青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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二十九話

容赦なく照りつける熱帯の太陽が、ジャングルの木々の隙間から暴力的なまでの光の矢を降らせている。

 

俺――呉 刃叉羅は、ジャージの裾を袋代わりにして、先ほど見つけた『試験用の畑』で収穫した大量のトマトとキュウリを抱えながら、Dクラスの拠点である川辺の広場へと足を進めていた。

 

「しかし、よくできた箱庭だ」

 

歩きながら、俺は周囲の植生や地形を観察して独りごちた。

 

一見すると手付かずの無人島に見えるが、ところどころに生徒が探索しやすく、かつ安全を確保しやすいように手が加えられている痕跡がある。

 

毒蛇や大型の肉食獣といった、真のサバイバルにおける『致命的な脅威』は、おそらく学校側の事前調査と駆除によって徹底的に排除されているのだろう。

 

その代わりに用意されているのが、限られたポイント、厳しいルール、そしてクラス同士の疑心暗鬼という『人間関係のサバイバル』だ。

 

(まあ、俺にはどうでもいいことだがな。ひよりの無事さえ確認できれば、あとはこの一週間を適当にやり過ごすだけだ)

 

愛しの銀髪の天使と、人気のない白い砂浜で水を掛け合って戯れた記憶。

それだけで、俺の心は南国の太陽よりも熱く、そして穏やかに満たされていた。あんな極上の青春イベントを初日から達成できたのだから、この特別試験はすでに俺の中で大成功に終わっていると言っても過言ではない。

 

鼻歌交じりにジャングルを抜け、川のせせらぎが聞こえる広場へと戻ってきた、その時だった。

 

「呉くん。ちょっといいかしら」

 

拠点に足を踏み入れるなり、背後から絶対零度の声がかけられた。

振り返ると、腕を組んで般若のような顔をした堀北鈴音が立っていた。

 

「なんだよ。見ての通り、探索の収穫で両手が塞がってるんだが」

 

「その『探索』のことよ。あなたがなぜ、Cクラスの拠点で敵の女子生徒と水遊びに興じていたのか……合理的な説明を求めてもいいかしら?」

 

「人聞きが悪いな。あれはただの休憩だ。それに、ちゃんとこうして『探索の成果』も持ち帰ってきてるんだ。少しばかり他クラスの友人と息抜きしたくらいで、そんなに目くじらを立てるなよ」

 

俺が抱えたトマトとキュウリを示してしれっと言い放つと、堀北は深い呆れと疑念が混ざったような氷の視線を向けてきた。

 

「……あなたが勝手に骨抜きにされているだけならどうでもいいけれど。まさか、あの女子生徒に気を許して、うちのクラスの情報を漏らしたりしていないでしょうね?」

 

「おいおい、俺を誰だと思ってる。そもそも、ひよりはそんな小賢しい真似で情報を引き出そうとするような子じゃないさ。ただ純粋に海で遊んでただけだ」

 

「……少しは真面目に試験に取り組みなさい」

 

「はいはい、ご忠告どうも。ほら、後で新鮮な野菜食って落ち着けって」

 

俺は堀北の小言を適当なBGMとして右から左へ受け流し、さっさと広場の中心へと視線を向けた。

 

「……ん?」

 

拠点の中の空気が、俺が探索に出た時とは明らかに異なっていることに気がついた。

 

堀北も、俺の視線を追って怪訝そうに眉をひそめる。

 

テントの設営や水汲みといった作業の手が止まり、クラスメイトたちの視線が、広場の中心にある木陰へと集まっている。

 

俺が近づいていくと、平田洋介が難しい顔をして立っており、その後ろで山内春樹が、やけに鼻の下を伸ばしてソワソワとしていた。

 

そして、彼らの視線の先、木の根元に座り込んでいたのは――。

 

(……おいおい。マジか)

 

俺は目を細め、内心で深い溜め息をついた。

そこにいたのは、Dクラスの生徒ではない。

 

ショートカットの髪に、鋭く好戦的な三白眼。学校指定のジャージには泥や土がこびりつき、腕や足には擦りむいたような生々しい傷跡がいくつか見受けられる。

 

Cクラスの武闘派女子、伊吹澪だった。

 

「どういう状況だ、これは」

 

俺が平田の隣に並び、木陰の伊吹を顎でしゃくって尋ねると、平田は困ったような、しかし持ち前の人の良さを隠しきれない顔で答えた。

 

