地雷系彼女(マイ・フェア・レディ) 作:あなたへのレクイエムです
「あ、検問だ」
ハンドルを握りしめたまま、シズクはのんびりとした間の抜けた声を上げた。
先日の夜で運転して自信がついたのか、今夜の襲撃でも運転手を買って出たのが彼女だった。
適当に強奪したリムジンで夜のヨークシンを突っ走るのは気分が良かったのだが、セメタリービルに続く大通りには、警察が検問を作って待ち受けていた。
「フランクリン、検問だよ。パスちょうだい。通れないから」
「……お前、ドン=ガッパイの屋敷にヒソカとウボーといっしょに盗みに入っただろ。
招待状は一通しか持ってこれなかったの、忘れたのか?」
「? あたし、別にヒソカとは仲良くないし、ウボーがいるならあたしいらないんじゃない?」
「団長がヒソカとウボーのお目付け役にお前も……」
そこまで言いかけて、フランクリンは深々と溜息を吐いた。
「……
「そっかあ」
会話の間も車は一切スピードを緩めず、どんどん検問に近づいていく。
迫るバリケード、武装した警官、マフィアたち。
その光景にもシズクは表情一つ変えず、フランクリンに穏やかな声で問いかけた。
「フランクリン、どかす?」
「別に良いだろ。道は開いてるんだ。行っちまえ」
「ん、わかった」
シズクは躊躇無くアクセルを深く踏み込む。
エンジンが咆哮を上げ、車体が殺意を帯びた鉄塊となって検問所へ突進した。
バリケードや三角コーンが弾き飛ばされ、あわや轢殺されかけた警察官たちが転げるように難を逃れる。
「うおおおっ!?」
「こちらC地点、乗用車が一台検問突破!!」
「ケイオウ方面に進行中!!」
「いいよ、いいよ。ここからはオレ達の仕事だ。
あんた達は検問続けてくれりゃいいさ。素人衆が巻き添えにならないように」
警察官たちの叫び声も、指示も、彼女たちの耳には届かない。
シズクは上機嫌でアクセルをベタ踏みにした。
レースゲームでもそうだが、止まる時とドリフトする以外にブレーキを使う意味が良くわからないのだ。
だがその瞬間、わずかにハンドルを通じて感じた違和感にシズクは首を傾げた。
――途端、不意に車体が浮き上がるような、異様な浮遊感と圧迫感が同時に襲いかかる。
「──え?」
シズクが事態を呑み込むより早く、リムジンが物理法則を無視したかのように真上へ弾き飛ばされる。
路面のスピードバンプを踏んだわけでも、タイヤがパンクしたわけでもない。
時速百キロを超えて走る巨大な鉄塊が、まるで見えない巨人の手によって放り投げられたように宙を舞ったのだ。
「きゃ、あ……ッ!?」
「シズク、頭押さえろ!」
次の瞬間、視界が天地逆転する。
リムジンは空中で何回転もして、街灯をへし折り、路面に墜落する。
轟音とガラスの割れる音、そして金属が歪む不快な音色が夜の街に響き渡った。
凄まじい衝撃音と共に車体が潰れ、燃料タンクが引火して爆発四散する。
その炎を突き破るように、二つの影が地面を転がった。
「……っ!」
シズクは瞬時に地面を蹴り、受け身を取って立ち上がる。
愛用の掃除機であるデメちゃんを具現化し、オーラを纏って周囲を警戒する。
隣ではフランクリンが、煤に塗れながらもゆらりと立ち上がっていた。
二人とも、この程度では傷一つつかない。
「シズク、無事か」
「……うん。でも、車、壊れちゃった」
応じるシズクの声に、動揺の色はない。
ただ愛車──といっても入手してから一時間も経っていない──を破壊されたことへの、ぼんやりとした不満だけがある。
フランクリンはそれに苦笑しながら、炎を背に、油断無く周囲を見回した。
「また盗めば良いさ。今度はぶっ壊さないように安全運転をしろよ」
「……検問突っ切れって言ったの、フランクリンなのに」
周囲には誰の姿もない。通りは無人だ。
検問を超えた先、セメタリービルの周辺にはもう一般人はいない。
だが警察も、マフィアの兵隊の存在も二人は確認できなかった。
もちろん車が銃撃を受けたわけでもなければ、地雷や爆弾で吹き飛んだわけでもない。
