地雷系彼女(マイ・フェア・レディ) 作:あなたへのレクイエムです
「バーカ!」
さして詳細を語る必要もなく、キルアとゴンは首尾よく幻影旅団のアジトから脱出していた。
ゼパイルから教わった
先の身内での大騒ぎでタイマン前提だなんだと言っていたのを聞いていたのもあって、これが驚くほどにハマッた。
今頃は廃墟の中で刀を構えて神経を尖らせているだろう相手に対してキルアが贈る言葉は一つ。
つまりは「バーカ!」だ。
とはいえ、脱出に成功したとしても不満が無いわけではない。
隣を走るゴンはそれを隠しもせず、走りながら思いっきり顔をしかめていた。
「チェー……あいつらぶっとばしたかったのにな」
「絶対ムリだって! 返り討ちにあってあの世いき」
「100%?」
「ほぼな。
ほとんど
「……ほぼってことは勝ち目はある? あ、戻って挑むとかって意味じゃないよ?」
「ンー……」
闇の中を走り、瓦礫を飛び越えながら、キルアは親友の疑問に思案する。
まあゴンの気持ちはよくわかる。
元来、キルアは負けず嫌いな性質だ。
強敵を前にすれば、どうすれば勝てるか積極的に脳が回る。
どうにも最近
でもまあ、相手が目の前にいないなら落ち着いて考えられる。
「前にアンドーに言われた通り、
「えっ」
「あいつら全員腕相撲に夢中なんだもん、バレねーよ」
キルアは御伽噺の猫みたいにニタニタと笑った。
度胸あるなーとゴンは思うのだが、キルアに言わせればそれはそのままブーメラン。
「で、あのヒゲ……ノブナガの刀はオーラがなかった。つまり具現化系とかじゃないってこと。
だけどさっきオレらが挑発した途端、『オレの間合いに入ったら斬るぜ』とか言って刀にオーラ集めてたよな。
んでアイツらの口ぶりからすると、あいつ単に刀使いなだけじゃなくてガチの戦闘要員なわけじゃん。つまり
なら刀を強化するか、
「強化系か、変化系か、放出系ってこと?」
「たぶん。んでもってタイマン型とか言われてただろ。
アイツの自称を信じるなら間合いは一部屋未満。反対の壁際にいたオレら射程距離外。
ならまあ放出系で斬撃飛ばしたり、刀身伸ばして『13kmや』とかいって四方八方薙ぎ払う! みたいなのはナシ。
そうすっと強化か変化、でもってタイマンで勝つ気前提ってのと、強化系のゴン相手に居残り許可が出るなら、消去法で……」
「強化系!」
「そゆこと」
直情的なバカっぽいし……というのは、同じ強化系のゴンを前にして言わなかったが。
それにあのくじら島での経験──ネオンとかいうゲキヤバ女の
あの予言みたいに、ノブナガの念能力が、まったく想像もつかないやばいモノの可能性だってあるだろう。
パッと思い浮かばないが、ほら、生きてるなら神様だって殺してみせるとかノートに名前書いたら死ぬとか、そういう理不尽の塊みたいなヤツ。
知識がない以上、どうしたって相手の能力を予想するには限界がある。
つまり実力以前に、自分とゴンには圧倒的に対念能力者戦の経験が不足している。
ここまでの推理推測だってガバガバだ。それに命を懸けるのはなかなか難しい。
とはいえ……そこまで間違った推測ではないと、キルアは思うのだが。
「なら近距離パワー型。しかもあのウボォーギンとかってゴリラよか弱いのは確定。
つまり
「……なにそれ?」
「ようはスピード型ってこと。めちゃくちゃ速い居合切りがアイツの念能力なんじゃね?
当てずっぽうだけど、発動するには逐一刀を鞘に納めないといけないとか、そんなんでさ」
尚、本来の居合切り、抜刀術というのは、別に速い剣技というわけ
ただ斬るだけなら、そりゃあ抜いた状態で構えて普通に斬った方が速いのだ。
では居合切りが何を持ってして速いのかというと、その抜刀から攻撃への即時転換速度。
ただ一挙動で抜いて、構えて、斬るという動作が完結している点にある。
つまり納刀した状態から繰り出される攻撃の予兆が、一切読めない。
ようは拳銃の早撃ちと同じ。
早撃ちしたからといって銃弾の速度は変わらないが、その射撃動作は目にも留まらない。
故に、居合は速いのだ。
鞘の内に
これこそが、居合の術理である。
あのノブナガという男が、まともにどこかで剣術修行したのかは定かではない。
聞きかじりの知識で、ただ居合の方が速いのだと思い込んだのかもしれない。
だが
あのギドの独楽回しが、思い入れによって遥かに強化されていたようなものだ。
居合切りは速い。そして居合切りなのだから鞘に納めていなければ
そういう思い込みが、強さに繋がっているのだとすれば……。
──これが前にアンドーが言ってた
「まあ奥の手で防御の札がある可能性自体は否定できねえけど……
だから相手が気づいてないとこを狙って遠距離攻撃一発で意識ふっとばせりゃワンチャン?
