地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)   作:あなたへのレクイエムです

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25.ハチ × ト × ハリ

「はじめ!」

 

 

 審判の合図と共に、ポンズが弾かれたように動いた。

 

 

「やぁッ!!」

 

 

 彼女が懐から投げたのは、手製の催涙ガス弾。

 白煙が大広間の一角を包み込み、同時に彼女の帽子から無数の蜂たちが死の羽音を響かせてギタラクルへと殺到する。

 

 

(……上手い)

 

 

 視界を奪い、物量で押し切る。その間にポンズ自身は吹き矢を携え、ギタラクルの隙を狙う。

 ポンズなりに、明確に格上の相手とどう戦うか考えたのだろう。

 ヒソカ戦、そしてバーボン戦の経験が明確に活きていた。

 同時にそれは対念能力者戦における最適解の一つ、念能力者に対し非能力者が取り得る最善の策でもある。

 強化系の念能力者でさえガスや毒物の影響から完全に逃れる事はできないものだ。

 (ネン)の存在を知らず、ギタラクルが念能力者だとも知らない中、ポンズが必死になって辿り着いた場所は、間違いなく正解だった。

 ──相手が毒の通じない、ゾルディック家の暗殺者でさえなければ。

 

 カタカタと不気味な異音が白煙の中から響いた。

 次の瞬間、まるで意思を持っているかのように飛来した数本の針が、空中で蜂たちを正確に射落としていく。

 一寸の狂いもない、神業に近い精密投擲。

 蜂を全滅させた針は、そのまま勢いを殺さずにポンズの影を縫うように床へと突き刺さった。

 

 

「あっ……!?」

 

 

 自分の大切な同胞の無惨な死骸。無為に彼らを殺してしまった事実。

 思わず動揺したポンズの動きが止まった瞬間、ギタラクルが音もなく彼女の背後へ回り込む。

 速い──が、決して目で追えない速度ではない。明らかに、手加減している。

 

 

「くぅっ……!」

 

 

 咄嗟、振り向きざまにポンズが放とうとした吹き矢の筒を、ギタラクルが指先一本で弾く。

 そのまま逃げようとする細い手首を掴み、無感情な瞳が彼女の顔を覗き込んだ。

 まるで口吻でも交わすかのような、至近距離。

 

 

「……っ、離せ! こ、の──」

 

 

 ポンズが、何を言おうとしたのかはわからなかった。

 かわりに彼女の口からは、カヒュッと微かな音が漏れる。

 

 彼女の喉元からは、一本の長く細い針が生えていたからだ。

 

 

「ひ、ッ、ひぃ……っ、か、……は……っ!?」

 

 

 声が出ない。息ができない。

 いや、それだけではない。

 全身の筋肉が奇妙な硬直を起こし、ポンズは崩れ落ちることもできず、ギタラクルに捕まれたまま立ち尽くす形となった。

 

 

「──ひっ、ひぃ、っ、く、あ……ッ!?」

 

 

 呼吸をしようと、動けぬ体で懸命に藻掻くポンズ。

 見る見るうちに彼女のその顔が赤くなり、青ざめ、白くなる。

 けれど窒息による意識の途絶よりも早く、ギタラクルの指先が、ポンズの細い肩へと伸びた。

 その指の間には、さらに三本の針が挟まれている。

 

 

「あ゛ッ…………ああああああああああああああッ!!!」

 

 

 広間に、裂けるような悲鳴が響き渡った。

 ギタラクルが一本ずつ丁寧に、冷酷に、ポンズの神経が集中する痛点へと針を打ち込み始めたのだ。

 そう、()()だ。決して、殺すための攻撃ではない。

 ただ純粋に精神を破壊し、降参という言葉さえも忘れるほどの苦痛を与えるための……

 つまりは、拷問。

 

 

「い゛、だあッ……っ、あああッ! あ、ああああ!!」

 

 

 激痛により迸る電気信号が針の支配を上回り、神経を走る刺激が筋肉を痙攣させ、ポンズの体をタイルの上へと無様に転ばせる。

 ポンズは床にのたうち回り、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、狂ったように声を上げた。

 そこにまた──降り注ぐ針。

 

