地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)   作:あなたへのレクイエムです

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深夜鉄道編
05.テツドウ × ノ × カノジョ


 

 

 1995年。

 ヨルビアン大陸を縦断する大陸横断鉄道。

 夜の静寂を切り裂くように走るその豪華一等客車の最奥、厳重な警備が敷かれた特別車両。

 

 

「……ねえ、ルモア。まだ始まらないの? もう飽きちゃった」

 

 

 豪華な革張りのソファに身体を預け、不機嫌そうに唇を尖らせているのは、十三歳になったネオン=ノストラード。

 子供特有の丸みが消え、彫刻家が磨き上げたような繊細な輪郭へと変わりながらも、すらりと伸びた手足には少女の危うい美しさが宿り、成長途上にある彼女の瑞々しさを強調する。

 しかし背伸びした黒いドレスから浮かび上がる女性らしい稜線は、見る者の目を逸らさせない魔性を放ち始めていた。

 水色の髪を結い上げたその姿は、間違いなく美少女──誰もが思い描く、マフィアのお嬢様そのものだと言って良い。

 

 その隣で、俺──アンドー=ルモアもまた、十三歳の体格へと成長していた。

 ぴったりと誂えられた黒いスーツを着こなした俺を、ネオンは時折、値踏みするような……あるいは、自分の所有物の輝きを確かめるような熱い視線で眺める。

 文句を言われないなら、俺の贔屓目抜きでもなかなか様になっているって事だろう。

 それに何より、成果が目に見えるっていうのは、やっぱり良い気分だ。

 

「お嬢様、あと二駅です。参加者が全員乗車したら始まりますよ。

 ……待ちきれないなら、戦略を練った方が良い。

 今回の目的を忘れたわけではないでしょう?」

 

 俺がなだめるように告げるのに合わせ、ネオンの背後に控えていた()()が声も無く動いた。

 桃色の髪をツインテールに結び、漆黒のドレスを纏った無機質な少女──『地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』。

 かつての不安定さは消え、今や一見しただけでは本物の人間と見紛うほどの密度を保っている。

 俺が何か操作せずとも、マイ・フェア・レディは生きている少女同様に動き、ネオンの傍に侍る。

 頬を膨らませていたネオンも、レディが差し出した目録を受け取って、その機嫌を少し上方修正してくれたらしい。

 

 

「わかってるよ。……『()()()』。この世で最も美しい、燃えるような赤」

 

 

 ネオンがうっとりと目を細める。

 その瞳には、列車の窓に反射する夜の闇が、流星のように走っていく。

 俺はそれを、なんとも言えない顔で見つめていた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 去年の事だ。

 

 世界の裏側で、ある「色」が凄まじい熱量を持って流出し始めた。

 それは感情の高ぶりと共に炎のような輝きを放つ、世界七大美色の一つ──「緋の眼」。

 

 ルクソ地方で起きた凄惨な虐殺事件。

 生存者は皆無。残されたのは、瞳をくり抜かれた部族の亡骸のみ。

 クルタ族が全滅したというニュースは、幻影旅団の名と共に、またたく間に世界を駆け巡った。

 もはや二度と生まれる事のないだろう緋の眼は、今やコレクターの間で最高価格が更新され続ける至宝と化している。

 

 かつてそのニュースは俺にとって、単行本のページに描かれていた設定、原作を彩る過去、伏線に過ぎなかった。

 幻影旅団がなぜこんなことをしたのかとか、家族や同胞を失ったクラピカはこれから数年をどう過ごしていくのかとか、やっぱクルタ族は煽りや罵倒が強いんだろうかとか、わずかに思いを馳せてはみたものの、今の俺にとってはお嬢様の機嫌を左右する要素としか感じられなかった。

 

 案の定、欲しい欲しい取ってきて買って買ってと騒いで駄々をこねて拗ねて怒って泣きわめくネオンをなだめすかすこと、一年。

 ついにネオンが満面の笑みを浮かべて、俺にその招待状を見せびらかしたのは、ほんの何日か前だ。

 

 

「ルモア! パパにお願いして、オークションの招待状を取ってきてもらっちゃった! 