……だけどそれができたら苦労しねーよなーってハナシ」
「あとそれ大体の念能力者にも効きそう」
「それなー」
不意にゴンが、にんまりと顔に満面の笑みを浮かべて、キルアを見た。
「やっぱキルアって頼りになるね!」
「……何だよ?」
「オレは考えるより飛び出しちゃうからさ。
キルアが冷静に分析して作戦立ててくれるの、頼りにしてるよ」
「勝手なヤツ……!」
だが、悪い気はしなかった。
不本意ながらもキルアは自分の頬が熱を持つのがわかった。
たぶん……本当にいざという時、自分は動けるだろう。
先程、奴らのアジトで感じた不安はもう残っていなかった。
それを素直に認めるのも、何か腹は立ったけれど。
そのまま二人は軽々と区画を仕切る塀を飛び越え、ブロスホーク区を後にした。
既にきらびやかなヨークシンの摩天楼が見えているし、その中に飛び込めばもう安全だ。
雑踏に紛れてしまえば、追跡のしようもない──……。
「──で、どうする? これから」
「──そりゃ、アンドーたちに連絡する一択だろ」
「だよね。……あいつらの言った通りになるのが癪だけど」
「今夜オークション再開ってんなら、ネオンもレディもアンドーも間違いなく参加するだろ。
あの占い女、自分は占いの内容知らないっていうなら、自分のこと占ってないだろーしさ」
「アンドーさんを占ったとしても、アンドーさんからは教えられないもんね」
「それにあの占い、詩だから『危ない』ってわかっても、どれくらいかはわかんねーんだよ」
「……あ! じゃあ、敵が幻影旅団だって知らないかもしれない……ってコト!?」
「ああ。あぶねーから参加するなって言っておいて損はねーよ。携帯は盗られてないよな?」
「モチ! ……どうやって電話帳開くんだっけ?」
「お前なー……」
キルアは呆れたように首を振りながら、ゴンの手から携帯電話をひったくった。
ビートル07型はさすがレオリオがオススメするだけあって、あの騒動の後でも問題なく機能していた。
バックライトの青白い光が、夜の帳が下り始めた二人の顔を照らし出す。
キルアは慣れた手つきで画面を操作し、登録されている連絡先を呼び出した。
「アンドー=ルモア……っと。これだな。スピーカーにするぞ」
「うん、お願い!」
通話ボタンを押し、キルアは走りながらゴンにビートルを投げ渡す。
静かな夜の空気に、規則的な呼出音が響く。
響くだけだ。
──コール音は、繰り返し続く。
一秒が、妙に長く感じられる。
アジトから脱出した高揚感は、すでに消え失せつつあった。
かわりにじわじわと胸の奥を侵食していくのは、得体の知れない胸騒ぎだった。
「……出ないね」
「……チッ、何やってんだよ、あの護衛」
キルアは悪態をつきながら、ゴンに手を差し出した。
投げ渡されたビートルを操作して一度通話を切り、今度はネオンの番号へと指を走らせる。
お嬢様に繋がったってアンドーに伝わるんだから、結果は同じだろう。
そう、結果は同じだった。
やはり返ってくるのは冷淡な電子音だけ。
誰も、出ない。
時刻はすでに夕闇を通り越し、夜の帳が完全にヨークシンを支配しようとしていた。
二人はもう全力疾走から小走りに速度を落とし、街の雑踏に馴染むように移動し続けている。
摩天楼の中心、華やかに輝くセメタリービル。
その威容は──ここから出も、よく見る事ができた。
「……ねえ、キルア」
ゴンが暗黒の塔と化したビルの影を見上げたまま、ぽつりと言った。
「もしかして……もう、始まっちゃってるのかな」
「……」
キルアは何も答えず、ビートル07型を強く握りしめた。
「もう一度、かけてみようぜ。向こうの電波が悪ィだけかもしれねえ」
「……うん、そうだね」
もう一度、電話帳からアンドーの番号を呼び出す。
今度こそ、繋がる事を信じて。
* * *
──昼過ぎ。
ヨークシンシティ、ノストラードファミリーが新たに確保したホテルのスイートルーム。
外は残暑の眩しい日差しがぎらついているが、シャンデリアに照らされた豪奢なスイートルームはそれとは無縁だ。
カーテンは締め切られ、空調は利き、贅を尽くした客室内はあらゆる意味で安全が保たれている。
