地雷系彼女(マイ・フェア・レディ) 作:あなたへのレクイエムです
実際のところ、ハンター試験終了からこの夏までの半年、俺はめちゃくちゃ忙しかった。
めちゃくちゃを超えためちゃくちゃである。
なにせノストラードファミリー唯一にして最初の──生え抜きの中でとか、正式にはとかって意味だけど、正直そういう扱いは恥ずかしいしリンセンさんやシャッチモーノさんに対して申し訳ない──プロハンターとなったのだ。
ポリオ警備保障に限らずファミリー全体として、公式非公式問わずあっちこっちとドンに連れられて出席するはめになった。
とはいえ必要な事だから文句はない。言える立場にもないけど、言う気自体がないんだから問題はない。
問題があるとすれば、その都度都度、俺と一緒に出席する──いや主体はネオンだから俺が一緒に出席すると言うべきなのか。ともかくネオンだった。
まず彼女は俺がスーツをボロボロにして試験から帰ってきた後、大急ぎテイラーを呼びつけた。
「もうっ 仕方ないなあ、ルモアは!」とやたら上機嫌に俺のスーツを仕立てた後、満足そうな顔をして「むふーっ」と腕を組んで頷くのは何なのだろう。
「……あれっ? ルモア。ハンカチはどうしたの?」
「ああ、汚れを落とすのに人に貸したんだ。
洗濯したら返してくれるって約束したけど、しばらく忙しいだろうからなぁ」
俺が「当分返って来ないと思うよ」と告げると「ふぅん」とネオンは気のない返事をした後「じゃあ新しいの用意しなくっちゃ!」と張り切ってハンカチを選びにかかっていた。
この辺り、俺もずっとネオンの傍で過ごしていたからモノの良し悪しというか、センス自体は磨かれている。つもりではいる。
ただもうネオンに選んでもらった方が彼女の機嫌も良いし、そもそもコレクションである俺に選択権はないのだ。
そんなわけでされるがまま、俺はネオンに仕立てられたスーツを着ている。相変わらず。
* * *
ああ、そうそう、
ネオンは俺が差し出したガーゼに包まれた銀の髪を、宝石でも鑑定するかのようにランプの光に透かして見ていた。
ゾルディック家の人間は、その顔写真だけでも一億ジェニー近い懸賞金がかかっているという。
ましてやその髪の毛ともなれば、正直値段なんかつけられないほどの貴重品だろう。
実際問題、
なのでキルアにはハンゾーを経由してホームコードを教えてもらい、事後承諾になるが許可を貰っておく事にした。
二人して反応が「え、キモッ」だった事は……まあ、ネオンの趣味だしな。否定はしない。
ハンゾーは善意で転職を勧めてくれたが、これについては固辞させてもらった。
聞けばキルアは結局、ゴン達と相談し、一度実家に帰って家族とちゃんと話す事にしたらしい。
当初は本人断固反対だったのだが、ハンゾー曰く何でもボドロさんが「親を納得させられないのは親から逃げているのと同じだぞ少年」と言ったのがえらく効いたとか、ゴンが「オレもミトさんに許可貰ってから受験したよ!」と乗っかったのに対抗したとか、ポンズのジトッとした「ふぅん、また逃げるんだ?」という無言の目線の圧に耐えられなかったとか。
何にせよその帰宅時に髪の事も報告して、親にも文句は言わせないとさえキルアは言ってくれた。
最終試験でのあれこれに対する詫びのつもりなんだろうとは、思う。
わかりづらくて素直じゃあないが、それでも根が素直な優しい少年なのは、よくわかる。
まあゾルディック家ご訪問が原作より穏当な形になりそうなのは、きっと良い事だろう。
とはいえネオンにとって、この銀髪は高価なものでも、貴重品でも、ましてや攻撃手段でもない。
彼女にとって人の臓器や部品は、ただただひたすらに「きれいなもの」でしかないのだ。
ネオンは慎重にピンセットでつまんでいた髪の毛をひとしきり観察すると、「ふふっ」と嬉しそうに笑った。
「きれいな銀色だけど……ちょっとパサついてるかな?
