無人島サバイバル特別試験、第七日目。試験最終日。
照りつける真夏の太陽の下、白い砂浜には、一週間の過酷なサバイバル生活を終えた一年生全クラスの生徒たちが集められていた。
誰もが泥と汗にまみれ、疲労困憊で立っているのがやっとという状態だ。特にDクラスは、下着泥棒事件による男女の分断、マニュアルの放火事件、そしてリーダーである堀北鈴音の体調不良によるリタイアと、まさに満身創痍の絶望的な状況でこの最終日を迎えていた。
「暑ぃ……腹減った……」
「もうヤダ……早くお風呂入りたい……」
池や山内、軽井沢たちが、死にそうな顔で砂浜に座り込もうとしている。
誰もが、自分たちのクラスはペナルティでポイントを失い、最下位になることを疑っていなかった。
俺――呉 刃叉羅は、そんな絶望に沈むクラスメイトたちの中で、ただ一人、涼しい顔で波打ち際を見つめていた。
(さあ、綾小路のお手並み拝見といこうか)
砂浜に設置された急造のステージに、Aクラスの担任である真島先生がマイクを持って上がった。
「これより、無人島特別試験の結果を発表する。各クラスの残存Sポイントに、他クラスのリーダーを的中させたことによるボーナスポイント、および不正解によるペナルティを加減算したものが、最終的な『獲得ポイント』となる」
真島先生の野太い声が響き渡ると、浜辺の空気が一気に張り詰めた。
「なお、誰がどのクラスのリーダーを当てたか、あるいは間違えたかという詳細については、一切公表しない。発表するのは、最終的な結果のみだ」
真島先生の背後にある大型のホワイトボードに、各クラスの最終ポイントが書き出されていく。
『Aクラス:120ポイント』
『Bクラス:140ポイント』
その数字が出た瞬間、AクラスとBクラスの生徒たちの間に、どよめきと落胆の入り混じった声が漏れた。
特にAクラスは、もっと高いポイントを残しているはずだったのだろう。
そして。
『Cクラス:0ポイント』
「――なっ!?」
Cクラスで唯一島に残り、腕を組んで余裕の笑みを浮かべていた龍園翔の顔が、完全に凍りついた。
「……0、だと……?」
龍園の口から、信じられないというような、低く唸るような声が漏れた。
彼は初日に300ポイントを使い切り、リタイアしてポイントをゼロにした後、スパイたちからの情報を元に、他全クラスのリーダーを当てることでボーナスポイントだけを総取りする完璧な計画を立てていたはずだった。
だが、結果が『0』ということは、絶対の自信を持っていた他クラスのリーダー予想が見事に外れただけでなく、逆に自クラスのリーダーすらも誰かに見破られ、当てられてしまったということを意味している。
(くくっ、見事に綾小路の罠にハマったな、王様)
俺は内心でほくそ笑んだ。伊吹が持ち帰った『Dクラスのリーダーは堀北』という情報は、綾小路によって意図的に掴まされた偽情報だったのだ。
そして、真島先生の手は止まらず、最後のDクラスのポイントを書き殴った。
『Dクラス:225ポイント』
「…………は?」
池が、間の抜けた声を漏らした。
平田も、軽井沢も、須藤も、Dクラスの全員が、ホワイトボードに書かれたその数字を理解できず、ポカンと口を開けて固まっていた。
「以上の獲得ポイントを、現在のクラスポイントにそのまま加算する。したがって、来学期からの最新のクラスポイントは以下の通りとなる」
真島先生は、容赦なくその『現実』を突きつけた。
【最新クラスポイント】
• Aクラス:1124 cp (1004 + 120)
• Bクラス:803 cp (663 + 140)
• Cクラス:492 cp (492 + 0)
• Dクラス:312 cp (87 + 225)
「以上だ。これにて、無人島特別試験を終了する。速やかに船へと帰還せよ」
真島先生がマイクを下ろした瞬間。
「――――――――よっしゃああああああああああああああああああっっっ!!!」
Dクラスの集団から、鼓膜を破らんばかりの絶叫と歓声が爆発した。
「1位!? 俺たちが、1位だああああ!!!」
「マジかよ! 225ポイント!? すげぇ!!」
「嘘でしょ……!? 私たち、最下位じゃなかったの!?」
池と山内が抱き合って涙を流し、下着泥棒事件でいがみ合っていた男女の壁すらも、この信じられない大逆転劇の前には一瞬で吹き飛んでいた。
平田は膝から崩れ落ち、両手で顔を覆ってボロボロと安堵の涙を流している。
「よかった……本当によかった……!」
