるまでは、そんな余裕もなさそうだけど。

 

 

「なんだ、アンドー。やたら深刻そうな顔して」

 

「……いや、さっきの人面猿を殺った、44番。

 ヒソカ=モロウはやっぱ、ヤバいなと思って」

 

「同感……関わりたくないタイプ……」

 

 

 俺が咄嗟に誤魔化すと──本音でもある──ポンズが嫌そうに顔をしかめた。

 

 

「顔は良いけど、化粧と服のセンスが最悪。あと変態っぽい」

 

「ワハハ!」

 

 

 辛辣な評価にハンゾーが笑いながらも、すっとその目を鋭く細めた。

 

 

「けど関わらねえってのは正解だ。

 達人ってのは暴れ馬を切り倒すんじゃねえ、そもそも暴れ馬のいない道を通るんだ。

 近寄らないのが一番だぜ」

 

「まあ、そうだな……」

 

 

 たぶん、そうなんだろう。

 でも暴れ馬がいる道しか無かったら、どうすれば良いんだろう。

 見えている暴れ馬を乗り越える方法をひたすら考えている俺は、きっと達人にはなれない。

 行く手に嵐の夜が待っている。どんどん、押し寄せてくる。

 俺はそのビジョンを強引に振り払って、二人に説明を続けた。

 

 

「……趣味と実益を兼ねて殺しをやるってタイプだと思うよ、アレは。

 ルールは守るけど、ルールで許されてて面白そうなら躊躇は無いはず。

 後ろの方にいるのも、襲いかかるタイミングを狙ってるだけじゃないかな」

 

「アンドーくんがそう言うなら、もう少し前に出た方が良いかな……」

 

「おい、俺も警告してるだろ!? 俺の意見は!?」

 

「参考意見」

 

 

 ポンズはばっさりと切り捨てながらも、少し楽しそうに目を細めた。

 そして真剣な口調で続ける。

 

 

「虫とか、動物の事はある程度わかる。対処方法も。

 ギブアンドテイク。情報提供のかわりに、護衛できる?

 少なくとも二次試験会場につくまで。それ以降も延長するかは応相談」

 

「わかった、ビジネスライクに行こう」

 

「忍者なら無料(タダ)だぜ!」

 

 

 かくして俺達は即席のチームを組むことになったのだが、ふとポンズが「そう言えば」と不思議そうに俺を見てきた。

 

 

「なんでアンドーくん、44番の名前知ってるの? 知り合い?」

 

「天空闘技場の配信で見た」

 

 

 武闘家カストロ、現在怒涛の八連勝中である。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 霧に満たされた地獄絵図の中を、俺たちは三位一体となって走る。

 

 霧は、冷たい粘膜のように肌にまとわりついてくる。

 湿った土の匂いと、どこからか漂う血の臭い。

 サトツの背中は、もはや視覚ではなく、先行する受験生たちが跳ね上げる泥の音を頼りに追うしかない。

 そしてそれだけを頼りにしていれば、霧の中から現れた獣によって食い殺される。

 ポンズの知識を下に、俺はハンゾーと協力してひとつひとつ、これらの脅威を切り抜けていく。

 原作のサトツは二次試験の事を心配していたが、一次試験の後半が一番厳しいんじゃないだろうか。

 

 

(原作通り、そして占い通りだ)

 

 

 ネオンの占いは正解だ。間違いない。

 これに頼り切りにならないのは、確かに難しいな……と思う。

 どこかの名前を言ってはいけない闇の魔法使いがそうだったように、予言を聞いてしまったら、それに縛られる。

 その予言に従っても、背いても、予言を聞いたという事実からは逃れられないのだ。

 

 

(影と、蜂に気を配れ……)

 

 

 現に、今の俺がそうだ。

 霧の中、並走する二人は()()()()使()()

 なるほど、確かに俺はハンゾーとポンズが原作の登場人物である事を知っている。

 

 では、知らなかったとしたらどうだろう?