 

「ぎ、ああぁっ!? あ゛がッ ああぁああッ!?」

 

 

 針を打たれるたびに彼女の身体が魚のように跳ね、指先が床を掻きむしる。

 

 凄惨。その一言に尽きた。

 

 先程のゴンが三時間も嬲られたのに比べれば、まだほんの数分。

 けれどそれは、ここまで数々の修羅場を潜り抜けた受験生たちが、思わず目を背けるほどの数分でもあった。

 俺とハンゾー、キルアあたりは……まあ、見慣れているけれど。

 

 

「……おい、審判! 止めろ! 死ぬぞ!!」

 

 

 たまらずレオリオが怒声と共に飛び出そうとするが、黒服の審判たちは動かない。

『まいった』と言わない限り、あるいはどちらかが死ぬまで、試験は続く。

 

 

「あ、が……は、……ぁ、……っ」

 

 

 ポンズの瞳からは既に光が消えかけていた。

 あまりの激痛に、脳が防衛本能で意識を飛ばそうとしているのだ。

 けれどギタラクルの針がそれを許さない。

 気絶しては、負けを認める事もできないからだ。

 

 

「ひぎ、ぃい、ッ あ゛ぁあああ……ッ!?」

 

 

 痛みによって気を失い、痛みによって覚醒させられる地獄。

 その悲痛な叫びに、レオリオが今度は俺達へと食ってかかってきた。

 

 

「おまえらあの子のダチなんじゃねえのかよ!?」

 

「……ポンズがやるって言ったからな。

 それに、あれじゃあ死なない」

 

「……ああ。ありゃ、痛ぇだけだ。死ぬほどな」

 

 

 隣で見ていたハンゾーの拳が、みしりと音を立てていた。

 俺は今どんな顔をしてるだろう。ネオンに見せられる顔なら良いが。

 

 それでも、俺とハンゾーは動かない。

 あの程度で人が死ぬ事がないのは、理解しているから。

 

 ポンズがまだ、戦っているから。

 

 

「い゛、だあぁあッ……ッ!!」

 

 

 絶叫が、大広間の高い天井に反響しては消えていく。

 それはもはや声の体を成さず、喉を焼く熱い塊となって吐き出されるただの音、あるいは断末魔だ。

 普通の人間なら、最初の一本で心が折れていただろう。

 二本目で意識が混濁し、三本目で「まいった」と縋り付いていたはずだ。

 

 だが。

 

 

「ぁ、……あ、ぅう……ッ う゛ぅー……ッ!!」

 

 

 白濁しそうになる意識の縁で、彼女は床に爪を立てた。

 剥がれた爪から血が滲み、タイルの上に赤い線を描く。

 

 そう。ポンズは、立ち上がろうとしていた。

 

 震える膝。力が入らない指先。全身を貫く、脳を直接炙るような激痛。

 それでも彼女の瞳の奥には、まだ消えていない熾火のような意地が灯っていた。

 

 

「……っ、ひ……ぐ、ぅ……ッ!」

 

 

 意識が混濁し、白目を剥きかけながらも、ポンズの指先がギタラクルの足首を掴んだ。

 ずるりと濡れた床を這うような音を立てて、彼女はホテルの床の上で藻掻く。

 一度、二度と膝が折れ、その度に顎を強打する。

 顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃ。顔を打ち付けた際に口の中を切ったのか、唇からは血。鼻からも血が滴っていた。

 それでも彼女は止まらない。

 

 自分は運が良かっただけの女の子ではないと。

 震える脚に、無理やり力を込める。

 

 

「……ま、……だ……ぁッ」

 

 

 血反吐を吐くように声を絞り出しながら、彼女はギタラクルを真っ直ぐに見据えた。

 その顔は恐怖に歪み、涙で濡れそぼっている。

 それでも言葉だけは、降参の二文字だけは、その喉の奥に固く閉じ込めたまま。

 震える腕を伸ばし、のたうち回る中で取り落とした吹き矢の筒へと指をかける。

 

 ギタラクルは、カタカタと首を九十度近く傾けた。

 感情の読み取れない巨大な瞳が、不気味な光を湛えて彼女を見下ろす。

 そこにはポンズの不屈の意志を尊重するような色など、微塵もなかった。

 

 かわりに彼は、初めて明確な意思を持って口角を釣り上げた。

 それは笑みというにはあまりに無機質で、死後硬直した死体が引きつったような、生理的な嫌悪感を呼び起こす表情。

 (ネン)の気配。

 

 

(……まずい……!)

