地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)   作:あなたへのレクイエムです

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53.嵐の夜 ②

「……あァ!? 出撃許可が降りねェだと、どういうことだ!!」

 

 

 セメタリービルの一室。

 豪華な革張りのソファを乱暴に蹴り飛ばし、ゼンジは電話に向かって猛獣のように吠え立てた。

 額に青筋を浮かせ、ねっとりとした脂汗を流すその顔は、激しい嫉妬と怒りで醜く歪んでいる。

 その異様な激昂ぶりに、背後に控える暗殺チーム──大金を積んでかき集めた、血生臭い傭兵ども──すらも、一瞬だけ視線を逸らした。

 その怒気を直接浴びせられる、電話の向こうの部下は溜まったものではなかったろう。

 

 

『ですから組長(オヤジ)、十老頭から動くなと言われちゃあ無理ですよ。

 死にたくないなら、その場で待てって……』

 

「カスどもが今にも突っ込んでくるかもしれねえんだぞ!? 許可もクソもあるかッ!

 じゃあ陰獣はどうしたァ!? こういう時のための化物どもだろうがよォ!?」

 

『陰獣は十老頭の警備に当たっているそうです。

 ここ数日、ずっと……暗殺の危険性があるとか、()()()()が。なので動けないと』

 

「だったら今すぐ俺のチームを突撃させろ!!」

 

『んなことしたら挽肉にされっちまいますよ……!』

 

「ふざけんじゃねェ! 現におとつい、こっちの兵隊が何百人も挽肉にされてんだ!

 今動かなくていつ動くんだ、えェ!?」

 

 

 ゼンジの苛立ちと焦燥は、すでに限界に達していた。

 

 地下競売を襲撃したA級賞金首集団、幻影旅団。その首にかかった莫大な懸賞金と名声。

 それさえ手に入れば、暗黒街におけるゼンジの地位は不動のものになるはずだった。

 何より、あの新参者の田舎者──娘の占いごときでトントン拍子に出世した、ライト=ノストラードの鼻っ柱を完全にへし折ってやることができる。

 

 ゼンジは武闘派で鳴らしてきたマフィアだ。

 若い頃は自ら拳銃を握って鉄火場に繰り出し、コートの下に短銃身の散弾銃を隠して抗争に身を投じた事もある。

 (ネン)だとかいう超能力じみたものにこそ目覚めなかったが、此処まで自分の腕で上り詰めたという確かな自負がある。

 

 それに対して──なんだ、あのライト=ノストラードとかいう成り上がり者は。

 娘の占いがなければ何もできない無能な男が、カネ勘定に賭博に用心棒に合法化だとか結構な風速で、今や自分と対等、いや、自分よりも上の席に座りかけている。

 そんな事実が、ゼンジには何よりも耐え難かった。

 

 最近では()()を連れ回して十老頭の挨拶まわりまでしている始末。

 ジジイどもの玩具として、おおかた娘に枕でも売らせてるに違いないと、ゼンジは決めつけていた。

 

 だからこそ今回の襲撃騒ぎは、ゼンジにとって格好の機会に他ならない。

 ライトを蹴落とし、自分が真の最高幹部へと躍り出るため、実力を証明する絶好のチャンスだったのだ。

 

 だが電話の向こうから返ってきた部下の報告は、ゼンジの脳髄をさらに沸騰させるものだった。

 

 

『……それが、その……既に、手は打ってあるとのことです。

 十老頭の正式な承認の元、ノストラード組が中心となって、旅団の迎撃を行っています。

 ですから──』

 

「ノストラ、ード……? ライトの、あの野郎が、だと……っ!?」

 

 

 ゼンジの頭に、一気に血が上った。

 視界が真っ赤に染まるほどの激昂。電話を握る指がミシミシと音を立てる。

 

 

「……あの、田舎モンの、糞野郎がッッッ!!!」

 

 

 ゼンジは携帯電話を大理石の床へ叩きつけた。

 粉々に砕け散るプラスチック。散乱する電子部品の破片。

 怒りに顔を真っ赤に染めたまま、感情に任せて何度も何度も、その残骸を踏みつける。

 まるでそれが、ライト=ノストラードその人であるかのように。

 

 

「ライトォッ!! どこまで俺の邪魔をすれば気が済むんだあのド畜生がッ!!

