青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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十一話

『0ポイント』と『赤点即退学』の宣告から、数日が経過した。

 

あの日を境に、1年Dクラスの放課後の風景は一変した。

授業が終わればすぐに遊びに出かけていた生徒たちの多くが教室に残り、平田洋介を中心に立ち上げられた「赤点回避のための勉強会」に参加するようになったのだ。

 

「うー……全然わかんない。呉くん、ここどうやって解くのー?」

 

俺の机の前に座り、シャープペンの後端を噛みながら泣き言を漏らしているのは、クラスの女子カーストトップに君臨するギャル、軽井沢恵だった。

その隣では、同じくギャルグループの佐藤麻耶も、頭を抱えて唸っている。

 

「軽井沢、そこは昨日の復習だろ。この公式の『X』に数字を代入して、順番に紐解いていくだけだ。料理で言えば、レシピ通りに調味料を量って入れる作業と同じだ」

「料理……? うーん、料理もあんましないからピンとこないけど、とりあえずこれを入れるってこと?」

「そうだ。その結果出た数字を、こっちの式に当てはめる」

「あ! なんだ、そういうことか! 意外と簡単じゃん!」

 

軽井沢がパッと顔を輝かせ、カリカリとノートに計算式を書き込んでいく。佐藤も「マジ? 私にも教えて!」と身を乗り出してきた。

 

俺は平田、みーちゃんと共に、毎日放課後にこの勉強会の講師役を務めていた。 

正直なところ、軽井沢たちのような派手な連中が、ここまで素直に教えを乞うてくるとは思っていなかった。彼女たちは勉強の基礎がすっぽりと抜け落ちているだけで、決して地頭が悪いわけではない。むしろ、要領は良い方だ。

 

(こんだけ真面目に聞いてくれるなら、なんとかなりそうだな)

 

教室内を見渡しながら、俺は内心でそう評価を下した。

平田は持ち前の爽やかさと根気強さで生徒たちを教え、みーちゃんは丁寧で優しい口調で女子生徒たちをサポートしている。俺も暗殺の修練で培った「物事の本質を言語化する」スキルを使い、分かりやすさ重視で教えている。

この調子なら、今ここにいる連中が赤点を取ることはないだろう。

 

「よし、今日の俺の担当範囲はここまでだ。軽井沢も佐藤も、今のペースで復習しておけよ」

「はーい! ありがとね、呉くん!」

「呉くん、教えるのめっちゃ上手い! 明日もよろしくー!」

 

ギャルたちの明るい声に見送られ、俺は席を立った。

 

「呉くん、今日もお疲れ様。いつも本当に助かってるよ」

「お疲れ様です、呉くん……!」

 

平田とみーちゃんが、労いの言葉をかけてくれる。

 

「いや、俺は自分の担当が終わったから先に上がらせてもらうだけだ。悪いな、後片付け任せちまって」

「全然気にしないで! 呉くんのおかげで、みんなすごく集中できてるから」

 

俺は二人に軽く手を挙げ、鞄を手に取って教室を後にした。

足取りは自然と軽くなる。今日のノルマは果たした。ここからは、俺にとっての一日のメインイベント――図書室での、ひよりとの逢瀬の時間だ。

先日、お互いに下の名前で呼び合うようになってから俺の図書室へ向かう足はますます早くなっていた。

 

(……だが、気がかりな連中もいるな)

 

廊下を歩きながら、俺はふと、教室にいなかった三人の問題児のことを思い出した。

 

須藤健、池寛治、山内春樹。

いわゆる『三馬鹿』と呼ばれる彼らは、平田の勉強会には頑なに参加しようとしなかった。

 

しかし、どうやら彼らは別の場所で勉強会を行っているらしい。

綾小路清隆が、櫛田桔梗の協力を仰いで彼らを誘い出したのだ。「櫛田ちゃんが一緒に勉強してくれるぞ」という甘い餌に釣られ、三馬鹿は見事にホイホイとついていった。

 

そして、その勉強会の『本当の主催者』は、あの孤高の美少女・堀北鈴音だ。

Aクラスに上がるため、クラスのマイナス要素である退学者を絶対に出さない。その執念だけで、他者と関わることを極端に嫌う彼女が、自ら率先して一番厄介な不良たちに勉強を教えている。

