地雷系彼女(マイ・フェア・レディ) 作:あなたへのレクイエムです
爆音。コンクリートの粉塵。
幻影旅団首領の
それは猛烈な衝撃波となって、ペントハウスの窓ガラスという窓ガラスを外側へと吹き飛ばす。
粉微塵に砕け散ったガラス片がヨークシンに降り注ぐ中、対決の結果は──……。
「……は、はは……っ」
クロロ=ルシルフルは、未だ健在。
床に膝をつき、激しく息を吐き、その身を覆う服はボロボロ。
しかし、死んではいない。戦闘不能にもなっていない。
対する俺はと、いえば。
「……さっすがに、きっつい……!」
左腕の断面から溢れ出る鮮血が、コンクリートの床に巨大な水たまりを作っている。
肉体を失うというのはなかなかに衝撃的だ。失血による視界の明滅。急激に奪われていく体温。
俺の身体には、もう指一本動かすためのエネルギーさえ残っていなかった。
膝は震える。視界は明滅する。それでもまあ、まだ倒れちゃあいない。
ネオンが──レディが見ている。俺は、歯を食いしばった。
「素晴らしい……能力だった。一瞬、本当に、自分が死ぬかと、思ったよ……」
クロロは折れた肋骨を片手で押さえ、ゆっくりと立ち上がった。
足元はふらついている。だが、その手にはベンズナイフが握られていた。
それさえあれば、動けない俺の首を掻き切って殺すことなど、造作もない。
「だが、これで終わりだ。
誇れよ。
「ああ、うん。……そうだな。これで終わりだ」
勝負は決した。
クロロが一歩、こちらへ足を踏み出す。
かすむ視界の中で、俺は床に顔を伏せたまま、心の中で小さくカウントダウンを刻む。
──3。
──2。
──1。
「
次の瞬間、コンクリートの柱の裏から躍り出た一条の銀光が、今度こそクロロの胸を背後から貫いていた。
「──ッ、が、あ……っ!?」
彼の胸を刺し貫いたのは、鋭利な刃の形をした──
物質としての鎖ではない。具現化された
その刃は彼のドクドクと脈打つ心臓へと容赦なく突き刺さり、鎖でがんじがらめに縛り上げているのだろう。
それができる事を、俺は知っている──……と言った時の、
「……遅刻したが謝罪はしないぞ、アンドー。
突然事を始めたのはそちらだ。これでも急いで駆けつけたのだからな」
「……いいさ。待ち合わせにはちょうど良い時間だ」
柱の陰から音もなく現れるのは、細身の……伝統的な装束を纏った、金髪の麗人だ。
彼女は俺の返答に息を吐き、失われた左腕に痛ましい目を向けた後、ゆっくりと自分の両目を指先で覆った。
爛々と輝く──この世で最も美しい、緋色の瞳。
「クルタ、族……ッ」
クロロが、喘ぐように言葉を吐く。俺は、どうにか奴に笑って言ってやった。
「
「ここまで、全部……時間稼ぎだ、と?」
「
クロロが、息を呑んだ。
なんと言ったってゾルディック家の二人、ゼノとシルバですら確殺するには味方諸共でやらなきゃならない相手だ。
対旅団特攻の念能力をどのタイミングで切るかといえば……そりゃあ此処で切るしかない。
クロロ=ルシルフルが
まあ──俺の凡ミスで、戦闘前に拘束する方は間に合わなかったわけだけれど。
ここからノーミスなら問題ないから再走の必要はないだろう。できないし。
ハンター試験が終わった後、俺は忙しく動き回る中、千耳会を通してクラピカと接触を図った。
まあ、これ自体は別にさほど難しい事じゃあない。
門前払いを受け、
先んじて特徴を伝えておけば、どうとでもなる。
そして千耳会の用意した指定の会議室で、俺はクラピカと久方ぶりに顔を合わせた。
俺がクラピカを指名して依頼をする事について、クラピカはわかっていたというような顔をしていた。
もしかしたらヒソカから何かもう既に話を聞いていたのかもしれない。都合が良かった。