 テメエの娘をジジイどもに差し出して成り上がっただけのクソボケがァッ!!

 マフィア舐めてんじゃあねえぞッ! クソ、クソがッ! 必ずぶっ殺してやる……ッ!!

 ぶっ殺す! ぶっ殺す! ぶっ殺す! ぶっ殺す! ぶっ殺す! ぶっ殺す! ぶっ殺す!」

 

 

 狂ったように怒鳴り散らすゼンジの怒号が、ビルの防音壁に虚しく響き渡る。

 呼吸を荒くし狂犬のように周囲を睨みつけるゼンジに対し、背後の傭兵たちはただ冷ややかに、互いに目配せを交わすだけだった。

 

 

「どないする?」

 

「まあええやろ」

 

「そんなことよりコードネーム決めようぜ」

 

「ブルーと呼んでくれ」

 

「……俺はレッドが良い」

 

 

 そうして和気あいあいと会話する傭兵たちの輪から外れた、幾人かのうちの、一人。

 古参兵の風格を持ったベレー帽の男は、ふと、窓辺に立つ黒服に声をかけた。

 

 

「その窓、開けられるか?」

 

「ん? ああ……」

 

 

 カーテンが引かれ、微かなモーター音を伴ってガラスが上がる。

 人いきれで熱の籠った室内に、冷たい夜風が涼やかに吹き込んできた。

 外からは遠く、ヨークシンの喧騒が耳に届く。

 微かな銃声──爆発音。

 

 恐らく、もうとっくに始まっている。

 まず間違いなく──状況はもはや軍儀で言うところの王手詰み。

 

 自分たちが完全に出遅れたこと、それを理解しながらも、男の喉からは笑い声が漏れる。

 

 

(おそろしく巧みな連携……オレでなきゃあ、見逃しちゃうね)

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ──気配が消えた。闇に乗じて()る気か……馬鹿共が……。

 

 

 闇に閉ざされたブロスホーク区の廃墟の中、どこかに潜んでいるガキ二人。

 その気配を見失いながらも、ノブナガは一切焦っていなかった。

 

 ピィンと甲高い弦が飛ぶような感覚と共に、ノブナガの全身を覆うオーラが太刀の間合いまで拡大する。

 "(エン)"──そう呼ばれる、(ネン)の高等技術だ。

 

 これにより範囲内の全ての物の形や動きを肌で感じ取る事ができる。

 達人は半径50m以内に潜む刺客はおろか、舞い落ちる木の葉の数さえ把握できるという。

 

 ノブナガの限界は太刀の間合い、半径4m。

 だが、彼はこれで十分だと確信していた。

 

 如何に(ゼツ)で気配を絶ち、音を消して近づこうとも、この中に入り込めば即座に形と動きを感知し……斬る。

 ノブナガの持つ念能力を持ってすれば、一足一刀の間合いに踏み込んだものは尽く両断され、その結末は死あるのみ。

 鬼にあえば鬼を斬り、仏にあえば仏を斬る──……。

 

 

(とはいえ……あのガキども、結構元気があるからな……殺すのはちぃと大人気ないか)

 

 

 気を抜いてたとはいえ、幻影旅団の自分を出し抜いて脱出してのけたのだ。なかなかに見どころがある。

 それにほら、ガキ二人の見張りを任されたのに逃げられて、慌てて追いかけてぶった切って殺しました……は格好がつかない。

 というかウボォーギンに何されるかわからない。ぶん殴られたらこっちが死ぬ。

 

 まあ、手と足を詰めて、胴と頭を残し、これを以て人を活かすが活人剣……とか昔の剣豪もヤバイ事を言っていたハズだ。

 適当にぶった切って反省させてからマチに頼んで繋いで貰えば良いのだから、気楽に行こう。

 

 

(───ヨシ! いつでも、来い……ッ!!)