彼らの勉強会の会場は、図書室だと聞いていた。

 

(図書室か。……鉢合わせなきゃいいが)

 

そんな一抹の不安を抱えながら、俺は図書室の重厚な扉を押し開けた。

静寂に包まれた空間。インクと紙の匂い。

だが、今日の図書室は、いつもと少し様子が違っていた。

 

「だーっ! だから分かんねえって言ってんだろ! なんでここがマイナスになるんだよ!」

「そうだよ堀北さん! もっと優しく、櫛田ちゃんみたいに教えてくれよー!」

「櫛田ちゃーん、俺もう疲れちゃった……癒して……」

 

図書室の入り口近くにある大きめのテーブル席から、周囲の迷惑など一切顧みない、騒々しい声が響き渡っていた。

 

(……おいおい)

 

俺は思わず眉間に皺を寄せた。

テーブルを囲んでいるのは、案の定、須藤、池、山内の三馬鹿と、彼らを教える堀北。そして、潤滑油として呼ばれた櫛田と、それを静観する綾小路の姿があった。

 

「はぁ……」

 

堀北が、心底呆れたような、あるいは虫ケラを見るような冷ややかな視線を三人に向け、これ見よがしに深い溜め息をつく。

 

(騒がしいなこいつら……)

 

静かに本を読むための神聖な場所で、動物園の猿のように騒ぐ三馬鹿。そして、それを力で押さえつけようとする堀北のピリピリとしたオーラ。

俺は少しイラッとしながらも、彼らに関わるつもりは毛頭なかったので、そのまま視線を切り、いつもの奥の書架へと向かった。

 

「……あ、刃叉羅くん」

 

西日の差し込む窓際の席。

そこに座っていた銀髪の天使――椎名ひよりが、俺の姿を認めてパッと顔を輝かせた。

 

「待たせたな、ひより」

 

俺は極力足音を立てずに近づき、彼女の向かいの席に腰を下ろした。

 

「お疲れ様です。今日も勉強会で、クラスの方に教えていたんですよね?」

「ああ。うちのクラスの女子連中に少しだけな。疲れたけど、ひよりの顔を見たら疲れも吹っ飛んだよ」

「ふふっ、刃叉羅くんは口が上手ですね」

 

ひよりは嬉しそうに頬を染め、クスクスと笑った。

その可憐な笑顔を見ているだけで、先ほど感じた苛立ちがスーッと浄化されていくのがわかる。

 

「今日は、あの本を読もうと思って持ってきました」

 

ひよりが鞄から取り出したのは、先日二人で話題にしていた、少し長編の海外ミステリー小説だった。

 

「おお、ついにそれか。トリックがかなり複雑だけど、めちゃくちゃ面白いぞ。俺は……今日はこの歴史小説の続きを読ませてもらうよ」

 

俺たちは静かに微笑み合い、それぞれ本を開いた。

図書室の奥の席は、入り口の喧騒から少し離れているため、彼らの騒ぎ声も多少はマシになって聞こえる。

心地よい静寂の中で、文字を追う。時折、ページをめくる音だけが重なり合う。

これだ。これこそが、俺の求めていた究極の『平和』な時間だ。

 

しかし、その平穏は、突如として破られた。

ガタァァァンッッ!!!

 

「――無知無能っつったか! あぁ!?」

 

図書室中に響き渡る、鼓膜を劈くような須藤の怒鳴り声。

そして、重い椅子が床に倒れる乱暴な音がした。

 

俺とひよりは驚いて本から顔を上げ、入り口の方へ視線を向けた。

そこには、テーブルを挟んで、顔を真っ赤にして激昂する須藤と、彼を見据える堀北の姿があった。

須藤はテーブルに身を乗り出し、堀北の胸ぐらを――正確には、制服の襟元を、太い腕で乱暴に掴み上げていた。

 

(……おいおい、女相手に手を出したか)

 

俺の瞳の奥で、無意識のうちに暗殺者としての冷たい光が明滅した。

今すぐあの腕の関節を外してやろうかという衝動が湧き上がったが、俺はギリギリのところで理性を保ち、様子を窺った。

襟元を掴まれ、強引に引っ張り上げられているというのに。

堀北鈴音の表情には、恐怖も、焦りも、微塵も存在しなかった。

 

