劉備を見てしまった。
あの魅力を確認できる近さから、あの「旧主」を見てしまったからには、グダグダと迷っていた事すら、もはや無意味に思えた。
…あの「3顧の礼」の場面に限らない。
あの船着場ででも「先帝」いや”ここ”では真名を桃香様とか言っていたあの方に「霧花」とか何かの「真名」らしきものを捧げてしまえば好かったのだ…
そう決心してしまえば、為すべき行動は1つしか無かった。
「水鏡女学院」を始め、短い間ながらも世話に成った襄陽の人たちに非礼を詫びると、黄権、今は「自ら」真名を「霧花」と定めた彼女は、主君たちを追って東北へと向った。
だが間も無く、霧花はここでの数日の遅れを後悔する。「前世」の”あの”戦い以来の後悔で。
*
荊州襄陽城から幽州へ、後漢帝国の版図を南から東北へ横切る旅。
しかも、その国土は当時は黄巾賊が暴れ回っていた。
実の処、襄陽こそ平穏だったが、その北に隣り合う荊州南陽郡から南陽郡の東北に隣り合う予州汝南郡までが黄巾の乱に於ける「最悪」の被害地帯だったと言い切れる。
そんな「最悪」地帯が「最短コース」上にある旅ならば、いくら関羽や張飛でも、増して大切な主君や、やっとの事で口説き落とした軍師を連れているのだから、慎重かつ臨機応変に道を変更もすれば迂回もするだろう。
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襄陽を飛び出した時の、熱くなった霧花が冷静に戻った時、もう既にして劉備たちと斜めの方角に奔(はし)ってしまった事に気付いた。
ついでに、自分のウカツを罵りたい位「最悪」のど真ん中だった。
かろうじて、不幸中の幸いかも知れなかった事は、明らかに「最悪」だけに官軍の主力が投入されていた………。
……。
…皇甫嵩・朱儁といった将軍が率いる官軍に、霧花は紛れ込むしか無かった。
それ以外に、旅を続けるどころか、身の安全すらアヤしく成っていた。
何せ今の身体は、無くす物が命だけでは無いのだから。
紛れ込む事自体は難しくは無かった。
例え、見かけは幼い少女でも中身は「黄権」なら、仕官の当てはある「時代」なのだから。
官軍の将軍である皇甫嵩や朱儁とかは、甲冑姿で旅する霧花に対して、当然ながら仕官を希望していると解釈した。
尤(もっと)も、霧花はこう主張していた。
「私が仕官する主君は、もう決めています」
その理由については、襄陽で目撃した「3顧の礼」を持ち出して釈明していた。
この辺りは、見かけは霧花でも中身には「前世」相応の世間の経験が在った。
この程度まで打ち明けた理由は、いざ離脱する時の伏線の他に情報収集の目的も在った。
おそらく求める「主君」は、今から幽州まで行っても其処に留まっているとは限らない。
黄巾賊を追って、戦いながら移動している可能性がある。
その行き先を知るためには、官軍に所属している方が、情報を集め易いかも知れなかった。
何せ関羽と張飛の武勇だけでは無く、諸葛亮に加えて鳳統が既に軍師として補佐しているのだ。
「前世」よりも、名を上げている可能性だって在り得た………。
……。
…そのうちに、官軍の将軍たち、皇甫嵩や朱儁に違和感が生じ始めた。
現在、相手にしている黄巾「軍」は、人数や勢いならば「主力」だろう。
だがしかし、最大の標的である首領の張姉妹は”ここ”には居ないのでは無いのか?