「それに、あたしのせいじゃないよ。クルマが、勝手に跳ねたの」
「事故ったやつはみんなクルマのせいにするんだ」
「むう……。ホントにあたしじゃないのに」
シズクは唇を尖らせた。
何が起こったのかはわからない。
ただ、誰かに
それはフランクリンも同様だった。
──
「ま、いい。邪魔するヤツがいるんなら、さっさと片付けっちまおう」
フランクリンは無造作に両腕を左右に振り払った。
同時に、その両手の指先がジャラリと音を立てて
全ての指をごっそりと切り落として鎖で繋いだそこには、黒々とした銃口が並んでいる。
幻影旅団の最大攻撃力は間違いなくウボォーギンの『
瞬間最大火力という意味では、フェイタンの『
フィンクスの腕がちぎれるまでぶん回したらどうなるかとか、団長のコレクションの中に何があるかは、まあ考え出すとキリがないのでさておく。
その上で。
常時使用可能な最高火力ならば──間違いなく、旅団で一番強いのはフランクリンだ。
「──死ね」
『
フランクリンの指先から放たれるのはオーラを極限まで圧縮し、高速で連射する念弾だ。
装甲車両や軍用ヘリすら破壊可能なその威力は、およそ個人で携行可能な火器を軽く超えている。
ビルの一角を削り取り、アスファルトを粉砕し、街路樹を根元からなぎ倒す。
質量をもった破壊の奔流。
彼は敵の姿を視認していない。だが、それで十分だった。
360度、全周囲を均等に塗りつぶすように弾幕をばら撒けば、そこに隠れる何者も物理的に存在しえなくなるからだ。
「弾幕はパワーだぜ、ってなぁ……あん?」
フランクリンの眉が、初めてピクリと動いた。
闇の中から突如として、一台の乗用車が飛び出してきたのだ。
乗員の姿は──ない。
「なるほど、操作系か! しゃらくせえ……ッ!!」
フランクリンは一気に銃撃を浴びせるが、火花を散らして穴だらけになっていく車体は止まらない。
もとよりエンジンによる動力で動いているわけではないのだから当然だが、思わず舌打ちしたフランクリンの前にシズクが飛び出した。
「デメちゃん、吸って!」
「ギョギョッ!!」
彼女の手にした異形の掃除機は、その牙の生えた口を開いて自動車を一気に吸い込み、そのまま異次元の胃袋へと飲み込んでいく。
およそ質量保存則を無視したような常識では考えられない光景だが、それを可能とするのが念能力である。
「悪いな、助かったぜ」
「うん、でもまだまだ来るよ」
「次から次へと……!」
次いで、路上に停められていたはずの貨物トラックが、まるで無重力空間に置かれた玩具のようにふわりと浮き上がり、信じられない速度で突進してきた。
重量数トンの質量体。それを迎撃するために、フランクリンは機関銃の銃口を正面へ向けざるを得ない。
だがその両手から火線が伸びるより早く、シズクは自分たちに頭上から落ちる巨大な黒い影に気がついた。
「うわ、すご……」
シズクが呆然と見上げたそれは、
対テロを名目にマフィアとの癒着によって導入されたほぼ準軍事用の機体が、まっすぐ此方へと突っ込んでくる。
「手が足りねえ、ぞ……っと!!」
正面の車両か、頭上の機影か。フランクリンが選んだのは上だった。
フランクリンは両手の銃口を全開にし、空中から迫りくるヘリを粉砕せんと全弾を叩き込む。
炸裂する念弾。ヘリの装甲が火花を散らし、翼がもげ、胴体が紙切れのように引き裂かれていく。
大破するのは時間の問題──だが、したところで金属塊が落下してくるのは変わらない。
もちろん、目の前のトラックもだ。
「先にトラック、やるね!」
「おう!」
「デメちゃん、吸って!」
シズクの号令と共に、異形の掃除機は小さくゲップを漏らしたかと思うと、先ほどと同様、勢いよく周囲の大気ごとそのトラックを吸い込み始めた。
フランクリンの銃撃を受けて半壊状態だったトラックは、またたく間にデメちゃんによって貪り食われて消滅する。
──はずだった。
「あ……ッ!?」
濁流のように吸引される金属部品の中に、異物が混じっていたのだ。
