地雷系彼女(マイ・フェア・レディ) 作:あなたへのレクイエムです
俺が二番目に船を降りてから、既に三日が経過していた。
湿った土と、夜の森特有の噎せ返るような緑の匂い。
木々の狭間から降り注ぐ月と星の朧気な光から逃れるように、俺は巨木の樹冠に身を潜め、気配を殺して獲物を追う。
80番、スパー。
彼女が何者なのかを俺はまったくといって良いほど知らない。
原作で描かれておらず、これまでも注目していなかったから──まあ、つまり、俺の
やはり周囲に原作の主要登場人物たちが大勢いて、それに囲まれていたせいだろう。
本来ならハンゾーのように先入観を持たず全員を観察、注意し、警戒しておくべきだったのに。
自分で勝手に敵の姿を想像するな。
ダルツォルネさんに叩き込まれていたが、これで不合格になったら、帰った後にお説教だろう。
……いやでもあの人、事前の情報収集で先入観持つの嫌うからなあ。どうかな。
実際戦う段になってから情報収集しっかりするなら、まあ、怒られはしないか。たぶん。
俺がスパーについて把握している事は、ほんの僅か。
赤みがかった金髪の美女、軍事教練を受けたような無駄のない動き、感情を隠すため着用したサングラス。
そして武器としてスナイパーライフルを携えた狙撃手である。
……このくらいだ。
プロの射手にとって、先行者が残す不用意な足跡や折れた枝は格好の道標にしかならない。
だから俺は上陸するなり一切の痕跡を消すことに全神経を注ぎ、潜伏を選んだ。
(念が使えれば、
念能力者にとっても、銃器は恐るべきものだ。
威力は強化系念能力者の攻撃に匹敵するか上回り、不意を撃たれれば当然防御も間に合わない。
もちろん俺だとてダルツォルネさんに鍛えられている。
正面からなら、まあ、何とか数発は拳銃の直撃にも対応できるだろう。
だがスナイパーライフル。狙撃でライフル弾。間違いなく死ぬ。
ウボォーギンが異常なのだ──というか、不意打ちされても耐えてたあたり何なんだ、あいつ。
戦闘中だったが、狙撃を防いだ以上は攻撃にのみ集中せず、全身にオーラの守りがあったのは確定。
つまり
ビデオを
というかなんで
いやそれをクラピカがタイイチで倒せた辺りひどいレベルでバランスは取れてるのか?
北斗かよ。トキになりたい。俺はジャギだ。いや自認ジャギもおこがましいな。あれは世紀末って環境が異常なだけで全キャラ普通に強キャラだもんな……。
まあクラピカのアレはつまり効果は抜群だって奴で、相性問題か。
すごいぞ! 誓約と制約をバッチリ使いこなしてるんだな!
ともかく俺は銃器を装備したスナイパー相手に
幸いにして通常銃器の攻撃は直線だ。曲がったり増えたり貫通したり貼り付いたり融けたり追尾したりはしない。
遮蔽物の多い森の中で、常に射線を遮って距離を取る分には問題ない。
俺は彼女が設けた罠──細いワイヤーや不自然な折れ枝──を一つずつたどり、ここ数日、その様子を窺い続けた。
原作のゴンがヒソカにやったこと、あるいはゴンがゲレタ(だったっけ?)にやられたことだ。
女性を付け回してその野営姿を観察するというのは、まあ、こういう状況でなければやりたい事じゃあない。
ネオンに見られたら大変だし、もしそうなったらどう説明しようか……と考えてはいたのだが。
(……『ルモアのバカ』かぁ)
心臓がきりきりと絞め上げられるように痛む。
あの一言から此方、ネオンからの『
よっぽど怒らせてしまったのか、それとも何かあったのか。
後者は無い。ダルツォルネさんがいるなら大丈夫のはず。
……本当にそうだろうか。
そもそもヨークシンまでは無事だというのが俺の勝手な決めつけではないのか。
恐ろしい想像がぐるぐると渦巻き、俺はそれを口から鋭く静かに息を吐く事で捻じ伏せる。
(……
ネオンに何かあれば、俺と繋がっているレディ、『
それが何も無い以上、ネオンは無事だ。
そう、彼女──スパーも
原作においてスパーは彼女のターゲット……やっと名前を思い出した、ゴズという部族戦士を誤射している。それも致命傷であっても即死しない箇所を。