もっとも、『あんたの念能力を知っている』と伝えた時の反応は、まあ、さっきも言った通りだったけれど。
俺の依頼内容は、至極単純明快なものだった。
『幻影旅団を狩る。クロロ=ルシルフルをどうにかして追い詰める。
そこで、あんたの『
ただ、それだけ。
報酬はもちろん、地下競売にかけられる予定の
そしてマフィアンコミュニティーで確認できる限りの、現在の所有者の情報。
その上で、俺は鎖によってクロロに課す
まあ、卑怯な取引だとは、思う。
同胞の瞳を確実に入手できる方法を提示して、俺は
数十秒か……それとも数分か。押し黙るクラピカに、俺は続けた。
『疑うなら俺の心臓にも刃を刺して縛ってくれ。他に差し出せるものもあまりない。
だいたい全部これに突っ込んでるせいで、預金口座もすっかり減っちゃってるもんでね』
『いや……やめておこう。どうしてだか、あなたの心臓に刃を刺して縛れるビジョンが見えない』
まあ、俺の心臓には確かにもう、水色と桃色の髪の毛のような糸が、がんじがらめに絡みついている。
操作系の系統における速いもの勝ちの法則。
先約──というのは、この場合も適応されるのだろうか。
ネオンを不幸にさせたなら死ぬという約束が最優先なのは、まあ確かにその通りだったけれど。
『なら、あの時の……
たぶん十中八九……もう
お互いに』
『……だが、理由くらいは聞いて良いだろうか』
『? 能力についてなら、知っているからとしか──』
『そうじゃあない』
クラピカは、静かに首を横に振った。
『私の能力を知っているのなら、もっと簡単な方法があったはずだ。
やろうと思えば、私に確実に殺させる事だってできるだろう。
鉄砲玉のように旅団にぶつけて、いっそ使い潰してしまうのが一番手っ取り早い。
なのに、それをしない理由だ』
『あー、
俺は少しだけ考えた後、特に誤魔化す事もないなと思った。
『たぶん、あんたは人を殺すのに向いてない……と思ってたからだな』
『──────────』
クラピカは、目を見開いた。
そして一度目を閉じて、ゆっくりと息を吐く。
『……まったく、やはりあなたは、私の想像以上に……酷な男だ』
いつかと同じような事を言ってクラピカは困ったような、泣きそうな顔で笑っていた。
まあ──……納得してくれたなら、それで十分だ。
そして今、セメタリービルの頂上。
「殺しは、しない。殺さない。そう決めて、そう約束した。
私はな。だが契約は結ばせてもらった。
クロロ=ルシルフル────これを破れば、"死のペナルティ"だ」
クラピカの……あらゆる感情を綯い交ぜにして押し殺した、絶対零度の声がペントハウスに静かに響く。
「一つ。
二つ。この
そして三つ────……」
「──
続けて、もう一人。
最初からそこにいたかのように、ペントハウスの入口からクラピカに続いて姿を現すのは、道化姿の男。
ヒソカ=モロウは実に楽しげな足取りで歩み寄ると、ふと俺の隣で立ち止まり、欠けた左腕に目を落とす。
「やぁ、アンドー。派手にやったねえ♠」
「……よぉ、ヒソカ。約束は守ったぞ。
俺との方は……まあ、見ての通りだから」
俺は、傷口の少し上をどうにか押さえ、少しでも失血を遅らせようとしながら、息を吐いた。
「……悪いな。ちょっと無理かもしれない」
「そう思うなら、そのまま死んじゃいそうな顔はしないで欲しいね♣
──はい、これ◆」
その傷口を覆うように、ヒソカがハンカチを投げてよこした。
表面に描かれていた蜘蛛の入れ墨が消え失せると同時、それは俺の傷口へと絡みつくように貼り付く。
途端に恐ろしい勢いと強さで、その
「ボクから離れると切れちゃうけど、それまでには少しオーラも回復してるんじゃない?
