地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)   作:あなたへのレクイエムです

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32.ツキアカリ x ピアノ x ショウタイ

 波の音に包まれたホテルの客室。

 カーテンの隙間から差し込む月光が、ベッドですやすやと眠るネオンの寝顔を穏やかに照らしている。

 よっぽど楽しかったのだろう。

 はしゃぎ疲れた彼女は、ホテルの部屋に戻るなりベッドに倒れ込んで、この有様だ。

 

 その傍らには、彼女と全く同じ姿勢で、しかし呼吸の音もなく静かに座り込むレディの姿があった。

 

 

「シャワーを浴びないと、明日の朝に潮でベタベタになってても知らないぞ?」

 

「んゅ……」

 

 

 俺が苦笑しながら声をかけても、ネオンはむにゃむにゃと曖昧な返事を漏らすばかり。

 

 

(まったく、どんな夢を見ているのやら──……だ)

 

 

 俺はベッドの傍らに腰を下ろし、しばらくの間、ネオンを眺めていた。

 昼間の喧騒が嘘のように、今の彼女はただ静かに、深い眠りの海にたゆたっている。

 

 月光に透ける水色の髪、眉間に皺ひとつないその滑らかな額、長く影を落とす睫毛。

 ただ何より目を引くのは、その口元に浮かんだ微かな微笑みだった。

 ワガママで残酷で、けれどあまりに純粋なこの少女は、今この瞬間、ただ「今日は楽しかった」という幸せだけを抱きしめているように見えた。

 

 

(……ずっとそうであって欲しい)

 

 

 これまでも、これから先も。「楽しい一日」が続いて欲しい。

 そう思うと、一日中振り回された事に、不思議と疲れは感じなかった。

 俺は視線を上げ、感情の薄い静かな瞳で主の寝顔を見守るレディの横顔を見つめる。

 

 

「レディ」

 

 

 俺が小さく呼ぶと、桃色の髪の少女が音もなく顔を上げた。

地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』に向き直り、静かに指を立てて唇に当てた。

 ネオンの写し身である彼女は何も言わないが、俺が今、何を考え、何を求めているのかを正確に理解しているようだった。

 今のネオンの状態も、俺の心も手に取るようにわかるはず。

 だけど俺は、あえてちゃんと言葉に出して彼女に伝えた。

 

 

「レディ。悪いが、ネオンの体をタオルで拭いてやってくれ。

 ……パジャマへの着替えも、頼むよ。俺じゃあできないからな」

 

 

 レディは俺の意図を汲み取るように感情の読めない瞳をわずかに細めて頷き、しなやかな動作でタオルを手に取った。

 主を労わるその手つきは、俺がネオンに日焼け止めを塗った時の動きをなぞるように、丁寧で、慈しみに満ちている。

 タオルが肌を滑るたび、ネオンは心地よさそうに吐息を漏らし、さらに深い眠りへと落ちていく。

 

 レディに任せておけば、ネオンの眠りが妨げられることもないだろう。

 その幸福な静寂を邪魔しないよう、俺は音を立てずに立ち上がった。

 

 

「……おやすみ、ネオン、レディ」

 

 

 最後に一度だけ、月光に守られたその光景を瞳に焼き付けてから、俺は部屋を後にした。

 重厚な扉がカチリと閉まると、廊下の冷たい空気が俺の頬を撫でていく。

 俺はドアの傍に控えていた侍女たちに一礼して、後を頼むと、のんびりと一階へ降りていった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 宿泊客もいない静寂の中、俺は廊下の自動販売機で冷えた缶コーヒーを買い、ソファに深く腰を下ろす。

 

 サイドテーブルの上には誰かが置き忘れたのだろう、新聞がぽんと放り出されていた。

 開かれっぱなしの記事には、クラリオというスナカ国の姫、どこか見覚えのある顔立ちの少女が、ドレス姿でパーティに参加している写真……。

 

 

(っていうか、これ()()()()じゃあないか……!)