ギタラクルとの激しい戦闘の最中だったからだろうか。だとしても、そのタイミングを狙ったのは彼女のミスだ。
そう、スパーはミスをする。
完璧で正確無比なスナイパーというわけではない──まあ、運もあるんだろう。
どんなに凄まじいプロフェッショナルだとしても、運の要素からは逃れられない。
だが、ことこの一点、そして今回のスパーとの戦いにおいて、俺に運の不安は無い。
ネオンからの占いには、俺が銃で撃たれる事を示唆する部分は無かった。
つまり俺が、俺として、俺の培った物を駆使し、ミスをさえ犯さなければ……不確定要素は無いということだ。
そうネオンが教えてくれた。それを信じよう。
俺は心臓の上、ネオンから貰った占いの上に手を重ねて、呼吸を整える。
左眼の熱が無いのが、ひどく寂しくはあったが。
「……」
微かにスパーの野営地から、焚き火の香りが漂った。
もちろん彼女はプロだ。
木の枝葉を組み合わせて即席のシェルターを作り、偽装を施し、煙をよそへ逃し、自らはその火影から離れた倒木の陰に潜んでいる。
警戒態勢──休息中を狙ってくる敵への備えだ。銃口は此方に向いている。
不意を討つか。
彼女がギタラクルと戦う時、あるいは他の受験生と戦う時を狙うか。
だが、ギタラクルやヒソカを同時に相手にする可能性は避けたい。
ギタラクル……イルミの性格は良くわからないが、「ムカついた」というのは横槍を入れられたからだろう。とすれば俺がスパーの狙撃に介入するのもそう判断されかねない。
もちろん俺という要素が存在する以上、この世界でもスパーの標的がギタラクルとは限らないが、まあ関わり合いになるような行動は避けたいのが本音だ。
俺は改めて、スパーの方へ意識を向ける。
野営中に警戒を怠らないのは、敵を待ち伏せているわけではない。こうすれば敵襲を受けないと思っているからだ。
敵襲は、ある意味で予想外のはず。
備えている事は、実際に状況が発生した時に驚かない事を意味はしない。
俺が一番よく知っている。
(……なら)
俺はそれを、踏み抜くことに決めた。
パキリ、と。
わざとらしく小枝を折る音を立てて、斜めに飛ぶ。
刹那、闇を切り裂くような乾いた銃声。
その音より早く、空気を引き裂く衝撃波が耳朶を打つ。
ライフル弾は俺が先程までいた空間を、容赦なく貫通していった。
まず一発。時間を稼ぐ。
「──そこねッ!」
スパーが倒木の陰から跳ね起きるように姿を現す。
彼女は驚異的な速度でボルトアクションを操作し、次弾を装填。
だが俺は大きく左右にステップを踏み、稲妻走る。
「速い……!? まさか──」
繰り返しだが銃の数少ない弱点は、その攻撃が直線──風や重力の影響を無視すれば──以外ありえないことだ。
銃弾を見て回避なんて離れ業はできなくとも、銃口の向き、木々の遮蔽と左右への動き、匍匐に近い地を這う軌道で予測射線を避ける事はできる。
機関銃やら散弾銃相手ならこうはいかない。
……俺は、だけど。
例えばシャッチモーノさんなら面制圧射撃でも余裕である。
あの人銃撃を
旅団だって音より早く耳を塞げたのは、ウボォーギンの予備動作に気付けたからだっていうのに。
シャッチモーノさんは間違いなく念能力者として上澄み。
ウボォーギン同様フランクリンの火力が異常なのだ。戦闘ヘリ撃墜できるのは洒落にならん。
俺はスパーに照準をつける暇を与えず、地を這う低い姿勢で肉薄。
此方にとって全銃弾が即死攻撃なように、狙撃手にとって近距離戦への移行は悪夢だろう。
だがスパーは即座にライフルの銃身を棍として振り回し、俺の頭部を狙った。
「っ! この……ッ!」
風を切る質量武器。俺はそれをダッキングでかわし、その懐に潜り込む。
スパーの対応は速い。それは彼女が狙撃のみに頼らず、一通りの戦闘技術を会得している事を意味する。
彼女は間違いなくプロだ。ただギタラクル──イルミ=ゾルディックというサラブレッドには勝てなかっただけで。
では、俺はどうだ? 俺は幻影旅団に、スパーに勝てるのか?
