青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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一話

――『青春』とは、なんだろうか。

辞書を引けば、「生涯において若く元気な時代」などと書かれている。だが、そんな無味乾燥な文字列で説明できるほど、それは単純なものではないはずだ。

 

放課後の教室、夕暮れの帰り道、他愛のないおしゃべり、そして甘酸っぱい恋の悩み。そういった、どこにでもある『普通』の日常の積み重ねこそが、青春と呼ばれるものの正体なのだと、俺は思う。

 

俺の名前は、呉 刃叉羅(くれ ばさら)。

 

千三百年もの間、ただひたすらに「強さ」のみを追求し、品種改良を重ねてきた暗殺者一族――『呉一族』の直系にあたる人間だ。

 

俺の日常は、世間一般の高校生とはかけ離れていた。

幼い頃から施されるのは、人を殺めるための教育。人体構造の把握から始まり、あらゆる武術、そして毒物や暗器の扱い。

 

俺の才能は、一族の中でも最高レベルだと評されていた。完全な徒手空拳の殴り合いであれば、一族最強の怪物である呉雷庵(くれ らいあん)にはまだ一歩及ばない。あいつは純粋な暴力の化身だ。だが、こと『暗殺』というフィールドにおいて――暗器や武器を用い、確実に標的を仕留める技術においては、すでに一族内でも最高峰に達しているという自負があった。

 

幼い頃から仕事をこなし、俺の日常には常に血の匂いが付きまとっていた。

それに疑問を持ったことはなかった。呉として生まれ、呉として生きる。それが当たり前だったからだ。

 

あの日、あの光景を見るまでは。

 

ある日の仕事終わり。標的を確実に始末し、証拠を隠滅して帰路についていた時のことだ。

ふと通りかかったおしゃれなカフェのガラス越しに、一組のカップルが見えた。俺と同じくらいの年齢だろうか。二人はパンケーキをつつき合いながら、何がおかしいのか、心の底から楽しそうに笑い合っていた。

 

その時、雷に打たれたような衝撃が俺を貫いたのだ。

 

『――俺は、何をしてるんだ?』

 

彼らがパンケーキを分け合っている間、俺は標的の首の骨を折っていた。

彼らが他愛のない会話で笑い合っている間、俺は返り血をどうやって洗い落とすか考えていた。

 

ふざけるな、と思った。

別に今の境遇を恨んでいるわけじゃない。一族のことは好きだ。だが、せめて高校生の間くらい、俺だってああいう『青春』を味わってみたい。

好きな本を読み、趣味の料理を作り、平和な学校生活を送り、可愛い女の子とデートをする。そんな、ごく普通の、平凡でキラキラした日常を。

 

思い立ったが吉日。俺はすぐさま行動を起こした。

 

ターゲットに選んだのは、政府が主導して設立したという『高度育成高等学校』。

外界との接触を完全に断ち、卒業まで敷地内から出ることができないという、まさに俺のような人間が身を隠すにはうってつけの環境だ。ここなら、仕事の依頼が来ることもない。

 

問題は、一族の長である爺様――呉恵利央(くれ えりおう)をどう納得させるかだ。

 

まともに正面から頼み込んでも、「ならん!お前には次期当主としての期待がだな!」と一蹴されるのがオチである。

だから俺は、最強のカードを切ることにした。

 

「――姉ちゃん!頼むよ!」

 

屋敷の縁側。俺は、実の姉である呉迦楼羅(くれ かるら)に頭を下げていた。

同世代の女子の中でも飛び抜けた戦闘力を持ち、何より爺様から溺愛されている彼女を味方につければ、勝機はある。

 

「高校の三年間だけでいいんだ!俺、普通の青春ってやつをしてみたい!だから、俺が家を出た後、爺様の説得をしてくれないか?」

 

俺の必死の懇願を聞いた迦楼羅は、きょとんとした顔をした後、くすくすと笑い出した。

 