後は自力で……もしくは、彼女の
「そうか。……助かる」
「良いさ、友達だろ。
それにキミと遊ぶのも楽しみだけど、馬に蹴られて死ぬほど無粋じゃないんだ、ボク♥」
歩みだすヒソカの姿を認めて、クラピカが場を譲るように、そっと横へ動いた。
その両目では未だに緋の目が燃えている。様々な感情、激情を全て飲み込んだままに。
ヒソカはクラピカのそんな在り方に何を思ったのか、そう、僅かに頭を下げたようにさえ見えた。
けれど、それもやはり一瞬の事。
クロロ=ルシルフルの前に立ったヒソカは、もう既に全身からその粘ついたオーラが溢れ出しており、どうやら我慢する事をやめたように見えた。
「ヒソカ。……
「心外だね。そもそもボクは幻影旅団に入団した覚えはない。見せかけただけさ♣
言うなればボクは……ウン◆
シュミと実益を兼ねて潜入中の
くつくつと、ヒソカの喉の奥から笑い声が漏れる。
「アンドーにとってもクラピカにとっても……ボクにとっても今夜が全てさ♠
ずっと待ってたよ、この時を♥」
ヒソカは言葉を切った。
出来立ての料理を眼の前に置かれた子どものように、目をきらきらとさせながらクロロの動きを待つ。
あるいはクロロが完全に『
「さあ、
ペントハウスに、ひび割れたコンクリートの破片が乾いた音を立てて落ちる。
クロロはしばらくの間、自分の胸元に突き刺さる念の鎖と、その先を握るクラピカを静かに見つめていた。
状況を整理し、自分が完全に手詰まりであることを理解したのだろう。
本を再び作り出しベンズナイフを握り直す彼の動作には、どこか諦めたような潔ささえあった。
何もかもお終い──長い旅の終わり、重い荷物を下ろして休む直前の、旅人のような表情。
「……ずいぶんと熱烈だな、ヒソカ」
「ふふ、ボクの愛の深さだと思っておくれ♥」
ヒソカが指先でトランプを弄びながら、じりじりと間合いを詰める。
クロロは小さく息を吐くと、もはや言葉を返すこともなく、地を蹴った。
クロロ=ルシルフルの……幻影旅団のラストダンス。
クラピカはその戦いから目を離さなかった。
緋色に染まった瞳で、蜘蛛の頭が文字通り噛み砕かれ、死にゆく様をその網膜に焼き付けようと凝視している。
俺は、そんな彼らの背中にそっと視線を切った。
ヒソカの『
壁に身体を預け、ふらふらと覚束ない足取りで、俺はペントハウスの入り口の方へと移動した。
そこには、最初からすべてを見ていた二人の影があった。
腕を組み、静かに戦況を見つめる老人。
そして、その隣で威圧感を放ちながら佇む、銀髪の巨漢。
ゼノとシルバ──
十老頭が、俺が陰獣の皆さんを経由して伝えた情報を受け、クロロ=ルシルフル暗殺の依頼を出した事は知っていた。
この二人なら俺が何をどうこうしなくても、確実にクロロの下にまでたどり着くだろうという予測はできていた。
ヒソカが万が一にも仕留め損ねたときのための、文字通りの保険。
……というか、まあ、なんだ。
10年かけた準備も、クラピカの
その全てが無駄でクロロ=ルシルフルが生き延びてネオンが破滅するのなら、それこそ運命ってものだろう。
今夜の俺の周りを取り巻く
もうそうなったら──俺は天に唾した愚か者だった、というだけの話だ。
ネオンをそんな運命に決めた誰か、何かを呪いながら、俺は死ぬ。
俺はどうにか呼吸を整え、ぼんやりと霞がかった思考で、言葉を選んだ。
「……どうも、ご無沙汰しております。直接のご挨拶が、こんな形で」
「その有様で最初に言う事がそれか」
老人……ゼノさんが、呆れ半分、面白がるような口調で応じた。
奇妙な縁もあって、俺はゾルディック家に知己を得ている。
奥様と
それもあって、俺は二人に頭を下げる。
「……すみません。わざわざ、ご足労頂いたのに」
「構わんよ。待機料、拘束費と思えば、カネはしっかりもらっておる。
十老頭の連中、今頃は生きた心地がしておらんじゃろうがな。
……イルミのやつも、これで少しは鼻っ柱が折れてくれれば良いんだがの。
なんせあやつ、自分が操っとる死体の顔にハエが止まっても気づきやせんのだから……」
「こちらも仕事だ。気にするな。
妻もキル……息子のことや、
良ければこれからも、妻と仲良くしてやってくれ」
「ええ、ネオンも……奥様とお話するのは、いつも楽しみにしているようです。