 

 ハンゾーが忍者という事を俺は試験前に彼から直接聞かされた。

 ポンズが蜂使いなのは会場の帽子から聞こえた異音で気がつける。

 そして俺はネオンの占いを聞いている以上、この二人を意識せざるを得なかったはずだ。

 

 こうした事実が積み重なっていけば、ネオンの占い無しには生きていけなくなる。

 未来を知る事によって得られるのは覚悟じゃなくて、それから逃れたいという願望と恐怖だ。

 原作知識を知っている俺がそうであるように。

 今の俺にできるのは、純粋酸素やイナズマ傷の少年のような、迫りくる9月のヨークシンシティをどう切り抜けるか、考える事だけ――……。

 

 

「ああ、もう。……まだつかないの?」

 

 

 また急速に意識が狭まりつつあった俺を、隣のポンズが漏らしたげんなりした声が引き戻す。

 同時に音よりも速く、それは飛来した。

 霧を切り裂き、鋭い風切り音を立てて肉薄する────()()()()()()

 

 

「──ッ!」

 

 

 俺は常日頃の訓練通りにポンズの肩を掴み、躊躇無く容赦なく、強引に地面へ引き倒した。

 直後、本来は彼女の細い首筋があったはずの場所を、冷たい光沢を放つトランプが通り過ぎる。

 

 

「きゃっ、何!? なに……アンドーくん!?」

 

 

 俺に覆いかぶされて倒れ込んだポンズが息を呑み、俺の下で藻掻いて手足をばたつかせる。

 だが、攻撃は止まらない。

 さらに二枚、三枚。霧の中から踊り出るように、死のカードが曲線を描いて俺達へ襲いかかる。

 

 

「おおっとォ!」

 

 

 すかさずハンゾーが躍り込み、その両腕で防御に入った。

 火花が散る。紙のはずのカードが、金属のような硬質な音を立てて弾かれていく。

 腕に巻いた包帯が裂かれて露出するのは、両手に装備した手甲(ブレーサー)

 

 

「おいおい……なんだってんだ、こりゃ。ただの紙じゃねえのか!?」

 

 

 衝撃の強さに痺れたらしい手を振るハンゾーに「助かった!」と声を上げつつ、俺は立ち上がる。

 手加減していたとはいえ、恐らく(シュウ)のカードを弾けるのは見事な空手だ。

 ハンゾーは油断無く前を見据えたまま、にやりと笑った。

 

 

「良いってことよ。契約だろ。ダチだしな。ポンズは無事か?」

 

「そりゃあ俺はプロだよ。怪我なんかさせてない」

 

「あ、ありがと……っ」

 

 

 混乱から立ち直ってはいないまでも、状況を理解したポンズが帽子を深く被り直して顔を隠しながらおずおずと礼を言い、立ち上がる。

 三人並んだ俺達の見ている先で、霧がゆっくりと割れた。

 

 現れたのは──雲の向こうに滲む月影のように、白く浮かび上がる道化師。

 

 44番、ヒソカ=モロウ。

 

 

「おい、こら! てめえ、何しやがる……!」

 

 

 ハンゾーが原作のレオリオじみた罵声を上げると、ヒソカはトランプを弄びながら、薄笑いと共に言った。

 

 

「くくく◆ 退屈だったからさ……試験官ごっこ♣

 それと、彼……248番に興味があってね♥」

 

「……俺?」

 

 

 俺は、ぎくりと身を強張らせた。

 試験会場で観察していたのに気づかれたか? いや、そんなはずはない。ないはず。

 いや……しかし、そうだ。

 試験会場でヒソカに腕を消される男の一幕を、俺は見ていない。

 だからサトツからの試験に際しての警告も、無かった。

 何が起きてる? 俺は何をやった? 試合を配信で見たくらいだぞ?

 

 

()()()()()()()()()()()♠」

 

 

 ヒソカは歌うように口ずさんだ。

 

 

「その左眼、きみ、ノストラード家のボディーガードだろ?

 ウワサは聞いてたから、ボクも気になっちゃって♥」

 

「……噂なんて、当てにならないぞ」

 

「そうだね♣ 使()()()()のか、使()()()()のか……どっちかな◆

 考えてたら他の人とぶつかっちゃったけど、あれはボクの不注意だったね♥」

 

 

 後で彼に謝らなくっちゃ♠と呟くヒソカ。

 俺は努めて感情を殺し、構えをとり、左足を引き、重心を落とす。

 (ネン)は使わないし、使えない。

 そんな俺の姿に、ヒソカが獲物を値踏みするように、爬虫類じみた瞳を細める。

 今の俺は、オーラのガードが一切ない。

 彼の放つ物理的な質量を伴う殺気が、ナイフのように俺の皮膚をチリチリと切り裂いていく。

 

