地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)   作:あなたへのレクイエムです

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35.コマト × コマノ × アイダ ③

キルア × ゴン編

×

~第6章~

 


 

 視界のすべてが白く塗り潰されていた。

 普段なら目を瞑っていても歩けるはずの森が、今は不気味な魔獣たちの徘徊する危険地帯となっている。

 何よりもその事実に不快感と嫌悪感を覚えながら、ゴンは不自然な霧を切り裂くようにして、慣れ親しんだ森の道を駆け抜けていた。

 

 

「ゴン、右だ! なんか来る!」

 

「わかってる!」

 

 

 キルアの鋭い警告に、ゴンは反射的に地を蹴った。

 直後、ゴンがいた場所を巨大な鳥の影──オオガキアゲラが急降下しながら通り抜けていく。

 その一方で藪の中から躍り出た人面猿の爪をキルアが最小限の動きでかわし、鋭い手刀でその頸動脈を断つ。

 

 

「なんなんだよ、こいつら……! ハンター試験の時の連中ばっかりじゃねーか!」

 

「うん、絶対におかしいよ! くじら島にこんなの、一匹だっていないはずなのに!」

 

 

 だが文字通りの五里霧中、混乱の中にあっても、彼らはまったく速度を落とさずに突き進んでいた。

 

 理由は──二人の前後についた、奇妙な()()

 一つは風船のようにどこか頼りない質感でありながら、迷いのない動きで周囲を警戒する黒い兵士たち。

 もう一つは、霧の中でも迷いなく駆け抜けていく数頭の犬。

 そして犬の鋭い吠え声が響く度、黒子たちは感情の見えない動きで霧の中へ飛び込み、それと同時に「ギャッ」という猿の悲鳴が聞こえてくる。

 

 アンドーは「護衛から兵隊と犬がそっちに向かう」と言っていた。

 その彼らが自分たちの走るルートを先回りして潜んでいる脅威を排除してくれている事だけは、はっきりとわかる。

 おかげでゴンとキルアは、その先鋒の撃ち漏らしを叩くだけで済み、前進に集中できている。

 

 

「アンドーさんの仲間、すごいね……!」

 

「……ああ。どいつもこいつも(ネン)で動いてやがる。あの無線越しに喋ってた連中、結構やるぜ」

 

 

 キルアは舌打ちしながら、背後を固める黒い風船人形、そして足元を走る犬を横目で見た。

 姿形は滑稽だが、その動きは完璧に統制が取れ、また連携も巧みだ。

 アンドーが所属しているという護衛団の層の厚さを、キルアは肌で感じ取る。

 

 もちろん、今の自分、(ネン)に目覚めたばかりの初心者と比較したら明らかに向こうが上だ。

 けれど個々の強さで見れば、たぶん実家にいる父や祖父、あるいはイルミなら難なく突破できるだろう。

 だがもし彼らが集団で統率され、万全の状態で迎え撃ってきたら……どうだろうか。

 ゾルディック家が負けるとは思わない。だが、相当に面倒くさい事だけは、確かだ。

 

 

()()()()()()()って、こういう事なのかもな……)

 

 

「見えた! 家だ!」

 

 

 二人が坂道を一気に駆け上がると、霧の中にぼんやりと、見慣れた家影が見えてくる。

 同時に、犬たちが一際激しく吠え立てる。玄関の前に、二人の女性の影が立っていた。

 

 

「ミトさん! お婆ちゃん!」

 

 

 そこに立っていたのは、ミトと、そしてゴンの曾祖母だった。

 二人は武器代わりなのかフライパンと箒を手に、霧の向こうを不安そうに眺めている。

 だがゴンとキルアの姿を認めた時、パッと彼女たちの顔に安堵と喜びの表情が浮かんだ。

 ゴンは思わず二人に走り寄ろうとしたが──ぎょっとして動きが止まる。

 

 家の中から()()()()()()()が、緊張の面持ちで包丁を持って現れるのが見えたのだ。

 

 どちらかが本物、どちらかが偽物、もしくは両方偽物。

 いずれにせよミトさんとお婆ちゃんが危ない! 