此方こそ、いつもありがとうございます」
続くシルバさんの言葉に、俺は僅かに笑って頷いた。
ネオンには自分と親身になって話してくれる年上の女性の存在は、エリザさんしかいない。
そのエリザさんとの関係も、主従だから侍女だからという要素がどうしたって挟まってしまう。
……おまけにエリザさんってノーマルな人だからな、うん。
幼い頃にいなくなった母親のかわり、なんていうのは誰に対しても失礼な物言いだ。
けれど、少しでもそれを補うような……代用ではなくて、欠けた部分を覆うような新しい何か、そんな関係になれば良い。
俺は少しだけ救われた気がして、緊張の糸がわずかに緩んだ。
ふらつく俺の様子にシルバさんは「おい」と鋭い声を投げかけ、俺の意識を引き戻してくれた。
「もう少し踏ん張れ。格好がつかないぞ。女の前だろう?」
横目で見ると、ゼノさんが顎をしゃくって、ペントハウスの奥を指し示している。
「そら、わしらなんぞに関わってないで、おぬしの
ゼノさんの視線の先。
コンクリートの柱の影、衣服の擦れる微かな音が、確かに俺の耳に届いた。
「う、ぅ……」
ネオンだった。
ペントハウスの冷たい床の上で、彼女は長い睫毛を震わせ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
まだ状況が飲み込めていないのだろう。
ぼんやりとした様子で周囲を見回し、爆音と風の荒れ狂う部屋の惨状に、その身体を小さく強張らせる。
けどそのエメラルドの瞳が探すのは──俺の姿だった。
「……ルモ、ア……?」
彼女の消え入りそうな声が聞こえた瞬間、俺の身体を縛り付けていた激痛も失血の恐怖も、綺麗さっぱり消し飛んだ気がした。
一歩。止血された左腕を庇いながら、左目の燃えるような熱に喜びを覚える。
二歩。ゼノさんとシルバさんが黙って道を開けてくれる。
三歩。みっともなく足を引きずりながら、俺はどうにかネオンの目の前までたどり着き、その場に崩れ落ちるようにして膝をついた。
「ネオン……ッ! 良かった、目が覚めて。怪我は無いか? 変なところは?」
「ルモア! 私は無事……じゃ、ない、何その腕!?」
ネオンの瞳が、一瞬で恐怖と驚愕に染まった。
俺の左肘から先がない。
ボロ雑巾のようになったシャツの袖は半ばからちぎれて、本来あるべき腕は何処にもない。
それを見たネオンの綺麗な顔が、一瞬でくしゃくしゃに歪んだ。
大粒の涙が、その目から次から次へと溢れ出して、コンクリートの床を濡らしていく。
「嘘、嘘でしょ!? 私のせいで……私が、あんなこと言ったから……っ!」
ネオンは小さな両手で、俺の残された右腕の、そのボロボロになった袖をぎゅっと掴んだ。
まるでそうすれば、失われた左腕も元通りになると思い込むかのように、必死の力で。
その手に、レディの手が添えられる。ただそれだけで、俺の腕の痛みは何処かに消えていくようだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!
大嫌いなんて言ってごめんなさい……! あんなの嘘、嘘なの!
大嫌いなんて、そんなこと絶対に思ってないの……っ!
ルモアがいなくなったら嫌だもん……!
ルモアがいなくなったら、私、本当にひとりぼっちになっちゃう……っ!
ごめんね……っ ごめんなさいっ
もう、あんな事言わないから、だから……いなくならないで……っ
傍に、いて……っ!」
子供のように声を上げて泣きじゃくるネオンの姿は、とてもマフィアのボスの娘には見えない。
ただの、怖くて、寂しくて、大切なものを失いたくないと泣いている、普通の女の子だった。
そんなのは──もうずっと昔から、わかってる。
「わかってる。わかってるよ、ネオン」
俺は残された右腕を伸ばし、彼女の小さな頭をそっと抱き寄せた。
コンクリートと血の臭いが充満する中で、ネオンの身体だけが、驚くほど温かくて、柔らかかった。
この温もりを守るために、俺は10年を費やしたのだ。
腕の一本くらい、安いものだ。
「怒ってないよ。
ネオンが俺の事を嫌ってないって、わかってる。
それにネオンが何をしたって俺はネオンを嫌ったりなんかしない。
第一、ネオンは一人ぼっちになったりしない。レディもいる。皆もいる。