 

 

 反射的に俺は飛び出そうとした。

 そう、飛び出そうと()()

 

 俺は、飛び出せなかった。

 

 まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()俺は身動きが取れなかったのだ。

 

 そして次の瞬間、不気味な異音と共にギタラクルの手から放たれた五本の針が、ポンズの頭部、そして背骨の要所に深々と突き刺さった。

 

 

「──あ、あ、お゛ッ!?」

 

 

 声にならない衝撃がポンズの全身を突き抜け、びくんびくんとその体が海老反りになって痙攣する。

 口から漏れるのは不明瞭な、意味を為さない音の連続。

 

 

「お゛っ、あ、ア、あぇ、おぅッ え、アッ、あっ」

 

 

 そして彼女の瞳から、完全に自我の光が消失した。

 糸の切れた人形のようにガクガクと四肢が震え──その切れた糸が繋ぎ合わされたように、彼女はビクンと、また跳ねた。

 

 

「オ、オイ……ありゃ、なんだ……!?」

 

 

 レオリオの声が響く中、ポンズはギクシャクとした、吊り上げられる動きで立ち上がる。

 まるで操り人形、そのもの。

 

 ギタラクルが指先を微かに動かす。

 するとポンズの口がまるで壊れた蓄音機のように不自然に開き、震える声を出した。

 そこに彼女の意思は、一欠片も無い。

 

 

「あっ あっ……ま、あっ……あっ、まいい……あっ……あっ、()()()()()()……ぁ……っ」

 

 

 それはポンズが自ら発した言葉ではない。

 ギタラクルの針によって強制的に発声器官を動かされ、言わされた、()だった。

 

 

「ご……合格、ギタラクル!」

 

 

 審判の冷徹な声が響く。

 合図と共に、ギタラクルは玩具を捨てるように彼女の額を軽く、とんと指先で突く。

 ()()を解かれた彼女の身体は一気に力を失ったまま崩れ落ちた。

 

 そしてやっと俺は、体の自由を取り戻す。

 

 

「ポンズ!!」

 

「針で人を操る忍法、鵜飼の術の類だ! 死んじゃいねえ……! すぐに針を──……」

 

「迂闊にさわるな! 何処まで刺さってっかわかんねえんだぞ!

 この子の脳みそをぶっ壊したくねえなら下手に抜こうとするな!!」

 

 

 俺に続いて即座にハンゾーが飛び出し、後を追うようにレオリオが駆け寄る。

 

 ポンズの顔は涙と鼻水で汚れ、打ち込まれた針の跡からは、毒々しいほどに鮮やかな血が玉となって溢れていた。

 脊髄に刺さった針のせいか、本人の意思に関わらず不随意運動が体を痙攣させ「あっ あっ」と壊れた音が口から漏れる。

 ポンズの指は、まだ何かを掴もうとするように虚空を彷徨っていた。

 意識はない。だが彼女はまだ、戦い続けているようだった。

 

 俺は、立ち去ろうとするギタラクルの背中を一度だけ睨んだ。

 彼は一度も振り返ることなく、首をカタカタと鳴らしながら、ただ不気味に笑い続けている。

 なぜポンズをこんな風に……まるで子供が虫の手足を一本ずつもぐように、嬲ったのか。

 理由はおそらく、本当に単純だ。

 

 

(……()()()()()()()()()()()()()()()()。……ってトコだろうな)

 

 

 だが、これ以上ポンズに手を出さないなら、今の俺にはどうでも良いことだ。

 

