青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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十二話

図書室での須藤の暴発と、堀北との決裂から数日が経過した。

 

中間テストの足音が徐々に近づいてくる中、1年Dクラスの教室では、ある奇妙な光景が日常のものとなりつつあった。

 

「……だから、ここの公式はこうやって変形させるのよ。理解できたかしら?」

「あー、クソッ……頭痛てぇ。でも、なんとなく分かった」

「俺も少し光明が見えてきた気がする……」

「俺はもうダメだ……文字がゲジゲジに見える……」

 

放課後の教室。

そこには、完全に決裂したはずの孤高の美少女・堀北鈴音と、三馬鹿こと須藤、池、山内の三人が机を突き合わせて勉強している姿があった。

 

もちろん、三人の態度は相変わらず不満げであり、堀北の言葉の端々には棘がある。だが、数日前のように胸ぐらを掴むようなマジギレの喧嘩に発展することなく、なんとか『勉強会』としての体裁を保っていた。

 

(……あの状況から、また再結成するとはな)

 

俺――呉 刃叉羅は、自分の席からその光景を眺め、内心で首を傾げていた。

あそこまで完全に決裂し、互いに罵り合っていたというのに、一体どんなマジックを使えばあの面子を再び机に向かわせることができるのか。

 

(流石のバカどもも、いよいよテストが近づいてきて退学の恐怖に負けたか? ……いや、それともあのプライドの塊みたいな堀北が、頭を下げて彼らに折れたのか?)

 

あるいは、両者の間を取り持つ櫛田や、後ろで静観している綾小路が何か裏で糸を引いたのかもしれない。

だが、どれも推測の域を出ない。

 

(まあ、俺には関係ないか)

 

数秒の考察の後、俺はあっさりとその思考を放棄した。

三馬鹿が退学になろうが生き残ろうが、堀北がどんな手段を使おうが、俺の平穏な日常が直接脅かされるわけではない。

俺がやるべきことは、与えられた役割を無難にこなし、放課後の『オアシス』へ向かうことだけだ。

 

「呉くん、ここの問題なんだけど……」

「ああ、そこはな……」

 

俺は視線を切り、教室内で行われているもう一つの勉強会――平田や王美雨(みーちゃん)と共に主催している、真面目な生徒たち向けの勉強会へと意識を戻した。

 

「なるほど! 呉くんの説明、すごく分かりやすいよ」

「よかった。その調子で反復練習しておけば、絶対に赤点は回避できる」

 

軽井沢や佐藤といったギャルたちも、意外なほど真面目に俺の教えをノートに書き留めている。

 

毎日コツコツと積み重ねてきた甲斐あって、彼女たちの基礎学力は確実に底上げされていた。幸村のように「無能は見捨てろ」と吐き捨てるのは簡単だが、こうして少しずつでも成長していく姿を見るのは、悪くない気分だ。

 

一時間ほどが経過し、予定していた範囲のレクチャーが終了した。

 

「よし、俺の担当分はこれで終わりだ。みんな、お疲れさん」

「お疲れ様でした、呉くん!」

「呉くん、明日もよろしくねー!」

 

平田やみーちゃん、そして女子生徒たちに見送られながら、俺は鞄を手にして教室を後にした。

 

さあ、ここからは俺の時間だ。

廊下を歩く俺の足取りは、自然と早くなる。

目的地は一つ。特別棟にある、静寂に包まれた図書室。

 

(今日は少し遅くなっちまったな。待ちくたびれてなきゃいいが)

 

図書室の重厚な扉を音もなく押し開き、迷うことなく奥の窓際の席へと向かう。

西日が差し込むその特等席には、今日も変わらず、銀色の髪を輝かせながら文庫本に目を落とす少女の姿があった。

 

「……待たせたな、ひより」

 

俺が足音を殺して近づき、声をかけると、彼女はパッと顔を上げ、花が咲くような柔らかい笑顔を向けた。

 

「お疲れ様です、刃叉羅くん。今日も勉強会、大変でしたか?」

「いや、今日教えた範囲はそこまで難しくなかったからな。ひよりの顔を見たら、疲れなんて一瞬で消えたよ」

「ふふっ……刃叉羅くんは、本当に息をするようにそういうことを言いますね」

 

ひよりは嬉しそうに頬を染め、クスクスと笑いながらいつもの席を勧めてくれた。

俺は彼女の向かいに腰を下ろし、鞄から読みかけの歴史小説を取り出す。

 

お互いに下の名前で呼び合うようになってから数日。

俺たちの間には、言葉にしなくても伝わるような、心地よく、そして甘い空気が流れていた。

ただ同じテーブルに向かい合い、時折視線を交わし、微かに微笑み合う。文字の海に潜りながらも、常に相手の存在と温もりを傍に感じている。

一族の郷で血の匂いだけを嗅いで生きてきた俺にとって、この時間はまさに『奇跡』と呼ぶにふさわしいものだった。

 