「ふふっ、刃叉羅ったらそんなこと考えてたんだ。青春、ねえ……。まあ、刃叉羅はずっと仕事ばかりで息が詰まってたみたいだし、いいんじゃない?」

「ほ、本当か!?」

「うん。可愛い弟の頼みだもん。爺様には、私から上手く言っておいてあげる!」

 

さすがは我が姉。話が早い。

俺は急いで荷物をまとめ、自室の机に置き手紙を残した。

『高校くらいは好きにさせてくれ! 探さないでください。 刃叉羅』

 

――後日談として聞いた話だが、その手紙を読んだ恵利央は案の定、烈火の如く怒り狂ったらしい。

「ば、刃叉羅がああああっ!!わしの可愛い曾孫が家出じゃとおおおお!?ええい、追っ手を出せ!今すぐ連れ戻すんじゃあっ!」と叫びながら屋敷の壁を破壊して回ったそうだが、周囲の大人たちが「まあまあ、まだあいつも子供なんだから、三年間くらい好きにさせてやってもいいじゃないですか」と諭したという。

 

そして何より、迦楼羅の一言が決定打となった。

「爺様、刃叉羅は一族を抜けるわけじゃないんだし、少しの間の辛抱でしょ?私が許してあげてって言ってるんだから、いいじゃない?」

「うぐぐ……か、迦楼羅がそういうなら……」

こうして、俺への追っ手は放たれないことが決定したのだった。

 

四月。

春の陽気が心地よい、入学式当日。

俺はウキウキとした足取りで、高度育成高等学校へと向かうバスに乗り込んでいた。

 

「よしよし、順調だ」

 

指定された座席に腰を下ろし、俺は小さくガッツポーズをした。

今日から俺は暗殺者ではない。ただの『ごく普通の男子高校生』だ。学力に関しては、暗殺に必要な知識を詰め込む過程で一般の高校レベルなどとうに超越しているが、運動能力に関しては少しセーブする必要があるだろう。俺たちの身体能力は、文字通り人外の域にある。本気で走れば陸上の世界記録など簡単に塗り替えてしまうため、体育の授業などでは適当に手を抜いて「そこそこ運動のできる一般人」を演じなければならない。

 

あくまで目立たず、普通の青春を味わう。それが俺のモットーだ。

バスが発車するまでの間、俺は趣味の読書でもして時間を潰すことにした。鞄から取り出したのは、最近お気に入りの海外ミステリー小説だ。

ページをめくっていると、ふと、隣の空席に誰かが座る気配がした。

ちらりと視線を向けると、そこには、息を呑むほど美しい少女が座っていた。

 

色素の薄い、銀色に近い髪。雪のように白い肌。どこか儚げで、おとなしそうな雰囲気を纏った美少女だった。

俺が思わず見とれていると、彼女はこちらの視線に気づいたのか、パチリと目を瞬かせた。そして、俺の手元にある本に目を落とし、少しだけ驚いたような表情を浮かべた。

 

「あの……何を読んでいるのですか?」

 

鈴の転がるような、可愛らしい声だった。

俺は少し驚きながらも、本の表紙を見せて説明した。

 

「ああ、これ? これは……」

 

俺が作者とあらすじを手短に説明すると、彼女はパッと花が咲いたような笑顔を見せた。

 

「すみません、いきなり話しかけてしまって。……実は私、その作家さんの作品がとても好きなんです。こんなところで同じ本を読んでいる方に会えるなんて、思ってもみませんでした。私は、椎名ひよりと申します」

 

椎名ひより。名前まで儚げで可愛らしい。

 

「いや、気にしないでくれ。俺も本を読むのは好きだから。俺は呉 刃叉羅。よろしく、椎名さん」

「はい、よろしくお願いします。呉さん」

 

そこから、学校に着くまでの間、俺たちは読書トークに花を咲かせた。

彼女は本当によく本を読んでいるようで、ミステリーだけでなく純文学やファンタジーなど、幅広いジャンルの話題で盛り上がった。今まで一族の中で血生臭い話ばかりしてきた俺にとって、同世代の女の子と好きな小説の話をするという経験は、まさに思い描いていた『青春』そのものだった。