 

 

 ノブナガは即座に抜けるよう刀の柄に手をかけ、意識を研ぎ澄ませた。

 

 間合いに足先一つでも入り込んだ瞬間に放たれる、神速の居合いは防御不能だ。

 その絶対の自信が、彼の口元に獰猛な笑みを浮かばせた。

 

 ──だから、彼は気づかない。

 

 ノブナガの(エン)の、外側。

 暗闇に沈む廃墟の床を、壁を、天井を……音もなく埋め尽くす、おびただしい数の()()()に。

 

 それは執念深く、執拗に獲物を包囲する()の群れだった。

 蛇に聴覚が無いというのは誤解であり、正確に言えば鼓膜が無いというのが正しい。

 地面から全身に伝わる振動をこそ蛇は聞く。獲物の熱を見て、臭いでその存在を感じ取る。

 たかだか4mの半径など、蛇にとっては無いも等しい、話にもならない間合いだ。

 

 ノブナガの(エン)が届かない絶妙な距離を保ちながら、爬虫類独特の瞳が刀を構えた男のあらゆる挙動を監視し、その位置を、風向きを、正確に伝達していく。

 

 

(……チッ、なかなか仕掛けてこねェな)

 

 

 膠着する時間に、わずかにノブナガの眉が動いた。

 ほんの僅かな進展を求め、あるいは死角である外の様子を覗こうとしたのか──ノブナガが、窓際へと一歩にじり寄る。

 崩れた窓枠から顔が、月明かりの下へと微かに突き出た。

 

 その、刹那。

 

 

「──ぬォッ!?」

 

 

 夜の静寂を切り裂き、遥か遠方から飛来する金属の礫。

 放たれたのは音をも置き去りにする、超速の鉛の銃弾。

 だがそれを上回る速度で、ノブナガの超人的な戦闘勘と反射神経が稲妻走った。

 (エン)に触れた瞬間の感触だけで弾道を読み切り、一閃。

 

 金属と金属の激突音、飛び散る火花が闇を払い、その剣閃を浮かび上がらせる。

 肉眼では捉えきれないはずの凶弾が、ノブナガの刀によって見事に真っ二つに切り払われ、背後へと突き抜ける。

 達人の技。化物じみた居合い。

 

 だが──そんなものは何の意味も無かった。

 

 

「あ──……?」

 

 

 ──グシャッ、と。

 熟れた果実が圧潰するような、鈍い音が響く。

 

 それが何の音なのか、疑問に思うことすら無く……そもそも自分が何を切り払ったのかさえ、ノブナガはわからなかっただろう。

 首から上を八割がた喪失して脳漿をぶちまけたノブナガの肉体は、ただの物言わぬ骸へと変わり、あっさりと仰向けに崩れ落ちた。

 手から零れた刀が、冷たい月光を浴びながら、からからと転がっていく。

 

 何の事はない。

 

 間髪入れず放たれたダブルタップ。

 第二射が、ノブナガを容赦なくブチ抜いただけだった。

 

 その時になってやっと、夜の静寂を貫いて二発の銃声が響く。

 弔銃と呼ぶには、あまりにも軽く、短い音だった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「──ヒット、ダウン」

 

 

 スパーは愛銃のボルトを引き戻して排莢しながら、唇からわずかに息を漏らした。

 カランと軽い音を立てて転がった薬莢は、まだ夜の冷気に白く細い煙をくすぶらせている。

 スコープから目を離した彼女の額には、びっしりと冷たい脂汗が浮かんでいた。

 

 

「本当に……やった……のよね……?」

 