――だが。

その奇跡の時間は、酷く下品で、暴力的な足音によって唐突に破られることとなった。

 

「ククク……見つけたぜ」

 

静寂の図書室に、不釣り合いなほど野卑で、ねっとりとした嘲笑が響いた。

コツ、コツ、と革靴の音が近づいてくる。一人ではない。複数の足音だ。

俺は本から視線を上げず、気配だけで相手の戦力を分析した。

 

(四人。前方に一人。その後ろに、異常に体格の良い巨漢が一人。左右に中肉中背の男と、身のこなしの軽い女が一人ずつ)

 

やがて、その四つの影が、俺とひよりの座るテーブルを囲い込むように立ち止まった。

 

「おい、椎名。お前、クラスのバカどもに勉強を教えもせず、こんなところで不良品と逢引きか?」

 

這いずる蛇のような、不快な声。

俺はゆっくりと顔を上げ、声の主を見据えた。

長い赤紫色の髪を首筋まで伸ばし、制服の胸元をだらしなくはだけさせた男。

その瞳には、他者を見下し、嘲笑い、そして痛めつけることを心底楽しむような、凶悪な光が宿っていた。

 

(こいつが……ひよりが言っていた、Cクラスを支配しているという独裁者)

 

「龍園くん」

 

ひよりが、パタンと本を閉じ、静かな、しかし凛とした声で男の名を呼んだ。

龍園翔(りゅうえん かける)。

それが、この男の名前だった。

そして龍園の後ろには、サングラスをかけた筋骨隆々の黒人ハーフの大男――山田アルベルトの姿がある。

 

(ほう……)

 

俺の暗殺者としてのセンサーが、わずかに反応した。

あのアルベルトという男の肉体。高校生離れしているどころの騒ぎではない。俺がかつて裏社会の闘技場で見てきた猛者たちほどではないが、圧倒的な質量を誇っている。

さらに、龍園の傍らに立つヤンキー風の男・石崎と、鋭い目つきをした少女・伊吹。どいつもこいつも、一癖も二癖もありそうな面構えだ。

だが、ひよりは彼らの威圧感に怯むことなく、真っ直ぐに龍園を見つめ返した。

 

「私は、クラスの争いには興味がありませんので。誰に勉強を教えようと、誰と時間を過ごそうと、私の自由のはずです」

 

普段の温厚なひよりからは想像もつかない、冷たくピシャリと言い放つ態度は、彼女なりの『俺との時間を邪魔されたくない』という強い意志の表れだった。

 

その言葉に、龍園は気分を害するどころか、さらに口角を吊り上げて嗤った。

 

「ククク、冷たいこと言うなよ。俺たちはクラスメイトじゃねえか。……で?」

 

龍園は、蛇のような視線をひよりから外し、今度は俺へと向けた。

獲物を品定めするような、舐め腐った目つきだ。

 

「おい、そこの不良品。Dクラスの出来損ないの分際で、うちのクラスの女と逢引きするんなら……俺にポイントを払ってもらおうか?」

「はあ?」

 

俺は思わず、心底理解不能だというように眉をひそめた。

 

「何言ってんだ、お前」

「聞こえなかったか? お前が椎名と付き合うための『みかじめ料』を払えって言ってんだよ」

 

龍園は俺の座る机に両手をつき、顔を近づけて凄んできた。

 

「俺はな、Cクラスの『王』だ。Cクラスの人間も、ポイントも、すべて俺の所有物だ。……俺の配下に手を出すんなら、他クラスの人間だろうが相応の貢物が必要だろう?」

 

完全にイカれたジャイアン理論だった。

自分のクラスの生徒を所有物扱いし、他クラスの生徒からカツアゲの口実にする。これが高度育成高等学校というエリート校の生徒のやることかと思うと、呆れて言葉も出ない。

 

だが、俺が反論するよりも先に、ひよりがバンッ! と机を叩いて立ち上がった。

 

「ふざけないでくださいっ!」

 

図書室に、彼女の怒りを帯びた声が響く。

いつも儚げで、穏やかに微笑んでいる彼女が、これほどまでに明確な怒りを露わにしたのを、俺は初めて見た。

 

「私は、龍園くんの配下になった覚えはありません! 私は私です! 刃叉羅くんを巻き込むような真似は、絶対に許しません!」

 

ひよりは両手をギュッと握りしめ、龍園を真っ向から睨みつけた。

その健気で、俺を守ろうとしてくれる姿に、俺の胸の奥で熱いものが込み上げてくる。

 

しかし、自分の支配下にあると思っていた大人しい女から手痛い反抗を受けた龍園は、ピクリと眉をひそめ、その凶悪な瞳に明らかな『暴力』の光を灯した。

 

「……ああ?」

 

低く唸るような声。

次の瞬間、龍園は一切の躊躇なく、その右手を振り上げた。

狙いは、ひよりの白い頬。

女だろうがお構いなし。言うことを聞かない相手は暴力で屈服させる。それがこの男のやり方なのだろう。

 

ヒュッ、と風を切る音が図書室に響き――。

ガシィィィンッッ!!