トラックのエンジンブロック、もっとも頑丈な装甲部位から、膨らみつつある風船のような異形の影が、一斉に飛び出したのだ。
彼らは重力を無視した軌道を描き、吸引の勢いに乗るようにしてシズクへと殺到する。
(これ、
気づいたところで、吸引を止めてデメちゃんで迎撃する事はできない。
フランクリンはまだヘリを撃墜できていない。トラックだってまだ吸い込みきれていない。
質量攻撃の真っ只中、シズクが攻撃、防御、迎撃、選択に迷った一瞬の隙に、その風船黒子どもは一直線にシズクに肉薄。
彼らはデメちゃんの吸引口──その巨大な牙を剥く開口部へと、
「ギョギョッ!?」
デメちゃんが困惑したような音を立てる。
ありとあらゆるものを吸引するデメちゃんだが、受け付けないものが二つ。
それは生きているもの、そして
ある種その二つの条件を満たしている風船黒子どもは、あっという間にデメちゃんの口部を完全に覆い尽くしてしまった。
ゴム風船さながらの不気味な粘着性が、牙の隙間、吸引の根元、ありとあらゆる場所に張り付き、管を塞ぐ。
「……やだ、ちょっと……離れて……ッ!」
シズクは眉を潜めながらデメちゃんを激しく振り回すが、風船黒子たちは剥がれない。
吸い込めない。牙で噛みつこうにも歯が立たない。
シズクはどうにか路面に風船黒子ごとデメちゃんを叩きつけたが、まるでゴムのような手応えと弾力が返ってくるのみ。
「動かない……吸えないよ、フランクリン!」
「なんだと!?」
フランクリンは決断を迫られた。
ヘリを撃ち続けるか、トラックの破壊を引き継ぐか。
あるいはデメちゃんの口から風船黒子どもを引き剥がす、という選択肢もあったかもしれない。
けれど、至極単純な話をしよう。
指先を切り落としてしまった手では、何かを掴むことなどできやしない。
「……シズク、逃げろッ!!」
だからフランクリンが取った選択は、そのいずれでもなかった。
彼は掃除機を手にしたまま呆然と突っ立っていたシズクを、その巨体で体当たりするようにして突き飛ばしたのだ。
「きゃ……ッ!? フランクリンッ!?」
突き飛ばされ地面に転げるシズクに、応える声はなかった。
金属の軋みと、鈍い肉の潰れる音。それ以外の音は、何もない。
よろよろと起き上がったシズクの目の前にあるのは、あまりにも無惨な光景だった。
墜落したパトロール・ヘリのローターがアスファルトを削り、その下敷きとなってトラックの残骸が折り重なっている。
数トンの金属が複雑に噛み合い、フランクリンの巨体はその中に埋もれて、まったく見えなかった。
映画ならば、ここで激しい爆発と火柱が上がり、闇夜を赤く焦がすはずだ。
だが、一切の火の手は上がらない。それが奇妙なほど、現実味がなく感じられた。
シズクは知るよしもないが……あの手の爆発炎上は、空っぽのタンクの中で気化したガソリンが引火して発生するものだ。
そんな余地など、最初から無い。
この機械に搭載されていた燃料はエンジンを動かすためのものではなく、ただ質量を極限まで重くするために充填されていたのだから。
「…………フランクリン?」
喉から掠れた音が漏れた。
シズクの脳内で、目の前の惨状が、まったく理解も認識もできないでいた。
数秒前まで、彼は隣で笑っていた。
数分前まで、一緒に車に乗っていた。
「……フランクリン」
掠れた声で、もう一度その名を呼ぶ。
返事はない。
大丈夫、フランクリンなら大丈夫のはずだ。
彼はきっと「危ねえな」と笑いながら、指先から念弾を放って瓦礫ごと敵を吹き飛ばすはずだ。
それでシズクの頭を大きな手で撫でて、「大丈夫か」と声をかけてくれるはずだ。
だから、そう。
じわじわと金属の残骸の下から滲み出てくる粘ついた赤黒い液体は、オイルか何かなのだ。
隙間から微かに見える桃色の何かは、たぶん操縦者とか、座席のシートかなんかだろう。
「フランクリンってば……ねえ」
思考が凍りつくとは、こういうことなのかもしれない。
シズクは無意識に、右手に握られたデメちゃんの柄を強く握りしめた。