「あ、呉くん。おかえり。……実はね、山内くんが森の中を探索している時に、怪我をして一人でいる伊吹さんを見つけたらしいんだ」

 

「おう! そうなんだよ!」

 

山内が横から得意げに口を挟んできた。

 

「森の奥でよ、足を痛めて動けなくなってる伊吹を見つけてさ! さすがの俺も、可愛い女の子が怪我して泣いてるのを放っておけなくてよ! 肩を貸してここまで連れてきてやったってわけ!」

 

「……誰も泣いてない。勝手に妄想するな、キモい」

 

木の根元に座る伊吹が、鋭い目つきで山内を睨みつけながら吐き捨てた。

助けてもらった恩人に対する態度とは思えないが、山内の下心丸出しの態度を見れば、伊吹の反応も無理はない。

 

「伊吹さんは、Cクラスのリーダーである龍園くんと喧嘩をして、クラスを追い出されたそうなんだ。……拠点もなく、怪我もしている状態の女の子を、いくら他クラスとはいえ、この無人島で放り出すことはできないからね。とりあえず、怪我が良くなるまでは僕たちの拠点で匿ってあげようって話になったんだ」

 

平田が、いかにも『善人』らしい理屈で説明を締めくくった。

 

「そうそう! クラスが違っても助け合いは大事だろ! な、伊吹!」

 

山内が伊吹に擦り寄ろうとするが、伊吹は「近寄るな」と威嚇するように身を引いている。

 

(……なるほどな)

 

俺は、一連の説明を聞いて、全てを完全に理解した。

 

(龍園の野郎、割と堂々とスパイを送り込んできたな)

 

先ほど海岸で見た、Cクラスの豪遊バカンス。

ポイントを使い切ってリタイアし、リーダー当てに絞るという戦略。

そのための『他クラスのリーダーを探る目』として選ばれたのが、この伊吹澪というわけだ。

 

あらかじめ龍園と喧嘩をしてクラス内で孤立しているという『設定』を作り込み、適度な怪我を負って同情を誘う。そして、お人好しの多いDクラス(あるいは他のクラス)に潜り込み、内部からリーダーの正体やクラスの内情をスパイする。

 

(まあ、山内は下心だけで動いてるお花畑だから論外だとして。……平田は、本当に優しすぎるな)

 

平田洋介という男は、クラスメイトだけでなく、他者への慈愛が深すぎる。

彼も馬鹿ではない。他クラスの生徒を自分たちの拠点に入れることのリスクは、頭の片隅にはあるはずだ。それでも、目の前で怪我をして孤立している人間を見捨てることが、彼の倫理観では絶対に許せないのだ。

スパイを受け入れるという行為は、特別試験において致命的な敗北に繋がる可能性がある。

 

だが。

 

「……ふーん。まあ、平田がいいならそれでいいんじゃないか」

 

俺は、肩をすくめ、伊吹から視線を外した。

忠告など、するはずがない。

 

先ほど龍園にも言った通り、俺はクラス間の争いには『不干渉』だ。Cクラスがスパイを送り込もうが、Dクラスがそれにお人好しにも騙されようが、俺の平穏な生活に直接的な被害がない限りはどうでもいい。

 

俺がここで伊吹の正体を暴けば、それはCクラス(龍園)の戦略を妨害することになり、不要な波風を立てることになる。

 

伊吹が、俺の無関心な態度を見て、ほんの少しだけ怪訝そうな目を向けたのが分かったが、俺はそれに構うことなく、ジャージの裾に包んでいたものを平田たちの前にドサッと広げた。

 

「それより、探索の途中でこれを見つけた。食えそうだから持ってきたぞ」

 

真っ赤に熟したトマトと、瑞々しい緑色のキュウリの山。

 

「うおおおおおっ!? トマトだ! きゅうりだ!!」

 

「マジで!? すごい! 呉くん、これどこで見つけたの!?」

 

その瞬間、Dクラスの空気が伊吹への警戒から、純粋な歓喜へと一変した。

 

「森の奥にな、ちょっとした畑みたいなのがあったんだよ。おそらく学校側が意図的に配置した食料ポイントだろうな」

 

俺が適当に説明すると、池や軽井沢たちもワッと集まってきた。

 

「ヤバいヤバい! 配給のパサパサのカロリーバーだけじゃ絶対死ぬと思ってたけど、これで野菜が食える!」

 

「呉くん、お手柄じゃん! すっごい助かる!」

 

女子たちが目を輝かせて野菜の山を取り囲む。

真夏の無人島において、水分とビタミンを豊富に含んだ新鮮な野菜は、肉以上の価値を持つご馳走だ。

 