「ああ、間違いあるまい。わしの蛇が観測しておる。完全に動きが止まった。奴は死んだ」

 

 

 隣では結跏趺坐をしたバーボンが、普段となんら調子の変わらない、しゃがれた枯れ木のような声で応じる。

 彼は細くすぼめた口から「シイイイイ」と鋭い音を立てて蛇たちに次の指示を出していたが、スパーはそれを聞く余裕がない。

 

 

「信じられない……。私、あんな化物相手に、本当に……幻影旅団を」

 

 

 スパーは震える指先を隠すように、愛銃のストックを強く抱きしめた。

 狙撃手としてハンター試験に挑むほどの腕前を持つ彼女だが、今回の任務は文字通り生きた心地がしなかった。

 相手は世界に悪名を轟かせるA級賞金首、幻影旅団の主要メンバーだ。

 かつての自分だったなら躊躇無く挑んでいただろう。そしてあっさりと殺されていたに違いない。

 だが、今は違う──試験に落ちて、実力を知った。さらなる訓練を積まねば、とてもではないが挑めない。

 

 にも関わらず、なぜ幻影旅団をハントする羽目になったのか。

 すべては、何か月も前にルモアからかかってきた一本の電話から始まった。

 

 

『幻影旅団を狩りたい』

 

 

 ふざけんなと思った。

 いや、まあ、確かに彼はプロハンターだ。わかってる。

 プロハンターがアマチュアを雇う。よくある話だ。

 試験で自分に対する紳士的立ち居振る舞いにちょっと年甲斐もなくドキッとしたとも。認めよう。

 すぐに大事な女の子と目が似ている云々言われて、なんだ厭味かこの野郎、そういう出会いが自分にもあればなあとか思ったのも事実だ。

 そんな彼から、自分の知る限り最良の狙撃手だから仕事を手伝ってほしいと言われ、悪い気はしなかった。

 ……しなかったのは一瞬だけだったが。

 

 

「だいたい何なのよ、(ネン)って……!

 知らないわよそんな超能力者みたいなのがあっちこっちいるとか!」

 

「知っておくべきだったな」

 

「試験に出ないよぉ……」

 

 

 クールな女狙撃手としての仮面は半分がた剥がれ落ち、ぐずぐずとスパーは泣き言を漏らした。

 

 が、報酬を提示されて計画を任されて仕事だと言われてしまえば受けないわけにもいかない。

 観測手として紹介されたのが、あの試験の後を浜辺で共に過ごした……まあ、言ってしまえば見知った相手だったのも大きい。

 蛇使いバーボン。

 彼が……そしてルモア、おまけに幻影旅団まで念能力者だとかいうわけわかんない存在だと知らされて、スパーはさらに頭を抱えたものだったが。

 

 オーラで全身を防御して、半径数メートルを絶対の間合いにして、踏み込んだら銃弾だろうが何だろうが一刀両断切り払う?

 

 

『なんなのよそれ、ふざけてるの? 理力の騎士か何かなの?』

 

『……まあ理力の騎士はダブルタップすれば殺せるって、銀河最高の賞金稼ぎも言ってたし』

 

『映画の話ィ……!』

 

 

 だがメールと電話で何度もやり取りをして、狙撃計画を練って、どうにかスパーはクールな女狙撃手としての姿を取り戻すに至った。

 幻影旅団に潜入している()()()──なんで見知った顔がこんなにいるんだとは思った──からの情報提供をもとに、アジトを発見。

 敵からの感知を避けるため、目視での現場確認がギリギリまで出来なかったのは痛かったが、そこはバーボン操る蛇の群れが観測することでカバーする。

 あとは当日……今日の夜。

 やはりアジトから飛び出してきた見覚えのある少年たちの姿に、ここはゼビル島だったかしらんと天を仰ぎながら、スパーは狙撃を敢行した。

 

 結果は……見ての通りだ。

 