未だ風船黒子に絡みつかれたままのデメちゃんが自分の手の中で蠢いていることすら、今のシズクには遠い世界の出来事のように感じられた。
それを剥がさなければならない、と頭の片隅で誰かが叫んでいる。
敵がどこかに潜んでいる、と直感が告げている。
なのに、シズクは動けなかった。
あそこを掘り起こせばフランクリンが出てくるかもしれないという、幼稚で愚かな期待。
黒子を引っ剥がしてデメちゃんを使おうとは、思えない。
だってもしデメちゃんで残骸を吸い込んで、
その意味を、考えたくはない。
──怖い、とか、悲しい、とか、怒り、とか。
そういう強烈な感情ではなくて、ただただ、頭の中がひどくぼんやりとしていた。
自分が誰で、ここで何をしているのかさえ、今のシズクには上手く思い出せそうになかった。
だから、これでお終いだ。
シズクは背後──マンホールの蓋をごとんと押し上げて、地下から現れた美女の存在に気づくのが遅れた。
「はァい、お嬢さん。
人間として考えられる最後の瞬間よ。自分とお別れする準備は良い?」
「え──……?」
視界の端に映ったのは、艶やかな赤い髪を揺らす美女。
彼女の指がシズクの頬をなぞり、そのまま顎をくいと持ち上げる。抵抗する間も、デメちゃんを振るう隙もなかった。
女は獲物を前に舌なめずりする獣のような笑みと共に、その血のように鮮やかな赤い唇をシズクの可愛らしいそれへと重ねた。
──チュッ、と。
湿った、粘り気のある音が、夜の静寂に奇妙なほど大きく響く。
「ん……っ!?」
ファーストキスという概念を、シズクが知っていたかどうかは定かではない。
だが知っていようがいまいが、それが奪われた事に思いを馳せる余裕など彼女には与えられなかったろう。
「あぁっ! ひっ、あぁあああ……ッ!! んっ、あぁっ!!」
次の瞬間、稲妻に打たれたかのような衝撃がシズクの神経を迸り、その脳を焼き焦がした。
「ひぃっ、あぁっ! や、だっ……く、ぅぅうッ!!」
シズクの細い体が、まるで壊れた玩具のように痙攣を繰り返す。
背骨がミシミシと音を立てるような強烈な絶頂が、容赦なく彼女の自我を蹂躙していく。
「あ、あぁっ! あぁぁぁっ! ひぐぅっ、んんんッ!! な゛、っ、なに、これぇッ!!」
デメちゃんが手から滑り落ち、アスファルトの上に転がった。そのままスゥッと溶けるように消え失せていく。
だがそれを認識する事もできないままシズクの膝が崩れ、彼女はそのまま地面へと這いつくばる。
まるで呼吸すること、心臓が脈打つこと、血が血管を流れることが性行為であるかのように、快楽の波が彼女の全身を蹂躙した。
脳細胞がパチパチと火花を上げて弾け飛ぶ音を、シズクは聞いたようにさえ思えた。
(ひ、ぁぁっ、だ、め……っ、これ、あぁ……これ、ダメなやつ、だぁッ!?)
快楽の波が、指先から、足の裏から、骨の髄までを侵食していく。
今まで一度も経験したことのない、あまりにも強烈な感覚。
自分の意識が、まるで熱した鉄板の上に置かれたバターのように溶けていく。
シズクは必死になってそれに抗おうと、身を強張らせて唇を噛み――……。
「あ゛っ、あ゛ぁぁっ! こ、れ、ムり……ぃっ! ムリ、だ、よぉおッ!!」
その体の動きが生み出す感覚さえ快楽に変換され、あっさりと屈服した。
「あらあら、随分と良い反応ね。エッチなことなんて何も知りませんみたいな顔してた癖に」
女は冷ややかな嘲笑を浮かべながらシズクの髪を無造作に掴み、強制的に顔を上げさせる。
それだけだというのに、シズクは視界が真っ白になって意識が一瞬吹き飛んだのがわかった。
「ひぁっ、あああああッ!! んぐっ、ぁぁあッ、ぁっ、あぁッ!!」
背筋を弓なりに反らせ、無様にかくかくと腰を振るようにしてモジモジと太ももを擦り合わせながら、悲鳴のような喘ぎ声。
もはや自分が今どこにいて、何をして、何を考えていたのかさえ頭の中には残っていない。
「ご主人様に触れられたい」「ご主人様に支配されたい」というドロドロとした欲望が、他の全てを塗り潰していく。
「見てなさいよ、この無様な姿!