 ゴンが混乱しながらもとにかく突っ込もうとしたのを、キルアが襟首を掴んで強引に引き戻す。

 

 

「待て、ゴン! (ギョウ)だ!」

 

「あ……!」

 

 

 キルアの叫びに、ゴンは即座に目にオーラを集中させる。

 見えたのは後から現れたミトの足元──本来そこにあるはずのない、獣の鋭い鉤爪の影。

 そしてその顔が、まるで濡れた粘土のように不自然に波打っている様だった。

 

 気づかれたと見て取った()()()が、ミトの背中目掛けて包丁を振りかぶる。

 

 

「キルア、家の中!!」

 

「間に合え……ッ!!」

 

 

 キルアの指先が刃へと変わり、全力の踏み込みを見せようとした、その時。

 

 

「きゃっ!? な、なに……ッ!?」

 

 

 霧の中からあの風船黒子が二体、弾丸のように飛び出してきた。

 黒子たちは戸口に立つミトと曾祖母の体を訓練された動きで突き飛ばし、そのまま強引に覆いかぶさってカバー。

 さらに茂みから飛び出した二頭の大型犬が、部屋の奥から現れたミトへと大声で吠え立てた。

 

 

「ギギッ……ギギギッ!」

 

 

 忌々しい犬どもを前に、包丁を持つ()()の口から醜い猿の鳴き声が漏れた。

 おそらくは罵声。そのまま獲物を諦め、霧の中へと飛び込もうとするが──……。

 

 

「……ミトさんの顔で、そんな声出すなッ!!」

 

 

 当然ゴンがそのまま逃すはずもなく、怯んだ人面猿へ、怒りを込めた拳を叩き込む。

 強化されたオーラを纏った一撃は猿の顔面を粉砕し、吹き飛ばした。

 

 

「ギャガァッ!?」

 

 

 さらに家の奥から猿の悲鳴。

 いつの間にか屋内に飛び込んだキルアの鋭い抜き手が、もう一匹の喉元を正確に貫いていた。

 

 

「こっちも終わったぜ。まだ化けてなかったせいで殺りやすかったよ」

 

「ありがとう、キルア……!」

 

「ゴン!? キルアくん!? 二人とも大丈夫なの……!?」

 

「ミトさん! お婆ちゃん!」

 

 

 風船黒子に助け起こされた二人。そこから感じる揺るがない本物の匂いに、ゴンは心底安堵して抱きついた。

 ミトはゴンをしっかりと抱き返した後、自分たちの周りをぐるぐると回って「敵ではない」とアピールするように尾を振る犬たちと、直立不動でこちらを見守る黒い風船人形たちに目を向ける。

 

 

「……その、風船みたいな人たちと、ワンちゃんは……お友達?」

 

「え、あ、うん。……友達の、友達、かな? 俺たちを助けてくれたんだ」

 

「それは、えーっと……ゴンとキルアくんが大変お世話になりまして。

 ……おかげで助かりました、ありがとうございます」

 

 

 混乱しながらもミトは真っ先にゴンとキルアの無事に対する感謝の言葉を述べて、頭を下げる。

 風船黒子たちが何処か居心地悪そうに──どうやらこういう反応に慣れてないらしい──身じろぎをするのを見て、キルアは僅かに笑った。

 

 

「……やーっぱプロのボディガードってのは違ェんだな。オレ、襲う方しか習ってねえからさぁ」

 

「おかげで助かったよ。ありがとう!」

 

 

 ゴンもまた黒服たちと犬たちに向かって元気に頭を下げると、風船黒子はカクカクと不格好に一礼した。

 

 とはいえ──まだ状況が終わったわけではない。

 霧の向こうから木霊する。不気味な魔獣の鳴き声と、時折響く重低音。

 

 

「キルア、やっぱりアンドーさんたちが心配だよ。

 これだけの化け物を連れてきた奴も、どこかにいるんでしょ?」

 

「どっちみち、ここでミトさんとお婆ちゃん守って戦うのは無理があるしな。合流すっか」

 

「ちょっとちょっと、何が起こってるの? 説明してくれる?」

 

「そう慌てるもんじゃあないよ、ミト。山からキツネグマが降りてきたようなもんさ。

 避難するなら最低限の荷物だけまとめるんで、ちょいと待ってくださいね」

 

 