 緋の眼! 緋の眼が出るの! 絶対に落札するんだから!」

 

「お嬢様、落ち着いてください。

 緋の眼は今、世界中の収集家が血眼になって探しています。

 競争率は高いし、妨害だって珍しくない。

 出回ってる中にも偽物が多いって話ですよ?」

 

「大丈夫! 私にはパパからのお小遣いがあるし、それに……ルモアがいるもん。ねえ?」

 

 

 そういって俺の腕に絡みつき、どろりと蕩けた笑みと共に此方を見上げるネオン。

 その手に握られた招待状には、闇のオークション『ミッドナイト・トレイン』の文字。

 

 今回の戦場は、大陸横断鉄道。

 豪華私有客車で開催される移動式オークション『ミッドナイト・トレイン』だ。

 大陸を横断する列車そのものが、巨大な競売場なのだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

(……と、言ってもなあ……)

 

 

 列車に乗り込んだ俺は、どうにも途方に暮れていた。

 俺の原作知識が囁いてくるのだ。ネオン=ノストラードは緋の眼を手に入れられない、と。

 彼女が偽物と知らずに緋の眼をオークションで落札するのは、1999年のヨークシン・シティだ。

 1995年のミッドナイト・トレインなんて場所ではない。

 そもそもこんなイベントは、原作で描かれていない。

 

 ウキウキしながら並んでカタログを覗き込む、二人のネオン。

 もし緋の眼を落札できなかったら、今度の癇癪はえらい事になるだろう。

 それを考えると今から胃が重い。

 

 

(それとも、逆にここでなんとか緋の眼を手に入れられれば良いのか?)

 

 

 そうすればネオンがヨークシンシティに向かう理由はなくな……なくな……。

 

 

(……なくならないよなぁ……)

 

 

 ヨークシンシティで開かれるサザンピースオークションは地上最大とも言われる大競売会。

 そして同時進行で開催される、マフィアンコミュニティによるアンダーグラウンドオークション。

 表に出せる品から裏の品まで、緋の眼以外にも様々な商品が出品されるはずで、ネオンも他に欲しがっている品物があったはずだ。

 そもそもあのオークションは、あの年にだけ開かれるようなものじゃあない。

 毎年開かれているし、ライト=ノストラード……ノストラード・ファミリーの勢いを鑑みれば、アンダーグラウンドオークションへの招待状が毎年届くようになるのも時間の問題で、つまりヨークシンシティのオークション参加がネオンの恒例行事になる可能性は高い。

 運命の収束だ強制力だ原作再現力だなんてことを今のところ体感した事はないけど、ネオンが1999年にヨークシンシティに行きたがるのは、避けられない気がする。

 

 

『……おい、ルモア。ボスはどうだ?』

 

 

 俺の思考を切り裂いたのは、耳にはめた骨伝導式トランシーバーの、ダルツォルネさんの声だった。

 

 

「はい。周辺に怪しいオーラはありません。お嬢様はレディにガードさせています」

 

『よろしい。

 ……だが、気を引き締めろ。

 今回のオークションは異常だ。目録は見たか?』

 

「もちろん。……お嬢様が興奮するわけです」

 

 

 そう、今回のオークションに出品されるのは緋の眼だけではない。

 

 早逝した天才科学者ブンティス・イゲツの脳髄標本。

 謎の奇病で生きたまま全身が結晶化した少女。

 伝説の暗殺者バラン・タラレヤが使用したとされる彼の肋骨から削り出されたナイフ。

 30年前に狙撃で暗殺されたサヘルタ合衆国大統領ジャン・ジャックから飛び散った脳漿……。

 

 人体標本だけでこの通り。それ以外に目を向けてもクラクラする。

 骨董品から宝石から美術品から何から何まで、凄まじい品揃えだ。

 カタログの中にベンズナイフを見つけた時は、ちょっと俺も欲しくなった程だ。

 いやだって、欲しいじゃないか。ベンズナイフ。カストロさんのサインくらい欲しい。

 そろそろカストロさんも天空闘技場に登録するんじゃあないか。来年か再来年くらいか。

 天空闘技場のサイトも小まめにチェックしないと。サブスク契約すれば試合の配信も見れるし。

 

 俺はインカムから聞こえるダルツォルネさんの声に意識を戻す。

 

 

『出品物の半分がブラックリスト級の代物だ。

 当然、それを狙うハイエナどもや、そいつらを狙う賞金首ハンターも少なくない』

 