 

 

 よくドレスを着こなせたもんだ……いや、クラピカも女の子なんだから当然だが。

 しかしそうか。クラピカがスナカにいたとなると、眼球コレクター・ローゴの臓器密売ルートを破壊したというのは彼女のハントだったのか。

 ローゴが自称緋の眼持ちというネオンから聞いた情報も合わせれば、納得しかない。

 ……いやまあ、どういう経緯でお姫様のふりなんてする事になったのかはさておき。

 

 俺は新聞記事をぱらぱらと眺めながらあれこれと想像を巡らせ、それからコーヒーを一口啜った。

 クラピカはこんな風に活躍し、ハンゾーとポンズからは修行の合間に連絡が来る。

 ポックルとボドロも色々頑張っていると、この間メールを貰った。

 レオリオは医者を目指して勉強中。そう言えば彼もスナカ国に行ったとか聞いたな。

 

 半年。

 

 あっという間だった。

 ハンターライセンスを手にし、マフィアのパワーゲームに首まで浸かり、陰獣と知己を得た。

 どう在りたいかという事を意識してはいても、それでも常にどうすれば良いかという考えが脳裏をちらついて離れない。

 まだ足りない。何が足りない。どうすれば良い。あとどれだけ積み上げれば良い。

 近づく九月という時間制限が、冷たいはずのコーヒーの苦味と一緒に喉を焼く。

 

 

(結局、何も起きないまま終わるのが一番なんだろうけど……)

 

 

 そうはならないとわかっていても、そんな都合の良い事を想像して目を閉じる。

 波の音に意識を預けようとした、その時だった。

 

 

「…………? ピアノ?」

 

 

 不意に俺の耳に、その微かな旋律が滑り込んできた。

 一階の方だろうか?

 確かロビーにはグランドピアノが置いてあったのを、チェックインの時に確認している。

 俺は立ち上がって、興味本位で一階へと向かう。

 

 ホテルのロビーは、潮風が通り抜ける開放的な造りだ。

 その吹き抜けの隅、月明かりが差し込む窓辺のグランドピアノ。

 そこで鍵盤を叩いていたのは、意外な人物だった。

 

 

「……ダルツォルネさん」

 

 

 俺が声をかけると、旋律がふっと途切れた。

 ラフなシャツ姿のダルツォルネさんが、鍵盤に置いた指をゆっくりと離してこちらを向く。

 

 

「ルモアか。ボスは眠られたか」

 

「ええ、よっぽど楽しかったみたいです。

 ……ダルツォルネさんがピアノを弾くなんて、驚きました」

 

「ただの暇潰しだ」

 

 

 ダルツォルネさんは椅子を少し回し、俺に向き直った。

 俺が対面に位置するソファに腰を下ろすと、俺達の間に、適度な距離と静寂が流れる。

 窓の外には、夜の静寂に沈むくじら島の海岸線が広がっていた。

 

 

「……柄じゃないのは分かっている」

 

 

 ダルツォルネさんはそう言って、手近なテーブルに置いていたグラスに手を伸ばした。

 中身は琥珀色の液体で、氷がカランと涼やかな音を立てる。

 この人も照れるんだなとか、この人も酒を飲むんだなとか、俺は重ねて少し驚いた。

 

 

「最初は精神集中と、手指を動かす訓練に始めたんだ。

 しかし操作するのは88の鍵盤とペダルだけだというのに、これがどうして、中々に難しい。

 ほんの少しタイミングがずれるだけで、驚くほど音が変わってしまう。

 楽譜通りに弾いているはずなのに、まるで違った曲に聞こえる。

 どうにか上手く弾いてやろうと意地になり、弾けたら次の曲、弾けたら次の曲……。

 いつのまにか習慣になり、そして気がついたら趣味になっていた」

 

「良い曲だったと思いますよ。演奏の善し悪しについては素人ですけど。

 ……なんて言う曲ですか?」

 

 

「教本に載っていた練習用の小曲だ。音は手が覚えているが、名前はもう忘れてしまった」

 

 

 彼は再びピアノの方へ視線を戻した。

 大きな、節くれだった指。それは多くの者を葬り、血に汚れてきた手だ。

 けれどきっとそれと同じくらい、彼はこうして鍵盤を叩き続けてきたに違いないと思えた。

 

 

「お前の方は、どうだ。ハンター試験から半年、休む間もなく走り回らせたな」

 

 

 不意に投げかけられた言葉に、俺は少し背筋を伸ばす。

 ダルツォルネさんの視線は、依然としてピアノの白鍵に向けられたままだ。

 

 

