地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)   作:あなたへのレクイエムです

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40.8月31日 ②

 ヨークシンシティ・ダウンタウン。

 その一角に佇むキャンディマーケットは、かつてこの街の胃袋を支えた巨大なお菓子のビスケット工場跡地を丸ごとリノベーションした、エリア最大級の屋内型ショッピングモールだ。

 剥き出しの赤レンガ、頭上を這う無骨な鉄パイプ、そして当時の面影を残すレトロな工業用ミキサーのオブジェ、ほのかに漂う甘いバニラの残り香。

 ヴィンテージ感溢れる通路の両側には、最先端のブティックや高級雑貨店、色鮮やかなスイーツショップがぎっしりと軒を連ね、朝から多くの買い物客で活気に満ち溢れていた。

 

 その喧騒の中を、水色の髪を弾ませながら文字通り飛び回る少女が一人。

 

 

「見て見てルモア!

 このゴシックドレス、胸元のカットがすっごく綺麗!

 レディに絶対似合うと思うの!」

 

「ちょっと露出が多くないか……?」

 

「大胆だから良いんじゃない! レディに似合うって事は私にも似合うってことだし?」

 

「そりゃまあ、似合うは似合うと思うけども」

 

「じゃあこれはどう? ほーら、スケスケでひらひら!」

 

「……人前で着るもんじゃないのでは?」

 

「いーの! ホテルで着るんだから!」

 

 

 両手にこれでもかと衣装を抱えたネオンは、目をキラキラと輝かせながら試着室と売り場を往復している。

 その後ろを着せ替え人形扱いを受けっぱなしなレディが、相変わらず無表情のまま、けれどどこか楽しげにトコトコとついて回っていた。

 既にレディはネオンの手によって、フリルとレースが何重にもあしらわれた、どこか退廃的で愛らしい黒のドレスを着せられている。

 完璧に着こなしているのはネオンのセンスか、あるいはレディ自身によるものか。

 少なくとも俺が操作したわけではない。

 

 ネオンが「次、これ試着してみて!」とレディを洋服ごと試着室へ押し込む。

 彼女のショッピングが長引くのはいつものことだが、レディを伴うことでその熱量は常人の三倍にまで膨れ上がるのだ。

 俺はといえば既に両腕が完全に塞がり、顎で紙袋を挟み込むような無様な格好で彼女たちの後ろを歩いている。

 他の護衛団は慣れたもので、ネオンとレディに振り回される俺への呆れが1/4、面白がってるのが1/4、残りは仕事といった雰囲気。

 

 試着室のカーテンが閉まるのを見届けて、俺は一度深く息を吐き出す。

 原作でバショウとセンリツが辟易していたのも、まあわからないではない。

 俺だってネオンとレディだから平気で付き合えるが、見知らぬ女の子相手にこれをやられたならもっと疲弊していたに違いない。

 といってもそれを表に出すような無様な躾はされていないし、そもそも他の女の子と買い物に行く機会などほぼゼロだ。

 たまに侍女の皆さん、主にエリザさんの手伝いをするくらいで……。

 それ以外の可能性としては、もしポンズに誘われたら、くらいか?

 今のところそんな機会はないけれど。

 

 その時、鏡の前で水色の髪を弄っていたネオンが、ハッと何かに気づいたように動きを止めた。

 慌ててバッグをひっくり返して手帳をめくり、エメラルドの瞳が驚愕に見開かれる。

 

 

「──あーッ! 大変、忘れてた!!」

 

「どうした、ネオン?」

 

「今日、8月31日だよ!?

『セーラ大作戦3』の、全世界3万本限定デラックスBOXの発売日!!」

 

「あー……」

 

「あーんっ もォ、最悪だァ……ッ!!」

 

 

 ネオンは頭を抱えて、まるで世界の終わりかのような悲鳴を上げた。

 

『セーラ大作戦』はマデ社のキラータイトルシリーズで、看板作品。かなりの人気を誇っている。

 3はマデマル(マデマールス)からハードを移行してホプキャス(ホープキャスト)になったんだったか。

 なんだかんだジョイステ(ジョイステーション)2に対抗してよく頑張っているが、その一因がこのシリーズ。

 美少女キャラクターたちと恋愛しつつ戦ってくゲームは、まあネオンの趣味の中ではかなり穏当な方だろう。

 

 

「……予約してなかったのか?」

 

「できなかったの! 予約サイトなんか一瞬でパンクだもん。あとは店頭販売だけ……!