「わかっています。シャッチモーノさんたちが他の車両の偵察をしているはずですが」

 

『スクワラの犬が、もっと呼べれば良かったんだがな……』

 

 

 ダルツォルネさんが珍しくぼやき、見えないのを良いことに俺は思わず苦笑してしまった。

 

 こういう時、スクワラさんの犬たちは不便なところがある。

 犬の入り込める場所にならどんな場所でも活躍できる一方、犬のいけない場所ではまったく何もできない。

 

 端的に言えば、ミッドナイト・トレインは、ペット同伴不可なのだ。

 

 唯一許可の出た介助犬として連れていける一頭を選ぶのに、スクワラさんはずいぶんと悩んだようだった。

 居残り組の世話をエリザさんに頼むのを見て、なるほどなあなんて俺は思ってたけど。

 

 

『けっ、どうせ襲ってくるったって緋の眼が惜しくなった幻影旅団とかでしょうよ。

 俺のオーラソードがありゃあ、蜘蛛どもだって真っ二つだぜ!』

 

『敵の姿を勝手に想像するなと言っているだろう。

 何が来ても即座に対応する、その心構えを持て』

 

 

 髭面の男が騒ぐのに、ダルツォルネがたしなめるのが聞こえる。

 俺は口元に浮かんだ苦笑をそのままに、通信を切り替えた。

 

 

「……シャッチモーノさん。そっちはどうです?」

 

 

 俺は無線で、別車両に控えるシャッチモーノさんに問いかける。

 

 

『……ああ、アンドーか。良い感じに最悪だな。

 プロのハンターや、どこの組織とも知れない手練れがゴロゴロいる』

 

「あなただってプロハンターじゃないッスか」

 

 

 放出系と具現化系という違いはあれど、同じ人形使いの親近感というか。

 いろいろ相談するうちに、俺とシャッチモーノさんはお互いに名前で呼び合う程度には仲良くなったと思う。

 そう、それで知ったのだけれど、なんとシャッチモーノさんはプロハンターだったのだ。

 

 こりゃあすごい。俺もすっかり忘れてた。いやホントにすごい。

 

 大絶賛していたらまんざらでもなかったようで、シャッチモーノさんは「お前が受験するならアドバイスしてやるよ」と言ってくれた。

 ハンターライセンスって半分は(ネン)の免許証みたいなもんで、その有無が直接念能力者の実力に関わるものではない。

 実際、ダルツォルネさんもハンターじゃないけど強いし、経験も豊富だ。

 とはいえハンターの各種特権があると仕事がやりやすくなるのは間違いないし、社会的な身分としても有効。

 今のところ取る予定はないけど選択肢として除外はしない。その時はよろしくお願いします!と素直に頭を下げた。

 横でリンセンさんが「……俺もプロハンターなんだが?」と遠慮がちに言ってきたのも良い思い出だ。

 そういえばあなたもでしたね。いや、うん、正直読者だった頃はリンセンさんの事覚えてなくって……申し訳ない。

 ノーライセンス組のイワレンコフさんとスクワラさんは目を反らしてた。

 髭面の男は……どうなんだろう?

 まあライセンス持ってたら自慢しまくるし、たぶん持ってないよな。

 

 

『大概のやつは俺たち単独でもなんとかなると思うがな。

 一番ヤバイ奴は、ちょっと厳しそうだ。ルモアも一応顔を見ておいた方が良い』

 

「そんなに言うほどですか?」

 

『ああ、いま食堂車にいる。金髪の女の子だ。……ありゃあバケモノだぜ』

 

「……金髪の女の子?」

 

 

 なんだろう。

 ……すごく嫌な予感がする。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「お嬢様、列車の中は乾燥しますし、何か飲み物を持ってきます。

 リクエストはありますか?」

 

 

 シャッチモーノさんの通信を切った後、俺は隣に座るネオンに視線をやった。

 ネオンは『地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』の膝に頭を乗せ、機嫌よくカタログを眺めている。

 レディは完璧な動作で、お嬢様の髪を一房指に巻き、静かに愛でていた。

 

 

「うん、冷たいチェリーソーダがいい。あ、氷は星型に削らせてね!」

 

「承知しました」

 