 俺はそれっきりギタラクルを無視して、血に汚れたポンズの帽子を拾い上げる。

 生き残った蜂がぶぅんと羽音を立てて飛び上がった。

 

 大丈夫、ポンズは助かる──助けるつもりだ。

 

 俺は膝をつき、壊れた人形のように震え続けるポンズの頭を、そっと抱き上げる。

 瞳はまるで人形にはめ込まれたガラス玉のように無機質で、意思の光はどこにもない。

 指先に触れる彼女の肌は氷のように冷たく、それでいて打ち込まれた針の周囲だけが、逃げ場のない熱を持って脈打っているようだった。

 

 

「アンドー! 下手に触るんじゃねえって言ったろ!

 おい、審判ども! さっさと医療スタッフでも何でも呼んでこい!」

 

 

 レオリオが血相を変えて俺の手を掴もうとしたが、それを遮るように、背後から低く滑らかな声が響いた。

 

 

「……大丈夫♠ 彼は()()じゃないからね、キミたちよりはよっぽどマシさ♣」

 

 

 いつの間にか背後に立っていたヒソカが、トランプを弄びながら、面白そうに目を細めて俺達を見下ろしている。

 ハンゾーが警戒を露わにするがヒソカは構わず、俺の視線が固定されている一本の針──延髄に深く突き刺さった、最も危険な一本を指し示した。

 

 

「壊したくないなら、その一本は最後にするんだね♥

 アンドー、きみ、"()()"は?」

 

「いや、受けてない。でも知識としては理解してる」

 

「そう♣ じゃあ慎重に、()()に沿って抜いてあげるんだよ◆

 下手に抜けば中身が一気に全部出て、空っぽになっちゃうからさ♠

 抑える方は、ボクがやってあげるよ♥」

 

「悪い、頼む」

 

「良いさ♣ この子の成長も楽しみだし……キミとボクの仲じゃあないか♥」

 

「……アンドー、できんのか?」

 

「やる……!」

 

「お前ら、何を……ああ、くそッ! 審判どもはぼさっとしてんじゃねえ!」

 

 

 ハンゾーが真剣な面持ちで頷くのに俺は頷き、針に手を伸ばす。

 目を白黒させたレオリオが協会の黒服たちに医療班を呼べと怒鳴る中、俺は意識を集中させる。

 

 俺はまず左肩の痛点に刺さった針に指をかけた。

 (ネン)は使わない──使えない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ギタラクル──イルミの針は、単なる拷問の道具ではない。

 間違いなく、彼の(ハツ)だ。恐らく、というより間違いなく操作系。

 それを受けた今のポンズは、"洗礼"を受けたのに等しい状態にあると見て良い。

 強力なオーラを叩きつけられ、全身の精孔(ショウコウ)を強引に開けられたのだ。

 無理やり蛇口を全開にされたポンズは、オーラが尽きかける寸前にある。

 

 もちろんギタラクルは、試験に合格する事が目的だ。ポンズは死にはすまい。

 ……が、廃人になるという事は、別に死ぬ事を意味してはいない。

 壊れても死ななきゃ良いや、くらいの感覚だろう。

 

 あの場で俺はポンズを止めなかったし、ギタラクルを止められなかった。

 かわりに事が終わった後、ポンズをこうして助けようとしている。

 

 身勝手極まりないと、言う奴はいるだろうか?

 

 だけど、それでもポンズの奮闘を邪魔したくはなかった。

 かといって、ポンズを死なせたいわけでもなかった。

 あの見えざる()を跳ね除ける力もなかった。

 

 狙われたのがもしネオンだったら? 考えたくもない。

 

 だからこれが、俺の精一杯だ。

 ネオンが止められると言ってくれたなら、できる限りやるしかない。

 

 

「抜くぞ……っ」

 

 

 一本。

 

 神経を擦るような嫌な感触と共に針を引き抜くと、そこからブシュッと血が噴き出した。

 恐らくは今まで体内に押し留められ、凝縮された彼女のオーラも噴出したに違いない。

 けれどすかさずヒソカがそこに手を当てると、ぴたりとポンズの血が止まる。

 オーラごと抑え込んでくれているのだろう。今の俺にはできない事で、感謝しかない。

 