自分の仲間が死んだ直後だっていうのにね!
ふふふ、ほらほら、ビデオカメラ見える? 撮ってるわよ? 全部!
あなたのせいで死んだ仲間に対して何か言うことはないの!?」
「ぁあ、ぁあッ……んっ、あ、んっ……ごめ、なさ、ぃ……ぁ、あ、ぁぁッ!
あぁっ……っ、う、うぅんッ! ごめん、な、さぁ……ッ! ひぐっ、あぁああ……ッ!!」
シズクはもはや誰に、何に対して謝っているのかすらわからなくなっていた。
女がシズクの頬を軽く踏みつけると、シズクはあろうことかその靴の裏に頬を押し付け、恍惚とした表情ではひ、はひと切なげな呼吸を繰り返す。
こんな声をあげ、こんな反応をして、こんな風に悶え、仲間の事を蔑ろにするだなんて……自分でも信じられなかったが──そんな事を考える必要だって、もうないのだ。
「あぁっ、んっ! もっと、もっと、ふんでください、ふんでくださいぃっ
あたし、シズクはァ、あなたの……ご主人様のォ、いぬ、ですぅ……ッ!」
彼女は地面に這いつくばり、まるで主人を待つ子犬のように女の靴先に顔を摺り寄せた。
口元からは糸を引く涎が零れ、熱に浮かされ涙で潤んだ瞳は完全に焦点が蕩け、快楽の泥沼に沈んで濁りきっている。
ご主人様から心底軽蔑されたような目を向けられただけで、「あひぃっ」と歓喜のあまり彼女の腰は跳ね上がった。
「踏んで下さい? 何をゴミの分際でお願いなんかしてるのよ。
ゴミはゴミらしく、這いつくばって鳴いてなさい。ほらほらほら、返事は?」
「はひっ……ッ! よろこんでぇ……っ、あぁっ、あぁああああ……ッ!!」
もはやそこにシズク=ムラサキという名の少女は存在しない。
かつて幻影旅団の一員であった少女は、その自我も能力も意思も、全てを快楽という名の炎で焼き払われた。
ただご主人様の所有物として、震える喉で甘い媚び声を上げ続け、その足元で身悶え続けるだけの『
「……おっかない能力だな……」
「あら、心外ね。とっても素敵で優しい能力だと思うわよ?