やがてバスは学校に到着し、新入生たちはぞろぞろと降りていく。

 

「それじゃあ、クラス分けの掲示板を見に行こうか」

「はい」

 

二人で並んで歩きながら、掲示板の前へと向かう。

新入生が群がる中、俺たちは自分の名前を探した。

 

「ええと……俺は、1年Dクラスか」

「……私は、Cクラスでした」

 

椎名さんの声が、急に沈んだ。

 

見ると、彼女はひどく悲しそうな顔でうつむいていた。

「せっかくお友達になれたのに……違うクラスなのは、寂しいです」

 

――ッッ!!

 

俺は内心で激しく悶絶した。

なんだこの子。可愛すぎるだろう。暗殺稼業で鍛え上げられた俺の精神力が、たった一言でへし折られそうになった。危うく「俺が学校のシステムをハッキングしてクラスを書き換えてこようか?」と言いそうになるのを必死に堪える。

 

「そ、そうだな。俺も寂しいよ。……でも、クラスが違っても会えないわけじゃないし」

「そう、でしょうか?」

「ああ。そうだ、もしよかったら……今日、入学式が終わった後、一緒に図書室に行かないか? どんな本があるのか、二人で見て回ろうよ」

 

勇気を出して誘ってみる。これは、一般的に言うところのデートの誘いというやつではないだろうか。

すると、椎名さんの顔に再び明るい笑みが戻った。

 

「はいっ! ぜひ、行きましょう!」

 

その笑顔に、俺はガッツポーズを心の中で百回ほど繰り返した。

最高だ。最高の滑り出しじゃないか。ありがとう高度育成高等学校。俺の青春は、すでに約束されたも同然だ。

 

「それじゃあ、また後で」

 

俺たちはそれぞれの教室へ向かうため、その場で別れた。

 

1年Dクラスの教室。

初めて入る『自分の教室』という空間に、俺は少しだけ感動を覚えていた。

黒板、教卓、綺麗に並べられた机。窓からは暖かな春の光が差し込んでいる。

自分の席を見つけると、そこは窓際、一番後ろから二番目の席だった。

 

席に着き、ふと前を見る。

俺の一つ後ろの席には、どこか無気力そうな顔をした男子生徒が座っていた。

目は半開きで、周囲に一切の興味がないようなオーラを放っている。

これからの前後の席になる相手だ。挨拶くらいはしておいて損はないだろう。

 

「よお。これから一年間、よろしくな。俺は呉 刃叉羅だ」

 

声をかけると、彼はゆっくりとこちらを振り向いた。

 

「あ、ああ。綾小路清隆だ。よろしく頼む」

 

淡々とした、抑揚のない声。

しかし、彼と目が合った瞬間、俺の細胞がわずかに粟立った。

 

(……なんだ、こいつ?)

 

見た目はただの無気力な高校生だ。だが筋肉のつきかた、隙のない重心、高いレベルでの武術をおさめているのが分かる。

そして、その瞳の奥に、得体の知れない『深淵』のようなものを感じたのだ。俺のような純粋な殺気とは違う、もっと無機質で、冷酷な何か。

 

「……呉、だったか? 俺の顔に何かついているか?」

「いや、なんでもない。綾小路、だな。改めてよろしく」

 

深く探るのはやめよう。俺はあくまで普通の高校生として過ごしたいのだ。

そう思い直して席に座り直すと、周囲の生徒たちの視線がチラチラと俺に向けられていることに気がついた。

 

『ねえ、あの子かっこよくない?』

『身長も高いし、体格もよさそう』

『でもさ、目……すごくない? カラコンかな?』

『なんか、吸い込まれそうというか、ちょっと怖いかも……』

 

ひそひそと囁き合う声が、俺の鋭敏な聴覚に届く。

身長180センチ、日々の鍛錬で培われた筋肉質な体躯。そこまではいい。問題は、俺の『目』だ。

呉一族特有の、黒い強膜(白目の部分が黒い)という特徴、瞳の奥底に宿る捕食者のような眼光や、独特の瞳孔の色合いまでは隠しきれていないらしい。

 