「イィヤアッ!!」
「ん、くうッ!?」
スパーはライフルのストックで俺の顎を突き上げようとするが、俺は左手でそれをいなす。
心臓を狙うには相手の長物のせいで間合いが遠い。逆に彼女の右肘を掌打で打つ。
叩かれた神経が痙攣、筋肉が一時的に麻痺し、彼女の銃身がわずかに下がった。
「……っ、舐めないで!」
だが俺が次の動きに入るより前に彼女は躊躇無く銃を捨て、タクティカルナイフを抜き放った。
鋭い銀閃。軍事教練に基づいた、急所を最短距離で狙う刺突。徒手空拳と刃物なら刃物が有利。
だがオーラソードと違って突然刀身が伸びたり変形したり光ったり回ったりはしない。その間合いと攻撃線は固定されている。
俺は正確な刺突を半身となってかわすと、彼女の踏み込んだ脚に自分の足を引っ掛け、重心を崩す。
同時に彼女の手首を掴み、その力を利用して背負い投げの要領で地面へと叩きつけた。
「う、あ……っ!」
背中を強打したスパーから肺の空気が漏れ出る。ほのかに香る女の汗の匂い。
俺はすかさず彼女にのしかかると、その細く、簡単に折れそうな首筋に指先を押し付けた。
いつでも頸動脈を遮断して意識を落とせる姿勢。
静かに、けれど有無を言わさぬ圧を込めて、囁くように告げる。
「プレートを。それだけでいい」
「く……ッ」
スパーは地面に伏したまま、苦々しげに俺を睨みつけた。
今の攻防でサングラスが外れたのか、顕になった彼女の瞳は──美しい宝石のような
俺はそれに、一瞬息を飲む。
「……いつから、いたの」
掠れた声で、彼女が問う。
「……あんたのコーヒーの好みがミルクと砂糖多めだってことくらいは知ってる。
ブラック飲めないんだな?」
「……最悪ね」
スパーは自嘲気味に吐き捨てると、抵抗を止めて全身の力を抜いた。
指先から、彼女の心臓の鼓動が伝わってくる。激しい運動の後にしては、驚くほど冷静で、規則正しい。
やはり修羅場を潜ってきたプロなのだろう。
むしろ間近で彼女の瞳を見た、俺の方が動揺しているくらいだった。
「プレートは下着の中。……自分で取る?」
「……信用するよ」
俺が体を浮かせてゆっくりと退くと、スパーは横たわったままズボンに手を入れてプレートを取り出し、無造作に放り捨てた。
地面の落ち葉の上に硬い音を立てて転がったそれを、俺は目線をスパーに固定したまま拾い上げる。
80番。
指先に触れたプラスチックの冷たさと、ほのかな女の熱。
「悪いな。……助かった」
俺の声を聞いて、スパーは静かに上体を起こした。
彼女は乱れた髪を乱暴にかき上げ、外れたサングラスを拾い上げる。
俺の心に突き刺さった
「……助かった? 皮肉のつもりかしら」
「そんなつもりはなかったけど……」
俺が苦笑すると、彼女は意外そうに眉を跳ね上げた。
俺の素性が裏社会の人間であることを、彼女は肌感覚で見抜いているらしい。
もしくはポリオ警備……ノストラードの人間だという事まで、知っているのかもしれない。
「殺さない理由を聞いても良い?