もうこの子、お友達が死んだ事だってわかんなくなっちゃったんだから」
「あっ あっ ああぁああぁっ」
のそりと地下から這い出てきたイワレンコフが心底からの恐怖を滲ませて呟くのに、女──ヴェーゼは唇を舐めて微笑む。
その足元では完全屈服したシズクが服の裾を捲りあげ、腹を──
ヴェーゼの鋭く尖ったヒールがその腹を入れ墨ごと踏みにじると、途端にシズクは「くうんッ」と悦び悶える。
人の尊厳が文字通り蹂躙されている光景を前にすれば、いくら相手が幻影旅団の賞金首だろうと、若干の哀れみは浮かぶものだ。
「……ルモアの紹介だって聞いてたが、どこで見つけてきたんだ?」
「さァ? アタシはただ雇われたからお仕事しに来ただけよ。おカネももらったしね」
実際、ヴェーゼにとってはそれが全てだった。
千耳会を通しての指名依頼。報酬は高額。実際に対面した相手は、まあまあ良い感じの男の子。
標的が幻影旅団と聞いた時はいささか躊躇したものの、提示されたターゲットの中には可愛い女の子もいるではないか。
それを思い切りいたぶってイジメて良いならばというのが、このサディスティックな彼女の注文で、結果はと言えばご覧の通り。
ヴェーゼはこの結果に、心底満足していた。
「で、この子、殺すの? グロじゃなければ処刑は見たいけど。
180分以内にまたキスすればずっとこのまま可愛い仔犬ちゃんだし、調教しちゃう?」
「まあ、この後どうなるにせよ……その前に全部吐かせねえとな」
続けてひょこりと、痩身のシャッチモーノが地下から這い上がる。
まったくヨークシンに縦横無尽に張り巡らされた地下鉄と下水道、警察との癒着様々だ。
おかげでこうして地下から監視カメラの映像を見つつ、不意討ちできた。
不意討ち上等、奇襲上等、相手の念能力のタネが割れてれば尚よろしい。
あのデカブツども相手に──フランクリンとかいう機関銃男のみならず、荒野で大暴れしたゴリラだ──正面から戦うなんて気がしれないねと、シャッチモーノは心底思う。
命が幾つあっても足りやしない。
「吐かせるって……素性も何もかも全部わかってるんでしょ?」
「それが問題でね。こいつら流星街の出なんだとよ」
「げ」
ヴェーゼは思わずうめき声を上げて、足裏の少女へ目を落とす。
シズクはとろんとした目で見返しながら、舌を垂らして甘えた声で返事をした。
「は、はいっ はいっ そうです! シズク、流星街の……流星街のゴミですぅっ」
「流星街って……あの流星街……よね」
ヴェーゼは思わず足元から一歩引き、へたり込んでいるシズクに目を落とした。
先ほどまでの仔犬をいじめる優越感はどこへやら、背筋に冷たいものが走る。
流星街。地図にない街。世界のゴミ捨て場。
どんな場所なのか想像もつかないが、世界に伝えられている情報はただ一つ。
我々は何者も拒まない だから我々から何も奪うな。
冤罪一つの報復で31人が31人の自爆テロによって殺害された。死んだ人間は62人。
そんな連中を自分は今足蹴にしていたのだと考えると、もっと踏んでやるべきかとさえ思う。
軽く鳩尾を蹴ってやると、「ひぃん」と甘えた声でシズクは鳴いた。
「あんた……ルモアから聞かされてなかったのか? 相手が流星街出身だってこと」
イワレンコフが呆れ顔で首を傾げた。
「あいつがこの手の仕事で説明しないだとか、騙して悪いがとかはしないと思うんだがな……」
「し、知らないわよ!
今回は、そのう……あまり把握してないんだけど……賞金首の女の子を?
可愛い女の子を……自由に? 合法的に……奴隷にして……?
おカネもらって、好きにイジメて良いって聞いて……その……。
それで……つい!」
「ついって……」
「幻影旅団にそれかよ。相手が男だったらどうしたんだ?」
「アタシはジェンダーレスよ。男も女も平等に奴隷にするわよ……」
ヴェーゼはバツが悪そうに視線を泳がせた。
その間も、シズクは彼女の足元で涎を垂らしたまま、恍惚と震え続けている。
「あぁっ……はひっ、ぁあ……ッ! あたし、旅団……のこと、なんでも、知ってる……っ!
ぜんぶ、ぜんぶっ、教えるからぁッ……! ご主人さまぁ……っ
はひっ……ッ! ご主人様、なんでもきいて……っ!
あ、あたしねッ! デメちゃんでね、なんでも吸うの……っ!
死体も、血も……っ、全部、消しちゃうの……っ! でも、生きてるものは吸えないの……っ!