男の子だから仕方ないか。でも、合格の記念品としては悪くないね!」
「かわいいお土産って言われたけど、思い浮かばなくってな。
やっぱり、ぬいぐるみとかの方が良かったか?」
「ううん、いーのいーの。だってこれ、ルモアが頑張って持ってきてくれたんでしょ?
ルモアが私のために選んで決めてくれたなら、それだけで十分だよ。
ありがと、ルモア!
大事に……あ、でもやっぱり、あんまり見えにくい場所にしまっちゃうのは勿体ないよね。
……えへへ、ホントにお土産もらえるなんて、試験に行かせてあげて正解だったかも」
そんな風にゾルディック家御曹司の銀髪は、彼女のささやかな日常の彩りとして、あまりにもあっさりと、けれど大切に受け入れられた。
「劣化したら嫌だから」という理由でノストラード家お抱えの職人によって特殊な防腐処理と額装が施され、今はネオンのコレクション棚の片隅に、ひっそりと、けれど確かな居場所を得ている。
モノがモノだけにあんまり自慢しないようにとは伝えておいたから、これで大丈夫だろう。
元々、ネオンはコレクションを人に自慢するタイプでもないしね。
* * *
ともかく、俺はネオンに仕立てられたスーツを着て、ドンとネオン、レディに付き従う形でいろいろな場所に赴く事になった。
原作では占い以外ネオンは一切この手の事に関わらせていなかったはずだけれど、これもささやかな変化なのだろうか。
例えば十老頭──この世界のマフィアたちのトップとも言える、マフィアンコミュニティーの十人の長たちとの面会もその一つだ。
ノストラードファミリーも十老頭はリッツファミリーに属している。
ただし、直系ではない……というあたりがやっかみの原因なのだろう。
片田舎の下っ端が、娘の占いをきっかけにお偉いさんに気に入られ、めきめきと成り上がりつつある。
原作と違ってドンは占いだけに頼ってはいないけれど、それでも気に入らない輩は多いのは間違いない。
まあ、気持ちだけなら理解はできるが。
リッツファミリーのドンに引き合わされる際、俺も
ドン=リッツ邸宅の豪奢な廊下を歩いている時にすれ違った、でっぷりと肥えた紳士が
「いやあ、ノストラード。ずいぶんと最近は景気が良いそうじゃあないか」
「ああ、ドン=ガッパイ。おかげさまで。時代の風がこちらに吹いているようでしてね」
ウチのドン……ライト=ノストラードは落ち着いた、それでいて自負を滲ませた声で応じた。
かつての彼なら、これほどの大物を前にも虚勢を張って、むしろ挑発するような態度を取っていたはずだ。
だが今のドンには十老頭直系とも渡り合えるだけの実績と、それに裏付けられた自信がある。
娘の占いだけじゃあない。要人警護の警備業、賭博業、合法的ビジネスでファミリーはおおいに繁栄している。
それが、彼には気に入らないのだろう。
ドン=ガッパイ。
マフィアンコミュニティーの中でも臓器密売を主戦場とする有力組織の長。
脂ぎった顔に、はち切れそうなほど膨れたスーツ。
不釣り合いなほど高価な指輪をいくつも嵌めた手。
部下を侍らせ、身なりを整え、愛想の良さを装ってはいても、滲み出る品の無さというものはある。
「時代の風、か……。結構なことだ。だが、風というのは気まぐれなものでね。
あまり高く飛びすぎると羽を焼かれるとは、昔話にもあるだろう?
景気が良いのは結構なことだが、身の丈に合わぬ成長は、往々にして足元を掬われる原因になる。気をつけたまえよ。
……ああ、お嬢さんがたも、相変わらずお美しい」
ガッパイの湿り気を帯びた視線が、ネオンとレディ、二人の全身を舐めるように動く。
品定めをするような、あるいは
「お嬢さんたち姉妹の瑞々しい若さというのは、それだけで最高の宝だ。
惜しいですなぁ。
お二人のようなご令嬢が、お父上の道具として屋敷に囲われたまま若さを浪費しているとは」
「……私、道具じゃないわよ。パパに頼まれてるけど、好きなことをしてるだけだもの」
ネオンは不快そうに小さく鼻を鳴らしたが、俺がさりげなく二人を庇うように前に出ると、そっと俺のスーツの袖を掴んでくる。
ちらりと横目で伺うと、レディですらどこか嫌悪感を滲ませた様子で眉をひそめている。
だがガッパイはそれを気にするどころか気づいた風もなく、今度は俺の方へと視線を向けた。
「ほう。それが噂の……プロハンター様、かな?