 

「アンドーくん、何なの、この人……っ!?」

 

 

 ポンズが震える声で俺の服の裾を掴む。

 彼女の帽子の中では、主の恐怖に呼応するように蜂たちが狂ったように羽音を立てている。

 俺はそれが聞こえないふりをしてポンズを背にかばい、前に出た。

 

 

「ポンズ、下がってろ。ハンゾー!」

 

「かーっ 小便漏らしそうだぜ……!」

 

 

 ハンゾーが腰を低く落とし、空手の構えを取る。

 対するヒソカは、ただトランプを弄びながら、悠然と歩み寄ってくる。

 

 

「いいよ、三人まとめてでも♣」

 

 

 ヒソカが消えた。

 ──いや、あまりにも速い踏み込み。俺でなきゃ見逃しちゃうね。

 

 

「後ろだ!」

 

 

 俺の声と同時に、ハンゾーが反転して回し蹴りを放つ。

 だが、ヒソカはそれをスウェー。ハンゾーの喉元にトランプを突き立てようとする。

 咄嗟に俺は割って入り、鋭い前蹴りで靴の爪先を繰り出し、ヒソカの手首を狙う。トランプに触りたくない。

 

 

「イィーヤアッ!!」

 

「おっと◆」

 

 

 ヒソカは体を捻る最小限の動きでそれを回避し、空いた手で俺の顔面を掴もうとする。

 俺は首を傾けてそれを避け、そのまま蹴り足の勢いを活かした踏み込み。

 至近距離から心臓への掌打を叩き込もうとし──……。

 

 

(……硬い!)

 

 

 肉体と肉体がぶつかる鈍い音。

 ヒソカの胸に当たったはずの手のひらは、まるで鉄板を叩いたような衝撃を返してきた。

 これが念能力者の肉体の強度だ。(ネン)を禁じられている俺では、到底貫けない。

 俺は素早く近接距離からのジャブの連打に切り替えて立て直しを図り、それをヒソカが立て続けの手刀で撃ち落とす。

 

 

「ンッンー♥ ……やっぱり良い動きだね、きみ◆

 でも、()()()()()か♠ 舐めてるってわけじゃあないよね、ボクもたまにやる♣」

 

「……修行の一環!」

 

「なるほど♥ なら使いたくなるくらいまで追い込んであげよう◆」

 

「ありがたいね……!」

 

 

 俺は後方に飛び退き、距離を置く。

 すかさずそこに、ヒソカのトランプが乱れ飛んだ。

 

 

「忍者の前で飛び道具とは甘いなッ!」

 

 

 ハンゾーの叫びと共に、霧の中から十字型の投げナイフ、手裏剣の閃光が放たれる。

 一投、二投。それらはヒソカのトランプと空中で衝突し、火花を散らして射線を遮った。

 

 

「すごい、本当に忍者だ◆」

 

「ダメだ、手応えがねえ……!」

 

「二人とも!」

 

 

 背後で震えていたはずのポンズが、鋭い声を上げた。

 次の瞬間、彼女が後ろから投げつけた小瓶が、俺たちの頭上で炸裂した。

 途端に周囲に立ち込める霧が、不自然なまでに濃密な紫色の煙へと変貌する。

 

 

「な、なんだこれ!? 煙幕か!?」

 

「……催涙ガス。吸わないで! こっち……!」

 

 

 ポンズの警告に、俺とハンゾーは咄嗟に息を止め、素早く煙から距離を取る。

 彼女は俺とハンゾーの影に隠れ、息を殺して準備を整え、機を狙っていたのだ。

 だが、ポンズの真の武器は、その紫の煙の中にこそあった。

 

 

 ──ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴッ!!