 もー! オークションのことばかり考えてたから完全に頭から抜けてた!」

 

「ヨークシンなら扱ってるショップもあると思うけど……」

 

「今からお店に行っても、一般販売の先着分なんて絶対大行列だよォ!」

 

 

 それは確かにそうだろう。

 しかし彼女が自ら混雑したゲームショップへと足を運ぶのは、護衛の観点からして論外だ。

 ダルツォルネさんも渋い顔を隠しきれてない。まあこの人は普段から渋い顔だけれど。

 ネオンもそれが分かっているからこそ、ジタバタと悔しそうに足を踏み鳴らす。

 見かねて、荷物持ちの後方で控えていたエリザさんがおずおずと声を上げた。

 

 

「あの……よろしければ、私がかわりに並びましょうか?」

 

「本当!? エリザ、行ってくれるの!?」

 

 

 ネオンは地獄で仏に会ったかのように顔を輝かせ、エリザさんの両手をがっしりと握りしめた。

 エリザさんは少し困った、けれど年下の妹のワガママを「しょうがないな」と受け止めるような表情。

 だが、事はそう簡単にいかない。背後に控えていたダルツォルネさんの低い声が即座に諌める。

 

 

「お待ちください、ボス。ここはヨークシンです。

 流石にエリザを一人で街の中心部へ向かわせるのには危険が伴います。

 護衛の戦力をこれ以上分散させるわけにはいきませんし、長時間並ぶとなると……」

 

「ええーっ! じゃあ私のデラックスBOXはどうなっちゃうのよぉ!

 今日を逃したら買えなくなっちゃう!」

 

「それは……後日、他のショップにて販売されるものをご購入されては……」

 

「そんなのやだ! 転売する人なんかにお金渡したくないもん!

 あんなのドロボーと同じだよ、ドロボー!

 作ってくれた人やお店の人への感謝ってものがないよ!!」

 

 

 ネオンはやだやだと最近珍しいワガママな姿を見せる。

 しかしこれは……成長したなあと微笑ましく見るべきではないか。

 

 とはいえ、これ以上時間を浪費するのも得策ではないし、この後の予定すべてに支障が出る。

 エリザさんはスクワラさんの方をちらちらと見ているけれど、残念ながらスクワラさんは何十頭もの犬の管制中でそれどころではない。

 ……というよりまあ、此処でスクワラさんがエリザさんに同行できるわけがないのは、お互い百も承知だろう。かといって犬を何頭かエリザさんにつけたところで、という感じでもある。

 スクワラさんがちらっと俺を見たので、俺は両腕の紙袋をイワレンコフさんの巨体へとそっと預けた。

 彼は「おう」と器用にそれらを受け止めてくれた。何個か髭面の男に回してもいるけど。

 そして俺の肩を叩くシャッチモーノさん。

 

 

「ま、一ヶ月に比べりゃ数時間はマシな方だ。ひとっ走り行ってこいよ、アンドー」

 

「そうします」

 

 

 シャッチモーノさんの無責任な煽りに笑いながら、俺はダルツォルネさんの前に一歩進み出る。

 

 

「ダルツォルネさん、俺がエリザさんに同行します。それなら問題ないでしょう?」

 

「む……」

 

「俺とエリザさんで限定版を確保して、すぐにまた合流します。

 護衛の戦力っていう意味では、俺が離れるのが一番影響ないですしね。

 ……レディのお陰で」

 

 

 俺の提案に試着室のカーテンを少しだけ開けて顔をのぞかせたレディが、無表情のままコクリと深く頷いて見せた。

 

地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』は俺から離れても、ネオンの傍にいる限りはなんら問題なく具現化し続ける。

 それはハンター試験の一ヶ月で証明済みだ。

 念能力の強さを単純比較するのは難しいが、それでも純粋な射程距離だけで見れば、俺のレディは護衛団の中でも随一だと言えるだろう。

 俺がいない間に……そしてどんなに離れていても、何かあればレディが即座にネオンを守り、俺もその状況を把握できる。

 この辺りシャッチモーノさんの『縁の下の11人(イレブンブラックチルドレン)』のような数や頑丈性はないし、戦闘能力にも欠けるし、俺が彼女を盾にして使い潰したりはできないけど、明確な『地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』の長所、利点だと思う。

 

 ……などと考えていたらカーテンの隙間から肌色が垣間見えたので、俺はレディに試着室の奥へ戻るよう促した。

 ダルツォルネさんは少し腕を組んで考え込んでいたが、やがて重い息を吐き出して頷く。

 