……だから、もう泣かないで」
「う、ぅ、ひぐっ……だって、だってぇ……!」
ネオンは俺の胸に顔を埋めたまま、子供のようにしゃくり上げ続ける。
その背中を、俺は右手で何度も、優しくさすり続けた。
背後では、未だにヒソカとクロロの、人間の領域を超越した死闘の音が響き渡っている。
衝撃波がペントハウスを揺らしても、ネオンはそんなものは気づかないようだ。
ネオンは俺の体に縋りつき、身体が小さく跳ねさせながら、ただただ泣きじゃくっていた。
「……大丈夫だ。もう、全部終わるよ」
俺はネオンの耳元で、静かに、言い聞かせるように呟いた。
ネオンの涙を拭う。まだ、俺の右腕は動く。
その後については────……まあ、あえて言うまでも無いだろう。
クロロ=ルシルフルは死に、幻影旅団は全滅した。
それだけだ。
* * *
一階へ降りるエレベーターの振動が、今の俺にはひどく重く響く。
俺が倒れないでいるのは、両側から懸命に支えてくれている存在があるおかげだ。
水色の髪のネオンと、桃色の髪のレディ。
二人の小さな肩に、切り落とされた左腕の激痛を堪えながら不格好に体重を預ける。
ヒソカのおかげでどうにか意識だけは保てていたが、一歩歩くたびに冷や汗が背中を伝った。
「しっかりして、ルモア。もうすぐ下に着くから」
ネオンがすんすん小さく鼻をすすり、涙で目を赤くしたまま、必死に俺の右腰を支えてくれている。
レディは何も言わない。けれど絶対に俺を離さないという強い意志の宿った手で、失われた左腕の側をそっと支えてくれていた。
レディの触れた先から、どろりと粘ついた、甘く蕩けるものが俺に流れ込んでくるのを感じる。
我ながら、傍から見れば二人の少女に介護される酷い有様だ。
だが、まあ、事実だ。
二人のお陰で、俺はまだ生きている。
チーンと間の抜けた電子音が鳴り、エレベーターの扉が開いた。
眼前に広がったのは、セメタリービルの広大なロビー。
そして、信じられないほどの喧騒だった。
上層階であれだけの凄惨な死闘が繰り広げられ、市街地で騒動があったというのに、一階に集った紳士淑女諸君は何も知らないらしい。
ロビーに設けられた大型モニターに映るのは、何処かの豪華なレストランの一室。
顔に壮絶な傷跡の残る壮年の男が、にこやかな調子で観衆に向けて語りかけていた。
『よォ……みんな元気か。まずは連絡の不備を詫びよう。すまなかった。
大分ゴタゴタしちまったがもう大丈夫だ。賊は始末した!!
陰獣と
今夜は特別に、
張り切って掘り出し物を競り落としてくれ』
「皆さん、お聞きの通りです!
十老頭の面々が中継先で御覧になってますので、奮って御参加下さい!!」
おおというどよめきに、歓声。
煌びやかなドレスやタキシードに身を包んだ参加者たちが、お目当ての商品について熱っぽく語り合い、ロビーを行き交う。
その華やかな人混みを乱暴に掻き分けて、こちらへ向かって猛然と走ってくる一人の男がいた。
「ネオン!! ネオン、無事なのか!?」
ドン──ライト=ノストラードだった。
いつもなら完璧に整えられているはずの髪はひどく乱れ、高級なスーツのネクタイも歪んでいる。
額に大量の汗を浮かべ、文字通り息を切らせて、マフィアのボスとしての威厳などどこへやら。
俺達の下に転がるように駆けてくるのは、ただの必死な父親だった。
ドンは俺たちの前に飛び込むようにしてやってくると、ネオンの肩をがっしりと掴んだ。
「ああ、神様……っ、本当に無事なんだな!? 怪我は、怪我は無いか!?」
「パパ……」
ネオンはドンの必死な形相に少しだけ気圧されたように目を瞬かせ、それから、また少し鼻をすすって俯いた。
「……ごめんなさい、パパ。
私、パパに大嫌いなんて言って、勝手にホテルを抜け出しちゃって……。
どうしてもオークションに行きたかったから、ワガママ言って、ルモアにも迷惑かけて……。
…………本当に、ごめんなさい」
子供のように素直に頭を下げるネオンの言葉に、ドンは一瞬だけ呆然とした。
そして彼はネオンを叱るどころか、そのまま愛娘の小さな身体を力一杯に抱きしめた。
「違う、違うんだネオン……! 悪いのはパパの方だ!
お前に嘘をついて、騙して家に追い返すような真似をして……本当にすまなかった!