だから、だからねっ 殺すのはねっ 自分でやるんだぁっ」
シズクはヴェーゼの足首に頬をすり寄せ、蕩けた瞳で自身の能力を誇らしげに語る。
その口から紡がれる言葉に、イワレンコフは眉をひそめながらも手早く手帳を広げた。
「ベラベラとよく喋るもんだ……。
ま、このへんはルモアが
よし、180分だったな? なら今のうちに全部聞き出せ。
仲間の能力から今までの犯行から今回の計画から何から、全てだ。
あんたのそのビデオできっちり記録してな」
「……報復されたくないんだけどアタシ」
ヴェーゼが震える声で尋ねるのに、シャッチモーノが軽く笑って肩を竦めた。
「オレだって爆弾で吹っ飛ばされたかねえさ。されたくねぇから尋問すんのよ。
流星街の連中は、冤罪が発覚するまでは大人しくしてた。
てことは、外で馬鹿やったやつが裁かれても仕方がない、自分たちが外で好き勝手やってもお咎めなしだとは
だから徹底的に根こそぎ全部吐き出させて、こいつらが
シャッチモーノは明日には殺処分になる駆除対象の害獣を見る目で、地面に這いつくばるシズクを見下ろした。
もちろんそれは、外の――つまり流星街の外側にいる人間にも言える話だ。
我々は何者も拒まない だから我々から何も奪うな。
良い言葉じゃあないかとシャッチモーノは思う。
こっちだって流星街の中に入って暴れたら、殺されたって文句は言えない。
流星街の人間に理不尽を働けば、報復されるのは仕方ない。
その逆もまた然りだ。
相互の信頼関係というのは、互いに対等だからこそ初めて成り立つものだ。
流星街出身だから幻影旅団なんてクズを野放しにして良いわけがない。
(もっとも、流星街の長老だかとハナシつけられんの十老頭だけらしいからな。
あのジイさんどもが殺されてたらヤバかったな……)
とはいえ、ひっくり返らなかったミルクの事まで心配する必要もない。
「この小娘の口から詳細な自白を取り、旅団が行った虐殺の罪状を世界中に公表し、犯罪者として裁きを下す。
まあマフィアンコミュニティーとして……だけどな。
けど、こっちに乗り込んで暴れたんだ。こっちの理屈でやらせてもらうさ」
ヴェーゼはしばらく迷ったようだが、それでも目の前の小娘をいたぶる大義名分を逃したくはなかったらしい。
彼女は意を決して、シズクの鼻面をグリグリと軽く靴先で踏みつけた。
「……じゃ、知ってること教えなさい」
「はひっ……はいっ! 教えますぅ、教えますからぁっ!
ご主人様ぁ、もっと、もっと踏んでっ 踏んでくださいぃっ……あぁんっ、んんッ!」
シズクはそれだけで全身をガクガクと震わせ、ご機嫌な仔犬のようにすり寄ってくる。
完全に溶けきった脳髄にはもはや仲間への義理立てなど微塵も残ってはいない。
ただ眼前の主を喜ばせるための情報だけが、涎や涙や鼻水と混じって滝のようにこぼれ落ちていった。
「団長はねっ、はひっ、ぁあッ! 他人の念能力を盗むのぉ……っ!
『
パクは、触っただけで記憶を読めちゃう……っ! だから、隠し事しても無駄なんだよぉっ!
ふたりっ ふたりはね、幼馴染なんだってえっ! あぁっ、んっ、ぁあッ!」
シズクは涎を垂らし顔を赤く火照らせながら、恍惚とした表情でペラペラと語り続ける。
「フェイタンはね……痛いことされると、すっごく怒って……っ!
周りのもの全部、焼き殺しちゃうのぉっ! ひぃっ、死んじゃうかと思ったあぁんッ!
マチは、オーラを糸にして、切ったり縫って繋げたりできてぇ……。
ノブナガもね、ノブナガもね、刀で斬っちゃうんだ!
フィンクスは腕を回すとパンチが強くてっ
コルトピはなんでも、なんでもコピーするの! 1日だけっ!
シャルナークは、携帯電話で、人にアンテナ刺して……っ
ゲームのキャラみたいに操っちゃうんだぁっ……はひぃっ!