 

「……仕方あるまい。

 ルモア、エリザの身の安全を最優先だぞ。

 ボス、売り切れていたらその場合は諦めてくださいね?」

 

「了解です」

 

「やったぁーっ!! さっすがルモア、話がわかるぅ!」

 

 

 ネオンは手のひらを返したように大喜びで、俺の手をとってぶんぶんと上下に振った。

 

 

「でもエリザに何か変なことがあったら、瓶詰めだからね?」

 

「わかってるよ」

 

 

 ネオンの細い指先が、俺の心臓の上をとんとんと軽く突く。釘を打ち込むような動き。

()()()からね?」という耳を擽るような囁きと共に、俺の左眼がちりちりと熱くなった。

 

 

「はい、これお財布!

 あ、レディ、うーん……ちょっと合わなかったか。じゃあ次はあっちの服見てみよう!」

 

 

 ネオンはエリザさんに分厚いゴールドカード入りの財布を押し付けると、すぐにまたレディを引っ張って売り場へと戻っていった。

 本当に嵐のような女の子だ。

 けど、ヨークシンでの日々を心から楽しんでいる事もわかる。

 なら、そのために俺がひとっ走りすることは何の苦労でもない。

 

 

「……では、ルモアさん。行きましょうか」

 

 

 エリザさんが、少し緊張した面持ちで日傘を握り直す。

 俺は彼女に歩調を合わせ、活気あふれるキャンディマーケットの出口へと向かった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 外に出るとヨークシン特有の、焦げ付くような熱風が容赦なく肌を灼く。

 頭上から照りつける太陽が、ビルのガラス壁に乱反射してアスファルトを白く焦がしている。

 その狭間を走る大通りは、世界中から集まった観光客や車、そして奇妙な熱気に浮かれた物売りたちでごった返していた。

 セントラルエリアのメガストア『ギガ・ゲームス』までは、タクシーを使っても道路の混雑次第では時間がかかるだろう。

 なにせ今日はドリームオークションの前日。

 観光客から競売品の輸送から会場設備の搬入やら何やらで、交通機関はパンク寸前。

 およそ、まともに車が動くような状況じゃない。ヨークシン地下鉄の治安の悪さは有名。

 俺はエリザさんと移動経路を確認、相談の上、徒歩で向かうのが良いということで合意を見た。

 

 

「エリザさん、ちょっと急ぎます。俺の後に遅れないようについてきてください」

 

「ええ、大丈夫。こう見えても体力仕事だから、私の方は気にしないで」

 

 

 そう言って微笑むエリザさんは、ネオンの前じゃないのもあって若干口調が緩んでいる。

 俺の呼び方もルモアさんから、ルモアくんになっているのは……まあ、エリザさんとも長い付き合いだから。

 なにせ俺がネオンの()()()()()()になってからなので、もう10年にもなる。

 俺にとってエリザさんは姉みたいなもの……だとは思うのだけど、エリザさんからはどうだろう。

 手のかかる子供だと思われてなければ良いけど。色々と面倒もかけてしまってるしなぁ。

 

 そんなエリザさんは巧みに日傘を傾け、照り返しを防ぎながら俺の半歩後ろを歩く。

 その足取りは見た目の華奢さに反して、確かにしっかりとしていた。

 とはいえ、だからといって彼女をエスコートしないのは俺のスタイルではない。

 俺は素早く携帯電話に目を落とし、幾つかのメールの確認と返信をしてから、エリザさんに声をかけた。

 

 

「悪いね、エリザさん。ネオンの我儘に付き合わせちゃって」

 

「いいえ、ルモアくんのせいじゃないわ。

 ……むしろ、ごめんなさいね。私のせいで余計な仕事を増やしてしまって」

 

 

 少し申し訳なさそうに俯くエリザさんに、俺は歩きながら苦笑を返した。

 

 

「俺の方は問題ないですよ。ネオンの傍にはレディもいるし、護衛団の皆もいる。

 何よりネオンがああなったら、誰も止められないのはエリザさんもよく知ってるでしょう?」

 

「それは、そうだけど……」

 

「それに──」

 

 

 俺はチラリと、日傘をさしてしずしずと歩くエリザさんの方へ視線を送る。

 

 

「──たまには、こうしてエリザさんと二人で歩くのも、悪くないですしね」

 

 

 エリザさんは一瞬驚いたように目を見開いた。

 それから年上のお姉さんらしいツンとした態度を、わざとらしく取ってみせた。

 