「いえ、ネオンのために……お嬢様のために、俺が好きでやっていることです。

 それにプロハンターなんて肩書きを貰った以上、それに見合う働きはしないと」

 

「その考え方は嫌いではない。だが、気負いすぎるなよ。

 合格したことは単なるスタートラインだ。

 肩書に惑わされるな。肩書があるからといって、実力が増えるわけじゃあない。

 お前は、自分にできる事をやれば良い。わかっているとは思うがな」

 

「はい。……ありがとうございます」

 

「礼を言う必要はない。俺は事実を述べただけだ。

 ……今のところは、及第点だ。

 今のうちに、ここで英気を養っておけ。九月には、また忙しくなるぞ」

 

「オークション、ですよね」

 

「十老頭はもちろん、マフィアンコミュニティーの人間も数多く集まる。

 単なる競売じゃあない。それぞれのファミリーの面子がぶつかる場所だ。

 ヨークシンはノストラードファミリーにとって、そして俺たち護衛団にとっても、正念場だ。

 ……ルモア、失敗してくれるなよ」

 

「……わかってますよ」

 

 

 俺の返事の正確なところは、きっとダルツォルネさんには伝わらないだろう。

 だけど、ダルツォルネさんは微かに笑ってくれた。

 

 

「……ならいい。さっさと寝ろ。明日の朝も早い。

 ボスは朝食の後に、山に行ってみたいと仰っていたからな」

 

「それは……またハードな一日になりそうですね」

 

 

 俺が苦笑いしながら立ち上がると、ダルツォルネさんは再びピアノに向き直った。

 彼が再び指を鍵盤に落とす前に、俺は静かに背を向けた。

 

 背後から、また小さな旋律が聞こえ始める。

 それは先ほどよりも少しだけ軽やかな、それでいて厳格なリズムを保った音色だった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 エレベーターに乗り込んで扉が閉まると、ピアノの旋律は嘘のように途絶えてしまった。

 

 ふとポケットの中に突っ込んでいた携帯電話が、不意に、短く震えた。

 こんな時間に誰だろう。ネオンが目を覚ましたのか。

 画面を覗き込むと、そこには登録したばかりの、しかし見紛うはずのないアドレスが表示されている。

 躊躇いなく、電話に出る。

 

 

「よぉ、ヒソカ。どうかしたか?」

 

『やあ♣ 夜更かしだね、アンドー♠ 夏休みは楽しんでるかい? お邪魔だったかな?』

 

 

 受話器の向こうから聞こえるのは、相変わらずのらりくらりとした、それでいて刃物のような鋭さを秘めた声だ。

 そこに友人相手の気安さが混ざっているなんて思うのは、こっちの勝手な想像だろうか。

 

 

「夜更かしなのはお互い様だろ。バカンスを満喫してるよ。そっちはどうなんだ?」

 

『くくっ……ボクも最高さ♥ ちょっとした()()()を調達したところでね♣

 九月のパーティーには、ボクの仲間も()()出席することになったよ♠

 ……まあ、歓迎はされないだろうけど◆』

 

 

 仲間──幻影旅団。

 何がきっかけで「暇なやつ」から「全員」になったのやら。

 マフィアンコミュニティーに大打撃を与えてサラサの復讐を果たすため。

 あるいは『盗賊の極意(スキルハンター)』のレベルアップ用経験値として根こそぎ強奪するため。

 でもそれなら最初から全員来いって言うだろうしな……。

 どうもクロロは場当たり的な行動が目立つ印象がある。アドリブ力が高いというか。

 まあでも、子供の頃からそれで凌ぎきってきたような奴か。

 

 そういえばクロロは原作でも、セメタリービルに入場するためのパスを持っていたんだっけ。

 何処かで盗むか何かしたんだろうとは思っていたんだが……なるほど、きっと原作でも、事前にこうして調達していたに違いない。

 相手が悪いとはいえ、盗まれた側もマフィアンコミュニティーの一員だろうに。

 よっぽど警備がザルなのか何なのか。

 

 

「それはおめでとう……で、ただの自慢電話じゃないんだろ?」

 

『察しがいいね♣

 実は、さっきまで遊んでたサンショウっていう面白い男がいてね♠

 彼、逃げ出す間際にボクに素敵な情報をくれたんだ◆』

 

「もったいぶるなよ。悪い癖だぞ」

 