最近はハンター試験も随分と門戸が広がったらしいね。実に若くて、お上品な顔立ちだ。
ノストラード、君は趣味がいい。
……護衛というよりは、お嬢さんがたの
まあ、確かにその方が実用的かもしれないがね。一人で二人を相手にするのは大変だろうが……。
いや、若いというのは羨ましいものだ!」
「……」
俺は表情を動かさず、ただ静かにネオンとレディをガッパイの視線から遮る事に専念する。
下卑た物言いだけれど、ここで言い返すのは二流、手を出すのは三流だろう。
まあ殴りかかられたらクラピカのような対処をすべき……いやナイフ突きつけるのは大概だな。俺もやられたし。クルタ族って怖い。
ともかく、俺の役割はネオンの護衛だ。そこを履き違えてはいけない。
そしてこの手の男が吐く言葉は、単なる焦りの裏返しでしかない。
「いやいや、ドン=ガッパイ。
彼は我がノストラードファミリーが誇る、正真正銘のプロハンターだ。
……ああ、そう言えばスナカ国での臓器売買ルートが先日、壊滅させられたとか?
災難でしたな。優秀な護衛がいれば、防げたのかもしれません。
どうです、うちから警備員を派遣しましょうか?」
ドンが平然と、急所を突くような嫌味を返す。
ガッパイの頬が引きつりかけた。だが、彼はすぐにそれを笑い声で誤魔化した。
「ははは、大したことではないとも。
うちには頼れる、してん……
きみも精々、そのプロハンターとやらを大事にする事だ。
……壊れやすいものは、扱いが難しいからね」
ガッパイはそれだけ言い残すと、取り巻きを連れて悠然と背を向けた。
廊下に響く彼の靴音、そして微かに漂う葉巻の匂い。
嫌な男だ……というのが率直な感想だったけれど、表には出さずに済んだようだ。
ドン=ガッパイが完全に去った後、ネオンが不機嫌そうに俺の袖を引いた。
「ねえ、ルモア。やっぱり私、あの人、きらいだなぁ……。
なんかベタベタしてて、レディの事も嫌らしい目で見てたしさぁ」
「まあ、気持ちはわかるけど。
……ネオンも知り合いだったっけか?」
「んー、直接お話したのはこれが初めてだよ。
ほら、覚えてない? 眼球コレクターのローゴっておじさん。
やったら自慢話の長かった人……」
「ああ……」
言われて、幾つかの記憶と情報が結びつく。
たしかサナカ国を拠点にしている眼球コレクターと、何かのパーティでネオンとレディが顔を合わせた事がある。
その男……ローゴの上司が、確かにドン=ガッパイだった。
とすると、壊滅させられたとかいうルートはローゴの担当していた部分だろう。
「あの人、『私は緋の眼を持ってる』とか言ってマウント取ってきたの。
絶対アレ嘘だよ、嘘。私だって手に入らなかったんだもん。たぶん知ってて自慢してきたんだ。
ホントに持ってるなら写真くらい見せてくれそうなのに、口だけでさぁ。
……ねー、パパ、あんな人とも仲良くしなきゃいけないの?」
「仕事だよ、ネオン。
……だが、安心しなさい。パパは彼と仲良くするわけじゃあない。
喧嘩をしない事と仲良くする事は、まったく違うからね」
ドンは父親として娘の頭を軽く撫でると、冷徹なマフィアの長としての瞳を俺に向けた。
「ルモア。ガッパイは……言うなれば十老頭の
十老頭の十一番目などと言って次期十老頭候補を気取っているが、見ての通りだからな。
仮に十老頭に欠けが出たとしても奴が選ばれるわけもないが、俺の躍進が自分の足元を危うくしていると感じているんだろう。
ダルツォルネなら、敵を勝手に想像するなと言うだろうが……。
……ルモア、お前は覚えておいた方が良いな。こういう場に出る事も増える」
俺は、無言で頷いた。
* * *
ドン=ガッパイをやり過ごし、さらに十老頭の一人ドン=リッツとの緊張感ある対面と挨拶を終えても、まだ俺の仕事は終わりではない。
次に案内されたのはリッツ邸の応接室。
ドンは俺に入室を促すと、自身はネオンとレディを連れて別室へと向かった。
ここからは
分厚い防音扉の向こうで待っていたのは、ガッパイのような俗物とは正反対の存在だった。
窓を厚いカーテンで閉め切り、照明も極限まで落とされた薄暗い部屋。
そのソファに、まるで影が形を成したかのように
室内だというのに異様に丈の長いコートに身を包み、鍔広の帽子を深く被っている。
その帽子の鍔下から覗くのは、どこか爬虫類を思わせる鋭くも静かな瞳。
肌は赤黒い土気色で、顔立ちは失礼ながら人間というよりは土塊を捏ねて作ったような、歪な輪郭。
鼻なんか、ほとんど潰れている。
だが、俺は彼を見た瞬間、背筋に戦慄が走るのを感じた。
(……すごいな。めちゃくちゃ練り上げられてる……!)
