地雷系彼女(マイ・フェア・レディ) 作:あなたへのレクイエムです
──9月1日、午後8時55分。
ヨークシンシティの中心部、夜の帳が下りた摩天楼の一つ、聳え立つセメタリービル。
その全面強化ガラス張りの超高層ビルの周辺は、異様なまでの熱気と、それに相反する冷徹な殺気がはち切れんばかりに膨れ上がっていた。
大通りには黒塗りの高級外車が幾重にも列をなし、そこから降りてくるのはきらびやかなタキシードやイブニングドレスに身を包んだ紳士淑女たち。
世界中から集まったマフィアの幹部や大富豪たちが、凄腕のボディガードたちを引き連れて次々とビルの中へと吸い込まれていく。
今夜、このビルの地下で、世界最大の闇の祭典『
少なくとも……そう信じている者たちが集まってきている。
「──こちらルモアです。正面は問題ないです。
イワレンコフさん、そっちの様子はどうですか?」
会場正面から大通りを複数挟んだ、対面側のビルの屋上。
俺は周囲を巡回するマフィアの私兵たちの動きや会場の入口を睨みながら、インカムに声を送る。
『……心臓に悪いねえ、このメンツは。
ほとんどの組の幹部以上、親分が自ら来てるトコもあるぜ。
どいつもこいつも景気が良さそうなツラしてやがる』
返ってきたのは、ビル裏手の監視ポイントに陣取るイワレンコフさんの重々しい声だ。
続けて、リンセンさんの落ち着いた慎重な声。
『うちの顧客の姿は確認できますか?』
『こっちからは見えねえな』
「同じく。開場五分前ですし、全員、参加を見合わせたようです」
『土壇場で駆け込んでくるかもしれねえぜ?』
最後にシャッチモーノさんの軽口が聞こえて、俺は僅かに口元を緩めた。
今回のノストラード護衛団の布陣は、ダルツォルネさんの指示通り、四つに分かれる形をとっていた。
まず最重要であるボス……ネオンの安全を確保するため、ダルツォルネさんとスクワラさん、髭面の男、そしてレディがホテルに残る。
ダルツォルネさんは強化系だし、単純な直接戦闘力はリンセンさんと並ぶ。
周辺の警戒はスクワラさんの犬たちが担当し、そしていざという時はレディがネオンを守れる。
犬たちをセメタリービルに連れていくわけにもいかないし、これが最適解だろう。
髭面の男もまあ白兵型ではあるし。
続いて会場の周辺を俺とイワレンコフさん、リンセンさんで警備。
これはノストラードファミリーの面子を保つのと、会場警備に参加しているというアリバイ……というと言葉が悪いが、実績作りのためという側面が強い。
と言っても、俺達はコミュニティー直属の兵隊というわけじゃあない。立ち入りを許されるのは、会場から半径500m圏外。
ヨークシンの市長はマフィアンコミュニティとも懇意にしており、警察本部長もその親友。
堂々とやったって誰に文句を言われる筋合いもないのだが、まあ、何事においても体裁は大事だ。
それに内輪揉めだ暗殺だは起こりませんという、身内に向けた安全保障もあるだろうが。
だから俺とイワレンコフさんが正面と裏手のビル、リンセンさんが地上外周を担当する。
そして、もっとも要となるのが──……。
「シャッチモーノさんの方は大丈夫ですか?」
俺は耳のインカムのスイッチを、指先で軽く叩いた。
微かなノイズの向こうから、いつも通りのへらへらとした、けれどどこか張り詰めた声が返ってくる。
『おう、バッチリだぜ、アンドー。見えるか? セメタリービルの入口』
言われた通り
その隣には、ひょろりとした佇まいの風船黒子が2体。
『……いやぁ、大層なこった。
地下競売は面子争いの場で、高く落札すればその価格の5%が手数料……上納金になる。
自分たちの経済力を示して、全国のマフィアに名を売り、株を上げる絶好のチャンス。
俺みたいなぽっと出がここに混ざってるの、場違い感があって胃が痛むねえ』
シャッチモーノさんは、オークション会場である地下室へは直接降りず、その真上にあたる地上1階ロビーに陣取る予定だ。
彼の
風船にオーラを込めて風船黒子を作り上げ、最大11体の兵隊を操る。
だが、その操作と維持を行うためには、どうしても本人の位置と黒子との物理的な距離──