 ゴンの曾祖母がミトをなだめて家の中に戻ると、風船黒子たちがテキパキとした動きで追従、手伝いだした。

「あらあらありがとうごさいます」などと言って平然と対応しているあたり、肝が座っている。

 流石はゴンの曾祖母、ジンの祖母……と言うべきなのかもしれない。

 荷物をまとめる曾祖母に付き添い、やたら手慣れた様子で荷物をまとめにかかる黒服の兵士たち。

 その奇妙だが頼もしい光景に一瞬だけ空気が緩んだ、その時だった。

 

 

「……ッ、ゴン! 離れろ!!」

 

 

 キルアの叫びと同時に、ゴンの鼻を突いたのは、焦げ付くようなオーラの気配。

 反射的にミトの肩を抱き寄せ、その場から大きく飛び退く。

 直後さっきまで二人が立っていた玄関のポーチが、目に見えない()()によって凄まじい力で叩き潰された。

 

 

「な、何!? 今度は、何が起きたの……!?」

 

「ミトさん、家の中に!!」

 

 

 ゴンが強引にミトを家の中に押し込み、扉の隙間から犬たちが入り込む。

 中の風船黒子たちに「お願いします!」と後を託して、ゴンは目の前に迫る脅威へと向き直った。

 

 粉塵を撒き散らしながら陥没した床板。

 そこには凶器となるはずの岩も、弾丸も、魔獣の姿も何もない。

 ただ目に見えない巨大な何かの痕跡だけが、そこに刻まれている。

 

 それは間違いなく──()()()()だった。

 

 

「……2度とオレ達の前に汚ねェ面出すなって言ったよなあァ。

 約束破ったらどうなるか、もう忘れっちまったのか?」

 

 

 キルアが殺気を全開にし、霧の向こうを睨み据える。

 乳白色の帳を割って、ゆっくりと二つの人影が近づいてきた。

 

 

「…………忘れちゃあいないよ、キルアちゃん

 これに関しちゃ、お互いに()()()()()ってやつさ」

 

 

 一人は、空っぽの左袖を不自然に揺らした、まるで仮面のように表情の読めない男。

 ゴンはその禍々しいオーラの質に、記憶の蓋が跳ね上がるのを感じた。

 出会ったのは天空闘技場、しかして、一度も戦う事はなかった男……。

 

 

「……サダソ!!」

 

「正解だよ、ゴンちゃん。

 天空闘技場を出た後のお仕事でね。キミたちとは別にやりあうつもりは無いんだけどなァ」

 

「何でもアリになったら得するのはオレ達だって言って……なかったっけな、アンタには」

 

「言われてないねェ」

 

 

 そうして薄く笑うサダソの傍らには、もう一人。

 薄手のシャツにノースリーブのジャケットを羽織り、指先でジャラジャラとピンクと青の金属製クラッカーを弄んでいる男が立っていた。

 

 

「けどまァ、お仕事だと仕方ないよねえ……サンショウちゃん」

 

「ああ、ドンの命令じゃ()()だ。謎の島民全員消失事件。

 大騒動だが、昨今色々と物騒だ。すぐに忘れられっちまうよ。

 まあ、変な密輸業者が魔獣を逃がした結果の()()()()()って奴だな」

 

 

 男──サンショウは、ニタリと下卑た笑みを浮かべた。

 

 

(ネン)を覚えたてのガキに夢の無いこと言いたくねえんだがよ。

 才能があったって、経験不足のルーキーにゃちょいと荷が重いぜ」

 

「……ミトさんたちを、どうするつもりだったんだ?」

 

 

 ゴンの瞳から、温度が消えた。

 

 自分の故郷を汚し、大切な家族を標的とする。

 まだ天空闘技場の報復というのなら許容もできた。

 けれど今の彼らの口ぶりでは、この事件にゴンとキルアは一切関係がない。

 

 答えたのは、サンショウだった。

 

 

「そりゃあ、売るんだよ。マルかバラしてかは知らねえが、若い女はどっちでも需要がある。

 ま、恨むならノストラードの馬鹿娘二人を恨むんだな。あんたらは()()()さ。

 もっとも、あのお嬢様がたも生まれてきたのを後悔するような目にあうだろうけど」

 

 

 その言葉が、ゴンの逆鱗に触れた。

 

 

「……勝手なことばっかり言うなよ」

 

 

 ゴンの声は静かだった。

 だが、その足元からは大地を揺らすような怒りのオーラが立ち昇っている。

 

 

「ミトさんも、お婆ちゃんも、島のみんなも……ネオンさんもレディさんもッ! 