 第一射から間髪入れずの第二射。ボルトアクションライフルでのダブルタップ狙撃。

 なるほど、確かに困難で……それを可能とする実力はあるという自負は、持っていたけれど。

 それでもやはり銃弾が目の前で切り落とされるというのは、信じたくない光景ではあった。

 そしてその化物を自分が仕留めたという事実も……。

 

 

「まったく、そのなんとかいう映画を作った奴はなかなかに真理を突いておるな。

 手元を狙い撃ち、守りが下がったところに間髪入れず第二射……。

 ……どれほど達者な剣の使い手であっても、その意より速いモノを二度は斬れんか」

 

 

 バーボンは満足げに頭をこっくりと動かした。

 その膝の上を、一匹の這い出してきた斑蛇が愛おしげに滑っていく。

 

 

「もう……冗談はやめて。本当に、心臓が止まるかと思ったんだから……」

 

 

 スパーはライフルのストックに額を押し当てたまま大きな息を吐き出した。

 冷たい夜風が汗ばんだ前髪を揺らす。心臓が、今頃になってバクバクと大きく鳴っていた。

 

 

「私は(ネン)なんていうオカルトは使えない。ただの狙撃手。

 ……あなたの蛇たちが、正確に観測情報を教えてくれなかったら、今頃は私が切り刻まれていたかもしれない」

 

「謙遜するな。わしの蛇は位置を教えただけよ。それに念能力者といえど、銃弾には勝てん」

 

「……ホント?」

 

「…………まあ、何事にも例外はあるが」

 

 

 老人は言葉を濁した。それを深く追求する勇気は、今のスパーには無かった。

 

 

「……ありがとう。でも、もう二度と御免だわ、こんな仕事」

 

 

 スパーはそう毒づきながらも愛銃を確実に点検し、手際よくケースへと収めていく。

 その動作は恐怖に震えていた先ほどまでとは違い、プロのスナイパーとしての確かな誇りに満ちていた。

 

 

「……さあ、移動しましょう。まだ続きがあるもの」

 

「うむ。狩りはまだ終わっておらん。蛇どもも一度戻そう。巻き込まれたくはない」

 

 

 二人は静かに立ち上がり、月明かりに沈む廃墟へ黙祷を捧げるように一瞥をくれ、背を向けた。

 その影は夜風が吹き抜ける廃ビルの上から、音もなく闇の中へと消え去っていった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 夜の静寂を切り裂いて響いた、極めて短く、それでいて重い破裂音。

 アジトである廃墟の奥、静かに瞑目していたボノレノフは、微かにその瞼を押し上げた。

 包帯の隙間から覗く瞳が、音の響いた方角──ノブナガがガキどもの追跡に向かった方向を鋭く見据える。

 

 

(銃声だと……?)

 

 

 ここはヨークシンだ。銃声など珍しくもない。

 だが……ただの銃声ではない。

 ボノレノフの全身に穿たれた無数の風穴が、大気の鳴動を通じて、そのかすかな異変を敏感に捉えていた。

 

 

(ノブナガの念圧(オーラ)が……消えた……?)

 

 

 ノブナガほどの達人が、ただの銃撃に遅れをとるはずがない。

 だが……直後にアジトの周囲からノブナガの強大無比なオーラの気配が、綺麗さっぱりと消失していた。

 何者かによる奇襲を受け、(ゼツ)をする必要に迫られたか。あるいは……。

 

 

(敵襲……!)