 

 俺がダルツォルネさんに無線で「食堂車の偵察に行く」と伝えると、既にシャッチモーノさんが手配してくれていたのだろう、「リンセンが向かうまで待て。交代だ」との返事。

 すぐに連結部の扉が開いてリンセンさんの姿が現れて、俺は「よろしくお願いします」と会釈を交わした。

 

 

(よし、これでネオンは安全だ)

 

 

 原作でヨークシンシティまでは無事だとわかっていても、用心するに越したことはない。

 すべてが原作通りに進むわけがない、ここはもう俺にとっての現実だって事は、俺自身の存在で理解している。

 ただそれでも繰り返し意識しないと、うっかり忘れてしまいそうになるだけで。

 

 食堂車の入口で、リンセンさんの持ち場に向かうシャッチモーノさんとすれ違う。

 

 

「どんな相手です?」

 

「まあ、見りゃあわかるよ。けどアンドー、(ギョウ)は使うなよ?」

 

「ええ、大丈夫です。挑発したくないですし」

 

 

 一等車両から食堂車へ入ると、空気が変わった。

 上等な料理の香りに、マフィアの虚勢や、成金の脂ぎった欲の匂いに混じって、針で刺すような鋭い殺気がそこかしこに点在している。

 

 

(……いた)

 

 

 探すまでもなかった。

 

 食堂車の中央、窓際の席。

 そこに、場違いなほど可愛らしいピンクのドレスを纏った少女が座っていた。

 金髪のツインテール。幼い容姿。その前には、山のようなケーキの皿。

 幸せそうにフォークを動かすその姿は、どこからどう見ても甘いものが好きな少女にしか見えない。

 どこかのVIPの娘さん、オークションを楽しみにするお嬢様。

 

 だが、シャッチモーノさんの言葉は大げさじゃないことを、俺は知っている。

 

 

()()()()()()()()()()()……!)

 

 

 原作におけるゴンとキルアの師匠。二つ星ハンター。心源流拳法の師範。

 そのオーラは、まるで静かな湖面のように凪いでいた。

 熟練の念能力者が放つ特有の重圧めいたものは、一切感じられない。

 彼女は自らのオーラを、完璧に制御している。

 鏡面のようなその美しく整ったオーラは、その実、一分の隙もないほどに練り上げられている事の証拠だ。

 

 なぜ彼女がここにいるのか?

 恐らく、希少な宝石が目当てだろう。

 彼女はストーンハンター。オークションに参加するとなれば、目的はそのぐらいだ。

 

 

(いや、待て……待て、落ち着け)

 

 

 俺はわずかに深呼吸をする。ダルツォルネさんの教えを思い出せ。迂闊な予想で決め打ちするのは禁物だ。

 俺には原作知識がある。それは貴重な武器だけれど、同時に危険な先入観にもつながりかねない。

 知人に頼まれて他のハントの協力をしているとか、弟子の指導の一環とか、理由は幾らでも考えられる。

 敵対するに違いないという思い込みも、敵対しないだろうという楽観も、命取りだ。

 

 俺は慎重に、ビスケット=クルーガーから視線を逸らした。

 不用意に観察すれば、それだけで攻撃とみなされるかもしれない。

 努めて平静を装って、ネオンの注文をカウンターの従業員に伝えるため歩き出す。

 

 だが、俺が少女の座る席、その横を通り過ぎようとした瞬間──……。

 

 

「……あら、そこのお兄さん」

 

 

 鈴を転がすような、けれど氷の芯が通った声が俺の足を止めた。

 心臓がドクン、と跳ねる。

 冷や汗が背中を伝うのを必死に抑え、俺は可能な限り自然な動作で振り返った。

 

 

「何かご用でしょうか、お嬢さん」

 

「ごめんなさいね、フォークを落としちゃったの。拾ってくださる?」

 

 

 ビスケット=クルーガー……ビスケはにこにこと可愛らしい微笑を浮かべて、ルビーのような瞳で俺を見上げた。

 言われて目を向ければ、俺の足元に銀のフォークが転がっていた。

 

 

「……ええ、構いませんよ」

 

 

 なんてことはない。ただ女の子に頼まれたから、フォークを拾うだけ。

 変に緊張するな。過剰に反応するな。緊張するな。気づいていることを気づかれるな。

 