 お前達なんかに渡さない! 

 そんなこと、絶対にさせるもんか!」

 

「威勢がいいねえ。だが、実力の差ってのを教えてやるよ!」

 

 

 ゴンが飛び出すよりも早く、サンショウが動いた。

 指先で弄んでいた二つのクラッカーが、爆音と共に撃ち出される。

 

 

「食らいな! 『うっおとしい癇癪屋(リーデンクラッカー)』!!」

 

 

 唸りを上げて飛来するピンクと青の凶器。

 ゴンは反射的に身を翻したが、背後の木々に当たったクラッカーは物理法則を無視した角度で跳ね返り、四方八方からゴンを包囲するように迫る。

 まるでぐるぐると周回する衛星のような軌道でゴンの周りを飛び回り、隙あらば痛烈な一撃を加えようと襲いかかってくる。

 

 

「くっ……!? なんだ、これ! 

 ヒソカの(ネン)とも似てるけど、全然違う……!」

 

「奴の名前を出すんじゃあねえッ!!」

 

 

 ヒソカ。その名を聞いた途端にサンショウが取り乱したように声を上げる。

 無論ゴンたちは彼が昨年のハンター試験でヒソカに敗北したことも、先日再度負けた事など、知る由もない。

 ……が、その隙を見逃すキルアではなかった。

 

 

「ゴン、突っ込め! そいつは俺が止める!」

 

 

 キルアが電光石火の速度で割り込み、手刀の一振りで飛来するクラッカーを撃ち落とす。

 否、正確には二つの弾を繋ぐワイヤーを一刀両断にしたのだ。

 回転によって飛行するクラッカーは明後日の方向へと飛び去った。

 その瞬間、ゴンは最短距離でサンショウの懐へと飛び込んでいく。

 

 

「せいやぁぁぁッ!!」

 

 

 渾身の正拳突き。

 

 

「あッ……!?」

 

 

 空中で静止したゴンの拳。何もないはずの空間から現れた巨大な圧力が、ゴンの体を強引に地面へと叩き伏せる。

 それは間違いなく、()()()()()()()()が飛び交う虫を叩き落とす仕草そのものだ。

 

 

「がはっ……!」

 

「残念だよ、ゴンちゃん。ボクの左腕はね、見えないけれど君たちよりもずっと力持ちなんだ」

 

 

 サダソの左袖から伸びる不可視のオーラ──不可視の左手。

 それはかつて天空闘技場でズシを拘束した際に披露した、オーラの腕。

 しかし今のそれはキルアが目撃したものを遥かに上回る、圧倒的な質量と凶悪な殺意を帯びていた。

 

 

(チッ、前見た時よりデカい……これが念能力者の本気ってヤツか!)

 

 

 キルアがサンショウのクラッカーを捌きながら、サダソの死角へと回り込もうとする。

 だが、サンショウがニヤリと笑った。

 

 

「よそ見してんじゃねえぞ、銀髪のガキ! クラッカーは二つだけじゃねえんだよ!」

 

 

 サンショウのジャケットから、さらに数組のクラッカーが飛び出す。

 操作系能力によって意思を持ったかのように空を舞う金属塊が、キルアの退路を断つように乱舞した。

 

 

「ハッ、面白ェ! だったらこっちも本気で行かせてもらうぜ!」

 

 

 キルアの瞳が冷徹な暗殺者のそれへと変わる。

 目にも止まらぬ歩法──霧に紛れて姿を消したキルアに、サンショウの眉がぴくりと動く。

 

 

「……消えた? だが甘ぇんだよ!」

 

「消えたとか思う方が甘いんだよ!」

 

 

 サンショウの背後、至近距離から放たれるキルアの鋭い爪。

 しかし、その一撃が届く直前、サダソの()()が盾のようにサンショウを庇い、キルアを横からなぎ払った。

 

 

「うおっ!?」

 

「おっと、危ない、危ない。

 二人同時に相手をするのはオレの『バリバリ最強No.1(インビジブルハンド)』でも、大変なんだよォ。

 なにせほら、一本しか無いからさァ」

 

 

 飛び退くキルアを見て、サダソが余裕の笑みを浮かべる。

 まだ(ハツ)を完成させていないゴンとキルアにとって、念能力者との本気の殺し合いはあまりにも分が悪い。

 

 

(どうせ覚えていてもせいぜいが四大行程度だよねェ。

 オレの左腕、目に(ギョウ)しながら戦わなきゃいけないのはきついだろォ?)