地下の密閉空間に本人が入るわけにはいかない。
かと言って離れすぎれば黒子に十分なオーラを行き渡らせることができない。
だからこそ、会場直上の1階ロビー。ここがシャッチモーノさんにとっての、ぎりぎりのライン。
『──よし、それじゃあビルに入り次第、黒子どもを地下のオークション会場に送り込む。
今までで一番のVIP待遇だな。インカムでそっちに実況してやれないのが残念だよ』
「シャッチモーノさん、どうか無理はしないでください。
おかしいと思ったら、すぐにビルから脱出を」
『へっ、わかってるよ。
俺はアンドーみたいに黒子どもを可愛がっちゃいないからな。
見捨てても心は痛まない』
俺の見ている先でシャッチモーノさんが入口の職員にインカムを預け、ボディチェックを受けて飄々とセメタリービルに入って行く。
オークション会場には一切の武装、記録装置、通信機器などを持ち込む事は許されない。
そして会場に入れるのは一名義につき僅か三名。
念を知っていようがいまいが、まさかポケットの中の風船が恐るべき
本当は俺自身が会場に入って、事の顛末を全て確認したいくらいだった。
もちろん、その場で何が起こるかを俺は知っている。確かめたいのは、
だが、あの虐殺の場面に居合わせて生き残れると思うほど、俺は思い上がってはいない。
かと言って、他の誰か……ましてやシャッチモーノさんやイワレンコフさんを参加させるのは、絶対に嫌だった。
けれど俺のレディとスクワラさんの犬たちを除いて、遠隔で行動できる、ましてや使い捨てにできる駒を用意できるのはシャッチモーノさんだけ。
だからこれは俺にとっても、やはりギリギリの妥協点だった。
通信が終わり、周囲に再びヨークシンの乾いた夜風の音が戻る。
俺はスーツのポケットから携帯を取り出し、幾つかのメールの連絡と確認を終えると、液晶の時計を睨みつけて迫りくるその瞬間を待った。
カウントが進む。仕込みは済ませた。だが、それでも心臓が嫌な音を立てて脈打つのを止められない。
やがて。
無機質な数字が、21:00に切り替わる。
* * *
吹き抜けの天井から吊り下げられた巨大なシャンデリアが、大理石の床を眩しく照らし出している。
行き交うマフィアたちの怒号や談笑が地下に飲み込まれ、嘘のように静かになったロビー。
その片隅にある重厚な柱の陰に、一人の男がひっそりと佇んでいた。
シャッチモーノ=トチーノ。
彼はポケットの中で、まだ膨らませていない黒いゴム風船の感触を指先で確かめながら、不敵な薄笑いを浮かべていた。
事前に膨らませておいた二人の黒子は、無事に地下の会場への入室を許された。これで任務の八割は終わったと言って良い。
「まったく、アンドーも心配性だねえ……。ちょっと過保護が過ぎるんじゃあないの?」
シャッチモーノは可愛がっている後輩の声の調子に苦笑しながら、神経を研ぎ澄ませていく。
今回の作戦において、彼の役割は護衛団の中で最も重要であり、同時に最も危険な位置にいる。
彼の能力『
オーラを込めた風船を黒子として具現化し、単純命令の
その黒子たちをコントロールできる射程距離は、シャッチモーノを中心に、上下左右を含めておよそ数十メートルが限界だ。
だからこそ、彼はこの1階にいる。
地下へと通じる階段を見やりながら、シャッチモーノはフッと息を吐いた。
「『上がっていない階段を降りるな』、だろ?
だったら最初から降りなきゃ良いだけの話だ。俺はここで高みの見物といかせてもらうぜ」
黒子たちの視覚や聴覚は、シャッチモーノへ直接フィードバックされるわけではない。
だが黒子たちの置かれた状況は、オーラの繋がりを通じて1階にいるシャッチモーノへ瞬時に伝わる。
弾丸すら弾き返す黒子たちが地下で異変を察知した瞬間に、地上の仲間たちへ警告を発する──それが彼の任務だった。
「さあて、十老頭の自慢のコレクションが拝めないのは残念だけど……。
何が起きるか、楽しませてもらおうか」
ここに集められたマフィア達は、恐らく
お互い大変だが、まあ情報収集や危機管理、運の尽き。同情以上の感情はない。
まあ万一何事も起きず予定通りに競売が始まったら……。
(ルモアに丸投げでヨシ!)