猛々しく周囲を威嚇するようなものではない。静かで、しかし重たい。
まさに抜き放たれる瞬間を待っている、鞘に納まった名刀を連想させるオーラの圧。
俺は彼を知っている。彼の強さも。その名前も。
「……なるほど。少しは
掠れた、けれど耳の奥に直接響くような奇妙な声。
マフィアンコミュニティーが誇る、最高の武闘派実行部隊の一人──……。
「俺は
……ドン=リッツより、ノストラードのハンターを見てやれと言われてな」
「……光栄です。アンドー=ルモアと言います」
俺がソファの向かいに立ち深々と頭を下げて挨拶すると、帽子の下の瞳が怪訝そうに細められた。
原作での彼はウボォーギンのパンチをまともに喰らい、地中に引きずり込んだものの返り討ちにあった男だ。
だが、考えて見て欲しい。
ウボォーギンの
一撃を食らわせ、顔面にパンチを受けても一切躊躇無くウボォーギンを地中に引きずり込み、さらに『
そこから下半身を失いながらも生き延び、仲間に連絡を取って情報を伝達した。
それほどの男なのだ。
実際に彼を目の当たりにした俺の印象は、
原作の知識を抜きにしても、彼から溢れ出すオーラの質は、これまで見てきた有象無象の念能力者とは一線を画している。
陰獣で先鋒を任されるのは伊達ではないという事か。
「ほう。陰獣の名を知っている奴は多いが、俺個人を見て『光栄だ』などと抜かす若造は初めてだな。皮肉か?」
「いえ、本心です。
まさか、陰獣とお会いできるとは思っていませんでしたが……。
一目見れば、わかりますよ」
「口の減らねえガキだ……。
だがガッパイの飼い犬どもよりは、マシだな。
よし、なら良く
蚯蚓はゆっくりと右手を上げると、そのまま音もなく指先を床の絨毯に沈み込ませた。
まるで水面に指を浸すように、絨毯が、その下の硬い石材が、彼を受け入れている。
俺は思わず目を見張った。
(……触れた物質に影響を及ぼす、操作系か?
いや、自分の上司の屋敷で、
原作を踏まえたって、それだけの戦闘力がある事を考えると強化系は外せない。
それにほとんど
恐らくは操作、強化、変化の三系統、その高度な複合に
俺は驚きながらも蚯蚓のオーラの流れを一切見逃すまいと、
無駄がない。地中に潜むという行為に対して、一切の滞りが生じないこの練度。
オーラの
それだけではない。あのセンリツですら心音以外では存在を感知できない静音性。
陸上の暗殺者として、ハッキリ言って俺はこの人を相手にするよりイルミから警護する方がマシだと思う。
惜しむらくはあの戦いが、ただただひたすらに強化系を極めたウボォーギンとの正面戦闘だった事だろうが……。
逆に言えばウボォーギン以外なら、この男にどうやって勝てば良いというのか。
(俺だったら、どうする……?)