 

 

 あの時は急に背後を取られて不覚を取った。けど今は違う。こうした殺し合いなら、負ける理由はない。

 

 

「……見えなくても、もう()()()()

 

 

 ──だが、ゴンは地面に膝をつきながらも、その瞳から光を失ってはいなかった。

 

 

「何?」

 

「お前の手が動く時、霧が揺れるんだ。

 匂いだって、風の動きだって……この島の全部が、お前の動きを教えてくれる!」

 

 

 ゴンの周囲に、さらに密度を増したオーラが渦巻く。

 まだ形にはなっていない。けれど、それは間違いなく、彼の魂が求める究極の一撃の雛形。

 

 

「キルア! 右から来るよ!!」

 

「おうっ!!」

 

 

 ゴンの叫びに合わせ、キルアが最小限の動きでサダソの不可視の追撃を回避する。

 それと同時に、家の中にいた風船黒子たちが窓を突き破って飛び出した。

 

 

「あぁ!? チィッ、ノストラードのザコどもか……!」

 

 

 各々の手に武器を持ち、サンショウに群がる風船黒子たち。

 一体一体は弱くとも、その捨て身の突撃は確実にサンショウのクラッカー操作を乱していく。

 さらには唸り声を上げながら、獰猛に牙を剥いた犬達までもがサンショウの下へと群がった。

 

 

「ざっけんな、この……クソ犬どもッ!!」

 

 

 サンショウは躊躇無く懐から拳銃を抜く。

 念能力者の戦いの中でも躊躇無く銃器を頼る精神性が、サンショウをして裏社会で生き残らせてきたのだ。

 霧を切り裂き、乾いた銃声が響き渡る。

 サンショウが放った弾丸は、確実に先頭の犬の眉間を捉えていた。

 だが──。

 

 

「……は?」

 

 

 あざ笑うかのように、一体の風船黒子がその軌道上に割り込んでいた。

 

 明らかに発砲音が響いた──銃弾が放たれた後に動いたとしか、見えなかった。

 鈍い音と共に弾丸は黒子の胸に吸い込まれるが、黒子の体は弾けることも、貫通することもない。

 オーラを纏ったゴムのような皮膚が銃弾の運動エネルギーを瞬時に殺し、ボトリと地面に鉛の塊を落としただけだった。

 黒子は何事もなかったかのように再びサンショウへと詰め寄る。

 サンショウの顔が、引きつった。

 

 

「なんだこいつら……バケモノかよッ!?」

 

「よそ見すんなって、さっき自分でお手本見せてくれただろ」

 

 

 サンショウの背後。

 霧よりも冷たく、死神よりも鋭い声が鼓膜を震わせた。

 

 

「──あッ」

 

 

 サンショウが振り向くよりも早く、キルアの拳が彼の顎を掠め、そして意識を根こそぎ刈り取った。

 糸の切れた人形のように崩れ落ち、その場に転がるサンショウ。

 

 

「サンショウちゃん!?」

 

「今だ、ゴン!!」

 

「……せーのっ!!」

 

 

 ゴンは地面に転がっていた巨大な庭石を、全身のオーラを込めて持ち上げる。

 ひょいっと──まるでその辺の小石を川に投げるかのように、軽々とした動き。

 サダソの能面のような顔が固まった。

 

 

「は……!?」

 

「それに、見えてても見えてなくても、これなら関係ないよ…………ねッ!」

 

 

 叩きつけるようにして投じられた巨大質量。

 不意を突かれたサダソは、不可視の腕でそれを防ぐのが精一杯。

 当然──そこで彼の動きは、完全に止まる。

 なぜならサダソの左腕は、()()()()()()のだから。

 