「とりあえず、川の水で冷やしておこう。後でみんなで分けようね。ありがとう、呉くん」

 

平田も満面の笑みで俺に礼を言った。

 

「ああ。俺はちょっとテントの設営でも手伝うよ」

 

俺は野菜の管理を平田たちに任せ、陣地の構築作業へと向かった。

 

その後は、ひたすらに地味な肉体労働だった。

配給されたポイントで購入したテントの骨組みを組み立て、ペグを打ち込み、寝床を確保する。簡易トイレの設置場所を決め、目隠しのシートを張る。

俺は一族の身体能力を極限まで隠蔽し、ただの『ちょっと力のある男子高校生』レベルの出力を維持しながら、黙々と作業をこなしていった。

 

太陽が西に傾き始め、拠点にもようやく生活の基盤と呼べる形が整い始めた頃。

 

俺が木陰で水を飲みながら一息ついていると、背後から音もなく近づいてくる気配があった。

 

「……随分と、真面目に働いているんだな」

 

平坦で、感情の起伏を感じさせない声。

振り返ると、そこには無地のジャージを着た無気力少年、綾小路清隆が立っていた。

 

「おう。お前こそ、堀北の荷物持ちの仕事は終わったのか?」

 

俺がペットボトルを差し出すと、綾小路は小さく首を振って断り、俺の隣の木に寄りかかった。

 

「……少し、いいか」

 

綾小路の声が、普段の『事なかれ主義のモブ生徒』を演じている時のトーンから、一段階深く、冷徹なものへと切り替わった。

 

俺はペットボトルのキャップを閉め、彼に視線を向けた。

 

「なんだ、改まって」

 

綾小路は、拠点の中央で女子たちに混ざって野菜を洗っている伊吹の姿を、一瞥した。

 

「俺は、今回のこの特別試験で……どうしても『結果』を残す必要がある」

 

それは、綾小路清隆という男が、初めて明確に『勝利への意思』を言葉にした瞬間だった。

 

おそらく、何か面倒な裏事情があるのだろう。

 

「だから……俺が裏で構築する計算が狂わないように。お前には、あまり『動かないでほしい』と頼みに来た」

 

綾小路の真っ直ぐな、底知れぬ深淵を湛えた瞳が、俺を捉えた。

それは、彼からの明確な要請だった。

 

呉 刃叉羅という、圧倒的な武力と、盤面を一瞬でひっくり返すポテンシャルを持った異常なジョーカー。

 

綾小路がこの試験を完全にコントロールし、堀北を隠れ蓑にしてDクラスを勝利に導くためには、俺という『予測不能な変数』が勝手に動いて盤面を荒らされるのが一番困るのだろう。

 

俺は、彼の真意を正確に読み取り、フッと小さく笑いを漏らした。

 

「ふーん? ……まあ、お前の裏事情を深く詮索するつもりはないさ」

 

俺は木から背中を離し、軽く肩を回した。

 

「ただ……いつもは『事なかれ主義』を貫いてるお前が、そんな風に切羽詰まった顔をするのは珍しいな。まあ、お前のことだから大抵の事は何とかするんだろうが……」

 

俺は少しだけ言葉を区切り、綾小路の目を真っ直ぐに見返した。

 

「もし何か、どうしようもない厄介事に巻き込まれてるんなら、相談くらいには乗るぜ? 友達だしな」

 

俺が軽い調子で気遣いを見せると、綾小路は少しだけ意外そうな顔をして目を瞬かせ、それから微かに口角を緩めた。

 

「……気遣い、すまないな。だが、問題ない。俺自身で処理できる範囲の個人的な事情だ」

 

「そうか。ならいい」

 

俺は短く頷き、彼が求めていた本題へと戻った。

俺は伊吹の方へ顎をしゃくった。

 

「あそこにいる『迷い人』の扱いも含めて、俺は一切口を出さない。全て、お前と平田、そして堀北の好きにすればいい」

 

俺の完全なる『不干渉の誓約』を聞いて、綾小路は、小さく息を吐いた。

 

「……助かる。お前が敵に回らないだけでも、盤面の計算は格段に楽になる」

 

「頑張れよ、影の支配者さん。俺はせいぜい、外野から平穏に見物させてもらうさ」

 

俺がニヤリと笑うと、綾小路は「ああ」と短く答え、再び『ただの無気力な高校生』の仮面を被り直して、池たちの輪の方へと戻っていった。

 