誰もが、自分たちがなぜ225ポイントという圧倒的な数字を叩き出し、トップに立ったのか、その理由すら分かっていなかった。ただ、地獄のような状況から一転、最高の勝利を手にしたという事実だけに酔いしれていた。
俺は、狂喜乱舞するクラスメイトたちから一歩引き、集団の最後尾で誰にも見られずに静かに佇む少年へ視線を向けた。
(225ポイント……。うちのクラスが浪費したマイナス分を考えれば、他クラスのリーダー当てもきっちり成功させたってことか。見事な手際だぜ。全てお前一人で盤面をひっくり返したんだな、綾小路)
綾小路清隆は、歓喜の輪に加わることもなく、ただ無表情のまま、淡々とホワイトボードの数字を見つめていた。
俺と視線が交差することはなかったが、彼がこの勝利の真の『支配者』であることは明白だった。
一方で、他クラスの状況は惨憺たるものだった。
「なぜだ……! なぜこんな結果になった!?」
Aクラスのリーダー格である葛城康平は、スキンヘッドの頭を抱え、ひどく狼狽していた。
彼はこの特別試験において、Cクラスの龍園と裏で『内密の契約』を結んでいた。Cクラスのポイントで200Sポイント分の物資を購入してAクラスに与え、龍園が島に残って他クラスのリーダーを探る。その見返りとして、卒業までAクラスの生徒全員から一人当たり2万プライベートポイントを龍園に振り込む、という契約だ。
だが、結果としてAクラスはリーダーを他クラスに見抜かれ、ポイントを大きく減らしている。龍園も0ポイントで終わった。
「葛城さん、これは一体どういうことですか?」
葛城の背後から、冷ややかな声が突き刺さる。
Aクラスのもう一つの派閥、坂柳有栖を支持する生徒たち――橋本正義らが、薄ら笑いを浮かべながら葛城を取り囲んでいた。
「あなたの保守的で完璧なはずの作戦は、大失敗に終わったようですね。……これでAクラスのポイントを減らした責任、どう取ってくれるんですか?」
「くっ……! 黙れ、何かの手違いがあったはずだ……!」
葛城はギリッと歯を食いしばり、怒りと困惑の視線を龍園へと向けたが、龍園自身も「クソッ……誰だ、俺をハメた野郎は……!」と怒りに震えており、契約のことなど気にする余裕もなさそうだった。
Bクラスの集団では、一之瀬帆波が悔しそうに唇を噛み締めていた。
「……私たちのリーダー、見抜かれちゃったね。隠し通せると思ったんだけど……まだまだ甘かったな」
「一之瀬のせいじゃないよ! また次頑張ればいいじゃん!」
クラスメイトたちが励ます中、一之瀬は「うん、ごめんね。ありがとう」と気丈に振る舞っている。
歓喜、絶望、困惑、そして怒り。
様々な感情が渦巻く砂浜を後にし、俺たち一年生は、迎えに来た小型ボートに乗り込み、沖合に停泊する超豪華客船へと帰還したのだった。
豪華客船へと足を踏み入れた瞬間、キンキンに冷えたエアコンの冷気と、高級ホテルのような絨毯の感触が、俺たちを文明社会へと引き戻した。
「うおおおおおっ! 天国だ!!」
「エアコン最高!!」
Dクラスの連中がロビーで歓喜の声を上げる中、俺は誰とも言葉を交わすことなく、指定された四人部屋へと一直線に向かった。
部屋に入ると、初日からリタイアして我が物顔で部屋を使っていた高円寺が、「おや、無事に帰還したようだねえ、呉ボーイ」と優雅にソファでワイングラスを傾けていたが、俺はそれすらも無視して、ボストンバッグから着替えを鷲掴みにし、シャワールームへと飛び込んだ。
「……ふぅぅぅっ」
熱いシャワーの湯が、一週間分の汗と泥、そしてジャングルの嫌な匂いを容赦なく洗い流していく。
高級なボディソープの泡が、俺の身体を『無人島のサバイバー』から『普通の高校生』へと急速にリセットしていくのを感じた。
(サバイバル試験は、もう完全に終わった)
シャワーを浴びながら、俺の思考はすでに、クラスの勝利や綾小路の暗躍といったノイズから完全に切り離されていた。
俺の脳内を占めているのは、ただ一つの、至高の存在だけだ。
(ひより……。今すぐ会いに行く)
一週間の隔離生活。
試験中、俺の最大のストレスは、不味いレーションでも、池たちの諍いでもなく、『椎名ひよりの姿を見られないこと』だった。
初日に砂浜で一緒に遊んで以来、彼女は船に帰り、俺は島に残った。たった数日会えなかっただけで、俺の心は干からびた砂漠のように潤いを求めて悲鳴を上げていたのだ。
急いで身体を拭き、ドライヤーで髪を乾かし、シワ一つない清潔な私服――白のサマーシャツに黒のパンツ――に着替える。
「さて、極上のバカンスの再開だ」
俺は高円寺と、遅れて部屋に入ってきた綾小路に軽く手を挙げ、足早に部屋を後にした。