 

 

 即座に迎撃態勢へと移行すべく、ボノレノフが床を蹴ろうとした、その瞬間だった。

 突如、爆発的な音と共に廃墟の出入り口、そして窓という窓から、猛烈な勢いで真紅の火炎が噴き出したのだ。

 

 

「なっ──!?」

 

 

 ただの火災ではない。

 この廃墟に火種はない。電気すら通っていないせいで、手に入れたゲームを遊べないとフェイタンが文句を垂れていたほどだ。

 だが爆発物が仕掛けられていたとも思えない。そんな隙を許すわけもない。だいたい、誰がいつどうやって仕掛けるというのだ。

 

 その瞬間的な思考と分析の間、まるで意志を持っているかのように炎は一瞬にしてアジトの全域を包囲し、ボノレノフの退路を完全に塞ぎにかかった。

 凄まじい熱波が全身を焼き、部屋中の酸素が文字通り一瞬にして奪い去られていく。

 視界はたちまち黒煙に覆われ、呼吸を試みれば肺腑を焦がすような熱気。

 そして一挙に襲いかかる酸欠が、ボノレノフの脳を激しく揺さぶった。

 

 

「……(ネン)攻撃を受けている!」

 

 

 だがギュドンドンド族の戦士たるボノレノフは、この程度の窮地で取り乱しはしない。

 姿の見えぬ敵を炙り出し、この状況を打破するための力が彼にはある。

 ボノレノフは全身を包む包帯を乱暴に引き剥がした。

 露出する異形──全身に穿たれた、美しいとさえ形容できる無数の空洞。

 彼は深く息を吸い込み猛火の熱に身を晒しながら、その巨躯を激しく、かつ厳かに躍動させ始めた。

 

 肉体を楽器へと変え、精霊へと捧げる戦いの賛歌。

 偉大な勇者、舞闘士(バプ)にだけ許された─―『戦闘演武曲(バト=レ・カンタービレ)』。

 体中から溢れ出す音色が空気を震わせ、熱を払い、火を退け、敵を粉砕する絶対の旋律となって世界へ解き放たれる──はずだった。

 

 

「──ッ!?」

 

 

 ボノレノフの動きが、凍りついたように止まった。

 

 

 ()()()()()

 

 おかしい。

 一族に伝わる苛烈な戦のステップを踏み、強固なオーラが音に乗って解き放たれ、楽曲に応じた攻撃が具現化するはず。

 だが彼の肉体から放たれたはずの旋律は、廃墟の闇に響き渡るよりも早く、霧が消えるようにして消滅していた。

 

 

(──いや、打ち消されている!)

 

 

 どこからともなく響いてくる、まったく正反対の、不気味なほどに精緻な()()()()()()()によって。

 

 ボノレノフの放つ音の山を、谷を、完璧な精度で予測し……そのすべてを逆位相の音波で打ち消して掻き消す、恐るべき何者かによる演奏。

 どれほど激しく踊ろうとも、どれほどオーラを込めようとも、放った傍から全ての音が消失し、全ては静寂に沈んでいく。

 能力が、発動すらしない。

 

 

(何という恐るべき技量だ! これほどの奏手が世界にはいるというのか……!)

 

 

 暗闇、猛火、酸欠、そして自身の絶対の拠り所である音の完全な喪失。

 全盲の闇に放り込まれたかのような未曾有の混乱。肺が酸素を求めて悲鳴を上げ、視界が急速に狭まっていく。

 

 だが、誇り高き戦士の精神は揺らがない。

 

 どこだ。敵はどこにいる。

 一人か、二人か。どちらを叩く。

 炎の使い手。それとも、この音を操る何者か──……。

 酸素不足に喘ぐ脳が、そこまで至った瞬間。

 

 熱波を切り裂いて、一筋の閃光がボノレノフの頭部に新たな穴を穿った。

 

 

「お、ぉ──……」

 

 

 火災の爆ぜる音に混じって響いた、ひどくあっけない乾いた音。

 それが、超遠方から放たれた銃弾が自身の頭蓋を撃ち抜いた音であると、彼は死んだ後ですらわからなかっただろう。

 

 だがしかし……ノブナガと違い、ボノレノフは一つだけ理解していたことがある。

 自分の最期の敵が、最高の技量を持つ楽師であったのは、まごうことなく幸運であると。

 

 

(おお! 精霊よ御照覧あれ! この悪魔の如し奏手に加護ぞあれ!