少なくとも、マフィアのドンを迎え入れるには十分過ぎる。
「──なるほど、おおよそのことはわかった」
ソファにどっかりと腰掛けているのは、ノストラードファミリーの総帥──ライト=ノストラード。
本来夕方頃に到着するはずだった彼は、飛行船を急ぎに急がせて、予定を前倒しにしてヨークシンへと乗り込んできていた。
その顔には、娘の無事を確認できた安堵と、娘が危険に晒された事への怒りが同居している。
部屋に控えた俺達護衛団……それを代表したダルツォルネさんの報告をひとしきり聞き、ドンは眉間の皺を揉みほぐしながら、重々しく頷いた。
「ご苦労だった、ダルツォルネ。
部屋を変えたのは賢明だったな。
さっき
幻影旅団がプロハンターサイトを利用しているのはまず間違いない。
どうも連中、十老頭がネオンの占いを頼りにしている事に気づいたらしい。
手を打つのが遅れれば
──礼を言う」
「お褒め預かり光栄です、ドン。
ですが、今回の功労者はルモアです。各所に走り回って連携をとってくれました」
「……ダルツォルネさん」
「ああ。無論だ。……よくやってくれたな、ルモア」
「いえ、その……護衛団の皆の支援があったおかげです」
俺は恐縮しながら頭を下げた。
だが、普段なら此処で自慢気に……我が物顔で反応するだろう声がない。
もうひとつのソファの上。
膝を抱えて頬を膨らませ、拗ねたように──ようにではないが──唇を尖らせている、ネオン。
傍らに控えたレディがそっとその肩を撫でるが、ネオンはぼそりと、今にも泣きわめいて怒り出す寸前の……子供みたいな声で呟いた。
「……延期って言った」
「ネオン」
「……延期って言ったもん!」
ネオンがしびれを切らしたようにソファを叩いて、顔を上げた。
それに対して、ドンは深く息を吐き、彼女の名を呼ぶ。
だがネオンは構わずに、ここ数日我慢し続けてきた事をぶちまけるように声を荒げる。
「ホテルをコロコロ変えさせられるし、お買い物だって満足にできないし!
ルモアはいっつもあっちこっちどっかに行ってるし!
オークションにだって、まだ一度も参加できてない!
部屋でエリザやレディとゲームしてるだけ!
私ヨークシンに来るのにいっぱいがんばったのに!
ルモアとオークションに行きたかったのに!」
それは正当な怒りであるように、俺には思えた。
ネオンにとってこれは楽しい旅行、楽しいイベントのはずだったのだ。
それが自分には何の責任もない理由で、めちゃくちゃにされ、台無しにされてしまった。
怒るのは当然だ。
だってそうだ、ネオンは今回の一件、何一つとして悪くはない。
なのに楽しみをダメにされた。外野によって、勝手に。
そして怒ったところで何一つ変えられないことだって、わかってる。
それでも……だからこそ、悔しくて、悲しくて、泣きたくて、しょうがないのだ。
これを単なるワガママなお嬢様の癇癪で済ませるのは、ずいぶんと傲慢で、勝手な意見だろう。
そんなネオンの姿を目の当たりにして、俺の胸は酷く痛んだ。
「ネオン」
繰り返し娘の名を呼ぶドンの言葉は重たく、静かで、圧があった。
それは明らかに父親としての厳格さと、娘を思う懇願の籠った声だ。
かつての──あるいはあり得た──ただ娘の予言のみに縋る男の厭らしさは、もうそこにはない。
「ワガママを言うな。さっき、家に帰ることに『わかった』と頷いただろう?」
「…………だって、しょうがないもん」
ネオンは泣き出すのを必死で堪えるような、ひどくしょんぼりとした声を出す。
俺の心臓がきりきりと、絞め上げられるように痛んだ。
「オークションが中止になったんじゃ、ここにいる意味ないし。
……あーあ……行きたかったなあ……」
──そういうつもりじゃ、なかったはずなのだ。
喜ぶべき事だ。ネオンがこのままエルバトの家に帰れば、何もかも全部解決する。
だけど、俺はネオンにオークションを楽しんで欲しかった。そんな顔をして欲しくはなかった。
競売品を守り、手を回し、陰獣や十老頭とコンタクトを取り、動き回って、より良い結果を出そうとした。