「……ええ」

 

堀北は、激高する不良を前にしても、氷のように冷たく、見下すような視線を決して逸らさなかった。

 

「連立方程式も解けないなんて、今まで何をしてきたのかしら? と聞いたのよ。無知無能と言わざるを得ないわね」

 

冷酷に、そして完全に相手のプライドをへし折るように、切り捨てる。

 

「テメェ……ッ!」

「事実を言ったまでよ。私は貴方たちを『救済』してあげようとしているの。自分自身の無能さを自覚し、それに甘んじてきた愚かさを反省しなさい」

「やってられっか!!」

 

須藤は堀北の襟元を乱暴に突き飛ばすと、鞄を引ったくるようにして肩に担いだ。

 

「誰がテメェみたいな女に教えてもらうか! ふざけんな!」

 

怒りに任せて、須藤は図書室の出口へと大股で歩き出す。

 

「あっ、須藤くん! 待ってよ!」

 

櫛田が慌てて立ち上がり声をかけるが、須藤は振り返ることなく扉を蹴り開けて出て行ってしまった。

その様子を見ていた池と山内も、顔を見合わせて立ち上がった。

 

「俺もやーめた。堀北さん、何様のつもりだよ」

「そうだよ。櫛田ちゃんがいるから来てやったのに、あんな言い方ねえだろ。行こうぜ、寛治」

 

二人はブツブツと文句を垂れながら、須藤の後を追うようにして図書室から退出していった。

残されたのは、襟元を直しながら静かに座り直す堀北と、オロオロとする櫛田、そして一部始終を無表情で眺めていた綾小路の三人だけだった。

 

「堀北さん……!」

 

櫛田が、悲しそうな、そして少し怒りを帯びた声で堀北を責めた。 

 

「あんな教え方じゃ、誰もついてきてくれないよっ! せっかく綾小路くんが頑張って集めてくれたのに、ひどいよ……」

「ひどい? 私は事実を突きつけ、彼らに現実を見せただけよ」

 

堀北は、櫛田の抗議を涼しい顔で受け流し、手元のノートや教科書を自分の鞄にしまい始めた。

 

「理解力も忍耐力もない。あの程度の言葉で逃げ出すような連中なら、遅かれ早かれ赤点を取って消える運命よ。……ええ、もういいわ。彼らのような生徒には、早めに退学してもらう方がクラスのためね」

 

一切の妥協も、反省もない。

堀北鈴音という少女は、どこまでも自分の正しさを疑わず、他者に歩み寄るという機能が完全に欠落しているらしかった。

彼女は鞄を持つと、櫛田や綾小路を一瞥することもなく、真っ直ぐに図書室を出て行った。

 

「あっ……もう、どうしてあんな言い方しかできないの……」

 

櫛田は悲しそうに眉を下げた後、ハッとして図書室の出口を見た。

 

「綾小路くん、私、池くんたちを追いかけてみるよっ! 少しでも説得してみる!」

「……ああ、任せる」

 

櫛田は小走りで、須藤たちが消えた扉の向こうへと駆け出していった。

嵐のような騒ぎが過ぎ去り、テーブルにはただ一人、綾小路清隆だけが残された。

俺は、一連の騒動を見て、心の底から呆れ果てていた。

 

(あいつら……本当に、動物園の猿の方がまだ賢いんじゃないか?)

 

教え方が冷酷で辛辣だったとはいえ、堀北が彼らのために自分の時間を割き、彼らを退学から救おうとしていたのは事実だ。

自分の無能さで首の皮一枚繋がっている状態だというのに、その恩人に向かって逆ギレし、暴力を振るいかける。

暗殺の世界なら、助けてくれる人間の手を噛むような真似をすれば、その日のうちに背後からナイフを突き立てられて死ぬだけだ。危機感の欠如も甚だしい。

 

そして、堀北も堀北だ。

「人を動かす」ということを根本的に履き違えている。北風と太陽の童話で言えば、彼女は間違いなく北風だ。相手の服を剥ぎ取ろうと暴風を吹き付け、結果として相手を頑なにさせている。

 

(どっちもどっちだな……)

 

やれやれと息を吐きながら、俺は立ち上がった。

綾小路が帰り支度をして席を立ったのが見えたので、少し言葉を交わしておこうと思ったのだ。

 