 

「ひ、ぎ、っ……あ、ぁ……っ!」

 

 

 ポンズの身体が大きく跳ねる。

 だが俺は止まらない。二本、三本。

 針を抜くたびに、噴き出す血の勢いは、そして痙攣は増していく。

 ポンズの手足が、ピン留めされた虫のようにばたばたと床の上で踊った。

 

 

「……チッ こっち押さえりゃあ良いのか!?」

 

「助かる……!」

 

 

 見かねたハンゾーが、ポンズの手足を掴んで押さえてくれた。

 ポンズの命を預かるような力強さが、彼女の体をびくともさせず拘束する。

 下手に暴れられて手元が狂ったらどうなるかわからない。本当に、助かる。

 

 俺はそのまま、重要度の低い末梢から順に、彼女の神経系にかかった過負荷を解いていく。

 リンセンさんに叩き込まれた東洋思想、精孔(ショウコウ)の位置と気の流れ。

 

 

『勉強が嫌だってわけじゃあないんです。

 ただ俺、もう(テン)はできますよ?』

 

『できるから、知らなくて良いという事はありません。

 確かに、指を見ていては月を見ることは無いでしょう。

 ですが指で示さねば、そこに月がある事には気づけません。

 小さき龍が説いたのは思考に囚われるなという意味で、無知であれという事ではない。

 どんなことでも覚えておいて損は無いですよ』

 

 

 幼い俺に、そう言ってリンセンさんはあれこれ座学を叩き込んでくれたものだ。

 どんなことでも覚えておいて損は無い。本当にその通りだ。

 色々な人から教わった事を思い出しながら、一手のミスも許されない作業を続けていく。

 

 

「……最後だ」

 

 

 俺はポンズの意識を貫き、その魂を削り続けている最後の一本──延髄の針を、二本の指でしっかりと挟んだ。

 ここで失敗すれば、彼女は一生、他者の意志に従うだけの抜け殻になるに違いない。

 

 あるいは──その方が良いのかもしれない。

 キメラアントにぐちゃぐちゃにされるよりマシじゃないか?

 

 心の奥底にちらりと掠めたその思考を、俺は馬鹿馬鹿しいと否定する。

 その程度の()()のために、俺はネオン=ノストラードの傍にいるわけじゃあない。

 ポンズに対してだって同じだ。少なくとも今、彼女の傍にいる以上は。

 

 

「ポンズ……運が良いだけじゃないんだろ。……踏ん張れよ」

 

 

 耳元で俺は静かに、けれど届くように囁いた。

 彼女の指がピクンと反応し、俺のシャツの袖をぎゅっと掴んだ。

 

 俺は、一気に針を引き抜いた。

 

 

「……ぁ、…………あ、う……あ、あッ……!?」

 

 

 針が抜けた瞬間、ポンズの口からこれまでとは違う、魂の奥底から絞り出したような吐息が漏れた。

 ガラス玉のようだった瞳に、ゆっくりと、けれど確かな意志の光が戻ってくる。

 

 

「……ァ、アンド……ゥ、くん……わ、た、わたし、ま、負け──……?」

 

「大丈夫だ、次の試合がある。それまで、ちょっと休んでおいた方が良い」

 

 

 俺の言葉に、ポンズは顔をくしゃくしゃにして今にも泣き出しそうな顔で、こくんと頷いた。

 彼女は俺のシャツを掴んでいた指の力をふっと抜くと、そのまま深い眠りに落ちるように、俺の腕の中で静かになった。

 

 俺は、先ほど拾い上げた黄色い帽子を彼女の胸元にそっと置いた。

 意識を失ったようなポンズだったが、帽子の感触を確かめるように、震える手でそれを抱きしめる。

 まだその場に留まっていた数匹の蜂が、主の無事を祝うように帽子の周りを力なく旋回する。

 

 幸いだったのは、ポンズが薬で代謝を落としていた事だろう。

 針による影響、出血、生命エネルギーたるオーラの流出が、最低限に押し留められた。

 ギタラクルは……イルミは間違いなく、ポンズを壊すつもりだった。

 もし仮に運よくそこから意識を取り戻して助かったとしても、天空闘技場で"洗礼"を受けた者のように、不具になっていたかもしれない。

 