 

「……もう、スクワラさんに言って叱ってもらおうかしら。

 そんなの、どこで覚えてきたの? ルモアくん17歳でしょう、まだ」

 

「これでも色々と苦労してるんですよ」

 

「なら、お嬢様にお伝えした方が良い?」

 

「瓶詰めにされそうだなぁ……」

 

 

 俺のおどけた言葉に、エリザさんはくすくすと瀟洒な動きで口元を押さえて笑う。

 どうやらエリザさんの申し訳なさは、今の俺の冗談で消す事ができたらしい。何よりだ。

 俺は周囲を警戒して彼女の隣に立ちながら、さりげなくエスコートを続ける。

 左眼の奥からネオンが「ちょっと、ルモア?」と、じっとりとした囁き声を伝えてくるけど、俺は「冗談だよ」と心の内で返した。

 

 

(エリザさんとスクワラさんの仲はネオンだって知ってるだろ?)

 

『そうだけど……そういう事じゃなくってぇ』

 

(色々と苦労してるってのも別にネオンの愚痴じゃないよ)

 

『そういう事でもなくってェ……!』

 

 

浸液標本の愛(プライベート・アイ)』の向こうでネオンがぶちぶちと不貞腐れているのがわかる。

 きっと周囲にいる護衛団の皆は戦々恐々としているだろうな。

 俺は頬を膨らませているネオンの様子を想像して、僅かに口元を緩めた。

 と――……。

 

 

「ふふ、本当にお嬢様は独占欲が強いんだから。

 ……ルモアくん、あんまり意地悪して怒らせちゃ駄目よ?」

 

 

 並んで歩くエリザさんが、クスリと悪戯っぽく笑いながら俺の顔を覗き込んできた。

 どうやら俺の表情がほんの一瞬、ネオンの不機嫌に呼応して変わったのに気づいたらしい。

 けれど何よりその言葉に俺は驚きを隠せず、思わずエリザさんの顔を見つめ返した。

 

 

「……()()()んですか? あ、いや、ネオンから聞いた……?」

 

「ううん。スクワラさんのワンちゃんもそうだけど、お嬢様やルモアくん達の持ってる不思議な力の事はさーっぱり。

 でもずっとお嬢様の事も、ルモアくんの事も見てきたからね。これくらいはわかるよ。

 時々、二人でナイショ話してるんだなあって」

 

 

 まったく、脱帽ものだった。

 俺とネオンのちょっとした変化だけで、この人は念能力者でも何でも無いのに、俺達が『浸液標本の愛(プライベート・アイ)』で繋がっている事に気づいていたらしい。

 俺が敵わない人の中に間違いなくエリザさんも含まれているけれど、その認識を再確認する。

 

 

「……怒らせてるつもりも、意地悪してるつもりもないんですけどね。ただの世間話ですよ」

 

 

 苦笑しながらそう答えつつも、俺の脳内──正確には『浸液標本の愛(プライベート・アイ)』で繋がった感覚の向こう側──では、水色の髪の少女が盛大に頬を膨らませていた。

 

 

『世間話じゃないでーす! 警告でーすっ!

 ルモアは私のコレクションなんだから、余計なこと言って他所の女の人の心を揺さぶっちゃいけませーん!』

 

(揺さぶったかぁ……?

 というかさっきも言ったけど、エリザさんとスクワラさんの仲は知ってるだろ。

 邪魔する気はないぞ、俺。その余地も無いだろうしさ)

 

『関係ないもーん! ていうか、怒ってるのそこじゃないもん!

 エリザは私の侍女だし、スクワラさんは私の護衛だけど、ルモアは()()()()ルモアだもん!

 ほら、右に曲がるところ、ちょっと日陰が途切れてるからエリザの日傘持ってあげて!

 護衛失格で瓶詰めにしちゃうぞ!』

 

 

 脳髄に直接響く、甘ったるくて、それでいて有無を言わせない傲慢な命令。

 俺はその心地良い声に頬を緩ませながら、そっとエリザさんに手を差し伸べた。

 

 

「エリザさん、ここから先は少し日差しが強くなります。日傘、こっちで持ちましょうか」

 

「あら、気が利くのね。ありがとう」

 

 

 エリザさんから日傘を受け取り、彼女の頭上に影を作るように掲げる。

 その瞬間、左眼の奥のじっとりとした気配が、ふっと満足げな、喉を鳴らす猫のような温もりに変わった。本当に分かりやすい。

 

 

「……ねえ、ルモアくん」

 