その結果は、やはりこれだ。
当然とも言えた。
ライト=ノストラードにとって、もはやネオンは、大切な愛娘だ。
娘の安全のためならそのワガママをねじ伏せて、無理やり家に帰すのは当然の事。
むしろ原作のようにおもねる部分がない分、遥かに幸福で正しい行動のはず。
それを止めることは、やはり俺にはできない。
十老頭が
俺だって、ネオンには無事に家に帰ってもらいたいのに。
結局の所、コレが俺の限界点だ。
先んじて幻影旅団を排除したり、ネオンをヨークシンから遠ざける事はできない。
なぜなら原作通りに幻影旅団がヨークシンを襲撃するかは、その時までわからないのだから。
俺が知っているのは
だから自身の武器を最大限活用できる状況を、作り続けていく以外に方法はない。
少しずつ少しずつ手を加えて、流れを調整して、大筋を変えずに、此処まで来た。
なぜなら、俺はネオンにオークションを楽しんでもらいたいからだ。
だから、こうなる。
結局この期に及んで、俺はこの一点についてだけは、結論が出せなかった。
何を言うべきか、どうするべきか。十年以上考えてきたのに、いざとなるとこれだ。
ネテロ会長から「どう在りたいか」と言われたのに。俺はネオンを泣かせたくはなかったのに。
だけど俺の目の前で状況は動いていき、ネオンは今にも泣き出しそうな顔をする。
それを見ると、心臓が酷く痛んだ。鼓動の度に、息が詰まる。
「……おい、ルモア。大丈夫か?」
髭面の男が、声を潜めて、そっと囁いてきた。
俺は「ええ」とか「はい」とか、そんな答えをどうにか返せた、はずだ。
その間も、ドンとネオンの会話は続く。
「オークションは来年もその次もあるさ。
……パパの言うことを聞いて、今年は諦めて屋敷に戻りなさい」
「じゃあ、ルモア。……ルモアも一緒に来てよ」
「ぁ──……」
俺が何かを言うよりも早く、ドンが言った。
「いや、ルモアはダメだ」
「……なんで」
どろり、と。
ネオンからオーラが滲み出るのがわかった。
酷く静かで落ち込んだ彼女から、滴り落ちるように床の上にオーラが流れ出る。
粘ついた重たく、そして熱い感触が俺の脚に絡みつくのがわかる。
俺は視界が一瞬くらりと黒くなるような感覚に陥りながら、そのオーラを支えに、どうにか踏みとどまった。
胸が痛み、息が上手く吸えない。
他の護衛団の皆はどんな顔をしているだろう。
対面にいるドンとダルツォルネさんは、平然とした様子のままでいるけれど。
「ルモアはノストラード家のプロハンターとして顔が割れてしまっている。
それにまだ逃げ回ってる賊を捕まえるのに、ノストラードからプロハンターを出さないわけにはいかない。
他の護衛をつけるから、安心しなさい」
「……ルモア」
ネオンの瞳が、ぼんやりと俺の方を向いた。
無自覚に左胸を押さえる。脂汗が滲む。それでも俺は、ゆっくりと、頷いた。
「大……丈夫。事が終わったら、すぐに戻るよ」
「……なら、レディは一緒。ゼッタイ」
「もちろんだとも」ドンが頷いた。「それじゃあネオン、部屋に戻って仕度をしなさい」
「はぁい……」
ネオンは「……いこ、レディ」と声をかけて、力ない様子でソファから立ち上がった。
その細く小さな身体を支えるようにレディが寄り添う。
とぼとぼと歩くネオンと、その影のように歩くレディ。
退室間際、レディのエメラルドの瞳が冷たい光を宿して俺の方を見た……ような気がした。
だが確かめる暇もなく音を立てて重厚なドアが閉まり、ネオンとレディの姿が寝室へと消えた。
その瞬間、張り詰めていたリビングの空気が、目に見えてふっと緩んだ。
誰知らず、安堵の息を漏らす。
「……すまなかったな、ルモア」
ライト=ノストラードが深くソファにもたれかかり、テーブルの上の葉巻に手を伸ばした。
すかさず俺はライターを取り出し、どうにか震える手で、ドンの葉巻に火を灯す。
ドンは紫煙を吐き出しながら、父親そのものの口ぶりで言った。
「ネオンはお前をいたく気に入っている。
とはいえお前はもうノストラードファミリー、ボリオ警備保障の顔でもある。
ネオン一人の傍にずっと置いておくわけにはいかんのだ。