 けれど、そうはならなかった。

 

 ポンズが常日頃から蜂を操るために準備して、工夫し、考え、必死になって積み重ねてきた諸々の結果だ。

 ヒソカが今此処で手を貸してくれたのも、ポンズがヌメーレ湿原で見せた奮闘あってこそ。

 断じてただ、運が良かったからだけではない。俺がいたからというだけでもない。

 ポンズ自身が必死に生き延びようとしていなければ、できなかった事だ。

 

 

(それに──……)

 

 

 俺がちらりと目を向けると、ネテロ会長が満足げに髭を撫で、次の試合の宣告を待っていた。

 会長は俺の視線に気づいているはずなのに、こちらを見ようともしない。

 他の試験官たちだって(ネン)の事は知っているだろうに、誰も助けようともしなかった。

 おそらく、ネテロ会長の指示だろう。

 そして俺が何をするのか、楽しんで見ていたに違いない。

 先程俺を()()()のも、恐らくは……。

 

 

(……食えない爺さんだ)

 

 

 ポンズは、これで(ネン)に目覚めた。

 ならばある意味、もはや実質的に()()と言っても良い。

 だからネテロ会長は誰にも手出しをさせなかった──面白がっていただけかもしれないが。

 

 この最終試験はネテロ会長によって、かなり意図的に操作されている。

 ハンゾーとゴンの試合では、ゴンを助けに入ったらゴンが失格になるとレオリオに伝えておきながら、レオリオとボドロの試合では、ボドロを殺したキルアを失格にするという裁定を下す。

 誰かを殺害した事に対するペナルティの方が、乱入によるそれを上回る……というのは当たり前かもしれないが、このルールを運用しているのがネテロ会長な時点で、だいぶ恣意的なものを感じる。

 

 そうした会長の意図の下、犠牲になった……あるいは成果をあげたのが、今回はポンズだったというだけだ。

 

 そう、原作でもネテロ会長はギタラクルを止めなかった。

 そして、キルアの事も止めなかった。

 止められたはずだったのに。

 

 そのキルアは、この一連の光景をつまらなさそうに眺めていた。

 だが、その顔は引きつっている。

 ……理由は間違いなく、ギタラクルだ。

 原作でのキルアは、面と向かって正体を明かされるまでギタラクルが実の兄であることには気づかなかった。

 だがあの針の扱いを目の前で見せられれば、兄の印象が重なるのは間違いない。

 確信には至らずとも、兄と似たような気配に恐怖を覚えているはずだ。

 それでも気付けないのは……おそらく、()のせい。

 どんなに不自然に見えても、キルアはギタラクルの正体には思い至らず、次の試合にも平然と参加する。

 自分が何に怯えているのかもわからないまま。

 

 一方のポンズは(ネン)の事も、裏試験の事も知らない。

 知っていたとしても次の試合──キルアとの戦いで勝たなきゃ、自分が合格したなんて納得しないだろう。

 

 ポンズの試験は続く。

 キルアに勝てるかどうかとは、関係なく。

 

 なら……。

 

 

「……あとは次の試合までに、どれくらい回復できるか……だな」

 

「まだやらせる気かよ!?」

 

 

 レオリオが、俺に言い募った。

 良い奴だなと思う。ほとんど交流のない相手の為に、彼は怒れる男なんだ。

 

 俺は「ああ」と短く頷いた。

 

 

「今見た通りだよ。ポンズはそう簡単には諦めるような子じゃない。

 ドクターストップがかからない限り、俺たちが辞めさせる権利はないよ。

 ……実際、どうなんだ?」

 

「……脈は落ち着いてる。

 気絶、というより眠ってるな。あとは検査してみねえとわかんねえよ」

 

 

 呆れながらもレオリオがしゃがみこんでポンズの手首に触れ、安堵のあまり大きく息を吐く。

 それを聞いたハンゾーは、額の汗を拭いながら声を上げた。

 