 

 しばらく並んで歩いていたエリザさんが、ふと真面目なトーンに声を落とした。

 周囲はただでさえヨークシンの中心地。多種多様、雑多とも言える人々が行き交う仲に、オークション前夜の熱気に浮かぶ観光客やマフィアの末端、怪しげなブローカーたちが混ざり、嫌でも緊張感が漂う空間だ。

 俺は用心深く周囲に目を走らせながら応じた。

 

 

「何ですか?」

 

「さっきはスクワラさんの名前を出して、からかっちゃってごめんなさいね」

 

「いや、それを言うなら最初にふざけたのは俺ですし」

 

「でも、私の言ったことのせいであの人が勘違いされたら嫌だなって思って」

 

「ああ……。大丈夫ですよ、わかってるつもりです。

 いつも面倒を見てもらってばかりで、お世話になりっぱなしで、申し訳ないくらいです」

 

「ほら……彼、ちょっと不器用だし、口調も荒っぽいし、あれで小心者だから。

 ルモアくんみたいに若いのにしっかりした子が護衛団の潤滑油になってくれて、本当に助かっているのよ。

 普段は口には出さないけれど、あなたをすごく信頼しているの」

 

「……そうですか」

 

 

 俺は何とも言えない、むず痒いような居心地の悪さを覚えて、頬を掻いた。

 

 

「じゃあ今度、スクワラさんに何か美味いものでもおごらなきゃダメですね」

 

「ふふ、そうしてあげて。あの人、きっと喜ぶわ」

 

 

 エリザさんの横顔は、いつもの澄ました侍女のそれではなく、一人の恋する女性のものだった。

 

 原作での二人の悲劇的な結末が、一瞬だけ脳裏をよぎる。

 スクワラさんは旅団に殺され、エリザさんは精神を病んでしまう。

 けれど、それ以上の事……その後の事は、何一つ描かれない。

 ノストラードファミリー、そしてネオン=ノストラードの破滅は、幻影旅団とクラピカの戦いの背景に過ぎないのだから。

 

 当事者にとっては、そうではないだけで。

 

 

「それと、その……いつも、ありがとうね」

 

 

 エリザさんは前を向いて歩きながら、どこか遠くを見るような目で微笑んだ。

 

 

「私ね、今回のヨークシン、少し怖かったの。

 ほら、この間のくじら島の事件もあったでしょう?

 旦那様の勢力が大きくなるにつれて、周りもどんどん物騒になっていくし……。

 でもね、さっきキャンディマーケットで皆の顔を見ていたら、ちょっと安心しちゃった。

 ダルツォルネさんは相変わらず堅物だけど、みんな文句を言いながらも楽しそうで。

 何よりお嬢様が……ネオンが、あんなに無邪気に笑ってる。

 それは、ルモアくんがずっと傍にいてくれてるからよね」

 

「……俺は、ただの護衛ですよ」

 

「ただの護衛は、もう一人のお嬢様(レディ=ノストラード)を何処からか連れてきたりしませんっ。

 こっちのお世話も二倍になるのに、お給料変わらないんだからね?」

 

「それは……いや、申し訳ないです」

 

「ふふっ……ありがとう。お嬢様を、あんなに真っ直ぐな女の子にしてくれて」

 

 

 エリザさんの言葉に、俺は何も言えなくなった。

 

 原作のネオンは誰からも愛されず、ただ能力のみを消費され、最終的にはその価値を失って悲惨な末路を迎えた女の子だ。

 ずっと傍にいたであろうエリザさんでさえ、ワガママなネオンの事を、何処か疎んでいるような描写さえあった。

 転職したがってたっていうのは……つまり、そう言う事だろう。

 

 けれど今、ここにいるネオンは違う。

 彼女の周りには、彼女そのものを見てくれる人が確かにいる。

 

 それが俺が何かできた証だというのなら……これ以上のことはないだろう。

 この後、何があっても――俺が死んでも、ネオンは大丈夫だと、そう思いたい。

 

 

「お嬢様も……たぶん聞こえているんですよね?