お前がパパを嫌うのも当然だ。パパが、パパが全部悪かったんだ……!」
ドンの声は、情けないほどに震えていた。
その様子を、俺は少し離れた位置から、レディに支えられながら静かに見つめていた。
原作のライト=ノストラードがどうだったかは関係ない。
けど今、俺の目の前でネオンを抱きしめているこの父親の愛情だけは、間違いなく本物だった。
ネオンはライトさんの背中に小さな手を回し、ようやく少しだけ安心したように微笑んだ。
「もういいよ、パパ。私、ちゃんとわかったから」
しばらくの間、周囲の喧騒から切り離されたように、親子は無言で互いの無事を確かめ合うように抱き合っていた。
やがて少しだけ落ち着きを取り戻したライトさんがネオンを離し、ようやくその視線をこちらへと向けた。
そして──俺の失われた左腕を見た瞬間、その言葉を完全に失った。
「……お前、その腕は……」
「……まあ、見ての通りです」
俺は残された右腕を少しだけ振ってみせたが、ライトさんの顔は引きつったままだ。
当然だろう。
娘が生きて戻ってきた代わりに、そのボディガードが腕一本を失っているのだ。
セメタリービルの上で何が起きていたのか、彼には想像もつかないに違いない。
「……すまない。本当に、何と言っていいか……」
「いいですよ。ネオンが無事なら、他には何も言う事な……ああいや。護衛団の皆は?」
「無事だ。損害なし。……賊も全滅だ。よくやってくれた」
それを聞いて、俺は大きく息を吐く。
これで全部だ。全部片付いた。
……ああ、うん。そう、まだか。まだだ。
「じゃあ、次は……オークションですね。ええと、そうだ。
緋の眼……はクラピカにあげちゃったから、あーと、なんだ……。
そうだ。確かネオンの欲しがっていた、コルコ女王のミイラが……」
「バカヤロウッ! 病院だ、病院! すぐに医者を呼ぶ……いや、こっちから車で行くぞ!
エル病院に連絡して医者の準備をさせておけ!」
「え、でも、ネオンが欲しいって──……」
「
ドンは怒鳴るし、ネオンも叫ぶし、レディは無言で俺を見てくるし。
俺は処置なしの状態で立ち尽くすしかない。
ふと会場の方へ目を向ければ、スキンヘッドに小太りの男が大声を張り上げ、嬉々としてミイラを落札にかかっているのがわかる。
地下競売の落札額は、そのまま組からマフィアンコミュニティーへの上納金だ。
どうやらゼンジは暗殺で手柄を立てられなかった分、競売の方でノストラード組を出し抜いて溜飲を下げるつもりなのだろう。
それなら。
「銃を構えてカチコミしてきたりは、ないか……?」
「ルモア……?」
「いや、ええと、そうか。
あれはクラピカが殴りつけて鼻折ったからで、そうなってないから、そうはならない?
というかなんでクラピカは殴ったんだっけ、しゃぶってろとか言われたからか。
風呂上がりの全裸のレオリオにキレたりアレでキレるのはキレポイントわかりやすい気がする。
まあ、いいや、カチコミこないなら。銃はヤバいよ。銃は。念能力者でも死ぬもん。
ならこれで終わりか。うん、たぶん終わりだ。だいたい終わった。終わらせた。
終わんないけど。まだこれ11巻くらいだけど。いつ終わるんだ。終わるのか?
ええと、だから、次は競売で、グリードアイランドが、ええと。
この流れだとアリってどうなるんだろうなぁ? まあでも関係ないか?
ハンター選挙に暗黒大陸なんてもう勝手にやってくれって感じだし。
あーでもハンゾー関わるか? クラピカは緋の眼で関わるし関わるよな多分。
つかそれ以前にポックルがなーポンズもなー。二人ともあんな死に方はなー。
ポックルはボドロさんに頑張ってもらうにしてもポンズが心配だからなあ。
っていうかポンズも銃でやられてんじゃん。やっぱ銃はルールで禁止スよね。
心配つったらゴンもキルアにアルカとナニカも心配だよなあ。どうすっかなぁ。
どうかな?」
「ねえ……ちょっと、ルモア!? 何言ってるの!?
しっかりしてよ、ルモア……ねえ、ルモアッ!?」
「ああ、うん、だいじょうぶ。ネオン……きいてる。きこえてる。かんがえてて、だから……」
俺はそこまで言って、急激な眠気のような、強烈な脱力感に襲われた。
あんまりにも長い夜だったせいだろう。
ひどく疲れたし、どうにも眠くて仕方がない。
「ルモア!?」
ネオンの叫び声が聞こえた。
視界が急速に真っ暗になっていく。
倒れそうになる俺の身体を、ネオンと、レディと、ドンが、慌てて支えてくれるのを感じる。
ふと、ロビーの窓の向こうに、俺は微かな朝焼けの光が見えた気がした。
きらきらと輝く、ネオンの瞳。エメラルドの宝石。
そうか。もうずっと忘れてたけど。
「──太陽は、夜も輝くんだっけ?」
そして、俺は目を閉じた。
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