 ──とこしえにその名を輝かしめん!)

 

 

 ボノレノフは両手を天高く掲げながら、自分の死を受け入れる。

 ギュドンドンド族最後の舞闘士(バプ)は、そうして激しく燃え盛る業火の海の中へと、静かに没していった。

 

 

 

 * * *

 

 

(ほむら)立つ 蜘蛛の()散るや 夜嵐(さよあらし)……」

 

「……どういう意味なの?」

 

「蜘蛛の巣が 嵐の夜に 燃えちゃった……だな」

 

「そう……」

 

 

 赤々と夜空を焦がす廃墟の炎を見つめながら、センリツは小さく呟いた。

 世界で最も美しく戦う一族の血が、今、絶えた。

 その厳かな最期を特等席で聞き届けた彼女の横顔は、どこか物憂げだった。

 彼のラストダンスの相手が、自分の演奏で良かったのだろうか。

 愛用の笛を手に、少し思う。

 

 バショウはその姿をちらりと見やると、懐から出した煙草に火をつけた。

 紫煙が夜風と炎の熱風にさらわれて、高く運ばれていく。

 魂というのは煙に導かれ、天へ昇るものだ。

 その意味ではもっと盛大に、派手に燃えるような……見事な俳句を詠めるようにならねば。

 

 

「これで二つ。大したもんだぜ、あのボウヤ。

 本当にあの幻影旅団を、こうも簡単にヤりやがるとはな」

 

「ずいぶんといろいろなコネクションがあるみたいだから。

 緊張してる……可愛らしい狙撃手さんと、沢山の子を従えたおじいさん。

 お陰であたし達も、直接戦わずに済んだわけだけれど」

 

「かくてある えにしを思ふ 夜なべかな……か」

 

 

 バショウは古い句を口ずさみ、首を振る。

 縁とは奇妙なものだ。

 幻影旅団と依頼人にどういう縁があったのか。幻影旅団の面々はどういう縁で結ばれたか。

 少なくともバショウは、自分と幻影旅団がこうして交わることになるとは想いもしなかった。

 

 今回の彼らの依頼は、千耳会を通して持ちかけられた()()()()()()だった。

 依頼人はアンドー=ルモアとかいう、ノストラードファミリーの構成員。

 当人は警備員だ……とか名乗ってはいたけれど。

 

 正直に言えば、驚きの連続だ。

 わざわざ自分たちを指名してきたのもそうだし、標的についてもそう。

 おまけに提示された報酬は、二人にとって破格という他にないもの。

 バショウに用意されたのは、バイクを新調してサヘルタ合衆国中を気ままに数年旅して回るのに十分すぎるほどの大金。

 加えて──他にも協力者はいるため総額を全員で平等分配という形だが──幻影旅団の賞金。

 そしてセンリツには────……。

 

 

「なあセンリツ。あんた、本当にそんな古臭い楽譜なんかで良かったのか?

 他にも金ならいくらでも吹っかけて、毟り取れただろうに」

 

「ええ、良いのよ。あたしにとっては、何物にも代えがたいものだから。

 ……彼がこれを、本当に手に入れてみせたことの方が驚きだわ」

 

 

 センリツはそっと、上着の内ポケットに収められた古びた羊皮紙の感触を確かめる。

 かつて自分の肉体を、そして友人の命を奪った呪いの旋律。

 それを、あの若者はあっさりと報酬として差し出してきたのだ。

 

 

『地下競売にかけられる予定の品を、どうにか確保します。

 確保が不可能だった場合でも、落札のための費用は此方で持ちます』

 

 

 そして彼は見事にそれを達成してのけ、数日前に前払いとして楽譜を引き渡してくれた。

 

 無論、全部ではない。

 忌々しき『闇のソナタ』。

 競売にかけられたのは、世界中に散逸したその楽譜の、ほんの一部だ。

 そして彼がセンリツに渡したのは、さらにその、()()

 楽譜の残り半分は、今夜……この狩りが終わった後の、成功報酬。

 

 

『前金後金のほうがお互いに気楽で、信用しやすいでしょう?