 

「ありがとう、お兄さん」

 

 

 ビスケは、陶器のように滑らかな指先を頬に当て、小首を傾げた。

 その仕草はどこまでも庇護欲をそそる可憐な少女そのものだ。

 

 俺は無言で足元に落ちた銀のフォークを拾い上げた。

 指先に触れる冷たい金属の感触。それ以上に、至近距離から浴びせられる彼女の視線が、皮膚をチリチリと焼く。

 

 

(……見られている)

 

 

 ただの視線じゃない。

 俺の全身を巡るオーラの流れ、練度、そしてその「質」を、一瞬で解剖されるような感覚。

 俺はあえて(イン)を使わず、ごく自然な(テン)の状態を維持した。

 下手に隠そうとすれば、逆に「何かを隠す理由がある」と宣伝するようなものだ。

 

 

「……どうぞ、お嬢さん。新しいものを用意させましょうか?」

 

「いいえ、これで十分」

 

 

 俺がハンカチで拭ったフォークを受け取ると、ビスケはストロベリーショートケーキのイチゴを器用に刺した。

 そのままパクりと口に運ぶ。至福そうな表情。だが、彼女の瞳は笑っていなかった。

 目があったと思ったその瞬間、俺の視界がわずかに歪んだ。

 

 ──圧。

 

 彼女から放たれたオーラが、物理的な重質量となって俺の肩にのしかかった……気がした。

 だが、周囲の客は誰も気づいていない。ケーキを運ぶ給仕も、談笑するマフィアも。

 彼女は、俺だけに指向性を絞ったオーラを、針の先ほどの精密さでぶつけてきたのだ。

 

 

「あら、お兄さん。綺麗な目ね。左目がオパールみたいにキラキラしてる」

 

 

 無邪気な微笑み。俺はその視線を、どうにか受け止める事ができた。

 

 

「ありがとうございます。生まれつきでして……。

 ……オークションに参加されるのですか?」

 

「ええ。欲しいものがあって、それで」

 

「そうですか。手に入ると良いですね。……ご武運を、お嬢さん」

 

 

 俺は努めて平静を装い、喉の奥で固まりかけた声を絞り出した。

 数秒。わずか数秒のコンタクト。

 だがその数秒で、俺の背中は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。

 

 

「ふふ、そうね。お互いにね、お兄さん」

 

 

 ビスケは満足げに笑って、再びイチゴのショートケーキに意識を戻した。

 俺はそのまま、逃げるようにカウンターへ向かい、注文していたチェリーソーダを受け取る。

 背中に突き刺さるような視線。

 彼女は俺の歩き方、呼吸、オーラの微細な揺らぎ……そのすべてを、咀嚼するように観察している。

 

 

(……見抜かれてる。俺が念能力者だってことも、その練度がどれほどかも)

 

 

 カウンターでチェリーソーダを受け取り、食堂車を去る間際、俺は一度だけ振り返った。

 ビスケはもうこちらを見ていなかった。ただ、フォークを口に運ぶ彼女の口元が、楽しげに弧を描いているのが見えた。

 

 俺は深々と一礼し、逃げるように食堂車を後にした。

 食堂車の扉を閉めて空間を遮るまでが、永遠のような時間に感じられた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

(いっけないいけない、ちょーっと色気を出しちゃったわさ)

 

 

 ビスケは口いっぱいにショートケーキの生クリームを頬張りながら、内心でぺろりと舌を出した。

 見た目は可憐な十歳そこそこの美少女。だが、その内面は海千山千を通り越した、齢五十三の熟練武闘家だ。

 それでもついついちょっかいを出そうとしてしまうあたり、まだまだあたしも若いってことかしらんと考える。

 

 

(……けど、悪くないわね。今の坊や)

 

 

 手元の銀のフォークを見つめる。

 さっき、あの少年が拾い上げ、ハンカチで丁寧に拭って返してくれた代物だ。

 紳士的なのはポイント大。

 

 念能力者としては、正直言ってまだ論外。

 ビスケが本気で指一本動かせば、それだけでオーラが霧散して腰を抜かす程度の練度。

 あのおっかない目つきの刀持ちに教わってるのだろうか。それとも飄々とした放出系の男?