 

「…………あ?」

 

龍園の動きが、空中で完全に停止した。

振り下ろされようとしていた彼の右手首を、横から伸びてきた俺の左手が、万力のような力でガッチリと掴み止めていたからだ。

 

「……おい」

 

俺は、座ったままの姿勢で、龍園の顔を冷たく見据えた。

呉一族の暗殺者として培ってきた、本物の『殺気』。

それをほんの数パーセントだけ解放し、声のトーンを絶対零度まで落として、目の前の愚か者に静かに問いかける。

 

「――何やってんだ、お前?」

 

龍園の顔に、明確な驚愕の色が浮かんだ。

無理もない。彼自身の筋力も決して弱くはないはずだ。しかし、俺のグリップは完全に彼の腕の骨と筋肉をロックし、ミリ単位たりとも動くことを許していなかった。

力ずくで振り解こうとすれば、手首の骨が粉砕される。その本能的な危機感を、龍園は一瞬で悟ったはずだ。

 

「刃叉羅、くん……」

 

ひよりが、息を呑んで俺を見る。

俺は視線を龍園から外すことなく、手首を掴んだままギリ……と指先に力を込めた。

 

「ひよりに手ぇ出そうとして、タダで済むと思ってんのか? 三流チンピラが」

 

挑発的な俺の言葉。

普通の高校生なら、この威圧感と手首の激痛で顔を引き攣らせ、謝罪するか逃げ出すかの二択だ。

 

だが。

 

「……ククク。ハハハハハ!」

 

龍園は、痛みに顔を歪めるどころか、歓喜に満ちた声を上げて笑い出したのだ。

 

「いいぜ……やるじゃねえか、不良品。ただの大人しい読書家かと思ってたが、とんだ牙を隠し持ってやがった」

 

龍園は笑いを収めると、ギラついた瞳で俺を見下ろした。

 

「……おい、場所を変えるぞ。こんな図書室じゃ、思い切り『話』ができねえからな。ついて来い」

 

それは、明確な暴力への誘いだった。

俺の力に屈するのではなく、俺という未知の暴力に興味を持ち、それを正面から叩き潰そうとする捕食者の目。

背後に控えるアルベルトたちも、龍園の言葉を合図に、いつでも臨戦態勢に入れるように重心を落としたのがわかった。

 

「……刃叉羅くん、ダメです!」

 

ひよりが青ざめた顔で、俺のブレザーの袖を強く引いた。

 

「行かないでください……! 龍園くんたちは、本気です。刃叉羅くんが怪我をしてしまいます……っ!」

 

涙目で懇願してくるひより。

俺は龍園の手首をパッと手放し、ゆっくりと立ち上がった。

そして、震えるひよりの小さな手を優しく包み込み、安心させるように、この上なく優しい笑顔を向けた。

 

「大丈夫だ、ひより。安心してここで待っててくれ」

「でも……っ!」

「俺の放課後は全部ひよりのものだって、言っただろ。……ちょっとだけ、彼らとお話しして、分からせてくるだけさ。すぐに戻ってくる」

 

俺がぽんぽんと頭を撫でてやると、ひよりは不安そうにしながらも、渋々と頷いてくれた。

 

「……ククク。随分と余裕じゃねえか。アルベルト、石崎、伊吹。案内してやれ」

 

龍園は手首をさすりながら、忌々しそうに、だが楽しそうに笑って踵を返した。

 

「案内先は、特別棟の屋上だ。誰にも邪魔されない特等席を用意してやるよ」

 

俺はひよりに小さくウインクを残し、龍園たち四人の背中を追って図書室を後にした。

 

階段を上り、人気のない特別棟の屋上へと向かう。

前を歩くアルベルトの巨大な背中を見つめながら、俺は内心で静かに闘志の炎を燃やしていた。

 

(ひよりに手を上げようとした罪……万死に値する)

 

俺は普通の高校生だ。

だが、俺の『青春の聖域』を土足で踏みにじり、天使を傷つけようとする輩には、決して容赦はしない。

 

呉一族の最高傑作である俺の、文字通りの『圧倒的な暴力』というものを、この井の中の蛙どもに、骨の髄まで教えてやろう。

 

屋上へと続く重い鉄扉が、ギイィィ……と嫌な音を立てて開いた。

 

暗殺者の少年は、自ら偽りの仮面を外し、血生臭い闘争の舞台へと、静かに歩みを進めるのだった。

 

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