(まあ、そのうち慣れてもらうしかないか)

 

なるべく人当たりの良い笑みを浮かべて、俺はやり過ごすことにした。

 

しばらくすると、教室のドアが開き、一人の女性教師が入ってきた。

ピンと背筋を伸ばし、スーツを隙なく着こなした美しい女性だ。だが、その表情は厳格そのもので、教室の浮ついた空気を一瞬で引き締めるだけの威圧感を持っていた。

 

「新入生諸君、入学おめでとう。私は1年Dクラスの担任を務めることになった茶柱佐枝(ちゃばしら さえ)だ。以後よろしく」

 

茶柱先生は教卓に立ち、チョークで自分の名前を書いた後、生徒たちを見渡した。

 

「さて、この学校は特殊なシステムを採用している。君たちには今、学生証兼用の端末が配られているはずだ。確認しろ」

 

言われるがままに端末を操作すると、そこには『100,000』という数字が表示されていた。

 

「この学校では、現金でのやり取りは禁止されている。敷地内にあるあらゆる施設での支払いは、すべてその端末に支給されるポイントで行う。ポイントは1ポイント=1円として換算される」

 

生徒たちの中から、どよめきが起こった。

10万ポイント。つまり、10万円だ。高校生に毎月与えられる小遣いとしては、破格すぎる金額だった。

 

「ひゃっほう! マジかよこれ!」

「何買おうかな!? 服とかも買えるのかな!?」

 

池や山内といった男子生徒たちが、あからさまに浮き足立っている。

 

「静かにしろ」

 

茶柱先生の一喝で、教室は再び静まり返った。

 

「システムについて説明しておく。ポイントは毎月1日に振り込まれる。今月は、君たち全員に10万ポイントが支給されている。そして、この学校の敷地内で、ポイントで買えないものは存在しない。何をどう使おうが君たちの自由だ」

 

そう言って、茶柱先生は淡々と説明を終えた。

教室は再び、隠しきれない歓喜の熱気に包まれていた。無理もない。高校生にとっての10万円は、途方もない大金だ。これで何でも買えるとなれば、浮かれるのも当然だろう。

だが、俺は一人、静かに思考を巡らせていた。

 

(……なんだ? 今の言い方)

 

茶柱先生の言葉を、脳内で正確にリフレインする。

 

『ポイントは毎月1日に振り込まれる』

『今月は、君たち全員に10万ポイントが支給されている』

普通に考えれば、「毎月10万ポイントが支給される」で済む話だ。

なぜ彼女は、『毎月振り込まれる』という事実と、『今月は10万ポイントが支給されている』という事実を、わざわざ切り離して語ったのか?

 

(……まるで、来月以降も『10万ポイント』が約束されているわけではない、と言わんばかりだな)

 

暗殺者として、言葉の裏を読む訓練は嫌というほど受けてきた。

依頼人の些細な言葉のニュアンスから、真の目的や隠された罠を見抜く。それは、裏社会で生き残るための必須スキルだ。

 

この学校は、ただの天国ではない。

『高度育成』と銘打たれている以上、そこには必ず何らかの競争や選別が存在するはずだ。でなければ、政府が莫大な予算を投じてこんな施設を作る意味がない。

 

(とはいえ……俺には関係のないことだ)

 

俺は小さく息を吐き、窓の外へ視線を向けた。

ポイントが減ろうが、クラス間にどんな格差があろうが、知ったことではない。俺の目的はただ一つ、この箱庭の中で、普通の高校生としての『青春』を謳歌することだ。

目立たず、騒がず、平凡に。

 

放課後になれば、あの儚げで可愛らしい椎名さんが待っている。

それだけで、俺の高校生活は希望に満ち溢れていた。

(さあ、全力で普通の高校生を演じ切ってやるぞ)

血塗られた一族の異端児は、心の中でそう決意し、新たな日常の幕開けを静かに楽しむのだった。

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