 

 

 霧の中から響く、無数の、そして殺意に満ちた羽音。

 ポンズの黄色い帽子の隙間から溢れ出した、化学物質で興奮状態に陥った蜂の大群だった。

 

 

「おおっと……◆」

 

 

 さすがのヒソカも、これには流石に驚いたようだった。

 催涙ガスの煙幕は、単に視覚を奪うためではない。

 蜂たちの姿を隠し、同時にヒソカの感覚をガスの刺激臭で麻痺させるためのデコイ。

 人には催涙、蜂には興奮を同時にもたらすその調合は、ポンズの培ってきた知識と経験の賜物だろう。

 

 

「行ってッ!!」

 

 

 ポンズの叫びに呼応し、蜂たちはヒソカの露出した顔面、首筋、四肢へと一斉に群がった。

 いかにヒソカといえど、この超近距離、かつ不意を突かれた状態での猛攻は、完全には防ぎきれない。

 

 

「…………へぇ♠ うん、これはちょっと、面倒だね♣」

 

 

 だがヒソカは平然とトランプを振り回し、蜂を払い落とす。

 ポンズとハンゾーは愕然としているが、俺は特に動揺しなかった。

 来るとわかっているなら(ネン)でオーラを纏えば良い。

 俺だってこのぐらいは簡単にできる。

 ヒソカは顔に群がる数匹の蜂を、まるで愛撫するように指先で潰し、くすくすと笑い始めた。

 ──信じられないほどあっさりと、ヒソカの殺気は霧散していた。

 

 

「ボディガードくんだけ、次点で忍者くんだと思ったけど……うん、合格!

 そっちの女の子、連携も、毒も、蜂も、我慢強い沈黙も、悪くないよ◆」

 

 

 彼はトランプを懐にしまうと、俺たちの視線の先ではなく、さらに霧の深い、後ろの方を向いた。

 

 

「参っちゃうな、目移りしちゃう♠ 試験の時間もあるし……ボクは次にいくね♣」

 

 

 ヒソカの感覚に、俺たちよりも後ろを走るレオリオやクラピカたちの気配が入ったのだろう。

 彼は俺たちへの興味を完全に失ったわけではないが、ひとまず次へ向かうことに決めたようだった。

 

 

「またやろう、ボディーガードくん◆ 次は縛りプレイなしで対戦してくれると嬉しいな♣」

 

「……タイミングが合えばな。仕事中は無理だ」

 

「それなら、こっちも()()()()()()調整しなくっちゃ♥」

 

 

 ヒソカの姿が、霧の中に溶けるように消えていく。

 最後に聞こえたのは、鈴を鳴らすような不気味な笑い声だけだった。

 

 

「……ハァ、ハァ……。行った、か……?」

 

 

 ハンゾーが膝に手をつき、荒い息を吐く。

 俺は真っ先に、へなへなと座り込んだポンズのもとへ駆け寄った。

 まあこれは、普段の癖だ。

 

 

「ポンズ、大丈夫か?」

 

「……心臓、止まるかと思った……」

 

 

 ポンズは怯えた様子だったが、俺の姿を見てほっと息を吐いた。

 そして震える手で、残った蜂たちを帽子の中に回収していく。

 その様子を見たハンゾーが、目を丸くして声を上げた。

 

 

「おい、ポンズ……お前、そんなもん隠してたのかよ! 忍者もびっくりだぜ!」

 

「……隠しておかなきゃ、武器にならないじゃない。文句ある?」

 

「ねえよ! 最高だ!」

 

 

 ハンゾーが笑い、俺もまた、安堵の溜息を漏らす。

 スーツの肩口に、トランプが掠めた跡があった。

 (ネン)を禁じられたまま、ヒソカを退けた。

 俺だけの力ではない。俺と同じようにヒソカも本気ではなかった。

 だが、それは紛れもなく、この場にいた三人の実力で手に入れた、生存という名の勝利だった。

 

 

 影と蜂に 気を配りなさい

 

 

 俺は胸にしまってある占いを指先でなぞった。

 ネオンの占いの通りだ。

 この二人がいなければ、どうなっていた事か。

 ネオンの占いがなければ、俺はどうなっていただろう。

 俺は大きく息を吐いた。気持ちを切り替える。

 

 

「……急ごう。これで二次試験会場までたどり着けなかったら意味がない」

 

「っと、いけね! 忘れてたぜ……!」

 

「今のが試験と関係ないの、ホント理不尽……」

 

 

 俺の声に、二人がそれぞれ応じて、立ち上がった。

 泥を跳ね上げ、俺たちは再び、サトツの背中を追って走り出す。

 彼方で聞こえる悲鳴は、きっと、俺の見えないところで物語が動いている証拠だ。

 

 

 ──第二次試験会場、ビスカ森林公園に到着したのは、それから間もなくだった。

 

 

 

 




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