 ダメですよ、ルモアさんをあまり困らせたら」

 

『ルモアを困らせたりなんかしないもーん。

 ……けど、エリザには今度、新しい着物のお仕着せ買ってあげよっと』

 

 

 エリザさんから窘められたネオンが、脳内で今度は上機嫌にふふんと鼻を鳴らした。

 

 そんな他愛のない会話を交わしながら、僕たちはいくつもの路地を通り、ようやくセントラルエリアのメインストリートへと抜け出る。

 頭に入れたヨークシンのタウンマップに間違いがなければ――……。

 

 

「さて、そろそろ見えてくるんじゃあないかと思うんだけど……」

 

「あ、ルモアくん、あそこじゃない?」

 

 

 エリザさんが指差した先──巨大なホログラムディスプレイに『セーラ大作戦3』のキャラクターたちが派手に映し出された店舗。

 ひときわ巨大な全面ガラス張りのメガストア──『ギガ・ゲームス』の建物だった。

 

 

「うわあ……すごい人……!」

 

 

 エリザさんが思わず小さく悲鳴を上げる。

 ストアの正面玄関から伸びた行列は、建物の外周を三重、四重に取り巻き、近くの広場にまでとぐろを巻くようにして続いていた。

 文字通りの人の海。

 プラカードを持った店員が「最後尾はこちらでーす!」と絶叫しているが、その声も集まったゲームマニアたちの熱気に掻き消されている。

 

 

「……やっぱり歩いて正解だったわね、ルモアくん。

 とてもじゃないけれど車じゃ間に合わなかった……」

 

「まだわからないですよ、売り切れる前に急いで並びましょう。俺が道を開くので……!」

 

「お願いね……!」

 

 

 俺たちは急ぎ足で行列をかき分け、待機列の最後尾へと滑り込んだ。

 すぐ後ろで「此処までで本日の一般販売分は終了です!」と店員がアナウンスを始める。

 本当に間一髪だ。

 俺はエリザさんと顔を見合わせて、安心したように笑い合った。

 

 

「これでお嬢様も爆発しないで済みそう」

 

「少なくとも瓶詰めは回避できるかな、と」

 

 

 ジリジリとアスファルトから伝わる熱気の中、僅かずつ進む待機列。

 周囲のゲーマーたちが熱心に携帯端末で情報を追う中、俺はエリザさんの周囲への警戒を怠らない。

 こうした人混みは、スリや置き引きの格好の標的になり得るからだ。

 エリザさんが大事そうに抱えた財布へ伸びる手を、俺は何度か適当にあしらう。

 

 そうして何十分も待っている間、ネオンの「飽きちゃった。レディと待ってるね!」という言葉と共に左眼の熱はあっさりと引いていく。

 俺の表情を見たエリザさんが、くすりと笑った。

 

 

「ナイショ話、終わった?」

 

「みたいです。まあ、行列に並ぶのって退屈ですからね」

 

「あら、私はルモアくんと一緒にいると、そうでもないけど」

 

「……うーん、心臓に悪い」

 

「でしょう?」

 

 

 エリザさんは悪戯っぽく目を細めた。先程のお返しという事なんだろう。

 やっぱり俺はこの人に敵わない……というかネオンの悪戯っぽいところは、エリザさんの影響なのではないか。スクワラさんにはぜひとも頑張って頂きたい。

 俺が踏ん張る理由の中にも、確かにこの二人の事だって入っているんだから。

 

 そうして……40分くらいが経過した頃だろうか。

 不意に行列の少し前方、ギガ・ゲームス前の広場に面した一角で、何かが激しく割れるような乾いた音が響き渡った。

 

 

「んだとゴラァ! どこ見て歩いてんだテメェッ!」

 

「あぁん!? テメェこそ因縁つけてんじゃねえぞ、田舎者が!」

 

 

 絵に描いたようなガラの悪い怒号。

 一瞬にして周囲の空気が凍りつき、並んでいたゲームマニアたちが悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように距離を取る。

 ドスの利いた声で怒鳴り散らしているのは、仕立ての悪いスーツを着た地元のチンピラらしき男たち。

 そしてその対面に立っているのは──。

 

 

(……ウボォーギン……!?)

 

 

 俺は心臓の跳ね上がりを、無理やり理性で押さえ込んだ。

 ボサボサの野獣のような髪に、熊を思わせる凄まじい体躯。一般人に擬態する気など毛頭ないと言わんばかりの圧倒的な存在感。

 文字通り群衆から頭一つ抜け出たその男が威嚇するように獰猛な笑みを浮かべ、そこに仁王だっている。

 彼が軽くチンピラの肩を小突いただけで、男の身体はまるで軽自動車に撥ねられたかのように数メートル吹き飛び、街灯に激突した。

 悲鳴が、上がる。

 

 

「おらァ! 次はどいつだ、ああッ!?」

 

「ヒィッ……!? ば、化け物……っ!」

 