 

 

「じゃ、あとは医療班に任せるだけだ。おい、頼むぜ!」

 

 

 ハンゾーの言葉に従ったわけじゃないだろうが、やっと医療班が担架を持って駆け寄り、ポンズを運び出していく。

 その背中を見送りながら俺は手についた血を拭おうとし、ハンカチをまだポンズに貸したままだった事を思い出して、そのまま立ち上がった。

 

 

「レオリオ、ハンゾー……それと、ヒソカも。恩に着る。助かった」

 

「別に何もしてねえよ。俺ァ医者志望でな、見てらんなかっただけだ」

 

「気にすんな、ダチだろ」

 

「そうだね♣ ボクも友達のためだったから♥」

 

 

 ヒソカの言葉にレオリオとハンゾーが「えっ」と声を上げ、ヒソカが「えっ◆」と呟く。

 俺は思わず笑った。笑ってしまった。笑いながら、ヒソカに提案する。

 

 

「後でホームコード交換しようぜ」

 

「いいね♥」

 

 

 レオリオは俺とヒソカを胡散臭そうに見やった後、呆れたようにため息をつく。

 

 

「……お前、こんなのと友達なのかよ。友達は選んだ方が良くねえか?」

 

「選んでるんだよ、こう見えても」

 

「……なら、オレが口挟むことじゃねえな。ま、なんだ、頑張れよ」

 

 

 レオリオはそう言って、俺の肩を強く叩いた。

 スーツ越しでも伝わる、硬く、熱い掌の感触。

 やっぱりレオリオは良い奴なんだな、と思う。

 

 

「アンドー。……()()()やれよ」

 

 

 ハンゾーは一度だけ担架が消えた廊下の奥を見つめ、それから無骨な拳を俺の肩にドンと叩きつけた。

 激励、というよりは、信頼の証。

 ハンゾーの声は明るく、既にもう彼が意識を切り替えている事がわかった。

 一つの問題が解決した。乗り越えた壁を振り返る必要はなく、次の壁に挑むだけ。

 彼自身の性格、もしくは忍者のあり方。

 俺は素直に、それを見習おうと思った。

 

 

「やれるだけは。()()()は任せた」

 

「おう」

 

 

 二人の背中が遠ざかり、大広間の中央には、俺とヒソカの二人だけが残された。

 試験官や他の受験生たちの視線が、熱を帯びて俺たちに集まる。

 

 先程までの凄惨な拷問劇の余韻を切り裂くように、ヒソカがゆっくりと一歩、前へ踏み出した。

 俺はゆっくりと足を開いてスタンスを取りながら、それを迎え入れた。

 

 

「悪いね、待たせた」

 

「構わないよ♣

 キミとこうして一対一でやるの、すごく楽しみにしていたんだ♠

 少しくらい、待つのが伸びても気にならない◆」

 

「先に言っておくと、期待に沿えるかはわからないぞ。

 ……今は使()()()()し、こっちもちょっと()()があるから」

 

「それはそれさ♥」

 

 

 ヒソカが艶然と微笑む。

 その瞳は狂喜に濁り、放たれる殺気は物理的な重圧となって、周囲の受験生たちを数歩後退させた。

 

 対する俺は、低く身構える。

 重心を低く保ち、ヒソカの指先──彼の弄ぶトランプの軌道に意識を集中させた。

 

 本来の順番ならポックルとハンゾーの試合が優先されるのだろうが、もう俺達が臨戦態勢に入ってしまった事に周囲も気づいたのだろう。

 ネテロ会長が「かまわんかまわん」と手を振って、それに審判役の黒服が頷く。

 

 

「第五試合、ヒソカ対ルモア!」

 

 

 審判の鋭い号令が、静まり返った大広間に響き渡る。

 

 

「はじめ!!」

 

 

 その瞬間、ヒソカの姿がブレた。

 空気を切り裂く、死を纏ったトランプの旋風。

 

 

 ──悪いけど、付き合ってもらうぞ。

 

 

 俺は一歩も引かず、その嵐の中へと踏み込んでいった。

 

 




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