ボノはねっ ボノレノフはねっ 体に穴があいてて……っ
音楽っ! 音楽でね、人に化けたり、色々できるんだよぉっ」
イワレンコフは手帳にペンを走らせながら、シャッチモーノと顔を見合わせた。
あまりにも詳細すぎる情報だ。しかも、どれもこれも凶悪極まりない能力ばかり。
ルモアから事前に渡されていた情報と見事に合致していくその答え合わせに、二人は背筋に冷たい汗が伝うのを感じていた。
ヴェーゼは情報ひとつごとにご褒美として、シズクの腹や蜘蛛の入れ墨を踏むのに夢中だ。
「ま、おおよそは事前情報通りか。
どいつもこいつも化物級の念能力者、ゾッとしないねぇ」
「正面から戦わなくて正解だってつくづく思うぜ。
しかし能力を盗む、ね。そらアンドーもピリピリしだすわな。
うちのお嬢様が狙われたってんなら納得だ」
「あいついつからこの辺の情報知って動いてたんだろうな?」
「さぁてね。ま、良いじゃないの。
情報が正確かを確かめるのにソースがいるんであって、正確な情報ならソースは関係ない。
それに一番信頼できるソースってなら……そこで腹見せてるだろ」
「信頼できるソースって言うのも何かイヤだけどな、これ」
「……で、そこでミンチになってるデカブツは?
まあ知ってっけどな。こないだ殺されかけたし」
シャッチモーノが顎で瓦礫の山をしゃくる。
事前に聞いていた情報では、多少の銃弾くらいは弾けるという事だったが、それぐらいならまあ自分もできるので驚くほどではない。
じゃあそんな自分でもどうすれば死ぬかと言えば、圧倒的な威力で叩き潰されれば死ぬだろう。
それは軍用の重機関銃並の威力を持った念弾だったり……数トンの金属の塊だったり。
シズクは墓標と化した金属の塊やその下に眠る仲間の方を一瞥することすらなく、嬉々としてご主人様の靴に頬をすり寄せた。
「あぁっ、フランクリンはねっ
指の先から、すっごいオーラの弾を撃つんだよぉっ……!
マシンガンみたいに、ダダダダダッて……!
でもね、でもねっ! 一番すごいのは、ウボーなのぉっ……!
ねえ、ご主人様、聞いて、聞いてぇっ ウボーのこと聞いてぇっ!」
「はいはい。そのウボーってのは何ができるの?」
ヴェーゼが靴の先でシズクの鼻先を軽く小突くと、シズクは「くぅんっ!」と喉を鳴らして歓喜に打ち震えた。
「ウボーはねっ ウボォーギンはね、すっごく、すっごく体が硬くって……っ!
大砲の弾でも、戦車でも、バズーカでも、ぜーんぜん痛くないのぉっ!
パンチ一発で、おっきなクレーターができちゃうのぉっ……! あぁんっ、んっ!
最終的にはね……核ミサイルと、同じくらいのパンチを撃つんだって、笑ってたぁ……っ!
すごいでしょぉ、ご主人様ぁっ! これで全部! 全部だよっ 知ってること全部っ。
もう一人いるけど、そっちは……んっと、えっとぉ……
でも、でもっ あたし、役に立ったでしょ ご主人さまぁ……ッ!」
シズクは褒められたい一心で、尻尾を振るように腰をくねらせ、ハァハァと熱い吐息を漏らす。
だが、それを聞いた三人の間には、重苦しい沈黙が降りた。
「……バズーカが効かない? パンチが核ミサイル? ……マ?」
さすがのヴェーゼが引きつった顔で呟き、足元のシズクから視線を外す。
イワレンコフも手帳から顔を上げ、シャッチモーノと顔を見合わせた。
強化系の極致。純粋な暴力の結晶。
複雑な能力なら搦め手でどうにかできるかもしれないが、物理的に破壊不可能な肉体の塊が暴れ回るとなれば、話は全く別だ。
「いや、まあ、こないだ荒野で見たけどな。見たけどさ。見てからずっと考えてんだけどよ。
……おい。そんなバケモノ、どうやって倒すんだ?」
イワレンコフの絞り出すような問いに、シャッチモーノは軽く肩をすくめてみせた。
「さァな。アンドーがなんか策を練ってんじゃねえの?
ほら、こう……切り札があるとかそんな感じで。たぶん。きっと」
「
博打じゃねえか。外れたら笑えねえぞ」
「逆だろ。
博打に負けたら笑って誤魔化すっきゃないでしょうよ」
シャッチモーノはそう言うと、遠巻きに恐る恐る様子を伺ってる警官へ、ひらりと手を振った。
「表向きは交通事故ってことでお願いしますよ!」
読んでくださってありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
励みになりますので、よろしければ感想評価お気に入りなど、よろしくお願いします。