 俺も『騙して悪いが』とかと勘違いされたくないですしね』

 

 

 ……なんて、彼は笑っていたけれど。

 

 

(……不思議な子だったわね)

 

 

 疑問は、つきない。

 

 なぜ自分たちの求めるモノを知っているのか。

 なぜ自分たちの念能力を知っているのか。

 なぜ幻影旅団の詳細な情報を把握しているのか。

 なぜ自分たちを、ノストラードファミリーの正式な護衛団として雇わなかったのか。

 

 仕事の打ち合わせの席で、センリツはルモアにその疑問をぶつけていた。

 アンドー=ルモアは、困ったように笑い、少し考えた後、まっすぐに答えてくれた。

 

 

()()()()()()()としか……言いようがありません』

 

 

 嘘ではなかった。センリツにはわかる。

 彼の心臓は、一切の偽りなく真実を口にしている者の鼓動を奏でていた。

 

 

『ノストラード組ではなく俺個人として雇う事については、もう少し詳細な説明ができます。

 相手側には、プロハンターがいる。つまりハンターサイトを閲覧できる。

 ノストラード組が直接あなた方を雇えば、その時点でマフィアのネットワークから情報が筒抜けになり、十中八九あなたのプロフィールがハンターサイトにアップされる。

 だから俺個人が勝手に雇った、完全な外部の傭兵として動いてもらう必要がある。

 ……と、判断しました』

 

 

 実際、彼の懸念は正しかった。

 ここ数日……ハンターサイトのフォーラムにはノストラードファミリー、その令嬢()()と護衛団についての情報が次々と書き込まれていたのだ。

 もし自分たちがノストラードの護衛団として参加していたらと考えると……正直、ぞっとしない光景ではあった。

 

 

「ま、大正解だったわけだ」

 

 

 はっとセンリツは意識を過去から今に戻した。

 似たような事を考えていたのか、バショウは煙草の灰を落とす。

 

 

「結果ヨシ。金ももらった。文句無し。あのボウヤの事情なんざ、興味もないね」

 

「……そう、ね。プロとしては、それで正解。あたしも、その点については完全に同感よ」

 

 

 ただ────……。

 

 あの打ち合わせの時、ルモアが淡々と作戦を説明する裏で、その胸の奥から響いていた()()

 

 己の命も、未来も、持てるものすべてを、ただ一人のために擲つ覚悟と決意の音。

 狂おしいほどの情熱と、切なくなるような高鳴りが、その鼓動には乗っていたのだ。

 それはもう、あえて口にするのが野暮なほどに……。

 

 

「……一途な、()()()()()()の心音だったわね、あれは」

 

 

 パチパチと火の粉を散らして崩れ落ちる廃墟の炎を前に、センリツはぽつりと呟いた。

 その言葉に、バショウは「ふん」と僅かに鼻白む。

 

 

「しれば迷ひ しなければ迷はぬ 恋の道……ってか」

 

「それもハイク?」

 

「ああ。大昔、哲人剣士が、詠んだ句だ」

 

「良いわね、シンプルでわかりやすくて……まっすぐで。気持ちが良いくらい」

 

「同感だ。だけどイマイチ、広まらん」

 

 

 バショウの言葉にセンリツは優しく微笑み、煙が立ち昇る先の夜空、その彼方に見える暗黒の塔──セメタリービルへ目を向ける。

 

 

(頑張りなさいね、男の子。あなたのその想いが、どうかその女の子に届きますように──……)

 

 

 何もかも全て済んだら、久しぶりに恋の歌を演奏するのも良いかもしれない。

 そんな事を、ふと思った。

 

 




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