掴まれたのが右手でも左手でも、『
だが、果たして土の防壁を貫いたうえで、この蚯蚓の防御を撃ち抜けるだろうか。
もし左手を掴まれたなら直接射撃もできるが、蚯蚓がそれを対策していないとは思えない。
なるほど、確かにウボォーギンの対処方法、地面ごと吹き飛ばしてしまうというのは正解だ。それが出来れば苦労はしないが。
そうしてまごついている間に地中へ引きずり込まれてしまえば、勝ち目は限りなく薄くなる──……。
やるなら掴まれる前。接近させない事を念頭に戦う。進路を予測して射撃だ。潜水艦ゲームのように。
「……合格だ。若造」
蚯蚓がゆっくりと手を引き抜く。当然のように、床には傷一つついていない。
「イキッて虚勢を張る奴は多いけどな。お前、俺を見て
「……すみません、
「いや、構わねえ。むしろ習慣にしておけ。実戦経験は?」
「お恥ずかしながら……念能力者とは、多少」
「
蚯蚓は引きつったような音を喉の奥から漏らした。
それが彼の笑い声なのだと理解したのは、少し話した後だった。
それから数十分、俺は陰獣の一人から、様々な念能力者との戦いについて、実戦に基づいた知見を授かった。
どうやら俺は僅かでも、この世界でもトップクラスの実力者から「時間を割く価値がある」と認めてもらったようだ。
「……ノストラードの。九月の
「ええ。ネオンの……お嬢様の護衛で」
「ならそれまで、しっかり
光栄だ、と素直に思う。
俺は「ありがとうございます」と頭を下げた。
蚯蚓は、よせよせと手を振っていた。慣れていないのかもしれなかった。
* * *
でまあ、こんな感じの半年間、俺のスケジュールは文字通り分刻みとなった。
ある時はノストラードファミリーの利益を拡大するための警備業に従事。
ある時はネオンとレディの護衛として社交界に出席。
ある時はドンの指示の下、十老頭の覚えをめでたくするための仕事に走る。
その合間を縫って『
ハンター試験を通して知り合った友人たちに連絡を取る。
さらには訓練。護衛団の皆もそうだし、陰獣の他の人とも顔を合わせる機会があった。
これまでの一生分より大勢の人と会って話した半年じゃあないだろうか。
あまりの忙しさに天空闘技場の動静も、風の噂で聞く程度にとどまっていた。
だけどその試合は結局、映像で見る時間すら作れなかった。
……いや、
(……見たくない、な)
手元の端末で
原作通りなら、カストロさんは此処で敗死する。
それを見届けてしまったら、俺の中で張り詰めている何かが、プツリと切れてしまうような気がした。
誰かが俺の
だから俺は画面を消し、深く息を吐いた。
天空闘技場のサイトは、それっきりアクセスもしていない。
そんな多忙な毎日の中でネオンと離れる事もあったのだが、どうしてか彼女が癇癪を起こす事はなかった。
レディを連れて何処かに出かけるし、他の護衛の皆もついているから安全も確保されているし、いやまあ俺としては心配な事もあったけれど、ハンター試験ほど長期間にならずとも俺が傍にいられない時もあるだろうから。
護衛団の皆が試験期間中の事を考えて戦々恐々としていたから、少しはお互いに慣れておかないと。
それに『
……と思っていたのだが。
* * *
「……ねえ、ルモア。今年のバカンス、北の避暑地に行く予定だったじゃない?」
ある日の事だ。
ノストラード邸のテラスで、冷えたジュースを飲みながらネオンが切り出した。
傍らではレディが、同じ角度でグラスを傾けている。
「ああ、パドキア共和国だよな。ドンもそのつもりで手配してたはずだ。
涼しいし、あっちのファミリーとの会合も兼ねてたから」
「やめにしたわ。で、かわりに行き先を変えたの。パパには私から言っておいたから」
「は……?」
俺は思わず、呆然とネオンを見返した。
彼女のエメラルド色の瞳がきらきらと煌めく。
その隣のレディも、まったく同じ色の瞳で俺を見つめてきた。
「……え、やめにしたって、ドンはなんて?」
「『ネオンがそう言うなら仕方ないな』って! パパ、最近物分かりが良くて助かっちゃう」
ネオンは事もなげに言って、ストローでジュースを優雅に啜る。音を立てたりもしない。
仕方ないなで済ませて良いんだろうか。良くはないだろう。
『やだぁぁぁぁぁッ!! やだやだやだやだ!
こっち泊まりたいのー!