苦労をかけるが、ひとまずはヨークシンの騒動を解決することに注力してくれ。
それが結果的に、ネオンのためにもなる。
……お前のためにもな。わかるな?」
「……はい、ドン。微力を尽くします」
「よし……」
ドンは俺の顔色に少し訝しむ──あるいは案じるような目を向けたが、すぐにその表情をマフィアのドンとしてのものに変えた。
「……さて。それでは本題に入ろう。ルモア、情報は事実なのか?」
「ええ、友人のブラックリストハンターから入手したものと、俺が独自に得たものです」
「オレからも十老頭に、占いの結果から推測される情報は伝えた。
陰獣は十老頭側の指示で動く。オレ達ノストラードファミリーも行動に移る。
他の組も名を売るチャンスだと考えて暗殺チームを編成しているが、連中に任せる意味はない。
良いか、今晩が勝負だ。十老頭から連絡があった――……」
まあ、はっきり言えば──俺は安心していたんだと思う。
気が緩んでしまったのかもしれない。
完璧ではない、それでも上手くやったと思ったのだ。
ネオンはオークションに参加できなかったが、無事に家に帰る。
原作と違って、ネオンはだいぶ大人になったし、ドン……父親との信頼関係もある。
あんな風に護衛を出し抜いて脱走するなんて事もないだろう。
だから、あとは幻影旅団を片付けるだけ。
俺がどうなろうと、此処までくれば、後はもう大丈夫。
そう思っていたし……あまりにも慣れ親しんだ感触だったせいも、あるんだろう。
「
俺は、
『……
何かが爆発するような感触を覚えた途端、俺の心臓が
「……ッ!?」
視界が暗転し、気づいた時には床の上。今度は全てが真紅に染まる。
肺の空気がすべて凍りつき、喉から苦い悲鳴が漏れた。
『
『――中止なんて嘘じゃん! 今夜オークションやるんじゃん!
ルモアのバカ! パパの味方して私をのけ者にして、お留守番させて!
私を放っておいて一人でどっか行って! 毎日、毎日、何か隠してッ!
せっかくのヨークシンなのに! 楽しみにしてたのに……!
──
ネオンの剥き出しの感情が濁流となって流れ込んでくる。
俺はわかっていた。わかっていたはずだ。
わかっていて、そのつもりでいて、やはりわかっていなかった。
ネオンは、これまでずっと我慢していたのだ。
なぜか?
俺が忙しそうだから、精一杯、ギリギリまで、我慢してくれていた。
その限界点が此処だった――俺の限界と同様に。
俺は何かを言おうとした。だが、できない。
脳に酸素が、血が回らない。息が。
「おいルモア……ルモア!?」
突然崩れ落ちた俺を前に、皆が騒然となる。
立ち上がり、駆け寄り、あるいは声をかけ。
そこにバタバタと部屋に飛び込んでくる軽い足音。エリザさんの悲鳴。
「大変です、お嬢様が飛び出していきました! レディ様も消えて……!」
「何だと!? スクワラ、犬を回せ! 追いかけろ!」
「ダメだ、エレベーターに乗っちまった!
おまけにもう一台は全階ボタンを押してやがる!
クソ……ッ! 妙なとこで頭が回る……!」
「なら階段だ!」
「ここ何階だと思ってんだ……!? 間に合わねえぞ!」
「いいから、走れ!」
「おい、ルモア! しっかりしろ、息吸え、吐け! 心臓動かせ!」
『レディも、パパも、エリザも……みんなみんな嫌い!
私を子供扱いして、騙して、嘘ついて、閉じ込めて……!!
もういい! ルモアが一緒に来てくれないなら、私一人で行くもん!!』
心臓が動かない。細胞が、酸素を求めて悲鳴を上げている。
ぐるぐると世界が裏返り、足元から崩れて地の底に落ちていく感覚。
引きずり込まれる。ホルマリンの瓶の中へ。
溺れるような苦しさで、俺は絨毯の上に爪を立てて藻掻く。
だが逃げられない。逃れられない。沈む。沈む。
左目だけが、燃えるように熱い。
それすらも、どうでも良い。
『ルモアなんか、ルモアなんか…………ッ!』
ただ、声が。
『 だ い っ き ら い ! ! 』
泣き叫ぶような、ネオンの声が。
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