(やれやれ。龍園といい、綾小路といい。どいつもこいつも裏でコソコソと忙しいこった)

 

俺は再び木陰に座り込み、沈みゆく夕陽を眺めた。

 

Cクラスの拠点でのあのポイントの散財っぷりを見るに、ほとんどの生徒は恐らく今夜あたりにでも早々にリタイアする腹積もりだろう。

となれば、俺の愛しのひよりもこの泥臭いサバイバルからは早々に解放され、あの快適な豪華客船に戻って優雅に読書を楽しむことになるはずだ。

 

俺の目的は、この騒がしい連中の謀略劇から完全に距離を置くこと。そして、いかにしてこの面倒な無人島生活を無難にやり過ごし、試験終了後に船で待つ天使の元へ帰還するか。それだけに全力を注ぐとしよう。

 

やがて、空が深い群青色に染まり、拠点の中央に集められた石の炉に、火が灯された。

 

「よっしゃあああ! 見ろよお前ら! 大漁だぜ!!」

 

川の方から、ずぶ濡れになった池寛治が、木の枝に刺した何匹もの川魚を掲げて意気揚々と帰還した。

 

ボーイスカウトの経験があるという池の野外サバイバルスキルは、この無人島においてかなりの威力を発揮している。山内や外村といったポンコツと違い、明確にクラスの生存率に貢献している点においては、素直に評価すべきだろう。

 

「池くん、すごい! 本当に魚を捕まえてきたんだ!」

 

「これでまともなご飯が食べられるね!」

 

平田や女子たちが歓声を上げる。

 

夕食の準備が始まると、俺は調理部の篠原たちと一緒に料理の輪に加わった。

池たちが捕ってきた川魚は串に刺してシンプルな塩焼きにし、俺が収穫してきたトマトとキュウリは、女子たちと協力して野菜料理に仕立てることにした。

とはいえ、無人島ゆえに使える調理器具も調味料も限られている。手持ちの塩と、ポイントで購入した最低限の調味料くらいしかない。

 

「軽井沢さんから料理上手だって聞いてたけど……ほんと、手際いいわね、呉くん」

 

キュウリを包丁の腹で手早く叩き割り、トマトと一緒に乱切りにしていく俺を見て、篠原が感心したように言う。

 

「ああ。……これくらいしか調味料がない時は、こうして野菜の繊維を潰して水分を少し抜き、塩気を馴染みやすくするのが一番だ」

 

塩でシンプルに和え、少しだけ寝かせた『叩きキュウリとトマトの塩マリネ風』。ただそれだけだが、新鮮な夏野菜のポテンシャルと調理の工夫が相まって、立派な一品が完成した。

 

「うめぇぇぇ! 自分で捕った魚、最高!!」

 

池が熱々の魚の身を頬張りながら、涙ぐんで叫ぶ。

 

「こっちのサラダもすっごく美味しい! トマトが甘いし、塩加減が絶妙で疲れた体に染みるわ〜」

 

軽井沢が俺たちの作った野菜料理を口に運びながら、満面の笑みを見せる。篠原も「でしょでしょ!」と得意げだ。

 

火を囲みながら、Dクラスの面々が少しずつサバイバルの現実に適応し、ささやかな晩餐を楽しんでいる。

 

その輪の端っこで、伊吹澪もまた、配られた魚とサラダを無言で口に運んでいた。彼女の目は、決して警戒を解くことなく、炎越しにクラスメイトたちの顔を一人一人、静かに観察し続けている。

 

そして、さらにその後ろの暗がりでは、綾小路清隆が、伊吹の行動からクラス全体の心理状態まで、盤面のすべてを冷徹に演算し続けているのだろう。

 

(……本当に、面白い連中だ)

 

俺は、塩気の効いた川魚の身を咀嚼しながら、内心で深く満足の息を吐いた。

血生臭い殺し合いではなく、ポイントと意地を懸けた、平和な学生たちの頭脳戦とサバイバル。

 

平穏な生活もいいが、この極上のエンターテインメントを、特等席で眺められるのだから、この学校に入って本当に正解だった。

 

見上げた夜空には、都会では決して見ることのできない、息を呑むような満天の星が広がっていた。

 

(ひよりも、同じ星空を見てるかな)

 

俺は、昼間のパラソルの下で微笑んでいた天使の顔を思い浮かべながら。

波の音と焚き火の爆ぜる音を子守唄に、無人島での最初の夜を、誰よりも深く、穏やかに眠りにつくのだった。

 

 

 

 

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