気楽なもんさと言い聞かせて、シャッチモーノは緊張感とリラックス、その
柱に背を預け、何食わぬ顔で煙草に火をつけようとし、禁煙の表示に顔を顰めた……まさにその時だった。
──チリ。
シャッチモーノの脳の奥で彼の直感、本能とでも言うべきものが、かすかに震えた。
「……あ?」
シャッチモーノは、プロハンターだ。
そこそこ腕は立つという自負がある。
修羅場もいくつかぬけてきた。
そういう者にだけ働く勘がある。
その勘が言ってる。
(
──その瞬間。
1階の大理石の床を突き抜けて凄まじい爆裂音が鳴り響くよりも
階段を上がる事もなく、もちろん地下に降りる事もなく、交戦も索敵も考えず、まっすぐにセメタリービルの外へ、だ。
シャッチモーノは知る由もないことだが……この判断こそが彼の命運を分けた。
この時、オークション会場を襲撃した幻影旅団は七名。
直接の襲撃を担当するのがフランクリン、フェイタン。
会場の出入り口を塞ぎ、逃走者の殺害および死体の処理を担当するのがシズク。
そしてセメタリービル屋上という
いずれもオークション開始前から現地入りして準備を整えている。
もし行動が僅かにでも遅れていれば、死体の処理を終えたシズクが1階の確認に来ただろう。
もしくは首尾の確認と競売品運搬のため屋上から1階ロビーに降りてきた、他の面々と遭遇しただろう。
1階に誰もいないのは、襲撃が始まった
ほんの一瞬の間隙を躊躇無く逃走に用いた事が、奇跡的に彼の命を救ったのだ。
全身のオーラを放出しながら500mを一気に走り抜けると、路地裏に待機していたリンセンが物も言わずにその手を掴み取る。
手に痛みを覚えるほどの強烈な握力。信頼できる感触。
「イヤーッ!!」
強化系念能力者の
徒手空拳だからこそ非武装地帯の会場に最も近い地上で、有事に備えて待機が彼の任務だった。
半ば放り出されるようにしてビルの屋上に転がったシャッチモーノは即座に受け身を取り、傍らに音もなく着地したリンセンを見上げる。
「襲撃だ! 黒子どもが一瞬で消し飛んだ!
念弾! 並の威力じゃあねえ……! 会場にいた奴は全滅だ! やべえぞ!」
「わかりました、すぐにコミュニティーにも連絡を回します!」
リンセンが緊張の面持ちで、しかし冷静さを保ったままインカムを叩いて声を上げるのを、シャッチモーノは他人事のように聞いていた。
信じられない──自分がまだ死んでいない事に気づいた時は、いつだってそんな気持ちだ。
周囲はイヤになるほど静かで、遠くからは夜の喧騒が微かに響き、空と摩天楼は寒々しくも綺麗で、何事もなかったかのように大都会の夜は続く。
そうした情報を一つずつ確かめて、やっとシャッチモーノは僅かな確信を得られる。
──どうやら、生き延びたらしい。
少なくとも、今夜は。
* * *
「──シャッチモーノさんは?」
インカムから聞こえたリンセンさんの報告に対して、俺が真っ先に尋ねた事はそれだった。
『無事です。脱出に成功しました。黒子はやられたようですが、本人は無傷です』
その一言に、俺がどれだけ安堵したか、果たして護衛団の皆には伝わるだろうか。
心配性な奴だと俺がからかわれるか、愛されてるねとシャッチモーノさんがからかわれるか、その両方か。
だとしても……俺は本当に、膝から力が抜けそうなくらいの気持ちだった。
けれど、まだそれは許されない。
『そうです! 警備員も客もいません!!』
『誰一人です!』
『もちろん調べました!!』
『どうやら会場にいた人間全てが消えたらしい!』
『今日の競売品全部……盗まれてる!?』
『マシンガンで挽肉にされたとかフカシこいた奴はどいつだ!?』
『どうでも良い! やった奴ァ一体どこへ消えやがった!?』
『屋上からしか考えられねェ、マフィアなめやがって!』
『ヨークシンに来てる全組織に情報流せ!』
『不審な飛行船を見つけたら尾けてさらえ!! 』
『首謀者は必ず生かして連れて来い!』
『捕まえた組織にはコミュニティーから莫大な褒美を出すと言え!!』
これはただ、
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