 別に師匠がダメだというわけではない。

 あの少年の念は、着実に歩みを重ねている。丁寧に育てられている事の証拠だ。

 基礎はできているようだけれど、単純に、実戦経験が圧倒的に足りないのだ。

 

 けれど──……。

 

 

(普通、あんな風にあたしのオーラをピンポイントでぶつけられたら、もっと濁るか、怯えて震えるものなのにねぇ)

 

 

 あの子は、耐えた。

 怯えてはいた。背中が冷や汗で濡れているのもお見通し。

 けれど、それでも崩れなかった。

 自分の置かれた状況を冷静に分析し、あえて「気づかないふり」を貫き通そうとしたあの度胸。

 ()()()()、意思の強さ。

 そして、あの瞳に宿った……光。

 

 

(ふふ……。あんなに澄んだオパール、久しぶりに見たわ)

 

 

 そう、あの瞳。

 ビスケが声をかける前、此方に気づいたその時。怯えや警戒よりも先に、一瞬だけ見せたあの輝き。

 まるで自分の未来や、世界の成り立ちのすべてをあらかじめ知っているかのような……。

 奇妙に達観した、それでいて危ういほどに純粋な光。

 本人は必死に普通を装っていたけれど、ビスケの審美眼は誤魔化せない。

 激しい感情の昂りも、邪な殺気もない。

 ただ、内側に秘めた意志だけが、一点の曇りもなく燃えている。

 それはまだカットされる前の、けれど途方もない価値を秘めた原石特有の輝きだ。

 

 

(磨けばそれなりに化けるわね、あれは)

 

 

 ビスケは空になった皿を眺め、頭の中で少年のオーラを鑑定し直す。

 

 強化系ではない。たぶん具現化系か……それとも操作系?

 どちらにせよ、あのオーラの質感は一朝一夕で身につくものじゃない。

 この車両に蔓延る「いかにも」なマフィアの用心棒たちとは、オーラが根本から違っていた。

 まるで何年も、何十年も、一つのものだけを見つめ、一つのことだけを考え続けてきたような……。

 若さに似合わない、ひどく純度の高い偏愛の匂いがした。

 とすると具現化系……それも、相当に偏った『何か』を形にしようとしていそう。

 

 

(いいわねぇ……。十三歳くらい? 食べ頃まであと五、六年かしら。

 じっくり、みっちり、泣きべそかきながら鍛え上げたら、とんでもなく化けるわよ、あの子。

 ああいう繊細な子は、壊れるギリギリまで追い込んだ時に一番いい音を出すのよねぇ)

 

 

 じゅるり、と。

 生クリームを舐め取るような動きで、ビスケは無意識に唇を舐めた。

 今すぐ捕まえて、そのオパール色の瞳が絶望で濁るまでしごき抜いてやりたい──そんな師匠としての性癖が疼く。

 

 

(なんて、今は我慢だけど。今回のお目当ては別だし……)

 

 

 今回の目的は、この列車に出品されるという宝石『冥王の瞬き(プルート・ウィンク)』の真贋を確かめること。

 深海に沈んだ炭素系の隕石が、数千年かけて高圧と海流によって磨き上げられて生まれた、漆黒のダイヤモンド。

 偽物でも美しい宝石なら確保するし、本物なら言わずもがな。お遊びで原石を磨いている暇はない。

 

 

(ま、縁があればまた会えるでしょ。それまでせいぜい頑張りなさいな、坊や。

 ()()()()()()()()()()()()()()、いったいどんな子を引っ掛けたんだか見ものだわさ)

 

「……あ、星型の氷を浮かべたチェリーソーダ、私も頼もうかしら。可愛いですものね」

 

 

 ビスケは茶目っ気たっぷりに独りごちて、給仕を呼び止めるのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

(……死ぬかと思った。マジで死ぬかと思った……!!)

 

 

 食堂車を出た瞬間、俺は膝が崩れそうになるのを必死に堪えた。

 トレイに乗せたチェリーソーダの氷が、カランと虚しい音を立てる。

 

 あそこでフォークを拾う際、もし少しでも敵意を見せていたら? 

 あるいは、恐怖でオーラを乱していたら? 