この件についての興味深い情報を、官軍に従軍していた兗州陳留郡太守にして、皇帝親衛隊である「西園8校尉」の8人の1人でもある曹操の放っていた用間が掴んで来た。
荊州南陽郡の郡城が怪しいとの情報を入手して来たのである。
この情報に基づいて曹操軍は、これも張姉妹の情報を得たのだろう、南陽郡へ転進しようとする盧植将軍の官軍に合流すべく、あくまで目前の「主力」との決着を付けるべきとする皇甫嵩・朱儁の軍から離脱した。
ここで霧花は、皇甫嵩・朱儁の軍に同行していく選択をした。
先ず南陽へは、これまでの旅程から引き返す方向になること。
もう1つは、やはりこの情報を得たのか、南陽へ進軍しようとする「1軍」が在ったからだ。
元々、長江の海賊退治から旗を上げたその軍は、長江の水運関係から支流の1つが近くを流れている南陽群についての情報を掴んだらしかった。
霧花にとって問題だったのは、その「1軍」というのが孫呉軍だったからだ。
孫権からは先々代の孫堅の軍とはいえ、霧花にはどうしても許せなかった。
「魏」には、厚遇された恩も義理も在った。
それだけに、余計に「呉」それも、陸遜だけは許せない。
孫堅の代の軍といっても“この”時代ではもう「3顧の礼」まで成立しているのだから、陸遜が居るかも知れない。
もしも陸遜を見付けてしまったら、腰の剣を抜きかねない自覚を持っていた………。
……。
…霧花の従軍する、皇甫嵩・朱儁の官軍は黄巾軍を追いながら戦い、予州から冀州へと転進して行った。
遂に冀州広宗という1城に追い詰めての包囲戦にまで持ち込んでいた。
ここで、皇甫嵩・朱儁の元に荊州南陽郡の盧植からの報告が在った。
やはり、南陽に張姉妹が居た。
そして、盧植の官軍や幽州の地方軍閥である公孫賛、曹操や孫呉などの総攻撃の結果、曹操に捕らえられた。
わざわざ、霧花を呼び出してこうした事を伝えた皇甫嵩(真名楼杏(ろうあん))の側は、親切の積もりだった。
「正史」においても、自分の功績は同僚に譲り恨まれる事も無かった、などと評価されている位だから。
「公衡が仕官する積もりの、何と言ったかのう」
「劉玄徳様です」
「そうじゃ。その劉玄徳の「義軍」じゃがな。盧植の官軍に身を寄せていたらしい。
南陽の張姉妹を攻めた時も、それなりに手柄を立てた様じゃ」
「…そうですか…」(またしてもか)
「ですが、この広宗まで連れて来て頂いた恩義も在ります。
広宗城が落ちるまでは従軍致しましょう」
「そうか。じゃがのう、わが官軍でも公衡はそれなりに働いておる。
帝都まで付いて参れば悪い様にはせんが」
「ご無礼は御許しくだされ。今の私は何よりも自分自身の決心に正直でありたいのです」
「そうか。
それで、劉備とかには幽州の公孫賛の管轄下に在る平原県の県令という官職が与えられたそうじゃ。
それで、公孫賛軍に付いて幽州の拠点に戻るらしいな」
「感謝します」
(…幸い、この冀州はもう、幽州からは隣の州だ。後、もう少しで…)
霧花は、そう思った………。
……。
…ところが、広宗城を落とした官軍に、
「全軍をあげて帝都に帰還せよ」
との、大将軍何進の直々の命令が届いた。
この為、霧花が広宗から真っ直ぐに幽州へ向っては脱走に成ってしまった。
しかも、大軍を引きずって延々と行軍していくと、今度は「相国」董卓の名で、
「虎牢関に軍を入れずに、その手前までで解散させよ。皇甫嵩・朱儁のみが帝都に帰還せよ」
との、新しい命令が届いた。
当然に軍の殆どが憤慨したが、早く幽州へ行きたい霧花はむしろホッとした気分だった。
それよりも、霧花の記憶が、1連の「キーワード」によって浮かび上がって来ていた。
(…虎牢関、董卓、そして「陛下」は公孫賛の下に…)
話には聞いていた「あの」雄将、呂布の名を思い浮かべ、武者震いすらする霧花だった。
それでは続きは次回の講釈で。
次回は『第6席 西南への望郷 東北での再会』の予定です。
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