「おい、あいつヤバいぞ!?」

 

 

 広場は一瞬にしてパニックに陥り、怒号と悲鳴が渦巻く混沌の坩堝と化す。

 隣にいたエリザさんが息を呑み、思わず俺の腕に縋りついてきた。その身体が微かに震えている。

 

 

「え、あ、なに、ケンカ……!? ルモアくん……!」

 

「静かに。エリザさん、俺のすぐ後ろに隠れて。目を合わせちゃ駄目だ」

 

 

 俺は日傘を持つ手を崩さず、エリザさんを完全に自分の背中へ隠した。

 

 何故、ウボォーギンがこんなところにいるのか。

 いや、ヨークシンに招集がかかっているんだから、全員()()のは当然だ。

 なら何故、暴れているのか……というのも、おそらくは考えるまでもない。

 

 ()()()()()

 

 仲間の治療に必要な缶ビールさえ、他人を殺して盗ってくるのが幻影旅団だ。

 気まぐれに腕相撲の競売に参加する事はあっても、本質的にはただの強盗団に過ぎない。

 

 原作でフェイタンが言っていたではないか。団長はゲームを欲しがるかもしれないと。

 単にグリードアイランドだけを狙わなかったのは、それも含めた全部を根こそぎ奪い取るから。

 足りないと見るや、旅団は落札された輸送中の競売品を狙って強奪していたはず。

 じゃあ競売に出ないような、新作ゲームが欲しくなったら?

 

 ──見ての通りだ。

 

 おそらくはウボォーギンが派手に暴れて気を引いて、その隙に誰かが店内で盗みを働く。

 (ネン)を使わないのは、本気になるまでもないただのお遊びだから。

 何日も前から予約して待っていた連中のことなど何とも思ってやいないのだろう。

 チンピラが吹き飛び、周囲のものが投げ飛ばされ、あっという間に広場は阿鼻叫喚の大惨事。

 

 

「逃げろ!」

 

「おい誰か警察を呼べよ!」

 

 

 予約客たちが恐怖でパニックになり、予約の整理券すら放り出して逃げ惑う。

 店内からなだれ出てくる客たちの波。

 オークション前日という事もあって、巻き込まれた人間の数は途方もないものだ。

 ドミノ倒しにでもなって群集事故が起きたら、俺はともかくエリザさんがひとたまりもない。

 

 

「エリザさん、俺の後ろに……!」

 

「あ、ありがとう……!」

 

 

 俺は躊躇無くエリザさんを抱きかかえるような姿勢を取り、腕で囲うようにして万一の際に転倒しても彼女が呼吸できる空間を確保する。

 逃げ惑う人々が俺にぶつかる衝撃に無理に踏ん張らず、ゆらゆらと人混みに揉まれるように耐え忍びながら、それがエリザさんに影響を及ぼさないように細心の注意を払う。

 (ネン)を使ったりはしない。当たり前だ。

 関わるな。絶対に接触するな。

 今ここで俺が(ネン)を込めて動けば、ウボォーギンほどの達人なら一瞬でそのオーラを察知するだろう。

 そうなればエリザさんを巻き込むことになる。

 それだけは、何があっても避けなければならない。

 

 俺が此処にいて良かったと思う。

 エリザさんがこんな事態の真っ只中に一人で放り出されるなんて、考えたくもない。

 エリザさんがいてくれて良かったと思う。

 俺一人だったら、きっと感情を制御しきれなかったかもしれないから。

 

 幸いウボォーギンの目的はあくまで騒ぎを起こすことであり、暴れまわることに夢中だ。

 逃げ惑う人々の中で揉みくちゃにされている俺たちなど、視界にも入っていない。

 そしてぶつかってくる群衆からの衝撃は、別に強化念能力者の攻撃でもない。

 だからこの程度の命の危機は……まあ、ハンター試験で慣れたことだ。

 

 その混乱の隙間を縫うようにして、一人の男が静かに店外へと歩き出てくるのが見えた。

 艷やかな黒髪を後ろに撫でつけ、品のある上質なコートを翻した、美丈夫。

 その手に抱えられた、ネオンが死ぬほど欲しがっていた『セーラ大作戦3 デラックスBOX』が妙に浮いていて笑いを誘う。

 

 俺はその男を知っていた。

 ()()()()()()()知っていた。

 一瞬たりとて、忘れた事などなかった。

 

 

()()()=()()()()()()……!)