パパの約束なんてパパが一人で行けば良いじゃない!
いーの! 私はこっちに行きたいんだからぁっ!』
……というやり取りを経た上での『ネオンがそう言うなら仕方ないな』ではないのだろうか。
影でダルツォルネさんやリンセンさんが、また胃に穴を開けながらスケジュールを組み直している姿が目に浮かぶ。
後で謝っておかないといけない気がした。いや、別に俺のせいではないはずなんだけれど。
「とっても素敵な場所なんだって。ルモアもきっと気に入るよ」
「気に入るって……どこだよ」
「えっへへー……
その名を聞いた瞬間、俺の思考は数秒フリーズした。
……くじら島。
言わずと知れた、『HUNTER X HUNTER』という物語の出発地点。
ゴン=フリークスの旅のはじまりの場所であり、故郷。
「あ、ルモアも知らない?
小さい島でね、自然がいっぱいあってね、空気が綺麗でね、人が少ない場所なんですって。
でも船の乗り継ぎとかでちょっとだけ上陸する人のためのホテルとさ、リゾートもあるんだよ。
だから今年の夏は、この小さな島にするって決めたの!
パパは『そんな何もない田舎に!』って怒ってたけど、私が『ルモアが行きたがってる』って言ったら納得してくれたわ」
「……濡れ衣だな」
「ふふーん。ルモア、ハンター試験から帰ってきてからずっと忙しそうでしょ?
あんなムサ苦しいマフィアのおじ様たちの顔ばっかり見てたら、ルモアの目が腐っちゃうもん。
だから世界で一番綺麗な海と風がある場所で、のんびりさせてあげようと思って」
ネオンはそう言って、悪戯っぽく笑った。レディもまた、同意するように小さく頷く。
(……俺のために、わざわざ行き先を変えたのか?)
思わず胸の奥が温かくなるのを感じた。
彼女なりに、俺の疲労を気遣ってくれたのだろう。
「あ、ルモア。あっちに行ったら、美味しいものたくさん食べさせてね。
くじら島っていうくらいだから、クジラの形をしたお料理とかあるのかしら? 楽しみ!」
「……どうだろうなぁ。でも魚は美味しいんじゃあないか?」
俺は苦笑して、ネオンのわがままという名の優しさを受け入れることにした。
……まあ、その「のんびり」の前に、新しい水着を何着も買い込みに行くショッピングに付き合う事に加えて、その水着を全種類俺に見せて感想を言わせるという事前計画が隠されていることには、この時の俺はまだ気づいていなかったが。
* * *
──そして現在。
「ルモア、ほら! これ、すっごく変な形の貝殻!」
ネオンが波打ち際で何かを拾い上げ、濡れた手で高く掲げた。
エメラルド色の瞳を細め、子供のように無邪気に笑う。
隣ではレディが、ネオンが見つけたものと同じ種類の貝殻を足元から探し出し、そっと手のひらに乗せて俺に見せてきた。
元は二枚貝だったのが別れたのか、まったく別々の貝だったのだだろうか。
本当に瓜二つで、まるでネオンとレディだなと、思う。
「本当だな。ネオン、よく見つけたな」
「でしょ? これ、パパに持って帰ってあげようかな。きっと面白い顔するよね」
ネオンはそう言って、くすくすと笑う。
寄せては返す波の音が、心地よいリズムを刻んでいる。
先ほどまでの競争で少し息を切らした彼女は、レディと手を取り合いながら、楽しそうに海面を跳ねている。
俺は膝まで海に浸かりながら、自分よりも少し前を走る二人の背中を眺めていた。
ネオンとレディ。
太陽の下、水飛沫をあげてはしゃぐ彼女たちの姿は、あまりにも眩しい。
「ルモア、ねーぇ! 次はあっちまで泳ごう!
もういっぺん競争! 勝ったらアイス、二段にして!」
ネオンが待ちきれないといった様子で、俺に向かって手を振る。
潮風に揺れる水色の髪が、午後の光を浴びてキラキラと輝いた。
「わかった。勝ったらだぞ?」
俺は一歩、砂を蹴って泳ぎ出した。
九月の嵐が来る前に。
この夏が、彼女たちにとって最高の思い出になるように。
最後かもしれないとは、思いたくなかった。
読んでくださってありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
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