……プレートを奪い返されるリスクくらい、理解してるでしょ」
「リスク排除を考えだしたら、キリが無いからなぁ」
本当に、どこまでいってもキリがないし、足りない。
あとどれだけ積み上げれば良いか、俺には想像もつかない。
もしかすると、だからこそネテロ会長は俺に言ったのかもしれない。
どうすれば良いかではない、どう在りたいかだ、と。
どう在りたいか。
少なくとも、誰彼構わず殺すような男では、在りたくないと思えた。
そんな姿をネオンには見せたくなかった。
せめて殺すなら、ネオンのため──ネオンを不幸にしないためだ。
「理由。……理由ね」
それを言語化すると、たぶん、こうなる。
「……大事な女の子にいつ見られても良いように、格好つけたいから……かな。
いや、あんたの目がその子と同じ色だったから
「……」
スパーがサングラスの下で、呆れたんだか驚いたのだか、目を見開くのがわかった。
こんな試験のさなかでも口紅が塗られた唇から、僅かなため息。
「……負けよ。完敗ね」
「まだ後五日はあるんだ。あんたなら、上手いこと六点分集められるんじゃないか?」
「止めておく……少なくとも今年はね。
ブラックリストハンターとしてもやってけるつもりだったけど、まだ足りてないみたい」
「………………」
「……なに?」
俺は静かに「いや」と首を横に振ると、「気をつけてな」と声をかけてから、静かに森の中へと歩きだした。
彼女がナンバープレートを持っていると誤解して、1点目当てに襲いかかってくる受験生もいるだろうから。
けれどなんとなく、スパーは……助かるんじゃあないかと思えた。
原作なら……本来なら……運命なら、ギタラクルによって殺される彼女は、そこから道を外れたのだ、と。
結果的にそれを引き起こしたのが自分なんだという点は、俺には信じられなかったけれど。
だが、いや……。
──そうか。こういう事も、あるんだな。
* * *
スパーの気配から遠ざかると、再び森の静寂が戻ってきた。
試験の期間はまだあと5日。俺を狙う狩人は誰かわからない。ネオンは相変わらず拗ねている。
だというのに、俺はどこかふわふわと浮き足だった、奇妙な感覚を覚えていた。
手の中にある80番のプレートが、確かな重みを持って馴染む。
本来の歴史なら死ぬはずだった人間が、生き延びる。
それが起こりうるというのは、なぜだかひどく、俺を救われた気持ちにさせてくれた。
ふと口角が上がった──その時だった。
(……静かすぎる)
森の静けさが、不自然なほどに深まっていた。
虫の音が止んでいる。
風が凪いでいる。
代わりに聞こえるのは立ち止まった俺の足元──落ち葉の隙間から這い上がるような、無数の鱗の擦れる音。
「……ッ!」
俺は反射的にその場から飛び下がろうとした。
だが背後の木陰からも、左右の草むらからも、鎌首をもたげた蛇たちが姿を現す。
その数、数十、いや百を超えている。
色とりどりの毒蛇たちが、一斉に威嚇の音を奏で、俺を円状に包囲していた。
「──無駄だよ、若造」
低く、枯れた声。
正面の巨木の根元に、一人の男が座り込んでいる。
ターバンを巻き、古びた笛を腰に下げた壮年の男──ベテラン受験生。合格候補者の一人。
原作ではポンズを死の罠にはめ、自らは事故死したはずの男が、今、俺の前に立ち塞がっている。
「動くな、248番。下手に動けば、命の保証はできんぞ」
俺はもちろん、そいつの顔を知っている。その名前も。声を聞くのは、初めてだ。
「……あんた、バーボンか」
「ほう、名を知っておるか。ならば話は早い。
お前のプレート……248番だ。それを置いていけ」
俺はすぐに答えなかった。
原作では罠を仕掛けた洞窟で死体として発見される男。
だが、今目の前の男から漂う気配は、ただの蛇使いのそれではない。
俺の五感に突き刺さる……微かな、だが鋭い圧力。生命エネルギーの奔流。
目を
「あんた、
「やはり貴様、ただの若造ではないと思っていたが、慎重に狙ったのは正解だったな」
バーボンがゆっくりと顔を上げる。その瞳には老練な操作系
彼が指を微かに動かす。それだけで足元にいた一匹の蛇が、弾丸のような速度で俺の太ももをかすめていった。
速い。生物としての動きを超えている。オーラによって強化され操作された、生きる武器だ。
バーボンの周囲に漂うオーラが細い糸のように伸びて無数の蛇たちに繋がっているのが、今の俺には視えないだけで、手に取るように解る。
イワレンコフさんが
「先程の女から3点の札を奪っているだろう。そちらに用はない。
3点を手に入れたかわりに、3点を手放す。
そう悪い取引ではないと思うがね」
バーボンが立ち上がる。
一歩、彼が近づくたびに、蛇の包囲網が狭まっていく。
逃げ場はない。木に登れば上から降られ、地を走れば足を取られる。
(……
蛇一匹一匹を相手にするのは無謀だ。なら──)
つい数日前、ヒソカと共に見た天空闘技場の動画を思い出す。
蛇を回避するのは困難。なら、狙うは本体。そして本体に仕掛けられた対抗策を突破する。
俺はゆっくりと格闘の構えを取り、身を深く沈めた。バーボンが目を細める。
「やる気かね?」
「……流石に、これで降参するのはちょっとダサいかな、と」
「若いな。では、その
バーボンの号令と共に、毒蛇の津波が俺に襲いかかってくる。
陽炎のように揺らめくほどのオーラの圧の中に、俺は飛び込んでいった。
読んでくださってありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
励みになりますので、よろしければ感想評価お気に入りなど、よろしくお願いします。