 

「い、っけえええええッ!!」

 

 

 霧を切り裂き、ゴンの拳がサダソの懐へと一直線に突き進む。

 

 

「……ぐ、あああああッ!?」

 

 

 ゴンの拳が、サダソの鳩尾へ深々と突き刺さった。

 強化されたオーラの衝撃はサダソの細い体をいとも容易く貫いて、家の裏手にある大樹まで吹き飛ばした。

 霧を切り裂いたサダソは凄まじい衝撃音と共に大樹にめり込み、その能面のような無表情が苦悶に歪んだまま、白目を剥いてずり落ちる。

 

 静寂。

 

 不気味に響いていた魔獣たちの咆哮も、今は霧の向こうで遠のいている。

 

 

「……ふぅ……。やった、かな?」

 

 

 ゴンは肩で息をしながら、自身の拳を見つめた。

 拳の先がまだ熱い。全開にしたオーラの名残が、陽炎のように揺れている。

 

 

「ゴン、お前それフラグだぞ」

 

「ふらぐ?」

 

「縁起が悪いってこと。ま、当然の結果だろ。一回逃がしてやったのに、ノコノコ戻ってくるからこうなるんだよ」

 

 

 キルアは意識を失ったサンショウの懐から予備のクラッカーや拳銃を漁ると、それを足で遠くへ蹴り飛ばした。

 そして、じろりと周囲を警戒する。

 依然として霧は濃く、視界は悪い。

 だが、そこに漂っていた突き刺すような敵意のオーラは、この二人を倒したことで消失していた。

 

 

「……ひとまず、状況終了ってとこかな」

 

「あ、そうだ。……あの、大丈夫ですか? 撃たれたみたいだったけど……」

 

 

 ゴンが声をかけたのは、二頭の犬と三体の風船黒子だった。

 彼らは黙々とサダソとサンショウ、二人の敵を拘束しにかかり、その作業が終わるとカクカクとした機械的な動きで頷いてみせた。

 

 

「あの……ありがとうございましたっ。

 あなた達がミトさんたちを守ってくれたおかげで、戦いに集中できたんだ」

 

 

 ゴンが笑顔で手を差し出す。しかし風船黒子たちはその手を取ることはなく、直立不動で静止。

 それどころか、ぷしゅうと気の抜けるような音を立てて、あっという間にその体が消え失せてしまった

 

 

「えっ……消えちゃった!?」

 

「たぶん具現化ってやつを解いたんだろうな。

 ……操作主がこの場にいないってことは、かなり遠くから操ってんのか? 

 (ネン)も色々だな。……知らないとわかんないことばっかだ」

 

 

 キルアは驚くゴンの横で、足元に残った犬たちの鼻先を軽く撫でた。

 この犬たちは実体があるようだが、その利口さは訓練というレベルを超えている。

 これもまた無線越しに聞こえた、アンドーの仲間たちの能力なのだろうか。

 

 

(あの黒服の人たち、何か、ちょっとレディさんに似てたな……)

 

 

 ふと、ゴンの脳裏にそんな考えが過る。

 雰囲気、気配、理屈で説明できない直観めいたもの。

 彼らが(ネン)で具現化されたものなら、つまり、レディもまた──……。

 

 

(……けど、関係ないよね!)

 

 

 アンドーは心からネオンとレディを大切にしてるようだった。

 ネオンもレディが傍にいるのは当たり前、仲良しの姉妹そのものと思っているようだった。

 何より、ゴンから見て……レディの微笑みは、本当に幸せそうに見えたのだ。

 なら、それがすべてだ。それで良いじゃないかと、ゴンは思う。

 

 

「ゴン! キルアくん!」

 

 

 外が静かになったと見て、家の中からミトと曾祖母が飛び出してきた。

 ゴンは慌てて「もう大丈夫だよ!」と二人を制止したが、ミトの顔は青ざめたままだ。

 それは自分達よりも、ゴンとキルアを心配しての事だ。

 やんちゃ坊主どもの自己申告ほど当てにならないものはない。

 自分の目で二人の無事を確かめない限り、ミトは決して納得も安心もしなかった。

 

 

「二人とも、怪我はしてない? 今の……爆発みたいな音、何だったの? 