『ごめんごめん♥

 アンドー、キミさ、()()=()()()()()って知っているかい?』

 

 

 ドン=リッツ邸。あの廊下が、色鮮やかに脳裏へ蘇る。

 

 

「……ああ、知ってる。会った事もある。

 うちのドンの……なんだろうな、政敵って言えば良いのかな。

 十老頭の下で臓器売買をやってるマフィアだよ。最近落ち目で、焦ってるみたいだ。

 俺の知ってる事はこのぐらいだぞ。あとは三銃士とかいう護衛がいるって話だけど」

 

 

『正確には四天王だったのが、一人減って三銃士さ♠

 サンショウってのが、その三銃士の一人らしくってね♣

 それでドン=ガッパイと三銃士たちがね、今()()()()に向かっているそうだよ♠

 目的は……ノストラード家の美しい()()()()()、君の可愛いお嬢様たちだ♥』

 

 

 ヒソカの声が熱を帯びる。

 俺の心臓が、ドクリと跳ねた。

 エレベーターに俺の呼吸と、駆動音だけが響く。

 

 

「……()()ね」

 

 

 俺の声は自分でも驚くほどに冷たく、低かった。

 電話の向こうで、ヒソカがニヤニヤとしている気配を感じる。

 

 

「しかしガッパイが?

 直接動くほど馬鹿だったのか、それともよっぽど焦ってるのか……」

 

『両方じゃないかな、招待状の管理もテキトーだったし♣

 あ、でもウボォーギンは毒ガスにやられて麻痺ってたっけ◆

 強化系を極めたなんていっても、こういうのには弱いんだねえ♥』

 

「……で?」

 

『ボクが追いかけて殺しちゃっても良かったんだけどさ♣

 ほら、ゴンたちがその島に向かっているだろう?』

 

「『ほら』とか『だろう?』って言われても知らないよ。

 そもそもお前が二人の移動先を知ってるのが怖いよ」

 

『実が熟す前に庭を荒らすのは趣味じゃなくてね♣ 』

 

「聞けよ。いや良いけどさ」

 

『それに……』

 

 

 含みのある笑い声。

 

 

友達(キミ)の仕事を邪魔するのは、ちょっとだけ気が引けるじゃないか♥』

 

「そっか。

 ……助かったよ、ヒソカ。貸しにしておいてくれ。

 それとも現金が必要なら、今精算した方が良いか?」

 

『いいよ、キミとボクの仲だ♠

 どうしても気になるなら、九月にボクを思いっきり楽しませておくれ◆

 ……三銃士なんて、プロハンターのアンドー=ルモアなら、ひと捻りだろう?』

 

「あんまりおだてないでくれ。プロハンターならそっちもだろ。

 A級賞金首集団に潜入している正義のブラックリストハンター様だ」

 

『…………そうなるのかな◆』

 

「たぶん。客観的に見ると?」

 

『ううん、その方向性は考えたことなかったなぁ♥

 まあいっか……じゃあ、良い夏休みを♣』

 

 

 プツリと通信が切れた。

 俺は閉じた携帯電話を握りしめ、大きく息を吐く。

 ヒソカからはあれ以来、天空闘技場の話は聞いていない。

 俺からもその話題は振っていない。

 それよりも、今は優先しなきゃいけないことがある。

 

 ドン=ガッパイ。

 あの湿り気を帯びた瞳でネオンとレディを、まるで品定めするように見ていた男。

 そう、あいつはあの時、本気で()()()をしていたのだ。

 十老頭の地位を確固たるものにするために、ドンの急所である娘たちを浚う。

 いかにもあの男が考えそうな、下劣で、そして分かりやすい戦略だ。

 

 

「三銃士……ね」

 

 

 ダルツォルネさんは「及第点だ」と言ってくれた。

 陰獣の蚯蚓は「ガッパイの飼い犬どもよりはマシだ」と言ってくれた。

 焦るな。そしてどう在りたいかを考えろ。

 俺が積み上げてきたものが、どれほどのものか。

 

 ここが9月のヨークシンでも、7月のくじら島でも、やる事は変わらない。

 ネオン=ノストラードを不幸にさせないために、俺は此処にいるのだ。

 

 俺はダルツォルネさんに連絡を取るべく携帯を操作しながら、頭を回していく。

 

 

 くじら島の夜は、まだ長い。

 




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