 今頃俺は、食堂車の壁の染みにされていたかもしれない。

 もちろん、俺の知るビスケなら、そんな気軽に暴力を振り回したりはしないだろう。

 だが……命拾いをした──……そうとしか今の俺には思えなかった。

 

 

「……ルモア、遅かったじゃない。氷、溶け始めてるよ」

 

 

 特別車両に戻ると、ネオンが不満げにこちらを見上げてきた。

 彼女は『地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』の膝に頭を乗せ、まるで姉妹のようにじゃれ合っている。

 桃色の髪をした『地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)』の無機質な瞳と並ぶと、その対比でネオンの瞳が一層煌めいて見えた。

 

 

「申し訳ありません。食堂車が混み合っていまして」

 

 

 俺は震えそうになる手を抑え、星型の氷が浮かぶチェリーソーダをネオンの前に置いた。

 喉の奥がまだカラカラだ。ビスケと対峙したあの一瞬で、どれだけの体力を消耗したかわからない。

 ネオンは「ふーん」と気のない返事をしてストローをくわえたが、すぐに俺の顔をじっと覗き込んできた。

 

 

「……ルモア? 顔色が悪いよ。どうかしたの?」

 

 

 ネオンがチェリーソーダに口をつけようとして、不審そうに俺の顔を覗き込んだ。

 彼女の直感は、時としてどんな念能力よりも鋭い。

 

 

「いえ……少し、列車の揺れに酔ったのかもしれません。大丈夫です」

 

「ならいいけど。ほら、飲んでいーよ。あげる」

 

 

 ネオンは自分の口をつけたばかりのストローを、無理やり俺の唇に押し付けた。

 冷たいソーダが口の中に広がり、甘酸っぱいチェリーの味が、麻痺していた俺の感覚を少しずつ溶かしていく。

 戸惑う俺を、彼女は楽しげに、逃がさないと言わんばかりの強い視線で見つめてくる。

 

 

「美味しい?」

 

「……はい。ありがとうございます、お嬢様」

 

「うむ、くるしゅうない」

 

 

 ネオンは満足げに笑って、今度は自分でソーダを飲み始めた。

 何がおかしいのか、くすくすと笑いながら、レディの頬に自分の頬を寄せている。

 擦れたせいか、ちょっと頬が赤らんでいる彼女の横顔を見ながら、俺は心臓の鼓動を整える。

 

 

(まったく、ダルツォルネさんの言う通りだ……)

 

 

 ()()姿()()()()()()()()()()

 

 原作に描かれてない範囲の出来事。

 もしかしたら原作にだってアンドー=ルモアという奴はいて、ミッドナイト・トレインで死んだのかもしれない。

 原作でネオンがヨークシンシティまで無事だからといって、俺が無事に切り抜けられる保証はない。

 そしてそもそも、ここは漫画の世界じゃあない。現実だ。

 少しでも油断、慢心があれば、たちまち何もかも崩れ去るだろう。

 もし俺が気を抜いて良いとするなら、それはきっと、ヨークシンシティを無事に切り抜けた時だけだ。

 

 その時、列車のスピーカーから重厚なベルの音が鳴り響いた。

 

 

『──紳士淑女の皆様。長らくお待たせいたしました』

 

 

 アナウンスの声が、列車の走行音を圧するように響く。

 

 

『これより、大陸横断鉄道ミッドナイト・トレイン特別競売会……第一部を開始いたします』

 

「いよいよね! 行きましょ、ルモア! 私の緋の眼を手に入れるために!」

 

 

 ネオンが勢い良くソファから立ち上がる。その横に、レディが音もなく並んだ。

 俺はネオンの背後に立ち、彼女たちの背中を守るようにオーラを練る。

 

 これから始まるのは、富と欲が入り乱れる闇の祭典。

 俺にとってはこれから幾度となく乗り越えなきゃいけない、戦いの一つだ。

 耳にはめた無線から聞こえるダルツォルネさんの指示を聞きながら、俺は最初の占いをしまった胸に手を当てる。

 

 

(気合を入れろよ、アンドー=ルモア。

 幻影旅団やゾルディック家、よしんばキメラアントが来たってぶちのめすつもりでいろ)

 

 

 列車の速度が、わずかに落ちていく。

 にも関わらず、ミッドナイト・トレインは、狂乱の夜へと加速し始めていた──……。

 




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