「悪い、ひより。一分だけ待っててくれ」

「はい。いってらっしゃいませ」

 

ひよりに断りを入れ、俺は図書室の出口へ向かう綾小路の元へ歩み寄った。

 

「……大変そうだな、綾小路」

 

俺が背後から声をかけると、綾小路は静かに振り返った。

その顔には、いつもと同じ無感情な色が張り付いている。

 

「ああ、お前もいたのか。……前途多難だな。堀北の教え方にも問題があるが、あいつらは危機感が足りない」

 

綾小路は淡々と現状を分析した。彼も俺と同じように、この茶番の全貌を冷静に見透かしているようだった。

 

「まったくだな」

 

俺は腕を組み、三馬鹿が消えた扉の方を見ながら鼻で笑った。

 

「教え方に問題があるとしても、だ。無能な自分のために時間を割いてくれる相手に向かって、あの態度はありえないだろう。助けてもらっているという自覚が欠落しすぎてる」

「……厳しい意見だな」

「事実だろ。あんなプライドばかり高くて実力がない連中、放っておけば自滅するだけだ。……お前も、あんなのに付き合わされてご苦労なこった」

 

俺が少し皮肉めいて言うと、綾小路は小さく息を吐いた。

 

「堀北に弱みを握られているようなものでな。……騒がしくしてすまない。図書室の空気を壊した」

「お前が謝ることじゃないさ。じゃあな、また明日教室で」

「ああ」

 

綾小路は短く答え、静かに図書室を去っていった。

彼の背中を見送りながら、俺は改めて、このDクラスがいかに『終わっている』かを実感した。

 

平田のように善意で動く者。堀北のように打算と傲慢で動く者。そして、三馬鹿のように本能のままに動く愚者たち。

このままでは、今月末の中間テストで必ず退学者が出る。そして、クラスのポイントは一生ゼロのままだろう。

 

(……まあ、知ったことか)

 

俺は思考を切り替え、首を振った。

俺の目的はクラスを救うことではない。俺自身の平和な青春を守ることだ。

俺は踵を返し、足早に図書室の奥へ――俺の天使が待つ席へと戻った。

 

「待たせたな、ひより」

 

俺が席に着くと、ひよりは心配そうな顔で俺を見上げた。

 

「刃叉羅くん、大丈夫ですか? クラスの方たち、ひどい口論になっていましたけど……」

「ああ、あれな」 

 

俺は苦笑交じりに頭を掻いた。

 

「うちのクラスのバカが、騒がしくて本当にごめんな。せっかくひよりと静かに本を読んでたのに、台無しにしちまった」

 

俺が本気で申し訳なく思って謝罪すると、ひよりは小さく首を横に振った。

 

「謝らないでください。刃叉羅くんが悪いわけではありませんし……」

 

そして、彼女は少しだけクスッと笑い、花が綻ぶような笑顔を見せた。

 

「それに……とても、お元気な方たちですね。少しだけ驚きましたけど」

「お元気、ね……。ひよりは本当に優しいな。あんな猿の喧嘩みたいなのを見て、そんな風に言ってくれるのは世界中探してもひよりくらいだぞ」

 

俺が心底呆れながらも感心して言うと、ひよりは「ふふっ」と嬉しそうに目を細めた。

 

「刃叉羅くんのお友達も、大変そうでしたね」

「綾小路か? ああ、あいつは堀北に振り回されてる苦労人だよ。……でも、これで邪魔者は消えたし、ここからは本当に二人だけの時間だ」

 

俺がそう言って本を開くと、ひよりは頬をほんのりと薄紅色に染め、コクリと頷いた。

 

「はい。……二人きりですね」

 

窓の外では、夕陽が沈みかけ、図書室の中を茜色に染め上げている。

先ほどまでの怒号や殺伐とした空気が嘘のように、ここには穏やかで、甘く、平和な時間が流れていた。

 

クラスの連中が破滅の道を歩もうとも、俺はこの箱庭の平穏を守り抜く。

隣に座る、銀髪の少女の温もりを感じながら。

 

暗殺者の少年は、活字の海に意識を沈め、世界で一番尊い放課後のひとときを静かに楽しむのだった。

 

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