向かう先は、船内の最上階に近い展望カフェ。
事前にひよりと「試験が終わったらここで待ち合わせよう」と約束していた場所だ。
カフェの入り口から中を覗き込むと。
「……っ」
窓際の特等席で、青い海を背にして静かに本を読んでいる、銀髪の少女の姿があった。
淡い水色のワンピースに身を包み、船内の柔らかな照明を浴びて輝くその姿は、一週間の地獄を乗り越えた俺にとって、まさしく天から舞い降りた天使そのものだった。
俺は鼓動が早くなるのを必死に抑えながら、彼女のテーブルへと近づいた。
「待たせたな、ひより」
俺が声をかけると、ひよりはハッとして顔を上げ、まるで満開のひまわりのように、パァッと明るい笑顔を咲かせた。
「刃叉羅くん……!」
彼女は本を閉じ、嬉しそうに俺の顔を見上げた。
「お帰りなさい。一週間……本当にお疲れ様でした」
その、優しく包み込むような労いの言葉を聞いた瞬間。
俺の心の奥底に溜まっていた、一週間の無人島での塵のような疲労が、文字通り一瞬にして浄化され、消え去っていくのを感じた。
なんという破壊力だ。この子の笑顔一つで、世界中の戦争が止まるのではないかと本気で思う。
「ああ、ただいま。……待たせてごめんな」
俺は彼女の向かいの席に腰を下ろし、深く、心からの安堵の息を吐いた。
「怪我とか、体調を崩したりはしていませんか? 少し、日に焼けましたね」
ひよりが、俺の顔や腕を心配そうに覗き込んでくる。
「全然平気だ。俺はただの薪拾い係だったからな。……クラスの方は色々と面倒なことが起きてたみたいだが、俺は何もしてないよ」
俺がそう言って笑うと、ひよりはホッとしたように胸をなでおろした。
「Dクラスの皆さん、1位だったんですよね? 船内の放送で結果を聞いて、私もすごく驚きました。……刃叉羅くんが無事に帰ってきてくれて、本当に良かったです」
「俺もだ。この一週間、不味い飯と暑さのせいで、ひよりが淹れてくれた紅茶と、一緒に読んだ本のことばかり思い出してたよ」
俺が冗談めかして(本心だが)そう言うと、ひよりは頬をぽっと赤く染め、「ふふっ」と嬉しそうに目を細めた。
「ひよりは、この一週間、船でどうしてたんだ?」
俺が尋ねると、ひよりは楽しそうに船での優雅な生活を語り始めた。
「私は初日にリタイアした後はずっと船にいましたから、本当にのんびりさせてもらいました。図書室で新しい本を借りて読んだり、レストランで美味しいケーキを食べたり……あ、あと、夜はデッキから星空を見ていたんです。とっても綺麗でしたよ」
「それはいいな。まさに理想のバカンスだ」
「はい。……でも」
ひよりは、手元にあるアイスティーのグラスを両手で包み込むように持ち、ほんの少しだけ視線を伏せて、照れくさそうに呟いた。
「美味しいものを食べても、面白い本を読んでも……なんだか、少しだけ寂しかったんです。刃叉羅くんと一緒にお話しできないと、時間が過ぎるのがすごく遅く感じてしまって」
(――――ッッッ!!!!!!!)
俺の心臓が、本日最大級の爆発を起こした。
なんだそれ。可愛すぎるだろ。
一週間会えなくて寂しかったのは俺だけじゃなく、ひよりも同じだったというのか。
俺の顔面は今、間違いなく沸騰したヤカンのように真っ赤になっているはずだ。
(ヤバい……一週間ひよりに会えないのは本当にキツかったが……俺、もうひよりの癒し成分が無ければ、生きていけない体になっちまったかもしれない……)
暗殺者としての冷徹な精神はどこへやら。
俺は完全に一人の少女に依存し、その存在を心の底から愛おしく思う、ただの男子高校生になり果てていた。
「……俺もだ」
俺は、必死に理性を総動員して声を絞り出し、テーブルの上に置かれた彼女の小さな手に、そっと自分の手を重ねた。
「俺も、この一週間……ずっと、ひよりに会いたかった」
俺が真っ直ぐに見つめてそう告げると、ひよりの顔は耳まで真っ赤に染まり、彼女は恥ずかしそうに下を向いてしまったが……重ねた手は、決して振り払われることはなく、むしろ俺の指を優しく握り返してくれた。
「……はいっ。私も、ずっと……待っていました」
窓の外には、夕暮れ時の穏やかな海が広がっている。
試験の勝敗も、クラスの順位も、裏で蠢く権謀術数も、この瞬間だけは完全に俺たちの世界から消え去っていた。
暗殺者の少年は、地獄のようなサバイバルから生還し、最も愛しい天使の隣で、極上の癒しと甘い幸福感に全身を浸していくのだった。
ここから始まる、本当の意味での『最高のバカンス』を、二人で満喫することを心に誓いながら。