 

 

 その黒い瞳が、一瞬だけ、本当に気まぐれに、パニックに陥る群衆の端にいる俺たちの方へと向けられた。

 

 ドクン、と。きつく絞め上げられた心臓が重く脈打つ。

 

 俺は迸る感情の全てを、必死になって抑え込んだ。

 オーラを僅かでも昂らせてはいけない。気取られてはいけない。

 パニックに晒された一般人が恐怖で硬直しているだけ。

 ただのモブとしての姿を懸命に取り続けろ。

 

 クロロの視線は、俺を、そして怯えるエリザさんを何の価値もない風景の一部として滑り抜け、そのままウボォーギンの方へと向けられた。

 奴の人差し指が小さく立てられたのが見えた。『仕事は終わった。引き上げるぞ』という合図。

 

 

「ケッ、もう終わりかよ。骨のねえ街だな!」

 

 

 ウボォーギンはつまらなそうにペッと唾を吐き捨てると、意識を失ったチンピラをゴミのように放り出した。

 投げ飛ばされたチンピラは何かにぶつかったのか、物が砕ける音、果物の潰れるような音を立てて動かなくなる。

 そしてウボォーギンはクロロの後を追うように、雑踏の向こうへと消えていく。

 嵐が去った後のような静寂が広場を支配し、やがて遠くからパトカーのサイレンが響き始めた。

 

 俺は、ゆっくりと息を吐いた。

 

 

「……行った、みたいですね」

 

「……ルモアくん、大丈夫……?」

 

 

 俺の腕の中で、そろそろとエリザさんが顔を上げた。怯えと、気遣い。

 傷一つないけれど、混雑に揉まれて汚れてよれた俺の服を、彼女は申し訳なさそうに整えてくれた。

 

 

「ええ、大丈夫です。エリザさん、怪我はありませんか?」

 

「私は、平気。でも、お店が……」

 

 

 ギガ・ゲームスのガラス扉は半壊し、店内は客が逃げ出したことでガランとしていた。

 店員たちは腰を抜かしているが、レジのシステム自体はまだ生きているようだ。

 

 旅団が奪っていったのはおそらく数本、たぶん店頭に並んだ一部だろう。クロロが欲しがった分だけだ。

 すべての在庫を強奪するような真似は、どうやらしていない──持ち運ぶ手段も無いだろうから、まだ。

 

 

「……大丈夫。まだゲームは残ってると思いますよ」

 

 

 俺はエリザさんの手をとって立ち上がらせると、怯える店員たちの元へまっすぐに歩み寄った。

 

 

「すいません、この状況で申し訳ないんですが……まだ販売は受け付けていますか?

『セーラ大作戦3 デラックスBOX』を一本、購入したいのですが」

 

「え、あ……は、はい! 在庫は、まだ奥にあります! すぐ、すぐに持ってきます!」

 

 

 店員は命の恩人にでも会ったかのような顔でバックヤードへと走り、数分後、綺麗に梱包されたデラックスBOXを抱えて戻ってきた。

 エリザさんが震える手でネオンのゴールドカードを端末に通し、決済音が軽快に鳴り響く。

 正規購入のレシートを受け取り、俺はエリザさんに代わって、ずっしりとした限定版の箱を腕に抱えた。

 

 

「……買えたね、ルモアくん」

 

「よし、じゃあ長居は無用だ。さっさとキャンディマーケットへ戻りましょう」

 

 

 メガストア周辺の喧騒と遠くから近づいてくるパトカーのサイレンを背に、俺たちは元来た道を足早に引き返した。

 

 行きと同じく、エリザさんと一緒に歩きながら日傘を掲げる。

 エリザさんは先ほどの恐怖からか、しばらく無言のまま俺のシャツの袖を小さく掴んでいたけれど、キャンディマーケットの赤レンガが見えてくる頃には、ようやくいつもの凛とした侍女の表情を取り戻していた。

 

 

「……ルモアくん、本当にありがとう。あなたがいてくれて、本当に助かったわ」

 

「いいえ。何よりエリザさんが無事で良かったです」

 

「…………ホント、そういうところなんだろうなぁ。キミはさァ……」

 

 

 エリザさんは出来の悪い弟を見るように、仕方ないなと笑ってくれた。

 だけど、本当の事なんだからどうしようもない。

 本当に、エリザさんに怪我が無くて良かった。

 

 腕に抱えた『セーラ大作戦3 デラックスBOX』の重みを感じながら、俺はマーケットの自動ドアをくぐる。

 冷房の利いた心地よい空気が、火照った肌を優しく冷ましてくれた。




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