 それにあの黒い人たち、いなくなっちゃったけど……大丈夫なのかしら?」

 

「えっと……説明するのは難しいんだけど。

 でも、俺たちが悪い人たちをやっつけたから。黒服の人達も問題ないみたいだよ」

 

「ゴン、とっとと移動しちまおうぜ。ここで長々喋ってるのもマズいだろ」

 

 

 キルアがひょいっとミトと曾祖母の手からカバンを奪い取り、軽々担ぎながら言う。

 ゴンのおばあちゃんは「おやまあ、ありがとうね」と、それこそ本当に自分の孫を褒めるように微笑んだ。

「優しい子だね」と言われて、キルアはバツの悪い顔をしてそっぽを向いてしまったけれど。

 

 

「うん! ミトさん、お婆ちゃん。ここはまだ危ないから、街のホテルに行こう。

 アンドーさんって俺の友達が、そこに避難するように教えてくれたんだ!」

 

「……わかったわ。あんたたちの言うことだもの」

 

 

 ミトは不安げに、けれどそれを押し殺した表情で、ゴンの差し出した手を握った。

 曾祖母もまた、普段と変わらぬ調子で笑っている。

 

 

「よし、キルア。行こう!」

 

「ああ。……犬ども、先導頼むぜ」

 

 

 足元に残った犬たちが、短く「ワンッ!」と応じる。

 彼らは霧の中、迷うことなくホテルへと続く最短ルートを指し示すように駆け出した。

 

 

 

 * * *

 

 

 そうして走り去る少年たちとその家族の背中を見守る──二人の影。

 

 

「うちの犬を守ってくれてありがとな。肝が冷えたぜ。

 ……しっかしお前、風船黒子には簡単な命令しか出せねーんじゃなかったのか?」

 

「出せねえよ? 

 けど、命令を更新できないとは言ってないよな」

 

「なるほどな」

 

 

 森の茂みの中から姿を現したのは、スクワラとシャッチモーノ。

 ネオン=ノストラードの護衛団の一人であり、あの犬達、そして風船黒子の主だ。

 

 

「で、どうよ、あのガキども」

 

「及第点ってとこだな。

 戦闘力はお見事の一言。あとは(ハツ)次第だ。

 けど戦ってる最中、正面の敵以外が見えてないのは頂けないね。

 俺達に気づかないのはまだしも、魔獣を操ってるヤツまで気が回ってない。

 ……あと、俺の風船黒子どもは具現化系じゃなくて放出系だ。

 ま、この辺の状況判断や見立てと分析は、単純な念能力者戦の経験不足だけどよ」

 

 

 シャッチモーノがそう言って、足元に落ちた黒い風船を指で摘んで拾い上げる。

 スクワラは「厳しいねえ」と肩を竦めたが、二人の周囲は死屍累々の有様だ。

 

 いずれも──人面猿、あるいはオオガキアゲラ。

 戦闘の最中、虎視眈々とゴンとキルア……あるいはミトとゴンの曾祖母を狙っていた魔獣たち。

 二人の念能力者は激しい戦いの裏で、その脅威を片付けていたのだ。

 

 だがそんな戦いの気配を微塵も感じさせないまま、スクワラは少年たちが駆けて行った方に目を凝らす。

 既に霧の中に埋もれて、その小さく、けれど逞しい背中は見えなくなってしまっていた。

 

 

「しっかし、あれがハンターライセンス取得したばっかのルーキーだって? 

 末恐ろしいにもほどがあるな……ニコルの奴が落ちるわけだ」

 

「銀髪の方……ゾルディック家の御曹司も、最終試験で落ちたらしいけどな」

 

「……俺もハンター試験受けようかな」

 

「やめとけよ」

 

 

 シャッチモーノは同僚の、本気なんだか冗談なんだかわからない言葉に、けたけたと笑いながら首を横に振る。

 

 

「どうせ『合格したらエリザに告白する!』とか言って、またズルズル引き伸ばしにかかるのがオチだろ」

 

「うるせえなあ……!」

 

 

 霧の中、軽口を叩き合いながらも、彼らは淡々と次の任務に向けて動き続けていた。

 




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